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特集記事

2014年8月号より

“もし新幹線なかりせば…開業50年の経済効果

サラリーマンのボヤキ

東京オリンピック開幕目前の1964年10月1日、東海道新幹線が開業した。東京~大阪間を4時間で結ぶ夢の超特急は、日本の新たな時代の夜明けを象徴していた。

それから50年。東海道新幹線の乗客数の累計は55億人を突破。その後開業した山陽新幹線や東北新幹線など他の新幹線を含めると、年間約3億人が新幹線を利用している。もはや日本人の生活は、新幹線なくしては成り立たない。それに伴いライフスタイルも大きく変わった。

開業して間もない頃、新聞や雑誌には、次のようなサラリーマンのボヤキ節や、旅好きの嘆きが、よく載っていた。

「これまでだったら大阪出張は泊まりがけで、夜は羽を伸ばすことができたのに、日帰りしか認められなくなった。新地のネオンが恋しい」

「新幹線では、駅のホームにいる駅弁売りから駅弁を買う楽しみがなくなってしまった。速いばかりで旅の風情も何もあったものじゃない」

新幹線誕生までは東京~大阪間は在来線特急「こだま」で6時間30分を要した。それが3分の2以下に短縮され、さらに翌年には3時間10分を達成したのだから、仕事のやり方も変わるのは当然だった。東京~大阪間の人の移動は、新幹線前とは比べものにならないくらいに増え、大阪に本社がある企業のサラリーマンの中には週に2、3度往復するという「ツワモノ」も現れた。

「新幹線によって移動が楽になると思ったら、むしろ回数が増えてつらくなった」(新幹線開業時に30代だったサラリーマン)

このように個人レベルでは、新幹線に対する恨みつらみも多々あったが、企業にとっては、新幹線の恩恵は計り知れないものがある。いまになってみれば、新幹線のない経済活動などありえないというのが、多くの経営者の実感だろう。

セブン-イレブン・ジャパンでは、毎週火曜日、全国約1500人のフィールドカウンセラー(FC)を集めた会議を開く。FCとは、いわば店舗指導員のようなもので、毎週、本部で店舗の改善報告や商品管理などについて議論し、各FCは持ち帰って各加盟店に情報を下ろしていく。コンビニの中でも圧倒的な業績を誇るセブン-イレブンの強さの根源のひとつである。

しかし毎週、この会議を開くことができるのは、高速で正確な交通手段があってこそのこと。遠方なら飛行機になるが、本州勤務のFCの多くは新幹線を利用している。もし新幹線がなければこのような会議は開けないし、そうなると、上から下まで同じ情報を共有するセブン-イレブンの鉄の結束も保てない。新幹線があるからこそのセブン‐イレブンの強さだと言っていい。

ビジネスだけではない。レジャーの楽しみ方も新幹線の誕生によって大きく変わった。京都に桜や紅葉を見に行くことが極めて普通のことになったのも、新幹線が開業して以降のことだ。

あるいは新幹線開業と前後して、新婚旅行のメッカは熱海から宮崎へと移った。これは飛行機の普及もあるが、それだけではなく、熱海が東京からわずか1時間で行ける場所になってしまったため、新婚旅行という生涯一度の旅行の行先としては物足りなくなったことも理由のひとつとしてあげられる。

このような例は探せばいくらでも出てくるだろう。新幹線によって日本は確実に小さくなり、日本人の行動範囲は広がり、旅の楽しみ方が変わった。いまや飛行機も利用すれば、離島や山奥などはさておき、日本中のほとんどの場所に東京から2、3時間もあれば行くことができるようになった。これもすべて新幹線があったればこそ可能になったことだ。

定時運航率は95%

時間が短縮されただけではない。新幹線でもっと評価されてしかるべきなのは、安全かつ定時に運行されていることだ。

たとえば、東海道新幹線の1本あたりの遅延時間はわずか36秒。東北・上越新幹線などJR東日本が運航する新幹線では20秒程度(東海道新幹線のほうがダイヤが過密なので遅れが出やすい)、定時運行率(定時±1分)は95%にもなる。

これがどれだけすごいことかというと、フランスのTGVの定時運航率は91%。ただしフランスの場合、13分以内の遅れなら定時運行と見なされるため、日本とはレベルがまるで違う。もし日本でもフランス式を採用すれば、限りなく100%に近づくはずだ。だからこそ、大阪でアポイントがあっても、ギリギリまで東京で仕事を続けられる。

もうひとつの誇りである安全性については、50年間・無事故と、世界随一を誇る(別稿参照)。速度についてはヨーロッパの高速鉄道のほうがはるかに速い(営業運転ではフランスTGVの320キロが最高。試験車両ではTGVの574.8キロ)。しかしこの安全性と正確性があるかぎり、新幹線は世界に冠たる高速鉄道であることに変わりがない。

50年の時を経て、いまなお新幹線が世界の最先端高速鉄道であり続けるのは、いちばん最初の設計思想が優れていたためだ。

鉄道ファンにとっては「常識」だが、新幹線計画は戦前の「弾丸列車計画」が基になっている。日本は韓国を併合、さらに満州国も樹立したため、大陸向け輸送が急速に拡大した。その大半が、下関との釜山を結ぶ関釜連絡船を使ったので、東京~下関間の鉄道の拡充が求められていた。

そこで鉄道省では、1939年に弾丸列車計画が立案された。日本の鉄道はその大半が狭軌であり、今も同様だ。弾丸列車は、広軌(国際的には標準軌)にして高速の列車を走らせようというもで、40年代には一部区間の工事が始まった。

この計画は戦況の悪化と敗戦によって頓挫するが、戦後の復興で東海道本線の乗客・貨物が増え、飽和状態に近づいたことで、新幹線計画として動きだした。

「もはや戦後ではない」と経済白書が謳った1956年、当時の国鉄の十河信二総裁と島秀雄技師長は、新線計画の検討に入った。それが、広軌で、在来線や貨物列車は走らず踏切もない専用線に高速鉄道を走らせようというものだった。翌年には国鉄の一部門である鉄道技術研究所が、「東京~大阪間3時間への可能性」という発表を行い、メディアでも大きく報じられた。その結果、日本中に新幹線への期待が高まっていった。

1964年10月1日午前6時、東京駅から大阪に向かって発車する東海道新幹線始発列車。

着工から開業まで5年半

新幹線50年史

急速に復興が進んでいたとはいえ、当時の日本はまだまだ貧しかった。そうした状況下での新幹線建設には、多額の費用がかかることもあり、反対論も根強かった。それを支えていたのがモータリゼーションの普及である。いずれ日本でも移動や運輸の主役は自動車になる。鉄道は斜陽産業であり、巨額の投資は無駄だ、というものだった。中には新幹線を、万里の長城、戦艦大和と並ぶ「三大無用の長物」だと激しく批判した人もいたほどだ。

しかし、「東京~大阪3時間」の衝撃は、反対派を黙らせるのに十分だった。何より国民が、超特急に対する強い憧れを、この時から抱くようになったことで新幹線計画は一気に動き出し、58年12月に建設計画が承認され、翌年4月に着工した。

開業が、オリンピック開幕(10月10日)の直前だったことから、東海道新幹線はオリンピックに合わせてつくられたと思っている人は多い。しかし事実は違う。オリンピック開催が決定したのは、59年5月26日に当時の西ドイツ・ミュンヘンでのIOC総会においてだった。前述のように、この時すでに新幹線の工事は始まっていた。つまり新幹線は、「日本発展のために新たなる動脈をつくる」という強い思いが先にあり、あとで開催が決まったオリンピックに合わせて、工事を急いだというのが真相だ。

それにしても着工から開業まで、わずか5年半という期間は、いまから思えば信じられないスピードだ。これは他の新幹線と比べればよくわかる。

山陽新幹線こそ、東海道新幹線と同じ5年で開業にこぎつけているが(当初は新大阪~岡山間)、東北新幹線は71年に着工したが、大宮~盛岡間が開業したのは82年のことだった。上越新幹線も同様で、ともに11年を要した。また長野新幹線(高崎~長野)は、沿線距離はわずか117キロと短いものの、89年着工、97年開業と9年もかかっている。

JR東海が建設中のリニア新幹線にいたっては、開業は2027年と、いまから13年後である。リニアの場合、日本アルプスの横っ腹にトンネルを通すという大工事が必要なために致し方ないところはあるが、同じ東京~名古屋を結んでも、片や5年、片や14年である。あまりにも隔たりが大きい。

東海道新幹線の工事期間が短くてすんだのは、戦前の弾丸列車計画に基づいてすでに20%の土地を取得済みだったことや、一部のトンネルも完成していたことが幸いした。過去の遺産の活用によって、短期間に建設することができたのだ。

1964年10月1日午前6時、東海道新幹線の始発列車は、東京駅を出発、最高時速210キロで新大阪に向かって動き出した。新幹線時代が幕を開けた。

ちなみに初年度、東海道新幹線の乗客数は1100万人。翌年には3000万人、その翌年は4300万人と、うなぎ上りに増えていった。同時に日本の成長スピードも加速していく。73年には山陽新幹線との合算で年間乗客数1億人を突破。その後、東海道と山陽の数字を分けたことや第2次オイルショックによる景気悪化もあって、1億人を下回る次期が続いたが、バブル経済が本格化した87年に再び1億人を突破。その後はコンスタントに1億人を超え、昨年度の実績は1億5481万人と過去最高となった。

また、72年には山陽新幹線、82年には東北・上越新幹線が開業、さらに北陸(長野)、九州と続き、日本の新幹線の総延長は2300キロを超える。これは2009年に中国に抜かれたものの、いまでも世界2位である。

そしてこの新幹線の発達が日本経済の活性化につながったことは冒頭に記したとおりである。

インフラ整備のお手本

よく何かイベントがあったり新しい施設ができると経済効果がいくらかということが話題になる。たとえば、来年、新函館まで開業する北海道新幹線の場合、札幌まで延伸すれば毎年1000億円、北陸新幹線の金沢延伸で200億円、リニア新幹線なら9000億円の経済効果が期待できるとされている。

では東海道新幹線がどれだけの経済効果をもたらしたかというと、あまりにも大きすぎてわからないというのが正直なところだろう。というよりも、もし新幹線が存在しなかったら、日本の姿形はまったく別なものになったはずだ。たとえば、新幹線反対派が唱えた狭軌の在来線活用による輸送力増強策が実行されていたら、いまだ東京~大阪間は4時間以上かかり、移動の手段としては飛行機が主役になっていただろう。

それはそれで航空網の発達した新しい日本になっていたかもしれない。しかし飛行機は点と点しか結ばない。新幹線のようにその沿線が発展することはない。たとえば名古屋が今日のように発展したのは新幹線のおかげである。もし飛行機が主役になっていれば、名古屋はスルーされるだけだ。東海地方で独自の発展はしたかもしれないが、いまのような大都市にはなっていないし、もしかするとトヨタが世界一の自動車メーカーになることもなかったかもしれない。

それだけに、国家のインフラを整備する時には、長期的な視点と想像力、そして確固たる信念が必要になる。50年余前、国鉄の十河総裁、島技師長が信念を貫かなかったら、いまの日本はない。また、日本の産業発展史を研究し尽くしたうえで全国に高速鉄道網を敷設し続ける中国も、違う道を選んだかもしれない。

50年たっても、いまだ「新」幹線といい続けて違和感がないのは、それだけ新幹線の根底に流れる思想・哲学が、先進的でいまなお色褪せないためだ。新幹線こそ、国土創生の最大のお手本と言っていい。

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