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2013年7月号より

「GyaO」の生みの親が仕掛ける名刺管理ツール
小林仁幸 ギミーファイブ 社長

小林仁幸 ギミーファイブ 社長

こばやし・きみゆき 1965年北海道生まれ。85年大阪芸大を中退しアレフ入社。ディアイティ、リムネット、日本HPを経て99年ザイオン設立。2007年シェンロン社長、11年ブロードバンドタワー社長を経て、昨年、ギミーファイブを設立、社長に就任した。競走馬を30頭近く所有する馬主でもある。

スキャン不要の名刺管理

―― 小林さんはかつてザイオンという会社を起業、上場させたことで知られていますが、今度はパソコンやスマホを使って名刺管理を行う「ギミーファイブ」という会社を立ち上げました(サービス名もギミーファイブ)。とはいえ名刺管理サービスは、これまでにも数多く出ています。いまなぜ、このようなサービスをしようと考えたのですか。
小林 通常の管理ソフトの場合、まずスキャナーで名刺を読み取ります。しかも名刺交換した相手が引っ越したり肩書が変わった場合、その修正がむずかしい。

でも、ギミーファイブの場合は、自分の情報を自分で登録したうえで、名刺を交換するとともにデータを交換する。ですからスキャナーで名刺を読み取る必要はありませんし、もし異動などで自分のデータが変われば、それを自分で修正する。それによって、名刺を渡した相手のデータも修正される仕組みです。つまり名刺を受け取った人がデータ更新をする必要はありません。

名刺の管理をしない人というのは、とことんしない。名刺ホルダーにきちんと整理することさえ嫌なんです。そういう人にとっては、更新フリーというのは非常にありがたいわけです。

―― 現在の利用状況はいかがですか。
小林 昨年8月からサービスを開始して、現在18万人の人が登録しています。当初の計画では、1年間で20万人を目標としていましたから、これは間違いなく達成できるはずです。

―― 現在、ギミーファイブは無料で利用できます。でもこのままではビジネスとして成立しません。どのようなビジネスモデルを考えているのですか。
小林 名刺管理を行う個人ユーザーから利用料を取ろうとは思っていません。ではどうやってマネタイズの仕組みをつくっていくのか。

すでに多くの企業から相談を受けていますが、実は、このギミーファイブはさまざまなことに活用が可能なのです。たとえば、イベント管理や社員管理のツールとして活用することもできるわけです。更新フリーなデータがあるわけですから、いろんな可能性がある。

そこで、このサービスを面白い、利用したいと思ってくれるパートナーと組んでいき、パートナーたちにギミーファイブの新しい可能性を広げてもらおうと考えています。収益はそこから上げていきます。

そのためにも利用者数を100万人、200万人と増やしていく必要があります。マネタイズと利用者増。これが現在の課題です。

―― これまで数多くのIT企業を起業・経営してきた小林さんですが、スタートはどのようなものだったのですか。
小林 もともと音楽でメシを食おうと思っていたんですよ。それで大阪芸大に進んで舞台演出などを勉強していました。ところが在学中に父親が亡くなり、学生生活を続けることがむずかしくなり、北海道に帰郷、札幌に本社のある、ファミリーレストランのびっくりドンキーを運営するアレフに入社しました。

ここで最年少店長となり、22歳の時には関東1号店を立ち上げるために東京に出てきました。ファミレスの店長がもっとも頭を悩ますのがアルバイトのシフトです。このシフトを誰でも簡単にできるようにするようにはどうするか考えていたところ、アルバイトの学生から「パソコンなら簡単にできる」と聞いたのです。それまでパソコンに触ったことなど一度もなかった。でもその言葉を聞いて、すぐに秋葉原でパソコンを買い、独学でプログラムを学んでいきました。

村上世彰と対決

―― それでIT業界に転じたんですね。
小林 ええ、25歳の時にディアイティに転じ、4年後にリムネットという会社を設立しました。ちょうどインターネットの民間への開放が始まった頃で、独立系ISP(インターネットサービスプロバイダー)を立ち上げたのです。その立場でIBMや日本HPなど大企業相手にインターネットのセミナーの講師をしたところ、日本HPが「自分たちもインターネットビジネスを立ち上げたい」とスカウトされたのです。

―― ベンチャーから一転、大企業へと転身したわけですね。でもその3年後にはHPを退社してザイオンを設立しています。
小林 インターネット事業を立ち上げると言っていたのに、HPのほとんどの社員はあまり興味を持っていなかったということがあります。ドコモがケータイでインターネットをやりたいと言ってきて、その開発を受注したにもかかわらず、「ドコモの経営に不安があるから取引してはならない。やるなら独立してやったらいい」ということになって、仕方なく独立したわけです。それがザイオンです。

ドコモとはiモードや、モバイルISPの「モペラ」の立ち上げに関わりました。

―― もともと独学でプログラムを学んだ小林さんが、よくそのようなシステムを構築することができましたね。
小林 私より優れたプログラマーというのは世の中にいくらでもいると思います。でも私はファミレスでお客さんに接していたこともあって、相手が何を望んでいるか、汲み取ることができる。実はプログラマーの中には、それが苦手な人はけっこういます。そういう意味で私が重宝されたのだと思います。

―― USENが2005年に始めた無料動画サービスの「GyaO」も、小林さんが構築したそうですね。
小林 GyaOは、サービス開始からわずか3カ月で加入者数が1000万人を超える大ヒットになりました。ただこの時は、最初ほかの会社にシステム構築を依頼したのにそれがうまくいかなくて、最後にザイオンに話が持ち込まれた。ですから開発期間も短く、ほとんど家に帰ることができなかったほどです。

インターネットの黎明期、ローリングストーンズのコンサートがネットで配信されたことがあります。それを東京工業大学に設置したモニターで見た覚えがあります。小さなモニターで、それほどスムーズには動かない。でもそれを見ながら、いずれはこういうことが普通にできる時代が来るんだろうなと思ったものです。言ってみればGyaOはこのローリングストーンズのコンサートを再現したようなものなんです。

―― 1999年に設立されたザイオンは2002年に上場を果たすなど、ベンチャーとしては大成功を収めます。ところが07年に社長を退任して、子会社のシェンロン社長に就任しています。一体、何があったのですか。
小林 ザイオンは上場後、グループ会社が全部で11社にまで膨れ上がりました。そうなると自分ですべて見ることができない。そういう状況で村上世彰さんが、取締役として入ってきて、最終的にはザイオンをすべて引き取りたいと言ってきたのです。抵抗することもできたのですが、それではあまりにも時間が無駄になる。そこで、シェンロン1社だけを残して、すべて売ったのです。

―― 大きな挫折ですね。
小林 悔しいことは悔しかったけれど、でもそれがいまにつながっていますからね。

シェンロンでは、インターネット総合研究所の子会社の整理を受託したのですが、その中で最後に残った上場グループ会社のブロードバンドタワーの社長を引き受け、昨年まで務めていました。その時の仲間から、ギミーファイブのようなサービスができないか相談され、一緒にこの会社を立ち上げることになったのです。ですからいまとなっては、あまり挫折とは思っていないんですよ。

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