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2013年7月号より

““異次元の金融緩和を決めた金融政策決定会合の舞台裏

無風で決まったバズーカ緩和

「バズーカ砲」とも呼ばれた4月4日の金融政策の変更は、この日に行われた日本銀行政策委員会金融政策決定会合で決定したものだ。日銀の金融政策は、月に1度か2度開かれる、この会合で決められる。けっして黒田東彦総裁が独断で決めているわけではない。

決定会合に出席するのは、黒田総裁、中曽宏・岩田規久男両副総裁のほか審議委員6名(次稿参照)の計9名。この9名が1日ないし2日にわたって審議をして、金融政策を決定する。黒田総裁最初の会合は4月3日と4日に開かれたが、第2回の会合は4月26日の1日だけだった。

会合が2日間にわたって開かれる場合、通常、次のような手順を踏む。

1日目はまず、日銀理事や局長などから経済金融情勢などについて報告がなされる。2日目は、前日の報告を踏まえて出席者が経済金融情勢について順番に自分の見解を表明、その後、自由討議に移る。次いで金融政策運営について現状維持か、変更するかについて出席者が順に意見を述べたうえで討議を行う。また政府関係者がオブザーバーとして参加している時は、ここで発言機会が与えられる場合もある。

前記の議論を集約して、議長である総裁が金融政策についての議案を提出する。ただし議案提出権は副総裁、審議委員の全員に与えられている。

最後に、提出された議題について採決する。1人1票の多数決で、審議委員に欠員が出たなどして可否同数となった場合は、議長裁定によって政策が決定される。

決定した内容はすぐに発表され、総裁が記者会見を行う。4月4日の場合だと、新しい政策が発表されたのは午後1時40分。そして午後3時半から黒田総裁が記者会見に臨んでいる。

これは、金融政策において透明性と説明責任が求められているためだ。日銀がどのような意図のもと政策を決めたのか、総裁自ら説明することで説明責任を果たそうというのである。

さらに、金融政策決定会合から約1カ月後には議事要旨が発表される。4月3、4日の会合の要旨は5月2日に発表されたが、ここで次のことが明らかになった。

黒田総裁になって初の金融政策決定会合で、日銀は大きく舵を切った。「写真提供:共同通信社」

大枠の金融政策に関しては、マネタリーベース(資金供給量)を年間60兆~70兆円規模で伸ばすという議案が黒田総裁から提出されたが、これについては全員一致で賛成した。ただ、「量的・質的金融緩和の継続」など一部ついては、木内登英審議委員だけが反対に回ったが、それ以外の議案は全員一致を見ている。

このほか、委員名は伏せたかたちで、「既存の定量的な分析結果によると、資産買い入れがインフレ期待を引き上げる効果には不確実性が大きい」と、日銀が目指す2年で2%のインフレ実現に疑念を呈した発言や、国債やリスク資産を大量に買い入れるに当たり、「政府との間での損失補填ルールについても検討に値するのではないか」との意見があった。とはいえ全体的には大きな論点はなく、全員が次元の違う金融緩和を行う必要があるとの認識を共有したという(公式の議事録は10年後に公開される)。

黒田総裁の就任で日本銀行は、政策委員会が設置された1949年から初めてといっていいほどの大々的な方針転換を行ったが、その割には審議委員も粛々と黒田総裁の新方針を受け入れた。

白川前総裁の最後の決定会合(3月7日)の時でさえ、一部の委員から、国債の買い入れを増やすべきという、今回の黒田総裁の議案を先取りしたかのような追加議案が提出されている。

つまり政策決定会合の空気はその頃から黒田色に染まり始めていたということであり、4月4日の会合で異論がほとんど出なかったのも、その流れにのっとれば当然だったのかもしれない。

ただし、3月と4月の決定会合にともに出席した6人のうち5人は、前回の追加議案に反対していながら今回は黒田議案に賛成しているため、「たった1カ月で意見が180度変わったとのはおかしい。単に日和っただけではないか」との批判も出ているのだが、見方を変えれば、それだけ総裁の方針に異を唱えることはむずかしいということなのかもしれない。それが異論なき異次元金融緩和につながったのだ。

議論が醸成する金融政策

しかし決定会合がいつも無風のわけではない。

たとえば2000年代はじめ、速水優総裁時代にとっての悲願がゼロ金利解除だった。ゼロ金利は1999年に日銀が採用した超低利政策だ。今日の金融政策は金利ではなく市中に流通する通貨の量で行っているが、当時はまだ金利政策に頼るところが大きかった。それだけに日銀にしてみればゼロ金利政策はあくまで緊急避難にすぎず、少しでも景気回復の兆しが見えたなら、それを解除するのが当然と考えていた。日銀出身の速水総裁は、その急先鋒だった。

そこで01年3月の金融政策決定会合でゼロ金利解除の議案を提出したのだが、この時、1人の議員が猛烈に反対している。中原伸之審議委員がその人で、中原氏はもともと日銀出身(のちに東燃社長)ながら、バリバリの金融緩和派で、いち早くインフレターゲットを導入せよと主張していた人物だ。そのためゼロ金利解除に対しても時期尚早と、1人だけ採決で反対している。

この時以外でも、中原氏は審議委員時代の5年間、四面楚歌の状態ながら、一貫して金融緩和を主張していた。

また白川前総裁時代には、委員の中にも次第に金融緩和派が増え始めており、慎重派との間で議論が白熱することもあっという。

こうした議論を通じて、従来と同じ金融政策では長きにわたるデフレ経済から脱却することは不可能との認識を共有するようになり、昨年2月14日の決定会合で1%のインフレ目標が提案された時には、全会一致で同意している。

以上見てきたように、決定会合は日本の金融政策を決める最高機関であるとともに、その議論そのものが日本の金融の将来を決めるという要素を持っている。

今回の大胆緩和による経済の激変で、金融政策が国民の生活に密接に関わっていることを多くの人が知るところになった。5月の会合の6月22日に発表される。次はどんな政策が打ち出されるのだろうか。

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