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経営戦記

「企業は人なり」――。大企業から中小企業まで、どんな企業であってもそれを動かしているのは人であり、意思決定するのは経営トップである。言葉を変えれば、どんな優良企業でも社長が変われば倒産するし、低迷企業も不死鳥のように蘇る。すなわち経営とは日々の戦いであり、経営者に求められるのは不断の努力と決断力だ。話題の企業の経営者はいったいどのような戦いを勝ち抜いてきたのか――

2012年11月号より

10年前赤字、今やカルピス買収で『上げ潮』のアサヒ飲料

菊地史朗(アサヒ飲料社長)

1949年6月10日生まれ。北海道出身。74年成蹊大学法学部卒。同年アサヒビールに入社。89年関東支店営業部長、90年同支店群馬営業部長、92年名古屋支社営業部長、98年広報部長、2000年福島支店長。02年9月にアサヒ飲料常務執行役員営業本部長に転じ、翌03年常務取締役。その後、直販事業部長やマーケティング本部長も兼務し、05年専務、09年副社長、10年3月から現職。

この10月、アサヒグループにカルピスが加わる。アサヒ飲料と合わせたシェアで見ると3位。 昨年、5位から1つランクを上げていたアサヒ飲料は、さらに攻勢をかけようとしている。

3本柱に絞って復活

〔特集記事でも紹介したとおり、アサヒグループホールディングスは、特に飲料事業での存在感を上げてきた。現在、アサヒグループHD会長を務める荻田伍氏がアサヒ飲料副社長に就いたのが2002年9月(翌03年3月から3年間社長)。同年、荻田氏とともにアサヒ飲料入りしたのが菊地史朗氏だった。
菊地氏は常務執行役員営業本部長として着任後、マーケティング本部や直販事業も交えながら、一貫して営業面を担当した。そして一昨年の10年3月社長に就任。53歳でアサヒ飲料に転じてから、今年で丸10年になる〕

着任した頃は非常に厳しい頃で、赤字で大変な時でした。当時はアサヒ飲料もまだ上場していて、株主への責任もありましたし、とにかく、誰も助けてくれないのだから、社員の力でこの苦境を脱し、自分たちで這い上がるしかない。
このままでは、下手をすると会社が消滅しかねない、あるいはアサヒビール本体に取り込まれるかもしれないという、その危機感をトップと一緒になって訴えかけました。そういう意識改革が物凄く大きかったと思います。意識的にやったのは、要となるポジションは生え抜きの人に担ってもらうということが一つ。もう一つは、気合いや精神論だけではダメなので、売り上げを重視するのか利益を重視するのかを、徹底的に議論したことですね。

〔アサヒ飲料が株式上場したのは99年8月のこと。実は、それまでの数年間、同社は増収増益と好調だったのだが、上場を果たした年の12月期決算をピークに業績が下降線を辿り、2000年、01年と二期連続で赤字に陥ってしまった。
躓きの発端は、99年3月に投入した、健康飲料の「オー・プラス」。この商品を飲んで下痢の症状を訴える消費者が相次ぎ、アサヒ飲料が製品を回収して成分の改善を行った経緯があった。以降、品質上の安心・安全ということに神経質になった同社は、商品活動で他社に少し出遅れ、新商品投入にも慎重になった部分があったのだ〕

で、売り上げか利益かではなく、当たり前ですが両方だと。利益を出すためにも売らなくてはいけない。売ったらそれに見合う利益を出していく。肝心なのは、そのための商品戦略をどうするかです。当社で一番頼りになる、幹になる商品は何かと考えた時に、やっぱり財産は、100年ブランドの「三ツ矢サイダー」しかないじゃないかと。
もう一つは、缶コーヒーの「ワンダ」にヒットの兆しが出てきていたので、これをものにしようということですね。いまもそうですけど、利益が上がる商品として一番大きいのは、やっぱり缶コーヒーなんです。そして、三ツ矢ではないけど、“三本の矢”と考えたら、もう一つ強い商品がほしい。そこで「十六茶」を加えた三本柱を作り、これはいまも変えていません。商品戦略で三つの矢を立てて、この10年間、愚直にブレずにやってきました。

〔「ワンダ」については、いまや同商品の代名詞にもなった「ワンダ モーニングショット」、つまり朝専用缶というコンセプトがヒットする。缶コーヒー市場には、コカ・コーラの「ジョージア」、サントリーの「BOSS」という2大ブランドがあり、コーヒー豆や製法に凝ったというだけではなかなか差別化にならなかった。そこで“朝缶”に着目したわけだ。
一方で、コスト削減も同時並行で進めた。飲料業界の一番のコストは自販機。この自販機のリース料を徹底的に抑制するように指示し、それまでのリース料が年間で140億円ぐらいかかっていたのを、一気に半減させている〕

あとは営業です。重点三本柱の商品を、重点売り場にきちんと配置していく。まずはこの徹底。もう一つが自販機戦略です。生産や管理部門も一緒に手をつけていきました。生産、営業、マーケティングそれぞれに予算がありますが、あくまで中心は営業です。営業予算を真ん中に置いて、それに対してどういうふうに生産したらいいのか、どういうふうに商品戦略を立てたらいいのか、社内体制の一本化を図りました。

ですから、最初はとにかく赤字を脱却するために、商品面と営業をどうやるか。次に生産、設備投資に手をつけたと。その積み重ねが花開いていまがあるのです。ある意味、いまが一番大変だと思っています。なぜなら、来年からアサヒグループ全体の、第5次3ヵ年計画がスタートするからです。3ヵ年計画の最終年度、グループ全体で2兆円から2兆5000億円の売り上げにするという計画の中で、我々の請け負うところをどうしていくかが、これからの課題ですからね。

〔アサヒ飲料が請け負う数字で頼もしい助っ人となるのが、16頁からの稿でも触れたカルピスの合流(今年5月に発表、10月に正式買収予定)である〕

一言で言えば、カルピスが入ってきたら我々は大変有利になると思います。世間的にはアサヒグループで見た場合、一緒ですからね。去年、販売実績でキリンビバレッジさんを抜いて当社が第4位。さらにカルピスが合流すると、伊藤園さんを抜いて3位になります。お得意先と接する場合、規模が大きいほうが何かと有利なのは否めません。

ただ、基本的にはまだカルピスとは“婚約時代”であって、“結婚式”は10月1日ですし、婚約破棄にでもなったら困りますからね(笑)。結婚式に向けて、どのウエディングドレスにしよう、あるいはどんなタキシードにしようとか、いろいろ検討しているという段階です。
もっとも、以前からアサヒカルピスビバレッジという、自販機ビジネス会社で一緒にやってきたという下地はありましたから、さらに連携が深められるので本当に良かったと思っています。何しろ、カルピスは乳酸飲料で6割以上のシェアを持っている、すごいブランドですよ。同時に100年を超える歴史がある企業なわけですから。

カルピス合流で勢い

〔カルピスの売り上げが1000億円強。その企業をアサヒグループHDが1000億円で買うわけだが、自販機会社のアサヒカルピスビバレッジが設立されたのは07年12月のこと。両社の間接コスト等を考えれば、いずれはアサヒ飲料とカルピスが経営統合、ないし合併するのが自然の流れにも映る。社名も、自販機会社そのままの、アサヒカルピスビバレッジでいいのではと思えるのだが―〕

カルピスの潜在能力は1000億円なんてものではありません。まだまだ力を持っていますし、アサヒグループに入ることで、そこがもっともっと大きくなると確信しています。当社もいい意味で競争していきたい。カルピスのいいところは身習ったり吸収していけばいいんです。
カルピスと一緒になるかどうかは、アサヒグループHDが考えるグループ戦略の中で、これから考えていく課題ですね。我々としては、いい仲間が入るのだから、プラス面をお互いに共有していくことに特化していきたい。将来的にどうなるかは、いろんな流れもあるでしょうし、HDのほうで、これから最適な絵を描いていくことになるでしょう。

〔では、菊地氏は今後、前述の3つの柱を強化していく上での課題をどう考えているのだろう〕

鮮度でしょうね。「スーパードライ」発売から25年が経って、いまだに商品としての鮮度を失わないのは、商品としての新しさを絶えず消費者に訴求し続けているからです。マーケティングだけでなく味も含めてね。我々の商品も、一番の決め手はやっぱり味です。まず基本的な味の基盤がしっかりあって、加えて時代によって嗜好も変わってきますし、そこを早くキャッチすることが大事です。
3つの柱はこれからも堅持していきますし、それしかないと思います。総合飲料という括られ方をされますが、強みをより伸ばし、弱みはアライアンスで補完していくということです。具体的に言うと、「六甲のおいしい水」(10年5月にハウス食品から事業買収)も、ミネラルウオーターの中ではウチの戦力になっていますし。
海外展開については、現時点ではアサヒグループHDのほうでやっていますし、アサヒ飲料としてはまず、国内市場に特化するというのが現状の考え方です。多少、台湾でОEM生産はやっていますけど、海外に出ていってないのはウチぐらいかもしれませんね。我々のミッションは、とにかく国内で盤石なポジションを築くということですから。

〔アサヒ飲料としての、中長期の数字的なターゲットは、どのあたりに置いているのか〕

2015年でグループ売り上げ2兆円から2兆5000億円を目指すと言っているので、飲料事業としては5000億円ぐらいはという感じですかね。今年、3300億円いくかどうかですが、そこにカルピスが1100億円から1200億円ぐらいの幅で乗ってくるでしょう。合わせるとこれで4500億円ぐらい。5000億円にはあと500億足りませんが、そこはこれからの課題ですね。

北海道出身でアサヒへ

〔菊地氏がアサヒビールに入社したのは1974年。同年3月に成蹊大学法学部を卒業しているのだが、成蹊学園といえば、三菱グループを創設した岩崎家が興した学園として知られており、その縁でいけば、アサヒでなくキリンビールを志望してもおかしくはなかったが――〕

それは関係なかったですね。ただ、僕は北海道出身で、だから親父はサッポロビールしか飲んだことがない(笑)。北海道にようやくアサヒビールが入ってきたのは、確か東京オリンピックの年だったのではないかと思います。親父はビール通で、サッピロビールのケースがいつも自宅に10箱ぐらい積んでありましたね。なので、僕の就職先を聞いた親父はびっくりしちゃって、「オマエ、間違いなんじゃないか? ビール会社っていったらサッポロしかないじゃないか」と言ってました(笑)。
郷里は小さな町で、町内に酒屋が3軒しかなく、3軒ともアサヒビールを置いてませんでした。仕方ないから30・離れた北見市まで行って、やっと酒屋でアサヒのビールを見つけて、トラック1台に乗せて郷里まで運んでくるような、まだそんな時代です。
アサヒ入社後の転機は12年目だったかな、マーケティングの部署に異動になり、行ったらちょうどスーパードライを出す時期に重なってきて、2年間、そこですごく楽しい思いをさせてもらいました。爆発的にヒットした、スーパードライの販促やキャンペーン、需給計画を一手にやらせてもらったんです。非常に気持ちのいい仕事でしたね。

〔その後、関東支店群馬営業部長、名古屋支社営業部長、広報部長などを経て、アサヒ飲料に転じる直前の約1年間は福島支店長も経験した〕

広報部の時は、会社のことを全部知らないといけないし、それとトップ経営に一番近い立場だったので、これは勉強になりました。福島は、東北6県の中で一番、アサヒの売り上げが大きい県なんです。アサヒとしての都道府県別のシェアナンバーワンは、かつてはいつも鹿児島と福島でトップ争いをしていたんです。
名古屋支社も経験しましたが、逆に、あそこはキリンビールさんにシェアで勝てなかった最後の県だったのです。いまはほとんど解消されたと思いますが、スーパードライを擁しても、シェアトップに上がり切れない県がいくつかありましたから。

〔12月決算のビール・飲料メーカーにとって、これからは追い込みの3ヵ月間に入っていく。下期の折り返しを迎えるいま、アサヒ飲料の最大の課題は何か〕

昨年4位、今年が3位ということで、3位集団からトップ集団へ向かっていかなくてはいけない。その過程で、成長に見合った利益をどう作っていくか。つまり、売り上げの成長戦略と、儲けをどう出していくかの構造改革です。この二つの両輪を、いままで以上にスピードアップさせていく。
この10年の軌跡をきちんと継続して、一歩一歩積み上げていく以外ありません。細かいところでは、目下、秋のコーヒー戦争です。これは飲料業界独特のものですね。各社、ここで勝って来年に突入していくという時期なのです。同時に、どういうふうに売り場を作っていくかの重要な時期にもなります。我々も頑張りますよ。

(構成=月刊BOSS編集長・河野圭祐)

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