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特集記事

2014年2月号より

三木谷浩史の「日本改造論」

楽天の三木谷浩史社長は変心した。エリート街道をひた走り、起業してからも体制とうまく折り合い、そのインサイダーとなることで、目的を達成してきた。それが突然、アウトサイダーに変貌し、既成勢力に対して牙をむくようになった。軋轢も覚悟のうえだ。三木谷氏にいったい何が起こったのか。そうまでして、日本の何を変えようとしているのだろうか。三木谷氏の日本改造論の本質を探った。

優勝3日後に怒りの会見

11月3日文化の日、プロ野球日本シリーズで東北楽天ゴールデンイーグルスは4勝3敗で東京読売ジャイアンツを下し、日本一に輝いた。

この快挙に東北は大いに盛り上がった。2011年3月11日の東日本大震災から約1000日。復興途上にある東北の人たちに、楽天イーグルスの優勝は大きな勇気と希望を与えることになった。

楽天イーグルスが創設されたのは04年のこと。この年、大阪近鉄バファローズとオリックス・ブルーウェーブが合併を発表。1つ空いた枠を巡って、楽天とライブドアが競い合った結果、楽天に軍配が上がり、仙台をフランチャイズとする球団が誕生した。参入1年目にはシーズン97敗という屈辱的な成績も残したが、その後、戦力を整備し、9シーズン目にして日本一を勝ち取った。楽天社長にして球団オーナーの三木谷浩史氏にしてみれば、待ちに待った瞬間だった。優勝が決まった直後のパーティでも、満面の笑みで挨拶する三木谷氏の姿があった(パ・リーグ優勝の際は胴上げまでされている)。

ところがそれからわずか3日後、三木谷氏は東京・港区のホテルで厳しい表情で記者会見に臨んでいた。この会見は政府内で検討されていた改定薬事法が、医薬品のインターネット販売を一部認めない方向で進んでいることに抗議するもので、このままなら国を提訴することを明らかにした。いわば政府を相手に喧嘩を売ったようなものである。

ベンチャー経営者が好戦的なのはよくあることだ。ソフトバンクの孫正義氏は、ADSL事業を行うにあたり、NTTのあまりに非協力的態度に業を煮やし、監督官庁である総務省に乗り込み、「NTTを注意しないのなら、ここでガソリンをかぶって火をつける」とまで言った。

前例踏襲の多い日本社会は、新規参入組には厳しい環境だ。そこで新しいことを押し通すには、時には本気で喧嘩する姿勢を見せることが必要になる。孫氏の「火をつける騒動」はその典型的な例だ。この他にも、ヤマト運輸の小倉昌男元社長は、宅急便の黎明期、運輸省(当時)がなかなか認可を与えなかったために行政訴訟に踏み切っている。

楽天も、創業から間もなく17年。いまでは売上高5000億円に迫ろうかというほどの大企業に成長したが、まだまだベンチャー企業の気風を色濃く残している。それを思えば、その会社のトップが好戦的な態度を取るのも不思議なことではない。

しかし少し前の三木谷氏を考えれば、こうした行動は信じられないことだ。というのも、三木谷氏はベンチャー経営者にもかかわらず、体制とうまく折り合いをつけることで目的を達してきたからだ。

牛尾治朗(ウシオ電機会長)、宇野康秀(有線ブロードネットワークス社長)、大橋洋治(全日本空輸社長)、奥田碩(日本経団連会長)、奥谷禮子(ザ・アール社長)、金丸恭文(フューチャーシステムコンサルティング社長)、斎藤宏(みずほコーポレート銀行頭取)、鈴木茂晴(大和証券グループ本社社長)、新浪剛史(ローソン社長)、西川善文(三井住友銀行頭取)、羽根田勝夫(日本航空インターナショナル社長)、増田宗昭(カルチュア・コンビニエンス・クラブ社長)。

以上に挙げた各氏は、04年に楽天イーグルスが誕生した時に球団の経営諮問委員会のメンバーになってもらった人たちだ(社名、肩書はいずれも当時)。

錚々たる顔ぶれだ。奥田氏は時の財界総理だし、牛尾氏は経済同友会の元代表幹事、西川氏は「最後のバンカー」の異名を持った大物頭取だった。しかも財界重鎮だけでなく、新浪氏のような若手経営者も加えるなど、よくもこれほどまでバランスのとれた人材を揃えたと思えるほど、見事な人選だった。

典型的なエリート

赴任したばかりのケネディ米国大使を迎える三木谷氏。活動の場は世界に広がる。

1965年に神戸市で、神戸大学教授を務める三木谷良一氏の三男として生まれた三木谷氏は、一橋大学商学部を卒業し日本興業銀行に入行する。興銀時代にはハーバード大学に留学を許されてMBAを取得したのだから、興銀でも将来を嘱望されていたことがわかる。つまり、生まれも学歴も職歴も、典型的なエリート、エスタブリッシュメントだった。また大学時代はテニス部で部長を務めるなど体育会系の男である。礼儀正しく先輩に対する敬意を忘れない。それだけに、経済界のお歴々は、安心感を持って三木谷氏に接することができた。

楽天球団創設にあたっても、それが大きく役に立った。近鉄とオリックスが合併することにより球団が減ってしまうことをファンは望んでいないと、真っ先に新球団設立に名乗りをあげたのはライブドアの堀江貴文社長だった。この堀江氏の行動は若い世代を中心に熱狂的な支持を集めた。それがのちの「ホリエモンブーム」につながっていくのだが、それに対して楽天・三木谷氏は、堀江氏の動きを見てから手を挙げたため、「後出しじゃんけん」との批判も受けた。世間の評価では堀江氏が三木谷氏を圧倒した。しかし実際に球団創設が認められたのはライブドアではなく楽天だった。

プロ野球界は非常にコンサバティブな世界である。その世界の住人にしてみれば、どうせ仲間を増やすなら、何を考えているかもわからない堀江氏よりも三木谷氏を選ぶのは必然だった。また三木谷氏も、自分は体制側の人間であることをアピールした。その象徴が先に挙げた諮問委員会の顔ぶれだった。

経営手法も堅実だ。楽天が会社設立から十数年で5000億円企業にまで育ったのは、積極的なM&Aによるところが大きい。創業の原点のショッピングモールは別にして、金融部門や旅行サイトなどは主に企業買収によって手に入れたものだ。

特筆すべきは、楽天の場合、買収によって手に入れた企業を手放さないことだ。同じITベンチャー経営者である孫正義氏率いるソフトバンクと比べるとよくわかる。ソフトバンクがこれまで買収あるいは出資した企業の数は楽天の比ではない。ところが孫氏は、手に入れた企業を簡単に手放してしまう。ソフトバンク成長の礎になった米ヤフーなどはその典型だ。一時ソフトバンクはヤフー株の37%を保有する筆頭株主だった。ところが順次その株を売却、いまでは0.002%を保有しているにすぎない。このような例はいくらでも挙げることができる。

楽天は違う。楽天金融部門の中核会社である楽天証券、楽天銀行は、以前はそれぞれDLJディレクトSFG証券、イーバンク銀行という企業名だった。前者は三井住友銀行の子会社、後者はかつてライブドア系列やGMO系列だった。それを楽天が買収し、しばらくしてから楽天の名を関する会社となった。買収先を自然のうちに楽天色に染め上げ、グループに不可欠の存在に育てた。楽天が買収した多くの企業がこうした経緯をたどっている。

企業を使い捨てにしないこうした手法は、買収される企業に安心感を与える。同時に三木谷氏に対する信頼感につながった。ベンチャー経営者らしからぬ優等生。それが三木谷氏の評価だった。

脱ぎ捨てた優等生の仮面

ところがここにきて、三木谷氏はかぶり続けていた優等生の仮面を脱ぎ捨てた。最初の“異変”は2011年に経団連を脱退したことだった。その理由について三木谷氏は「非常に保守的・保護的になってしまったため」と説明している。しかしそんなことははるか前からわかっていたこと。最近急に経団連が保守的になったわけではない。それでも三木谷氏は経団連に所属し、日本経済の中枢たちと折り合いをつける道を選んできたはずではなかったか。

“変心”の理由について、楽天関係者は次のように語っている。

「創業当時、楽天の事業は日本市場だけが対象であり、競合も日本企業だった。だからこそ、日本の経済界とうまくやっていく方法を三木谷さんは選んだ。ところがインターネットの世界はボーダレスです。楽天も世界で勝負しなければならないし、外国企業も日本に入ってくる。そのうえで自分の戦略を考えると、日本に本社を置くのはあまりにハンディが大きい。法人税は高すぎるし規制も多い。語学の問題もある。このままでは、海外の優秀な人間を採用しようとしても、来てもらえない。企業も成長できないし、日本は世界の中で負け組になってしまう。そうならないためには国の法律、国の制度を変えなければならないことがわかってきた。

本来なら財界の重鎮がいるような大企業が率先するべきことで、楽天のような新興企業が取り組むべき問題ではない。ところが大企業は戦おうとしない。そこでやむなく、経団連を脱退し、新しい経済団体、新経連を結成したのです」

安倍政権が誕生したことも追い風になった。三木谷氏は12年秋に衆院解散が決まるとすぐに安倍氏に面談、意気投合した。結果として、安倍氏は首相に就任後、経団連より先に新経連を訪れ、産業競争力会議のメンバーに三木谷氏を選んだ。三木谷氏の主張が政策に反映される可能性ははるかに増した。

こうした一連の動きを見て、三木谷氏は権力にすり寄ったと言うムキもあるかもしれないが、それは短絡的だ。三木谷氏が応援するのは、権力者ではなく自分の主張をわかってくれる人だ。その証拠に参院選では、三木谷氏は民主党議員をも必死になって応援している。また医薬品のネット販売で国を提訴したことからもわかるように、安倍首相と親しくても、噛みつく時には噛みつく。是々非々の態度である。

三木谷氏の主張は一貫している。国が成長力を取り戻すためにはイノベーションが不可欠だということ。そのためにネット規制を筆頭に、成長を阻害する様々な規制を撤廃すべきであり、日本企業が国際的に競争できるように、法人税率を他国並みに引き下げることだ。さらにはグローバルで活躍できる人材を育成するために教育改革が必要であり、中でも英語教育に力を入れろ、といったものだ。いずれもかなり昔から言われていることであり、特に目新しい内容ではない。総論で反対する経営者はほとんどいないはずだ。

にもかかわらず、日本社会はこれまで変わってこれなかった。そしてこのままでは、いつまでたっても変われないのではないか。その恐怖心が三木谷氏を動かしている。

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