2014年7月号より
独立自尊の気概
前稿でも触れたが、NTTドコモがNTTから分離・独立したのはいまから22年前の1992年のこと。初代社長は大星公二氏。以降、立川敬二氏、中村維夫氏、山田隆持氏、そして現在の加藤薫氏まで、計5人が社長を務めている。
大星氏と立川氏が6年間、続く2人は4年間、それぞれ社長の椅子に座っている。そして加藤氏は、現在でちょうど2年。前任2人に従えば、折り返し点ということになる。
しかしこの5人以外にもう1人。新聞紙面では社長に就任した人物がいる。立川社長時代に副社長を務めていた津田志郎氏がその人で、立川氏が任期を終えようとしていた2004年4月上旬、「次期社長に津田氏が内定」の見出しが新聞各紙を飾った。しかも複数紙が報じたことで、この人事は間違いないものと思われた。
「でも実際に社長に就任したのは、同じ副社長でも津田氏ではなく中村氏でした。津田氏の昇格に、NTTの和田紀夫氏が強く反対し、逆転人事となったのです」(当時のドコモをよく知る全国紙記者)
わざわざ古い話を持ち出したのは、ちょうどこの頃から、ドコモと6割の株を持つ親会社・NTTの関係に変化が起こり始めたからだ。
初代社長の大星氏も、元はNTTの社長候補の1人だった。しかし現実は、当時は海のモノとも山のモノともわからない携帯電話事業への転出だった。これに大星氏は発奮する。その思いは同時期にドコモに常務として移った立川氏も同じだった。この2人の「NTTを見返してやる」との強い思いが、NTT何するものぞとの気概につながり、自主独立の社風を生んだ。
99年にサービスを開始したiモード開発に際しても、社外から多種多彩な人材を登用したことが、史上まれに見るヒットにつながった。官僚的な組織では、けっしてあのようなサービスは生まれなかっただろうし、生まれたところで、使い勝手の悪いものになっていたに違いない。
98年、大星氏が立川氏にバトンタッチする直前に漏らした「NTTの冠はいらない」という言葉が、当時のドコモの経営陣、社員の気持ちを何より雄弁に物語っている。
ところが皮肉なことに、iモードの大ヒットが、ドコモの自由度を奪っていく。
iモード以降、ドコモの業績は急速に拡大する。その結果、NTTの連結売上高のうち、利益の8割をドコモが稼ぐようになる。ドコモは金の卵を生むニワトリに化けた。
ニワトリが自由に動き回れる環境があったから、金の卵を生めたのだが、親会社のNTTにしてみれば受け止め方は違う。何しろ利益の大半をドコモが稼ぐのである。これをコントロール下に置きたいと考えるのは自然の流れだろう。
これはNTTに限った話ではない。たとえばプレイステーションが大ヒットし、ゲーム機事業が利益の大半を稼ぐようになっていた1990年代のソニーがそうだった。ソニーのゲーム事業は、ソニーとソニー・ミュージックエンタテインメント(SME)の、2つの上場企業の折半出資会社として誕生した。しかしその事業が大きくなると、ソニーはゲーム部門の暴走を恐れ、SMEを100%子会社化することで、ゲーム部門をコントロール下に置いた。
NTTにしても同じことである。しかしドコモにしてみればたまったものではない。勝手に切り離しておいて、儲けが出た途端介入してくるのか、ということになる。大星、立川両氏は、ドコモ独立王国を守ろうと必死に抵抗した。
「NTTは97年に持ち株会社となり、その下に東西会社やドコモ、NTTコミュニケーションズなどがぶら下がる形となりました。その時以降、NTT本社は各事業会社に会長を置かないことを原則としています。ところが、大星さんは社長を退いたあと、4年間にわたり会長を務めています」(前出の全国紙記者)
影響力を発揮したいNTTと、自主独立を貫きたいドコモの攻めぎ合いである。
M&A失敗で軍門に
そのパワーバランスを崩したのが、次稿で詳しく触れているドコモの海外投資の失敗である。2兆円近くをM&Aに注ぎ込み、半分以上を失った。この損失のおかげでNTTの2002年3月期決算は8000億円もの赤字に転落している。
NTTにしてみれば、ドコモの自由にさせておいたら何をやらかすかわからない、という気持ちを一層強くする一件だった。それが、冒頭で記した、NTTによる「次期社長拒絶事件」へとつながっていく。
立川氏が強く推した津田氏は、立川氏と同じ技術屋で、ドコモが独立する前の1990年から携帯事業に携わってきた。いわばドコモ生え抜きであり、ドコモの自主独立路線を守るにはうってつけの人物だった。逆の見方をすれば、NTTにとっては津田氏の昇格だけは避けたかったということだ。
逆転人事で社長に就任した中村氏は、NTTの本流の1つである労務部を歩き、98年に取締役経理部長としてドコモに舞い降りている。当時、NTT社長だった和田氏もやはり労務畑出身で中村氏の5年先輩であり、気心も知れている。どちらを選ぶかは自明の理だった。
この2004年の人事をきっかけに、ドコモに対するNTTの管理が強まっていく。たとえば立川氏以降の3社長は、NTTの方針どおり、社長退任後会長職には就かず、相談役に退いている。
そして時をほぼ同じくして、ドコモのシェアの低下が始まっていくのは果たして偶然なのだろうか。
ドコモの現役社員が打ち明ける。
「NTTの子会社のわけですから、その方針に従うことは致し方ないと思っています。社長人事だって同様です。でもひとつ納得できないのは、NTTの歴代社長がみな携帯電話事業に明るくないことです。一時期より比率が下がったとはいえ、それでも7割の利益をドコモが稼いでいる。だったら、ドコモ社長がNTT社長になっても、何らおかしなことはない」
この言葉にあるように、ドコモの役員・社員の悲願とも言えるのが、NTT社長にドコモ出身者が就任することだ。
次期NTT社長の可能性
繰り返しになるが、持ち株会社NTTの下には、ドコモのほかに、地域会社の東と西、長距離のNTTコミュニケーションズ、ソフト会社のNTTデータなどがぶら下がっている。こうした形体の企業グループの場合、持ち株会社の社長を選ぶ際には、もっとも業績のいい子会社の長が最有力候補となる。NTTの場合ならドコモである。
3年前には、当時の山田・ドコモ社長が次期NTT社長の最有力候補と目されたこともあった。しかしこの年、東日本大震災が発生。それも影響してか、2期4年を迎えた三浦惺社長が1年留任。これによって山田・NTT社長の目はついえた。
しかしチャンスはこれからもある。
NTT現社長の鵜浦博夫氏と、加藤・ドコモ社長はともに12年に就任している。両社ともに4年ごとの社長交代が一般的のため、2年後に揃ってバトンタッチとなる可能性は強い。ただしNTTで副社長まで務めた山田氏と違い、加藤氏がNTT社長に就く可能性は極めて小さい。
しかし悲願を将来につなぐためにも、じり貧にあるドコモの業績を立て直すことが加藤社長には求められている。長期低落傾向にあるシェアを上向きに転じさせ、減益から増益へと流れを変えさせることができたら、ドコモ社長がNTT社長への登竜門となることは十分考えられる。
そのためにも前稿で触れたドコモの新料金プランは、何が何でも成功させなければならない。通話料金定額制度は、ドコモにとっても背水だが、その成否に、ドコモ社員の悲願の成就がかかっている。