2014年12月号より
口説き落とすテクニック
孫正義・ソフトバンク社長は、かつて「爺殺し」と呼ばれていた。まだ20代の頃から、大物経営者に真正面からぶつかり、自らの夢を語る。年輩経営者はその情熱にほだされ、支援を約束する。
ソフトバンクが急激に成長したのは、孫氏の先見性と努力によるものであることは論をまたないが、同時に、こうした先輩経営者が後押ししたことで、そのスピードが加速した。
この孫氏の、人を惹きつける能力は、大先輩たちにだけ発揮されたわけではない。むしろ歳月を重ねるほどに迫力が増しているように思える。
前稿に登場した今井康之氏は、鹿島の営業マンとしての人生に満足していた。その今井氏に対して孫氏は平然と「何が面白いんだ」と言い放った。失礼な話である。しかし結局今井氏は、その2年後、ソフトバンクに転じている。
エネルギー事業の稿に登場した三輪茂基氏も、三井物産の資源エネルギー部門で充実した人生を送っていた。孫氏の後継者を選ぶソフトバンクアカデミアに外部から参加したが、「孫正義を近くで見たい」といういわばミーハー的動機で、ソフトバンク入りなど微塵も考えていなかった。しかし「俺のそばで働け」との孫氏の言葉で陥落した。
本稿の青野史寛執行役員人事部長もそう。ソフトバンクは2004年、ADSL事業の人材を求めるため、3000人の新卒採用計画を打ち出した。当時のソフトバンクの社員数1800人をはるかに上回る。当時リクルートに在籍していた青野氏は、外部スタッフとしてこの採用に携わり、その後も人事のアドバイザーを務めていた。そこに孫氏が目をつけた。青野氏は孫氏と一対一で会った時、「地球が逆回転してもソフトバンクには入らない」と宣言した。ところが30分後、青野氏はソフトバンク入りを決めていた。
孫マジックとしか言いようのないすご腕だ。青野氏は「磁力がある」と表現するが、話をしているうちに引き込まれ、一緒に夢を見ようという気になるのだろう。
一方の孫氏にしてみれば、自らの情熱に共感するかどうかが決め手になっているようだ。それと孫氏から直接スカウトされた人に共通するのは、現在の仕事に誇りと熱意を持っていること。そういう人材にこそ、孫氏は惹かれるのだろう。
こうしてスカウトされた人材は、ソフトバンクグループの要のポジションについているが、当然、内部からの抜擢もある。ロボット事業を担当する富澤文秀氏はその1人。NTTから、まだ通信事業者ではなかったソフトバンクに転じ、多くの新規事業に関わってきた。そして今回、新会社の社長に就任した。
ロボット事業だけでなく、ソフトバンクでは様々な新規事業が立ち上がっている。その場合、リーダーを誰にするかというところからビジネスは動き始めるのだが、そうした人材をどうやって発掘しているのか。
人事部長を務める青野氏は、こう語る。
「単純ですが、やる気があるかないかですよ。そのやる気を見て、任せてみたいという人材を選ぶようにしています。そのためにも、様々なところで手を挙げられるような制度をつくっています」
ソフトバンクの人事の基本は、やる気のある人間にはチャンスを与えるというもの。社員教育にしても、座学からeラーニングまで何百という講座があるが、学ぶも学ばないもすべて個人に委ねられている。
いちばんわかりやすい例が英語教育だろう。IT企業の中には英語公用語を打ち出し、ポストごとに必要なTOEICの点数を定めているところもある。これは一種の強制であり、ソフトバンクのポリシーには似合わない。ソフトバンクは、800点以上取ると30万円、900点以上で100万円のインセンティブを与えることにした。しかも外国人でも帰国子女でも、例外なく支給する。
ビジネスに対しても同じ。やる気のある人間には積極的に機会を与える。失敗に対しても寛容だ。次のチャンスが用意される(ただし同じ失敗に対しては厳しい)。もちろん、やる気だけで事業が成り立つわけではない。個々人の評価は能力や貢献度など、様々な基準で決まっていく。そこで高い評価を得た人材に、重要なミッションを与えていく。
成功すれば、さらに高いミッションが与えられ、失敗すれば元にもどり、次のチャンスを待つ。
評価を決めるのは仕事の場だけではない。ソフトバンクでは、ソフトバンクアカデミアや、新規事業提案を募集するソフトバンクイノベンチャー制度などがある。アカデミアでは、事業プランのプレゼンなどが行われており、イノベンチャーでは、年間1000件もの新規事業のアイデアが寄せられる。それぞれ決勝大会が開かれ、優秀者は自らのアイデアやプラン・ビジョンを、孫社長ほかソフトバンク幹部の前で発表する機会を得る。これもまた、人材を評価する場となっている。
「このように、ソフトバンクにはチャンスがあふれている。やる気のある人間にとっては非常にやりがいのある環境です。でも自分から仕掛けることができる人間でないと、むしろ不幸になると、新卒採用でも学生たちに伝えています」(青野氏)
「努力って、楽しい。」
3年前に流された、「努力って、楽しい。」というソフトバンクのテレビCMを覚えている人もいるだろう。スマップのメンバーが「逆境って楽しい」「壁って楽しい」「無理難題って楽しい」と言い、最後に「努力って、楽しい。」の文字が浮かぶ。そしていま、「努力って、楽しい。」はソフトバンクに就職を希望する学生への呼びかけの言葉となっている。
ソフトバンク社内でこの言葉は、「ソフトバンクバリュー」と位置づけられている。
10年に発表された「新30年ビジョン」では、300年後も成長を続ける企業グループであることが謳われている。そのためには永続する会社のシステムと、人を育てる仕組みをつくらなければならない。
「社員には企業ブランドの価値、目指す姿を理解してもらわなければなりません。でもソフトバンクは上から下へのメッセージが少ない。バリューはそのためのメッセージです」
と語るのはマーケティング推進部部長の田原眞紀氏。田原氏はP&Gからボーダフォンに転じ、ソフトバンク買収後はリサーチの立場から、家族割サービスや女性にも使いやすい携帯端末を提案してきた。しかし、ソフトバンクのビジョンを社員ひとりひとりに浸透させる必要があると考え、有志とともに議論を重ねていたところ、ブランド推進室が誕生、田原氏はそこのシニアマネジャーを兼務している。
「努力って、楽しい。」の「努力」にはいろんな意味がある。そこで田原氏らはこれをさらに5つの言葉に落とし込んだ。(1)いちばんって、楽しい(2)挑戦って、楽しい(3)逆算って、楽しい(4)大至急って、楽しい(5)あきらめないって、楽しい――である。
実は、この「5つの楽しい」は、2年前には出来上がっていた。しかし孫氏から待ったがかかったという。「言葉遊びはいらない。俺の背中を見ながら育てばいい」というのが孫氏の考えだった。
しかし社員数が数千人だった10年前とは違い、いまでは連結で7万人を超えるまでになった。「社長の背中を見ることのできる社員は限られています」(田原氏)
暗礁に乗り上げたが、「現場の社員にこの言葉を伝えたら、涙を流さんばかりに喜んでいました。それが上に伝わって、ようやく日の目を見ることとなりました」(同)。
ソフトバンクのDNAを伝える言葉は出来た。そのDNAを持つ、やる気のある社員が活躍できる体制も整っている。ソフトバンク強さの源泉がここにある。