2015年8月号より
大西 洋 三越伊勢丹ホールディングス社長
おおにし・ひろし 1955年東京生まれ。79年慶應義塾大学商学部を卒業し伊勢丹に入社。紳士服の販売員、バイヤー、店舗開発などを担当。2003年伊勢丹新宿本店のメンズ館のリニューアルの責任者となり、大成功を収める。09年伊勢丹社長、11年に三越と伊勢丹が合併して誕生した事業会社、三越伊勢丹社長となり、翌年から持ち株会社、三越伊勢丹ホールディングス社長を兼務。
リスクを負って商品開発
―― 三越伊勢丹は数年前から「JAPAN SENSES」というキャンペーンを展開しています。日本の優れた技術・商品を紹介していくという試みです。このキャンペーンが、先日、日本のファッションビジネスに寄与した企業・人に贈られる「繊研賞」(繊研新聞社主催)に選ばれたそうですね。しかも満場一致だったとか。
私自身も審査員の一員ですが、例年だと、候補がいくつかあって、その中から1人が3つに丸をつけるという方式で審査が行われるのですが、今回は投票もなく決まりました。これは繊研賞の歴史の中でも初めてのことです。
―― なぜ、JAPAN SENSESをやろうと考えたのですか。
2000年に経産省内に「クール・ジャパン室」ができたのがきっかけです。これは日本文化や産業の世界への進出を支援するものです。とても意義ある試みだと思いますが、その一方で日本人がどれだけ、日本の優れたものを知っているのか。そこで海外に出す前に、自分たちが日本の良さを一生懸命に勉強して、それをお客様にご提案するのが先ではないかと考えたわけです。それで11年からJAPAN SENSESを始めたのです。
今回の受賞は、そうした我々の企業姿勢が評価されたのですから、うれしいですね。
―― 大西さんが伊勢丹(現三越伊勢丹)の社長になったのが09年。12年にはホールディングスの社長も兼務しています。そもそも、大西さんにとっての理想の百貨店とはどういうもので、それに向けていまどのように取り組んでいるのでしょうか。
私は大学卒業以来、40年近く百貨店で働いてきましたが、この20年間はずっとダウントレンドで、業界全体の売上高もピークには10兆円近くあったものが、いまでは6兆円台と半分近くにまで落ち込んでいます。何が問題かというと、同質化、リスクを取らない、エンターテインメント性が弱い、販売力が落ちている等、さまざまなことが指摘されてきました。この問題を克服していかないと、百貨店に未来はない。
そこで始めたのが、仕入れ構造改革です。自分のリスクで商品を仕入れていく。お取組先(=取引先の三越伊勢丹用語)へ返品が可能な委託比率を下げ、買取比率を上げていく。さらには製造にまで踏み込んでいく。こうした取り組みを続けてきました。
JAPAN SENSESの展開も仕入構造改革とは無縁ではありません。仕入構造改革によって、バイヤーは、自ら地方に行って商品を探したり、地方の素材を使って地方の職人さんとコラボレーションするようになりました。そうやって日本の優れた商品を発掘できるようになったのです。
―― 百貨店のバイヤーというと、海外に出かけて商談をまとめ、いい商品を買い付けてくるというイメージがありました。
おっしゃるとおりです。私も紳士服のバイヤーをやっていましたが、当時は国内の工場に行っても相手にしてくれなかった。商品を売ってくれないだけでなく、会ってくれないこともありました。そこで作る商品は、すべてアパレルや卸に押さえられていて、我々は直接取引ができない。地方の展示会に行って、いい商品を見つけて、扱わせてほしいと言っても同様です。
しかたがないから海外に行って、海外の工場でものを作ってもらったり、海外の展示会で買ってくる。でもいまは状況が変わりました。これだけ厳しい経済環境が続いたので、国内の工場の人たちも、売れるところで売りたいという気持ちが強くなった。しかも、ずっと納入価格を下げるような圧力がかかってきましたから、きちんとした商品をきちんとした価格で納入できるところと組みたがるようになりました。ですから、いま当社のバイヤーが国内の工場に行っても、ほぼフリーで商談ができるようになったのです。
販売員に実力主義導入
―― 改革はかなり進んできましたか。
13年度に、営業利益500億円を18年度に達成するという目標を立てましたが、そのうちの200億円は、仕入構造改革による増益分です。いまこれが100億円まできています。あと100億円ですが、18年度と言わず1年でも前倒しで達成したいと考えています。組織を変えたのもそのためです。
当社では13年に組織変更して商販分離しました。それまでは同じ営業部長の下にバイヤーとセールスマネージャーがぶら下がっていましたが、バイヤーとセールスマネージャーを完全に別ラインとしたのです。そして今年はさらに変えました。三越伊勢丹は現在全国に26店舗ありますが、従来は、伊勢丹新宿本店、三越日本橋本店、三越銀座店の基幹店3店を担当するバイヤーと、残りの23店を担当するバイヤーがいました。それを今年から、26店すべて見るように変えたのです。
―― 規模も風土も、まるで違う店を同じバイヤーが見るわけですか。
組織を変える時は、常に議論になります。100%の正解はないわけですから、毎年試行錯誤を繰り返しながらやっています。商販分離をしたことで、販売の側に発注の負担が増えたり、バイヤーとセールスマネージャーの間のコミュニケーションが取りにくくなるなどの問題もありました。でもいま、何がいちばん重要かというと仕入構造改革の成果を出すことです。商品開発をするにしても3店舗と23店舗に分けるより、最初から26店舗のためにつくればコストも下がり、いいものができる。そのことを優先して組織改革に踏み切りました。
ただし、仕入構造改革は在庫のリスクがあります。在庫が膨らめばB/Sが傷みます。ですから、仕入れた商品はできるだけ早く売り切る必要がある。それには店頭のスタイリスト(販売員)に頑張ってもらわなければなりません。販売力を上げるには、スタイリストたちの環境をよくすることが不可欠です。そうでなくてはおもてなしなどできません。
そこで新宿店の営業開始時間を30分遅らせて10時半にするなど、営業時間の短縮にも取り組んでいますし、定休日ももうけました。またモチベーションを上げるために、エバーグリーン制度といった表彰制度もつくったほか、来年4月からは一部のスタイリストを対象に、売り上げに応じた報酬制度を導入します。スタイリストの給料が私より高くてもかまわないと考えています。ただし、売り上げが上がらない場合は給料が下がるかもしれません。そのくらいのリスクがあっていいと考えています。
「百貨店」に再チャレンジ
―― ずいぶん改革が進んできたようですが、大西社長にとっては、いまの三越のどういうところが物足りなく映っていますか。
昔なら、家族で百貨店に行けば、半日は楽しむことができました。いくつもの売り場を回って買い物を楽しみ、屋上遊園地で遊び、大食堂でお昼を食べる。ところがいまでは買い回りをするお客様が少なくなっていて、滞留時間は1時間あるかないかにまで短くなっています。本当はワンストップで、百貨店に行くだけですべての用が足りるようにしなければなりません。
―― いまではイオンのショッピングセンターがその役割を引き受けています。
本当は百貨店がそうならなければいけません。ただしカテゴリーキラーが出てきた時に、百貨店は自らその役割を放棄してしまった。家電売り場やスポーツ用品売り場は百貨店からなくなってしまいました。でももう一度、こうした分野にチャレンジして、再び百貨店になりたいと考えています。家電を扱うといっても量販店とぶつからないやり方があるはずです。スポーツも単にスポーツ用品を売るのとは違った展開方法があるはずです。カテゴリーキラーによって縮小した分野を、もう一度リスタートさせなければなりません。
―― 実際に始めているのですか。
この前の新宿店のリモデルの時も、そうするよう指示しました。だけどトライできない。狭いところで家電を売っています。もっと広いところでやればいいのに。
―― なぜできないのでしょう。
1つは勉強不足です。視野が狭く、外を見ていない。もう1つはどうしても守りに入ってしまう。これは最終的には私の責任ですが、新宿の場合、新しいこと、思い切ったことをやれば、絶対に成功します。お客様もそれを期待しています。でも守りに入った瞬間、お客様に支持されない店になってしまいます。その見極めがまだまだできていません。
―― 新宿店は平日でも多くの客が入っています。店舗別の売り上げでも、世界一です。これだけ成功しているのだから、わざわざリスクを冒して家電を売らなくてもいいという気持ちはわかります。
新宿のお客様は、伊勢丹に新しいことを期待されています。あそこに行けば新しいことをやっていると思われているのに、2年も3年もそのままというのは許されません。守りに入ってはダメなんです。それでも最近は、若い人はずいぶんと変わってきました。ところが、上へ行けばいくほど守りに入っています。
―― 大西さんも60歳です。上の人ほど守りに入ると言うなら、大西さん自身、守りに入ってもおかしくありません。
本当にこのまま普通にやっていたら、うちの会社はなくなるくらいの気持ちを持っています。いま営業利益が330億円出ていますが、そのうちの7割は新宿が稼いでいます。ということは、新宿に何かあったら、つぶれてしまうということです。その危機感がある。
時代は変わっているわけですから、自分たちも変わることで新しい価値観を生み出していく。すぐに利益は出ないかもしれないけれど、その取り組みが、10年後、15年後の事業に結びつく。
基幹3店の残る2つ、銀座店と日本橋店はもっと稼がなくてはいけません。銀座も多くのお客様で賑わっています。でもそれに安住することなく、1000億円を達成するにはどうするか、ということをベースに考えていく(現在の売り上げは744億円)。
三越伊勢丹は、百貨店の中では業績がいいと言われることがありますが、百貨店そのものが悪くなっているのですから、その中で、いい悪いと言っていても仕方がない。一緒にダメになっていってしまいます。伸びているところに学んだり、コラボレーションすることで、考え方やスピード感を学んでいくことも大切です。そういうことを言い続けてきたら、先ほども言ったように、20代、30代の若い社員はずいぶんと変わりました。
若手社員は外に出ろ
―― 次代を担う若い社員には何を望みますか。
三越伊勢丹の社員がもっとも大事にしなければならないのは現場です。現場を大事にしながらも、できるだけ外に出て、視野を広げてほしい。そしていつか自分たちがマネジメントするようになった時、新しい三越伊勢丹をつくっていってほしいですね。
そのために、若い人にはできるだけ百貨店ではできない経験を積んでもらおうと考えています。たとえば、農水省や内閣府のオリンピック推進室、あるいはホテルや鉄道会社など、さまざまな経験をしてもらっています。
―― 大西さん自身、30歳の頃、吉祥寺店準備室に配属され、百貨店ではなく専門店をつくるミッションを与えられました。その経験がいまに活きているのですね。
そう思います。あれがなかったら、私のその後の人生はずいぶんと違ったものになったと思います。
―― 若い社員と話す機会はあるのでしょうか。
自分の考えは、できるだけ直接伝えるようにしています。朝や閉店後に、マネージャーになる前の人たちに100~200人ずつ集まってもらい、そこで話すようにしています。この1年間で、新宿では4回、日本橋と銀座では2回、行いました。地方のお店でも年に1度は、朝礼だけでなくラインミーティングなどを通じて、若い社員と直接、話すようにしています。
―― ところで、大西さんは百貨店業界で圧倒的な発信力を持っています。メディアにもよく出るし講演にも引っ張りだこです。内向きな経営者が多い中で、なぜ積極的に外部に向けて発信しているのですか。
私の前任の武藤(信一前社長)もよく発信していました。パーティのスピーチ、あるいは新聞のインタビューなどに武藤が出ているのを見て、誇りに思ったものです。時には私が扱った商品の話などもしてくれて、そういう時は非常にモチベーションが上がったし、この会社に入ってよかったと思ったものです。
ただ私が社長になった当初はリスクを恐れて内向きになっていた。そのため他の百貨店の記事は取り上げられるのに、三越伊勢丹は取り上げられない。そんな状況でした。それで意識的にメディアに出るようにしたところはあります。
百貨店とは「のれん」でお客様にご支持いただいている商売です。できるだけ、三越伊勢丹の名前に接していただきたい。それを考えればメディアに出ないよりは、出たほうがいいに決まっています。