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50代ビジネスマン 危ない病気との向き合い方 三井記念病院の髙本眞一院長|月刊BOSSxWizBiz

50歳で表れる体の変化

40歳を過ぎると、それまでのように体に無理が利かなくなったと感じることが増えてくる。階段で息切れしたり、疲労が抜けにくいといった生活のなかでの変化はもちろん、内臓の痛みや関節の痛みといった通院が必要な身体的な変化も表れてくる。それが50歳を過ぎればなおさらだ。

しかし、40~50代は、会社で言えば、責任あるポジションでもっとも働かなくてはならない世代だ。経営者をはじめ、役員、執行役員、部長といった役職を背負っている人が多い。いま自分が倒れたら会社に迷惑をかけると使命感を感じて仕事をしていることだろう。

加えて、子供が10~20代前半という、まだ手のかかる世代でもある。学費や家のローン等々、大黒柱として決して倒れることが許されない立場にあるため、わが身を犠牲にしても働くことを厭わない、無理が積み重なっている人も多いのではないだろうか。

だが、無理をしすぎて本当に倒れてしまっては本末転倒になる。社会復帰できればよいが、命にかかわってしまっては、仕事どころか子供の成長すら見られない。残された家族を誰が支えるのだ、という視点で、50歳前後から見た健康と疾患について考えてみたい。

厚生労働省が発表した「平成27年人口動態統計」によると、日本人の死亡原因の上位は第1位が「がん」、2位が「心疾患」、3位が「肺炎」、4位が「脳血管疾患」、5位が「老衰」だった。

これらの疾患は加齢的な要因とともに、生活習慣の要因も大きく、やりようによっては寿命、あるいは健康寿命を延ばすことも可能だ。仕事に追われて生活習慣に気を遣っていられないという真面目な仕事人もいるかと思うが、ここはあえて、倒れて急にいなくなるほうが不義理であるということを指摘したい。家族や職場に迷惑をかけないためにも、自分の健康に言い訳をつくるべきではない。まずは知識として、疾患について学んでみよう。

40~50代にかけて、身体にはどのような変化が起こっているのか、心臓血管外科が専門で、三井記念病院の院長を務める髙本眞一医師に話を聞いた。

体の変化について語る三井記念病院の髙本眞一院長。

大きな変化は血管に表れる

── 40~50代というと、まだまだ働き盛りですが、加齢によって、どのような変化があるのでしょう。
だいたい30~40歳くらいまでは、まだまだ元気です。実際は、老化は30歳くらいから始まっているのですが、30代のうちは出てきていません。40代後半から50代に出てくるのが「動脈硬化」です。誰でも赤ちゃんの頃というのは、血管はすごく柔軟です。それが加齢とともに、悪玉コレステロールが血管に溜まったり、血圧が上がったりといった要因で、血管が細くなったり、硬くなったりといったことが起こります。動脈硬化によって血管も弱くなりますから、「大動脈解離」といった病気も出てきやすくなります。

── 動脈硬化がさまざまな疾患の原因になるということですか。
動脈硬化が進むと、心臓なら「狭心症」、「心筋梗塞」。脳なら「脳梗塞」といった疾患が起こってきます。そのベースとして「高血圧」がありますし、「動脈瘤」が出てくる可能性も高まります。こうした血管の病気をいかに防ぐかが、健康で長生きできるコツということになります。

── 50歳を前後して血管に変化が表れる理由はあるのですか。
実際は、30歳くらいから少しずつ変化しているんですよ。それが表に出始めるのが、50歳前後。いかに動脈硬化を防ぐかというのは、生活習慣によるところが大きいです。例えば食事だと、動物性の脂を食べると、悪玉コレステロールの値が高くなります。焼肉でもステーキでも脂のところは美味しいですよね。まったく食べるなとは言いませんが、できるだけ脂のところは食べ過ぎないようにしたほうがいいですね。

でも青い魚はいいですよ。トロなどの赤身は脂が多いですが、そんなにたくさんは食べないでしょう? お肉よりは魚のほうがいいですね。もちろん野菜もよく食べて、適当な運動をすることです。そうすると悪玉コレステロールが少なくなりますから、動脈硬化になりにくくなる。加齢による動脈硬化もありますが、その進行スピードを遅くすることになります。

── 仕事をしていると、付き合いで飲みに行くことも多くなると思いますが、お酒はどうでしょう。
お酒だけなら、それ自体が原因で動脈硬化になることはありません。しかしながら、飲みすぎると肝臓に影響しますし、脱水症状を起こしたりします。また、つまみで塩辛いものを食べたりするので、高血圧になる可能性も高くなります。飲みすぎないようにすることが大事です。

── 適度な運動も、平日はなかなか時間が取れないという人が多いようです。
体を動かすというのは非常に大事で、しなくなると血管だけでなく体自体も衰えます。それでも東京都内で働く人はまだマシです。通勤で歩きますし、駅の階段を上ったりしていますからね。地方の人はクルマで移動しますから、運動が本当に少ない。若いうちは感じませんが、年を取ってからのアクティビティに違いが出てきます。

厚生労働省「平成27年人口動態統計」より作成

── 残念ながら動脈硬化が進んでしまった場合、心疾患は髙本院長の専門ですが、どういったところから気をつければいいのでしょうか。
食事等に気をつけて狭心症や心筋梗塞にならないことが大事ですが、もし階段を上った時などに、ちょっと胸を締め付けられるような痛みを感じた場合は、病院に行って検査を受けてください。CTスキャンで冠動脈がきれいに見られるようになっていますから、だいたいの状況はわかります。

その際、気をつけてほしいのは、病院や医師によっては、すぐにステント(管腔内部から広げる医療機器)を入れようとすること。緊急性がある場合や、血管の狭窄が1~2カ所ならそれでもいいかもしれませんが、ステントは局所療法にすぎません。動脈硬化はそれ以外のところにも起きているわけで、別のところが狭くなったり詰まったりする可能性は高い。バイパス手術のほうがそのような場合でも長生きのためには有効です。

ステント手術は3日間、バイパス手術は2週間くらいの入院ですので、ステントを選びがちなのですが、ステントは毎年、検査や入院が必要になりますので、長い目で見ればバイパス手術のほうが入院日数自体は少なくなります。心臓も内科と外科で意見も変わりますから、セカンドオピニオンでいろいろな話を聞いたほうがいいと思いますね。

── 心臓ですから、医者に言われれば患者のほうもつい言われるままになりかねませんね。
近年はステントがバイパスの20倍くらい手術件数が多いです。狭窄率の低いものでも行われている。ちょっと全体的にステントをやり過ぎでしょうね。患者さんのためになっていないことも見られます。そういうことにならないためにも、心臓については動脈硬化を起こさないようにすることです。
40~50代だと、その後の人生が30年40年とあるわけですから、どんなに仕事が忙しくても、年に1回くらい休みを取って人間ドックを受けることをお勧めします。時々は心電図を取ったり、超音波の検査をしたほうがいい。心臓は具合が悪くなると、心肥大を起こすこともありますから、レントゲンを撮ってもわかります。ドックではそういう指導もしてくれますから、40歳を過ぎたら受けるようにしたほうがいいですね。

── 自分の体の状態を知っておくということですね。
そうですね。加えて、がんも早く見つければ治ります。遅ければ転移があって治らなくなる。抗がん剤も昔よりはよくなりましたけど、すべてが治るわけではありません。初期のうちに見つけて対処するのがいちばんです。

さらに付け加えるなら、ドックに行く時は奥さんも連れて行く。男性は会社の検診を強制的に受けさせられますが、専業主婦は検診を受けていません。ドックも圧倒的に男性が多いのが実情で、女性は少ないのです。女性は乳がんや子宮がんなど、40代から増える病気もあります。心臓と脳の病気、それからがんを防げれば、病気の3分の2くらいは防げる。年に1回、ぜひ休みを取って、奥さんと人間ドックに行く日をつくってください。

(聞き手=本誌編集長・児玉智浩)

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将来、家族、いきなりわく不安  ままにならない心と体|月刊BOSSxWizBiz

セカンドキャリア研修が引き金に

田中さんの第一印象は、少し疲れた俳優の堤真一さん。けれど、180センチを超える身長と体格の良さはいかにも男らしく、若かりしころはモテただろうなという感じです。大学時代にはアメリカンフットボール部に所属して、仲間とともに練習に励んでいたそうです。高学歴に加えて、体育会系の心身の強さは、就職時の採用ポイントのひとつにもなったでしょう。

そんな田中さんが相談にやってきた最初の理由は、「もの忘れがひどくなってきた」というものでした。

そのころ、職場では管理職への昇格が叶わず、部下だった女性が上司になったといいます。さらに、セカンドキャリア研修を受け、「もう自分の役目は終わってしまった感じがする。居場所がない感じがする」ということでした。

一生懸命働いて手に入れた自宅にすら居心地の悪さを感じていました。というのも、自宅を購入するときに妻の両親の援助を受けていたからです。なんとなく、妻に対して頭が上がらないような気持ちがあったのかもしれません。そして、一人息子は中学受験の真っ最中。妻は息子の勉強にかかりきり。寝転がってテレビを見ることにさえ、気が引けていたようです。

この年代の男性は、年下の女性社員をまだまだ「女の子」と呼んでしまうような世代。田中さんの口からも何度も「女の子」という言葉が発せられており、女性を上司として認めることに、なかなか気持ちがついていかなかったと考えられます。

HAM-Dを実施してみると、うつの症状が強かったため、産業医の先生を通して心療クリニックにも通ってもらいました。同時に、おカネのかからない、でも体を動かせる趣味を見つけるようにすすめました。

9カ月くらいカウンセリングに来ていた田中さんの様子が明らかに変わってきたのは、彼がマウンテンバイクを買ってからでした。休みの日に、男友だち数人と多摩川の上流までツーリングするようになったというのです。みんなでツーリングすることで、体育会時代の状態に近いことを体感できた。これが落ち込み気味だった更年期を明るい気持ちにさせる大きな要因になったと思います。

COUNSELOR'S EYE

田中さんのように、かつては男らしく遊び、男らしく仕事をしてきたタイプの人こそ、更年期に陥りやすいといえます。少し上の世代は、経済逃げ切り組で、うまく資産運用して夫婦仲良く老後を過ごしている。しかし、この年代は、バブル期には社会や女性からちやほやされていたにもかかわらず、その後は男としての居場所がなくなる一方……、そんなふうに感じる人が多いようです。

更年期をうまく乗り越えるためには、田中さんのように学生時代と同じような経験ができる趣味を見つけることは有効だと思います。ちなみに、自転車はおカネがかからないだけでなく、一人乗りの乗り物。奥さんから浮気の心配をされることもなく、更年期にはもってこいの趣味といえそうです。

特集 働き盛りの男たちが陥る「更年期」というエアポケット

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経営者インタビュー

まずは国内での成長が重要 飲料分野は海外にも軸足 尾賀 真城 サッポロホールディングス社長

尾賀 真城 サッポロホールディングス社長
おが・まさき 1958年12月2日生まれ。東京都出身。国学院久我山高校を経て、82年慶應義塾大学法学部卒。同年4月サッポロビール(現・サッポロホールディングス)入社。97年東京支社流通営業部長、99年市場開発本部流通営業部担当部長、2002年ビール事業本部マーケティング部サッポロブランドグループリーダー、03年純粋持ち株会社に移行、04年から06年まで近畿圏本部、北海道本部、首都圏本部で支社長や流通営業部長などを歴任し、09年執行役員に就任して北海道本部長、10年取締役兼常務執行役員営業本部長、13年社長に就任。17年1月サッポロホールディングスのグループ執行役員社長に就き、この3月末の株主総会後の取締役会を経て、代表取締役社長に就任予定。座右の銘は「人生一度きり 今この瞬時を生きる」。趣味は読書、旅行。

ブランド力をさらに磨く

── 酒税法改正に伴って、ビール系飲料にかかる酒税は3段階に分けて10年がかりで行われる見込み(2020年から26年にかけて。現在、ビールにかかる酒税は77円、発泡酒が47円、第3のビールが28円。これが26年には一本化されて54円に統一される予定。伸長中の缶チューハイは28円から35円へ)ですが、まず、今後に与える影響はどう考えますか。
どちらかといえば、この変化の激しい時代に10年もかけるのかということと、段階的にということなので、要はお客様にとってみると、酒税が上がったのか下がったのか、わかりにくいんですね。最終的に、10年後に1本化した時にはお客様にもわかりますが、それでも10年かかる話ですから。まずは、我々は常にお客様に向き合い、常にブランド力を高めていく努力をしていかなければいけないと思います。

発泡酒も新ジャンル(=第3のビール)を出して、これまで戦線を拡大してきましたが、もう一度、サッポロビールの何たるかをお客様にわかっていただくには、やはり(看板ビールの)「ヱビス」であり「黒ラベル」であり、あるいは赤星の「ラガービール」や「サッポロクラシック」など、当社のビールをお飲みいただき、美味しさをご理解いただくことが一番、重要なことです。

もう1点、ビール業界は商品の量を売る産業ではありますけど、それだけではなく、1杯をいかに美味しく飲んでいただくかとか、時代の変化に合ったご提案に変化させていくことが大事で、その積み重ねに尽きます。今後、(ビール系飲料の)総需要が前年比でかなり上にいくというのはなかなか難しいと思いますが、既存ブランドを育てつつ、クラフトビール的な商品も含めて新しいご提案をしていくと。

── クラフトビールに関しては、キリンビール同様、サッポロでも別会社のジャパンプレミアムブリューを持っています。
たとえば米国では、ものすごくクラフトビールのマーケットが広がり、全体に占める比率も増えていますよね。ただ、日本と米国との比較でマーケットが根本的に違うのは、日本はビールメーカー4社で、年間のトータルでは90前後もの新商品が出るわけです。要は、すごくきめの細かいマーケティングをやっていて、それぞれの季節に合ったビール、あるいは地域に合った商品とか、いろいろな提案をしているということが挙げられます。

一方で、米国のビール市場はスタンダード商品があると、そのライト版など、数種類しか広がりはありません。その点、日本はすでにクラフトビール的な商品提案をずっとやってきたといえるでしょう。派生商品を含めて選ぶ選択肢が多いのです。

我々には、北海道に開拓使麦酒醸造所があって、ここは本当に小ぶりな生産ロットなので、だからこそできる、北海道の地域だけで売るようなこともずっとやってきています。

メーカーの名前を冠した、細かい商品をクラフトと呼ぶこともできますが、定義がはっきりしていませんので、当社ではもっと細かく、あるいはもっと小ロットでという対応をしていきたいですね。ですから、クラフトビールであればたとえば、3000ケース(1ケースは大瓶20本換算)とか5000ケースしか作りませんとか、今回の生産分は完売で終了しましたとか、そんな形でもいいと思っています。

── そうした全体の積み上げの結果として、もう一度、往年のシェア20%に戻していこうと。
シェアありきではないと思っていますけど、さりとてシェアは低いより高いほうがいい。お客様の支持の結果としてシェアが生まれていることは重視しないといけません。いまよりも区切りのいい(シェア15%とか20%など)ステージに持っていきたいという気持ちはあります。

ポッカは海外にものびしろ

── オールサッポロビールとしては、ビールを中核としつつ、ワイン、あるいは市場が伸びている缶チューハイなどのRTD、それに清涼飲料、食品ですが、今後の成長のためのポイントは何でしょうか。
やはり国内が安定していないといけません。グローバルという考え方もすごく重要だとは思っていますが、国内が安定していないと難しいですよね。本業のビール、それからこの10年間で、ビール以外のジャンルの商品もずいぶん増やしてまいりました。焼酎しかり、洋酒ももう一度、「バカルディ」の商品をそろえ、(デイリーワインよりワンランク上の)ファインワインの拡充をし、RTDも作るようになってきましたから。

そういった意味では、ビール以外の分野の比率も伸ばしながら、トータルの総合酒類として、国内市場で成長していくんだというのが1つの基本です。

ポッカサッポロフード&ビバレッジは、いまさら缶コーヒーや缶ジュースなどの分野では、ほかに大きな強いメーカーがたくさんいらっしゃるので難しいところもありますが、ポッカだからこそ出せる商品を国内でもやらないと。

たとえばお茶も単なるお茶ではなく、「加賀棒ほうじ茶」がありますし、旧サッポロ飲料時代からの、「富良野ラベンダーティー」といったもの。あるいはポッカサッポロだからできる、得意領域のレモンも世界のレモンとか、徹底してレモンに強い会社を目指すとか。

また、ポッカはシンガポールを含めて、東南アジアでのブランド力がものすごくあるんです。そこは日本以上に強く、今年はインドネシア、ミャンマー、マレーシアにもポッカの工場ができますから、これらが整っていくとビジネスのポテンシャルが一段と広がります。

── ほかに、同業他社にはない強みとして不動産事業(別会社のサッポロ不動産開発があり、恵比寿ガーデンプレイスやGINZA PLACEなど好ロケーションに物件を保有)があり、不動産事業の営業利益は国内酒類事業に比肩する金額になっています。
2020年の東京五輪に向けて、首都圏エリアはまだまだ投資可能だと思います。ただ、今後も不動産事業をどんどん展開していくというよりは、既存の資産をさらにバリューアップし、安定的に稼ぐ部門として位置づけ、投資に関してはやはり本業重視でいきます。

── M&Aに関しては、同業他社はここ10年ぐらいの間に相次いで大型買収をしてきましたが、サッポロでは買収資金も含めてどのように考えていますか。
M&Aは、なかなかすべてがうまくいくということではないので、事前の準備や調査も必要。あとは、買収金額がずいぶん高騰しているという向きもありますので、何年で回収できるのか、我々が耐えられる規模なのか等、そこは冷静に判断していかなくてはいけないと思っています。身の丈以上のことを無謀にやろうとは思っていませんが、さりとてM&Aのチャンスはそう何回もあるわけではない点も踏まえ、総合的に判断していきます。

すでに発表しました、2026年までの10年の長期ビジョンと、まず最初の4年の中期経営計画とがありますが、いまは20年に向けての第1次中経にまい進します。大きく伸ばすのは、やはりお酒と飲料の分野になろうかと思います。特に、飲料分野は海外も含めてですね。

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経営者インタビュー

SNS炎上からテロリストまでテクノロジーで社会問題を解決 菅原 貴弘 エルテス社長

菅原 貴弘 エルテス社長
すがわら・たかひろ 1979年生まれ。東京大学経済学部経営学科在学中の2004年にエルテスを創業。社長に就任。ソーシャルリスクマネジメントの領域に着目し、リスク解決を手掛ける。昨年11月東証マザーズに上場。デジタルリスクマネジメント専業の企業として初めて上場(東証マザーズ)を果たしたエルテス。創業以来、サイバー攻撃や風評被害など、テクノロジーの発展とともに顕在化したデジタルリスクの問題解決を図ってきた。昨今では官民連携して社会問題にあたるなど、注目企業に成長している。そのエルテス社長の菅原貴弘氏に話を聞いた。

デジタルリスクで初の上場

── インターネットでの炎上や風評被害がよく報道されるようになりましたから、企業として認知されやすくなったのではないですか。
そうですね。しかし、SNSの炎上やフェイクニュースは、昔からあった問題です。何をいまさらと感じる人も多いでしょう。ネット上には間違った情報が氾濫しているという認識は、多くの人が持っていたと思います。それがようやく社会的、政治的な問題になってきました。

── 先日もDeNAがキュレーションメディアに関する謝罪会見を開きましたが、不正確な記事や著作権法、薬機法に違反する記事があったことで問題が広がりました。
今回のメイントピックの1つである著作権は、管轄が文化庁になります。文化庁は行政のなかでも民間に介入してこない、民間と民間で決着してくださいというスタンスのところです。なぜなら、特許庁のように申し込みや登録がされる場合は権利が侵害されているかどうかの判断ができますが、著作権は書いた瞬間に生じるものなので、引用された側が言わなければわからないからです。

引用された側もネット上のすべての書き込みのなかから見つけるのは不可能ですし、効率も悪いです。見つけて訴えるとしても、自分の著作権料よりも裁判コストのほうが高くなる。取り締まりが非常に難しく、健全化も難しいと言えます。その意味で、業界全体できちんと自主規制をして、権利を侵害しないようにするしかできないでしょう。

── こういった問題でも、エルテスの出番はあるわけですか。
たとえば、発信する側の企業から、著作権がきちんと管理されるようなフローを作ってほしいといった依頼ですかね。健全化するためのフロー、または健全化したのちの文言をコンサルティングしてほしいという話はあります。特にBtoCのネットビジネスでは、行政対応の作業が非常に多いです。たとえばネット上のコミュニティの場合、児童買春や児童ポルノといったトラブルが起こらないようにすることも健全化にあたります。こうした行政の要望にも応えられるサイトにする手伝いをコンサルティングする場合もあります。

特に弊社の場合、行政対応までコンサルティングしますので、上場したことで企業の側から問い合わせをいただくことが増えている。ビジネスとしては追い風になっていると感じますね。

── SNSなどで、企業の発信の仕方に関するリスクもありますね。
現在、どういった面での批判が集中しているのか、論点を掴んでおかなければいけないですね。たとえば女性蔑視といったパターンで炎上しやすい時は、似たようなことをしていると炎上してしまいます。ある自治体での話ですが、うなぎを女の子に見立ててスクール水着を着せて泳いでいるPR動画があったところ、うなぎ養殖を、女の子を監禁しているように思わせると大炎上になってしまいました。似たようなことをしていると、炎上が飛び火して連鎖していくことになります。

── 単発で事故やトラブルが起こることは仕方ないとしても、飛び火するのは怖いですね。
食品の異物混入も大きな騒ぎになりましたが、マスコミの方も炎上させる側になってきています。食品メーカーの場合、1件の異物混入については、お客さんの間違いの可能性もあるので、公表しないんです。食品メーカーと接しているぶんには、メーカーの言い分のほうが正しいと思います。購入した方の勘違いの可能性もあるなかで、1件だけで公表して自主回収するのはやりすぎです。それを隠蔽だと責めてくる人が増えている。マスコミの方もスクープを取りに来て変質しているように思います。

日本の炎上は「妬み」から

── 仮に何か不祥事があったとして、企業としては炎上を大きくしないために、どのようなことに気をつければいいのでしょうか。
人のせいにしないのが重要ですね。現場が暴走しましたというような発信は二次炎上するケースが多いです。現場の暴走と言っておきながら、実はマニュアル通りだったことが情報として出てくると、大変なことになります。基本的には、情報収集をしっかりやって、経験ある業者の力を借りて、きちんと対応すること。企業の広報の方で炎上を何度も経験している人は、そうはいません。初めての場合は動揺して、火に油を注ぐことになる可能性もありますから。

── 企業からエルテスに依頼がある場合、広報担当の部署が多いわけですか。
そうですね。ツイッターを始めるのに、経営陣が炎上を気にするからルール作りをしてほしいとか。実は、炎上してから相談されても、できることは限定されているんです。なかったことにはできません。欧州では、言ってみれば「忘れられる権利」のような権利が認められていますが、日本は「知る権利」のほうが重要だという判例が出ています。

── 海外と日本で炎上の仕方に違いはありますか。
欧米だと、炎上は組織立っていて、匿名ではない。グリーンピースなどのように、名前や組織名を出して責めてくる。日本は陰湿で、匿名の個人が刺してくる感じです。

── その違いはどこから出てくるのでしょう。
日本は妬みのようなものが多い。個人のSNSでも、高学歴の人や大企業勤めだと、より炎上しやすい。内定を取り消してやろうとか、クビにさせてやろうとかが多いですね。企業の従業員や従業員の家族から炎上することもあります。例えばタレントが来店したとか、誰と誰がカップルで来ていたとSNSで上げる。ちなみに、女子高生のツイートで、その父親の企業が特定され、会社を辞めざるを得なかったような話も聞きます。

※エルテスが設立したデジタルリスク総研のレポート記事のアクセスランキング。ソーシャルリスク分野に加えて、企業内部の不正や金融犯罪の検知をはじめとしたリスクインテリジェンス分野における研究を進めている。

── 企業としてはどう対処したらいいのでしょう。
従業員については、ネットリテラシーに対する教育です。アルバイトの場合、一般人と従業員の境が難しいのですが、そこを教育するしかない。昔は法人と個人は別のものとして分かれて考えられていました。でも、個人は必ず学校や会社などの組織に属しているので、現代のような炎上時代だと、どこから燃え出すのかわかりません。

── 経営者が考えなければいけないデジタルリスクはありますか。
ほとんどの中小企業の経営者の方は、ウチはリアルの業務だから関係ないと言っていたりします。実際にあった話なのですが、ある飲食店で、なぜか火曜日に客が来ないと思ったら、ネットで火曜日が定休日にされていたという話があります。ネットの風評を多面的に見ておかないと、実は機会損失を起こしている可能性があるのです。

── エルテスは人工知能(AI)やビッグデータといった新しいテクノロジーにも注力していますね。将来的な展望を聞かせてください。
いまビッグデータでテロリストを見つけるということに取り組んでいます。2020年の東京五輪に向けて、それを完成させる。我々はフィンテックならぬ国防テックと呼んでいるんですが、いまや国防は日本国内で完結していけるようにしなければいけません。こういう分野にビッグデータやAIを使って貢献していくのが目標です。

ビッグデータでは、サンプルではなく全量調査を行うので、リスクは下がります。欧米ではすでに実現してますので、日本も早く整備したほうがいい。最近のテロリストはネットで犯行予告をするケースもあり、事前にリスクの高い動きをデータとして蓄積することで対応が可能になります。政府行政とも連携し、社会的リスクをテクノロジーで解決していく企業に成長したいですね。

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経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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上海の食文化に根づいて27年 ホテルオークラの和食堂「山里」 オークラ ガーデンホテル上海 和食料理長 大森 朗弘

日本の老舗名門ホテルの中で、ホテルオークラは直営レストランを持っていることが、強みや差別化ポイントの1つになっている。今回は、同ホテルで鍛えた和食料理長を上海に訪ねた。

オークラといえば「山里」

成長著しいアジアを軸に、海外展開を加速しているホテルオークラ。遡ると、その橋頭保は1971年、アムステルダム(オランダ)で開業したことだった。その後、90年には上海(中国)に進出、ほかにもマカオ(中国特別行政区)、バンコク(タイ)、台北(台湾)でも開業し、今年はカッパドキア(トルコ)、来年以降もマニラ(フィリピン)、プノンペン(カンボジア)、サイゴン(ベトナム)と、開業予定が続々と控えている。

見事な包丁使いでマグロを捌く大森朗弘さん。

そして、進出済みの海外5都市のすべてで供されているのが、ホテルオークラの強みの1つといっていい、直営レストランの和食堂「山里」。「ホテルオークラ東京」(虎ノ門)で経験を積んだ腕利きの料理長を派遣し、前述の開業予定4都市におけるホテルでも「山里」を展開する予定だ。世界的な和食ブームの中で、「山里」はクールジャパンの一翼を担っているといってもいい。

もちろん、開業済みの都市はそれぞれ、気候から文化、食の嗜好までさまざまに異なる。女性スタッフが着物姿で給仕をする、オークラ流の丁寧な和のおもてなしは万国共通だが、料理のほうは「山里」の伝統の味を7割がた共通とし、残りの約3割をローカライズする、現地化の黄金比が基本になっている。

では、本稿の「オークラガーデンホテル上海」における「山里」では、どんなオリジナリティがあるのだろうか。

まず、1つの文化体験をしてもらうことも眼目に、予約制ながら、料理長自らお客の会食室に出向き、目の前で出汁をとってスープやソースを作ったり、刺身の盛り合わせを作る「パーソナルシェフ」が、舌のみならず目でも楽しめる日本料理として好評だ。

さらに、上海でしか供していない代表メニューに、「特上黒毛牛すき煮鍋」がある。これはあえて肉を焼かず、特性タレでさっと火を入れることで、肉から溶け出した旨みと甘味を野菜にも染みわたらせた一品。だが、こうして言葉で形容するのは簡単だ。和食料理長の大森朗弘さんは、自慢の料理に仕上げるまでの苦労についてこう語る。

「温度設定にはすごく気を遣いますね。こちらの方はなんでもアツアツのものがお好きなのですが、あまりアツアツでお出しすると肉に完全に火が通ってしまい、肉がどんどん固くなってしまうので、そこのバランスをどう取るかが大事です。もう1つ、鍋の蓋までは本来、温かくなくていいのですが、蓋を触った時に冷たいと、お客様が『この料理はぬるい』とお感じになってしまいますので、ここにも気を配っています」

逆に言えば、そうした微妙な温度加減やお客がどう感じるかまでを考えたうえで料理を出すのが、大森さんの匠の技の真髄といえる。

上海の「山里」における人気ベスト3のメニューは順に、「お造りの盛り合わせ」、「銀ダラの西京焼き」、「鍋焼きうどん」だそうで、ほかにも「甘鯛の一夜干し」なども人気メニューだという。

「これはいってみれば干物で、当店で甘鯛を開いて塩漬けし、鱗ごと干したものなのですが、サクサクっとした食感が人気です。季節ものでは毛ガニでしょうか。(味噌が多い小ぶりな上海蟹に親しんでいる)こちらの方は、大きな毛ガニを普段、ご覧になったことがありませんが、すぐに受け入れられました。焼く、蒸す、煮るの調理法の中では、蒸した料理が特にお好きですね。お魚を蒸すのは中国料理でもありますが、和食でいう山菜など、普段召し上がらないようなお野菜を、魚の旨みと一緒に蒸し上げたようなお料理も好まれます」

このほか、期間限定で手巻き寿司なども提供し、うな重やひつまぶしなども人気メニューになっている。油を使用せず、薄味でその食材を楽しんでもらうことから始めた、野菜炒めなども好評らしい。ちなみに、日本人には好まれるものの、上海の人たちにはやや苦手な料理もある。

「塩気が強いものですかね。お寿司は皆さんお好きですが、シメサバやコハダなど、いわゆる“光りものの刺身”はあまり召し上がりません。もう1つ、冷たいものは基本的にお嫌いですし、酢の物もイマイチです。体を冷やしたくないのでしょう、こちらの方は朝からラーメンでもOKですが、同じ麺でも、夏場であっても冷やしそうめんなどは召し上がりません」

和洋中華超えた経験が糧

ここからは、大森さんの転機や目利き、こだわりなどについて触れていこう。ホテルオークラは、直営レストランを擁していることから朝食も手がけられるほか、宴会需要にも機動的な対応ができ、いろいろな融通が利くことがアドバンテージになっている。また、和食、洋食、中華のコラボレーションであったり、あるいはフュージョン的な料理にも対応しやすくなる利点が、直営レストランにはあるのだ。

「転機になったのは、私が千葉(=「オークラ千葉ホテル」)で和食料理長になった頃ですね。当時、ホテル館内にレストランは1つしかなく、そこに和洋中華、それぞれの料理職人が放り込まれたのですが、ここでは和洋中華のトータルでの売り上げ重視ということで、食のジャンルを超えてお互いに助け合いました。それを、オークラで初めて実験的にやったレストランでもあるのです。

(写真左)上海でしか味わえない「特上黒毛牛すき煮鍋」。(中)現地の人にも人気な「銀ダラの西京焼き」。(右)世界に根を張る和食堂「山里」。
(写真左)「オークラガーデンホテル上海」の開業は1990年。(右)夜間、ホテルは幻想的にライトアップされる。

千葉のホテルに在籍したことによって、料理職人たちは私も含めて、すごく刺激を受けました。縦割りの縄張り意識ではないですが、ホテルという大きな器の中で働いていると、どうしても、偏った知識や考え方になるので、ものすごく当時の経験が役に立っていると思います。

たとえば、お料理で四季折々を表現していくのが和食であり、洋食のいいところはソースがすごいし発酵の文化があること。また、1つのお皿をパレットに見立てて、その中でいろいろなことを表現するんですね。

中華は、ベースになる食材は肉や蟹に海老、それに帆立に鮑と、食材がこの5つぐらいあればほぼいろいろなお料理ができます。ただ、そこに調理法や調味料で何千という種類があることで、料理それぞれの特徴が出てくるわけです。そういうことを理解したうえで仕事ができたことがすごく勉強になり、そこでの蓄積がいま、海外に出ていっても通じる力なのかなと思います」

この「オークラ千葉ホテル」時代の経験を通じ、大森さんは料理の腕のみならず、指導者としての視野も広げ、人格的にも一回り大きくなったといえそうだ。その大森さんに調理法などのこだわりや目利きを聞いてみると――。

「たとえば天ぷらの衣は、簡単なようで難しいというか、湿度や温度、海老が持っている成分によって衣の乗りが違うと言いますか、同じ天ぷらを2度は揚げられないというくらい難しい要素もあります。

天ぷらは単純な料理ですから、鮮度がよくて揚げたてでしたら基本、美味しいとは思いますが、料理人の腕の良し悪しを測る1つの物差しとして、衣の散り方、あるいは海老の尻尾が、揚げた後に少し曲がっているのか伸びているのかのこだわりは見えます。そこを見るだけでも、この店はすごいとか、ものすごく可能性がある店なのかなとか、あるいはこの程度の店なのかといったことがわかる感じはしますね」

天ぷらはわかりやすい事例だが、オークラで20年以上の修業を積んだ板前だけが調理を許される、伝統の一品が「鯛のあら炊き」。これは上海の「山里」でも人気メニューになっている料理なのだが、火加減やアクを取る間合い、調味料の合わせ方などのレシピは存在しない。その、簡単には真似のできない高い技術の伝承こそが、大森さんら、あまたの名料理長を生んできたオークラのDNAだといえる。

(本誌編集委員・河野圭祐)

月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

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上海の食文化に根づいて27年 ホテルオークラの和食堂「山里」 オークラ ガーデンホテル上海 和食料理長 大森 朗弘

【BOSS×WizBiz】絵コンテ事業でトップ企業 スマホ、ネット広告代理店でIPOに向けてばく進中

幸尾 辰馬 グラソナ・インターナショナル社長
こうお・たつま 1951年佐賀県生まれ。1976年広告制作会社などを経て、総合プロデューサーとして、幸尾辰馬デザイン事務所を創業。85年ソフトバンク出版の「OH!PC」などコンピュータ雑誌の企画・ディレクションや年間広告戦略などデジタル業界分野においての総合プロデュースを手がけると同時にデザインにおけるデジタル化に向けた組織づくりを開始する。2000年香港のチャイナドットコムと事業合併し日本の代表取締役社長に就任。その後もマーケティング、PR会社などの社長を務め、現在に至る。

映像と翻訳の2本柱

── 映像を使って企業をPRしていくということですが、具体的にはどういった事業なのでしょうか。
当社は、もともとは私も役員を務めていたプレスリリースやホームページなど企業PRの商材を翻訳する会社が行っていたものを切り離して独立したのが当社です。

具体的な事業の内容は、日本企業の技術や製品の動画を作成してユーチューブにアップするものです。サービスそのものは2007年から展開しています。単に動画制作だけであれば珍しいビジネスではありませんが、当社の特徴はコンテンツをすべて英語に翻訳してナレーションを入れているところなんです。動画制作と翻訳の両方ができるのが当社の強みです。

── これまで制作されたコンテンツはどのくらいあるのですか。
この10年間でユーチューブにアップした動画コンテンツは4600あまり、登録企業は2500社を超えています。また、アップした動画の総再生回数は1億7000万回以上で、ユーチューブのチャンネル登録者数は14万人を突破しています。10万人を超えるとユーチューブ社から送られてくる「銀の再生ボタン」のアワードプレイトをもらいました。企業が企業向けにPRする、いわゆるBtoBのコンテンツとして10万人以上の登録者がいるのは非常に珍しいことだそうです。

現在はそのコンテンツを引き継いで「ikinamo」というブランド名のチャンネルを立ち上げ、ユーチューブで展開しています。

── 切り離して独立した理由は。
サービスそのものはこれまで無料だったのですが、個別のビジネスとして展開できると考え、この部門を切り離し、私が引き継ぎました。

グラソナそのものの会社としての立ち上げは16年6月、登記は9月になります。本格的な事業のスタートは9月です。

── これまで無料で行ってきたサービスを切り離したわけですが、どういったビジネスモデルを考えているのですか。
これまで無料でコンテンツをアップしてきましたが、これを有料化します。具体的には月々5万円の登録料をクライアントか企業からいただくというものです。

これまでアップしたコンテンツの視聴傾向を見ると、再生しているのは80%が海外、20%が日本国内で、海外で見られているほうが多いんですね。言い換えれば、月々5万円で世界中にPRできるというのが、当社のサービスです。

また、当社の翻訳は、もともと翻訳会社から切り離した経緯から、単に言葉の置き換えではなく、言葉の背景にある文化や歴史、特有の言い回しなど、生きた翻訳を行っています。

とにかく匠を見せる

── どういった企業をメーンのクライアントに考えているのですか。
技術力のある中小企業です。日本の中小企業は本当にすばらしい技術を持っていて、世界からの評価が非常に高い。そうした中小企業が世界に飛び出すきっかけの力になれればと思っています。

正直、日本の市場は数年前から先細りといわれています。大企業はすでに世界に目を向けてビジネス展開しています。

しかし、中小企業が自力で世界に出て行くのは難しい。そこでコンサルタントなどに頼んで、事業モデルの再構築やマーケティングなどを行っている企業もあります。その費用は数百万円から1千万円ぐらいかかります。しかし、多くの中小企業ではそんなに費用はかけられません。そこであまり難しいことは考えず、とにかく自社の製品や技術をユーチューブで見せることでPRしていこうということなんですね。

また、見られている地域、時間帯などのデータの提供や、問い合わせなどへの対応のアドバイスや事業提携などの話があった場合は、国際関係の弁護士事務所や特許事務所などと提携しているので、そうしたサポートも行っていきます。

── こうしたコンテンツサービスでは、クライアント、視聴者は無料の広告モデルが多いですが。
本音を言えば広告収益だけで、無料で運営したいと思っています。しかしながら、広告収入だけでは展開するのはまだ厳しい状態です。

これはニワトリが先かタマゴが先かの話になってしまうのですが、常に新しいコンテンツをアップすることで、視聴回数が増えていきます。そのためまずはコンテンツ数を増やすために、有料化のモデルになりました。

── 公開されているコンテンツを見ると、特徴的な映像という印象があります。
カメラマンが外国人なので、日本人とは視点や映像の撮り方に違いがあります。狙いは世界に向けて紹介することなので、外国人視点はポイントだと思っています。

1本のコンテンツの長さは、90秒~3分にまとめています。ユーチューブでは3分以上のものは見てもらえないんですね。また、英語だけでなく、中国語、アラビア語にすることで視聴回数が増えるので、いまある4600のコンテンツも含め多言語化を進めています。

── これからの事業展開、将来の目標はどういったところにおいていますか。
コンテンツについては、最低でも月4~5本、年間では60本はアップしていきたいと思っています。将来的にはもっとできればと思っていますが。

収益的には、5年で37億円が目標です。また、19年のIPOを目指しています。


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