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長生きリスクに保険ができること 2016年秋・保険の最新事情|月刊BOSSxWizBiz

保険ジャーナリスト 鬼塚眞子+本誌取材班
おにつか・しんこ 大手生命保険の営業職、業界紙記者を経て保険ジャーナリスト、FPとして独立。介護相続コンシェルジュ代表理事。著書に『保険選びは本当にカン違いだらけ』がある。

親の介護で自己破産

人の一生には病気や事故、また天災といったさまざまなリスクがある。これらのリスクに加え、いまや人生100歳時代を迎え、長生きそのものがリスクになってきている。

一口に老後といっても、健康で過ごすのが「第2の人生」だが、じつは長生きになった現代の日本人には、その先に“介護を受けながら”の「第3の人生」も登場している。

そうした第2、第3の人生での不安は、何といってもお金の問題である。少なくとも子どもや周囲の迷惑にならないように過ごしたいというのはだれもが思うことかもしれない。そこで、考えなければならないのが自らの寿命についてである。

以前、20代から50代の男女50人を対象に「自分の寿命について考えたことがありますか」というアンケートを行ったところ、男性は「70代前半」、女性は「80代前半」と答える人が多かった。この数字はたぶん平均寿命ぐらいという漠然としたものだった。

しかし、厚生労働省の15年度簡易生命表での日本人の平均寿命は、男性80.79歳、女性87.5歳で、寿命に対する漠然としたイメージから10~7歳のズレが出ている。しかも、厚生労働省の15年度調査によると、100歳以上の高齢者は全国に6万1568人おり、45年連続で増加している。さらに国立社会保障・人口問題研究所「日本の将来推計人口(12年1月推計)」によれば、今後の100歳以上の人口予測は20年後に約35.8万人、30年後には約48万人、さらにいまの50歳が100歳になる2060年には、その数がおよそ60万人に達するという。

では、実際に「自分は平均寿命で死ぬ」と思っていた人が、100歳まで生きたとしたらどんな問題が生じるのだろうか。

一つは介護施設に入所したものの、予想以上に寿命が延びたため、老後資金が底をつき、退所を強いられるといったことがある。こうしたことはすでに全国で出始めている。さらに親の長生きが子どもの人生にも影響を及ぼしているケースもある。

実際にあった民間の老人施設に入居した例では、入居時のまとまった費用は自分で用意。月々の諸費用は子どもに出してもらっていた。しかし、施設に入居した親が長生きをしたことで、子どもの定年後も親が存命で、子どもは自分の退職金と年金を使って親の施設の費用を支払い続けていたが、それも続かず自己破産してしまったというものだ。こうした例は、まだ数は少ないが今後増えるのではないかと見られている。いまの50代にとって、自らの老後を見越して、年金はもとより介護を含めた資金手当をしておくことは必要不可欠なところまで迫られているのだ。

老後にかかるお金

多くの人の場合、老後資金というと、元気で活動できる期間の年金不足分を考えている人は多いが、介護資金の用意までとなると、手薄な人が圧倒的に多い。

政府は在宅介護を推奨しているが、在宅介護は親族の協力、看取りをしてくれる訪問ドクターや訪問看護師、介護関係者など市区町村といった周辺の状況が整っていれば安心できる。しかし、現状ではこれをきちんとケアできている自治体は数えるほどしかない。

そうなると何らかの施設への入居というのが一般的な対応になる。全国の主要な施設を調査したところ、介護が必要になって死亡するまでの平均的な入居年数は「7年」というものだった。また、1カ月にかかる1人分の大まかな入居費(諸雑費別)は、地方の施設なら12万円から15万円。首都圏では20万円から30万円というのが平均値だ。

1カ月の入所費用を仮に20万円として計算すると1年で240万円。平均的な入居年数の7年では1680万円かかり、諸雑費を加味すると、7年でおよそ2000万円は見込んでおく必要がある。もし75歳で施設に入り、100歳まで生きたとしたら、その費用は6000万円にもなってしまう。

一方、老後の生活費はどのくらいかかるか。

15年の総務省の家計調査報告では60代以降の1カ月の生活費は、およそ27万5000円。収入はというと厚生年金(夫婦2人/企業年金除く)の平均額は19万4000円で、これにちょっとしたアルバイトなどの収入を合わせて21万円あまりになっている。つまり、現状でも年金だけでは月々6万円が不足している。

そこでその不足分は預貯金を取り崩しながらとなる。サラリーマンにとって老後の預貯金の大きな柱は退職金である。

ちなみに、厚労省が出している12年の「就労条件総合調査結果の概況/退職給付」での大卒の退職金の平均は1941万円だ。65歳で完全リタイアして75歳からは施設に入った場合にかかる費用をまとめたのが次ページのイの表だ。不足分を退職金から差し引いても977万円が残る計算で、これならなんとかなりそうな気もする。

しかし、この計算はあくまでも1人が施設に入居した場合。夫婦2人での入居になれば費用は1.5~2倍になり、単純に2倍なら700万円ほどが不足。夫婦のどちらかが施設で、一方は自宅で生活するにしても、その生活費が必要になる。加えて施設に入った人が長生きをして入居期間が長くなったとしたら……。

そこでこうした長生きリスクに備える方法の一つが保険の活用だ。長生きの備えという視点から、それぞれの保険について見ていこう。

 

■介護保険

老後の生活資金は、年金と蓄えでなんとかなるけれど、介護資金まで手が回らない――そこで頼りになるのが民間の介護保険だ。民間の介護保険とは、要介護状態になると保険金が出るもので、ここにきて商品ラインナップもそろってきた。

これまで民間介護保険は、保険金の支払要件が「公的介護保険連動型」と「保険会社独自型」の2種類に大別された。しかし、最近では公的介護との連動を基本に、65歳前の公的介護の適用基準が厳しい年齢では社内規定で対応し適用基準を広くしたものが主流になってきている。

また、支払対象の公的介護の要介護度も低くなり、要介護3あたりがボリュームゾーン。さらに保険金の支払方法は、一時金型、年金型の2種類。以前は男性は一時金型、女性は年金型といわれたこともあったが、いまは一時金型のニーズが若干高めになっているという。もちろん、一時金型と年金型の両方をそろえられるが、保険料は高くなる。

年金型は終身型と支払年数が決められる確定給付型の2種類がある。どちらを選択するかは、結局のところ保険料との見合いになる。さらに年金型には、要介護度に応じて給付金が上がるものと、一律型のものがある。また、要介護度が下がり支払要件から外れると給付が止まり、また支払基準に達すると給付が再開するものもあるため、そのあたりの見極めが必要だ。

介護保険は、損保も販売している。生保の介護保険は「自分の介護」であるのに対して、損保の介護保険は自分のものに加え「親の介護」に備えたものもラインナップされている。ただ、こうした損保の保険は団体契約のものが多く、勤めている会社が損保会社と契約していないと加入できない。とはいえ、企業も介護離職への対応からこうした団体保険を導入するところも増えており、自分の勤めている会社が損保会社と契約しているのであれば、どんな保険があるのか確かめておきたい。ただし、加入する際は、親の年齢による加入制限があるため、実用性については疑問が残る商品もある。

■医療保険

医療保険というと「入院1日いくら」という入院給付と手術給付を基本に、特約として退院後の通院給付、特定疾病給付、先進医療給付などが付けられるのが一般的。そのため保障内容的には成熟した保険だった。しかし、最近、この状況に変化の兆しが見えてきた。

というのも、増大する医療費の抑制から入院日数が短縮されるなかで、入院給付中心では保障の効果が薄い。しかも「特定疾病は給付額倍額/支払日数無制限」という特約も登場して、入院日数にこだわる必要がなくなった。そこで「病気になったら一時金」的な商品が登場しはじめた。これまでもがん、脳卒中、心筋梗塞といった三大疾病で数百万円のまとまった一時金を出す特定疾病保険はあったが、これを生活習慣病まで広げ、数万円~数十万円に給付を抑え、細かく対応した商品が登場し始めている。

医療保険の見直しを考える際に、保険料を重視するか、保障内容を重視するかは、非常に悩むところだ。最近は、単に保険料が安ければよいという傾向が強い。しかし、50代以上の見直しは、安さだけにとらわれず、保障内容を吟味したい。

表ロは、保険料の安いA社とやや高いB社の比較だ。保障内容を一見すると、ほぼ同じようで保険料の安さだけならA社に軍配が上がる。一方、表ハは保険加入から10年後、がんに対する開腹手術で入院20日をした際の保険金の受取額と支払保険料を比較したもの。

この表からもわかるように保険金の受取額の差ではB社が多くなり、10年間の保険料の支払総額の差を引いても7万6000円、B社の方が多くなる。

医療保険分野で、今後注目しておきたいのが「患者申出療養制度」への対応だ。患者申出療養制度とは、16年4月より施行された制度で、治療が困難な疾病に対して、国内で未承認の医薬品などを用いた治療を受けられるようにするというもの。治療については患者の申し出に基づき、国の機関が審査し、実施実績のある治療なら最長2週間、ないものでも6週間の審査で実施の有無が決定される。治療費は健康保険の対象ではなく、全額が自己負担になる。

現在も先進医療があるが、新しい医療の制度として注目されている。しかし、これに対応した保険はまだない。先進医療のような実費負担になるのではといわれるが、どのくらいの保険料で登場するのか、長生きリスクの観点からも目が離せない。

■個人年金

個人年金保険については、「50代から個人年金をはじめても……」と正直なところ各社ともに消極的。また、マイナス金利の影響で保険会社としては積極的になれない事情もある。

とはいえ、変額保険などでは、魅力的な商品もある。「変額保険」というとバブルのときの悪いイメージが焼き付いているため毛嫌いする人も多いが、なかにはリスクを低く抑えた商品もある。要は使い方次第。ネットでの論評などを鵜呑みにせず、検討してみる価値はある。とはいえ、こうしたメリットのありそうな商品は今後改定されるものもあり、掘り出しものを探すのなら、いまがラストチャンスといえるだろう。

また、これまでの個人年金や養老保険とは発想がまったく違う早く死亡すると受け取る保険金(死亡返戻金)が少なく長生きするほど受け取る年金が多くなる「トンチン年金」というのも登場している。

中高年からの需要の低い個人年金保険だが、長生きリスクに直接関わる分野の保険だけに今後、新しい保険が出てくる可能性がある。

■終身保険

死亡すれば必ず出る終身保険は、前の個人年金保険と同様、払込期間が短くなるため、保険料が高くなるという点から中高年からは入りづらい。そんななかでも、保険料の払込期間の解約返戻金を抑えた「低解約返戻金」タイプは、途中解約をすると解約返戻金が低いが、保険料の払い込みが終わると同時に、払込額90%以上の同じ返戻金になるものが多く、払込期間中は万一に備え、払込終了後は預貯金代わり使える。

また、死亡保障だけでなく三大疾病や介護状態になった際に一時金を受け取ることができる特約を付けたタイプもある。

さらに保険料払込免除特約の付いたものでは、払込途中に、こうした疾病になると、解約返戻金が一気に上がるタイプもあり、単なる死亡保険にとどまらない、汎用性の高い使い方ができるものもある。

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経営者インタビュー

「8つのナンバーワン」を10にも12にも増やしていく

小路明善 アサヒグループホールディングス社長兼COO
こうじ・あきよし 1951年11月8日生まれ。75年青山学院大学法学部卒。同年アサヒビールに入社。2000年人事戦略部長、01年執行役員経営戦略・人事戦略・事業計画推進担当、02年執行役員飲料事業担当、03年アサヒ飲料常務取締役企画本部長、05年アサヒビバレッジサービス社長を兼務、06年アサヒ飲料専務取締役、07年アサヒビール常務取締役、11年アサヒグループホールディングス取締役兼アサヒビール社長、16年アサヒグループホールディングス社長兼COOに就任。

酒類、飲料、食品のグループ中核事業会社を束ねる、アサヒグループホールディングス。同社のトップに、今年3月に就任したのが小路明善氏だ。グループシナジー最大化に加え、今後も勝ち続けていくための条件、業界再編から事業哲学、経営観まで幅広く聞いた。

新商品で先駆ける企業に

―― グループの酒類、飲料、食品、それぞれの事業の足元の課題やシナジー最大化はどう考えていますか。
これから3年程度の期間で、アサヒグループのダイナミックな成長の実現を成し遂げていく考えです。

まず、酒類、飲料、食品の各事業で、ナンバーワンブランド、ナンバーワンカテゴリーをいかに多く創出していくか。いま、ナンバーワンのブランドやカテゴリーが8つありましてね。ビール類の中のビールでナンバーワン。「スーパードライ」は1987年に発売をして、89年から27年間にわたって1億ケース超え(1ケースは大瓶20本換算)という大きな量を販売してきています。2つ目に、昨年は「ドライゼロ」を中心としたビールテイスト飲料でナンバーワンカテゴリーになりました。

東京・墨田区にあるアサヒグループホールディングスの本社ビル。

3つ目は、チリワインの「アルパカ」で輸入ワインナンバーワンを実現。4つ目は「三ツ矢サイダー」が透明炭酸飲料でナンバーワンブランド。5つ目は乳酸菌飲料市場で「カルピス」がナンバーワンです。6つ目は食品事業で、「ミンティア」という商品が錠菓市場でトップ。7つ目は和光堂のベビーフード、そして8つ目が、フリーズドライのみそ汁市場でナンバーワンと。

この数を10にし、さらに12、13と上げていく。そのためには、強みのある分野への集中を意識していかないといけません。その結果、ナンバーワン商品をたくさん持っていると、コストダウンにおける数字が非常に大きくなってくるんですね。小さい商品ではコストダウンもそれなりです。大きいブランドでコストダウン、コストリダクションをすると非常にその成果が出ますから。メーカーとしては、ナンバーワンの大きなブランドをたくさん持つことによって当然、生産効率も上がっていくわけです。

―― なるほど。ほかにも何かありますか。
既存商品を常にブラッシュアップして、付加価値を高めていくことが大事です。スーパードライも中身の付加価値を高めることによって、14年に米国で開かれたワールドビアカップで、大手メーカーでは初めて金賞を取りました。15年は、ブリュッセルビアチャレンジでも金賞受賞。スーパードライのようなロングセラーのブランド商品であっても、変えていいもの変えてはいけないものをしっかり持ちつつ、さらに磨いていくことが大事ですね。

もう1つ重要なのが、技術に裏打ちされた新価値商品。健康機能の飲料や食品です。そして、常にファーストエントリーをしなくてはいけない。一番最初に新しい価値の商品を市場に出していくと。そうすることで技術力もアップしていきますし、マーケティングも研究開発部門もモチベーションが上がる。後発でなく、ファーストエントリーということが大事なのです。これによってダイナミックな成長につなげていきたいですね。

買収、提携、さらに積極化

―― 企業買収、あるいはそこまでいかなくても、提携によっても事業の幅は広がります。
M&A、事業提携、あるいは統合、事業再編ももちろんです。欧州で大型買収(イタリアの「ペローニ」、オランダの「グロールシュ」など)を手がけ、欧州でのビールビジネスで大きな基盤を獲得することができました。「日本発のプレミアム・グローバル・ビールメーカー」を標榜して、量で戦うのではなく、今後もプレミアム・ビールメーカーとしての幹を太くするようなМ&Aを続けていきたいと思っています。

提携という意味では、我々は(沖縄県の)オリオンビールの筆頭株主ですが、沖縄フェアなどを活用して、沖縄県外にも広く拡販することで、ビールのカテゴリーを増やすことができます。ほかに軽井沢ビールとも提携をしまして、ここのクラフトビールをギフトセットで売ることもスタートしています。クラフトってあまり定義がないのですが、我々の流通ルートを使って、ある特定エリアでしか飲めなかった美味しいビールを、通年というわけにはいきませんが、ギフトなどを活用して売っていくわけです。

カゴメさんも筆頭株主ですので、以前、「レッドアイ」という共同開発商品も出しておりますし、自販機分野では大塚製薬さんと提携。さらに業界内で言えば、数年前からキリンビールさん、サッポロビールさんとは首都圏でビールの共同配送をしています。同業他社と共通のもの、特に物流面での協業はメーカー共通利益の確保にもつながりますしね。酒類や飲料分野は、競争と協調を明確にしていくべき時期に入ってきたのではないかと。この協調の部分はトップダウンで進めていきます。

―― ビール市場の縮小が始まって久しいわけですが、再編の可能性、あるいは必要性は、今後の状況によってはどこまで出てくるという認識ですか。
遠い将来、再編があるのか、あるいは現時点で再編の必要性があるかどうかというのは、何とも言えません。敢えて言うと、私は現時点での再編の必要性はあまり感じません。なぜか。たとえばオリオンビールを含めたビール5社それぞれが、規模は別にして、各社ごとに特徴ある商品を持っているわけです。それを持って事業を営んでいるということは、それに対する顧客がいるということなんですね。

再編すると、ブランドというのは必ず集約されます。せっかくいる顧客の嗜好をあまりにも無視してブランド集約をするというのは、メーカー論理に偏ってしまっているのではないかと。顧客に対して付加価値の高いブランドをいかに出していくかということと、再編の前に業界協調が必要です。もちろん、カルテルになるようなことは絶対にあってはなりません。

物流1つとっても、いまの首都圏での協業で効果が出ていますから、そのエリアを拡大していく。浮いた費用で商品の開発に回すことができるのです。あるいは、流通の効率化に使うこともできる。これは、流通や顧客にとっても歓迎されることですから。

そういうことを十分にやり切ってから、オリオンビールを含めたビール5社が、日本国内で多いのか多くないのかと考えていくべきですね。それを通り越して、一気にいまの5社体制でいいのかという議論は、まだまだ時期尚早であるという感じを強く持っています。

国内にも海外にも等距離で

―― 同業他社に比べて海外比率が低いアサヒグループですが、市場も嗜好も民族性も、あるいは気候も味覚も違う海外での展開は、特にクルマや家電と違って、口に入る食品分野はなかなか難しい面も多いと思います。

海外事業は、基本的には国内と同じようにやらないといけないと思っています。あまりにも現地に任せきりでもダメですし、かといって手を入れ過ぎてもダメ。任せることとハンズオンでグリップすることを、しっかりと明確にしていけば、海外事業はそんなに失敗しないはずです。

大事なのは、国内事業と海外事業のどちらにも、いかに当社(=アサヒグループホールディングス)が等距離でいるかということでしょう。物理的な距離はあっても極端な話、欧州でも2泊で出張に行ってこれるわけで、そこは意識して、国内事業と海外事業との距離感を常に同じに保っていくことは、非常に大事だと思います。

持ち株会社と事業会社のトップは、国内も海外も、あるいは酒類でも飲料でも食品でも、すべて同じ距離感を保っていくことが重要。特に海外の場合、出張が大変だと言って距離感が開いてしまうと、海外で何が起こっているかわからなくなる。その結果、打つ手が後手に回ってしまうわけです。

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」という言葉を座右の銘にする小路社長。

―― もう1つ、企業の意思決定では、行き過ぎたトップダウンもいけないでしょうし、さりとてボトムアップばかりでももちろんダメでしょう。その兼ね合いはどう考えていますか。
トップダウン、ボトムアップは両方必要だと思っています。私の経営観で申し上げますと、トップというのは直観力と情熱がなければダメ。情熱が時にはトップダウンになりますし、直観力で判断、決断したものが、時には外からはトップダウンに見られることもあります。トップダウン、ボトムアップがバランスよく必要とは、あまり感じません。

それより大事なのは、社長にしか果たせない役割が直観力と情熱なのです。直観力も観察の観と感性の感の2つあって、少ない材料でも決断しなくてはいけないことがある。常に観察眼を研ぎ澄ませて、いろんなデータを見たり得意先に行って情報を聞いて、仮に少ない情報であっても、最適な判断、決断をトップとしてしなくてはいけない。それが観のほうです。

感性の感のほうは、たとえばスーパードライのピンク缶は、何年か前に私がゴーサインの指示を出しました。あるクルマ(=トヨタ自動車の「クラウン」)のピンクカラーバージョンを非常に研究しました。ただ、スーパードライは屋台骨ですから失敗は許されません。

ですから、ピンク缶のスーパードライは絶対に下からは案として上ってこないですね。ピンクにしてブランド棄損でも起こしたら、誰が責任を取るんだということになる。そういう、思いきり踏み出す時の決断というのは、感性を磨いてないとできないことです。

大学時代はギターが趣味

―― さて、小路さんのこれまでの軌跡ですが、就職活動、あるいは大学時代のクラブ活動などは。
音楽が好きなので、大学時代は、よくギターを弾いてましたね。就職活動は、オイルショックの直後でしたので、衣食住分野なら永遠になくならないだろうと。プラス金融の会社を受けました。

入社後は、当時の千葉支店に配属になり、自分ではそれなりの成績を残したつもりでしたが、その後1年で東北に転勤になりまして、4年半ぐらい営業担当です。

さらに、ある日突然、労働組合の専従になれと言われまして、確か1980年だったと思います。そこから約10年を過ごしたのですが、組合専従ではいまの会長(=泉谷直木氏)が先輩でいまして、2年ほどは一緒に仕事をしています。

―― 幅広い分野で経験を積まれてきた小路さんなので、多くの武勇伝があると思いますが。
東京の大きな飲食店の契約をひっくり返したというのはあります。そこには2日に一度、1年間通い詰めました。10階建ての飲食店ビルを改装、改修する時に全部、我々の商品棚にしていただいたのです。ただし、ビールは併売でしたけれども。

確かに、私も職歴だけは多いですね。営業10年、組合専従で10年、人事を7年ほどやり、飲料事業も5年ほど。その後、飲料分野で自販機会社の社長もやり、アサヒビールで財務担当、環境、経営戦略、広報や事業計画推進、あるいはITと。

―― 最後に、中長期で見たアサヒグループの近未来像はどうですか。
海外ウエイトをこれからどんどん高めていきます。全世界で存在価値が認識される、グローバル・プレイヤーになっていきたいですね。

いま、スーパードライは約70ヵ国で販売し、海外7ヵ国8ヵ所に生産拠点がありますが、国の数は広げなくていいと思っています。韓国のように、アサヒビールが輸入ビールでナンバーワンという国もありますし、こういうエリアをたくさん作っていきたい。

言い換えれば、生活になくてはならない商品を持った企業集団。これが近未来像の私のイメージですね。事業構成比は、買収で欧州のグローバル・ビールメーカーもグループに入ってきますし、これまで、М&Aの優先順位ではアジア・オセアニアで飲料事業中心に投資してきました。私の在任期間は、酒類、つまりビール、ここへの投資が優先順位としては高くなっていくと思います。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)


経営者インタビュー

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経営者インタビュー

ビール、発泡酒、新ジャンル“全方位強化”で戦っていく

平野伸一 アサヒビール社長
ひらの・しんいち 1956年1月16日生まれ。79年早稲田大学教育学部卒。同年アサヒビールに入社。97年経営企画部中国室長、98年グローバルマネジメント部付上海担当チーフプロデューサー。99年中国代表部業務担当部長、2000年東京支社業務部長、01年首都圏本部営業企画部担当部長、02年東京支社副支社長、03年九州地区本部広域営業担当副本部長、05年焼酎部長、06年埼玉支社長、08年執行役員九州統括本部長、11年常務取締役営業統括本部長、13年専務取締役、15年取締役副社長、16年3月アサヒビール社長に就任。

最大の商戦真っただ中のビール業界。その中でビールの巨人というべき「スーパードライ」を擁するのがアサヒビールだ。発泡酒や新ジャンルも含めた足元の動向から今後の戦い方、海外戦略まで、前頁までの小路氏同様、2016年3月に社長に就任した平野伸一氏を直撃した。

「プライムリッチ」が急伸

―― まずは、上半期の1~6月のビール類のシェアを含めた総括から聞かせてください。
シェアで言えば39.2%、1.1ポイントほどアップをしましたので、これはよかったです。ただし、ビール、発泡酒、新ジャンルと分けて見てみると、ビールは前年比99.2%でした。それを補ったのが新ジャンルで、108.2%、トータルで101.2%という結果です。

今年の5月以降、国内の外食市場が極めて厳しくなりました。前年比101.2%というのは、ボリュームで言うと80万ケースほど増えているんですが、「スーパードライ」と新ジャンルの「クリアアサヒ」「プライムリッチ」の缶、この伸長分が180万ケースあるんです。

ところがトータルではプラス80万ケース。マイナス100万ケースの分は、主に樽と瓶なんです。つまり、業務用の数字が悪かった。もともと当社は業務用、つまりビールに強い会社で、家庭用で多い発泡酒や新ジャンルは2位、あるいは3位です。業務用が減って、いまは家庭回帰の〝家飲み〟が増えています。いままでですと劣勢に立たされるところでしたが、そこでクリアアサヒやプライムリッチなどが前年比2桁増、特にプライムリッチは135%と大きく伸ばせました。この押し上げ効果があったおかげで、業務用から家庭用にシフトしたいまの状況の中でも、当社はシェアを伸ばすことができたわけです。

―― 将来の酒税法改正を睨み、ビール回帰をメーカー側が段階的に進めている一方で、消費者の財布の紐は固く、価格の安い新ジャンルが人気化しているということですか。
原因をリサーチすると、ゴールデンウィーク明けの5月中旬ぐらいから節約モードに入っていて、外食を控えて家庭に回帰している構図がわかりました。ですから、我々メーカーサイドからすれば、(ビール、発泡酒、新ジャンルと)全方位でやることが一番、大事だろうと。これまでのように業務用に偏っていると、マイナスになります。

そういう中で当社は、年初から基幹商品のクオリティアップを図り、特にプライムリッチはベルギーの国際コンテストで三ツ星を取りまして、中身品質がものすごく上がったことが評価された。結果として大きな支持を頂戴し、さきほど言いました135%になったわけです。そういう意味では101.2%は中身のある数字だと思いますね。

―― 景況感や円高、株安の影響もあるとは思いますが、財布の紐が固くなった消費者に、再び外食など外に目を向けさせる方策は。
大きな取り組みの1つが、「アサヒスーパードライ 樽生乾杯キャンペーン」(2016年6月21日~8月21日までを対象期間として、スーパードライ等1リットルの売上げに対し1円を日本オリンピック委員会と日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会などに寄付するもの。アサヒビールは20年の東京オリンピック・パラリンピックで、ビール&ワインでゴールドパートナー)でした。

エネルギッシュでアグレッシブな雰囲気を持つ平野伸一・アサヒビール社長。

全国に26万店ほど樽生店があるのですが、キャンペーンポスターを掲出させていただけないお店もあって、調べましたら18万店ぐらいは掲出が可能と。そこでお客様に知っていただき、飲食店にも賛同していただけて、しかもオリンピック・パラリンピックの選手育成にもなり、売上げ貢献にもなるわけです。おかげさまで、ポスター掲出店は22万店にまでなりました。これは極めて異例なケースでして、それだけ、消費者の皆さんは〝コト消費〟を期待されているということです。この効果で、業務用の樽のボリュームも上がりました。

乾杯キャンペーンは、当社がゴールドスポンサーであるがゆえにできることで、メーカーサイド、飲食店の流通の皆さま、それにお客様が三位一体となって参画できるキャンペーンでした。

その参画意識が高揚感になりますから、そういうものが有形無形でいい影響を多方面に及ぼしていくわけです。当社のスポンサーシップはありませんが、これは19年に日本で開催される、ラグビーのワールドカップも同様ですね。

「クリアクーラー」の経験

―― 話を戻しますと、消費者の嗜好もいろいろで、新ジャンルが人気な一方、母数は小さいですがクラフトビールも人気です。キリンビールでは、主力の「一番搾り」で47都道府県別に違う商品を出しました。
日本でもクラフトビールは成長してきていますが、私は米国ほどは人気にならないだろうと思いますね。日本のビールの特徴として、極めて品質が高いことが挙げられますので、今後もクラフト市場だけ大きな変化というのはないでしょう。

各地域地域のビールを作ることも大事ですが、ビールも発泡酒も新ジャンルもある。さらに缶チューハイなどのRTD分野もある、洋酒も焼酎もワインもあってバリエーションがありますから、それぞれの中身品質を徹底的によくすることが満足度を高める要因です。

スーパードライも来年の3月17日で、発売から満30年になりますので、しっかりと新たなステージに取り組んでいきます。

―― もう1つ、最近はコンビニ向けを中心とした共同開発商品も多くなってきました。コンビニの圧倒的な販路は大事ですが、一方でナショナル・ブランドを最優先で売りたいメーカー側からすれば、少し複雑な思いもあるのでは。
たとえば、セブン&アイ・ホールディングスさんとの取り組みで言えば、RTD分野で缶チューハイの「クリアクーラー」を長年、やらせていただいてますが、そこで商品開発のノウハウをいろいろ勉強しているということと、お客様がどういう購入行動をされているかも、非常に勉強になります。そういうことがずっと知見として生かされて、今年発売した(缶チューハイの)「もぎたて」ができたのです。

チューハイ市場では、残念ながら当社はこれまで4位でしたが、今年の上期で言えば3位に浮上したと理解していますけど、それまでは売れる商品がなかったんです。なので、コンビニの店頭では当社の缶チューハイは陳列棚から弾かれてしまう。スーパーでもそうです。クリアクーラーはずっとセブンさんと一緒にやっていますから、永続的に置いていただける。もぎたてとクリアクーラーとがうまくコラボできて、売上げ貢献のお手伝いもできるだろうと思っています。

―― さて、平野さんのこれまでの軌跡ですが。
入社後は東京の世田谷区で3年、杉並区で3年、家庭用市場を担当し、その後2年はデパートと飲食店チェーン担当で、その間、東京支店におりました。当時はまだ支社でなく支店の時代です。

で、86年にマーケティング部に異動。翌年3月にスーパードライが発売されるということで、大手広告代理店を交えて休日出勤もしょっちゅうあり、侃々諤々の議論をしたのが懐かしいですね。

スーパードライの黄色と赤を使った立て看板、あれは私が考案しました。普通、デザイン的に黄色と赤の原色同士の組み合わせって絶対にあり得ないんですが、ものすごいインパクトがあるんですね。当時は「アサヒ生ビール」が4000万ケース売れていまして、翌年発売予定のスーパードライは、予算では100万ケース、それも当初は首都圏限定だったのです。手探りでみんな素人集団でしたが、それがかえってよかったのかもしれません。

―― キャリア的には営業経験がお長いですが、持ち株会社の小路明善社長同様、平野さんもかなり多彩なキャリアを積まれてきてますね。
確かに、人事や経営企画にもいて、中国室長や中国駐在も経験し、焼酎部長もやりましたから、営業経験と半々ぐらいですかね。

―― これまでのキャリアで、最も苦労したのが中国事業担当の頃だそうですが。
確かに一番、苦しかったですね。当時、深センで青島ビールとの合弁会社を作りましたけど、それをずっと担当していました。これはもう、すごいプレッシャーで、中国ビジネスを黒字化しないといけない。当社の技術者も100人以上、出張、あるいは駐在してもらいましたし、技術陣総動員でやりましたからね。結果的には、初年度から黒字になったのでホッとしましたけど。

当時はいつでも中国に行き来できるよう、上着のポケットにずっとパスポートを入れてましたし、あの頃は2年半で計52回、中国に出張していましたから。

豪州では2位ブランドへ

―― その中国をはじめとした海外ですが、今後の展望はどうですか。今年の年初から、海外事業の一部が持ち株会社からアサヒビールに移管されていますが。
端的に言えば、スーパードライとニッカウヰスキーをさらに海外で売っていこうということです。ブランドエクイティを上げるために輸出を促進すると。

6月21日~8月21日まで、「アサヒスーパードライ 樽生乾杯キャンペーン」を実施し、成功を収めた。

韓国やシンガポール向けは輸出で、遠隔地の欧米向けは現地で作ってもらっていますが、基本は「ハイネケン方式」だと思っています。ハイネケンでは、自社で生産した商品を全量、輸出して、大きい市場に成長したら、現地で直営の工場を作る、あるいは買収して100%子会社にするというやり方です。

この秋口には、イタリアの「ペローニ」が、アサヒグループの100%子会社になります。そうなると、欧州ではいま、違う会社に当社製品を作っていただいてますけど、もしかしたらペローニで作ってもらったほうがいい。当社から技術者も行きますし、100%子会社ですからね。そこで作れば、いわばメイド・イン・ジャパンのスーパードライを輸出する延長線上です。

韓国では、輸入ビールで5年連続ナンバーワンですが、これはロッテさんと組んで「ロッテアサヒ」という会社を作れたことが一番大きいですね。

海外に出る時に、やみくもに出るのではなく、その市場を一番知っていて、しかも流通への配荷力があるところとの契約が大事。そこは、大手商社の方も同じことを言っています。現地で3位とか4位の企業では売り切れない。そうなると、こちらにいくらブランド力があっても売れないのです。

豪州に我々の子会社がありますが、現地ではスーパードライって4位なんです。1位は「コロナ」、2位が「ハイネケン」、3位が「ペローニ」、そしてスーパードライと。このプレミアム市場で、スーパードライとペローニが戦っていた。でも、今後は3位と4位が合流し、合わせると、ハイネケンを抜いて2位になります。豪州のプレミアム市場ではかなり大きな位置づけになるわけで、今後はいろいろなシナジーも出てくるでしょう。

ペローニは、イギリスでは輸入ビールでナンバーワンですが、スーパードライはダウンタウンで戦うビールではありません。価格は高くていい。「4つ星、あるいは5つ星ホテルや国際空港でスーパードライを売れ」と指示しています。

ただ単に、海外でどれだけのケース数を売るとかではなくて、ハイエンド市場で売りたいなと。いわば、BMWのような高級路線の市場でスーパードライは戦いたいのです。高くても買っていただける市場で勝負していくことが大事。

いま、海外ではスーパードライはまだ販売が1000万ケースに達していませんが、さらにブランド価値を上げていくマーケティング活動をしていきます。それがスーパードライ、およびニッカウヰスキーの戦略の立ち位置です。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)


経営者インタビュー

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経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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水と安全はタダという常識の中でトレビーノを浄水器の定番にした営業ウーマン

「水は東レのトレビ~ノ~」という軽快リズムのジングル。いまや浄水器の定番になっているトレビーノが登場し、今年ちょうど30年を迎える。発売直後はまったく売れなかった商品はどう育てられてきたのか――。

販売ルートをどう作る

いまでこそ飲む水は、ミネラルウォーターであったり、浄水器を通したものが一般化しているが、30年ほど前は、水道の水を飲むのが当たり前だった。

「私は広島出身なんですけど、田舎では井戸水がとてもおいしくて、夏なんかはそれでスイカを冷やしたりしてましたよね」

と笑って話すのが、今回の匠・東レトレビーノ販売部長の佐々木直美さんだ。そして、もしかすると、佐々木さんがいなかったら、いまの日本人はここまでおいしい水にこだわらなかったかもしれないというのが、今回のお話である。

佐々木さんが東レに入社したのは1985年。最初に配属されたのは中空糸膜などの「膜」の販売部門で海外への輸出を行う貿易課という部署だった。しかし、83年のプラザ合意によって急激な円高が進み、時代は円高不況の真っ只中、最初の配属先だった貿易課は解散。佐々木さんは入社1年も経たないうちに、同じ事業部の「小型機器販売課」に異動を余儀なくされた。

「新しい部署に行くと、デザイン性もなにもない足に落としたら骨折しちゃいそうな大きなステンレスの箱があって、それがトレビーノ試作機だったんですね。さすがにステンレス製ではダメだろうということで、その後、樹脂製に改良された据え置き型のものが販売第1号のトレビーノで、2万8500円の価格で発売されました」

「団地にチラシを配ったり店頭の呼び込み販売をしました」と佐々木さん。

これが佐々木さんとトレビーノとの縁の始まりだった。

「当時はうちには販売ルートはなかったので、最初は競合会社の商品を扱う代理店さんに『ライバル会社の商品の横に置いてください』と頼みに行ったのをきっかけに、その代理店の課長さんが私を育ててくださったんです」(佐々木さん)

その代理店の課長に連れられ、佐々木さんの日本全国を回る行商の日々が始まった。

「私のいた部署は逆浸透膜を売るBtoBの商品を扱うところで、デパートやスーパーとはまったく接点がありませんでした。だから、部署内では、誰もそういう知見がないので、代理店の課長さんと北は北海道から南は沖縄まで、デパートのバイヤーさんや問屋さんを回ったんです。これが私の営業ウーマンの原点で、いまも泥臭い営業が苦にならないのは、このときの経験があるからなんです」

と佐々木さんは話す。とはいえ、1号機の売れ行きはぜんぜんで「月3000個も売れれば拍手もの」(佐々木さん)といった状態だった。

一方、商品そのものの改良は進み、日本初の中空糸膜を使用したトレビーノは蛇口直結型浄水器として進化を遂げていた。

そして転機は91年に訪れた。

「商品的には、フィルター部分をタテから横にすることで、コンパクトで目立たなくしたんです。また、価格も改めて見直しました。具体的には、主婦が自分のお財布から買える価格を調査すると『1万円』という数字が出てきた。そこでこの新商品を8800円で発売したんです。そして、この年は異常渇水で水不足になったんです。渇水になると水質が悪くなるため、水道水の水も臭うようになるんですね」(佐々木さん)

こうしたさまざまな条件が重なりついにトレビーノは爆発的に売れるようになった。

さらにこの年、古舘伊知郎を起用したテレビCMとともに、誰もが聞き覚えのあるであろう「水は東レのトレビーノ」のジングルも登場。一気に蛇口直結型の浄水器としてポジションを確立した。

トレビーノの強み

さて、これまでさまざまなメーカーから数多くの浄水器が発売されているが、その中でトレビーノの強みとは何か?

「東レの中空糸膜の高い技術はもちろんですが、交換カートリッジは迷うことがないんです」(佐々木さん)

たとえば、蛇口直結の商品数は、カセッティシリーズで9種類、スーパースリムで7種類あるが交換するカートリッジの型番は2種類しかない。

「お店に行って、カートリッジの向きがタテかヨコかがわかれば、それだけで大丈夫です」(佐々木さん)

と、とてもユーザビリティーが高くなっている。このあたりも実直な企業風土を持つ東レならでは。そして、累計の販売台数は発売20周年の06年で5000万台、14年には1億台を突破、加速度的に増えている。

こうした消耗品を交換するビジネスはさまざまなものがあるが、しっかりとした本体を作り、それを長く事業継続していくことが、長く使ってもらう商品に育てる条件だ、と佐々木さんは指摘する。

そして、トレビーノに対する思いを、こう話す。

「私はトレビーノ草創期の鳴かず飛ばずの時期から、ちょっとヒットしたころまで約16年間携わってきて、その後一時離れましたが、また昨年4月にトレビーノに戻ってきました。東レのような歴史ある会社で、1つの商品が生まれるところに立ち会い、部署も1つの小さな『課』が『部』になり『事業部』へと成長していく過程をずっと見ることができたというのは、一般的なサラリーマンにはとてもできない貴重な経験ができて、幸せだったと思います」

蛇口直結型浄水器としての販売シェア63%のダントツを誇るトレビーノ。これからどう進化していくのか、さらなる成長に目が離せない。

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【BOSS×WizBiz】企業のトップを惚れさせる“採用動画”で人材不足を解消

和久井 海十 セルフメディアエイジェント社長
わくい・かいと 1964年生まれ。北海道出身。自動車メーカーのセールスマンとして営業しながら夜間大学で学ぶ。大学卒業後、日本電子計算に入社。2000年伊藤忠テクノソリューションズ入社。外資系企業を経て10年セルフメディアエイジェントを設立。著書に『iPad ノマド仕事術』(サンマーク出版)、『Amebaブログで売上を10倍にする技術』(秀和システム)、『人を動かす技術』(ごきげんビジネス出版)等がある。

中小企業を支援

―― 2010年に起業したわけですが、もともと起業ありきというわけではなかったようですね。どういった経緯で起業しようと考えたのですか。
ある外資系企業に勤めていたのですが、リーマン・ショックで、その企業がアジア部門を撤退することになったのです。通常、外資系企業の場合、現地法人を閉める際には何らかの退職プログラムがあるものですけど、リーマン・ショックで本国も危ないとなって、何も支援がないままリストラされた形です。

その企業に入るまで3社ほどヘッドハンティングされてキャリアアップをしてきたこともあり、職はすぐに見つかるだろうと思っていたのですが、当時は不景気でほとんどの企業が人員を増やすこともなく、採用してくれるところがなかった。フリーターまがいの生活を2年ほど過ごし、どうせなら自分で会社をつくろうと思い立ったのがきっかけになります。

―― 現在は「採用動画」の映像制作に事業の主軸を置いているそうですが、どういったビジネスを考えていたのでしょうか。
私はもともと、ITの商社に勤めていまして、なかでもITのインフラの分野を手掛けていました。そのなかには動画はもちろんeラーニングやストリーミング配信、動画CMの制作などもありましたから、それなりの知識はありました。しかし、このようなビジネスをするには、ある程度資本が必要です。起業時には資本がなかったので、はじめはコンサルティングをメインにしたビジネスをしていました。当時はまだ、大手を除いて企業側にソーシャルメディアを活用することが一般的ではなく、企業は自らのメディアを持って情報発信をしていくことを啓蒙したわけです。特に中小企業はノウハウがありませんでしたから、そのお手伝いをしていました。

最初はツイッター、フェイスブックといったメディアの活用法の1つとして、動画も扱っていました。いまでこそ誰でも気軽にスマートフォンで動画を撮影してSNSにアップする時代ですが、10年ごろは企業で動画を制作するのはテレビCMを打っているような会社がほとんどで、中小企業は予算もなく、積極的に動画を制作しようという会社はなかったのです。

社長を前面に押し出す

―― 14年に東京証券取引所が上場企業の会社紹介や社長メッセージを動画で流すようになったことで、企業側が動画を積極的に活用するようになりましたね。
そうは言っても、中小企業は予算が少なく、社長が自ら広報の役割をするケースが多いです。ですから、弊社が入って広告宣伝の部署の代行サービスのような形で社長や社員のインタビューをして、情報配信をするようなことはやっていました。

そのなかに動画を使っていたのですが、競合大手さんが同じようなサービスを始めて、企業紹介の動画を制作するようになってしまいました。私自身、起業間もなかったために、特許や契約書の面で知らないことが多すぎて、簡単にマネされてしまいましたね。だからこそコンサル的な面を強めることで差別化を図ってきました。

―― 具体的に「採用動画」とはどのようなものですか。
やはり中小企業は、会社=社長です。私どもの方針として、社長が好きだ、社長に惚れたからこの会社に入りたいと言ってもらえるような動画を作るようにしています。せっかく採用しても、なぜ辞めてしまうのか。いろんな理由はありますが、多くがお互いの思っていたことと違うというミスマッチがあるからです。よく企業側は「企業理念」を伝えようとしますが、会社を選ぶ側から見ると、どの会社の理念も同じように見えてしまいます。そうなると選ぶ基準は雇用形態や給与、福利厚生といったものになります。

しかし、そもそも社長が好きで入社を志望するとどうか。職種や勤務地ではなく、この仲間と仕事がしたいと思えれば、どんな仕事でも積極的になれる。社長を前面に出した採用をして、共感してくれる人が入社してくれたら、ミスマッチは簡単に起きません。突発的な理由こそあれ、離職率自体は下がります。

―― 確かに近年は人手不足が言われていて、新卒・中途にかかわらず採用に苦労する中小企業は多いですね。
仮に通常の採用で100人のうち30人が志望してくれたとしても、内定辞退などで苦労する企業は多いです。私たちの映像を見て社長についていきたいと思ってくれたならば、志望が100人のうち10人に減ったとしても、この10人は共感して入ってくれる方々ですから、戦力になり、離職率も下がります。

実際、ある著名な女性社長の会社から、内定辞退が多くて困っているという相談を受けました。弊社がコンサルティングして優秀な女性をターゲットにした採用動画を作ったところ、内定辞退がゼロになった事例もあります。ターゲットを明確にした映像を作ることで、本当にこの企業に入りたいと思ってくれる人が入社してくれるわけです。

―― 将来的にはこの分野をさらに伸ばしていくと。
いえ、私どもはあえて少数精鋭でいきたいので、事業規模をあまり大きくしようとは考えていません。私は大企業も経験していますが、スピードや動きやすさという面で苦労しました。クライアントにとって本当にいいもの、感謝や感動を提供するためには少数精鋭でお客様と密接に付き合っていきたい。大手さんとは価格勝負では勝てませんから、ニッチの限られた世界でも自分たちの強みを最大限生かせる企業として成長していきたいですね。

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