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2015年1月号より

売り上げ好調なのに味を変えたプレミアムモルツの「現状打破」|月刊BOSSxWizBiz

ビールへの佐治敬三の思い

毎年、販売量を伸ばし続けているサントリー「ザ・プレミアム・モルツ」

サントリーの主力ビールである「ザ・プレミアム・モルツ」は、2003年の本格発売以来、一貫して、売り上げを伸ばし続けている。

ビールや発泡酒、第3のビールなど、いわゆるビール類には毎年たくさんの種類の新商品が発売されている。しかしその中から定番商品となるのはごくわずか。ましてや右肩上がりで伸びているのは極めて珍しい。

プレモルの躍進によって、ビール4社の業界地図にも地殻変動が起こった。4位が定位置だったサントリーが、サッポロを追い抜き3位に浮上。しかも事業開始以来の悲願だった黒字化も果たした。プレモルはサントリービール史上の一大エポックとなった。

サントリーがビール市場に参入したのは1963年4月のこと。しかしそこから遡ること35年。第1次ビール進出があった。それはまさに創業社長である鳥井信治郎の「やってみなはれ」の具現化だった。

1928年(昭和3年)、当時の寿屋は横浜にビール工場を持つ日英醸造(カスケードビール)を買収、ビール事業に進出する。「赤玉ポートワイン」で儲けた資金をもとに、大正期にウイスキー事業を始めていたが、信治郎は、仕込みから商品化まで時間のかかるウイスキーと、製造期間の短いビールの2本柱による経営を考えていた。

信治郎はカスケードビールを「オラガビール」と商品名を変えて値下げをし、さらには得意の宣伝攻勢をかけることでヒット商品に育て上げた。ところが危機を感じた大手メーカーが、自社の瓶がオラガビールに使われていると裁判を起こし、寿屋は敗訴する。こうなると新興メーカーは厳しい。

しかもウイスキー事業は相変わらず大量の資金を食い続けている。そこでやむなく信治郎は、ビール事業の売却を決意する。サントリービールの最初の挫折だった。

ビール事業復活に執念を見せたのは2代目社長の佐治敬三だった。しかし63年に再参入を果たしたものの、当時の市場はキリン、サッポロ、アサヒの寡占状態にあり、そこにサントリーが割って入るのは至難の技だった。67年には「純生」を発売、火入れしたラガービール全盛だった時代に生ビール旋風を起こしたものの、上位3社を脅かすには至らなかった。

潮目が変わったのが86年。サントリーは麦芽だけでつくった新ビール「モルツ」を発売、ヒットさせる。これにより3位アサヒの尻尾をつかまえかけたが、アサヒは翌年「スーパードライ」を発売、3位の座は再び遠のいた。しかし、モルツ、ドライ、さらにはキリンの「一番搾り」など、この頃を境に、ビールの味は大きく変わり、新しい味のビールが受け入れられる土壌が整ってきた。

最高のビールを目指した

そして2003年「ザ・プレミアム・モルツ」が発売される。これはもともと樽生限定品として1989年に発売された「モルツスーパープレミアム」がもとになっている。

この商品は開発担当者の山本隆三氏が「ピルスナービールの最高峰をめざして」開発したもので、2000年には缶製品を、さらに01年からは瓶製品も発売していた。

「私も山本と一緒に世界のビールを飲み歩きました。そうやって理想の味を追い求めました。その結果、厳選された二条大麦の麦芽を使用し、欧州産の『アロマホップ』をふんだんに使用、さらには一部の麦汁を2度煮沸する『ダブルデコクション製法』やホップの香りを最大限引き出す『アロマリッチホッピング製法』などを採用することにしました」

こう語るのは、サントリー商品開発研究部シニア・スペシャリストの磯江晃氏。この間、現在の佐治信忠会長など経営陣からは、「とにかくいいものをつくれ」と鼓舞されただけで、味などに対する注文はほとんどなかったという。

そうして世の中に送り出したビールは高い評価を受ける。

「当初は限定販売でしたが、とても評判がよかった。そこでより多くの人に手にとっていただきたいと考え、プレモルの商品化へとつながったのです」

それに先立つ1994年、サントリーは「ホップス」を発売、発泡酒という新たなジャンルを確立した。このような安いビール飲料が人気を集める一方で、限定のスーパープレミアムの評価も高かった。この状況が、ビール市場は二極化しているとの判断につながった。

ただしひとつの大きな障害があった。プレモルはモルツや他社の主力ビールより小売り価格で20円ほど高い。このハードルを乗り越えて、商品を手にしてもらわなければならない。そのハードルを大きく下げたのが、05年から07年まで3年連続のモンドセレクション「最高金賞」受賞だった。これがきっかけになり、「世界最高のビールはどんな味だ」と手に取る消費者が増え、さらにはリピーターも増えていった。

実際、最高金賞受賞をきっかけにプレモルの売り上げは大きく伸びた。08年、プレミアムビールの王者として長年君臨していたサッポロの「ヱビス」を追い抜き、さらにはビール類の総量でもサントリーはサッポロを抜いた。そしてビール事業は黒字化した。プレモルなくしてこの躍進はあり得なかった。

ビール再参入を果たした時の新聞広告(1963年)。

他社の真似ではない、思い切ったことをやる。「やってみなはれ」精神が実った結果だと見ることもできる。ただしこれは、長らく最下位メーカーとして甘んじていたからこそできたことでもある。他社と同じことをやっていたのでは永遠に追いつけない。そこでチャレンジしたらうまくいった、と言うことだってできるのだ。

その意味では、12年の味のリニューアルこそ、本来の意味での「やってみなはれ」なのかもしれない。商品の売り上げが伸び続けている時に、味のリニューアルを決断するのはむずかしい。それによって既存の顧客を失う可能性もあるからだ。ビール業界でも、過去に味を変えて失敗した例はいくつもある。

それでもプレモルは挑戦した。

「さらによいものにしようと、従来の二条大麦麦芽だけでなくダイヤモンド麦芽を加えることで、より上質なコクと旨味を引き出すことに成功しました」(磯江氏)

これが市場にどう評価されたかは、12年も13年も、販売数量が増え続けていることが答えである。

「世界最高峰のビールに選ばれたといっても、お客様の好みは日々変わってきます。そのためリニューアルする準備はいつでもしています。ですから、サントリーの場合、変えることが当たり前であって、変えないでいると怒られる。そしてもうひとつ、新しく何かやろうとした時に、『それはダメだ』と足を引っ張る人がいない。だから安心してチャレンジできるのだと思います」(同)

これも「やってみなはれ」の一端だ。

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