ビジネス誌「月刊BOSS」。記事やインタビューなど厳選してお届けします! 運営会社

経営戦記

「企業は人なり」――。大企業から中小企業まで、どんな企業であってもそれを動かしているのは人であり、意思決定するのは経営トップである。言葉を変えれば、どんな優良企業でも社長が変われば倒産するし、低迷企業も不死鳥のように蘇る。すなわち経営とは日々の戦いであり、経営者に求められるのは不断の努力と決断力だ。話題の企業の経営者はいったいどのような戦いを勝ち抜いてきたのか――

2014年12月号より

エッジの利いた企業に東急不動産の新司令塔 三枝利行 東急不動産社長

三枝利行 東急不動産社長

さえぐさ・としゆき 1958年8月25日生まれ。東京都出身。
81年青山学院大学経済学部経済学科卒。同年東急不動産に入社。
2004年住宅事業本部第一事業部統括部長、07年資産活用事業本部ファンド推進部統括部長、09年執行役員経営企画部統括部長、11年取締役常務執行役員事業創造本部長、13年10月に東急不動産ホールディングス設立で同社取締役に。
14年4月から現職で、東急不動産HD取締役副社長執行役員にも就いた。大学時代はスキーのインストラクターも。

大手不動産の一角を担う東急不動産には、財閥系とは違った特色がある。東急グループ各社とのシナジーに加え、「エッジの利いた、いわば“とんがった”ものづくりが身上」と語る三枝利行新社長に、同社の勝ち残り戦略を聞いた。

56歳のエースが登板

〔エース登板である。今年4月に東急不動産社長に就任した三枝利行氏は、180センチを超える堂々たる体躯と精悍なマスク。年齢的にも56歳と、金指潔前社長(現・会長兼東急不動産ホールディングス社長)から一回りも若返った。

何より、社長交代会見の席で金指氏は、“愛弟子”の三枝氏について「周りの者を一瞬にして前向きにし、インスパイアできるような雰囲気を持っており、多様な力を1つにまとめ上げられる人材。私の後継者は、ほかの役員にはないアグレッシブな姿勢を持った三枝君がもっともふさわしいと考えました。今後は三枝色に染まった企業にしてほしい」と、最大級の賛辞で紹介していたものだ。

東急不動産HDが誕生(東急不動産、東急コミュニティー、東急リバブルの3社が経営統合)したのはちょうど1年前の10月のこと。持ち株会社化の主眼の1つは財務基盤の底上げだったが、同時にグル―プ企業同士の連携強化も大きな狙いだった〕

連携強化の事例の1つが、東急住宅リースの設立です。東急コミュニティー、東急リバブル、東急不動産傘下だった東急リロケーションの3社が、それぞれに賃貸や管理・運営、社宅代行サービスを展開してきたのですが、3社を合算すると、全国で約7万戸の住宅を管理し、約8万5000戸の社宅代行サービスを行っています。こうしたグループ間にまたがる機能を東急住宅リースに集約したわけです。

いままでは、コミュニティー、リバブル、不動産と社員も別々でしたから、コミュニケーションのやり取りがあまりなかったんですね。いまではそこが確実に増えてきています。3社統合後の本格的な稼働は来年の4月からですが、すでに西新宿のほうでオフィスを構え、これから楽しみな会社といえます。

〔東急不動産の両輪はオフィス賃貸とマンション分譲事業だが、後者のほうは業界全体で見ると消費税増税前の駆け込みの反動が大きい。ただ、沿線に富裕層を多く抱える東急グループだけに、反動の落ち込みは、東急不動産では限定的なようだ〕

マンション販売は、特に首都圏の中心部は堅調ですね。若干、郊外とか関西圏については厳しいところも出てきてはいますが、消費税増税の影響はあまり見られません。モデルルームは活況で、完成在庫の水準も低水準です。当社のポートフォリオが都区部中心ということもありますが、たとえば昨年度は四番町、麻布狸穴など、東京の都心立地の高級マンションが好調で、今年度に入ってからも、やはり九段北や六義園など都心部の物件がいいですね。

私たちより上の、団塊世代の1つのステータスは、かつてのテレビドラマの「金妻」ではないですが、東急田園都市線のたまプラーザ駅あたりの戸建てに住むことでしたよね。いまではそうした方々がご年輩になって、またそういうエリアの戸建て住宅が維持し切れなくなってきて、すでに子供も巣立っている。であれば、もう少し交通の便のよいところに住みたいというニーズが、いまの都心回帰に表れている気がします。

〔中古仲介のリバブル、マンション管理などのコミュニティー、住宅では新築を手がける不動産が持ち株会社の下に入ったのは、少子高齢化や人口減少、増え続ける空き家問題などから鑑みても意義あるものだ〕

各個社ごとに別々のベクトルで動いていたのを、持ち株会社の下で一緒にやっていくというのは、本来であればもともと必要だったことなんです。いわば、本来のあるべき姿になったということじゃないでしょうか。経営統合によってさらに相乗効果を高めていき、強い東急不動産グループにしていくことが一番の目的ですから。

渋谷を軸に都心も攻める

〔大手不動産の注目点は、6年後の東京五輪を睨んだ大型の再開発計画にある。東急不動産でも渋谷(東急電鉄が2エリア、東急不動産が道玄坂街区、桜丘口地区の2エリアを担当)、銀座(銀座5丁目プロジェクト=旧東芝銀座ビル)、ウオーターフロントの竹芝地区など、再開発計画は目白押しだ。

中でも、来秋に商業施設ビルが竣工する予定の銀座に視線が集まっている。このビルの外観デザインは、江戸の硝子技術と海外のカット技術の融合で生まれたといわれる、「江戸切子」がモチーフ。同時に数寄屋橋の立地は四方を道路に囲まれており、銀座でも代表的な交差点。16年11月の開業を目指して開発が進む銀座松坂屋跡地と、東急不動産の銀座5丁目プロジェクトは、銀座の新しい「顔」を担っていくことになる〕

竣工後、ビル内のテナント工事等々がありますから、たぶん再来年の春ぐらいにはグランドオープンできるのではないかと思います。テナントの店舗数も現状、100店舗超えまでは決まっていましてね。

よく、銀座松坂屋さんのところとの兼ね合いで引き合いに出されますが、いまは銀座と新宿といったようにエリア間での戦いでもありますから、当社と松坂屋さんとで相乗効果が出せるのではないかと。また、銀座はインバウンドが主軸になってくるでしょうから、日本の良さを銀座から発信していきたいですね。ニューヨークのタイムズスクエアみたいな形になったらいいなと。

〔銀座の後に控える渋谷、竹芝エリアでの再開発も注目案件だ。渋谷駅西口に東急プラザが開業してから来年で50年の節目を迎えるが、その東急プラザ渋谷が18年度にもオフィスと商業施設が入るモダンな高層ビルへと生まれ変わる予定。さらに竹芝エリアは鹿島との共同プロジェクトで、19年度をめどにオフィス、商業施設、産業貿易センター、コンテンツ関連施設で構成する業務棟と、賃貸住宅や店舗、サービスアパートメントなどで構成する住宅棟が建つ計画だ。そして最後が、渋谷駅南西部の桜丘口地区の開発となる〕

道玄坂街区のところは来春に着工ということで、そこに向けて東急プラザを閉館していくスケジュールです。桜丘口地区のほうについては、まだ若干の地権者調整があって、いつ着工と言える段階ではありませんが、再開発組合の設立認可は下りてますから、基本的には開発路線に乗ったと認識しています。竹芝地区は海外との交流拠点にしましょうということで、そのあたりの仕掛けを作っていく予定。東京五輪までに何とか間に合わせたいですね。

これらのプロジェクト以外では、我々は渋谷をホームグラウンドとする会社ですので、「グレーターシブヤ」という表現をしていて、渋谷を軸に原宿、表参道、青山といったエリアで今後も重点的に開発に取り組んでいく所存です。

〔東急電鉄との協業案件もある。代表的なものの1つが「二子玉川ライズ」(東京世田谷区)。来春完成予定の、30階建てのこのタワーオフィスには来夏、楽天がオフィスの全フロアに入居することが決まっている。

ちなみに楽天のライバルであるヤフーは、翌年の16年に、これまた東急の往年のライバルだった西武ホールディングスが開発中の、旧赤坂プリンスホテル(=紀尾井町プロジェクト)に全面移転するというのも不思議な因縁だ〕

さきほどの銀座と新宿などのエリア間競争ではないですが、渋谷を中心にその競争に勝てるようにしていくためには、東急電鉄さんを中心に我々もサポートしていく役割だと思っています。ただ、(東急電鉄は)鉄道をお持ちですから、沿線開発がメインの成長戦略シナリオになってくるでしょう。

東急沿線では(マンション分譲事業などで東急電鉄と)バッティングすることもあって、いままでは一緒にビジネスをする機会も少なかったわけですが、渋谷再開発、それに二子玉川と協業も増えています。強いて言えば、沿線の価値向上が彼ら(東急電鉄)の目指しているところなので、それ以外の、都心部の開発は我々に任せていただいているところはありますね。

海外はインドネシアに期待

〔海外でも着実に歩を進めてきている。これまではドメスティック産業の色彩が濃かった不動産業界だが、少子高齢化や人口減少もあり、海外にも打って出ていかなければ先細りだからだ。

東急不動産では、インドネシアで建売住宅事業、パラオでリゾートホテル事業を展開。中国はリスクも相当程度あると考え、投資を伴わない上海のサービスアパートメント事業の運営や、マイナー出資などで事業スタディを継続中。まずは、成長が期待できるインドネシアの市場に注力中で、12年には現地法人を設立し、コンドミニアムの開発・分譲から始めて都市型開発事業、運営管理業も視野に入れている〕

人口が減っていくということは、我々不動産業にとってビジネスチャンスがそれだけ少なくなっていくということですから当然、競争では勝たないといけませんが、海外にも展開エリアを広げていくことは必要だと思っています。そういう意味では、細々とながらインドネシアではすでに40年ぐらいのビジネス知見がありますから、その知見を生かした形で、単なる投資としてではなく、“ミニ東急不動産”をインドネシアで展開していくことを考えています。

〔三枝氏は中学から大学までずっと青山学院で、渋谷や原宿、表参道や青山といったエリアは学生時代から親しんで熟知している。そういう意味では、東急というブランドにも親しみがあり、もともと、不動産開発のように何か形として残す仕事がしたいという思いがあったという。

入社後は住宅事業に長く携わったが、リーマン・ショック前の不動産ミニバブルだった07年にファンド推進部統括部長となり、08年のリーマン・ショック直前に金指社長体制がスタート。翌09年に同氏の下で経営企画部統括部長に就任しているから、金指氏が登板当初から、自身の右腕として三枝氏を重用していたことが見てとれる〕

住宅系の仕事の時代は、私も結構、家にはこだわりがあるので、モデルルームが完成してから作り直しをさせたこともあります。ファンド推進部に行ってからは、やたらとカタカナ言葉が多くてよくわからないこともありましたが(笑)、ようやくこれからという時にリーマン・ショックが発生。

リーマン・ショック後は社内が非常に暗くなっていきましたし、暗くなると業績不振や落ち込みを人のせいにして、罵声もバンバン飛び交うわけですよ。そこで私がムードメーカーになって、もう少しポジティブに仕事をやろうよということで、いわば雰囲気作り役でした。

ものづくりへのこだわりを

〔経営企画部の次の転機は11年。東日本大震災直後の4月、事業創造本部長に就いてからだった。文字通り新規事業の種を探し、それを事業化させていくわけだが、東急不動産も農業分野に参入しているほか、太陽光発電プロジェクトへの一部出資など多彩な展開を始めている。中でもユニークなのが、「ビジネスエアポート」と呼ぶビジネスだ。これは昨年3月にスタートした会員制のサテライトオフィスで、1号店の青山に続き、今年は2店舗目となる品川でも開業させている〕

経営企画ですと基本、会社の中にいる仕事なので、あまり長くは所属したくないなと(笑)。それで、自分で事業創造本部という部門を立ち上げたんです。理由は2つ。1つは、リーマン・ショックでみんな内向きになってしまって新しいビジネスが展開できていなかったこと。もう1つは、部門ごと、あるいはグループ会社とも垣根が引かれていました。その垣根を取っ払わないといけないなと、経営企画の時からずっと思っていたんです。そこで事業創造本部を作って横串にし、垣根をなくしていく施策を打っていきました。

その集大成が、昨年10月の持ち株会社化だったといえるわけですが、若い社員のモチベーションを前向きにさせるために「次世代共創プロジェクト」というグループ横断型のタスクフォースチームを作り、事業創造本部はその事務局になりました。そこで、若い社員のアイデアも吸い上げながら、新しいビジネスにトライさせていったのです。

〔では、東急不動産のトップとして全体を俯瞰、牽引する立場になったいま、同社の差別化ポイントはどこに置いているのだろうか〕

我々は(感度の高い)渋谷という街で育ってきた不動産会社ということで、少しエッジの利いた企業グループになりたいなと。三井不動産さんや三菱地所さんは重厚な不動産会社というイメージですが、我々はクールでかっこいい、フットワークもいい企業グループであり続けたいという思いはあります。

売り上げや利益面でも他社をベンチマークはしないといけませんが、それだけにこだわってしまうと、いいものが作っていけないと思うんですね。不動産は事業スパンの長いビジネスですから、いいものを作って、5年、10年先に、結果として彼ら(ほかの大手不動産)をキャッチアップできているということだと思います。あまり短期の業績数字に固執して経営していると、我々はエッジの立てようがないわけですから。もう少し将来を見据えて、東急不動産らしさを強力に発揮するために、ものづくりへのこだわりは持ち続けたいと思っています。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

経営ノート | 社長・経営者・起業家の経営課題解決メディア

WizBiz代表・新谷哲の著書「社長の孤独力」(日本経済新聞出版社)

WizBiz代表・新谷哲の著書「社長の孤独力」(日本経済新聞出版社)

 

0円(無料)でビジネスマッチングができる!|WizBiz

WizBizセミナー/イベント情報

経営者占い