2013年5月号より
アイサイト効果で販売増
「先進安全技術は、ニーズは高いが金にならない」――この自動車業界の長年の常識が、2010年に覆された。富士重工業が主力モデルの「レガシィ」に、自動ブレーキによって事故のリスクを減らす安全装置「アイサイト」を搭載し「ぶつからない車」という宣伝文句をつけて売り出したところ、一大センセーションを巻き起こしたのだ。
「スバルさんのアイサイトは、悔しいが素晴らしいシステム。うちに車を買いに来るお客様から、この車にはアイサイトは付かないのかと聞かれるケースが何度もありました。うちにも似たシステムはありますが、高級車限定で値段も高い。しかも、便利さや使い勝手では負けている。先進安全が車の売れ行きを直接左右する時代が、いきなりやってきたという感じでした」
東京都内のトヨタ系販売会社社長は当時、このようにほぞを噛んでいた。
アイサイトは物を立体として捉えることができるステレオカメラを用いて、前方を走る車や障害物を検知し、運転者に危険を知らせたり、自動的にブレーキをかける装置。自動ブレーキだけでなく、渋滞などの際に前の車を自動的に追尾するといった、ユーザーにとって至極便利な機能も持っている。他メーカーのようにミリ波レーダーを使用していないため、価格は10万5000円と、この種の装置としては、かつてない低価格を実現したのも特徴だ。
自動車に詳しいある技術ジャーナリストは、アイサイトはスバルならではの、ドライバーの感性に合ったシステムに仕上がっていると語る。
「アイサイトの素晴らしいところは、単に危険回避や渋滞追尾といった機能をドライバーに提供することにとどまりません。実際に装置を使っているとき、アイサイトが前をちゃんと見ていますよという情報を的確にドライバーに伝えるアイデアが優れている。私もアイサイト付きのレガシィをテストドライブしたことがありますが、渋滞時やクルーズコントロール時に、本当に機械がきちんと作動するかどうか不安になるケースがほとんどなかったのが一番驚いた点でした。機能だけでなく、実際に人間が使ったときにどう感じるかを徹底的に追求しているあたり、何ともスバルらしい技術開発だと思いました」
現在、スバルブランドのモデルのうち、アイサイトが装着可能なのはレガシィをはじめ6車種。モデルによっては装着率が9割近くにも達し、またアイサイトの存在がスバル車を選択する決定打となることも珍しくないという。
「富士重にとってアイサイト効果は、単に売り上げを伸ばすだけにとどまらない。もともとスバル車は、グローバルでのシェア1%程度というマイノリティですが、長時間運転したときの疲労の少なさ、単にスピードが出る出ないといった性能では表せない走り心地の良さなど、独特の商品力を持っています。アイサイトに釣られてスバル車を買ったユーザーがその良さに気づくことで、スバル車の特質が広く知れ渡るかもしれない。アイサイトはそのトリガーに充分なり得る」(前出の技術ジャーナリスト)
アイサイト効果もあって、国内でのスバルブランドモデルの販売は好調だ。2月の販売を見ても、ファミリーモデルの「インプレッサ」は前年比24.8%増。昨年がフルモデルチェンジ直後であったにもかかわらず、さらに販売を伸ばしているのだ。昨秋フルモデルチェンジされた「フォレスター」も、前年の2.5倍という売れ行きである。
愛される水平対向エンジン
「スバルは100万台規模のブランド。自動車メーカーとしてはとても小さいですが、小さいからこそできることがある」
こう語るのは、取締役専務執行役員の馬渕晃氏。原価の管理や部品の購買、中国プロジェクト、経営企画などを幅広く手がけるが、元は30年間、新車や技術の開発に携わってきた生粋のエンジニアである。
「少量生産の場合、100%、あるいは50%のお客様に理解してもらう必要はないんです。5%、10%のお客様に、いいと感じていただけて、販売も日本や北米で4~5%のシェアを取れれば、充分にやっていける。そう思うと、他と違う独特の車づくりができる」
スバルブランドで売られる車のキャラクターはかなり明確だ。その最たるものは、1960年代に生まれた日本メーカー初の本格前輪駆動車「スバル1000」から連綿と受け継ぐ水平対向エンジンであろう。シリンダーが半分ずつ、左右に広がったようなレイアウトで、航空機エンジンではよく見られるものの、現代の市販乗用車では他にドイツのポルシェくらいしか例がない、珍しい形式である。
富士重が正式発足する直前に合併前の富士工業に入社、後にスバル360のエンジン開発に携わり、現在は長野・菅平高原でペンションを営む高野文雄氏は、ユーザーにとっても富士重関係者にとっても、水平対向エンジンは愛されるモニュメントのような存在になったのではないかと語る。
「富士重は、いま振り返っても、本当に愛着を感じる会社でした。かつての仲間たちも、本当に富士重が好きという人が多かったし、スバリスト(熱烈なスバルファンの俗称)と呼ばれる方々からも応援をいただいていた。でも、ふとなぜだろうと思うと、明確な理由がない。そのなかで私を含め、皆がまず口にするのが水平対向エンジンなんです。それが他と比べて優れているかどうかではなく、水平対向エンジンという特殊な形式を持つこと自体が楽しいじゃないですか」
もちろんスバル車のセールスポイントは水平対向エンジンだけではない。世界で初めて乗用車の四輪駆動化に踏み切ったメーカーであることから、AWD(全輪駆動)も看板技術となっている。その性能は非常に高く、悪路や積雪路における走行テストではトップの常連である。
が、馬渕氏はスバル車の商品力の源泉は、そういった要素技術を超えたところにあると主張する。
「われわれは“垂直統合の車づくり”と呼んでいるのですが、車はエンジン、車体、サスペンションといった部品単位でつくるのではなく、その部品を積み上げていって統合したときにどれだけ素晴らしいものになるかが重要だと考えています。自動車メーカーとしては小世帯で、一人のエンジニアが幅広い仕事をしなければならないのですが、それだけに自分が担当している領域だけでなく、車全体のことがイメージできるエンジニアが多い。それが良い車づくりにつながっていると思う」
富士重の新車開発の特徴は、サスペンションなど車の走りを左右する部分であるシャーシ設計の課長が開発の取りまとめを行うことにある。多くのスバルファンが愛着を持っている水平対向エンジンにしても、軽量・高剛性ボディにしても、一台の車に統合されなければ何の価値もない。
全体設計を重視する開発スタンスは、実は中島飛行機時代から連綿と受け継がれてきた航空機技術ファームならではのDNAだ。航空機にとってエンジン、翼、胴体などの部品の重要性は基本的に同じで、重要なのはそれらを一つの飛行機にパッケージングする技術やノウハウである。
「パッケージングをうまくやれるかどうかのカギを握るのは、エンジニアの見識です。富士重の開発がなぜ評価されているか。何か一部の部品を変更した時、車全体でどのような影響が出るかイメージできるエンジニアが多いことが、理由の一つだと思っています」
技術者自身がテスト
いい車づくりを行ううえで欠かせないのは、多くの部品を車に統合した後に乗り心地や操縦性などをチューニングする、いわゆる“味付け”の上手さだ。
「ウチの開発部門では、設計と実験の人員比率がほぼ1対1と、日本の自動車メーカーのなかでは実験屋の割合が最も高いんです。私がシャーシ設計を担当するようになったとき、辰巳英治さんという名物実験ドライバーがいましてね、テストコースに私を引っ張っていって、車に乗せて動きを体感させて、理屈をいろいろ説明するんです。すると最初はわからなくても、そのうちなるほどと気づくことがどんどん出てくる。そういう経験をしているうちに車の垂直統合についての見識が高まってくる。そういう経験を積んでいるエンジニアが多いのはウチの強みですが、これも100万台規模の小メーカーだからこそできることかもしれません」
車は実際に走った時に良くなければならないというのは当たり前のことだが、富士重の技術陣はその意識がとりわけ強い。冒頭のアイサイトの開発陣にしても、目標どおりの性能を満たすだけでなく、どうすれば機械が人間に、ストレスではなく心地良い使用感を与えられるか、実際に路上を運転して散々テストしたのだという。
「新しい車をつくるとき、たっぷりとドライブをしてみないと、本当に良い物になっているかどうかはわからない。アイサイトの試作機を車につけて、みんなで散々ドライブしてみましたよ。そして、ドキッとしたことや嫌だったことを覚えておいて、皆でディスカッションして徹底的に煮詰めていく。そういうのが好きな人が多いんですよ。トヨタさんとスポーツカー(スバル『BRZ』/トヨタ『86』)を共同開発していたときも、われわれは群馬と愛知の間を車で往復していました。先方からはびっくりされましたが、自分たちにとってはそれが当たり前だった」(アイサイト開発関係者)
小規模ゆえの悩みもある。ハイブリッドカーなど、膨大な研究開発費や人員を必要とする電動化技術の開発力は弱い。以前は独力でハイブリッドカーやEVの開発をしていたこともあったが、現在ではそれらのプロジェクトは放棄され、トヨタから技術供与を受けている。
ただ、全体設計が商品開発のカギを握るという思想の富士重にとっては、他社からの技術供与はさほど気になることではないらしい。
「今年、われわれもようやくハイブリッドカーを発売します。システム自体はトヨタさんの方式なのですが、つくっている車は『プリウス』より重量の大きなクラス。公称燃費の値もプリウスより低くなるでしょうが、垂直統合の見識で、楽しさと安心を兼ね備えるスバル車ならではという車に仕上げることで、ポジティブに見てもらうことができるだろうと考えています」(馬渕氏)
航空機メーカー発祥で、かつては「あわよくば宇宙航空をやれるのではないか」というエンジニアが門戸を叩いた富士重。今日においては次第に航空工学出身者の割合は減ってきているというが、先進技術も伝統技術もすべてバランスのためにあるという航空機的な思想は、今日もスバル車を良いものにする原動力であり続けている。
アイサイトを機に、スバル車ならではの特質をより広いユーザー層にアピールできるか。まさにこれからの戦略が問われる。
(ジャーナリスト・杉田 稔)