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特集記事|月刊BOSSxWizBiz

2018年3月号より

小売業勝ち残り戦略|月刊BOSSxWizBiz
ライオンで開花、プラスで進化 アスクル社長のマーケティング力 アスクル 岩田彰一郎 社長

柔軟な発想を生む仕事場

かつての工場、倉庫街のイメージとは風景が一変し、整然とした街並みにモダンな高層ビル群が屹立する東京・江東区豊洲。アスクルの本社は、同エリア内の豊洲キュービックガーデンにある。このビルに本社移転したのは、2011年の東日本大震災後のことで、それまでは01年から10年強、隣り駅の辰巳にあった。辰巳のオフィスは倉庫を改造したものだったが、「震災時は、幸い怪我人は出ませんでしたが、東京とは思えないくらいの被災の仕方で、みんな怖い思いをしたので新しく安全な場所を探そうと」(アスクルの岩田彰一郎社長)。

アスクルの岩田彰一郎社長は、オープンな“共同執務スペース”で執務。

現在の豊洲の高層ビルは免震構造で、安全性の担保はまったく問題がなかった。辰巳のオフィスは広いフロアの上部に長いブリッジが架けられ、オフィス全体が見渡せるようになっていたが、現在のオフィスも、岩田氏のアイデアでいろいろな工夫が施されている。象徴的で出色なのが。岩田氏の社長室はなく、六角形をした囲いの中で、岩田氏や他の役員、秘書スタッフが執務し、椅子から振り向けばいつでもミーティングに入れる、極めてオープンなものだ(右にある写真)。

また、アスクルのオフィスは2フロアにまたがっているのだが、岩田氏は“内階段”を作ることにこだわった。同氏曰く、「ビルに内階段を作ると結構、コスト高になるのですが、できるだけコストセーブして螺旋階段を通し、自由に行き来できるようにしたのです」

同氏がそこまで考えた理由は、大きなビルに移転してもオープンなコミュニケーションを徹底することだった。上下2フロアはエレベーターでの行き来でなく、いわばアスクルという大きな家に集うような、風通し感を大事にしたかったのだろう。

同社のオフィス空間は、特に無機質で退屈な大企業のオフィスを見た後であれば、誰でも驚きを覚えるほどだ。また、来客の通路の導線には間伐材を使って温もりも演出している。さらに、社内の技術系社員たちが集まるワークスペースは“エンジニアの森”と呼び、個々人のデスクの周囲を緑と木でお洒落に囲い込むといった工夫もある。

こうした空間デザインの考案がもともと好きだったという岩田氏は、マーケティングの才覚に長けた、アイデアマンとして知られてきた。まず、その軌跡を辿ってみよう。

大阪教育大附属高校を経て慶應義塾大学商学部に進学した岩田氏は、元ダイエー副社長の中内潤氏や、サントリーホールディングス会長の佐治信忠氏らも学んだ村田昭治ゼミに入り、1年先輩にエーザイの内藤晴夫社長らがいる。時代背景的には、岩田氏の1、2年生時は大学紛争真っ只中で、慶應大学でもたびたびキャンパスが封鎖されていた。一方で、同氏は「シルバーキャノンボール」というテニスクラブに入り、交友も広げて大学生活をそれなりに謳歌していたようだ。

やがて就活のシーズンを迎え、ゼミでも広告系を学んでいた岩田氏だけに、「就職は電通に行きたいです」と前述の村田氏に相談したところ、「マーケティングをやりたかったら広告会社ではなく、メーカーに行ってマーケティングを一から勉強したほうがいい」とアドバイスされたという。その結果、1973年にライオンに入社。当時のライオンは花王を激しく追い上げる勢いがあり、テレビCMも華やかで、実戦でマーケティングを学ぶ企業としてはうってつけだった。

ところが最初の配属は大阪支店。当初は小さな卸会社やスーパーを担当したのだが、3年半ぐらい経った頃に転機が訪れた。東京のライオン本社からマーケティング本部長が来て案内役を担った際、マーケティング志望だということを熱く訴えたのだ。念願叶って25歳の時に本社に戻されてマーケティングの仕事に従事。後に岩田氏が手がけたヒット商品の代表例が、シャンプーの「フリー&フリー」である。

「女性は洗浄力でなくてヘアメイクをシャンプーに求めているのだから、そういう商品を作ろうと。当時、女性誌の『JJ』などがよく読まれていた頃で、流行っていた髪型も全部ビデオでチェックをし、ライオンの研究所を含めて100回ぐらいプレゼンしましたね。結果、商品がヒットして社内で表彰もしていただき、ライオンでは初めてフランス人のデザイナーを起用させてもらったりと、かなり自由に仕事をすることができました」

ちなみに、岩田氏より4歳年少で同じライオンに勤めていたのが、後に日本コカ・コーラ社長を経て、現在、資生堂社長を務めている魚谷雅彦氏だ。魚谷氏は当時、米国の大学に留学中だったが、社内報で岩田氏の活躍を知り、以来今日に至るまで親交が続いている。ひょっとすれば魚谷氏と一緒に仕事をするチャンスもあったかもしれなかったが、岩田氏はライオン入社13年、35歳にして転職という大きな決断をした。

三顧の礼でプラスへ転職

転職先は、事務用品やオフィス家具を扱うプラス(63年11月創業)。慶應大学で1年後輩にあたり、交友が深かったプラス創業家の副社長、今泉公二氏(当時。現・社長)から足かけ3年にわたって再三、「一緒に、世界で通用する文房具を作ろう」と熱心に口説かれていたのだ。まさに三顧の礼で、これには岩田氏も心を動かされた。

今泉氏も岩田氏に負けず劣らずのアイデアマンで、たとえばかつて、プラスのヒット商品となった「チームデミ」という文房具キットは、今泉氏が手がけたものだった。岩田氏がプラスに転じた後、文房具だけでなく、日用品やキッチン用品へ商品アイテムの領域を広げる議論も起こったが、そこまでの許可はまだ取れず、ベーシックでかつユニークな、新基礎文具というジャンルにチャレンジしていった。カッターナイフの「ツリーズ」、あるいは消しゴムの「エアイン」などがそれだ。

社内は遠くまで見渡せる開放的なスペースになっている。

通常の商品でも、たとえばお洒落で新しさもあるファイルを、浜野商品研究所のメンバーたちと生み出していったのだが、市場調査段階では人気があったものの、いざマーケットに投入してみるとまったく売れない。その理由を突き詰めていった結果、文房具業界で圧倒的な力を持っていた、コクヨの存在にぶち当たった。文房具の販売店側にしてみれば、同じジャンルの商品であればコクヨ製のほうを優先的に販売するのはいわば自明の理。この壁をどうにかして突破する手立てを考えたことが、アスクルのプロジェクトの原形になったのだ。

プラス社内にアスクル事業部が発足したのは93年3月で、25年前のことである(97年にプラスから分離、独立)。親会社の一事業部からスタートし、後に分離、独立していった小売業の事例に、西友から派生した良品計画、西武百貨店から一旦は独立したロフトなどがあるが、アスクルの場合は、立ちはだかったコクヨの存在が大きかったわけだ。

「マーケッターの1人として、お客様が手に取ってダメだというのは諦めがつきますが、お客様の目にも手にも触れないで商品が死んでいくのは、やはりいてもたってもいられないわけです。ならば、ダイレクトにお客様に売りにいこうと。我々のお客様は法人マーケットが75%ぐらいでしたから、そこにターゲットを絞る。中小の法人ではみんな、お昼休みなどに女性社員が文房具や備品などを買い回るというのが昔の購買習慣でしたので、ここにサービスをしようというのがアスクルのコンセプトです」(岩田氏)

ビジネスモデルのコンセプトを詰めるのに2年ほどを要したが、顧客は文房具の販売店ではなく最終消費者だと定め、無駄なものは排除して効率的なバリューチェーンにすることを決めた。

だがカタログ通販にした過程で、顧客の要望もあってプラス以外の商品も幅広く扱うようになり、同時に価格面でも顧客の希望に合うリーズナブルな値付けにしていったことで、プラスから分離、独立する必要性に迫られたのだ。独立時のメンバーは、わずか4人だった。そして独立後、パブリックな企業になるという観点から、2000年にまずジャスダック市場に上場し、04年には東証1部に指定替えした。

アスクル事業は、初年度が売り上げ2億円、以降、6億円、19億円、53億円と倍々ゲームで業績を伸ばした。ただし、株式公開後には市場の洗礼を浴びることにもなった。上場したのは2000年11月だったが、売り上げ見通しの800億円を750億円に下方修正した途端、4営業日連続でストップ安になったことも。岩田氏は、「上場した後の市場の厳しさ、怖さを身をもって体験しました」と述懐する。ちなみに、アマゾンが日本に上陸したのも、奇しくも同じ2000年11月だった。

活きるロハコの経験値

その後、リーマンショックが起こる08年までは再び右肩上がりの成長軌道を描いたのだが、大企業の顧客も含めて、取引企業が一斉に大がかりなコストセーブに走ったため、岩田氏も初めて成長が止まる経験をした。そこから再度、成長軌道に乗せるべく努力していた矢先、冒頭で触れた東日本大震災に見舞われたのだ。ヤフーとの資本業務提携に至ったのは、翌12年のことである。

「オフィス・デポさんに対して、実は92年ぐらいから米国で調査をずっと定期的にやってきて、いずれは大きなライバルになるなと。で、仮想ライバルをオフィス・デポに置いて準備をしていました。

その後は仮想ライバルをオフィス・デポさんからアマゾンさんに置き、どう戦っていけばいいんだろうと考えてきました。これからはEコマースでアマゾンの時代が来ると。その時にカタログビジネスは必ず飲み込まれてなくなる。となると、B2BとかB2Cの境も徐々に消えていく。生き残るには、次に大きなビジネスモデルのチェンジをしなければいけないし、併せて物流の投資も必要。かなり突っ込んだ議論をしたのです」

出した結論がヤフーとの資本提携(現在のヤフーによるアスクルの持ち株は41.6%)で、アマゾンと戦っていくための軍資金、330億円を調達し、筆頭株主もプラスからヤフーに替わった。ヤフーはヤフーでちょうど社長交代して、爆速で攻めると評判だった宮坂学社長が登板して意気投合、満を持して立ち上げたB2C事業がロハコである。

「ロハコ事業が大きく伸びたところで、今度は火災事故(17年2月の埼玉県三芳町の大型物流センターの火災)。ここで大きく一回転び、まさにいま、態勢を立て直してアマゾンを追っかけていくところです。この5年間でEコマースのノウハウをかなり蓄積し、そのノウハウがB2Bのほう(=アスクル)にかなり移植できました。たとえば、AI(人工知能)を使ったリコメンデーション機能がサイトで表示できるようになったとか、ロハコ事業のノウハウはかなり、アスクルの事業にも活かされてきています」

前述の火災事故が縁となり、昨年7月にはセブン&アイ・ホールディングスとの業務提携を発表、同年11月末から生鮮宅配のIYフレッシュの事業もスタートした。

今期(18年5月期)以降は、収益も再び成長軌道に乗るだろうが、怒涛の攻めのアマゾンを筆頭にEC市場の争奪戦は熾烈さを増す。マーケティングのプロでもある、岩田氏の次の一手はいかに――。

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