2015年3月号より
航空機業界といえば、米国のボーイング社、欧州のエアバス社が横綱で、小型機もカナダのボンバルディア社、ブラジルのエンブラエル社が手がけており、日の丸航空機は、かつての「YS-11」(1962年初飛行、73年製造終了)以来長らく途絶えていた。もちろん、ボーイング787といった新鋭機種では、日本の重工メーカーも“部品メーカー”としては重要な一翼を担っている。が、やはり機体丸ごと手がけるのとは次元が違う。
こうした長年の雌伏期を経て、ようやく日の丸航空機が注目される時がやってくる。リージョナルジェットという小型機のカテゴリーながら、三菱重工業が手がける「MRJ」が昨秋、完成披露され、いよいよ今春に飛行試験が始まる。すでに、全日本空輸がローンチカスタマーとなって2017年から、日本航空も遅れて21年からの導入を決めている。
三菱重工といえば、1980年代には新日本製鉄やトヨタ自動車と並んで、重厚長大の「御三家」的な存在感があったものだが、その後停滞が続き、売り上げも前年維持が精一杯という時代が続いてきた。
しばらく3兆円目前でずっと足踏みしていた売り上げは、ようやく前期に3兆3500億円を記録し、15年3月期は4兆円になる見込みだ。今後は、MRJの伸長いかんでさらに売り上げを積み上げることができる。
そういう意味では、17年から全日空がMRJを導入する意義は大きい。燃費や快適性などで世界の耳目を集められれば、20年の五輪時には世界からも話題になるだろう。
大型客船の分野では日本の威信を世界に知らしめることができたし、新幹線の技術力の高さも定評がある。「海」「陸」ときて、最後に「空」の領域で、三菱重工がどんな力を世界に見せるのか、5年後にはその評価も定まっている。
多角化で成功を収めた筆頭といえば、富士フイルムホールディングスが有名だ。が、それは単なる多角化といった生やさしいものではなく、デジタル化の波によって、2000年頃から写真フィルムという本業が消失危機に陥ったという点で、存亡の危機からの脱出でもあった。
事業構造抜本改革の覚悟は、06年に社名から「写真」を外すことに表れていた。また同年、フィルム技術を応用して化粧品市場に参入、翌07年からは「アスタリフト」というブランドでの本格展開も始めている。
さらに08年には、もともとは大正製薬傘下だった富山化学工業を買収、医薬品市場にも橋頭堡を築く。ちなみに昨年、インフルエンザ治療薬の「アビガン」がエボラ出血熱に効果・効能があることが確認され、富士フイルムは注目を集めたが、アビガンを開発したのが富山化学だ。
これからの富士フイルムHDを牽引するのは、内視鏡や超音波装置、X線フィルムといった医療関連機器と、自社で開発中の医薬品群、あるいは再生医療分野になる。5年後の同社は、“富士メディカルホールディングス”というイメージが、より濃くなっているだろう。
富士フイルムHDと好対照の道を辿ったのが、米国のイーストマン・コダック社だ。同社は3年前の12年1月にチャプター11の適用を申請し、経営破綻した。何が富士フイルムと明暗を分けたのか。コダック社も多角化の目玉として、邦貨換算で何千億円もの投資で製薬メーカーを買収したことがあったのだが、結局はうまくいかず、フィルム市場に回帰することで傷を広げてしまった。
富士フイルムHDは、フィルム分野のガリバー時代に蓄積した厚い内部留保、それに古森重隆氏のトップとしての突破力や胆力も相まって、大胆な転換に踏み込めたといえる。
大業態転換という点で、同社は今後も世界から注目される。