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商業の銀座 文化の六本木 ビジネスの虎ノ門を担う森ビルの発想法|月刊BOSSxWizBiz

銀座エリアの再開発案件で圧倒的なスケールを誇り、銀座6丁目の松坂屋銀座店跡地に今年4月20日、グランドオープンする新商業施設の「GINZA SIX」。運営では、大丸や松坂屋を擁するJ.フロントリテイリング、森ビル、住友商事、Lリアルエステートの4社が強力なタッグを組んでいることも特徴だ。そこで、このビッグプロジェクトの参画企業を代表して、再開発全体のコーディネート役を担った森ビルの辻慎吾社長に、銀座プロジェクトの経緯や思いと狙い、拡大途上の虎ノ門ヒルズプロジェクト、都市間競争まで幅広く聞いた。

森ビル社長 辻 慎吾
つじ・しんご 1960年9月9日生まれ。広島県出身。85年横浜国立大学大学院工学研究科修了。同年森ビル入社。99年六本木六丁目再開発事業推進本部計画担当課長、2001年タウンマネジメント準備室担当部長、06年取締役入りし、08年常務で中国事業も担当、09年営業本部長代行兼務、同年副社長で経営企画室も担当、11年6月から現職。趣味は温泉巡り。

パートナーは最高の布陣

── まず、「GINZA SIX」のプロジェクトに森ビルが参画された、そもそもの経緯や議論の過程のポイントから教えてください。
遡りますと、2001年に松坂屋さん(当時。その後、大丸と経営統合してJ.フロントリテイリングが誕生)が銀座店の建て替えを検討されているということで、ご相談を受けたんです。単独で建て替えをされるのも1つの案ですし、我々が得意とする再開発事業という手法もあります。そこで、「隣接街区やお店の裏側の道路を含めた再開発にすると、こういう素晴らしい計画になります」といったご提案をさせていただきました。

その後、03年には銀座店の周辺の方々も含めて、街づくり協議会を開いて再開発の検討をスタートさせています。再開発は地権者の方々と一緒に取り組む事業ですので、当初の開発スケジュールを守ってやっていくのはものすごく大変ですが、そこは当社にノウハウがありますので、コーディネーターとしてやらせていただいたわけです。

── 開発・運営には家主のJ.フロントのほか、住友商事、Lリアルエステート(ルイ・ヴィトンで知られるLVMHグループをスポンサーとするグローバルな不動産投資・開発会社)も入っており(計4社の共同出資でGINZA SIXリテールマネジメントを設立)、いわば異種連合ですね。
開発資金をどう調達するかということを考えた際、我々から(異種連合の)ご提案をして入っていただきました。「これまでにない最高の施設を造る」という共通の想いのもと、「世界の銀座」を象徴する大規模複合施設の実現に向けて、4社それぞれが持つノウハウやグローバルネットワークが十二分に活かされており、最高の布陣だと思っています。

── GINZA SIXは2街区一体開発でしたから、それだけ折衝する地権者も多くなります。六本木ヒルズなど過去の再開発でも、地権者との話し合いは簡単なものではなかったでしょう。まして銀座では、建物の高さ制限など景観面を中心に、銀座ルールといった制約があります。
再開発が地権者の方々にとって、従前のビルを所有しているよりもメリットがあるというご理解を得ることが一番、重要でした。我々が考えている大型の再開発をすることで銀座という街全体の起爆剤になるし、メリットもある。こういう街づくりをしたいんですという、確たるビジョンの部分をみんなで共有しないと再開発は難しいのです。2街区一体の開発をするので、大きな敷地面積の最も優れた有効利用は何かを問うてきましたし、唯一無二の存在になるような施設を造る責任がディベロッパーにはあると、私は常々思っていますから。

── 地権者との議論の争点というか論点はどこでしたか。
本気で再開発に向き合っていただけますか? と。場所が場所ですから、それぞれが土地の1オーナーとして、十分にやっていける場所です。希望するテナントはたくさんあるし、高い家賃で貸せるわけですから。その土地を壊してみんなでやったほうが得なんだと、みんなが共通で思えるかどうかという話を、丁寧に一軒一軒していったわけです。

開発パートナーとも、もう百貨店にしないという前提をJ.フロントさんが決められていたので、では、どんな商業施設にしていこうかとコミッティーを何回も開き、当社を含めた4社のトップといろいろな話をさせていただきました。そのコーディネート役を当社でやらせてもらったわけですが、J.フロントさんにとっても銀座店のあった場所はすごく大事な土地ですし、どういう形でどんなオープンを目指すかを考えた時、銀座に相当なインパクトを与えたいという、熱意を共有することができました。

── 六本木ヒルズ(03年竣工)や虎ノ門ヒルズ(14年竣工)での再開発ノウハウを、GINZA SIXではどういう形で表現されていったのでしょうか。
森ビルがやってきたのは1つの建物を建てることではなく、都市や街をどうつくっていくかということです。その街に必要なものは何なのかを突き詰めていく。たとえば虎ノ門ヒルズの下は環状2号線の道路が通っていますが、GINZA SIXも銀座中央通りの裏側にあった道路を建物の下でくぐらせたり、銀座駅に直結の地下道を掘った。あるいはバスの停留所が銀座になかったので観光バス乗降所や観光案内所を作ったり、さらに銀座最大となる4000平方メートルの屋上庭園もしつらえましたし、観世能楽堂も入れました。つまり、従来の銀座にはなかったものをかなり入れているのです。

「GINZA SIX」は4社の異種連合で運営される。

我々が得意な、いろいろな機能が複合した街づくりを、間口115メートル、奥行き100メートル、延べ床面積14万8700平方メートルという圧倒的なスケールの中で実現できました。たとえば表参道ヒルズもすごい間口を持っていますが、あそこは奥行きが浅いのでなかなか使いにくいんですね。しかも坂もある。そういう中で当社としていろいろな創意工夫を施してあります。

特にGINZA SIXの場合、六本木ヒルズよりも広い、ワンフロア面積が6000平方メートルという大規模なオフィスプレートを持つオフィス空間も実現しています。銀座に貢献するオフィスや文化施設を備え、下層階には核になるような商業施設を250店舗集めていますから、競争力は相当、強いと思いますね。

── 六本木ヒルズや虎ノ門ヒルズは、テナントに外資系企業や金融機関も多かったと思いますが、銀座はこれまでとは違う顔ぶれがキーテナントになりそうですか。
テナントのレパートリーは広がらないといけないですが、結構重なるところもあるんです。外資系企業など、当社がずっとアプローチをしているところも興味は持ちますから。GINZA SIXに本社を構えているというだけでもメリットがある企業はあるでしょう。だから幅広い業種にアプローチができます。

都市に文化施設は必須条件

── ところで虎ノ門ヒルズ周辺エリアですが、この1月に虎ノ門ヒルズビジネスタワーと虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーが着工(ともに19年度に竣工予定)し、東京五輪を挟んでさらに、新駅直結の虎ノ門ヒルズステーションタワーの開発計画もあります。森ビルにとって本拠地である虎ノ門エリアでの、怒涛の再開発プロジェクトへの思いは。
3棟のうちの2棟は、地権者との合意形成は終わっています。駅と一体になる予定のステーションタワーのビルも今年、都市計画の手続きに入りますから、目指すスケジュール通りに街ができていっているという感じです。国際新都心、グローバル・ビジネスセンターと呼んでいますが、虎ノ門エリアはビジネスの中心ですよね。対して六本木は文化都心、銀座、あるいは表参道は商業の中心。

そして、グローバル・ビジネスセンターには住宅やホテルがないとダメなんです。たとえば金融センターといっても外資系企業だけが集まるオフィスではどうしようもない。住むところとか、あるいは出張者を受け入れるホテルやきちんとした食事をするところなど、文化施設などがないとダメですから。

そこで虎ノ門ヒルズレジデンシャルタワーです。結構なボリュームで住宅を1棟造りますから、こういうものも含めて1つの街づくりをすると。これらが全部できて虎ノ門ヒルズなんです。

この虎ノ門ヒルズと同等か、それ以上の開発区域面積になるのが、虎ノ門麻布台プロジェクトと六本木五丁目プロジェクトです。ここ(森ビル本社のある六本木ヒルズ)から麻布台のエリア、さらに虎ノ門という、川のような連続するラインですよね。これらも大変魅力的で非常に面白いプロジェクトですから、できるだけ早い段階で皆様にご紹介できるよう、しっかり取り組んでいきます。思えば、30年前の86年にアークヒルズを造った当時はあそこが〝陸の孤島〟と言われ、どこからも遠いと言われていましたがいまや隔世の感です。

── 商業やビジネスの街づくりは、財閥系も含めて大手ディベロッパーでも手がけていますが、そこに文化性を色濃くオンしているのが森ビル。
森稔(森ビル前社長。故人)も「経済だけで文化がないような都市では、世界の人を惹きつけることはできない」とずっと言っていましたが、海外の都市を見渡しても、文化がない都市では、これからは戦っていけないと強く思います。

── 森稔さんのDNAでもあると思いますが、同じビルを2つと造らず、とんがったものを追求する姿勢は、いわば森ビルのレーゾン・デートルでもあると。ビルの構造上もそうですが、外観もスクエアタイプの真四角な大型ビルが多い中で、曲線デザインなどを取り入れた斬新なビルが森ビルには多いですね。
100年近く残るものですから、特徴はありますよね。好き嫌いがあって、森ビルのビルは嫌いと言われる人もいるのはわかった上で、我々はデザインというものに対してすごくこだわりたいし、気にしたいし、私も好き。森稔も好きでした。どういうビルにしたいかというところからデザイナーを選ぶので、当社ほど外国のデザイナーを選んで使っているディべロッパーというのはないでしょう。

── 最後に、森記念財団の統計を見ると、16年の世界の都市ランキングで、ようやく東京が4位から3位に上がってきました。今後、1位を取るための条件は何でしょうか。
やはり都市の総合力です。経済だけが突出していてもダメですね。日本が3位に浮上したのは、インバウンドが増えて、文化・交流という項目の中の、交流の部分の点数がまず上がりました。加えて円安になると、ドルベースで換算して住居費などが安くなるので、それだけコストが下がるということは借りやすく、住みやすくなるので点が上がったわけです。ランキングを測る指標は70もありますから、日本が弱い部分を上げていけばいい。そうすれば、東京はナンバーワンになれる可能性はあります。

1つ重要なのは、羽田空港ですね。国際線がこれだけ増えたので評価が上がっていますが、世界と比べると、まだまだ交通の部分では弱いところがある。直行便の数もまだすごく少なくて、ロンドンのヒースロー空港の3分の1ぐらいしかないですから。

虎ノ門ヒルズ(左から2棟目)以外に、今後3棟のタワーが建てられていく(イメージパース)。

ただし、東京って世界的に見ると意外と渋滞がないんですよ。ロンドンに行ってもどこに行っても本当に渋滞がひどい。ニューヨークもすごいし。

東京は環状線も整備してきたし、これだけ大きな公園がある都市は、ほかにあまりない。セキュリティや自動運転、AIなどの新しい技術も進んできますから、東京五輪までにそのチャンスをうまく日本は使うべきだし、世界にそれをプレゼンできればこんなにいいことはありません。そういうチャンスって、いまは、(五輪を控えた)東京ぐらいしかないのですから。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)

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将来、家族、いきなりわく不安  ままにならない心と体|月刊BOSSxWizBiz

セカンドキャリア研修が引き金に

田中さんの第一印象は、少し疲れた俳優の堤真一さん。けれど、180センチを超える身長と体格の良さはいかにも男らしく、若かりしころはモテただろうなという感じです。大学時代にはアメリカンフットボール部に所属して、仲間とともに練習に励んでいたそうです。高学歴に加えて、体育会系の心身の強さは、就職時の採用ポイントのひとつにもなったでしょう。

そんな田中さんが相談にやってきた最初の理由は、「もの忘れがひどくなってきた」というものでした。

そのころ、職場では管理職への昇格が叶わず、部下だった女性が上司になったといいます。さらに、セカンドキャリア研修を受け、「もう自分の役目は終わってしまった感じがする。居場所がない感じがする」ということでした。

一生懸命働いて手に入れた自宅にすら居心地の悪さを感じていました。というのも、自宅を購入するときに妻の両親の援助を受けていたからです。なんとなく、妻に対して頭が上がらないような気持ちがあったのかもしれません。そして、一人息子は中学受験の真っ最中。妻は息子の勉強にかかりきり。寝転がってテレビを見ることにさえ、気が引けていたようです。

この年代の男性は、年下の女性社員をまだまだ「女の子」と呼んでしまうような世代。田中さんの口からも何度も「女の子」という言葉が発せられており、女性を上司として認めることに、なかなか気持ちがついていかなかったと考えられます。

HAM-Dを実施してみると、うつの症状が強かったため、産業医の先生を通して心療クリニックにも通ってもらいました。同時に、おカネのかからない、でも体を動かせる趣味を見つけるようにすすめました。

9カ月くらいカウンセリングに来ていた田中さんの様子が明らかに変わってきたのは、彼がマウンテンバイクを買ってからでした。休みの日に、男友だち数人と多摩川の上流までツーリングするようになったというのです。みんなでツーリングすることで、体育会時代の状態に近いことを体感できた。これが落ち込み気味だった更年期を明るい気持ちにさせる大きな要因になったと思います。

COUNSELOR'S EYE

田中さんのように、かつては男らしく遊び、男らしく仕事をしてきたタイプの人こそ、更年期に陥りやすいといえます。少し上の世代は、経済逃げ切り組で、うまく資産運用して夫婦仲良く老後を過ごしている。しかし、この年代は、バブル期には社会や女性からちやほやされていたにもかかわらず、その後は男としての居場所がなくなる一方……、そんなふうに感じる人が多いようです。

更年期をうまく乗り越えるためには、田中さんのように学生時代と同じような経験ができる趣味を見つけることは有効だと思います。ちなみに、自転車はおカネがかからないだけでなく、一人乗りの乗り物。奥さんから浮気の心配をされることもなく、更年期にはもってこいの趣味といえそうです。

特集 働き盛りの男たちが陥る「更年期」というエアポケット

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経営者インタビュー

世界の飲料業界で「第3極」目指す そのために売上げ2兆円は必要

新宿、渋谷、原宿、秋葉原など東京にはいくつもの繁華街がある。しかし、銀座はこれらの街とは、絶対に違う「銀座らしさ」というものがある。銀座らしさとは何か――銀座通連合会副理事長で、街づくり委員長の岡本圭祐氏に聞いた。

―― 銀座がほかの街と違うところはどういうところでしょうか。
「銀座は古いものを大事にする街ですし、街の始まりから舶来のものを積極的に取り入れる革新的な街でもありました。街としての銀座の楽しさというのは、お店の大中小の混在と同時に、それぞれの年代に対応したお店が並び、各々のお店が時代時代のニーズに合わせ、切磋琢磨し、中には業態を変えながら今に合うようにセルフリファインの積み重ねの結果からできたのだと思います。

歴史があるからと、何も変えなければ化石になってしまいます。逆に単に新しいものだけを取り入れたのでは個性がなくなってしまう。実際、今の銀座はGINZA SIXさんや東急プラザさんのようなモールのような施設ができる一方で、三越さんや松屋さんのような昔からの百貨店さんもある。そして、ヨーロッパのスーパーブランドもあれば、日本の老舗もある。さらに専門性の高い個人店や全国から小さなお店も集まっています。こうしたビルやお店が、広い通りや洒落たサブストリート、路地という地理的な多様性の中に混在し、成り立っているのが銀座の特徴ではないでしょうか」

「街を回遊できるのが銀座の楽しさ」と岡本氏。

── 「銀座ルール」とはどういったものでしょうか。
「1998年に古い不適格建築物の更新が可能になりました。そこで建物の高さや容積率など全銀座通連合会が中心になってつくり、建物の高さを56メートルにしたのが『銀座ルール』です。その後、高さ200メートルの銀座6丁目開発(現・GINZA SIX)の計画が持ち上がり、改めてこれからの銀座について議論し、協議を続け高さ56メートル、屋上工作物を含め66メートルというルールができました。

また、開発される方の窓口として『銀座まちづくり委員会』ができ、そこで相談を受けるのが『銀座デザイン協議会』で、今は年間300件ぐらいの相談を受けています」

── 銀座独特のものとして「銀座フィルター」という言い方がありますね。
「銀座フィルターというのも漠然とした言い方ですが、これは『適者生存』という意味です。街にふさわしくない、あるいはお客さまの需要やニーズが合わなければ、お店が寂れていってしまうのは当然です。しかし、銀座ではうまくいかなかったお店でも、同じお店を渋谷や秋葉原で出したら大成功するかもしれません。また、銀座なりのビジネスのやり方や共通理解、商業倫理があります。たとえばリピーターを大事にしたい、良心的な商売をしたいなど、こうした銀座ならではの商習慣が『フィルター』といわれてるように思います。

銀座という街は通りに面してお店が建ち並び、短いピッチで出入りができる個店が連続しているというのが特徴です。そして、美しい建物やショーウィンドウを楽しみながら、銀ブラができるのが銀座です。

私たちは街中に派手な看板が並んだり、大音量で音楽が流れていることが街の賑わいとは思っていません。

内外装のしつらえ、並べる商品、販売員のレベルなど、銀座のお店を一番すてきなお店にしてほしい。銀座にみえるお客さんには、銀座でしか味わえないようなものを提供していきたいと思っています」

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経営者インタビュー

日本のホテル産業底上げを目指し「森トラスト・ホテルリート」上場へ

伊達美和子 森トラスト社長
だて・みわこ 1971年生まれ。94年聖心女子大学文学部卒。96年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。同年長銀総合研究所入社、98年に森トラストへ入社。2000年取締役入りし、03年常務、08年専務、11年森観光トラスト(13年から森トラスト・ホテルズ&リゾーツ)社長に就任。16年6月より森トラスト社長。

強まるコト消費は追い風

―― ひと頃に比べて円高に振れたこともあって、最近はインバウンド需要が少し弱含みと言われ、その影響で百貨店は総じて苦しくなっています。ホテルは、また百貨店とは事情が違うと思いますが、インバウンドについてはどう見られますか。
インバウンドの市場を見ますと、2015年実績で言えばざっくり、20%ぐらいがホテルへの宿泊、40%ぐらいがいわゆるショッピングでした。ですが、それは本来の姿からすると、買い物比率が高過ぎていびつだったと思います。

本来、宿泊と買い物比率は逆であってしかるべきでしょう。ホテルの客室単価が総じて上がっても、ホテルのシェアが20%ぐらいだったことを考えると、やはりちょっと異常な事態ではありました。

もう1つ、一度日本で買い物をされたらその後、定期便的に送ってあげるという仕組みがウケていることもよく聞きます。それはそれでビジネスとしてはいいわけですが、一方でリアルのお店には買い物に来なくなる仕組みもどんどん作っていることになります。

それに対して、ホテルや観光の立場というのは買い物と違い、その場に来ないと体験できないから来られるわけで、ホテルなり観光地なりに魅力がある限り、インバウンドは減りませんし、むしろさらに増やせる可能性があります。

―― そこを捉えても、時代はモノ消費からコト消費に確実にシフトしていると。
モノ消費は、インターネットを介せばある程度は済みますからね。ですから、消費そのものが減っているわけではありません。対してコト消費は、そこでしか体験できないから意味があるのであって、どこへ行っても同じ体験しかできないのであれば、わざわざ来る必要もありません。

ただし、リピーターも2度3度となればそのうち飽きてきます。そこで、新たな魅力をどうクリエイトし、ブランディングしていくかが重要です。これから産業界を挙げて、インバウンド需要に向けた本格的な産業育成に入っていくということじゃないでしょうか。20年の東京五輪までに、日本のそれぞれの地域でコト消費に向けた整備を、より高めて完成させないといけません。

当社グループで言えば、ホテルの需要に関しては当然、円高に振れた分、16年5月ぐらいから為替の影響が少しありましたし、熊本地震の影響も若干ありました。さらに中国の景気足踏みの影響もあって、伸び率では鈍化していると思います。ただ、それでも業績自体は15年より伸びている状態にありますので、そこそこ順調かなと。いずれにしても、インバウンドが今後、まだまだ伸びるようにするためにどうするか、そこは常に意識しています。

赤坂や品川・三田エリアも

―― 森トラストグループの中長期ビジョンでは、2019年度の目標値として、売上高で1800億円、うち賃貸関係事業で650億円、ホテル関係事業で400億円、不動産販売事業その他で750億円、その先の23年度は売上高2100億円、賃貸が850億円、ホテルで550億円、不動産販売などで700億円としています。この計画に向けた考え方を改めて聞かせてください。
単純にいまの環境のまま伸びていけば、確かにホテル事業はほかの部門に拮抗してくることになると思います。ただ、不動産事業としての収益力は、やはりオフィス賃貸のほうが効率がいいということも考えなければいけないので、売上げだけを単純に見ても、本当は比較はできません。ホテルであれオフィス賃貸であれ、あくまでもその投資の結果としての利益が、投資対効果でどうなのかを見ていかなくてはいけないですからね。

―― 今後の主なオフィスビル計画にある、赤坂ツインタワー建て替え計画(仮称・赤坂2丁目プロジェクト)や、品川・三田エリアに保有するビル3棟の一体再開発計画はどう展望しますか。
赤坂のプロジェクトは、いまオンプロセスでやっているところですので、細かいところはお話しできないのですが、だいたい方向性は決まっていて、基本的には虎ノ門、赤坂、それに丸の内の3つの特区で連携し合いながら、東京をどうPRしていくかが鍵になります。

赤坂プロジェクトのオフィスビルは、もちろんホテルも誘致していきたいと思っています。虎ノ門や赤坂エリアでも今後、かなりホテルが集積してきますが、それを競合と見るのか、ポジティブに捉えて面的な集積と見るのか。私は後者の立場を取ります。丸の内もそれなりにホテルが集積し始めて、日本橋にもあるという状況と比較して、インターナショナルないいホテルがあるところはどのエリアかをイメージしていただいた際、虎ノ門、赤坂エリアがそこにきちんと入ることが重要ですから。

―― 品川・三田エリアは、JR品川駅と田町駅間にできる新駅、および周辺エリアの開発度合にもよりますし、27年開業予定のリニア新幹線などを考えると、かなり長期スパンで考えていくプロジェクトになりそうですね。
はい、丸の内や虎ノ門エリア周辺の動きが活発化し、その次に大きく動くのが品川・田町エリアです。その時代を迎える頃には当社の大きな2つの開発(虎ノ門と赤坂)が終わって、その上で品川・田町というエリアのポジショニングが、JRさんも含めてどうなっていくのかを見ながら考えていくべきことだと思っています。

品川・田町エリアは、都心の中で羽田空港にも比較的近いですし、新線や新駅もできてくることを含めて考えますと、(虎ノ門や赤坂とは)また違うコンセプトがあってしかるべきですね。東京を意識しながらも、常に地方も意識している、あるいは世界を意識しているものと、全部がつながっていくような位置づけのプロジェクトになるでしょう。具体的な再開発の用途に関しては、もう少し時代を見ていくべきかなと。単純にオフィスビルを造ればいいわけでもないですし、オフィスの在り方も変わってくるかもしれませんから。

―― 東京五輪が20年に終わった後、仮に予定通り27年にリニア新幹線が開業するとしても、五輪後の景気後退は前回の東京五輪で経験しています。その点は、森章さん(森トラスト会長で伊達氏の実父)も以前、「五輪後の財政の崖」に懸念を示されていました。不動産業界に限ってみれば、そこのリスクヘッジは、いかに他社よりもいい立地を抑えるかがやはり基本ですか。
ロケーション重視で、次に投資のボリューム、というか投資バランスを崩さないということだと思うんですね。いまの金利状況では資金調達もしやすいですし、容積率も緩和されている等々の条件の中で、建築費が高いという懸念はありますが、簡単に新規の投資価値が見いだせてしまうのです。だからといって、いままでの3倍も4倍も投資しようと思ってはいけません。

次世代の森トラストを担う伊達美和子社長。

一方で、景気不景気の波がある中でも、コンスタントに投資をしていかなければ事業は持続、成長していかないのも事実です。さらに、財務体質を良くし、自己資本比率も厚めにしていく。あらゆる点で逆風になった時には貸し渋りも起きてきますので、そういう事態にもきちんと備えておく必要があります。そこは会長自身もやってきたことですが、その部分を今後も崩さないというのが1つのセオリーでしょう。

ホテルに関しては、かつてよりも投資を加速しています。景気の波はどんな業界でもあるわけですけど、世界の旅行者は増え続けていますし、どの国から来られるかという点が変わってくるだけですので。ありがたいことに日本の観光資源は磨けば魅力がありますから、紆余曲折はあっても伸びていく分野なので、投資は続けていきます。都心で大型のオフィスビル1棟を建てるのと、ホテルを10棟ぐらい建てるのとが同じくらいの投資というケースもあります。そういう意味では、ホテルのほうが投資を少し早めたり、逆に少し遅くしたりと、供給の調整がしやすいかなと思います。

―― ホテルの立地等々を見極めながら、運営方法もフランチャイズ方式のほか、所有は森トラストでマネジメントや管理・運営は提携先のホテルチェーンに任せるMC方式、さらに直営やリース案件など多彩ですね。
MCになればなるほど、いままでにないようなホテルブランド、あるいは高単価なホテルを誘致できます。一方でFCはFCで、我々がハンドリングできるので、オペレーションのコントロールがしやすいというメリットがある。ですのでそうした比較の中で決めますし、要は選択肢の中でのバランスだと思います。

「常に先を先を見ている」

―― 近年は、マリオットを軸に外資系ホテルと組んだリブランドが活発ですが、森トラスト・ホテルリート投資法人の株式上場(16年度中)も予定されています。
資金調達をし、自分たちのノウハウや技術で開発もして、新しいホテルを保有していること自体は、そんなに重荷ではありません。いま、ホテルは簿価に対して時価では相当な利益率のある状態ですから、無理にリートに組み込まなくても問題はないわけです。

我々がホテルリートの上場を目指すのは、ホテル産業をもっと拡大していきたいからにほかなりません。ホテル産業を確たる地位に引き上げることによって市場が活性化し、次に自分たちが投資をする環境も整う循環になります。ホテルビジネスも安定的、かつ成長力もある事業であることを、世間にさらに理解していただくと。上場リートという市場のポジショニングにすることによって、ホテルに対する投資の見方などを変えたいという思いがあります。

ホテルに関するたくさんのプレイヤーが来て、その街が更新されて力をつけ、PRできていく。そのエリアが日本で目立つ存在になり、海外からも人が来るという循環も生まれます。そのためには、自社でホテル事業を完結するだけでは限界があるのではと思います。

会長(森章氏)も早くから「リートを作るべきだ」という提唱をしてきて、森トラスト総合リート投資法人(大型オフィスビル主体で商業施設、ホテルにも投資)も15年ほど前に設立していますが、それも同じです。不動産と金融をつなげることによって、銀行借り入れではない市場を作ることで不動産市場が活性化すると考えました。

収益還元法(該当物件を賃貸に出して利用された場合の資産価値を算出)という客観的な価値と、キャップレート(期待利回り)という、ある種公平な尺度ができて、不動産業が正しい産業に成長したのがリート。ホテルもそういう循環になったらいいなという思いから、ホテルリートの上場を考えているのです。

―― ほかの大手ディベロッパーも最近はホテル事業に積極的ですが、たとえば財閥系ディベロッパーとの差別化ポイント、あるいは森トラスト独自の立ち位置やDNAといった点はどうですか。
私は世界中のホテルを見ながら、どういうところとビジネスパートナーとして組んだらいいか、どういうブランドがいいかなとか、先を先を見るようにはしています。あとは、選択する中でパートナー先の将来性も見ていますね。地方で、なるほどと思えるエリアを先に押さえていくことによって、新たなビジネスチャンスを作っていきます。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)

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経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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値上げをしても販売増 年間4億本を売る「ガリガリ君」の強さ 赤城乳業 マーケティング部 部長 萩原 史雄

コーンポタージュ味やナポリタン味など、異色のフレーバーで注目を集めるアイス菓子の「ガリガリ君」。2016年は発売から35年、赤城乳業は会社設立から55年を迎えた。

「ガリガリ君はコミュニケーション・ツールです」と萩原さん。

コーンポタージュ味やナポリタン味など、異色のフレーバーで注目を集めるアイス菓子の「ガリガリ君」。2016年は発売から35年、赤城乳業は会社設立から55年を迎えた。

さまざまな話題を提供してくれる赤城乳業のガリガリ君。しかし、その誕生は「会社倒産の瀬戸際のときに発売した商品なんです」と赤城乳業営業本部マーケティング部部長の萩原史雄さんが話すように、危機から生まれた商品だった。

そもそも赤城乳業は1916年、いまも本社のある埼玉県深谷市で創業。中山道にある深谷は軽井沢と結ばれ、夏場の天然氷需要地でもあったことから氷菓業に乗り出し、61年に株式会社化した。その後、64年に発売したカップ入りのかき氷「赤城しぐれ」がヒットし、業容を拡大。しかし、79年の第2次オイルショックで、1個30円だった赤城しぐれの価格を50円に値上げ。一方、大手メーカーが価格を据え置き、売り上げが激減、ピンチに陥ってしまう。

「当時はヒット商品もなく、このままでは倒産というところまで追い詰められました。そこで『赤城しぐれ』をワンハンドで、子どもが外で遊びながら食べられるかき氷をというところからできたのがガリガリ君です」(萩原さん)というわけだ。

食感はホンモノのメロンパンのようなガリガリ君リッチのメロンパン味。

80年にかき氷をスティック状に固めた新商品を発売したが、食べていると溶けてバラバラになるという失敗を経験し、81年に外側に薄いアイスキャンデーの皮膜を作り、そこにかき氷を入れるという手法を開発。81年に食べたときのガリガリとした食感から「ガリガリ君」とネーミングし発売された。

その後、同社の売り上げは順調に伸び、売上高は15年度405億円、16年度は443億円、10年連続の増収を続けている。また、売り上げに占めるガリガリ君の割合は「3分の1ほど」(萩原さん)という。

ガリガリ君がここまでメガヒット商品になった理由について、萩原さんは「さまざまな要素が複合的に関係している」と話す。その1つが、アイス菓子の販路の変化だった。

「当時のアイス菓子の販路は一般の小売店が売り上げの60%を占めていて、ショーケースも大手メーカーが押さえていたので、販路で勝てないということがありました。しかし、コンビニが広がり始めたころで、経営トップの『コンビニで勝負をするぞ』という決断で、コンビニの広がりに乗っていきました」(萩原さん)

そして、これに対応するためコンビニ専門の販売部隊をつくるなど、商品政策、社内体制を整えていった。この当時、コンビニのアイス菓子の販売占有率は5%前後だったが、いまでは30%になっているという。

独自の世界観で商品展開

さらに商品政策としては「ガリガリ君」というネーミングはもちろんのこと他社製品との差別化を明確に打ち出した。

キャラクターの「ガリガリ君」は、埼玉県深谷市に住む小学生で、昭和30年代のガキ大将という設定。そのうえで「このキャラクターの持つ〝元気で、楽しく、くだらない〟をキーワードにした世界観でPRし、コミュニケーションツールになるような商品が基本です」(萩原さん)。

順調に伸びてきたとはいえ、いくつかのターニングポイントはあった。

「コンビニでの販路拡大のピークは94年でした。そこで97年からはチャネル政策強化ということでスーパーでのファミリーパックの販売を開始。2000年には生活者視点のリニューアルということで、ガリガリ君のテレビCMを始め、年間の販売本数が1億本を超えました。このCMによって西日本での認知度が上がり、07年に2億本、10年に3億本、12年に4億本と販売本数が伸びています。なかでも10年に新工場が完成し、販売本数が一気に伸びました」(萩原さん)

ガリガリ君といえば、コーンポタージュ味、ナポリタン味など変わりモノ・フレーバーで注目を集めた。こうした話題づくりも販売戦略には重要な要素だ。もちろん、そこにも“元気で、楽しく、くだらない”という世界観は欠かせないという。

こう見えても実は小学生。

「私たちは“小ネタ”といっているのですが、イベントや販促グッズなどの仕掛けを行っていて、いまは年間100ぐらいの小ネタをやっています。これまで真冬の吹雪の北海道でのサンプリングやアイス売り場にスプーンを使わないガリガリ君のアイス専用スプーン入れを置き、その中にハーゲンダッツのスプーンが入っていたということもあったようです。つまり、突っ込みを入れられたり、くだらないといわれながらも何かの話題になることをやってきました」(萩原さん)

もちろん、これには狙いがある。それは小ネタを見た人がSNSで話題にして口コミで広げてくれるだろうというわけだ。とはいえ、こうした話題づくりは単にガリガリ君の売り上げを伸ばすだけが目的ではないと萩原さんはこう話す。

「アイスの専業メーカーとしてプライドとでも言えばいいのか、こうした話題づくりをして、アイスを買わないお客さんにもアイス売り場に来ていただきたい。それでガリガリ君を買ってもらえばうれしいですが、他社の製品でも買ってもらえればよいと思っています。アイス売り場での新顧客の創造を考えています。アイス市場はこの10年間で約1300億円伸び、16年は5000億円に迫る勢いです。市場が広くなれば、結果として自分たちの商品も売れる。実際、食品系で伸びているのは健康系のヨーグルトとチョコレート、そしてアイスクリームなんですね。当社のシェアは9%ですが、市場創造貢献は18%という数字もあります」

常に話題になるガリガリ君、“元気で楽しく、くだらない”挑戦はまだまだ続く。

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【BOSS×WizBiz】事業継続の先にある事業継承のさまざまなかたちを提案 西堀 敬 日本ビジネスイノベーション社長

西堀 敬 日本ビジネスイノベーション社長
にしぼり・たかし 1960年、滋賀県生まれ。83年大阪市立大学卒業後、日立造船入社、本社財務部にて輸出金融・外為業務に従事。87年和光証券(元・みずほ証券)にて国際企画部、スイス現地法人などで、国際金融業務を担当。96年ウェザーニューズ社にて財務部長として上場準備に携わる。99年米・eコマース会社にてCOO兼CFOとして日本での業務立ち上げ。2000年IRコンサルティング会社取締役。11年から現職。15年投資情報サイト「IPOジャパン」編集長を兼任。

平均52歳でIPO

── 基本的な業務の内容について教えてください。
M&Aの仲介や、助言、IPO支援などです。なかでも、力を入れているのが事業継続支援です。会社の寿命は30年とよく言われますが、中小企業では会社の寿命と社長の寿命は同じようなものです。

これまでも私はずっとIPO関係のコンサルをやってきていますが、IPOをした会社を見ると上場したときの社長の平均年齢は52歳ぐらいなんですね。これはここ15~20年ぐらい変わっていません。また、会社設立から上場までの期間はおよそ20年。

つまり、設立から20年、社長の年齢が52歳で上場してくるというのが平均なので、30歳ぐらいで独立して、20年ぐらい事業を継続してIPOするというのが、平均像としてあるんです。

そして、IPO後10~20年間、経営をすれば、社長の年齢も平均で60歳以上になり一線を退くことを考えはじめるのが一般的です。会社設立から30~40年というのが、経営者の世代交代の時期で、世間でいう会社の寿命になるわけです。

会社というのは、10年継続する割合がおよそ1~2割で、残りの8~9割は設立後10年以内に消えてしまいます。最初の10年をクリアし、そこからさらに成長できればIPOも見えてくるというわけです。

もちろん、上場を望まない会社もありますが、設立から30年ぐらいすると衰退していくか、逆に成長していればもう一度上場のチャンスがめぐってくる――。そういった会社の設立から、経営のそれぞれのポイントポイントの見極めをして、事業継続をお手伝いしているのが当社です。

── 事業継続支援とは、具体的にはどのようなことでしょうか。
事業承継で後継者がいないという場合は、M&Aや業務提携先を探す。社員に引き継がせたいというケースもあるので、そういった場合は株の譲渡のスキームを考えます。また、ニューマネーが必要であれば、投資家を探すなど、どう事業を継続させるかを考えていきます。

また、事業継続や事業承継の観点からIPOというのは有力な方法なんですね。実際、M&Aで大手に売却した会社はその後も儲かっている会社が多く、成長性も期待できます。そうした会社であればIPOの提案もしています。

── 中小企業がIPOするのは大変そうですが。
実際に年商100億円ぐらいの会社で、純資産で10億~20億円、無借金の会社という中小企業はけっこうあります。とくに地方の有力企業に多いんですね。こうした会社が親子で事業承継しようとした場合、相続税の負担は大きく、株を売って相続税を払おうとしても、実際にその株をどこに引き受けてもらうかが問題です。しかし、IPOすれば最初の売り出しや公募、また、市場で株を売却していけば相続税の準備ができます。3代目ぐらいになってしまうと、創業家の持ち分は減ってしまうかもしれませんが、企業は社会の公器になり、それはそれでいいのではないかと思うんです。

M&Aにこだわる必要はない

── M&AとIPOができる会社というのは重なりそうですね。
オーナーさんの目的は、自分の会社の看板や従業員の雇用をきちんと残したいということがほとんどです。M&Aが可能な会社であれば、IPOも十分可能性があり選択肢の1つになります。われわれがお手伝いしたケースでも、IPOで株主は変わっても、経営者はそのままという会社もあります。

事業承継問題では「後継者がいないから、引退ですね。引退だから株も譲る」と考えがちですが、まず、事業を継続するということを前提に、どういう選択肢があるのかという事を考えるべきだと思います。方法はいろいろあって、何が何でもM&Aでなくてもいいと思います。

昨年、マザーズに上場した会社で、税引き後利益が1億~2億円という会社が数十社ありました。このぐらいの利益というのは町の工務店でも出る数字です。

こうした会社はいくらでもある。ビジネスモデル的にIPOにフィットしないと思っているだけで、IPOできる会社は世の中にごまんとあります。ただ自分たちは、IPOは難しいと思い込んでいるだけなんですよ。

── IPOをする場合、成長性が求められるのではないですか。
それはマーケットで投資家が、判断することです。むしろいまのカルチャーやマネジメントを変更しないで会社を継続していくための上場があってもいいではないかと思うんです。もちろん、投資家からすれば、そうした会社は面白くないかもしれません。しかし、民営化された郵政やJR九州に、成長性があるでしょうか。しっかりと利益を出していれば、問題はないのではないでしょうか。

IPOというと、とかく若いベンチャー経営者のようなイメージですが、先ほどお話ししたように、IPOした経営者平均年齢は50代なんですから。実際、今、相談を受けている会社でも息子さんに事業承継を考えている社長は、当初はIPOはめんどうだからと敬遠していました。しかし、企業評価をすると、40億円あるということがわかり、息子さんに譲る際の相続税を考えてIPOを検討しています。

上場の潜在能力を持った会社というのはたくさんあって、それは地方にもあります。地方の会社の方がそういうことができる会社が多いんではないかと思います。

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