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特集記事

2013年8月号より

ディズニーランド30年で攻勢当面は好循環で死角なし

産業競争力会議での存在感

「産業競争力会議に点数をつけるとしたら80点」
と語っているのは楽天の三木谷浩史社長だ。

koboを発売、新たな領域に踏み出した楽天・三木谷浩史社長。

日本の今後の成長戦略を論議する産業競争力会議は、6月12日に最後の会議を開いたが、その中でもっとも積極的に発言し、注目を集めたのが三木谷氏だった。

「三木谷さんが話し始めると、場が一気に緊張する。今度は何を言うのか。出席者一同、固唾をのんでいた」(出席者の1人)

産業競争力会議の民間議員は、長谷川閑史・経済同友会代表幹事や佐藤康博・みずほフィナンシャルグループ社長、坂根正弘・コマツ会長など、錚々たる論客が顔をそろえているが、その中でも三木谷氏の存在感は抜きん出ていた。

三木谷氏が同会議で訴えたのは、徹底した規制の緩和である。その代表が、医薬品のネット販売の解禁であり、結論は出なかったが、正社員解雇の自由化だった。そしてその背景にあるのは、企業が自由に競争できる環境さえ整えれば、世界でそのポジションを失いつつある日本企業が、世界の舞台で勝負できるとの思いである。

これまでにも三木谷氏は、ことあるごとに自分の考えを発信する「モノ言う経営者」だった。しかし最近は、その発言内容がより過激になってきたようにも見える。

冒頭の発言もそのひとつだ。産業競争力会議には8人の産業界出身議員がいるが、ここまではっきり、その成果について論評した議員はほかにいない。

舞台は産業競争力会議だけではない。三木谷氏は自らが立ち上げた経済団体、新経済連盟でも活発な発言をしており、その活動はメディアにもよく取り上げられる。財界総理こと経団連会長の米倉弘昌氏などより、よほど存在感がある。安倍首相も、米倉氏より三木谷氏をはるかに信頼しているようで、新経済連盟のシンポジウムの前夜祭にまでかけつけている。この蜜月関係が三木谷氏の発言に重みを与えている。

「三木谷さんがなぜ企業の活動の自由度を上げる運動をやっているかというと、いま日本が変わらなければ、日本の産業界がダメになるとの熱い思いがあるからです。彼は1996年に楽天を設立、売上高4000億円を超える企業グループにまで成長させた。でもその一方で、もっと自由に企業活動ができれば、もっと大きくなれていたはずだ、との思いがある。しかも企業の国際間の競争は、今後もっと激しくなる。楽天の社長としても、いま攻めないでいつ攻めるんだとの思いもある。規制によって手足を縛られたままでは、戦いたくても戦えない。だからこそ日本を変えようと必死になっている」(楽天関係者)

この発言にあるように、楽天は創業17年で大きく業容を拡大した。業務内容も、楽天市場というインターネット上のショッピングモールからスタートし、いまでは金融、旅行など多岐にわたる。しかしその一方で、黒船・アマゾンの力はますます増していて、世界のEコマースを飲み込もうとしている。その危機感たるや相当なもので、対抗するには自ら打って出て、攻めて攻めて攻めまくるしかないと三木谷氏は考える。

事業面では、昨年、電子書籍端末「kobo」を7980円で売り出すなど、従来とは違う形でユーザーへのアプローチを始めている。また、kobo発売にあたってはイー・アクセスと提携したのだが、その発表会見で三木谷氏は、将来の通信ビジネスへの参入にも含みを持たせた。直後にイー・アクセスはソフトバンクに買収されたため、イー・アクセスを橋頭保に通信ビジネスに進出することはできなくなったが、三木谷氏の将来ビジョンの一端がのぞけた瞬間だった。

全社員に英会話習得を義務づけるなど海外進出にも力を入れている。一昨年にはフランスのプライス・ミニスターというEコマースの会社を買収、次いでアメリカのバイ・ドットコムも傘下に収めた。Eコマースビジネスは猛烈な勢いで変化を続けていく。このレースに勝ち抜くには休んでいる暇などない、というのが三木谷氏の言い分なのだろう。

世界同一賃金の衝撃

三木谷氏と同様、強い危機感を持って走り続けているのが、ユニクロを展開するファーストリテイリングの柳井正社長だ。

同社の前8月期の売上高は9286億円。今期1兆円を達成する可能性は高い。8年ほど前、売上高がまだ4000億円程度の時代に柳井氏が1兆円の目標を掲げた時には、荒唐無稽とも思えたものだが、いよいよそれが現実のものとなってきた。

ユニクロの出店スピードはとどまるところを知らない。

いまスピードを落とせば、世界のファストファッションの競争から脱落してしまう。それが柳井氏の危機感の根底にある。だからこそ、2003年に自ら社長に引き上げた玉塚元一氏を、わずか2年で解任するという挙にも出ている。

柳井氏からバトンを受けた玉塚氏は、それまでの全力疾走による歪みを正そうと考えた。そこで走るスピードを若干緩めたのだが、それが柳井氏には許せなかった。アクセルを踏みながらでも歪みを治すことはできるし、そうでなければGAPにもH&Mにも敵うはずがない。そう考えた柳井氏は社長に復帰、以来いままで、以前にも増して強くアクセルを踏み続けている。

当然軋轢も生まれる。柳井氏は今年4月、朝日新聞のインタビューで、「世界同一賃金」を目指すことを明らかにした。同じ規模の店の店長なら、先進国でも発展途上国でも、賃金を同一にするというのだ。同じ成果を挙げれば同じ給与を払うのは当然というわけだ。賃金水準の低い途上国のユニクロで働く社員にとってみれば朗報だろう。頑張りによっては、現地ではありえないほどの報酬を得ることができるからだ。しかし日本で働く社員にしてみれば、途上国の水準にまで給料を下げられる可能性もあるわけだから、心境たるや複雑だろう。

事実、柳井氏はこのインタビューで、「将来は年収1億円か100万円に分かれて、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く新興国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円のほうになっていくのは仕方がない」と語っている。ただでさえユニクロの社員の労働環境は過酷であり、ブラック企業呼ばわりされることもしばしばだ。それでいてなおかつ給与が100万円になると聞いたら、このままユニクロで働き続けていいのか不安になるに決まっている。

実際、この柳井氏の発言は、大きな話題を呼び、同時に批判も巻き起こった。日本企業の経営において、社員は株主よりはるかに大事であって、社員の繁栄なくして会社の繁栄なし、が「常識」となっている。柳井氏の発言は、その常識を根底から覆すものだ。

それでも柳井氏は挫けない。「グローバルビジネスは『grow or die』だという信念がそこにあるからだ。座して死を待つことほど経営者として愚かなことはない。成長するためには全速力で走り続ける。それがユニクロをここまで大きくさせた最大の要因であり、いまさらこの方針を捨てることなどできるはずもない。

年齢とともに増す過激さ

柳井氏はすでに64歳だ。これまでの経営者は、若い頃は過激なことを言っていても、年齢と経験を重ねるごとに丸くなり、その発言も徐々におとなしくなっていく人が大半だった。ところが柳井氏は違う。年齢を重ねれば重ねるほど、むしろ発言が過激になってきた。海外店舗がどんどん増え、外資のファストファッションと戦う場面が増えるにつれ、柳井氏の苛立ちは強まり、同時に、日本人に対して、なぜそんなこともわからないのかと嘆いているようにも思えてくる。

これは三木谷氏も同様だ。2004年に楽天球団が設立された時のことを思い出してほしい。あの時、球団経営に真っ先に名乗りをあげたのはライブドア率いる堀江貴文氏だった。

若者は堀江氏の行動に快哉を叫んだが、球界や経済界には、「金で買えないものはない」に代表される、その言動への反発が強かった。しかし門前払いしたのでは国民の反発を買うし、かといって仲間に入れればかき回されるのは間違いない。そこに後出しじゃんけんで手を挙げてくれたのが三木谷氏だった。球界関係者は救われた思いだった。

東大中退で起業した堀江氏とは違い、三木谷氏は一橋大学卒業後、興銀に入り、ハーバードでMBAも取ったエスタブリッシュメントである。財界の中にも、トヨタの奥田碩会長や三井住友銀行の西川善文頭取(いずれも当時)が応援団を結成、財界挙げて三木谷氏を支援した。

「堀江君のようなわけのわからない人に球団を持たせるわけにはいかない。三木谷君も同じITベンチャー経営者だけれど、堀江君と違って変なことはしないという安心感がある。この違いは大きいよ」

これは当時の財界古老の言葉である。新球団がライブドアではなく楽天になったのは必然だった。

このように、三木谷氏といえば財界のお歴々ともうまく折り合える術を持っていた。ところが、最近の三木谷氏は、けっして安心してみていられる存在ではなくなってきた。

ちょうど2年前の11年6月、楽天は経団連に退会届を送付した。楽天が経団連に入ったのは球団設立と同じ04年だったから、わずか7年間しか加盟していない。

退会の理由は、「電力業界を保護しようとする姿勢が許せない」というものだった。東日本大震災後、電力行政を根本から見直そうという機運が起こったが、その後、急速に衰えた。三木谷氏は経団連が旧体制維持を後押ししていることに腹を立て、経団連退会を決意したのだ。同時に以前に設立したeビジネス連合会を、新経済連盟へと名称変更し、ネット企業以外にも問戸を開放した。こうすることで三木谷氏は、アンシャンレジームに三行半を突き付けたのだ。それからの活躍は前述のとおり。

三木谷氏は現在48歳。もはや青年社長と言える年齢ではなくなった。ただし、この加齢は、三木谷氏にプラスに働いているように見える。もはやどんな発言をしても「若造」扱いされることはなくなった。

前言撤回の常習犯

三木谷氏、柳井氏を挙げたら、ソフトバンクの孫正義社長を取り上げないわけにはいかないだろう。

孫氏こそ、「攻める経営者」日本代表といっても過言ではない。あまりにも無謀な攻めを行った結果、何度となく「危機説」が流れた。孫氏はその危機さえも、攻めることで乗り切った。

ソフトバンクの前3月期の売上高は3兆3783億円。設立は1981年だから、年間1000億円ずつ売り上げを伸ばしてきた計算になる。日本産業史上、この短期間でこれほどまでの成長を遂げた会社はない。営業利益も、今期9000億円を超えることは確実で、そうなると次は利益1兆円である。いま日本に利益1兆円企業はトヨタとNTTしか存在しない。そこに、まだ新興企業といっていいソフトバンクが仲間入りする。これも、30年間、攻め続けた成果である。

孫氏のすごさは、時として平気で前言を撤回するところにある。

2008年、ソフトバンクは何度目かのピンチに陥っていた。リーマン・ショックの影響で、多額の有利子負債を抱えるソフトバンクの経営が不安視されたのだ。ソフトバンク株は売られ、一時は1000円を割り込んだ(現在は5000円強)。

この時、孫氏は、今後は巨額の投資はしないと明言した。そしてその決意が固いものであることを示すためにこう続けた。

「私は10代の時に人生50年計画を立てた。20代で業界に名乗りをあげ、30代で資金をため、40代で大勝負。50代で事業を完成させ、60代で継承する。これまでこの計画を一度たりとも破ったことはない。事業を完成させるというのは、自分のつくった借金をゼロにするということ。それまでは大型投資はしないし、借金がゼロになったあとは毎年のキャッシュフローの範囲内で投資を行っていく」

実際それからしばらくは、おとなしく借金の返済を続けてきた。しかし、根っからの攻撃型経営者が、そのままでいられるはずがなかった。

昨年夏、孫氏はイー・モバイルの買収を発表。これによりソフトバンクは携帯電話の契約台数で業界2位のauに肩を並べると胸を張った。この買収は株式交換方式によるものだから、ソフトバンクの負債が増えることはない。ところがその1週間後に、今度は米携帯大手、スプリント・ネクステル社と買収交渉に入ったことを明らかにした。この交渉は現在も続いており、間もなく正式に米国の認可が下りるはずだが、そうなるとソフトバンクは、ボーダフォンを買収して携帯に参入した時と同様、2兆円の借金を背負うことになる。元の木阿弥である。あの「人生50年計画を破ったことは一度もない」というセリフはいったいなんだったのか。

でも、これこそが孫氏らしいと言えばそれまでだ。

確かに、いままで誰が、米国の携帯電話3位企業を買収しようと考え、それを実行に移せただろうか。おそらく孫氏以外夢想だにしなかったはずだ。

借金返済を公言してからの孫氏が、「守りに入っていた」ことは、自らも認めている。それ以降、ソフトバンクはiPhoneのおかげで大きな利益を上げ続けるのだが、企業としての魅力は、正直薄れていた。しかし、スプリント・ネクステル買収によって、再び孫氏に精気が満ちてきたかのように見えるのは気のせいだろうか。

こうしたアグレッシブな動きは、時として攻撃されることもある。原発事故後に太陽光発電への本格参入を決めた時、「政商」呼ばわりされたのもそうだった。しかしそれでも、孫氏が動くことによって物事が始まることもまた事実。ブロードバンド時代の到来も、ベンチャー企業の上場も、孫氏がいなかったら、かなり遅れていたはずだ。孫氏の「攻め」が、日本社会を変えてきたことは間違いない。

破天荒な三菱マン

サラリーマン経営者の中でも気骨ある、攻める経営者は数多い。三菱ケミカルホールディングスの小林喜光社長はその筆頭だ。

三菱グループと聞くと、それだけで「堅い」イメージがある。社員も真面目で均一で、企業としても手堅いところが多く、冒険をしない。はっきり言って面白くない。

ところが小林氏は普通の三菱マンとはかなり違う。「せっかく生きるなら、元気よく楽しく、かつ大暴れして疲れたなと言って死にたい」と言うほど破天荒な性格だ。

経営に関しても剛腕を発揮している。

社長に就任したのが07年4月。その年の10月に田辺三菱製薬、08年4月に三菱樹脂、10年4月に三菱レイヨンを傘下に収め、売上高3兆円を超える日本最大の化学メーカーをつくりあげた。規模の追求はそれでやむことはなく、売上高5兆円、利益4000億円の目標を掲げているが、そのためにも今後ともM&Aを繰り返していくはずだ。その点も、三菱グループの中では異色である。小林氏は、復活した経済財政諮問会議メンバーにも選ばれたが、それも、三菱マンらしからぬはっきり物を言う姿勢が評価されたからだ。

トヨタは今年、初の「1000万台超え」を目指す。

サラリーマン社長とは言えないが、トヨタ自動車の豊田章男社長も、一見地味に見えるが、攻める経営者の1人である。

社長としての出だしは最悪だった。米国でトヨタ車のリコールが発生、就任から半年後の2010年1月、米下院の公聴会に呼び出され、吊るし上げをくった。この時は、日本国内のメディアに「子供社長」と揶揄されもしたが、この時の経験が、章男氏を一段、たくましくしたようだ。

東日本大震災の直後には、東北に工場を建設することを決定。その素早い判断と、東北に対する最大限の支援は、評判をとった。

リコール問題によって一時は米国での販売が低迷したが、その傷もいまは癒え、今年の世界販売台数は、1000万台の大台を突破する見込みである。世界一企業を背負いながら、着実に成果を出し続ける。トヨタの歴史を見ても、企業が守りに入った時は、確実に販売台数やシェアを落としている。トヨタ車がいまなお伸び続けているのは、章男氏が守りに入っていない証拠である。

攻めの経営こそが、企業を活性化させ、日本を元気にする。バブル崩壊からここまで。日本はひたすら身を縮め、北風に耐えていた。しかしこれからの時代、北風は常に吹き続ける。その北風をついて、戦い続ける経営者こそが、企業を発展させることができる。次稿では、本誌が認定した、戦う経営者10人を掲げた。いずれも、これからの時代を担う猛者ばかりだ。

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