2015年7月号より
過半数が日本製ロボット
今年のロボット産業の市場規模は1兆6000億円。これが10年後には5兆3000億円にまで増え、さらに2035年には10兆円に迫ると予測されている。
現在のロボット市場のうち、約3分の2を占めるのが産業用ロボットである。ここまでのロボットの歴史は産業用がつくってきた。
産業用ロボットで世界をリードしてきたのが日本だ。世界で稼働する産業用ロボットは約130万台。その過半数が日本製だ。
サービス用ロボットが徐々に普及してきたため、産業用の全市場におけるシェアは低下しているが、中国の生産現場への導入が進んでいることもあり、出荷台数は順調に伸びている。日本では、安川電機、ファナック、不二越、川崎重工が大手4社だが、いずれも業績は絶好調、先に発表された前期決算では、そろって過去最高益を記録した。
この4社の中で、安川電機は昨年9月に累計出荷台数が世界で初めて30万台を突破した。同社のロボット販売台数世界シェアは19%(2014年度推計)。ファナックなどと世界一を競っている。
中でも自動車の溶接に使われるアーク溶接ロボットや塗装ロボットでは、世界トップを誇る。
その原点は、1977年に誕生した溶接用の全電気式ロボット「MOTOMAN(モートマン)」にある。
安川電機はちょうど100年前の1915年に北九州市で、電動機メーカーとして誕生した。58年には、日本企業の先陣を切ってサーボモーターの開発に成功している。サーボモーターとは、制御機能を持ったモーターのこと。これにより、細かいモーターの制御が可能となったばかりか、その後のロボット開発につながっていく。
モートマンが誕生するまでの産業用ロボットは油圧式だった。油圧はパワーはあるものの、きめ細かい制御ができないだけでなく、メンテナンスもむずかしかった。アーク溶接はスポット溶接とは違い、連続して金属同士を溶接するため、複雑で精密な作業が必要だ。人間がやるにしても熟練の技がいる。それをモートマンは自動化したことで大ヒット商品となった。これ以降、他社も全電気式のロボット製造に取り組むようになる。モートマンの誕生は日本の産業用ロボットの大きなエポックだった。
いまでもモートマンの名は、安川電機の産業用ロボットの製品名に使われている。そのアプリケーションも、アーク溶接だけでなくスポット溶接、ハンドリング、塗装、FPD基盤搬送など多岐にわたる。機能も1号機とは比較にならないほど進化し、当初は3軸(関節部が3カ所)だったものが7軸にまでなり、より細かい作業が可能になった。
産業用へのこだわり
次頁の津田純嗣・安川電機会長兼社長のインタビューにもあるように、これまで産業用ロボットの最大の利用者は自動車メーカーだった。
安川電機のロボット事業は、モートマン第1号が誕生した77年から17年間も赤字が続いたが、95年にホンダが完成車メーカーとして初めて導入したことが転機となり、黒字転換した。
いまでも安川電機のロボットの納入先の65%を自動車関連企業が占める。しかし今後は、自動車以外の部分に力を入れていくという。
「将来的には自動車関連が50%程度になるよう、他の分野を伸ばしていく」(林田歩・安川電機広報・IR部部長)
新規開拓の1つが、バイオメディカル分野だ。バイオ分析・創薬など、今後この分野は間違いなく成長していくが、創薬には手作業のバラツキや個人差・ミスを排除する必要がある。こうした作業において、繊細な作業を正確に再現できるロボットの需要は高い。しかもバイオ分野での研究には危険がつきまとうため、ロボットの導入で、危険環境から研究者を遠ざけることも可能だ。
「当社はこれまで、人間を3Kから解放するという目的を持ってロボット開発を続けてきました。しかしまだそうなっていない分野はいくらでもあります。バイオなどは、まさにそれにあたります」(林田氏)
安川電機にとってロボットとは、あくまで“仕事をする”もの。サービスロボットやコミュニケーションロボットではなく、産業用ロボットに強いこだわりを持つ。
今年設立100周年を迎えた同社は、本社のある八幡事業所全体を「ロボット村」と命名、ロボット事業の発信拠点と位置付けた。
このロボット村には工場だけでなく、「みらい館」など、ロボットの未来を展示するスペースもある。ロボット村は6月1日に誕生する。産業用ロボットの雄が、次の世紀に向かって動き始めた。