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経営戦記

「企業は人なり」――。大企業から中小企業まで、どんな企業であってもそれを動かしているのは人であり、意思決定するのは経営トップである。言葉を変えれば、どんな優良企業でも社長が変われば倒産するし、低迷企業も不死鳥のように蘇る。すなわち経営とは日々の戦いであり、経営者に求められるのは不断の努力と決断力だ。話題の企業の経営者はいったいどのような戦いを勝ち抜いてきたのか――

2013年11月号より

古巣に経営統合を仕掛けたゴルフ場再生ビジネス請負人
神田有宏 PGM ホールディングス社長

神田有宏 PGM ホールディングス社長

かんだ・ありひろ 1963年生まれ。86年慶応大学商学部を卒業し東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)入行。ロンドン支店、香港支店を経て、91年ロサンゼルス店勤務となり、不良資産の処理・回収に奔走する。97年メリルリンチ証券入社。99年ゴールドマン・サックス(GS)でゴルフ場再生を立ち上げる。2002年アコーディア・ゴルフ取締役。08年GS退社。11年アコーディア・ゴルフ取締役を退任し12年1月PGMホールディングス社長に就任した。

日本で100以上のゴルフ場を保有するのは、アコーディア・ゴルフとPGMホールディングスの2社のみだ。このうちの1社、PGM社長の神田有宏氏は、かつてアコーディアの取締役を務めていていたばかりか、その古巣にTOBをかけたため、業界は大騒ぎに。その真意はどこにあったのか。

プレー料金下落が止まらない

〔全国で125のゴルフ場を運営するPGMホールディングスは、8月8日、2013年度6月中間決算を発表した。それによると、売上高は前年同期比101.4%増の361億円、営業利益は同47.8%増の42億円となった。一昨年の東日本大震災で落ち込んだ来場者数が伸びたことが増収増益の要因となっている。
PGMを牽引するのが神田有宏社長で、昨年1月に就任した。PGMは、もともと米ファンドのローンスターによって設立されたが、昨年、ローンスターは持ち株をパチンコ機器メーカーの平和に売却。それに伴い社長として送り込まれたのが神田有宏氏だ。その前職が、PGM最大のライバルであるアコーディア・ゴルフ取締役とあって、移籍当初は、業界内で大きな話題となった。それから1年8カ月――〕

社長に就任して以来、あまりお客様の目に触れない部分の改革を進めてきました。新しい予約システムや基幹システムの導入を終え、新会計システムも今年中に導入を終えます。このシステムによって収集・分析したデータを活かすことで、次のステップに進むことができる。その前段階まで来ています。ゴルフ場の価値というとまず思い浮かぶのが不動産としての価値ですが、これからは顧客をどう活かすかが、ゴルフ場の価値となる。システムを変えたことでそれができるようになったし、その効果はこれから出てきます。

こうした部分においては、就任して以来、思ったように進んでいますが、その一方で、不満なところもあります。一例を挙げれば、所属するゴルフ場に対する本社のサポートがまだまだ不十分です。

年々メンバーの高齢化が進んでいます。彼らは暑い夏や寒い冬にはプレーをしなくなる。そのことがわかっていながら現場ではどうしたらいいかわからない。だとしたら、高齢者に優しいゴルフ場の運営を本社が教えてあげなければいけません。たとえば、これまでは禁止していたカートのフェアウエーへの乗り入れを認めるとか、ヤーデージの表示をわかりやすくするとか、さまざまなことが考えられます。メンバーが1年でも長くゴルフをやってもらうために何ができるか、会社ぐるみでサポートする。そういう点ではまだまだ物足りない。

〔ゴルフ場にとって頭の痛いのが、プレー料金が下げ止まらないことだ。そのため、多少来場者が伸びたとしても、売り上げはなかなか伸びないというジレンマに陥っている〕

この夏のことですが、平日ランチ付き、しかもゴルフボール1ダースがついて4000円という料金を設定したゴルフ場もあります。これはゴルフ場としての料金はないに等しい価格です。ここまで極端でなくても、関東のゴルフ場では平日ランチ付きで5000円台が珍しくありません。

〔PGMは中間決算発表と同時に16年度を最終年度とする中期経営計画も発表した。そこでも、プレー料金の上昇が見込めないことを前提にしており、その中で業績を維持・向上できる体制を目指す〕

単価が下がるぶん、それをどうやってコストを削減してまかなっていくかが勝負です。ただそれだけでは企業として成長することはできません。そこで年間10コースのM&Aを行っていこうと考えています。条件は、キャッシュフローが出ていて今後も集客が見込めるコースです。となると、どうしても首都圏のコースが中心にならざるを得ません。

〔このM&Aを支えるのは、資金調達力だ。PGMの場合、平和が筆頭株主のため、その信用をバックに資金調達をすることが可能だ。一方、ライバルのアコーディアはというと、11年まで筆頭株主だったゴールドマン・サックス(GS)がエグジットしたため、強力なスポンサーがいない。しかも9割配当を行っているため、内部留保もままならず、新規M&Aは容易ではない。現状では、アコーディアの運営ゴルフ場のほうがPGMより若干多いが、早晩逆転するのは確実だ〕

M&Aだけではありません。コースを磨くにも、ローコストオペレーションを導入するにも、お金はかかります。クラブハウスひとつとってもそう。多くのゴルフ場のクラブハウスが老朽化しています。その大半が、預託金をあてにして建てられた、豪華だけれど効率の悪いものです。これを建て替えて、光熱費を下げ、動線を考えたレイアウトにすると、著しく効率を上げることができます。ところがそうするにはキャッシュが必要です。それが調達できないために、多くのゴルフ場がだましだましクラブハウスを使っている。でもそういうところが、将来、大きな差となって表れるのです。

〔PGMの中計には、「3年間で圧倒的優位性を保つ盤石な基盤を築く」との一文が盛り込まれている。ゴルフ場経営はどこも苦しい。でもここを乗り切れば、次の展望が開けると神田氏は考えている〕

いまの単価では、死のゲームを行っているようなものですから、この3年の間に淘汰が進み、いずれ需給バランスが取れるようになる。そこを生き残ることができれば、M&A物件も出てくるようになる。つまり新しいステージが見えてくるのです。ですから16年を迎えた時の当社の姿をぜひ見てほしいですね。

ロスの「半沢直樹」

〔神田氏は1963年生まれの50歳。慶応大学商学部を卒業し、最初に就職したのは東海銀行(現三菱東京UFJ銀行)。転機となったのが91年にロサンゼルス支店への異動だった。神田氏はここで6年以上も勤務する〕

ハンディは7、ベストスコアは69の腕前だ。

91年というと日本でバブルが崩壊した年ですが、アメリカでは日本より一足早く不況が訪れていました。私は不動産案件のプロジェクトファイナンスに従事したのですが、実際に行ったのは不良資産の回収です。いまドラマの『半沢直樹』が人気を集めていますが、あれと似たようなことを私はたくさんやってきています。しかも1ロットあたり10億円と非常に大きいものばかりで、処理するのは大変でした。

アメリカの場合、州によって法律が違いますから、回収方法も州によって異なっている。そういうことに習熟している人材はなかなかいません。一種の職人のようなものです。そのために長く勤めることになったのかもしれません。

〔このあと97年に東海銀行を去り、メリルリンチ証券に入社、さらには99年にゴールドマン・サックスへと転じる〕

東海銀行では不良資産の処分を担当していましたが、その売り先のひとつがメリルリンチでした。メリルリンチにしてみれば、私は日本の銀行の悩みを知っている。そこでスカウトされたようです。当初はニューヨークで債権を買う業務に携わるはずだったのですが、その頃、日本で不良債権処理が加速していました。そこで帰国して、不良資産、不動産購入を手がけたのですが、いいトレードが何件かできた。それで業界内で名前が売れて、今度はGSに引っ張られ、移籍しました。

〔ここで神田氏は企業再生ビジネスに携わる。その一環としてゴルフ場の再生を手がけ、経営破綻に陥った日東興業を買収、それを中心としたアコーディア・ゴルフの創業メンバーとなった。以降アコーディア・ゴルフはPGMとともに日本のゴルフ場再生ビジネスをリードしていく。神田氏はその功績が認められてGSのマネージングディレクターという経営層への昇格を果たした。しかし2008年、神田氏はGSを退社する〕

ゴルフ場は、日本の不良債権処理の最後の案件でした。日東興業は当初、和議申請をし、のちに民事再生法を申請してGSがスポンサーになったのですが、当初から、これはビジネスになると考えました。実際アコーディア・ゴルフはいくつものゴルフ場を買収・再生し、日本一のコースを所有する会社となり、06年には上場を果たしています。

08年にGSを退社したのは、そろそろ10年になろうとしたからです。それを一区切りとして、もう一度自分を見つめなおそうと考えました。GSを辞めると同時に、アコーディアも辞めるつもりでした。ところが当時、アコーディアの株価が冴えない。その原因に、IRを知っている人が社内にいないことがあった。市場とどう対話していいかわからない。そこでしばらくの間、私がIR担当役員を務めることになったのです。

GSは11年1月、所有していたアコーディア株を売却します。私はそもそもGSから派遣されていた役員ですから、GSとの縁がなくなったあとも役員に残るのは筋が通らない。そこでアコーディア取締役を退任することに決めました。昨年5月のことです。

プータローのはずが一転

〔それから半年後、神田氏はPGMの社長交代会見の壇上にいた。この経緯を神田氏が語る前に、少し、状況を説明しておく必要がある。前述のようにPGMの社長交代は、ローンスターの所有するPGM株を、平和が取得したことに伴うものだ。その一方、アコーディアの大株主にオリンピアというパチスロメーカーがある。オリンピアは形の上では平和の子会社だが、オリンピアの創業者である石原昌幸氏は平和の筆頭株主でもある。つまり石原氏は、アコーディアの大株主であると同時に、PGMの筆頭株主という構図である。当然、石原氏と神田氏は面識があった〕

アコーディアを辞めたあとは、しばらくプータローとして過ごすつもりでした。ぶらぶらしながら、自分が本当に何をしたいのか自分自身に聞きたかった。自由の身になって、おそらくあと20年近くある自分の人生を見直すいい機会だと考えたのです。毎日ジョギングをしたり、1人でハワイへ行ったり、自由気ままな毎日を送っていました。

そんな生活を送っている時に、オリンピアのオーナーから電話がありました。内容は、PGMを買うことになりそうだ。ついては社長を引き受けてほしいというものでした。私は、もしそんなことを知ったら世間が騒ぐと伝えたのですが、適任者は神田しかいない、買収決定後、可及的すみやかに発表するから真面目に考えろと言われ、決断しました。

オーナーからは、日本一のゴルフ場にしたいと。アコーディアに比べると数字のうえでは劣るところがあるけれど、これをもっと磨いてくれと言われました。その段階で、統合というプロセスがあるならサポートするとも言っていただきました。

就任早々仕掛けたTOB

〔その言葉どおり、神田氏は今年1月、アコーディアに対しTOBを仕掛けて大きな話題になった。冒頭から何度も記しているように、ゴルフ場ビジネスの最大の問題は単価の下落なのだが、それを招いたのは、PGM、アコーディア両ライバルの値引き合戦にある。お互い競い合うことで単価を下げ、自分たちの首を絞めている。それを解決するには両社が統合するのがいちばんだと神田氏は考えた〕

私はアコーディアのこともよく知っているから、友好的に統合できるものだと考えていました。お互い歴史も似たようなものだし、メリットも共通している。このまま価格競争を繰り広げていたのでは、ゴルフ場業界全体を苦しめてしまう。コースにお金をかけることができないため、極端な話、フェアウェイでなく目土でプレーすることになりかねない。業界全体のためにも統合すべきだと考えたのです。でもアコーディアは、なぜか経営統合を嫌がった。

〔結局このTOBは、途中で村上ファンドの流れを汲むファンド「レノ」が参入したこともあって、買い付け下限の20%に達せず失敗に終わってしまう。しかしゴルフビジネスを巡る環境は当時となんら変わっていない。それだけに神田氏はいまでも、経営統合が必要だと考えている〕

いまでも統合を申し入れた時と同じ気持ちです。ただ、自分たちから何かをしようとは、いまのところは考えていません。というのも、TOBの最中にアコーディアはレノに対して、「PGMとの経営統合交渉の場につく用意がある」との書簡を送っています。つまりボールは我々にではなく、アコーディアの側にある。彼らの考え方次第でどうにでもなるわけです。

先ほど言ったように、中期経営計画が終わる頃には、我々は頭一つ抜けた存在になっているはずです。ですから、向こうが嫌だと言っているのに、こちらから頭を下げるつもりはありません。

〔もしアコーディアが経営統合を呑んだ場合、両社合わせたゴルフ場の数は260コースを超える。これは日本にあるすべてのゴルフ場の1割以上となる。ゴルフ業界のガリバーが誕生するかどうかは、ここ3年にかかっているといっていい。
最後に、神田氏のゴルフの腕前について紹介しよう。始めたのは大学時代、ゴルフサークルに入ったのがきっかけだった〕

本格的に始めたのは社会人になってからです。特にロサンゼルス勤務時代は年に100ラウンドほどプレーしていました。現在のハンディは7。生涯ベストはアメリカのゴルフ場で出した69ですが、直近では73が最高です。

(構成=本誌編集長・関慎夫)

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