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2014年10月号より

“「カープ女子」で人気沸騰 市民球団広島東洋カープとマツダ創業家一族の関係

昨年、初のクライマックスシリーズ進出を果たし、今年もシーズン序盤からリーグ優勝を争っている広島東洋カープ。最近では「カープ女子」と呼ばれる熱烈な若い女性ファンの台頭もあって、人気が急上昇している。今季は本拠地であるマツダスタジアムの観客数も増え、1991年以来、23年ぶりの優勝に向けて邁進中だ。

広島東洋カープの「東洋」は、マツダの旧社名である東洋工業を指す。「東洋」がチーム名に入ったのは68年からだった。

市民球団を謳って設立されたカープだったが、球団設立以来、慢性的な資金不足で負債が膨らみ続けてきた歴史がある。黎明期は東洋工業はじめ広島電鉄、中国新聞社など13社が出資していたものの、球団代表は各社たらいまわしで、他球団のような明確な親会社が存在しないことによる混乱も多かったという。

経営を安定させるため、63年から球団社長に就いていた、当時東洋工業社長の松田恒次氏が球団株を集約し、68年に東洋工業と松田家が株主として名を連ね、球団名に「東洋」の文字が入ることになった。

ただ、市民球団としての体裁は保つため、東洋工業自体が赤字補填等の資金提供を行うことはなく、球団経営に積極的に関与しないことになっていた。マツダは現在で34.2%の株を保有しているが、あくまで出資者であり、直接的に球団を支援するような動きはとっていない。

東洋工業がオイルショックで経営危機に陥った70年代、当時の松田耕平社長は、経営責任を取って非創業家の山崎芳樹氏にバトンを渡すと、79年には米フォードと資本提携を結び、東洋工業における松田家の発言力はみるみる低下していった。松田耕平氏はマツダ株を手放す代わりに球団の経営権を手元に残す形になった。

現・球団オーナーの松田元氏(耕平氏の息子)は、77年に東洋工業に入社しているが、82年には退社し、83年に球団取締役に就任。父・耕平氏の死去に伴い、2002年にオーナー職に就いている。次期オーナーの最右翼と見られているのが、現オーナー代行の松田一宏氏。球団の社外取締役に就いている松田弘氏(元氏の弟)の長男だ。一宏氏は慶應義塾大学卒業後、球団に就職し、マツダへの出向も経験している。まだ34歳と若く、球団オーナーとしての帝王学を学んでいるところだ。

すでにお気づきだと思うが、株式会社広島東洋カープは典型的な同族経営の企業になっている。

株主構成を見ると、マツダ34.2%、松田元20.4%、カルピオ18.5%、松田弘12.2%、松田勢津子10.1%とつづく。カルピオは球団のグッズ販売店で、球団の子会社。実質的に松田家が約61%の株を保有していることになる(05年時点)。

カープそのものは、原爆による壊滅的被害からの復興を目指したプロ野球球団として市民球団の位置づけにあるため、筆頭株主であるマツダは口出しできない。逆に言えば、マツダによる財政的支援がないために、経営者である松田家は、赤字を出すことができない状況で舵取りをしなければならない。

市民球団でありながら、同族経営が成されていることに対する批判は根強い。しかし松田家が経営をしなければ、60年代に破綻していた可能性が高いのも事実だ。

実は、株式会社広島東洋カープは39年連続で黒字を達成している。ここ数年は売上高100億円、最終利益3億円前後で推移し、年俸総額も約20億円に抑えられている。チームの強化にカネをかけない代わりに、安定した業績を残しつづけてきたのだ。

それが変化しつつあるのが、冒頭の「カープ女子」に代表される新たなファン獲得戦略と、球団グッズ販売の拡大だ。特にグッズ販売に関してはオーナー代行の一宏氏が注力している事業でもある。

収入増は球団の強化に繋がる好循環を生み出すだけに、マツダ創業家の血脈を継ぐ一宏氏の手腕に注目が集まる。

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