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特集 長生き商品&長寿ブランド|月刊BOSSxWizBiz

あらゆる環境で気軽に楽しむウォークマンが広げる音の感動|月刊BOSSxWizBiz

創業者の鶴の一声

ソニーが「ウォークマンR」を世に出したのは、いまから39年前の1979年のこと。来年には40周年になる長寿ブランドだ。

この初代ウォークマンの「プロジェクトリーダー」はソニー創業者で、当時会長 兼 CEOだった盛田昭夫氏。外で音楽を聴くという携帯音楽プレーヤーの生みの親の1人である。きっかけはもう1人のソニー創業者の井深大氏が、自ら飛行機内で音楽を聴くため、小型でステレオ再生ができる機器の開発をソニーの技術者に依頼したところから始まる。この試作機を使ってみて商品化を決断した盛田氏は、従来の小型カセットテープレコーダーから録音機能とスピーカーを取り除き、代わりにステレオ回路と小型のステレオヘッドホンジャックを搭載するといった、既存技術を応用して新しいスタイルを創造する形でウォークマンを世に送り出した。

録音機能がない機器が売れるわけがないという社内外の反対はあったが、盛田氏は全責任を負うことを明言し、ゴーサインを出す。結果的にウォークマンの「“いつでも”“どこでも”手軽に音楽を楽しむ」コンセプトに加え、そのファッション性は若者を中心とするユーザー層の絶大な支持を受け、大ヒット商品へと成長した。

それから約40年、ウォークマンは世界的なブランドとして展開されているが、外で音楽を聴くという体験の提供から、さらに一歩踏み出し、新たな世界観を構築しはじめている。ソニービデオ&サウンドプロダクツでウォークマンのプロジェクトリーダーを務める佐藤朝明氏は次のように語る。

ラインナップを前にウォークマンの音へのこだわりについて語る佐藤朝明氏(左)と佐藤浩朗氏。背景に並ぶのは歴代ウォークマン。

「ウォークマンのミッションとして、世の中に対して何をしなければいけないのか。音楽を聴く環境をどれだけ広げられるのかが1つの大きなポイントだと考えています。初代ウォークマンは外で音楽を聴くという新しい体験を提供し、その環境を築いてきましたが、いまや外で音楽を聴くことは当たり前になっています。それに対して、何ができるか。

いまウォークマンでは、ハイレゾ音源など高音質で音楽を楽しめるモデルもありますし、Wシリーズではジョギング中に聴くだけでなく、水泳をしながら聴くことができます。ありとあらゆる環境で音楽を気軽に楽しめる世界をウォークマンが広げることは、メッセージとして世の中に示していかなくてはいけない。私たちは音楽を聴くライフスタイルの敷居を低くしていかなくてはいけません。小学生ではハイレゾのウォークマンは買えないかもしれませんが、一番小さいSシリーズなど、音楽を聴く最初のステレオとして、音楽を聴く楽しみに気づいてもらう。そこが重要かなと思っています」

ソニーはウォークマンで携帯音楽市場を牽引してきた存在だ。しかし、スマートフォンで気軽に音楽を聴ける時代になり、デジタルオーディオプレーヤー自体が危機的な状況に陥りつつあった。ところが、である。現在はスマホで聴くユーザーとデジタルオーディオプレーヤーで聴く層に棲み分けが起こってきており、スマホからの乗り換えも確実に増え始めている。そのきっかけとなったのがハイレゾの登場だ。

455グラムのウォークマン

スマホのおかげで音楽が身近になった人が増え、ヘッドホン・イヤホン市場は急成長。一方で、音楽が身近になればなるほど、スマホの音質に不満を抱く層が増えてきている。その不満にハイレゾで応えたのがウォークマンだった。

「2013年にハイレゾ対応のウォークマンを出しましたが、価格は税込み約7万円と従来のものとは大きく変わるものでした。それまでのウォークマンは軽く小さく作って、高くても4万円、下は1万円を切る価格。音質のためだったらコストという観点は1回外していいから、何をしたら音がよくなるのかを検討してもらいました。

約7万円もするウォークマンが本当に売れるのか、心配だったのですが、発売してみたら予約が殺到して3~3カ月ほど品切れが続くほどヒットしました。音のよさを、お客様は求めていたことがわかったんです。15年には約12万円のモデル、16年にはさらに音をよくしたフラッグシップモデルとして約30万円のウォークマンを出しましたが、それでも手に取っていただける。このモデルは金色のシャーシで、それは無酸素銅の塊から削り出してつくり、金メッキをしている。基板がこのシャーシにきちんとねじ止めされているところがポイントで、ソニーがホームオーディオで培ってきた技術などもポータブルに適用して、究極の形に作り出しています」(佐藤朝明氏)

ウォークマンは創業者の熱意から始まった。

フラッグシップモデルのNW-WM1Zの重量は約455グラムと、携帯しづらい数字になっているが、購入者の評価は高い。

「ソニーストアなどでWM1Zは重いよねという話をしていると、他のお客様から『大丈夫ですよ』とポケットからWM1Zが出てくる。重さに対して、この音質なら納得できると、持ち歩いてくださっている方は多いです。15年にアルミシャーシのZX2を約12万円で出しました。その後の検討でアルミの純度を上げてみたら、音はよくなるのですが、柔らかくなって削りにくくなることがわかりました。削りにくいのであれば銅で作ってみようとなったのがWM1Zです。金色もデザインの金色ではなく、接触抵抗を低くするための金メッキで、他の材質(色)を使うと音が変わってしまう。サイズも大きくなりましたが、電池の性能が上がったこととメモリの容量がすごく上がったことで、ハイレゾという大きなサイズのファイルを持ち歩けるようになりました」

こう語るのは商品設計でエレクトリカルエンジニアを担当する佐藤浩朗氏。ウォークマンの音のスペシャリストだ。ソニーとしては「ソニーは、ハイレゾ。」を謳い、戦略的にグループとしてハイレゾ商品のラインナップを揃えている。ソニーはもともとオーディオからヘッドホンまで自社で開発し、さらにコンテンツも所有していることで、ハイレゾコンテンツの提供側にも回ることができる。いい音の追求は、聴く側にとって初めての体験に繋がっており、ソニーの新しい顧客開拓に繋がっている。

「ウォークマンではアンプにこだわりがあって、『S‐Master HX』と呼んでいるフルデジタルアンプをウォークマン用に半導体に落とし、ポータブルに実装させています。アンプと言っても周辺回路が重要で、上のクラスになるほどリッチな設計になっていますが、ウォークマンのいいところは、フラッグシップ用に開発した技術の中で小さくて軽くできる部分を汲み取って、Aシリーズなど他のクラスにも展開しているところで、シリーズ全体の音がよくなっています。音質に関わる部分はホームオーディオのハイレゾ商品群の部品と共通で使ったりしていて、非常に連携は強いです」(佐藤朝明氏)

CDの音も“別モノ”に

ハイレゾ対応のウォークマンだが、購入する層は20~50代まで幅が広く、聴いている音楽もJポップやアニメソングと多様だ。さらに80年代、90年代に買ったCDを改めて聴き直す人も多いという。

「CDも大切にしなくてはいけないと思っていまして、CD音源もきちんと再生ができてこそのハイレゾプレーヤー。実は多くの人がCDのファイルをMP3などに圧縮して取り込んで聴いているため、CDの持つ本来の音を聴いていない場合が多いんです。ハイレゾ対応の性能があるからこそ、CDをロスレスのフォーマットで取り込み直すことでCDの音も細かい音までちゃんと聴くことができます。従来では考えられなかったことですが、いまはAシリーズでも、CD系とハイレゾ系のサンプリング周波数にそれぞれ最適化したクロックを2個積んでCDもハイレゾも楽しく聴けるようにしています。入門機だからこそ、マジメにちょっとでもいい音を届けようと取り組んでいます」(佐藤浩朗氏)

記者も体験したが、従来のCDの音源がまったく違った聴こえ方をする。この感動はやはりソニーの上層部にもしっかり届いた。

初代ウォークマン(左)とフラッグシップモデルの「Signature Series」。

「約30万円のモデルは、さすがに少々やり過ぎたかなと思っていました。試作機をつくって上の者に聴いてもらったところ、すごいな、でも重いなと(笑)。最終的には社長の平井(一夫氏、現会長)のところまで行って、『すごいな。ぜひ、やれ』と。ゴーがかかった時点ではコストは見えなかったのですが、音って本当に説得力がある」(佐藤朝明氏)

初代ウォークマンも商品化ありきの開発だったとか。ソニーのこだわりも健在だ。

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“世代を超えて扱いやすい商品へ続くパッケージの進化|月刊BOSSxWizBiz

軍事利用から生活必需品

食品包装用ラップフィルムのことを、すべてサランラップと思っている人は多いかもしれない。「サランラップ®」は旭化成では数少ないB2C商品の1つで、1960年から発売され、58年の歴史を持つ長寿商品の1つだ。

このラップフィルムの歴史を紐解くと、時代は1900年代初頭まで遡る。もともとはアメリカで軍隊が活用したフィルムで、ジャングルなどの湿地帯で銃や弾丸を湿気から守るために使われたのが主な用途だった。ところが戦後、ポリ塩化ビニリデン製のこのフィルムには活用用途がなかったという。

その後、フィルム製造メーカーのラドウィック、アイアンズの両氏が妻を伴いピクニックに出かけた際、妻がフィルムにレタスを包んで持参したところ、その場で話題になったという。2人はクリング・ラップ・カンパニーを設立し、開発に着手。ダウケミカル社から樹脂のロールを取り寄せ、サランラップが完成した。ちなみにサランラップの商品名は2人の妻であるサラ(Sarah)とアン(Ann)にちなんで命名されたそうだ。

下から順に1960年の発売当初、66年以降、93年以降、2008年以降、2014年以降に使われたデザイン。

日本では旭化成がダウケミカル社と提携し、52年に合弁会社の旭ダウを設立、60年に販売を開始している。

「発売当初は、一般家庭の冷蔵庫の普及率がまだ10%ほどの時期で、常温での保存が一般的。価格も1本7メートル巻きで100円と、現在なら1000円以上にあたる非常に高価なものでした。売れない時期がしばらく続いたそうです」

こう語るのは旭化成ホームプロダクツ マーケティング部コミュニケーション企画グループの片山洋希氏。サランラップが市場に受け入れられた経緯を次のように語る。

「大きく寄与したのは2つありまして、1つは冷蔵庫です。65年くらいから急速に普及しはじめ、それに伴ってサランラップの価値が評価されるようになりました。70年代になり、冷凍庫も冷蔵庫に常備されるようになってきまして、冷蔵保存から冷凍保存に幅を広げた訴求ができるようになっていきました。もう1つが、75年ごろから電子レンジの普及で2度目の伸長期を迎えました。81年には電子レンジの普及率が40%を超え、レンジでの加熱調理用途も訴求できるようになり、現在まで拡大しています」

冷蔵・冷凍保存と加熱調理との両方に訴求できたのは、ポリ塩化ビニリデン製フィルムの特長が大きく寄与している。耐冷性と耐熱性の両方に優れた素材だったことは、現代社会の生活にしっかりフィットし、広まるべくして広まったと言えるだろう(マイナス60度~140度まで使用可能)。

また、一般家庭の生活に入りやすいよう、パッケージについても幾度となく改良が施されている。

「発売当初はグレーを基調として、いかにも化学会社が作ったような商品というイメージでした。食品に関わるものですから、キッチンに合ったようなデザインを取り入れていかなければならないと、親しみやすい黄色をモチーフとしたデザインに変更していったのです」

ユーザビリティを重視

66年に黄色を基調としたパッケージとなり、90年代からはデザインだけでなく、ユーザビリティも考慮したパッケージへとリニューアルしている。

「最初の大きな転機は、93年のリニューアルで、パッケージの外側の角にむき出しで付いていた刃をパッケージの開け口の内側に付けるようになったことです。パッケージの外側に刃があると、握った時に手が刃に触れてしまうことがあるため、刃の位置を変えることで安全性を向上させました。

フィルム自体は、密着性やハリ、コシなど、お客様もある程度満足されているレベルまできていると思いますが、パッケージに関してはこれからもユーザビリティを上げていくつもりです」

そんななか、2014年のリニューアルはイメージをガラリと変えるデザインになった。従来の黄色を基調としたパッケージから、サイズに合わせて色を変えるという大胆な変更を施している。

パッケージの進化について語る片山洋希氏。手前はキャラクターの「たぶん、クマ。」と新パッケージ。

「サランラップと言えば黄色、というイメージがついたなかで、14年は大きくパッケージデザインを変更しました。近年、キッチンは隔離されたスペースではなく、対面式のキッチンが増えてきたこともあり、部屋の中に馴染むデザイン、置いても景観を損ねることなく明るい気持ちになるようなデザインに変更していこうという方針で、特に若年層の方にも受け入れていただきやすいパッケージにしようという思いがありました。

ただ、デザインを大きく変えると最初はサランラップと認知されず、苦戦しましたが、広告宣伝やキャラクターを活用することで訴求し、いまではデザイン変更前よりサランラップとしての認知率は高くなってきています」

キャラクターであるカラフルな彩りの「たぶん、クマ。」はCMにも登場し、商品の幅広い世代への訴求を担っている。また、「サランラップに書けるペン」といった関連商品も登場。

「『サランラップに書けるペン』は水性ペンなのですが、ふつうの水性ペンではフィルムに書くとインクが弾かれてしまったり、水に濡れるとインクが落ちてしまうのですが、このペンは乾くと水に濡れても落ちにくく、安全性に配慮したインクを使用しています。サランラップで食品を包むと同時に、作る人の気持ちや食べる人に対して思いを伝えるなど、コミュニケーションが取れるようにという思いがこもった商品です。

今年もリニューアル

これらの取り組みもあってか、17年のサランラップの家庭用ラップフィルムの売上シェアは50%に近づいている。今年はさらにリニューアルを施し、勢いを加速させる構えだ。

「今年の春から、順次、新パッケージにリニューアルしています。ようやく7月に主要サイズの切り替えが終わりまして、いまは市場の9割が新しい商品に切り替わっています。ただ、まだお客様にはほとんど知られていない状況で、8月半ばから本格的に訴求を開始します」

今回のリニューアルのポイントは大きく3つ。生活者にとってはより切りやすく、より使いやすいパッケージへと進化している。

弾丸を守るフィルムが食品を守るサランラップへと変化。

「1つ目が、刃の形を直線型からM字型に変えました。M字型にしたことで、両端と真ん中の3カ所の先端に力が集中するようになり、従来の40%の力でフィルムを切ることができます。2つ目は、開封した時に、最初に引き出すテープを引き出しやすくしました。引き出しテープの摘みが見つけやすくなり、また両端のフィルムを折り込むことでスムーズに引き出しやすくなりました。3つ目がパッケージを細くし握りやすくしました。1辺を2ミリほど細くすることで、パッケージの開け閉めなど、様々な動作が行いやすくなっています。調査によると、商品を選ぶ際に重視するポイントの1つは切りやすいことなので、今回のリニューアルで大幅に改良されましたので、より選ばれるラップになることを期待しています」

フィルムについても改良は行われてきたが、生活者にわかりやすいのはやはりパッケージによるユーザビリティ。58年間にわたって、進化を続けている。

近年では災害での節水時に、水の使用を減らすために皿にラップを敷いて盛り付けるなど、災害グッズとしての使用も増えてきているとか。軍事物資だったフィルムが食品を保存するために転用され、生活の必需品になってきたことはストーリーとしても興味深いものだ。

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経営者インタビュー

ブロックチェーンで目指す「あたらしい経済のかたち」

鈴木清幸 アドバンスト・メディア会長兼社長

肥後彰秀 日本ブロックチェーン協会(JBA)代表理事 ガイアックス執行役
ひご・あきひで 2001年ガイアックス入社。技術部門の組織運営、技術基盤部長を経て2016年より現職。16年ブロックチェーンサミットのオーガナイザー。経済産業省ブロックチェーン検討会委員。シェア経済サミット登壇。17年総務省ブロックチェーン活用検討サブワーキンググループ構成員。18年6月よりJBA代表理事就任。

2018年6月22日。金融庁からある業務改善命令が下された。対象は金融庁登録済みの「仮想通貨交換業者」6社。内容は業者により異なるが、共通する主眼はリスク管理体制へのテコ入れだ。

その業務改善命令の対象に、業界大手の取引所「ビットフライヤー」が含まれていたことも、仮想通貨界隈を騒がせた。同社は新規顧客受け入れを停止してまで、体制改善に乗り出すことになる。そして、同社の加納裕三社長は業界団体「一般社団法人 日本ブロックチェーン協会(以下、JBA)」の代表理事を、自ら辞任した。「ブロックチェーン(分散型台帳)」は仮想通貨の基幹技術としてよく知られるが、その技術を活用する事業者団体のひとつが、JBAである。

 仮想通貨業界の大物である加納氏がトップを降りたJBA。その長を継いだのが、今回取材した肥後彰秀氏だ。肥後氏は仮想通貨交換業ではない、シェアリングエコノミー(共有型経済)事業を積極的に進めるガイアックスの執行役だ。新代表の抱負と「仮想通貨だけではない」ブロックチェーンの可能性について、話を聞いた。

「JBA」って何だ?

―― 2008年にビットコインおよびブロックチェーンが発明され、日本初のビットコイン取引所「マウントゴックス」の開設が10年。同社が不正アクセスにより約65億円の被害を受け、経営破綻したのが14年でした。この事件でネガティブな形で仮想通貨に注目が集まりました。同年、法整備への協力や自主規制ガイドラインの作成を目的とした業界団体「日本価値記録事業者協会(JADA)」が発足。これは仮想通貨(当時は通貨として認められず「価値記録」と呼んでいた)の信頼回復と健全化が狙いで、加盟企業もビットコイン交換業等5社のスタートでしたね。
そのJADAを、仮想通貨に限らずブロックチェーン技術全体の発展を促進するため16年に改組したのがJBAです。事業者の声を集め、国への政策提言、意見表明、各種法整備への協力のほか、仮想通貨交換業の認定自主規制団体を目指していました。しかし、今年4月に設立された「日本仮想通貨交換業協会(JVCEA)」が認定自主規制団体を目指し、JBAはブロックチェーンに改めてフォーカスし、国と事業者をつなぐ役割を主に担っていきます。特に、事業者間の活発な交流の「場づくり」に注力していきます。

―― ブロックチェーンの業界団体には、ほかに「ブロックチェーン推進協会(BCCC)」がありますよね。JBAとBCCCはどんな関係なのですか? 意見対立などがあるのでしょうか。
現在、両協会で何か示し合わせてはいませんが、協調していくなら私は、今が良い契機かなと思っています。対立はありませんよ(笑)。BCCC副代表の杉井さん(靖典氏・カレンシーポート社長)には、今回JBAの理事にも入っていただいていますし。

―― 会員企業の棲み分けはどうでしょうか。JBAはブロックチェーンの金融利用、BCCCはそれ以外という違いがあるとか。
いえ、あえて言うなら適用分野ではなくスタンスの違いでしょうか。JBAは会員の声を集めて政策提言や産業振興を目指す面が強いのですが、BCCCはユーザーグループと位置付けていらっしゃる。各社の開発及び運用のノウハウを持ち寄り、共有することを目的にしている、という認識です。

ブロックチェーンをシェアエコに

―― 仮想通貨の普及を大きく後押しした加納氏の後任に、仮想通貨交換業でないガイアックスから代表理事が選出されたことに驚いた方もいると思います。立派な上場企業(市場は名証セントレックス)ですが、改めてガイアックスの事業とブロックチェーンの関係、JBAとの関わりについて教えてください。
ガイアックスは、ソーシャルサービスやシステム開発のほか、シェアリングエコノミー(物・サービス・場所などをユーザーが共有・交換して利用する仕組み。シェアエコ)に注力している企業です。ライドシェア(ユーザー同士が車に乗り合わせて移動する)の「notteco」、ミールシェア(料理教室を通して家庭料理をシェア)の「Tadaku」などのシェアエコサービスの立ち上げ、投資の支援、サポートなどをしています。現在主流である企業が人を雇用してサービスを提供しお金をもらうというBtoCの経済とは異なる、ユーザー間によるCtoC取引のシステムを広めようとしているのです。

当社では15年頃からシェアエコとブロックチェーンの相性がいいと考え、活用を模索してきました。JBAには16年の改組時から加入し、当社代表の上田(祐司氏)が理事に就いていました。私は当時から上田のサポートとしてJBAに関わっており、今回の代表理事拝命を受けたという流れです。

ブロックチェーンは、一般には仮想通貨と表裏一体の技術とみられています。間違いではないのですが、その性質の捉え方次第でさらに活用は広がります。

公共の場所に置けるデータベースと考えた場合、データの形式をそろえることができれば、サプライチェーンで処理を連結させ、自動化できます。きわめて改ざんしにくいため、行動履歴の記録にも向いている。またエスクローや契約、支払いまでを含む取引が自動化された「スマートコントラクト」の実現にあたっても可能性が大きいでしょう。

―― 具体的には、ブロックチェーンをどのようにシェアエコに役立てるのでしょうか。
BtoCからCtoCへ、と言っても、すぐには実現しません。現状では、CtoCの取引を行うプラットフォームをBが運営しているという形ですよね。
いまはプラットフォーマーがサービスを提供するユーザーのサービス品質をある程度は担保しないといけない。ユーザーがユーザーを選ぶ手助けや、支払いの仲介も必要です。こうしたプラットフォーマーの持つ機能を、いきなり自動化することはできない。BtoCからCtoC+プラットフォームの形態に進化した後に、やっとプラットフォームが不要になり、CtoCが完成する。そのフェイズでブロックチェーンによるスマートコントラクトが有用なのです。

商品やサービスの品質が企業によって担保されないCtoC取引では、何を信頼して取引相手を選べばよいのでしょう? そこで指標になるのがユーザー同士の評価、レビューです。ユーザーがお互いの行動をもとに評価し合う機能を持っていることはシェアエコではきわめて重要です。

こうした「個人」の行動に紐づくデータベースと、ブロックチェーンは相性抜群です。ある人がサービスに参加するとき、まったくレビューのない状態では信用ゼロで、取引できないかもしれない。しかし、その人が他のサービス内では評価を得ている場合もあるでしょう。そこでレビュー評価がブロックチェーンによって記録されることにより、複数のサービスで共有されるとしたら、非常に有意義です。

―― 個人と紐づいた情報といえば、戸籍やマイナンバーなどが思い浮かびます。これらもブロックチェーンで管理できるのでしょうか。
それに関しては、私自身はあまり積極派ではないんです。ダイレクトにセンシティブな情報より、レビュー評価など二次的な情報を書き込んで共有したほうがいい。マイナンバーなどをブロックチェーンに置くにはまだ技術的な検証が足りていないし、個人がその情報をコントロールする権利がしっかり持たれている状態にしておくべきだと考えます。

―― ブロックチェーンが信用の根拠を示す手段として普及したとき、たとえば銀行のように信用を担保することで成り立っている機関は、どうなるのでしょうか。
「信用」にもいろいろ意味含むところがありますよね。個人に紐づく行動の履歴などから生み出される信用はブロックチェーンによって分散化が進んでいっても、世の中の信用がすべてユーザー側からカバーできるわけではないと思います。第三者機関によって担保される信用や、組織間の信用のツリー構造などは残されるのではないでしょうか。

ただし、ブロックチェーンによって信用を表現する方法が増え、現在企業や機関が担保している信用とのウエイトは将来変わっていく。そのための技術開発や法整備について、業界内で活発に議論しながら発信していく必要がある。その「場」をつくっていくことが、JBAの役目です。

正直、貢献者である加納さんの後の代表理事で恐縮していますが(笑)、頑張っていきますよ。

(聞き手=本誌・祢津悠紀)

経営戦記



加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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問い合わせ殺到のQRコード決済 日本でも進むキャッシュレス化 アララ社長 岩井 陽介

中国では当たり前のように見られるようになったQRコード決済。日本ではまだまだ現金での支払いが主流のなか、QRコードを開発したデンソーウェーブとアララが高セキュリティを実現した決済方法を提案した。

中国では急成長

今年3月に行われた「リテールテックJAPAN2018」で、デンソーウェーブのブースに登場し、注目を集めたのがQRコードRを活用したキャッシュレス決済技術だった。これは電子マネーなどのソリューション事業を手掛けるアララの決済技術と、デンソーウェーブが開発したセキュリティ機能を高めたQRコードの技術をもとに共同で開発するもので、本格的に導入されればスマートフォンを使った決済の幅が大きく広がることになるという。アララ社長の岩井陽介氏は次のように話す。

QRコード決済について解説するアララ社長の岩井氏(右)と取締役の竹ヶ鼻氏。

「これまで日本では、磁気カードやSuica、楽天EdyなどのICチップを使った電子マネー決済が主流でした。ところが世界的にスマートフォンが主流になり、QRコードを読み取ることで決済ができるようになっています。Felica(フェリカ)チップを使わず、低コストでキャッシュレスのシステムができることで、中国などで非常に伸びてきています。中国ではAlipay(アリペイ)とWeChat Pay(ウイチャットペイ)の2つに集約され、お店は初期の導入費がかからないため、小さなお店でもQRコード決済が伸びてきています」

今回、展示されたものは、POSで金額を打ち込むと、レジのサブ画面にQRコードが表示され、それをユーザが自分のスマホで読み取り、タップすることで決済が終了するというものだ。ただし、中国などで使われているQRコードとはセキュリティ面などで大きく異なる仕様となっている。

「今回、提供させていただいたのは、デンソーウェーブ社が独自開発した『フレームQRR』やセキュリティ機能を持つ『SQRCR』を活用したもので、有効期限付きのワンタイムQRコードにすることでより安全性を高めています」(岩井氏)

従来のQRコードは、デンソーウェーブが1994年に発表し、仕様を公開、誰でも作成でき、誰でも使える環境になっている。そのため中国では、偽のQRコードを利用したなりすましや詐欺事件など、悪用されるケースも発生した。アララ取締役の竹ヶ鼻重喜氏は決済のセキュリティについて次のように話す。

「中国ではお店に貼られたQRコードをユーザが読み込み、金額を打ち込んで決済ボタンをタップし、決済完了の画面を店員に見せることで支払いを済ませるスタイルを取り入れている店舗があります。ところが、お店に貼っているQRコードの上に偽物のQRコードを貼られ、ユーザがスキャンをしたら別の個人の口座に送金されるという事件が実際に起きました。

フレームQRは、デンソーウェーブの専用デコードエンジンでなければ読むことができません。さらに通常のQRコードはアプリ内のエンジンが解析するのですが、フレームQRではいったん通信をしてサーバーでデコードをし、それをスマホに戻しています。つまりサーバーにログが残るのでいつ誰がどこでデコードをしたのか、きちんと発行したQRコードなのか、サーバー上でチェックできる仕組みになっています。また『SQRC』もサーバー通信しますが、これはふつうのQRコードリーダーで読めば『A』という表示しかされませんが、専用のリーダーで読めば裏側の『B』という情報も読めるものです。偽造をしようにも表面の『A』しか読めないため、改竄ができない仕組みになっています」

デンソーウェーブとアララが共同開発したQRコードリーダー「Q」のダウンロードはこちらから。

サーバーと通信することで、お店側とユーザ側がともに確定することができ、電子レシートが発行され、履歴も残るという。ユーザがタップして送金した情報が、その場でレジにも届き確認できるのが理想だ。

日本ではカードにしろスマホアプリにしろ、Suicaや楽天Edyをはじめ、Felicaチップを採用した電子マネーが一般的だ。しかしQRコード決済を前提にした決済方法も増えてきている。NTTドコモの「d払い」はスマホに表示されたバーコード(QRコード)を見せて店側に読み取らせる形、Origami Payはレジ側のQRコードをユーザが読み取って決済する形を採用した。楽天ペイ、LINEペイなども実店舗での決済はバーコードあるいはQRコードを使っており(d払いと同じ方式)、仮想通貨のビットコインでもビックカメラなどで買い物をする際はQRコードを使った決済(Origami Payと同じ方式)が採用されている。

「内閣府の『未来投資戦略2017』では27年6月までにキャッシュレス決済比率を4割程度に増やす発表がされるなど、日本自体がキャッシュレスを進める動きになっています。キャッシュレス化が進めば店舗のオペレーションも簡略化され、便利な世の中になるはずです」(竹ヶ鼻氏)

「我々の提供するハウス電子マネーサービスに繋げることもできますし、クレジットカード、デビットカード、口座引き落としなど、複数の手段に対応することを想定しています。外国人観光客も増え、お店も様々なペイメントに対応しなければならないなか、QRコードを使うことで煩雑さを減らせるソリューションを提供していきたいですね」(岩井氏)

QRコード決済で、日本にもキャッシュレス化の波が一気に押し寄せることになるかもしれない。

        レジ横の画面に表示された「フレームQRR(R)」を読み込む。                 ユーザが支払い確定のタップをすることで決済完了。

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【BOSS×WizBiz】日中を股にかける「ブッ跳び主婦」の半生

大江 正孝 サンプラスチック社長

宮本ゆかり マザーハート社長
みやもと・ゆかり 1965年生まれ。84年ソニー入社、90年に結婚し、専業主婦に。93年、中国人の夫と共にマイウェイ技研を設立。子供を連れて中国に逆単身赴任などを経験。2012年マザーハート設立。通称「ブッ跳び主婦」。日本プロスピーカー協会認定シニアプロスピーカー。著書に『日本を元気にしよう』(ジーオー企画出版)、『ブッ跳び主婦、会社を興す』(シーエイチシー)、『ブッ跳び主婦、北朝鮮に行く』(新風社)など。

── マザーハートの事業についてお話し下さい。
セミナーや講演を通して、効果的なプレゼンの方法を伝えています。顧客は主に中小企業の経営者や個人事業主です。

事業をするということは、社員の採用からビジネスパートナーとの関係づくりまで、たくさんの人を口説いていくことでもあります。そこで事業のビジョン・理念・目標を明確に言語化して伝える力が必須なのです。いいものを持っていても、それを伝えられなければ埋もれてしまう。

一般的なプレゼンテーション講座は、綺麗によどみなくしゃべるとか、話し方・見せ方・間の取り方といった「デリバリースキル」を重視したものが多い。アナウンサーを目指すなら綺麗に話す必要があるでしょうが、私のプレゼンの目的は事業で成果を出すこと。訛っても、噛んでも、結果が出せればいいし、人の心をつかんで協力を得るために、逆算して話を組み立てる技術をつけてもらいたい。この「シナリオ設計スキル」に特化しているところが、ほかのプレゼンセミナーとは異なるところです。

そして、話を組み立てるためにはまず「あり方」が必要です。なぜ、この事業で成功する必要があるのか? 究極的には、どう生きてどんな死に方をしたいのかという問題にも行きつくかもしれません。その「あり方」も一緒に探っていきます。

夫を助けるため奮起

── なぜ、現在のような事業を始められたのですか?
私はもともと富山県出身で方言を持っていたこともあり、人前で話すことがコンプレックスだったんです。ですから話が苦手な人の気持ちがわかるし、話が伝わらない原因もわかるというわけです。

そんな私が、どうしてプレゼンや交渉をするようになったのかをお話しするには、私の夫について説明する必要があります。私は、夫の事業をアシストするために、実業の世界に入ったのです。

私の夫は中国人で、鄧小平の時代に日本にやってきた国費留学生です。当時中国はほとんど鎖国状態で、夫は日本の首都の名前もわからないまま留学してきました。大学卒業後に日本でエンジニアとして就職したあと、脱サラしてベンチャーを起業したいと考えます。それが1993年頃。私は専業主婦で、1人目の子供が生まれたばかりでした。

しかし問題が起こります。起業のための資金は用意できたのですが、当時、中国人は銀行に口座を開けないし、オフィスのための物件も借りられなかったのです。日本も中国人に対して厳しい警戒があった時代でした。

そこで、私が会社の立ち上げに駆り出されることになりました。経営のことなど何も知りませんでしたが、夫を助けるために一から勉強をはじめたわけです。

なんとか会社を立ち上げることができ、最初はエンジニア向けの回路設計支援ツールを開発。私は売り込みに回りました。夫の大学時代のツテをたよって大学の研究室などに納入してもらい、そこから電機メーカーにも納入が広がっていきます。

── その事業のなかでプレゼン能力が身に付いたのですね。会社が軌道に乗ったあとは、専業主婦に戻ったのですか。
創業12年目に3人目の子供に恵まれ、育児に専念するため現場を離れました。

その子が2歳になった2006年、会社が中国に進出することが決まりました。しかし夫は日本を離れることができない。再び私の出番です。子供たちを連れて、上海に現地法人立ち上げのために渡りました。

── ハードな決断だったと思いますが、中国語は話せたのですか?
「你好」「谢谢」「再见」だけですね。言葉より、一番心配だったのは子供の健康です。日本に比べれば衛生的ではないし、住んでみて改めて感じる不便さもありました。

中国語を勉強しつつ、日本人のコミュニティから人脈をつくり、夫の親族の力も借りて、夫が中国に来られる拠点を築くことができました。2番目の子が日本の中学に受験を希望したことを機に帰国したのが2010年です。

異文化が教えてくれたもの

── まったくパワフルな経歴ですね。ユニークな日中友好のかたちでもあります。
一緒に働いてわかったことは、中国人から見ると、日本人は本音と建て前があって腹から通じ合えない人種というイメージを持たれているということです。中国人はある種ストレートで率直。こちらも本音で話し、一個人として付き合う姿勢で向かえば、向こうからも心を開いてもらいやすくなります。一方で、日本の精神性を忘れてはいけないと強く思いました。上海の現地法人では、社員に掃除の大切さや誠実なふるまいなど、日本の美徳を教えていました。

仕事以外にも、上海に在留時はさまざまなことがありました。上海万博(10年)に日中の母親を中心としたイベントを主催しました。帰国後もライフワークとしてそのつながりを継続する活動をしています。

帰国して2年後の12年、マザーハートを設立しました。会社は夫が日中を行き来しつつ事業を展開し、日本法人は別の社長が務めているという状況ができあがっていたので、私は改めて自分の仕事を持ちたくなったのです。

そのときに思いあたったのがプレゼンテーションでした。私には技術のことはわからないけれども、経営にあたってさまざまな立場の人に事業を伝え、どうすれば協力してもらえるかはわかっています。その方法をお伝えしようと考えたのです。

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