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特集記事

2013年9月号より

挫折した東大ベンチャーの系譜

リクルートは1兆円企業

東大史上最大の起業家は誰か――。
もしこんな質問をしたら、おそらく圧倒的支持を集めると思われるのが、今年2月8日に亡くなった江副浩正氏だ。

東大一の起業家、江副浩正氏。

1936年生まれ、東京大学教育学部に進学し、東京大学新聞社で営業の仕事を覚えた江副氏は、在学中にリクルートの前身であり、大学新聞の広告代理店である、大学広告社を設立した。60年のことである。その後、社名は日本リクルートメントセンター、日本リクルートセンターと変わり、84年に現在のリクルートとなった。

いまやリクルートの売上高は1兆492億円、営業利益は1249億円にのぼる(前3月期)。戦後、東大出身者が興した会社で、売上高が1兆円を超えたのはリクルートが初めてだ。

江副氏は88年に発覚したリクルート事件の責任を取って経営を離れるが、翌年、贈賄容疑で逮捕される。

その後、江副氏は保有株も売却、リクルートとの縁は切れた。

それでも江副氏の作った礎がしっかりしていたからこそ、事件後の一時は低迷したものの、その後再び成長路線に乗ったのだ。現に人材の採用・教育システムは、江副氏時代とほとんど変わっていない。資産を持たないリクルートにとっては人材が命。その根幹部分は江副氏がつくっている。媒体が紙からウェブに移ったものの、基本はそれほど変わっていない。

江副氏が東大史上最高の起業家というのは、規模の大きさだけではない。求人広告ビジネスという新ジャンルのビジネスを興したことに加え、リクルートを巣立った元社員たちがそれぞれ独立、各界で活躍するなど、独特の企業風土をつくりあげたこともポイントだ。

日本中にブームを起こした堀江貴文氏。

これに対し、知名度に関しては江副氏の上をいくのがホリエモンこと堀江貴文氏だ。

1972年生まれ。東京大学文科3類に合格するが、「入学したことで東大の看板は手に入れた」と中退している。在学中にホームページ制作会社のオン・ザ・エッヂを創業。これがのちのライブドアである。ライブドアはインターネットの普及とともに業容を拡大していき、同時に堀江氏の名も徐々に知られていくようになる。

全国区になったのは2004年。この年、プロ野球オリックスと近鉄が合併を発表。堀江氏は球団数減少はファンのためにならないと近鉄買収に名乗りを上げた。この行動が若者を中心に圧倒的に支持される。結果的に球団は楽天に取られるが、その過程で堀江氏の「金で買えないものはない」等の独特の発言が人気を呼び、その一挙手一投足が注目されるようになった。

95年はじめには当時フジテレビの親会社だったニッポン放送株の35%を取得。同年夏の郵政選挙では、亀井静香氏の刺客として広島6区で出馬するなど(結果は落選)、常に話題の中心に堀江氏はいた。

ところが06年1月、証券取引法違反容疑で堀江氏は逮捕される。堀江氏以外の経営幹部も4人逮捕されたことからライブドアの経営は危機に瀕する。結局、子会社を売却、ライブドア自体は韓国企業に買収され、2年前には解散した。いまでもポータルサイトにはライブドアの名前が残っているが、堀江氏が起業したライブドアは完全に消滅した。

官僚から投資家へ

通産官僚を経て起業した村上世彰氏。

堀江氏に続いて注目を集めたのが、村上世彰氏だ。

1959年生まれ。灘中、灘高から東大法学部へと進学した。

江副、堀江両氏が東大在学中に起業しているのに対し、村上氏の場合は通産省に入省、エリート東大生の道を歩む。通産省時代にはM&Aの法制化になどに取り組み、6年後に「ルールをつくるよりプレイヤーになりたい」と退官、村上ファンドを立ち上げる。この時から村上氏はモノ言う株主として数々の物議を醸していく。

東京スタイルの株主総会では会社側とプロキシーファイト(委任状争い)を繰り広げ、西武鉄道グループが窮地に陥った時には独自の再建案を掲げて傘下に収めようと動いた。阪神電鉄株買収を目指したこともあった。多くの会社が村上ファンドに目をつけられないことを願ったが、村上氏にしてみれば、「正当な株主還元をやっていないから正すだけ」と会社側に問題があるという認識だった。

しかし堀江氏のニッポン放送株買い占めに絡み、事前に情報を得ていながら株を購入したとして、06年6月、逮捕された。その直前、村上氏は、証券業に今後関わらないことを明かすなど、情状酌量により逮捕を避けようとしたが、叶わなかった。

それから約半年後、村上ファンドは保有するほぼすべての株式を売却し、消滅した。

以上、見てきた3人は、いずれも異彩を放ち、時代の寵児になりながらも不祥事で逮捕され、一線を退いた東大出身の起業家だ。

89年に逮捕された江副氏は、14年間にわたって一審で争い続けた。

結局、有罪判決が下るのだが、懲役3年、執行猶予5年と、猶予付きだったために控訴せず、判決は確定した。

いちばん厳しい判決が下ったのは堀江氏だ。一審、二審ともに懲役2年6月の実刑判決。堀江氏は上告するが棄却され、11年4月、判決は確定した。同年6月に収監、今年3月に仮釈放となり、2年ぶりに社会復帰をはたしている。

逮捕前、一時はインサイダー取引を認めていた村上氏は、裁判になると全面否認に転じるも、一審、二審ともに有罪判決。村上氏は上告したが、11年6月、最高裁は上告を棄却、懲役2年、執行猶予3年、罰金300万円、追徴金11億4900万円の判決が確定した。

しかし3人が3人とも、有罪判決を受けた程度で大人しくしているようなタイプではなかった。江副氏の場合は、仕手筋話が出ると、すぐにその金主として名前があがるなど、亡くなる直前まで生臭さが消えることはなかった。堀江氏は3月に仮釈放されるや、たちまちメディアで引っ張りだこだ。その一方でロケット事業にも関心を示すなど、事業欲は衰えていない。村上氏はメディアに登場することはなくなったが、拠点をシンガポールに移し、いまでも投資家として存在感を示している。

3人のビジネスセンス、我の強さ、したたかさは、いずれも「リスクを取らない」と評価されがちな東大生のイメージとは相いれないものだ。しかしだからこそ彼らは異彩を放っている。他稿でも触れているように、東大生気質も少しずつだが変わってきた。第2、第3の江副、堀江が出てくる可能性もあるはずだ。そうすれば、日本経済ももう少し活気づくような気がしてならない。

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