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2013年12月号より

Dr.シーラボ、ネットプライス上場の陰にこの男あり
池本克之 パジャ・ポス社長

池本克之 パジャ・ポス社長

いけもと・かつゆき 1965年神戸市生まれ。88年日本大学生物資源科学部卒業。ノンバンク、生保を経て、コンサルタントとして独立するが、2001年、請われてドクターシーラボ社長に就任。同社は03年に上場を果たす。04年にはネットプライス執行役員となり、4カ月後に同社は上場。その後、パジャ・ポスを設立。コンサルタントとして活躍するほか、NPO法人「Are You Happy? Japan」代表を務める。

ノンバンクで債権回収

―― 池本さんは過去にドクターシーラボ、ネットプライスの上場に貢献し、現在はコンサルタントとして多くの企業の経営に関与しています。もともとコンサルタントという仕事に興味があったのですか。
池本 そんなことはありません。大学時代は、とにかく海外で仕事をしたかった。卒業してノンバンクに就職したのも、海外要員を探していると聞いたからです。

―― 就職したのが1988年。バブルのピークに向かって、日本中がイケイケドンドンだった時代です。
池本 本当にそうでしたね。就職の心配をすることもなかった。私の場合、もともと鉄鋼会社の内定をもらっていましたが、3月になってから、ノンバンクへの就職を決めています。そういうことが許される時代でした。

ただし、就職したあと、業績は急速に悪化していきます。入社時には2700億円だった借入金が、7年後に退職する時には9800億円にまで膨れ上がっていましたから。

―― 海外で働くことはできたのですか。
池本 投資先のひとつに、ハワイのホテルがありました。ここに入社3年後から3年間、出向しています。マウイ島にあったこのホテルは、稼働率が30%台と経営不振に陥っていた。私に与えられたミッションは、このホテルを再生させたうえで売却し、資金を回収するというものでした。

幸いだったのが、このホテルの上司が、もと日本ペプシコーラの役員だった人で、この人のもとでアメリカン・マーケティングや、事業経営のやり方を覚えることができたことです。実際、この経験は、いまも非常に役に立っています。

このホテルは無事、外国の投資家に売ることができました。売却後は、ノンバンクに戻り不良債権の回収などにもあたりましたが、その一方で、中小企業の事業再生も担当していました。中小企業の場合、ただ「返せ」と言っても意味がない。ほとんどの経営者は真面目な人で、お金があったら返したいと考えている。でも資金的にそれがむずかしい企業ばかりです。そこで、一緒になって事業計画をつくり、毎月100万円返さなければならないところを30万円に減免するなどして、その企業をいかにして再生させるか、という仕事をできるかぎりやるようにしていました。

―― 一種のコンサルですね。
池本 ええ。でも片方で何百億の不良債権があるわけですから、あまり会社では認められる仕事ではありませんでした。そこで退職して、生命保険会社に入ります。配属されたのは代理店営業で、代理店を開拓して、生命保険の売り方を教えるというものです。ここでも上司に恵まれ、私はその上司から、セールスと教育を学ぶことができた。この2人との出会いが、いまの私を支えています。

―― その後、コンサルタントとして独立しますが、ドクターシーラボに入社していますね。
池本 独立後、友人の紹介でドクターシーラボ創業者の城野親徳さん(現会長)と出会います。当時は社員数15人ほどの小さな会社でした。でも私が手伝うようになって、1カ月で売り上げが大きく伸びた。それを見て、城野さんが社長になってほしいと言ったのです。

―― そんな短期間で成果が出るものですか。どんなマジックを使ったんですか。
池本 できていないことをリストアップして解決するという、極めて単純なことです。一例を挙げれば、広告を打てば注文の電話がかかってきます。ところが当時は、そのすべての電話を受けることができませんでした。これを解決するために、臨時で人を雇ったり、一部、外部に出したり、残業してもらったり、1件あたりの通話時間を短くしたり、様々なことをやってすべての電話を受けられるようにした。それだけで売り上げは大きく伸ばせるのです。

社長になってからも同じことです。宣伝を打つ。その効果を分析する。受注体制や物流体制を整え、リピート率を高めるための仕掛けをつくる。そしてそうした一連の流れをシステム化し、効率的なインフラをつくる。そうしたことを飽きずに精密に組み合わせていく。ただそれだけなんですが、わかっていてもなかなかできないことでもあるのです。

―― その結果、社長就任から3年もたたずに、ドクターシーラボは上場を果たします。
池本 もともと入社する時に、城野さんにどこを目指すかと聞いたら、上場を目指したいと言うから、そこに向かって進んでいきました。でも、この間は本当によく働きました。先ほど挙げた仕事をほとんど1人でやっていましたから。ほとんど家にも帰らず、会社に置いたソファーベッドの肘掛部分が、私の頭の形になったほどです。

基金の目標は200億円

―― ドクターシーラボを上場した1年4カ月後には、ネットプライスの上場に携わったそうですね。
池本 ドクターシーラボを辞めたあと、4カ月ほど遊んでいたんですよ。まとまったお金もありましたし。でも面白くない。やっぱり働こうと決めたのですが、どうせなら、ネットベンチャーで気の合う経営者と一緒に仕事をしたいと考えていたところに紹介されたのが、ネットプライスの佐藤輝英社長でした。佐藤さんとは初対面で意気投合し、即座に入社を決めました。

ネットベンチャーですから、みなITやデジタルには強い。でもその一方で、物流部門やコールセンターなどが遅れていた。ドクターシーラボでの経験がありますから、こうしたアナログ部分を引き受けて、入社4カ月で上場に漕ぎつけることができました。

―― 立て続けに2つの会社の上場に関わったわけですから、その後も、上場を目指す企業からスカウトされたりしませんでしたか。
池本 きましたよ。でも、少人数で自分の好きな仕事をやろうと考え、コンサルタントとしていまに至っています。

―― コンサルタントとしての立場から見て、いまの日本企業の問題点はどこにあると感じていますか。
池本 ひとつには、投資することに対するマインドが問題だと思います。どういうわけか、投資に対して恐怖や不安を持ち、躊躇してしまう。設備投資にしても、人を雇うにしても、リスクを取らない会社は成長しません。そこを避けていながら売り上げが伸びないと言っている経営者もいますが、考え方が間違っています。長期的に見ると、例えば毎年新卒を採用するといったように、コンスタントに投資している会社のほうがうまくいっています。

もうひとつ、うまくいっている経営者に共通するのは、自分の中にきちんとしたルールを持っている点です。ルールがあると、利益が出ている時でも深追いせずにすむ。あるいは上手に損切りができる。みんながやっているからという理由で他社と同じような行動を取ることもない。そうしたルールをきちんと持ち、守ることができるかどうかです。

―― これから先の目標はなんですか。
池本 私は今年48歳になりますが、コンサルタントは57歳までと決めています。つまりあと9年です。
実は、コンサルタント会社であるパジャ・ポスとは別に、NPO法人「Are You Happy? Japan」を5年前に設立しました。上場によって大金を手にしたのですが、それを独り占めするのではなく、世の中の役に立たなければならないと考えたのです。いまコンサルタントをやっているのも、稼いだお金をNPO法人につぎ込むためです。この部分をもっともっと大きくしたい。200億円のファンドをつくれば、永続的に事業を継続できる。それを集めるのが当面の目標です。

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