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2014年5月号より

転落の軌跡 連戦連勝のマクドナルドが挫折した理由

ファストフードの雄として外食業界に君臨していた日本マクドナルド。新商品を発売すれば常に話題になった。ところが、最近、マクドナルドの明るい話を聞かない。注目を集めるのは原田泳幸氏の退任や、既存店売上高の大幅な低下など、ネガティブなものばかり。つい最近まで勝ち組企業の最右翼に位置していたマクドナルドは、なぜあっという間に転落してしまったのか。

絶頂から3年で地獄へプロ経営者が落ちた陥穽

外食の素人の挑戦

日本マクドナルドの苦戦が続いている。日本マクドナルドホールディングス(HD)の前12月決算によると、売上高は前年比11.6%減の2604億円、営業利益にいたっては、同53.5%減の115億円だった。減益は2年連続だが、2012年12月期の減益幅は2.2%に過ぎなかった。それが前期に大きく落ち込むことになった。

昨年は、すべての施策に対して消費者がノーを突きつけたような結果となった。はっきり現れたのが既存店売上高で、前期はその前年より6.2%減っている。今期に入っても状況は改善しておらず、1月こそ既存店売上高は前年比3.4%増だったが、2月は8.7%減だった。

ほんの3年前まで、日本マクドナルドが打つ手はすべて大当たりした。

まず07年にプレミアムローストコーヒーの発売を開始。それまでのコーヒーよりワンランク上の味が受け入れられ、大ヒットした。毎朝、マクドナルドでコーヒーを買い求める客が列をなしたのも記憶に新しい。

パティを4枚入れたメガマック、いまでは定番メニューとなったクォーターパウンダー、さらにはテキサスバーガーのビッグアメリカシリーズなど、高価格商品を発売するや大人気となった。

また、09年のワールドベースボールクラシック(WBC)時には、クォータパウンダーにWBC出場選手のクリアファイルをつけたところ、クリアファイル目当てでマクドナルドに通う客が続出した。

いつの間にか原田社長の打つ手が客の心に届かなくなった。

HD会長の原田泳幸氏が日本マクドナルド社長に就任したのは2004年。前職がアップル日本法人の社長だったことから、「マックからマックへ」と大きな話題となった。

お菓子メーカー(RJRナビスコ)からコンピュータメーカー(IBM)に転じ、IBMを復活させたルイス・ガースナー氏のように、欧米では異業種間のトップの異動は珍しいことではないが、日本では極めて稀なこと。1つの会社、1つの業種で仕事を極め、トップに立つ道こそ、経営者の王道であり、それはいまも変わらない。

ところが原田氏は「プロ経営者」と名乗り、異業種へと乗り込んだ。

当時のマクドナルドは創業者・藤田田が突き進んだ低価格路線の破綻により、2期連続赤字に苦しんでいた。2期連続減益のいまよりはるかに状況は深刻だ。

原田氏は就任初年度、いきなり結果を出す。03年度73億円の最終赤字だったものが、04年度には36億円の黒字を計上したのだ。その後2年間は、狂牛病の影響で売り上げは伸び悩むが、06年度からは再浮上、7年連続既存店売上高プラスという金字塔を打ち立てた。その前の7年間、マクドナルドの既存店売上高がマイナスだったことを考えると、これは奇跡と言っていい。
原田氏の考え方はきわめてシンプルだ。

「売り上げは客数×客単価。客数は来店頻度と顧客数で決まるから、これを上げるためにどうするか。そして客単価をどうやって上げるか」

それを突き詰めた結果が、100円マックによって来店客数を増やしたうえで、前述のような高価格商品を導入、客単価をアップさせるという戦略だった。

マクドナルドの業績を立て直したことで、原田氏の評価は急上昇した。その前のアップル時代でも再建に成功していたため、再建請負人としての名を欲しいままにしたのだ。11年には朝日新聞出版から『勝ち続ける経営』という本まで出している。まさにプロ経営者としての絶頂にあった。

しかしそれが長くは続かなかったことは冒頭に記したとおりである。3年前の東日本大震災に原因を求めることもできるかもしれないし、コンビニエンスストアの進化が影響したかもしれない。それは確かにそのとおりなのだろうが、それよりも、原田氏の日本マクドナルド社長としての賞味期限が切れたと考えたほうがわかりやすい。

経営者の賞味期限

どんなに優れた経営者にも、賞味期限は存在する。どんなにすぐれたビジネスモデルを構築しても、やがては陳腐化するし環境も変わる。それに合わせて企業も変わっていかなければならないが、残念ながら個人の能力には限界がある。特に年齢を重ねれば重ねるほど柔軟性はなくなり、変化対応はむずかしくなる。

それに気づかず、晩節を汚した経営者がいかに多いことか。

前述のIBMのガースナー氏にしても、その在任期間は9年でしかない。裏を返せば、9年で退任したからこそ、いまでもガースナー氏は名経営者として名を残していると言っていい。

最近では伸び悩んでいる日産自動車のゴーン社長。

日本企業におけるもっとも有名なプロ経営者といえば、カルロス・ゴーン・日産自動車社長にとどめをさす。

タイヤメーカーのミシュランで実績を残し、ルノーの上級副社長に就いていたゴーン氏は、1999年、経営不振によりルノーの子会社となった日産の社長に就任した。

ゴーン氏はすぐに日産リバイバルプラン(NRP)策定、外様社長の強みをいかして、日産の旧弊やしがらみを片っぱしから切っていった。それによって鉄鋼業界の再編が起きるほど大胆なものだった。

その結果、日産は大復活を遂げ、再建を果たしたゴーン氏の名声は高まった。その勢いを駆ってゴーン氏は、06年、親会社ルノーのトップにまで昇りつめた。ゴーン神話の完成である。

しかし最近の日産やルノーの状況は、ゴーン神話に陰りが出ていることを裏づける。

昨年11月1日、ゴーン氏は会見を開き、COOの志賀俊之氏が退任することを発表した。日産は14年3月期中間決算で、7.8%の営業減益を計上した。トヨタ自動車やホンダなど、自動車メーカーの多くが円安の恩恵を受け利益を伸ばしているのに、日産だけが蚊帳の外だった。志賀氏は、その詰め腹を切らされるかたちで退任した。

ゴーン氏はNRP、それに続く「日産180」で、日本中に「コミットメント経営」という言葉を流行らせた。高い目標を掲げ、目標が達成できない場合、進退を含めた責任を取る、というものだ。

コミットメント経営は、最初は大きな成果を上げた。それまでの日産は、目標未達に対してトップが責任を取ることのない会社だった。それが社内の規律を緩めていた。ゴーン氏はコミットメントにより不退転の決意を示すことで、社員の士気を高めることに成功した。

しかしそれも長くは続かなかった。コミットメント経営を続けることで、社員は次第に疲弊し、やがてゴーン氏は、自らコミットメント経営との決別を宣言することになる。

それでも、経営破綻寸前だった日産を、ルノーと合わせて世界トップ5の自動車会社にまで育て上げたゴーン氏の手腕は評価してもしきれない。しかし、日産の社長に就任してから、今年で15年がたつ。スズキの鈴木修氏を除けば、自動車業界でもっとも長い政権になった。赴任した当初のような、トップと社員の緊張感を維持することはもはやむずかしい。志賀COOの解任は、その緊張関係をもう一度つくろうという荒療治なのかもしれないが、もしうまくいかなかった場合、ゴーン氏の進退にもかかわってくる。ゴーン氏の賞味期限が切れたかどうか、まもなくはっきりする。

プロ経営者に必要な「自覚」

スマホ時代を読み違えた任天堂の岩田社長。

もう1人、賞味期限が切れかかっているのが、任天堂の岩田聡社長だ。

岩田氏もまた、任天堂プロパーではない。HAL研究所というゲーム開発会社のプログラマーだったが、同社の経営が悪化したために社長に就任。見事再建を果たした。

その手腕を、任天堂中興の祖の山内溥が見込んでスカウト、02年に43歳の若さで社長に就任した。

デビューは華々しかった。就任2年後の04年に発売した携帯型ゲーム機「ニンテンドーDS」は空前の大ヒット。続いて据え置き型の「Wii」も全世界でブームを起こした。

岩田社長の戦略は明確だった。

1983年に発売した「ファミリーコンピュータ」以降、新しいゲーム機が出るたびに高機能化し、それに伴い、ゲーム上級者以外には手が出ないものになっていた。そこで岩田氏は、「ゲームを大衆の手に取り戻す」とばかりに、老若男女誰でも楽しめるゲームづくりを目指した。それがDSの2つの画面であり、Wiiの振り回すことのできるコントローラーだった。その狙いはずばりと当たった。

しかしそれによって拡大したライトゲーマーは、携帯電話ゲームやスマホゲームが普及すると、あっという間に移っていった。岩田社長はいまでも、スマホによってユーザーを奪われたわけではないと強弁しているが、それが事実でないことは、誰の目にも明らかだ。

その結果、09年3月に1兆8368億円あった売上高は、前3月期6354億円と3分の1にまで落ち込んだ。08年度5000億円を超えていた営業利益も、3年後には赤字に転落した。株価も、07年には7万3200円の高値をつけたが、ここ2年ほど1万円前後をうろついている。

その逆に、徹底して高機能を追求し続けたソニーのプレイステーションは、ヘビーゲーマーに支えられ、収益を伸ばしている。いまや完全にゲーム業界におけるポジションは逆転した。岩田社長は成功体験が大きかったこともあり、時代の変化を捉えることができなかった。スマホが本格的に普及し始めた10年までが、岩田社長の賞味期限だった。

日本マクドナルドの原田社長に話を戻せば、減収減益とはいえ、利益の出ている状況で、サラ・カサノバ氏に椅子を譲ったのは賢明な判断だったかもしれない。原田氏はマクドナルドの業績がいい時から「次のステージがある」といい続けてきたし、社長交代発表後に応じた日経新聞のインタビューでも、次のキャリアの可能性を語っている。傷を負わずに社長交代にこぎつけられたのは本人にとっても幸いだった。

原田氏が日本マクドナルド社長に就任した当時と違って、日本企業でも他社、他業界から社長を招くケースが増えている。最近でも武田薬品が外国人社長をスカウト、資生堂も日本コカ・コーラ元社長を新社長に据えることを発表している。プロ経営者の時代がやってきたと言えるかもしれない。

だからこそ賞味期限についてもっと真剣に考える必要があるだろう。社長としてスカウトされるぐらいだから、優秀な人材であることは間違いない。新天地でのプランももっているはずだ。しかし、それによって短期的に利益を上げることができたとしても、そうそう長続きするものではない。日本マクドナルドの絶頂からの転落は、そのことを雄弁に物語っている。

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WizBiz代表・新谷哲の著書「社長の孤独力」(日本経済新聞出版社)

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