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2014年9月号より

“ディズニー以外で生き残るのはどこだ?趣向を凝らして千変万化 テーマパーク かく戦えり

ハウステンボスの転落

日本のテーマパーク元年は1983年。言うまでもなく、千葉県浦安市に東京ディズニーランド(TDL)が誕生したことで、テーマパークブームが始まった。

TDLが誕生するまで日本には、テーマパークという概念がなかった。アメリカにディズニーランドがあることは知っているが、それは単なる巨大遊園地にすぎないと、誰もが思っていた。しかしTDLができて、園内を一つの世界とするテーマパークなるものが世に存在することを多くの人が知ることになった。

「ディズニーランドなんて女子供の行くものだと馬鹿にしていた。でも行ってみたら、あっという間にディズニーの世界に浸っている自分がいた」

30年ほど前、初めてTDLに行ったという30~40代の男性は、異口同音にこのような感想を漏らしていた。

それから日本全国でテーマパークの建設が始まった。時はバブル時代。しかも87年には総合保養地域整備法、通称リゾート法が成立。リゾート施設の開発が容易になったことで、勢いはさらに増した。左の表は、その中の主なものを抜き出したものだ。実際には中小含めると、この数倍の自称・テーマパークが各地に誕生した。

しかしバブル経済が崩壊し、地方経済が疲弊するに伴い、各地のテーマパークはどこも経営難に苦しむようになる。

その代表とも言えるのが、かつてはTDLと並び称されたハウステンボス(HTB、長崎県佐世保市)だった。

神近義邦氏というカリスマ経営者が心血を注いだこのテーマパークは、敷地面積152万平方メートルと、TDLと東京ディズニーシーを合わせた面積より5割も広いという広大なもので、テーマパークというより街を一つつくったようなもの。当初の計画では、開業から10年間で無料開放し、敷地内のマンションや住宅などを販売することで運営費をまかなうという構想だった。

しかし最初の10年間は年間入場者数が400万人ラインを上下していたが、その後急降下し、150万人程度にまで落ち込んでいた。当然業績も芳しくなく、赤字が常態化する。

2000年には業績不振の責任を取り、神近社長が辞任し、主導権が興銀に移るが業績は好転せず、03年には会社更生法の適用を申請した。

スポンサー企業として名乗りをあげたのは野村プリンシパル・ファイナンス。野村証券系列のベンチャーキャピタルで、HTBは野村の力を借りて再生を目指すことになった。ところが日本最大のガリバー証券会社である野村をもってしても、再建はできなかった。

HTBの最大の誤算はリピーター需要を見誤ったことだ。九州を旅した人は、「ついでに一度はHTBを見ておくか」と考える。しかし一度体験してみれば、「悪くはないけれど、わざわざもう一度行こうとは思わない」と大半の利用者は考えた。少なくとも東京や大阪など大都市圏から高い旅費を使ってまで何度も行くほどの魅力はなかった。

10年頃になると、さすがの野村もHTBをもてあまし、閉園も真剣に議論されるようになる。しかし地元にしてみれば、激減したとはいえ150万人の観光客を集める施設で、社員も1000人を超え、パート・アルバイトを含めると数千人の雇用を生み出している。経営が悪化したからといって、閉園に対して「わかりました」と言えるわけがなかった。

HIS・澤田氏の挑戦

テーマパークの王道を行く東京ディズニーランド。

そこで長崎県および佐世保市がすがったのが、エイチ・アイ・エス(HIS)の澤田秀雄会長だった。HISを日本有数の旅行代理店に育て上げ、新規航空会社スカイマークエアラインズを立ち上げるなど、観光業界に精通している澤田氏なら、誰も引き受け手のいないHTBを再生してもらえるのではないか。地元にしてみれば澤田氏は最後の頼みの綱だった。

興銀も野村証券も再生できなかったHTBである。常識的に考えれば貧乏くじのようなものだが、そういう難しい案件だからこそ、澤田氏はやる気を起こした。10年4月にHTBは100%減資に踏み切ったうえで、HISは新規発行株式の3分の2を取得、子会社化した。

澤田氏の奮戦ぶりは、多くのメディアが取り上げた。HTBに移り住み、次々と改善策を実行していった。

「気づいたのは、ナンバーワンかオンリーワンのことをやらなければダメだということでした。そこでまずやったのが、『花の王国』をつくろうと。100万本のバラをアレンジして、世界でも3本の指に入るバラ園をつくりました。これが大ヒット。特に女性客に大人気で、そこで口説いたら必ず落とせる、という伝説も生まれました。冬は花が咲かないから、代わりに光の花を咲かせようと、東洋一の720万球のイルミネーションで園内を飾った。花も光も期間限定です。そうすると、次の年にもまた来ようということになる。こうしてリピーターを徐々に増やしていった」

HISが支援をするようになり、HTBは生まれ変わった。初年度から利益を計上し、減り続けていた入場者数も上昇に転じた。前9月期には、56億円の最終利益を計上、入場者数も182万人にまで回復した。HISの連結最終利益が89億円なのだから、その6割をHTBが稼いでいる計算だ。鬼っ子と覚悟して傘下に収めたら、予想以上の孝行息子に育ってくれたといったところだろう。

澤田秀雄氏の手で再生しつつあるハウステンボス。

HTBの再建に成功したことから、経営不振に苦しんでいる多くのテーマパークが、澤田詣でをするようになった。

その中の一つが、愛知県のラグーナ蒲郡だ。

この施設は蒲郡市が中心になって、観光客誘致によって町おこしをしようとの目的で、つくられた。ヨットハーバーやアトラクション施設を持つ「ラグナシア」などが中核施設で、01年から部分開業を続け、12年に全面開業した。しかし、300億円を超える巨額な投資に見合った観光客を集めることができず、愛知県、蒲郡市の出資金は損金の穴埋めに消えてしまった。トヨタも支援し、敷地内に全寮制の海陽学園を建設したが、業績悪化を食い止めることはできなかった。

そこで頼ったのが澤田氏だった。いまだ正式発表にはなっていないが、詳細を詰めたうえで、HISが再建を引き受けることは既定路線となっている。

セガサミーの目論見

もう一つ、経営破綻したテーマパークに宮崎県のシーガイアがある。シーガイアの場合、一般的に言うテーマパークとはいささか異なっている。もともとフェニックスカントリークラブという名門ゴルフコースが先にあり、宮崎県が中心になって、リゾート法適用第1号として、ホテルと国際会議場、巨大な室内プールを併設して1994年に全面開業した。言うなればカジノを持たないIR(統合型リゾート=ホテル、国際会議場、ショッピングセンター、劇場、レストラン、カジノなどからなるリゾート施設)だ。

しかし、誕生した時にはすでにバブルは破裂しており、日本経済は奈落の底へと落ちていった。そのため2000億円の総事業費をつぎ込んだものの、毎年200億円の赤字を計上、内情は火の車だった。

結局、2001年に会社更生法を申請したが、負債総額は3000億円強と、3セクでは過去最大の倒産劇だった。

新たなスポンサーとなったのは米投資ファンドのリップルウッドだった。リップルウッドは施設内に温泉施設やスパをつくるなど、娯楽施設を増強、さらにホテル運営をシェラトンに委託するなど、ブランドイメージ増強に努めた。それでも経営はなかなか改善しなかったが、07年3月期には初めて黒字を計上するまでにこぎつけた。

そして12年3月、全株式をセガサミーHDが取得したことで、シーガイアは新たな段階に入った。

セガサミーが買収したシーガイア。

セガサミーの狙いはカジノ経営だと言われている。すでに同社は韓国でカジノ事業に乗り出しており、「韓国だけでなく日本でもやるつもり」(里見治・セガサミーHD会長兼社長)と、意欲を隠さない。前述したように、シーガイアには、カジノ以外のIRの要件がほとんど揃っている。また宮崎県もカジノ誘致に積極的で、それも買収を後押しした。

HTB、シーガイアともに、一度は経営破綻しながらも、今日まで営業を続けているのだから、あまたあるテーマパークの中では幸運なほうだ。表に記した20あまりのテーマパークのうち、閉園に追い込まれたところは7カ所にのぼる。これ以外にも、90年代から2000年代にかけて、数多くのテーマパークがつくられ、そして姿を消している。

特に地方都市が海外の国や都市と提携し、その名を借りて運営したところの多くが経営破綻に追い込まれている。グリム童話の世界を再現したグリュック王国(北海道帯広市)や新潟ロシア村(新潟県笹神村)などが代表だ。いずれも多少の異国情緒と中途半端なアトラクションという安直な作り方では、客からそっぽを向かれるのも当然だった。

変化するテーマパーク

逆に、生き延びているテーマパークは、開園当初のコンセプトに必ずしもこだわっていないところが多い。

例えば福岡県北九州市のスペースワールド。もともとこの施設は、子供たちに宇宙への夢をもってもらおうとの目的で新日鉄が主体となってつくったものだ。目玉は、実際に使われたスペースシャトルや月の石。ところが、ここも開業から時間が経つに従い、入場者数減に苦しめられる。宇宙船も月の石も、一度見れば十分なものばかりだから、それも当然だった。

そこでスペースワールドは、次々と絶叫系アトラクションを建設していく。開業2年後にできた「スターシェイカー」を皮切りに、毎年のようにジェットコースターなどのアトラクションが増えていった。アトラクションの名前こそ、「激流アドベンチャー 惑星アクア」「流星ライナー タイタン」といった具合に宇宙らしいものがついているが、特に意味があるわけではない。それでもいまでは九州最大のスリルある遊園地としての評価が定着し、この夏休みも多くの若者や子供で賑わうことが予想される。

これはHTBもUSJでも同様だ。

HTBの場合は、澤田氏が再建にあたってから、矢継ぎ早に新機軸を打ち出している。花や光で園内を飾るのはその代表だが、それ以外にも「ワンピース」展をやったり、今夏はゲームショーを展開している。オランダを模した街並みとはまるで関係ないイベントだ。

USJも当初は映画のテーマパークという明確なコンセプトがあった。すべてのアトラクションやショーは、映画の世界を再現するものだった。しかし初年度こそ1000万人を超える入場者を集めたものの、徐々に減っていったのは他稿でも触れたとおりだ。その理由は、映画関連のアトラクションばかりでは、家族連れが楽しめないことにあった。そこでUSJは批判を覚悟のうえで、戦術を大きく転換した。映画を中心としながらも、それ以外の部分を拡張していったのだ。

その代表がジェットコースターであり、子供たちに大人気の「ユニバーサル・ワンダーランド」だ。この一角にはセサミストリート、ハローキティ、スヌーピーのアトラクションが揃っている。中でもハローキティは、映画とはまったく縁のない世界のキャラクターだ。しかしそれを臆面もなく加えるところに、いまのUSJのしたたかさがある。

客の求めるモノなら、全体の雰囲気を壊さない限りなんでも取り入れてやろうという発想だ。ゲームから生まれた「バイオハザード」のアトラクションも同じ考えに基づいてつくられた。

「それではテーマパークではないではないか」と思う人も多いだろう。しかし、一つのテーマでパーク全体を統べることができるのはディズニーをおいてほかにないのも現実だ。

その意味では、定義どおりのテーマパークは日本においてはTDLだけだ。唯一無二の存在といっていい。

しかしだからこそ、他のテーマパークは、変化をしながら、来客を楽しませる努力を繰り広げている。それが日本のテーマパークを面白くしていることを忘れてはならない。

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