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2015年5月号より

父娘Wインタビュー(1) 鈴木宗男・新党大地代表/貴子・衆議院議員|月刊BOSSxWizBiz

世襲の多い政界において、父娘の世襲の国会議員として注目されているのが、鈴木宗男・新党大地代表と民主党の鈴木貴子衆議院議員だ。一般的に政治家の世襲では、先代は引退し、ほとんどが表に出てくることはない。しかし、鈴木宗男・貴子父娘はまさに二人三脚で、政治活動を行っている。この父と娘の関係はいかなるものなのか――。

“お腹のなか”でも選挙活動

鈴木貴子(以下・貴子) この世の中で一番嫌いな職業は1に政治家、2にマスコミ、3が司法や検察だったんです。でも、大学を卒業して何かを発信をしていく仕事をしたいという思いと、事実を事実として伝えることの大事さを痛感したことで、逆にマスコミは中から覗いてみようとNHKに就職しました。ただ、私の夢は10年ぐらい働いてお金が貯まったら、カナダでパン屋さんを開いて、向こうにはないメロンパンやチョココロネなどを売ることだったんです。ですから、政治の「せ」の字も人生プランに入っていませんでした。

鈴木宗男・貴子父娘へのダブルインタビューは貴子さんのこの言葉からはじまった。貴子さん本人が話す「パン屋さん」の夢とはウラハラにYouTubeなどにアップされている演説などの映像を見ると、まさに政治家が天職ではないかと思える。その話しぶりは、およそ当選2回の代議士とは思えないほどだ。しかも、話の間合いの取り方などは父・宗男氏そのままである。

鈴木宗男(すずき・むねお)
1948年、北海道生まれ。70年拓殖大学卒業。在学中から故・中川一郎元農水相の秘書を務める。83年第37回衆議院議員選挙で旧北海道5区から自民党候補として出馬し初当選、以後8期連続当選。97年北海道・沖縄開発庁長官、98年内閣官房副長官、2002年受託収賄容疑で起訴。05年新党大地を結成。10年に実刑判決確定し収監。議員を失職。11年仮釈放され、同党代表に就いている。

鈴木宗男(以下・宗男) 娘が生まれたときは私の2回目の選挙の年でした。昭和61年6月です(貴子さんの生年月日は昭和61年1月5日)。いま考えれば恐ろしい話ですが、選挙活動中、女房は生まれて5カ月のこの子を選挙事務所に置いて後援者回りに出るんですよ。それで事務所にいる後援者の方が時間になるとミルクをあげたりしてくれていたんです。女房にいわせれば「お腹にいるときから、この子は選挙活動をやってきましたよ」というぐらい、娘は選挙とは切っても切れない生い立ちなんですよね。

宗男氏は、過去の出来事や家族との思い出を語る際、「あれはね○年の選挙のときで…」と、選挙のあった年月日とリンクして話す。記憶そのものが選挙を起点にインプットされているようだ。貴子さん曰く「ザ・政治家・鈴木宗男」のゆえんを感じさせる。

貴子さんが子ども時代の父娘関係とは、どういうものだったのか。

宗男 家族旅行というのは、娘がカナダに留学する直前、5月にカナダに行くというので、その前の4月に女房と長男・次男・娘の5人で、女房の実家のある広島と山口県の萩に行ったのが、後にも先にも唯一の家族旅行なんじゃないなかな。

貴子 後にも先にもって、みんなで長野に行かなかった?

宗男 あ、あれはね、学校を卒業してからでしょ。

貴子 そのあとも行ってるんだから、後にも先にも1度だけではないでしょ。私はこういうのが嫌なんですよ。いまは共働きの家庭が当たり前なのに、家族をないがしろにして自分に陶酔してるようなところがあるんです。

宗男 いや、そうじゃなくてね。私が子どもと時間を取らなかったとか、授業参観や学芸会に行けなかったということに、私自身が反省してるってことでね。後ろめたさがあるんですよ。娘はいまは共稼ぎが普通と前向きにとらえてますけど、私としては親としての申し訳なさというのがあるんですね。

鈴木貴子(すずき・たかこ)
1986年、北海道生まれ。2008年6月カナダ・オンタリオ州トレント大学卒業。09年日本放送協会入局、長野放送局でディレクターを務める。12年第46回衆議院議員選挙に北海道7区から新党大地の公認候補として初出馬。13年同党比例北海道ブロックで当選した石川知裕代議士の辞職にともない繰り上げ当選。14年第47回衆議院議員選挙で民主党公認候補として北海道7区から立候補するものの落選。同党比例北海道ブロックで復活当選。

貴子 申し訳ないと思っているなら、いくらでもできるはずなんです。家族全員がそろわなくても、行けるメンバーだけで行けばいい。家にだって早く帰ってくればいいんです。でも、「365日政治家・鈴木宗男」ですから。家族の前でも政治家・鈴木宗男として生きています。たぶん、朝起きた30秒くらいだけ人間・鈴木宗男の顔をしているんじゃないかと思います。

―― 子どものころから、父娘という感じでは接してこなったということですか?
貴子 いまの状態は、会社であれば上司と部下、あるいは師匠と弟子のような関係ですが、こういうことをずけずけ言えるのが親子関係なんだと思います。10組の父娘がいれば10種類の父娘関係があると思いますから、これもひとつの父娘関係だと思っています。母からは、きちんと師弟関係を出しなさいと言われますが。

宗男 長幼の序というのがいまの人にはないもんだから。われわれの感覚からすれば、そういうふうにわきまえなさいよとなりますが、同時に父娘でもあるので、第三者から見るとちょっと奇異に見えたとしても特別なことではないんですね。

貴子 父以外の政治家の先輩に対するときは違いますよ。ただ、家族だからこそ、父にはほかの誰よりも、きちんとした服装でいてほしいとか、私がそういうところを見なくてはいけないという責任を感じています。私が尊敬しているのは政治家・鈴木宗男で、父親・鈴木宗男ではありませんからね。政治家・鈴木宗男には人の前に出るときは常にベストな状態でいてほしい。それをマネージというか、しっかり見ておくのが私の仕事だと思っています。

――お父さんが甘えている?
宗男 いや甘えてるのは娘のほうです。好き勝手に言ってるわけですから。私のほうが遠慮してますよ。

貴子 本当ですかぁ?(笑)

ここが政治家に向いている

そんな貴子さんが総選挙に初出馬したのは2012(平成24)年12月のこと。そのとき宗男氏は、政治資金規制法違反で有罪が確定。公民権が停止され、選挙に出馬できない状態にあった。

宗男 NHKに入って仕事にも慣れて興味を持ち、ディレクターとして仕事がやっていけるという自信が芽生えたころだったようです。そんなときに「解散だ。鈴木宗男は出られない。じゃあ誰がその鈴木宗男をカバーするのか」「それができるのは鈴木貴子しかいない」というのが後援会の判断として、自分の名前が先に出たので驚いたと思います。

ただ出馬をするにあたって本人も一番胸にぐっときたのは、ある後援者から言われたことだと思うんですね。その方は私のはじめての選挙から応援してくれたいわば私の親代わりであり、貴子にとっても祖父母のような存在で、その方に病床から出馬するよう言われ、後援会長も出馬を促しに来ると。これね、私が出ろと言ったところで、出るとは言わなかったと思うんですよ。

貴子 はじめての選挙になる直前、実は翌年に希望の部署に異動ができるかもと、そのときは目標のようなものが見えてきていたんです。もちろん、パン屋の夢があったので、NHKで一生を終わろうとは思っていなかったのですが。

それ以前の選挙では、自分がやりたいからと親の応援はしたことはあるけれども、自分がタスキをかける側になりたいとか、そのための勉強もしていないので、政治の世界に入る準備はしていませんでした。それまでは地元での政治家・鈴木宗男がどう人と接し方してきたかというのは見てきましたが、永田町での対官僚とか、そうした仕事ぶりは見たことはなかったんです。

地元では「貴ちゃん行くしかない」「貴ちゃん頼む」と後援会の方に来られても、その期待に私が応えられる根拠が見えなかったんですね。仮に父から「お前、選挙に出ろ」と言われたら「ふざけるな」となったと思いますが、後援会の方でしたからね。そのとき考えたのは「これを断ったら一生北海道に帰れない」。北海道を捨てられるか、と思ったらそれはできない。それなら出馬するしかない――この1点で出馬を決めたんです。

宗男 これは一つの巡り合わせで、後援会から言われて無視できないという思いと、政治の継続性、北海道という地域性などさまざまなことを考えたうえでの結論でした。

それに何といっても、一番大切なことは本人が政治家に向いてるかどうかということです。秘書をやってる次男も、演説はうまいですし、センスもよく政治家に向いているんです。やれと言ったらやり切れると思います。でも、それ以上に娘のほうが向いているというのが一般の人の受けとめ方だったんですね。

平成17年、私が胃がんの手術をしたあとの郵政解散で、新党大地を立ち上げたときに、娘は私の体調管理をしながら、いっしょに選挙カーに乗ったりして私の身の回りの世話をしてくれたんです。これが全国的に話題になって。そうした姿を見ているものですから、後援会の人は何の心配や計算もなく、「とにかく鈴木貴子しかいないんだ」となったと思うんですね。

―― 長年、政治家の秘書や政治家として政界の表も裏も知っているなかで、その世界に娘を入れるということに躊躇はなかったのですか。
宗男 それは大アリでしたよ。戦場に送り込むようなものです。しかも、この世界は権力闘争で、私も逮捕されたわけですからね。そこに送るというのは、私にもやっぱり大変な思いがありました。

私自身もそうですが、自民党の右翼といわれた青嵐会の世話人代表を務められ、あれだけ豪傑な師匠の中川一郎先生ですら命を絶つ。松岡利勝や松下忠洋といった私もよく知っている現職の大臣も自ら命を絶った世界です。しかも、田中角栄先生や金丸先生といったキングメーカーといわれた人も力を失っていく姿を見てますから。

ただ一方で、この鈴木貴子の心の強さ、根性ややる気、情熱というのは政治家に向いてる。チャンスさえ与えてもらえればやれる、という思いは親としては持っていました。


父と娘だからラッキーだった

政治家である以上、自らの主義・主張があり、理想とする政策や実現させたいビジョンがあるはずだ。父娘といえども、そうしたお互いの考え方の違いはどのように埋めていくのか。

貴子 そういうときは“なんで攻撃”です。「なんでダメですか」「理由は何ですか」「なんでそういう結果になるのですか」……そうやって話を聞いていって「なるほど」と腑に落ちたり、逆に父から「もう、それで行け」となったりすることもあります。でも、結論が出るまでは、なんだかんだと、常にキャッチボールをしています。

宗男 いま鈴木貴子は、民主党所属の国会議員で、私は新党大地の代表です。たとえば、今後、知事選挙などで民主党の考えと私の考えがずれてしまうと、娘との間でねじれ現象が起きるかもしれない。ただ私は娘は娘の立ち位置、私は私の立ち位置でやればいいと思ってるんです。少なくとも自由主義と共産主義といったイデオロギーのぶつかりはないですから。

政治手法の違い、判断の違いというのはあってしかるべきだし、当然ですから。あまり細かくギスギスするもんではないと思っているんですね。

貴子 もし私が息子で跡を継いでいれば、男同士ということで、いろいろ自分のなかで比べて独自の色を出そうというふうに考えたかもしれません。

でも、たとえば、時に批判材料となるような鈴木宗男の特徴でもある利益誘導、地元重視という政策も私は素直に受けられるというか、私が批判を受けても「私の地元は北海道ですから」と。北海道のために働いて何が悪いのかと思いますからね。父と娘だったというのはラッキーだと思います。

兄を見ていると、言いたいことがあっても言えないというところがたくさんあるように見えます。兄は遠慮しているように見えるんですね。でも娘の私は、遠慮しないで言えちゃう。

―― 逆に、父親だから娘に対する遠慮というのはありますか?
宗男 やはりストレートにガーンとは言えませんね。息子であれば「おい、お前」となんでも言ってしまう部分はある。そこが女の得でしょう。

貴子 それが女の得というか、父親の愚かさというか、難しいところだと思います(笑)。

したたかな娘としては、やはり使えるものは全部使わないと。だから私も「鈴木宗男の娘」ということを最大限に使いたいです。国益というか、地元の発展に繋がるならそれを使わないのは損です。選挙で投票していただいた方に申し訳ない。「鈴木貴子」の名前で選挙に出ているわけですから。もしそれが嫌だったら、苗字を変えるなりしなくてはいけないと思います。

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