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特集記事

2014年3月号より

西武、西友、パルコに見るセゾン中核企業の生き延び方

「お別れの会」で一堂に

「詳細はまだ未定ですが、2月末に行うことになる予定です」

語るのは、セゾン文化財団幹部。行う予定とは、2013年11月25日に86歳で他界した、セゾングループ総帥だった堤清二氏のお別れの会のこと。生前、同文化財団で理事長を務めていた清二氏だが、お別れの会はセゾングループの中核会社だった企業との「合同の会」になりそうだ。かつては同じグループだった企業群のトップや幹部が、資本関係を離れてから一堂に会する機会は、これが最初で最後かもしれない。

元を辿ると、西武グループを築いた堤康次郎は、清二氏の義弟にあたる義明氏のほうに本業の鉄道事業を継承させ、併せてグループ資産の多くを義明氏が受け継いだ。逆に清二氏はスタートから、引き継いだ流通企業拡大のために多額の借金を余儀なくされたといえる。一方で、小説家の辻井喬と経営者としての堤清二という2つの顔を持ち、消費に「感性」といった文化的側面を持ち込んだという点で、清二氏は不世出の事業家といっていい。

西武百貨店を核に多様な流通集団を形成したセゾングループ。

時計を巻き戻してみよう。ちょうど30年前の1984年、セゾングループは絶頂期を迎えていた。前年の83年には百貨店の店舗別売上高で西武百貨店池袋本店が初めて日本一の座に就き、その余勢を駆って84年、清二氏の悲願でもあった銀座エリアへの出店、すなわち有楽町西武が誕生している。さらに翌85年には、西武流通グループからセゾングループへと呼称も変更した。

セゾンはフランス語で季節を意味するが、この頃までがセゾングループにとって“盛夏”だったといえる。それ以後のバブル期は、セゾンの感性路線云々というよりも、よく言えば総合生活産業、悪く言えば、清二氏に潜在的な破滅願望があったとしか思えないほどの膨張路線に舵を切っている。

その最たるものが、88年に2800億円もの巨費を投じて買収した、インターコンチネンタルホテルチェーンだった。そのほか、共同出資でジャガージャパンを設立したほか、西武自動車販売がフランスのシトロエン、プジョー、スウェーデンのサーブなどの輸入販売元になるなど、自動車販売にも傾倒している。

この時期、清二氏にはすでに“秋風”が忍び寄り始めていたのかもしれない。

その後、バブル崩壊によって91年頃から足掛け10年にわたって、セゾングループは“厳冬期”を過ごすことになる。過酷なリストラの果てが、住宅や商業施設、リゾート開発などの不動産業を手がけた、西洋環境開発の2001年の清算である。前後して、セゾングループの中核企業はほかの企業の傘下に入っていくことになり、いまも独立系として存続しているのは、クレディセゾンと良品計画ぐらいしかない。

セブン傘下で「第2幕」へ

堤 清二氏

そこで、ここからは中核企業のうち西武百貨店、西友、パルコを順に見ていこう。

まず西武百貨店だ。西友やパルコが株式上場していたのに対し、長男格の西武百貨店は未上場企業で、もともと財務内容がわかりにくかった。一時期、医療機器架空売り上げ事件が発覚するなど、特に外商部門はでたらめな経理操作も露呈した。さらに、バブル崩壊で債務危機に陥った前述の西洋環境開発の負債が西武百貨店に重くのしかかる。

それでなくても西武百貨店自身が債務過多で財務体質が脆弱だったことに加え、97年以降毎年、百貨店業界全体が前年の売上高を下回るようになり、西武百貨店の経営は追い詰められていった。それゆえ、堤清二氏と西武百貨店首脳がメインバンクを巻き込んで対峙し、清二氏はけじめをつけるため、100億円の私財拠出を強いられもしている。

西武百貨店の再編は2段階を踏んでいる。西洋環境開発が清算される前年、やはり膨張経営の果てに破綻したそごうの再建請負人に、西武百貨店の大リストラを指揮した和田繁明氏が就任、その後、03年に百貨店業界初の持ち株会社、ミレニアムリテイリングの傘下にそごう、西武百貨店が入る。

一方で、百貨店業界では大丸と松坂屋の統合(=Jフロントリテイリング)、三越と伊勢丹の統合(=三越伊勢丹ホールディングス)と再編が相次ぎ、結果的には破談になったが、髙島屋とH2Oリテイリング(傘下に阪急百貨店と阪神百貨店)も統合交渉を行ったほど。

堤 義明氏

こうなると、そごう・西武百貨店連合の存在感は後退してしまう。ルーツから言えば西武鉄道の傘下に入ることも選択肢の1つではあったが、その西武鉄道が04年秋、有価証券報告書虚偽記載事件を起こし、同社は上場廃止となる。06年に西武ホールディングスが発足するまで、こちらもコクド、西武鉄道、プリンスホテルの3社の資本再編の渦中となり、ミレニアムリテイリングを引き受けるどころではなくなった。

そして05年の年末、同年に持ち株会社を発足させたばかりのセブン&アイ・ホールディングスがミレニアムリテイリングを買収すると電撃発表。翌年、ミレニアムリテイリングはセブン&アイHDの完全子会社となった。

そごうや西武百貨店がセブン&アイ傘下となって幸せだったのかどうかは、まだわからない。

というのは、百貨店という業態自体が急速に退潮していったことが1つ。もう1つは、巨大流通企業となったセブン&アイHDのバイイングパワーによって、そごうや西武百貨店にもプライベートブランドの「セブンプレミアム」を導入、百貨店の生命線である衣料品売り場にもPB商品を導入したものの、劇的な成果を上げるまでには至っていないからだ。

そごう・西武百貨店を占う意味ではむしろ、これからが注目といえるだろう。理由は昨年末、セブン&アイHDが、米国の高級衣料品ブランド「バーニーズ・ニューヨーク」を手がけるバーニーズジャパン、さらにセレクト雑貨ブランドの「フランフラン」を手がけるバルスに、それぞれ49.9%、49%を出資すると発表したからだ。

バーニーズのほうは百貨店業との、フランフランは西武百貨店グループでやはりセブン&アイHD傘下になった雑貨専門店のロフトとの、それぞれシナジー効果を上げるのが狙いだろうからだ。

外資流で混沌の西友

次男格の西友はどうだろう。西武百貨店における西洋環境開発同様、西友にもグループの負債がずしりとのしかかった。グループノンバンクの東京シティファイナンス、さらに前述のインターコンチネンタルホテルは西友の管轄。西友は上場していたものの、財務基盤の弱さは西武百貨店と似たようなもの。インターコンチネンタルホテルの持ち株放出はもちろん、優良子会社のファミリーマートを伊藤忠商事に売却し、元は西友の一事業部だった良品計画の株も手放さざるを得なくなった。

西友のルーツは西武ストアーで、その後西友ストアー、西友へと社名を変えていったが、上場してグループを牽引しているのは自分たちだという意識や自負も強かったのだろう、西武百貨店とはある種、近親憎悪に近い感情を抱いていた時期もあった。

実際、たとえば錦糸町西武など、西武を冠した店舗の中味が実は大型の西友だったというケースがいくつか見られ、消費者が混同したりもした。その後、大型店の名称は「LIVIN」に統一されはしたが、マーケティングの迷走は否定できなかった。そして2000年、10%に満たない持ち株ながら一度は住友商事が筆頭株主に躍り出る。が、翌01年には早くも米国のウォルマートと資本提携を発表、02年からウォルマートが筆頭株主になっている。

EDLP(エブリデイ・ロー・プライス)の元祖といえるウォルマート流の注入は、西友に壮絶なコスト低減を迫った。結果、04年には1600人の希望退職を募り、05年に完全子会社化。さらにTOB(株式公開買い付け)で上場廃止となったほか、09年からは株式会社を廃止して「合同会社」に変わっている。

西友の場合も、身売り先がウォルマートで正しかったのか否か、まだ答えは出せない。ウォルマート流を徹底するには西友のスケールでは足りず、ウォルマートがダイエー獲りに動いたこともあったが不調に終わり、バイイングパワーという点でイオン、セブン&アイHDの2強に遠く及ばない。この2強が、バーチャルとリアルをシームレスにつなぐオムニ(あらゆる)チャネルを宣言できるのは、コンビニや金融など、グループの店舗インフラやサービスを総動員できるからだ。

西友の場合、クレジットカードこそウォルマートカードを発行しているものの、店名をウォルマートにするでもなく、規模的にもマーケティング的にも中途半端な印象は否めない。業界4位のサークルKサンクスを持つユニーグループでも厳しい状況だけに、西友、というよりウォルマートは、日本市場にこのまま踏みとどまるのかどうか、どこかの段階で判断を迫られるのではないか。そうでなければ大型のM&Aで規模を拡大するしかないが、前述の2強があまりに大きくなり、切れるカードはそんなに多くないのが実情だ。

Jフロント傘下のパルコ

ここまで西武百貨店、西友と見てきたが、ここから取り上げるパルコの場合は少し異質だ。会社を揺るがすほどの負の遺産を背負いこんだわけでもなく、業態も商業ディベロッパーで、平たく言えば売れ筋のショップを入れ替える専門店ビル企業だからだ。70年代後半から80年代前半、セゾングループが感性路線でピークを迎えた頃、グループの代名詞が渋谷のパルコだった。

が、時代の変遷やバブル崩壊後のグループの疲弊も重なり、パルコに往年の輝きがなくなっていく。むしろ、専門店ビルとして伸張したのは、JR東日本グループの駅ビル専門店ビル、ルミネである。パルコもまた、グループが瓦解して資本関係を解消していく過程で新たな株主を迎える必要性に迫られた。

そこで筆頭株主になったのが森トラストだった。同社にすれば専門店ビルの運営ノウハウを吸収する狙いもあったのだろうが、パルコ経営陣が、大株主の森トラストを無視した増資という暴挙に出たほか、イオンも株を買い増すなど、ここ2年ほどは混乱が続いてきた。継続保有に意義を見出せなくなった森トラストは持ち株をJフロントリテイリングに売却、その後、同社の子会社として今日に至っている。

Jフロントリテイリングは、百貨店の中では早い段階で場所貸し業的な立場を鮮明にし、売れ筋ショップを入れることに注力してきただけに、パルコを自陣営に取り込んだのは理解できる。傘下の大丸や松坂屋も、本店や準本店級の大型店を除けば“パルコ化”が進むのかもしれない。ただしパルコのみならず、衣料品や雑貨を主力とする業態は、ファストファッションやネット通販の浸透で厳しい戦いが続くのは必至。店舗の「ショーウインドー化」も、家電量販店の話だけではない。

5年半ほど前、堤清二氏は辻井喬名で、東大大学院教授の上野千鶴子氏と対談形式の本を上梓している。内容は、セゾンの築城から落城までの検証だが、その中で辻井氏は「経営者という役柄は自分の性にあんまり合っていないなと、自分では感じていました。それでいていろいろ投資してきたことは自分で矛盾していたと思います」と吐露している。当時、この共著について本誌のインタビューで上野氏もこう語っていた。「バブル崩壊後、多くの経営者が後退戦を余儀なくされましたが、セゾンの場合、つんのめり方にも“個性”が出たという印象があります」

瓦解してしまったセゾングループだが、堤清二氏が生み、育てた企業が“とんがっていた”ことだけは語り継がれていくだろう。

(本誌編集委員・河野圭祐)

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