PickUp(2016年10月号より)
バックナンバー
友だち追加数

© 2016 WizBiz inc.

 

特集記事

Home
   
定年と年金はどうなるか? キャリアの棚卸しが必要な理由|月刊BOSSxWizBiz

50代の定年後が危ないこれだけの理由

かつて、日本企業の定年は55歳だったが、1999年に60歳定年制になり、さらに2013年には「希望者全員を65歳まで雇用すること」を企業に求めた定年延長義務化法案が施行された。これによって企業は、定年制度廃止、定年の引き上げ、継続雇用のいずれかによって対応することとなり、現在ではサラリーマンの多くが65歳まで働くのが当たり前になってきている。

この流れは、年金支給開始年齢の引き上げと深く連動している。老齢基礎年金(国民年金)部分はすでに65歳からの支給で、サラリーマンの厚生年金についても94年および99年の年金法改正で、支給開始年齢が段階的に引き上げられた。その結果、昭和36年4月2日生まれ以降(女性は昭和41年4月2日生まれ以降)の人は、65歳からの支給になる。60歳定年では65歳まで5年間の無収入期間になってしまうのだ。

「それを補うために、企業が従業員に給料を支払う仕組みを国主導でつくっているわけで、今後、65歳定年制に向かうことは間違いありません。しかも、それで落ち着くことはなく、今後も年金の支給年齢引き上げについては検討が続き、将来、引き上げられるのは確実です」

こう話すのは、「年金博士」ともいわれる社会労務士の北村庄吾さんだ。北村さんが、こう断言するには理由がある。これまで、65歳以上になると新規で雇用保険に加入できなかったが、2017年1月以降は新規で加入することができるようになる。さらにこれまで毎年4月1日以降に満64歳以上になる労働者は雇用保険の免除措置になっていたが、20年以降はこれもなくなる。

「これまでは65歳になれば年金が受給できるため、働かなくても生活できるからと失業保険は不要とされていました。しかし、今回の措置は今後は働かないと無収入になるため失業保険が必要になるということを意味しています。これは国がさらに年金支給開始年齢を引き上げる準備でもあるのです」(北村さん)

そのうえで、北村さんはその年金引き上げ時期を「2019年あたりに制度改正があり、67?68歳に引き上げられるだろう」と予測する。もちろん一気にではなく段階的で、いまの30代あたりは67歳になると予想される。

もっとも、こうした年金受給年齢引き上げの動きは日本に限ったことではない。米国は1980年代に高齢化社会による公的年金財源不足に直面し、2027年までに年金支給年齢を67歳に引き上げることになっている。これは他の先進諸国も同様だ。むしろ日本は遅れているほうで、老後も働き続けなくてはならないのは、世界的な潮流なのである。

「企業も働き手も不幸」という状況が起きている

北村さんによれば、定年延長義務化法案によって、いち早く65歳定年制に踏み切った企業もあるが、1年単位で雇用契約を更新する継続雇用制度を導入しているところが圧倒的に多いという。いってみれば企業にとって、積極的に継続雇用したい人はそれほど多くない。言い換えると“あわよくば、更新しないで辞めてもらいたい”というのが本音なのだ。

とはいえ、1年更新の契約形態であっても、本人の希望があれば、懲戒解雇事由がない限り65歳まで継続雇用しなければならない。そのため50代からの賃金を見直し生涯賃金をそのままに65歳まで薄く長く伸ばす賃金体系に変わってきている。

しかも、継続雇用の従業員に与えられる仕事は雑用的なものが多く、企業が「60歳を過ぎれば戦力外、という企業の本音が透けて見える」と北村さんはいう。しかし、そのような扱いを受けても、スキルがない人はそんな企業にしがみつくしかない。企業にとっても、働き手にとってもハッピーとは言えない状況となっているのがいまなのである。

その一方で、少子化による労働人口激減に備え、働き手の確保はどんな企業にとっても急務。そのため「経験を積んだ使える50代、60代」は引く手あまたともなっている。

しかし、そこで大きな障害になっているのが介護離職の問題だ。介護のために優秀な人材が離職することは企業にとって大きな損失。一方、国にとっては介護保険と失業保険をダブルの支給になり、介護離職を減らしたい。そこで企業支援のためにさまざまな助成金制度が設けられているという。

また、この8月からは企業の介護休業の仕組みが変更される。これまで93日間の介護休業は、同じ理由で分割して取得することは認められなかったが、新しい規定ではこれが分けて取得できるようになる。

一億総活躍社会は一億総死ぬまで働け社会

さて、将来支給年齢が引き上げられることは確実な年金だが、その金額はどうなるか――。

北村さんが注視しているのが年金に「マクロ経済スライド」が取り入れられた点だ。マクロ経済スライドとは、保険料を支払っている被保険者がどんどん減っているのに対し、平均寿命が延びてきている状況を数値化し、それを物価の上昇分から差し引く仕組みのこと。

これまでは物価が2%上がれば年金も2%上げるという考えだったが、これからはそうはいかない。「おおまかに計算して、年に約1%ずつ年金額が目減りしていきます」(北村さん)というように、10年後の年金額は、いまより1割減ることになる。

現在は40年間サラリーマンとして働いてきた夫と専業主婦の妻という世帯の平均年金額は、月22万?23万円程度(企業年金含まず)。しかし、いま50代の人が年金受け取りが始まる頃には、20万円程度になる。

現在でも年金だけでは毎月の生活費が6万円不足しているという統計データがあるのに、さらに年金が減れば、年金だけではまともに生きていけない時代で、誰もが働かなくてはならない。いわば「一億総活躍社会」とは、「一億総死ぬまで働け社会」ということなのである。

キャリアデザインで一発逆転の可能性も

そうはいっても、そもそも65歳以降も仕事はあるのだろうか。その答えは、自身のキャリアデザインができるかどうかにかかっているのだ。

そこで国はキャリアコンサルティングの資格を国家資格にし、企業に対してはキャリア制度を導入した際には合計100万円の助成金制度も設けている。「これは企業主導でキャリア研修を行い、早くから従業員の意識改革を促すための施策」と北村さんは指摘する。そのうえで「しかし、いくら国が後押ししても、企業が研修を行ってみても、そこで気づく人は2割、そのうち行動するのが2割。つまり、気づいて行動する人は全体の4%しかいないと言われているんです」

と笛吹けど踊らずで、まだまだサラリーマンの意識は低く「会社がなんとかしてくれるだろう」と考えている人が圧倒的に多いのが現状だ。

その意識改革には何が必要なのか。FPでミドルシニアのキャリアコンサルタントを行っている奥村彰太郎さんに解説してもらおう。

奥村さんによれば、こうしたキャリアコンサルティングの細かい研修内容は企業によって異なるものの、60歳の定年を迎える前に、継続雇用などの会社の制度や給与体系をきちんと把握し、そのうえで自分で自分の将来設計を立ててもらうのが主な目的であることは共通しているという。そして、重要な点についてこう指摘する。

「まず、50代という年齢はとても重要な時期だという認識を持つことです。そして、自分がこれまでなにをやってきたかを振り返り、得意領域を洗い出すこと。さらに、それに磨きをかけることです」

もちろん、これは会社におけるポジションとは関係ない。役職が部長であろうと課長であろうと、定年後はそんなことになんら意味はない。必要なことはどこに行っても通用する「スキル」を持っているかだ。

たとえば、中国関係のビジネス経験のある人なら、中国とのパイプを太くし人脈を広げる、また中国語を勉強することも1つだ。つまり、自分の価値を高めておくことが重要なのだ。もちろん、いま勤務している会社で継続雇用されるにせよ、別の会社に再就職する、また起業するにしても「自分に高い価値を付けておく」ほど有利なことはない。

ところが、多くの50代が、定年後について真剣に掘り下げることを避けていると奥村さんはいう。

「65歳までは会社がなんとかしてくれると思って意識改革ができず、最後はお荷物扱いされながら会社にしがみついてしまうんですね」

とくに、輝かしい学歴を持ち、大企業に入り、それなりのポジションにあるジェネラリストほど危ない、と奥村さんは指摘する。

「なまじ、高い給料と居心地の良さを享受しているために、それを失ってからについて考えることから逃げてしまうのです」

むしろ、病気をしたり、不本意なポジションに置かれた経験のある人は、嫌でも将来のことを考えなければならず、その意識が高くなるのだという。「せっかくの50歳という節目を、もっと大事にして欲しい」と奥村さんは強調する。

「60歳に入って、定年目前では遅いが、50代はまだまだ方向転換ができる年齢です。洗い出したスキルを伸ばしたり、新しい資格取得にもチャレンジできます。それをやったかによって、60歳からの継続雇用条件を有利にするばかりでなく、いまいる会社からの評価が変わり、これから出世する可能性も出てくる一発逆転のチャンスもつながります」

そのためには、会社の中期計画をしっかり見ておくことだ。会社が今後、何に力点を置くのかをつかみ、そこで求められる人材になることがポイントだ。また、中小企業に移って大切にされている人もいる。

「中小企業は役職定年などないところも多いのですし、60歳を過ぎても賃金はそのままという会社も多い。そのため大企業から中小企業に転職することで、生涯賃金が多くなることもあるんです」(奥村さん)

50歳から60歳までの10年間をどう活用できるか「結論をすぐに出さずとも、とにかく逃げずに考え始めるだけでもいい」と奥村さんが言うように、50代は自分の意識を変えることが求められている。

特集 

このページのTOPへ

© 2016 WizBiz inc.

 
                   

経営者インタビュー

「8つのナンバーワン」を10にも12にも増やしていく

小路明善 アサヒグループホールディングス社長兼COO
こうじ・あきよし 1951年11月8日生まれ。75年青山学院大学法学部卒。同年アサヒビールに入社。2000年人事戦略部長、01年執行役員経営戦略・人事戦略・事業計画推進担当、02年執行役員飲料事業担当、03年アサヒ飲料常務取締役企画本部長、05年アサヒビバレッジサービス社長を兼務、06年アサヒ飲料専務取締役、07年アサヒビール常務取締役、11年アサヒグループホールディングス取締役兼アサヒビール社長、16年アサヒグループホールディングス社長兼COOに就任。

酒類、飲料、食品のグループ中核事業会社を束ねる、アサヒグループホールディングス。同社のトップに、今年3月に就任したのが小路明善氏だ。グループシナジー最大化に加え、今後も勝ち続けていくための条件、業界再編から事業哲学、経営観まで幅広く聞いた。

新商品で先駆ける企業に

―― グループの酒類、飲料、食品、それぞれの事業の足元の課題やシナジー最大化はどう考えていますか。
これから3年程度の期間で、アサヒグループのダイナミックな成長の実現を成し遂げていく考えです。

まず、酒類、飲料、食品の各事業で、ナンバーワンブランド、ナンバーワンカテゴリーをいかに多く創出していくか。いま、ナンバーワンのブランドやカテゴリーが8つありましてね。ビール類の中のビールでナンバーワン。「スーパードライ」は1987年に発売をして、89年から27年間にわたって1億ケース超え(1ケースは大瓶20本換算)という大きな量を販売してきています。2つ目に、昨年は「ドライゼロ」を中心としたビールテイスト飲料でナンバーワンカテゴリーになりました。

東京・墨田区にあるアサヒグループホールディングスの本社ビル。

3つ目は、チリワインの「アルパカ」で輸入ワインナンバーワンを実現。4つ目は「三ツ矢サイダー」が透明炭酸飲料でナンバーワンブランド。5つ目は乳酸菌飲料市場で「カルピス」がナンバーワンです。6つ目は食品事業で、「ミンティア」という商品が錠菓市場でトップ。7つ目は和光堂のベビーフード、そして8つ目が、フリーズドライのみそ汁市場でナンバーワンと。

この数を10にし、さらに12、13と上げていく。そのためには、強みのある分野への集中を意識していかないといけません。その結果、ナンバーワン商品をたくさん持っていると、コストダウンにおける数字が非常に大きくなってくるんですね。小さい商品ではコストダウンもそれなりです。大きいブランドでコストダウン、コストリダクションをすると非常にその成果が出ますから。メーカーとしては、ナンバーワンの大きなブランドをたくさん持つことによって当然、生産効率も上がっていくわけです。

―― なるほど。ほかにも何かありますか。
既存商品を常にブラッシュアップして、付加価値を高めていくことが大事です。スーパードライも中身の付加価値を高めることによって、14年に米国で開かれたワールドビアカップで、大手メーカーでは初めて金賞を取りました。15年は、ブリュッセルビアチャレンジでも金賞受賞。スーパードライのようなロングセラーのブランド商品であっても、変えていいもの変えてはいけないものをしっかり持ちつつ、さらに磨いていくことが大事ですね。

もう1つ重要なのが、技術に裏打ちされた新価値商品。健康機能の飲料や食品です。そして、常にファーストエントリーをしなくてはいけない。一番最初に新しい価値の商品を市場に出していくと。そうすることで技術力もアップしていきますし、マーケティングも研究開発部門もモチベーションが上がる。後発でなく、ファーストエントリーということが大事なのです。これによってダイナミックな成長につなげていきたいですね。

買収、提携、さらに積極化

―― 企業買収、あるいはそこまでいかなくても、提携によっても事業の幅は広がります。
M&A、事業提携、あるいは統合、事業再編ももちろんです。欧州で大型買収(イタリアの「ペローニ」、オランダの「グロールシュ」など)を手がけ、欧州でのビールビジネスで大きな基盤を獲得することができました。「日本発のプレミアム・グローバル・ビールメーカー」を標榜して、量で戦うのではなく、今後もプレミアム・ビールメーカーとしての幹を太くするようなМ&Aを続けていきたいと思っています。

提携という意味では、我々は(沖縄県の)オリオンビールの筆頭株主ですが、沖縄フェアなどを活用して、沖縄県外にも広く拡販することで、ビールのカテゴリーを増やすことができます。ほかに軽井沢ビールとも提携をしまして、ここのクラフトビールをギフトセットで売ることもスタートしています。クラフトってあまり定義がないのですが、我々の流通ルートを使って、ある特定エリアでしか飲めなかった美味しいビールを、通年というわけにはいきませんが、ギフトなどを活用して売っていくわけです。

カゴメさんも筆頭株主ですので、以前、「レッドアイ」という共同開発商品も出しておりますし、自販機分野では大塚製薬さんと提携。さらに業界内で言えば、数年前からキリンビールさん、サッポロビールさんとは首都圏でビールの共同配送をしています。同業他社と共通のもの、特に物流面での協業はメーカー共通利益の確保にもつながりますしね。酒類や飲料分野は、競争と協調を明確にしていくべき時期に入ってきたのではないかと。この協調の部分はトップダウンで進めていきます。

―― ビール市場の縮小が始まって久しいわけですが、再編の可能性、あるいは必要性は、今後の状況によってはどこまで出てくるという認識ですか。
遠い将来、再編があるのか、あるいは現時点で再編の必要性があるかどうかというのは、何とも言えません。敢えて言うと、私は現時点での再編の必要性はあまり感じません。なぜか。たとえばオリオンビールを含めたビール5社それぞれが、規模は別にして、各社ごとに特徴ある商品を持っているわけです。それを持って事業を営んでいるということは、それに対する顧客がいるということなんですね。

再編すると、ブランドというのは必ず集約されます。せっかくいる顧客の嗜好をあまりにも無視してブランド集約をするというのは、メーカー論理に偏ってしまっているのではないかと。顧客に対して付加価値の高いブランドをいかに出していくかということと、再編の前に業界協調が必要です。もちろん、カルテルになるようなことは絶対にあってはなりません。

物流1つとっても、いまの首都圏での協業で効果が出ていますから、そのエリアを拡大していく。浮いた費用で商品の開発に回すことができるのです。あるいは、流通の効率化に使うこともできる。これは、流通や顧客にとっても歓迎されることですから。

そういうことを十分にやり切ってから、オリオンビールを含めたビール5社が、日本国内で多いのか多くないのかと考えていくべきですね。それを通り越して、一気にいまの5社体制でいいのかという議論は、まだまだ時期尚早であるという感じを強く持っています。

国内にも海外にも等距離で

―― 同業他社に比べて海外比率が低いアサヒグループですが、市場も嗜好も民族性も、あるいは気候も味覚も違う海外での展開は、特にクルマや家電と違って、口に入る食品分野はなかなか難しい面も多いと思います。

海外事業は、基本的には国内と同じようにやらないといけないと思っています。あまりにも現地に任せきりでもダメですし、かといって手を入れ過ぎてもダメ。任せることとハンズオンでグリップすることを、しっかりと明確にしていけば、海外事業はそんなに失敗しないはずです。

大事なのは、国内事業と海外事業のどちらにも、いかに当社(=アサヒグループホールディングス)が等距離でいるかということでしょう。物理的な距離はあっても極端な話、欧州でも2泊で出張に行ってこれるわけで、そこは意識して、国内事業と海外事業との距離感を常に同じに保っていくことは、非常に大事だと思います。

持ち株会社と事業会社のトップは、国内も海外も、あるいは酒類でも飲料でも食品でも、すべて同じ距離感を保っていくことが重要。特に海外の場合、出張が大変だと言って距離感が開いてしまうと、海外で何が起こっているかわからなくなる。その結果、打つ手が後手に回ってしまうわけです。

「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格がない」という言葉を座右の銘にする小路社長。

―― もう1つ、企業の意思決定では、行き過ぎたトップダウンもいけないでしょうし、さりとてボトムアップばかりでももちろんダメでしょう。その兼ね合いはどう考えていますか。
トップダウン、ボトムアップは両方必要だと思っています。私の経営観で申し上げますと、トップというのは直観力と情熱がなければダメ。情熱が時にはトップダウンになりますし、直観力で判断、決断したものが、時には外からはトップダウンに見られることもあります。トップダウン、ボトムアップがバランスよく必要とは、あまり感じません。

それより大事なのは、社長にしか果たせない役割が直観力と情熱なのです。直観力も観察の観と感性の感の2つあって、少ない材料でも決断しなくてはいけないことがある。常に観察眼を研ぎ澄ませて、いろんなデータを見たり得意先に行って情報を聞いて、仮に少ない情報であっても、最適な判断、決断をトップとしてしなくてはいけない。それが観のほうです。

感性の感のほうは、たとえばスーパードライのピンク缶は、何年か前に私がゴーサインの指示を出しました。あるクルマ(=トヨタ自動車の「クラウン」)のピンクカラーバージョンを非常に研究しました。ただ、スーパードライは屋台骨ですから失敗は許されません。

ですから、ピンク缶のスーパードライは絶対に下からは案として上ってこないですね。ピンクにしてブランド棄損でも起こしたら、誰が責任を取るんだということになる。そういう、思いきり踏み出す時の決断というのは、感性を磨いてないとできないことです。

大学時代はギターが趣味

―― さて、小路さんのこれまでの軌跡ですが、就職活動、あるいは大学時代のクラブ活動などは。
音楽が好きなので、大学時代は、よくギターを弾いてましたね。就職活動は、オイルショックの直後でしたので、衣食住分野なら永遠になくならないだろうと。プラス金融の会社を受けました。

入社後は、当時の千葉支店に配属になり、自分ではそれなりの成績を残したつもりでしたが、その後1年で東北に転勤になりまして、4年半ぐらい営業担当です。

さらに、ある日突然、労働組合の専従になれと言われまして、確か1980年だったと思います。そこから約10年を過ごしたのですが、組合専従ではいまの会長(=泉谷直木氏)が先輩でいまして、2年ほどは一緒に仕事をしています。

―― 幅広い分野で経験を積まれてきた小路さんなので、多くの武勇伝があると思いますが。
東京の大きな飲食店の契約をひっくり返したというのはあります。そこには2日に一度、1年間通い詰めました。10階建ての飲食店ビルを改装、改修する時に全部、我々の商品棚にしていただいたのです。ただし、ビールは併売でしたけれども。

確かに、私も職歴だけは多いですね。営業10年、組合専従で10年、人事を7年ほどやり、飲料事業も5年ほど。その後、飲料分野で自販機会社の社長もやり、アサヒビールで財務担当、環境、経営戦略、広報や事業計画推進、あるいはITと。

―― 最後に、中長期で見たアサヒグループの近未来像はどうですか。
海外ウエイトをこれからどんどん高めていきます。全世界で存在価値が認識される、グローバル・プレイヤーになっていきたいですね。

いま、スーパードライは約70ヵ国で販売し、海外7ヵ国8ヵ所に生産拠点がありますが、国の数は広げなくていいと思っています。韓国のように、アサヒビールが輸入ビールでナンバーワンという国もありますし、こういうエリアをたくさん作っていきたい。

言い換えれば、生活になくてはならない商品を持った企業集団。これが近未来像の私のイメージですね。事業構成比は、買収で欧州のグローバル・ビールメーカーもグループに入ってきますし、これまで、М&Aの優先順位ではアジア・オセアニアで飲料事業中心に投資してきました。私の在任期間は、酒類、つまりビール、ここへの投資が優先順位としては高くなっていくと思います。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)


経営者インタビュー

© 2016 WizBiz inc.

 
 

経営者インタビュー

ビール、発泡酒、新ジャンル“全方位強化”で戦っていく

平野伸一 アサヒビール社長
ひらの・しんいち 1956年1月16日生まれ。79年早稲田大学教育学部卒。同年アサヒビールに入社。97年経営企画部中国室長、98年グローバルマネジメント部付上海担当チーフプロデューサー。99年中国代表部業務担当部長、2000年東京支社業務部長、01年首都圏本部営業企画部担当部長、02年東京支社副支社長、03年九州地区本部広域営業担当副本部長、05年焼酎部長、06年埼玉支社長、08年執行役員九州統括本部長、11年常務取締役営業統括本部長、13年専務取締役、15年取締役副社長、16年3月アサヒビール社長に就任。

最大の商戦真っただ中のビール業界。その中でビールの巨人というべき「スーパードライ」を擁するのがアサヒビールだ。発泡酒や新ジャンルも含めた足元の動向から今後の戦い方、海外戦略まで、前頁までの小路氏同様、2016年3月に社長に就任した平野伸一氏を直撃した。

「プライムリッチ」が急伸

―― まずは、上半期の1~6月のビール類のシェアを含めた総括から聞かせてください。
シェアで言えば39.2%、1.1ポイントほどアップをしましたので、これはよかったです。ただし、ビール、発泡酒、新ジャンルと分けて見てみると、ビールは前年比99.2%でした。それを補ったのが新ジャンルで、108.2%、トータルで101.2%という結果です。

今年の5月以降、国内の外食市場が極めて厳しくなりました。前年比101.2%というのは、ボリュームで言うと80万ケースほど増えているんですが、「スーパードライ」と新ジャンルの「クリアアサヒ」「プライムリッチ」の缶、この伸長分が180万ケースあるんです。

ところがトータルではプラス80万ケース。マイナス100万ケースの分は、主に樽と瓶なんです。つまり、業務用の数字が悪かった。もともと当社は業務用、つまりビールに強い会社で、家庭用で多い発泡酒や新ジャンルは2位、あるいは3位です。業務用が減って、いまは家庭回帰の〝家飲み〟が増えています。いままでですと劣勢に立たされるところでしたが、そこでクリアアサヒやプライムリッチなどが前年比2桁増、特にプライムリッチは135%と大きく伸ばせました。この押し上げ効果があったおかげで、業務用から家庭用にシフトしたいまの状況の中でも、当社はシェアを伸ばすことができたわけです。

―― 将来の酒税法改正を睨み、ビール回帰をメーカー側が段階的に進めている一方で、消費者の財布の紐は固く、価格の安い新ジャンルが人気化しているということですか。
原因をリサーチすると、ゴールデンウィーク明けの5月中旬ぐらいから節約モードに入っていて、外食を控えて家庭に回帰している構図がわかりました。ですから、我々メーカーサイドからすれば、(ビール、発泡酒、新ジャンルと)全方位でやることが一番、大事だろうと。これまでのように業務用に偏っていると、マイナスになります。

そういう中で当社は、年初から基幹商品のクオリティアップを図り、特にプライムリッチはベルギーの国際コンテストで三ツ星を取りまして、中身品質がものすごく上がったことが評価された。結果として大きな支持を頂戴し、さきほど言いました135%になったわけです。そういう意味では101.2%は中身のある数字だと思いますね。

―― 景況感や円高、株安の影響もあるとは思いますが、財布の紐が固くなった消費者に、再び外食など外に目を向けさせる方策は。
大きな取り組みの1つが、「アサヒスーパードライ 樽生乾杯キャンペーン」(2016年6月21日~8月21日までを対象期間として、スーパードライ等1リットルの売上げに対し1円を日本オリンピック委員会と日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会などに寄付するもの。アサヒビールは20年の東京オリンピック・パラリンピックで、ビール&ワインでゴールドパートナー)でした。

エネルギッシュでアグレッシブな雰囲気を持つ平野伸一・アサヒビール社長。

全国に26万店ほど樽生店があるのですが、キャンペーンポスターを掲出させていただけないお店もあって、調べましたら18万店ぐらいは掲出が可能と。そこでお客様に知っていただき、飲食店にも賛同していただけて、しかもオリンピック・パラリンピックの選手育成にもなり、売上げ貢献にもなるわけです。おかげさまで、ポスター掲出店は22万店にまでなりました。これは極めて異例なケースでして、それだけ、消費者の皆さんは〝コト消費〟を期待されているということです。この効果で、業務用の樽のボリュームも上がりました。

乾杯キャンペーンは、当社がゴールドスポンサーであるがゆえにできることで、メーカーサイド、飲食店の流通の皆さま、それにお客様が三位一体となって参画できるキャンペーンでした。

その参画意識が高揚感になりますから、そういうものが有形無形でいい影響を多方面に及ぼしていくわけです。当社のスポンサーシップはありませんが、これは19年に日本で開催される、ラグビーのワールドカップも同様ですね。

「クリアクーラー」の経験

―― 話を戻しますと、消費者の嗜好もいろいろで、新ジャンルが人気な一方、母数は小さいですがクラフトビールも人気です。キリンビールでは、主力の「一番搾り」で47都道府県別に違う商品を出しました。
日本でもクラフトビールは成長してきていますが、私は米国ほどは人気にならないだろうと思いますね。日本のビールの特徴として、極めて品質が高いことが挙げられますので、今後もクラフト市場だけ大きな変化というのはないでしょう。

各地域地域のビールを作ることも大事ですが、ビールも発泡酒も新ジャンルもある。さらに缶チューハイなどのRTD分野もある、洋酒も焼酎もワインもあってバリエーションがありますから、それぞれの中身品質を徹底的によくすることが満足度を高める要因です。

スーパードライも来年の3月17日で、発売から満30年になりますので、しっかりと新たなステージに取り組んでいきます。

―― もう1つ、最近はコンビニ向けを中心とした共同開発商品も多くなってきました。コンビニの圧倒的な販路は大事ですが、一方でナショナル・ブランドを最優先で売りたいメーカー側からすれば、少し複雑な思いもあるのでは。
たとえば、セブン&アイ・ホールディングスさんとの取り組みで言えば、RTD分野で缶チューハイの「クリアクーラー」を長年、やらせていただいてますが、そこで商品開発のノウハウをいろいろ勉強しているということと、お客様がどういう購入行動をされているかも、非常に勉強になります。そういうことがずっと知見として生かされて、今年発売した(缶チューハイの)「もぎたて」ができたのです。

チューハイ市場では、残念ながら当社はこれまで4位でしたが、今年の上期で言えば3位に浮上したと理解していますけど、それまでは売れる商品がなかったんです。なので、コンビニの店頭では当社の缶チューハイは陳列棚から弾かれてしまう。スーパーでもそうです。クリアクーラーはずっとセブンさんと一緒にやっていますから、永続的に置いていただける。もぎたてとクリアクーラーとがうまくコラボできて、売上げ貢献のお手伝いもできるだろうと思っています。

―― さて、平野さんのこれまでの軌跡ですが。
入社後は東京の世田谷区で3年、杉並区で3年、家庭用市場を担当し、その後2年はデパートと飲食店チェーン担当で、その間、東京支店におりました。当時はまだ支社でなく支店の時代です。

で、86年にマーケティング部に異動。翌年3月にスーパードライが発売されるということで、大手広告代理店を交えて休日出勤もしょっちゅうあり、侃々諤々の議論をしたのが懐かしいですね。

スーパードライの黄色と赤を使った立て看板、あれは私が考案しました。普通、デザイン的に黄色と赤の原色同士の組み合わせって絶対にあり得ないんですが、ものすごいインパクトがあるんですね。当時は「アサヒ生ビール」が4000万ケース売れていまして、翌年発売予定のスーパードライは、予算では100万ケース、それも当初は首都圏限定だったのです。手探りでみんな素人集団でしたが、それがかえってよかったのかもしれません。

―― キャリア的には営業経験がお長いですが、持ち株会社の小路明善社長同様、平野さんもかなり多彩なキャリアを積まれてきてますね。
確かに、人事や経営企画にもいて、中国室長や中国駐在も経験し、焼酎部長もやりましたから、営業経験と半々ぐらいですかね。

―― これまでのキャリアで、最も苦労したのが中国事業担当の頃だそうですが。
確かに一番、苦しかったですね。当時、深センで青島ビールとの合弁会社を作りましたけど、それをずっと担当していました。これはもう、すごいプレッシャーで、中国ビジネスを黒字化しないといけない。当社の技術者も100人以上、出張、あるいは駐在してもらいましたし、技術陣総動員でやりましたからね。結果的には、初年度から黒字になったのでホッとしましたけど。

当時はいつでも中国に行き来できるよう、上着のポケットにずっとパスポートを入れてましたし、あの頃は2年半で計52回、中国に出張していましたから。

豪州では2位ブランドへ

―― その中国をはじめとした海外ですが、今後の展望はどうですか。今年の年初から、海外事業の一部が持ち株会社からアサヒビールに移管されていますが。
端的に言えば、スーパードライとニッカウヰスキーをさらに海外で売っていこうということです。ブランドエクイティを上げるために輸出を促進すると。

6月21日~8月21日まで、「アサヒスーパードライ 樽生乾杯キャンペーン」を実施し、成功を収めた。

韓国やシンガポール向けは輸出で、遠隔地の欧米向けは現地で作ってもらっていますが、基本は「ハイネケン方式」だと思っています。ハイネケンでは、自社で生産した商品を全量、輸出して、大きい市場に成長したら、現地で直営の工場を作る、あるいは買収して100%子会社にするというやり方です。

この秋口には、イタリアの「ペローニ」が、アサヒグループの100%子会社になります。そうなると、欧州ではいま、違う会社に当社製品を作っていただいてますけど、もしかしたらペローニで作ってもらったほうがいい。当社から技術者も行きますし、100%子会社ですからね。そこで作れば、いわばメイド・イン・ジャパンのスーパードライを輸出する延長線上です。

韓国では、輸入ビールで5年連続ナンバーワンですが、これはロッテさんと組んで「ロッテアサヒ」という会社を作れたことが一番大きいですね。

海外に出る時に、やみくもに出るのではなく、その市場を一番知っていて、しかも流通への配荷力があるところとの契約が大事。そこは、大手商社の方も同じことを言っています。現地で3位とか4位の企業では売り切れない。そうなると、こちらにいくらブランド力があっても売れないのです。

豪州に我々の子会社がありますが、現地ではスーパードライって4位なんです。1位は「コロナ」、2位が「ハイネケン」、3位が「ペローニ」、そしてスーパードライと。このプレミアム市場で、スーパードライとペローニが戦っていた。でも、今後は3位と4位が合流し、合わせると、ハイネケンを抜いて2位になります。豪州のプレミアム市場ではかなり大きな位置づけになるわけで、今後はいろいろなシナジーも出てくるでしょう。

ペローニは、イギリスでは輸入ビールでナンバーワンですが、スーパードライはダウンタウンで戦うビールではありません。価格は高くていい。「4つ星、あるいは5つ星ホテルや国際空港でスーパードライを売れ」と指示しています。

ただ単に、海外でどれだけのケース数を売るとかではなくて、ハイエンド市場で売りたいなと。いわば、BMWのような高級路線の市場でスーパードライは戦いたいのです。高くても買っていただける市場で勝負していくことが大事。

いま、海外ではスーパードライはまだ販売が1000万ケースに達していませんが、さらにブランド価値を上げていくマーケティング活動をしていきます。それがスーパードライ、およびニッカウヰスキーの戦略の立ち位置です。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)


経営者インタビュー

© 2016 WizBiz inc.

 
 

経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

このページのTOPへ

© 2016 WizBiz inc.

 

この企業の匠

Home
水と安全はタダという常識の中でトレビーノを浄水器の定番にした営業ウーマン

「水は東レのトレビ~ノ~」という軽快リズムのジングル。いまや浄水器の定番になっているトレビーノが登場し、今年ちょうど30年を迎える。発売直後はまったく売れなかった商品はどう育てられてきたのか――。

販売ルートをどう作る

いまでこそ飲む水は、ミネラルウォーターであったり、浄水器を通したものが一般化しているが、30年ほど前は、水道の水を飲むのが当たり前だった。

「私は広島出身なんですけど、田舎では井戸水がとてもおいしくて、夏なんかはそれでスイカを冷やしたりしてましたよね」

と笑って話すのが、今回の匠・東レトレビーノ販売部長の佐々木直美さんだ。そして、もしかすると、佐々木さんがいなかったら、いまの日本人はここまでおいしい水にこだわらなかったかもしれないというのが、今回のお話である。

佐々木さんが東レに入社したのは1985年。最初に配属されたのは中空糸膜などの「膜」の販売部門で海外への輸出を行う貿易課という部署だった。しかし、83年のプラザ合意によって急激な円高が進み、時代は円高不況の真っ只中、最初の配属先だった貿易課は解散。佐々木さんは入社1年も経たないうちに、同じ事業部の「小型機器販売課」に異動を余儀なくされた。

「新しい部署に行くと、デザイン性もなにもない足に落としたら骨折しちゃいそうな大きなステンレスの箱があって、それがトレビーノ試作機だったんですね。さすがにステンレス製ではダメだろうということで、その後、樹脂製に改良された据え置き型のものが販売第1号のトレビーノで、2万8500円の価格で発売されました」

「団地にチラシを配ったり店頭の呼び込み販売をしました」と佐々木さん。

これが佐々木さんとトレビーノとの縁の始まりだった。

「当時はうちには販売ルートはなかったので、最初は競合会社の商品を扱う代理店さんに『ライバル会社の商品の横に置いてください』と頼みに行ったのをきっかけに、その代理店の課長さんが私を育ててくださったんです」(佐々木さん)

その代理店の課長に連れられ、佐々木さんの日本全国を回る行商の日々が始まった。

「私のいた部署は逆浸透膜を売るBtoBの商品を扱うところで、デパートやスーパーとはまったく接点がありませんでした。だから、部署内では、誰もそういう知見がないので、代理店の課長さんと北は北海道から南は沖縄まで、デパートのバイヤーさんや問屋さんを回ったんです。これが私の営業ウーマンの原点で、いまも泥臭い営業が苦にならないのは、このときの経験があるからなんです」

と佐々木さんは話す。とはいえ、1号機の売れ行きはぜんぜんで「月3000個も売れれば拍手もの」(佐々木さん)といった状態だった。

一方、商品そのものの改良は進み、日本初の中空糸膜を使用したトレビーノは蛇口直結型浄水器として進化を遂げていた。

そして転機は91年に訪れた。

「商品的には、フィルター部分をタテから横にすることで、コンパクトで目立たなくしたんです。また、価格も改めて見直しました。具体的には、主婦が自分のお財布から買える価格を調査すると『1万円』という数字が出てきた。そこでこの新商品を8800円で発売したんです。そして、この年は異常渇水で水不足になったんです。渇水になると水質が悪くなるため、水道水の水も臭うようになるんですね」(佐々木さん)

こうしたさまざまな条件が重なりついにトレビーノは爆発的に売れるようになった。

さらにこの年、古舘伊知郎を起用したテレビCMとともに、誰もが聞き覚えのあるであろう「水は東レのトレビーノ」のジングルも登場。一気に蛇口直結型の浄水器としてポジションを確立した。

トレビーノの強み

さて、これまでさまざまなメーカーから数多くの浄水器が発売されているが、その中でトレビーノの強みとは何か?

「東レの中空糸膜の高い技術はもちろんですが、交換カートリッジは迷うことがないんです」(佐々木さん)

たとえば、蛇口直結の商品数は、カセッティシリーズで9種類、スーパースリムで7種類あるが交換するカートリッジの型番は2種類しかない。

「お店に行って、カートリッジの向きがタテかヨコかがわかれば、それだけで大丈夫です」(佐々木さん)

と、とてもユーザビリティーが高くなっている。このあたりも実直な企業風土を持つ東レならでは。そして、累計の販売台数は発売20周年の06年で5000万台、14年には1億台を突破、加速度的に増えている。

こうした消耗品を交換するビジネスはさまざまなものがあるが、しっかりとした本体を作り、それを長く事業継続していくことが、長く使ってもらう商品に育てる条件だ、と佐々木さんは指摘する。

そして、トレビーノに対する思いを、こう話す。

「私はトレビーノ草創期の鳴かず飛ばずの時期から、ちょっとヒットしたころまで約16年間携わってきて、その後一時離れましたが、また昨年4月にトレビーノに戻ってきました。東レのような歴史ある会社で、1つの商品が生まれるところに立ち会い、部署も1つの小さな『課』が『部』になり『事業部』へと成長していく過程をずっと見ることができたというのは、一般的なサラリーマンにはとてもできない貴重な経験ができて、幸せだったと思います」

蛇口直結型浄水器としての販売シェア63%のダントツを誇るトレビーノ。これからどう進化していくのか、さらなる成長に目が離せない。

月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

Home


【BOSS×WizBiz】“頑張る人が報われる”感性に特化したマーケティングビジネス

神原太郎 リトルクラウド社長
かんばら・たろう 1990年東京都生まれ。2011年人材系ベンチャーに営業のインターンとして入社。学生同士で起案し、企業と共働で不動産系WEBサービスの立ち上げに参画。13年リトルクラウドを設立。

組織づくりのために起業

―― 22歳で起業ということですが、どのような経緯があったのですか。
20歳まではバンド活動をしていて、サラリーマンにはなりたくないと考えていました。「サラリーマンなんてクソだ」と話すと、父親が「お前、中二病なのか?」と(笑)。一度も経験しないうちに言うべきではないと人材系のベンチャー企業でインターンを始めました。企業の経営者の方々に触れるなかで「人」「組織」の重要性を説かれ、仕事はおもしろい、人組織っておもしろいと思ったのです。

就職活動も、組織づくりがしたいという思いが強く、一緒に組織をつくっていくならどこかという観点だけで企業を見ていまして、20社ほどインターンとして企業を回るなかで、事業とビジョンがリンクしていなかったり、自分の理想に合う組織は見つかりませんでした。言行一致で社員を大事にし、そのための追求をつづけている組織がないのが現実でした。

内定もいただいていたのですが断り、就職活動もやめました。当時は不動産系のポータルサイトを企業に提案して共働していたのですが、このサービスも私は理想を追うためにやっていたのに、企業は利益のほうに寄り、理念と利益で相反してしまいました。結局、自分が望む組織がないのであれば、自分でつくるしかないと決め22歳で立ち上げました。

―― 理想の組織とは?
リトルクラウドの理念は「頑張っている人たちが報われる社会を創る」です。誠心誠意、自分の仕事やお客さん、自分の人生と向き合っている人たちに幸せになってほしいという意味です。

不動産業界の仕事をしていた時、この業界はグレーな部分もありますから、あまりよいイメージは持てませんでした。ところが業界の交流会に参加してみると、目をキラキラさせながら、不動産業界をこうしたいとか、お客様のためにとか、自分の意志や誇りのために仕事をする人がいることがわかりました。不動産業界にも誠心誠意やっている人がいるという驚きと、こういう人たちが幸せになる社会の必要性を感じましたね。

―― 理想の組織をつくるための起業だったわけですが、ビジネスモデル等のこだわりはなかったのですか。
理想を実現するためにどうするか、であって儲かるからという発想ではない。誠実に自分の人生と向き合うことが理想の社会の実現に繋がると思うので、私は感性の領域の仕事しかしませんという話をしています。

現在のビジネスはマーケティング領域ですが、感性マーケティングやコミュニケーションデザインという言葉を使っています。フェイスブック広告とかラインアットといった新しいツールを使った戦略を提供するのが基幹事業になっています。

よく「フェイスブック広告の代理店でしょ」と言われますが、私自身はそこに興味がない。感性的な価値を表現する時に、いまのツールであればフェイスブックのような広告が最適というだけです。企業のマーケティング戦略はコミュニケーション戦略になっているので、最新ツールを使ってそれを作るのが弊社のビジネスです。小資本で最初から感性に訴える仕組みを社会に提供するのは無理ですから、伝えることから積み上げて、次のステップに進むことを目指しています。

チャットのコールセンター

―― 感性マーケティングというのは独特な発想ですね。
いままでは一方的なメッセージでよかったのですが、双方向でやりとりをしなければ、1度の接点で買う時代ではなくなっています。コンセプトに共感するなど、モノではなくコトを買う時代になっています。ですから接触していく時間が大事で、コミュニケーション戦略をとっているのです。

弊社が最近、力を入れて始めたのが「おもてなしチャットセンター」です。簡単に言えばチャットのコールセンターです。コールセンターの市場は8700億円くらいあると言われていますが、ここからチャットのほうに流れてくるのではないかと思っています。

従来のウェブマーケティングでは、メールアドレスと電話番号と名前をエントリーフォームに書いてもらうというものでしたが、現実はメールは見ない、電話も知らない番号のものは出ないという状況になっています。最近はラインなら見ますという人が増えている。だったらラインアット上でコミュニケーションをとる仕組みにする戦略を組む提案をしています。ウェブの担当者すらままならない日本企業がチャットの担当者は置かないですから、この領域でカスタマーサポートをやっていく。

―― 電話だと繋がらない等のクレームも出ますが、ラインのチャットを使ったコールセンターの利点は何ですか。
電話だと、クレームを言いたいのに繋がらず、さらに怒りが増幅することが起こり得ますけど、ラインであれば、常識の範囲内で返信があれば怒りません。ラインは一瞬で返すものではありませんし、毎秒送るものでもありません。1対1ではなく、1人で10~20人の対応をすることも可能ですから、少ない人員から始めて費用対効果も高くなります。

あとはテキストコミュニケーションのなかで、どう相手にホスピタリティを伝えられるか。企業のキャラクターを設定して親密度も高め、どういうストーリーで誘導していくのかというところまで設定する。チャットはAIにいきがちですが、人間が対応するからこそ伝わるものがあると思います。そしてこれは言語を変えれば海外でも進出できるビジネスですから、この分野はしっかり取りに行こうと考えています。

このページのTOPへ

© 2016 WizBiz inc.