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経営戦記

「企業は人なり」――。大企業から中小企業まで、どんな企業であってもそれを動かしているのは人であり、意思決定するのは経営トップである。言葉を変えれば、どんな優良企業でも社長が変われば倒産するし、低迷企業も不死鳥のように蘇る。すなわち経営とは日々の戦いであり、経営者に求められるのは不断の努力と決断力だ。話題の企業の経営者はいったいどのような戦いを勝ち抜いてきたのか――

2014年8月号より

高級マンション「プラウド」の次は複合再開発に本格参戦
中井加明三 野村不動産ホールディングス社長

中井加明三 野村不動産ホールディングス社長

なかい・かめぞう 1950年生まれ。兵庫県出身。74年関西学院大学商学部卒。同年野村證券に入社。95年取締役入りし、99年常務。2011年6月に野村不動産ホールディングス社長、12年4月から野村不動産社長も。野村土地建物や埼玉開発の社長も兼務。

大手不動産会社の一角で近年、存在感を増してきた野村不動産。看板は、何といっても知名度の高い人気マンションブランドの「プラウド」だが、今後はビル賃貸や商業施設を含む複合再開発にも本格的に挑む。野村不動産ホールディングスと野村不動産社長を兼務する中井加明三氏が語る戦略とは――。

「製販一体」の先駆けモデル

〔財閥系をはじめ、大手不動産会社が手掛ける分譲マンションのブランドはあまたあるが、知名度で、野村不動産の「PROUD(プラウド)」は、頭一つ抜けているといっていい。しかも、プラウドを立ち上げたのは2002年で、実際の物件第1号が竣工したのが翌03年と、まだ12年の 歴史のブランドだ。短期間で認知度の高いブランドに育てることができた理由はどこにあるのか。野村不動産ホールディングス社長で野村不動産のトップも兼務する中井加明三氏に、まずはその点を語ってもらうと――〕

当社では、マンションの開発、設計、販売をすべて社内の一元管理で行っています。要は製販、それに管理部隊も一体となってプラウドというブランドを作ってきたのです。過去、当社は財務体質が弱かったですから、マンションの売れ残り在庫を抱えるわけにはいきません。土地を一度仕入れたら、売ってまた土地を買い、大きな資金を回していかないといけないですから。

極端に言えば、マンション開発をしたら2年後、あるいは2年半後の竣工時までに、マーケット価格で売れるものはすべて売るというのが至上命題。となると、しっかりしたマンションを作り、きちんとしたマーケティングもして、どれぐらいの価格だったら売れるのかを常に意識していないと、作れば作るほど損になってしまいかねません。そこで、仕入れ、設計・開発、販売から管理に至るまで、上下関係なく横串を通して、相互の部署と常に何がベストなのかを議論してきました。

〔野村不動産のそのこだわりは、換言すれば後発ディベロッパーゆえの“ハングリー精神”といってもいい〕

その通りで、ある意味では、野村不動産の財務上の弱点を逆手にとって、強みに転換させたビジネスモデルといえるでしょう。大手ディベロッパー上位3社に比べ財務体質で劣る我々としては、真正面から対抗しても勝てません。ですから、いかに自分たちの独自性を出すかをみんなが必死で考え、とにかく経営資源を住宅に集中しよう、この舞台でなら勝てるかもしれないと。プラウドの立ち上げから何年か経過して、これならやれるという自信がつきました。

〔マンション販売戸数ランキングで、昨年こそ三井不動産レジデンシャルに首位を譲ったものの、一昨年はトップだった野村不動産。野村の販売戸数は昨年が6517戸で、後に続く住友不動産や三菱地所レジデンスには差をつけている。これは、11年にスタートした郊外マンション主力のセカンドブランド、「OHANA(オハナ)」の販売増加分も効いているが、今後は7000戸前後で安定供給させていきたいという〕

ここ数年、当社のマンション販売戸数は4000戸から6000戸まで、毎年1000戸ずつ増えてきました。今期は7000戸を目指しているわけですが、うち、6000戸がマンションで1000戸は戸建て。マンションは1000戸がオハナ、もう1000戸が再開発案件で、残り4000戸がプラウドというイメージで開発しています。

7000戸を維持する過程でしっかりブランド力を保てれば、トップランナーの一社として十分にやっていけます。で、その間に当社がこれまで手薄で弱かったビル賃貸や商業施設、あるいはノンアセットビジネスをどう組み立てていくか。住宅事業以外のセグメントを、向こう2、3年でどこまで強化できるかが今後の重点的な経営課題ですね。

〔野村不動産は売上高では5番手ながら、営業利益(743億円)、純利益(268億円)などの収益面では前期(2014年3月期)、東急不動産HDを抜いて4位につけた〕

12年に中長期の経営戦略を策定しましたが、民主党政権末期で安倍政権誕生前という、一番景気が悪い状態の時に計画を作りました。なので、計画では16年3月期に650億円の営業利益をめざし、同時に自己資本比率30%と、この2つを大きな目標に掲げました。16年から19年にかけての第2フェーズで、思い切って投資していこうという考えだったのです。

それが2期前倒しで達成でき、自己資本比率も27%を超えるところまできました。土地もだいぶ前に仕入れたものがメインなので、粗利益率で21~22%確保できて、全部がいいサイクルに入っていったというわけです。

都心の再開発で追い上げる

〔好決算をベースに、今後は得意とするマンション開発・販売だけでなく、商業施設やオフィスも含めた複合再開発に本格的に乗り出す。東京五輪に向け、都心部はすでに大手ディベロッパーによる再開発計画が目白押しだが、野村不動産もその戦線に加わっていくことになる〕

新しいステージでの成長を語る中井加明三氏。

昨年、開発企画部を作りました。おかげさまで、住宅での再開発は当社はトップランナーの1社です。ただ、商業施設やオフィスもという複合再開発になると、かつてはその分野に手を伸ばすだけの資金余力がありませんでした。ゆえに住宅分野に集中していったと。

一等地のいい物件はほとんどが再開発物件ですが、当社には住宅分野で培ったノウハウがあり、財務体質も強化されてきましたので、大きな投資にも耐え得る状況になりました。そこで、今後は複合再開発にも思い切って打って出ます。都心で当社が持っている土地で言えば、秋葉原、六本木、赤坂、日本橋、浜松町などのエリアがあります。こうしたところにしっかりと根を下ろして、5年後、あるいは10年後を見据えて開発していきたいですね。

社内では当初、複合再開発の本格化には異論もありましたが昨年、やろうという判断を私がして開発企画部を作ったところ、いろいろな情報が集まりだしました。そこで今春、さらに開発企画本部に格上げし、70人ぐらいの部隊を編成したわけです。6年後に東京五輪があり、特区制度もできて、建物の容積率の緩和などフォローの風が吹いてきますから、当社も遅まきながら複合再開発分野にしっかりとコミットメントしていこうと思います。

〔同業他社にはない強みとして挙げられるのが、野村證券という証券最大手のグループという点だ。不動産の資産運用や資産管理では、野村信託銀行との連携やシナジーなども考えられる〕

野村證券は、ご案内のように富裕層に対して相当、しっかりしたパイプを持っています。そこで野村信託銀行という「器」を使って不動産を活用していただく過程で、当社グループの野村不動産アーバンネット、あるいは野村不動産のCRE(企業不動産の管理・運営に関する企業戦略)部門、こうしたところが富裕層のコンサルティングにきちんと対応していく。

すでに、野村不動産アーバンネットの中に資産コンサルティング部という30人ぐらいのコンサル部隊がありますので、ここをうまく活用できないか、いま考えているところです。それによって、いままでのルートとはまた違った富裕層需要を掘り起こせるのではないかと。

加えて、グループの野村不動産投資顧問も、単にREIT(不動産投資信託)や私募ファンドを組成するだけでなく、将来はファンド・オブ・リートのようなものを、サブアドバイザリーとしてやっていくこともあり得るかもしれません。金融に強い野村グループとして、こういう証券化商品をどう生かしていくか、グローバルな展開も含めて、まだまだ広がる可能性があるでしょう。そこに証券系不動産会社としての一日の長があると思います。

“理系女子”を積極採用

〔中井氏は、元は野村證券出身。大阪の進学校として知られる北野高校を経て、関西学院大学商学部に進み、1974年に野村に入社した。高校時代はバレーボール部に所属し、強豪校の主力選手として活躍した〕

就活は、いろいろな会社説明会に行っていた友人から「野村證券は学閥も閨閥もないらしい。中井みたいな面白い奴は向いてるかもしれないぞ」と言われましてね。ただ、実際に入ってみると確かに学閥、閨閥はないけど、なんという人づかいの荒い、厳しい会社だなと(笑)。でも、それだけよく鍛えられました。

〔入社時の野村のトップは北裏喜一郎氏。同期入社は古賀信行氏(現・野村HD会長)、北尾吉孝氏(現・SBIHD社長)、安東俊夫氏(元日本証券業協会会長)といった多士済々ぶりだった〕

74年入社組は300人採っているんです。それまでは100人ぐらいでした。最初の配属は上野支店で、その時の支店長が酒巻英雄さん(後に野村證券社長)です。それから大阪営業部に行った後、労働組合で委員長をやり、さらに銀座支店、そして池袋支店長になりました。その後は人事・企画。だから私は事業法人担当は経験していません。同期で言えば、古賀さんが企画、北尾さんが事業法人、安東さんと私がリテールが長かったことになります。

〔前述したように、野村不動産は今後、複合再開発の分野にも注力し、将来、事業構成比上もバランスのとれたものになれば、財閥系ディベロッパーに伍す存在になる可能性も広がってくる〕

古巣の野村證券時代はリテール畑が長かった中井氏。

2012年に立てた10年間の中長期経営計画では、最終年の22年に営業利益で1000億円と考えました。住宅事業で3分の1、ビル賃貸や遊休不動産開発などで3分の1、ノンアセットの仲介・資産運用・住宅管理の事業で3分の1。そういう形でポートフォリオを組めれば、ボラタイル(変化の激しい)なマーケットに対して、比較的安定した収益を保てるだろうと。

この3分野でそれぞれ300億円ずつぐらい稼ぎ、残り100億円は新規事業で収益を上げたいと思っています。ただ、あくまでも従来のビジネスの延長線での新規ビジネスであることが大事。プラウドの延長線でオハナを作ったように、新しいビジネスとしてそれなりの核になるものをどう作っていくか。

その1つがシニアビジネスで、シニアマーケットに対してどういうふうに対応すべきか。海外展開やエネルギー関連でも何か新しいビジネスができないか考えています。

私が社長になってすぐにR&D費用の予算化をし、産学共同、あるいは大学の研究室で一緒に研究したりということを社内で奨励してきました。ややもすると、新規ビジネス企画室みたいな部署を作ってからやろうという話になりがちですが、それは絶対にダメですね。新規ビジネスのための部署を特別に立ち上げるのではなく、もっと日々のビジネスの中で新しい事業が生まれないと。

〔新規ビジネスのシーズ探し、あるいはM&Aの仲介という意味でも、幅広い対面企業を擁する野村證券のネットワーク力は活きてくる〕

過去、東芝不動産を買った時(08年に約1500億円で買収。現・NREG東芝不動産)の経緯にしても、間に野村證券が入っています。(東芝不動産の買収は)相当、思い切った投資でしたけど、いまでは(NREG東芝不動産が)100億円超の利益を着実に上げています。それが結果として、野村不動産のビル賃貸ビジネスを一歩、進めたわけです。上位不動産3社を追いかけるというよりは、自分たちの資金力や器を考えながら、独自性を持ったビジネスモデルを作っていきたいですね。それも、(他社から見て)脅威になるような独自性を持ちたい。

もう1点、当社では総合職の35%は理系の社員なんです。これは、住宅における新しい技術開発をしていく点でも強みになりますし、ほかの大手ディベロッパーよりも高い比率だと思います。採用の段階で私が言っているのは、「全体の採用人数の中で女性を3割、理系を3割、ベストは“リケジョ”」ということ。

〔確かに、腕力も要るマンション開発事業に対し、中古仲介やリフォーム、リノベーション、管理といったストック型ビジネスは、少子高齢社会の進展でますます加速していくし、開発以上に女性の視点や活用が重要になってくる分野といえる〕

日本はこれまで新築偏重だったので、100年もつような堅牢なマンションや戸建て住宅がなかったんですが、ここへきて、耐震工法上も非常に優秀な技法が生まれ、“100年住宅”ができ始めています。そうなると、中古のマーケットはますます増えていく。その流れでいけば、当社でも中古仲介のビジネスは次の大きな核になると見ています。22年までの中長期経営計画中に、100店舗1000人体制を実現させます。

〔では、野村不動産HDのグループ将来像はどう描いているのか〕

まず、野村不動産はディベロッパーとして住宅とビル賃貸を担い、仲介の中心は野村不動産アーバンネット。さらに野村不動産パートナーズで管理ビジネスをしっかりやり、野村不動産投資顧問で運用のご期待に応えていく。これらのパーツが、持ち株会社の下でしっかりと絡み合い、全体のシナジーを生んでいく。それぞれの事業で、当該分野のトップ企業に伍していけるだけのクオリティを持ち、また維持できれば、独自の地位が確保できると思います。

(構成・本誌編集委員・河野圭祐)

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