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2015年9月号より

““石の上にも26年 ─ 看板商品になった 運転支援システム「アイサイト」|月刊BOSSxWizBiz

スバルのディーラーに足を運ぶと、「だんぜん、あんしん、スバル!」と銘打った試乗イベントが行われている。いまや「安全」はスバル車の最大の売り文句。ぶつからないクルマというイメージが、すっかり定着しつつある。

日本ではJNCAP(国土交通省及び自動車事故対策機構)による予防安全性能評価で「最高ランク」を獲得。海外でも米国、欧州、豪州等々、最高賞の評価を獲得してきた。スバルの安全評価は世界的なものとして浸透している。その予防安全の分野を支える技術が運転支援システム「EyeSight(アイサイト)」だ。

アイサイトの基本技術は一朝一夕に誕生したものではない。「安全」と「技術」にこだわりを持ち続けたスバルならではのストーリーがある。

スバルの車載用ステレオカメラの歴史について語る樋渡穣氏。

スバルの目指す究極の目標は「自動車事故をゼロにすること」にある。アイサイトの根幹技術の時代から開発に携わった、富士重工業スバル技術本部車両研究実験第4部部長の樋渡穣氏は、スバルの安全思想について次のように語る。

「カリスマエンジニアの百瀬晋六は、真っ白な壁にスバル360の絵を実物大で書きました。何を書いたかと言えば、クルマの輪郭ではなく、乗車するヒト4人の姿を最初に書いた。その残っている場所に、できだけ小さくエンジン、タイヤ、ステアリングを凝縮して書き込んでいった。原点は人を中心に考えるということです。百瀬は航空機エンジニアですから、飛行機は落ちれば命にかかわるということが頭にありました。中島飛行機から民事産業に移った航空機野郎は、飛行機ではなくとも、当然命を守る技術を研究すべきという考え方があったのです」

スバル360は、まだ何も法整備がされていない時代から衝突試験を繰り返し、“キャビンが潰れないクルマ”として人気を博すようになる。安全思想は現代にも根付いており、0次安全(乗務員の疲労軽減や視界確保によって事故を防ぐ)、1次安全(事故を車の操作によって回避する)、2次安全(事故発生時に乗員を守る)、3次安全(救急、被害拡大防止)の4つの段階それぞれに、技術力を注ぎ込んでいる。

その1つの例は水平対向エンジンとAWD(4輪駆動)へのこだわりである。

「1966年に水平対向エンジンを最初に載せた『スバル1000』をつくりました。これは居住スペースがとれるように、エンジンはできるだけ小さくしようという発想からです。その後、雪の中でも走れる4輪駆動車が欲しいと東北のお客様が宮城のディーラーに要望したところ、裏にあったプロペラシャフトとリアデフレンシャルを無理やり溶接でくっつけて、作ってしまった。このクルマを群馬製作所に持ち込み、走らせたところ、走破性もいい、安定性もいいということで、商品化させました。これが72年、初の4輪駆動車であるレオーネ4WDです。そこから基本的なエンジンと4駆のレイアウトは変えずに、いまもレガシィやレヴォーグをつくり続けているのがスバルです。

水平対向エンジンは、低重心で安定感があります。加えて、ボンネットフードに隙間ができるため、万が一、人をはねた際も、ボンネットがクッションのようになって、生命のリスクが下がります。4つのタイヤが路面を掴むAWDも、国産車で初めてABSを搭載したり、VDC(横滑り防止装置)をつける等、ドライバーの回避行動をサポートしてきました」

あわやお蔵入りの危機

こうした安全技術の追求が、「事故が起きる前に回避させる」ことにいきついた。アイサイトの誕生とプリクラッシュブレーキの性能向上だった。

「ヒトの眼と同じでなければ、ヒトを救えない。2つの眼で見える視差をコンピューターで計算をしまして、ある距離にクルマがあることを判断します。車線も見えていますから、クルマが飛びこんでくればブレーキをかける。2つの眼をつかったステレオカメラを使っているのはスバルだけです。

例えば前を走るクルマから段ボール箱を転がす実験をしました。レーザービームを使って距離を測るというものだと、転がっているブロックだと乱反射して距離が測れない。ミリ波レーダーと呼ばれる電波式のものも、段ボール箱だと金属ではないですから反射しない。だからぶつかってしまう。ステレオカメラだからこそ転がっていても見えていて、手前で止まることができます」

スバル車の代名詞になりつつあるアイサイトだが、実は今日まで26年間、研究開発が続けられてきた。もともとは、エンジンの混合気の流れを立体的に計測するために開発された技術だった。そのステレオ画像認識回路で特許を取り、それをどう使うか、議論のなかで生まれたのが安全技術への転用だった。

「これはいまでもアイサイトに使っている基本特許です。ヘリコプターが船の上に着陸する時の高度計にしようとかいう話もありましたが、やはりクルマ屋なんだから、前が全部見えたら助けられるという話が出てきた。90年に2代目レガシィを改造してカメラも今とは異なって端っこにつけて、荷物室にでかいコンピューターを載せ、テストを始めたのです。

10年後、最初のステレオカメラの運転支援システムが出ました。これを設計したのが私だったんです。ADA(アクティブ・ドライビング・アシスト)という名前でしたが、まったく売れず。AWDで売っているのに、カメラは雪道では使えないだろうと。では雪でも使えるようにレーダーも開発して、2003年にステレオカメラ+ミリ波レーダー採用のADA改良型を出した。これも値段が高く、かつ売れない。試験研究費という開発予算が止められ、サプライヤーさんがやめたいと。僕も会社を辞める気になっていました(笑)」

06年にSIレーダークルーズコントロールを発表、レガシィに搭載した。前方を走るクルマを追う自動運転のはしりのような技術だ。しかし、この技術は樋渡氏の意に沿うものではなかった。

「ステレオカメラだと言っていたくせに、他社がやっているふつうのレーザー光に置き換えて、こっそり売っていました。当時、僕は企画側の予算をつける側に回っていたのです。そんな時に2、3人の若いエンジニアが、ステレオカメラの研究をつづけたいと。私は『止められているんだから、予算はあげられないよ』と言うと、『いいです。紙と鉛筆だけください』と。たまらんですよ」

若い世代がアイサイトの基礎開発を始めた。すると日立オートモティブシステムズから共同開発の受諾があり、再びステレオカメラに社内のリソースが割かれるようになった。

「06年にレーダーを出したばかりにもかかわらず、08年、同じレガシィの最終型にステレオカメラを復活させました。この時に名前をADAではわかりにくいと。アイサイトにリネームしました。08年までは、距離を測って、止まるまではできずに、ぶつかるけど速度は落ちているという、当時の業界水準のもの。やはり止まらなければ命は守れません。認識技術、ソフトウエア、ブレーキ技術を改良して、10年に止まる形のアイサイトVer.2が生まれます」

スバルはVer.2発売と同時に、徹底的なマーケティング戦略を打ち出した。テレビCMをはじめ、各ディーラーにデモツールを配布し、ぶつからないクルマとして売り出した。

「従来車は数%しか付いていなかった機能を、30%を狙うといってキャンペーンを行いました。ところがふたを開けてみると、数カ月後には80%という大ヒットになった。Ver.3のレヴォーグだけで見れば99%で使用されています」

Ver.3はカメラをカラーにし、認識率をさらに高めている。樋渡氏は現在、この向上をつづけるステレオカメラを中心としたセンサーを活かした自動運転技術の開発部門に就いた。20年に向け、さらに自動運転に近づけた商品化を目指すという。最後に、スバルの技術者についてこう語ってくれた。

「スバルエンジニアの魂というのは、“技術的に正しい開発を行う”ことを自負しているところにあります。ヒトの眼と同じでないとヒトを救えない。4足持ってないと安定しないから4輪駆動、重心が低いのは当たり前だから水平対向エンジン。そういう原理を大事にする。飛行機は効率的で安全、快適でしょう。そういう自動車メーカーなんです(笑)」

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