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特集記事

2013年11月号より

軽自動車増税に反旗を掲げた「軽市場の開拓者」鈴木修

軽自動車界の巨人の反撃

「これは弱いものいじめ。弱者救済ではない」「九州や四国では道は狭く、通勤や商売、運搬とあらゆるところで、軽自動車は使われています。軽は住む人たちにとって、なくてはならない存在なのです」「軽のユーザーに年収1500万円以上の人はほとんどいません。所得の少ない方々が、生活や仕事のために利用しているのです」

軽自動車増税論に強く反発する鈴木修・スズキ社長。

スズキの鈴木修会長兼社長は、訴え続けていた。強烈に。

軽自動車の増税論が総務省から浮上していることに対し、断固とした態度で批判を繰り返した。鈴木修自身がインドから帰国した翌日の8月29日、都内で開かれた軽トラック「キャリイ」の発表会場での出来事だった。

これまでも、繰り返されてきたシーンである。

軽自動車が否定されたとき、軽自動車を守ろうと鈴木修は軽自動車の魅力、そして存在意義をとことん説いていくのだ。

ある時には厳しく、ある時にはユーモアいっぱいに。

今年4月、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)交渉に絡み「普通車の自動車税よりも低い軽自動車税は不公平」と米国が言っているという指摘があった。このときにはすかさず、「軽自動車をやりたいのなら、自分でつくればいい。つくるなとは、誰も言っていません。不公平でも何でもない。もし、つくれないのなら、スズキはいつでもOEM(相手先ブランドの生産)でつくってさし上げます」とやり返した。最後の行では、会見会場には笑いがあふれた。

今回の軽自動車増税論は、5月末から総務省で始まった「自動車関係税制のあり方に関する検討会」(会長は神野直彦・東大名誉教授)で浮上したもの。同会では今、自動車税と軽自動車税の格差をどうするかなど、自動車関係の地方税のあり方を包括的に議論している最中である。

今年1月にまとまった今年度の与党税制大綱において、消費税が10%となった段階で自動車取得税の廃止が盛り込まれている。確定ではないものの、消費税10%は2015年10月となる見通しである。

自動車取得税とは普通車や軽自動車の取得時にかかる税だ。

総務省サイドにとってややアンラッキーだったのは、廃止される自動車取得税の「穴埋め(代替財源)」として軽自動車税が大幅増税されると、8月下旬から大きく報じられたことだろう。つまり、最初から自動車取得税の廃止と軽自動車税の増税がワンセットであると広く認知されてしまった点だ。基本的には「あり方」に関する検討だったのが、「穴埋め」のための検討のように思われてしまった。

しかも「(軽自動車税に関して)まだ、何も決まっていない」(総務省幹部)状況なのに、インドから帰国したばかりで新聞報道だけを見た鈴木修をいきなり刺激してしまったのである。“巨人”は動き出し、キャリイ発表当日の反撃となった。

8月の国内新車販売全体に占める軽自動車の比率は約41%。

鈴木修は「41%が標的にされた。弱いのはユーザーだけではなく、41%を占める軽自動車の部品メーカーも同じ。普通車のサプライヤー(納入業者)と比べ軽自動車の部品メーカーは中小企業が多いから。増税されると大きな影響を被るのです」「消費税増税は日本の将来を考えればやむなし。しかし、自動車取得税の廃止に伴い、財源を軽自動車税の増税で穴埋めしようなど仕組みがなってない。残念というより本当に悲しい」と続ける。

ちなみに、所得税や酒税など国税は財務省が所管するが、自動車税など地方税は総務省が所管する。

自動車取得税は都道府県税だが、納付額の66・5%は市町村に交付されるのが特徴だ。13年度の税収見通しは1900億円。

軽自動車税は同じ地方税でも市町村税。税収見通しは1852億円。計算上は、2倍にすると失われる分をほぼ補填できる。

なお、排気量が1000ccを超え1500cc以下の普通車の自動車税は年間3万4500円(月に直すと2875円)。自動車税は都道府県税。

軽自動車の排気量は660cc以下であり、軽自動車税は年7200円(月600円)。都道府県に登録する普通車のナンバープレートは白色。市区町村に届け出する軽自動車のそれは、黄色である。

軽自動車はエンジンの大きさだけではない。サイズは全長3400ミリ以下、全幅1480ミリ以下、高さ2000ミリ以下であり、定員は4人以下、最大積載量は350キロ以下と規格が決まっている。これらを一つでも超えると、普通車(登録車)となる。

軽自動車は日本だけの規格だ。現在、軽を生産・販売しているのは、スズキ、ダイハツ工業、ホンダ、三菱自動車工業の4社。

トヨタはダイハツから、日産は三菱自工とスズキから、マツダはスズキから、富士重工業はダイハツから、それぞれOEMで供給を受けて、いまや8社すべてが軽自動車を販売している。また、日産と三菱自工は軽自動車の開発で協業関係にある。

軽自動車の増税議論について、ホンダ首脳は言う。

「軽自動車の税率は国際的にみて平均的な水準。軽が安いのではなく、登録車にかかる税金が高すぎる」

これが、8社すべてが軽自動車を扱っている自動車業界においての、標準的な考え方である。

軽自動車の申し子

鈴木修は1930年1月生まれ。世界の自動車メーカーのなかでは、最高齢の経営者だ。冬は雪深い岐阜県下呂町(現在は下呂市)の出身。

「農家の四男坊でして、私の旧姓は松田」(鈴木修)と、講演冒頭の自己紹介でよくこう話し聴衆から笑いをとる。子供時代は、腕白のガキ大将だったそうだが、いまも基本部分は変わらない。

旧制中学の途中で宝塚市の海軍航空隊に志願して入隊する。文武両道に通じていたため甲種飛行予科練習生となる。ちなみに、甲飛は予科練の最上位だったが、海軍特別攻撃隊(特攻隊)への道を選択し、一度は国防に身を捧げる決意をする。あるとき、淡路島への移動を命じられ、修少年は無事に渡れたが、仲間が乗ったもう1艘が魚雷で撃沈されてしまう。「本当は私が乗るかもしなかったんだよ。志をもっていたのに、みんな海の藻屑になってしまった」と、ずいぶん前に筆者に話してくれたことがあった。

戦後は大学の教育学部を卒業し、東京世田谷区で小学校の教員となる。教壇に立ちながら、当時は神田にあった中央大学法学部に学ぶ。中大卒業後は中央相互銀行に入行。銀行員時代、スズキ第2代社長の鈴木俊三に見出され婿養子となる。

スズキに入社したのは58年だった。実は58年は、軽自動車税が創設された年である。54年に自転車税と荷車税が統合してできた自転車荷車税が、軽自動車税となった。さらに、経済産業省(当時は通産省)がもっていた「国民車構想」に合致する最初の国民車となる軽自動車「スバル360」が、富士重工から発売されたのも58年だった。

入社した鈴木修は当初、企画室に配属された。ところが、地に足がついていないスタッフの仕事を嫌い「現場に行かせてくれ」と社長に願い出て、工程管理課に異動する。

本社の中枢である企画室と対立する関係となった鈴木修は、入社3年目の61年1月に新工場の建設責任者となる。責任者に仕立てたのは企画室のトップである専務。鈴木修の失脚を狙っていたとも見られる。

その新工場は豊川工場(愛知県)。無茶な工期だったが、鈴木修は現場に張り付き、61年9月に予定通り完成させる。予算は3億円だったが、2億7000万円で建設し3000万円を企画室に突っ返したそうだ。

「豊川工場建設で、修は自信をつけた。経営者、鈴木修の原点とは工場にある」

同期入社であり元社長だった戸田昌夫(故人)は、生前このように話していた。

豊川工場で生産したのが軽トラックの「スズライトキャリイ」(2サイクル360cc)。これが初代キャリイであり、今年8月に発表したキャリイは11代目を数える。つまり、鈴木修は軽自動車の発展とともに、歩んできた経営者なのだ。

鈴木修が第4代社長に就任したのは78年。48歳だった。このときは、第3代社長が病気で倒れたため、専務から緊急登板する。ただし、75年からの国の排ガス規制により、スズキの経営は厳しさを増していたから。“ノーアウト満塁”のような波乱の登板だった。

他社がみな4サイクルエンジンを搭載していたのに、スズキはずっと2サイクルエンジン車の専業メーカーだった。このため、HC(炭化水素)で国の排ガス規制への対応ができなかったのだ。しかも、規制をクリアーする新エンジンの開発に失敗してしまう。社長になっていなかった鈴木修は当時の豊田英二トヨタ自工社長に頭を下げて、トヨタからダイハツ製4サイクルの軽自動車エンジンを供与してもらう。「潰れるんじゃ、しかたない」と豊田英二は言ったそうだ。

この一方、排ガス規制や第2次オイルショックが発生していく時期、監督官庁である通産省(現在の経済産業省)や運輸省(現在の国土交通省)など霞が関、さらに永田町を鈴木修は積極的に動く。ここで人脈を得て、「若い経営者が孤軍奮闘してるから」と鈴木修の応援団が増えていったのだ。

79年5月には軽自動車「アルト」を発売する。当時の軽自動車は60万円台が中心だったなか、アルトは全国統一価格の47万円としてヒットさせる。第2次オイルショックを受けた後のこの頃、通産省は都市内交通に適した「コミュニティーカー構想」を打ち出していた。これは「小さい車で低燃費」なコミュニティーカーを想定していて、まさにアルトがピッタリだった。通産省の考え方と連動してアルトをタイミングよく出せたことで、スズキも軽自動車そのものも飛躍していく。

インドの国民車

アルトはその後、インドに導入される。800ccのエンジンを積み、「マルチ800」という名前で売り出され、実質的なインドの国民車に成長していった。

軽自動車の反対派には「そもそも軽はガラパゴス。日本市場にしかない規格」という指摘がある。

この点を、鈴木修はキャリイの会見会場で次のように話した。

インドで生産する「マルチ」は国民車となった。

「スズキはインドで毎月8万台の自動車を販売しているが、うち3万台は軽自動車と同じ部品、車体を使っている。例えばワゴンRのボディーに1000ccのエンジンを積んでいるのです。インドは暑い国であり、ユーザーはみな冷房を強力に使っているため、エンジンは大きい。日本の軽自動車で培った技術は、インドで生かされていますが、これからはインドネシアやタイ、ベトナムでも、軽のボディーを使った新車の開発も考えている。軽はアジアのエコカーになりつつあるのですよ」

昨年夏に筆者が単独インタビューしたときにも、鈴木修は力説していた。

「身体の大きい欧米人とは違い、小さな身体のアジアの人たちには、日本の軽自動車が向いています。軽は経済が発展して自動車の需要が急拡大するアジアの新興市場で通用する、究極のエコカーなのです。日本のワゴンRに投入した環境技術のエネチャージも、インドなどアジアにいずれ広げていきます」

もう一つ加えるなら、「軽自動車はEV(電気自動車)に向いています。長距離走行の必要はなく、ボディも軽くて小さいから」(日産首脳)。石油が枯渇していくなかで、少ない電力で走行できるEVを開発していくのに、軽自動車を維持しておくのは必須である。

軽自動車税(乗用・自家用)の標準税率の推移をみると、58年が年間1500円で始まり、61年に3000円、65年に4500円へと増税された。

その後は76年に5900円、79年6500円、84年に現在の7200円となる。つまり、昭和50年代に3度ばかり増税されたが、76年だけが排ガス規制への対応からエンジンやボディーが大きくなる規格改定に伴う増税だった。

そもそも自動車税は「財産税」(財産の所有に対して担保力を認めて課す租税)であるため、「道路損傷負担金」として増税された面はあった。昭和50年代は景気も上向いて自動車および軽自動車が急速に普及し、道路などインフラ整備を推進する必要にも迫られていた。

そして、ほぼ30年前の84年を最後に軽自動車税は、変わっていないのだ。ちなみに、自動車税も2000cc以下の普通車に限れば、やはり84年から変わっていない。

30年ぶりの増税論議

軽をもたなかった日産やトヨタは、かつて軽不要論を主張していた。軽の最後の規格改定は98年だったが、特にトヨタからの圧力は強かった。安全面からボディーは大きくなったものの、排気量は660ccのまま従前と変わらなかったため、トヨタ「ヴィッツ」や日産「マーチ」などと比べて、軽は燃費性能で劣ってしまったのだ。

「ガソリンをたくさん使う車が、なぜ税金が安いのか」「諸外国と同じに排気量に応じた税制にすべきでは」などと、反対派から批判が続出した。

しかし、それからほぼ15年が経過したいま、技術革新が進み当時と同じ規格でありながらリッター30キロを超える軽自動車が、ダイハツやスズキから相次いで誕生してきた。

「軽は規格が決められているため、逆に開発力はアップできる。技術者は妥協を許されない分、創意工夫していくためです」(軽メーカーの技術者)。創意工夫で生まれた新技術は、やがては海を渡っていく形である。

さて、総務省から浮上している30年ぶりの増税議論だが、検討会は10月までには意見をとりまとめるという。

これにもとづき総務省は自民党税制調査会(野田毅会長)に、軽自動車増税要求を提出していくだろう。自民党税調の幹部会は野田会長のほか、高村正彦、町村信孝、額賀福志郎、宮沢洋一がメンバー。

この5人が各省庁や自民党の部会などが提出する要求項目に、〇(受け入れ)、×(却下)、△(検討して後日報告)、〇政(政策的課題として検討)など印をつける。こうして“電話帳”と呼ばれる分厚い冊子が作成され与党間で合意して(税制改正大綱)、年末までには税制改正作業を終える。

総務省は今回、“〇政狙い”と見られる。軽自動車の税制改正は実現すれば30年ぶりであり、時代が違いすぎて前例は役には立たない。

ビール類は頻繁に増税されてきたが、「増税により消費が落ち込み、税収が減るケースが多い」(ビール会社幹部)。責任は、政治家が選挙により問われることとなる。

かつて自民党税調会長を務めた相沢英之は、筆者に次のように語ったことがある。

「選挙に落ちても仕方ないんだ。国のために、税制改正は誰かがやらなければならないから」
自民党税調の5人の幹部には、旧自治省出身者はいない。また、来年と再来年に迫っている消費税引き上げ自体がこれからどうなっていくのかが、自動車取得税廃止と絡んでいくことになる。

一方、軽自動車税増税を阻止しようとする鈴木修は、徹底して世論を味方につけていくことだろう。戦う相手は以前のトヨタや日産ではなく、今度は国となる。が、本来は消費者であり有権者の支持をどこまで得られるかがポイントだ。

仮に増税となれば、最も影響を受けるのは軽の比率が高いダイハツ、すなわちトヨタだ。また、全国にある自動車整備などの業販店も厳しい状況となろう。

鈴木修は再び訴える。

「地方によっては、軽自動車がなければ、生活できないし働けない」「東北の復興にも、軽は活躍しているのですよ」

(文中敬称略 ジャーナリスト・永井隆)

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