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あなたの会社の執行役員はエライですか?若手抜擢から最後の論功行賞まで上場企業には広く普及|月刊BOSSxWizBiz

ただいま企業内に増殖中の「役員」

上場企業に限らず「執行役員」を設けている企業がやたらに増えている。名刺交換の際に執行役員の肩書があっても最近はほとんど気にならなくなったが、実はどんな権限と役割を持っているのか極めて曖昧な存在でもある。

大手IT企業系列の人材サービス会社の社長がこんなエピソードを披露する。

「外部の営業担当者と商談をしているときに、もっと詳しい話を聞きたいと言ったら『今度専務を連れてきます』と言う。実際に会って名刺交換すると『専務執行役員』とある。最初は専務取締役かなと思ったが、どうもそうではないらしい。はたしてこの人はどこまで権限を持っているのかなとつい考えてしまった」

実際の商取引でも戸惑うことが少なくないが、執行役員は役員と名がついていても本当の役員ではない。会社法上の役員とは、会社の重要事項や方針を決定する権限を持つ取締役や取締役の業務執行や会計を監査する監査役などを指す。多くのビジネスパーソンが憧れる〝ボードメンバー〟だ。対して執行役員の身分は従業員にすぎない。

では、なぜこんな肩書が増えたのか。最初に導入したのはソニー。1997年に経営の監督と執行の分離を目的に執行役員制度を導入したが、2000年以降、上場企業を中心に急速に普及した。導入のピークは02~04年だ。日本能率協会が02年3月に全国1部上場企業の社長1600人に行った調査では導入率77%。04年2月に経済同友会が会員企業に実施した調査でも導入率63%に達している。

最大の目的はソニーと同様に経営の戦略立案と業務執行の役割を分離し、立案については取締役が、業務執行については執行役員に負わせるというものだ。その目的は今も変わらない。今年6月28日に執行役員制度を導入した京葉銀行はリリースで「執行役員制度の導入により、経営の意思決定・監督機能と業務執行を分離し、監督機能の強化及び業務執行の迅速化を図ります」と書いている。

だが、導入を促進したのは「経営の監督と執行の分離」という目的だけではない。大手電機メーカーの元人事担当役員はこう語る。

「導入の背景は2つある。1つは経営構造改革の一環として従来の事業本部制からカンパニー制に移行し、執行的な役割を持つカンパニー長をどう処遇していくのかという問題。もう1つは取締役の定数問題。当時は取締役が30人おり、多すぎるという批判もあったので少なくしたいということもあった。その結果、経営と業務執行を分けることで役割が明確になるだろうから意思決定がスピーディになるだろう。また、取締役は会社法上の縛りがあるが、執行役員は自由に決められる。執行役員というポストが増えれば、若手の実力者を抜擢できる。対外的にも取締役改革を含めて、こうしましたと言えば、一見すると改革したようなイメージになる」

つまり、ホンネは取締役の定数の削減によるポスト不足の解消、若手の抜擢、改革イメージの演出にあったということである。実際に定数削減で取締役から執行役員に〝格下げ〟になった人もいる。株主総会で取締役になったばかりの人が執行役員になり、肩書が「常務執行役員」になった人もいる。冒頭に登場した「専務執行役員」もおそらくその口だろう。

経営と執行は分離できているのか

今でこそ取締役の数は社外取締役を入れている企業が増えたこともあり、以前より激減している。そうなるといずれは取締役になりたいという社員のモチベーションも下がってしまう。じつはその穴埋め的役割を担っているのが執行役員でもある。

大手化学会社の元取締役は執行役員の任用パターンについてこう吐露する。

「大きく3つある。1つは取締役への登竜門。執行役員を命じ、そこでの実績を見て何年後かに取締役にするという取締役予備軍的位置づけ。2番目は双六の上がりで、取締役にする気はないが、あと5年で定年だから論功行賞含みで社員の一番上の位である執行役員にして、それなりの報酬を払って、めでたく辞めてもらおうというパターン。3番目は純粋に経営と執行を分離することを考える。たとえば海外駐在員。取締役は毎月取締役会に帰ってこないといけないが、執行役員米国事業本部長にすれば業務に専念できる」

執行役員は社員の一番上の位というが、報酬はどのようにして決まっているのか。電機メーカーの人事部長・執行役員は「従業員の最高位の等級をベースに、その上に新たな賃金枠を設定し、業績達成度別に賃金を決定し、賞与もそれをベースに、業績反映分を加える方式。取締役の報酬体系とは異なり、決め方は従業員と同じ」と指摘する。

実際には社員の一番上の賃金水準を100とした場合、取締役の水準が120であれば、執行役員はその間の水準にしているという。「105、110、115の3段階に水準を分けて格付けする。若い社員を執行役員にすれば105とし、55を過ぎた論功行賞的な人は110にするとかして使い分けている」(人事部長)。

ところで、前述の1番目と2番目の任用パターンは会社内の自由だから問題はないとしても、対外的にも問題となる3番目の経営と執行の分離は本当に機能しているのだろうか。執行役員制度を導入している取締役と執行役員の関係は大きく以下の3つに分かれる。

(1)取締役と執行役員が分離している。

(2)取締役が執行役員を兼務している。

(3)取締役の一部が執行役員を兼務している。

この3つ以外にも取締役と執行役員が混在している曖昧な会社もある。

そもそも取締役が執行役員を兼務していること自体、経営と執行を分離しています、と言えないのではないか。つまり1人の人間が監督し、半面で執行することが可能だとは思えない。これでうちの会社は監督と執行を分離したガバナンスを実行していると株主に広言しても信用されないだろう。

実際にその役割を巡って混乱している会社もある。電機メーカーでは上級役員以上の「常務会」と取締役や関連部門長が集まり、事業の方向性を議論する「経営会議」の2つがあったが、執行役員制度の導入で経営会議に一本化した。出席者は社長もいれば取締役兼務執行役員もいる。前出の人事部長・執行役員は会議の様子をこう語る。

「役割の違う人たちが一緒になって議論するが、議論の途中で『失礼ですが、どちらの立場でのご発言ですか』という質問が出たことがある。執行役員であれば当然その立場でものを言うし、取締役であれば経営という観点からものを言うことになるわけだが、取締役と執行役員の2足のわらじを履いているために、発言の内容がどちらの立場からものを言っているのかよくわからないという事態も発生する」

加えてこの会社では執行役員の権限も曖昧だという。執行役員の役割の範囲は当然違うとしても、執行役員と事業部長の役割・権限も明確ではない企業も多いのではないか。執行役員制度の効果として若手の抜擢が進むことが挙げられているが、会議は活発化しているのだろうか。前出の人事部長はこう語る。

「基本的に以前と変わらない。最も発言しているのは代表取締役社長と一部の副社長くらいで、あとは自分に関わるところしか発言しない。やはり経営のボードメンバーという上下関係の意識が働いている。本来は対等の立場で議論すべきだがそうなってはいない。とくに執行役員の場合、役員ではなく〝執行〟隊長的意識があり、余計なことは言わないし、仮に上から同僚の執行役員が叱られていても決して助け船を出さないという雰囲気がある」

意思決定の迅速強化を図る

そうであれば執行役員同士が集まり、自由闊達に議論できる「執行役員会議」なるものを作ればと思うが「仮に執行役員会議ができることになれば、当然、取締役兼務執行役員の人にとっては会議が増えることになる。取締役と執行役員の役割が分離されないままでは矛盾が発生するだろう」(人事部長)。

実際に執行役員会議を設置している企業もある。だが前出の化学会社元取締役は意味がないと指摘する。

「執行役員制度を導入したことで意思決定が早くなるということはなかった。私は取締役であって現業部門も持っていたから実際は取締役兼執行役員。毎月必ず1日を取締役会で割かれ、そのうえ執行役員制度ができたので執行役員会議もやらないといけない。取締役兼務の執行役員は2日も潰れることになる。私がいなくなることで部長や課長から何度も文句を言われたことがある」

取締役と執行役員の権限と役割が曖昧な上に、会議も増えれば意思決定がスピーディになるとは思えない。そもそも日本企業の役職は「ヒト」を基準にポストに任用する。つまり、この人ならこういう仕事をやれそうだという基準でポストを新設したりする。これに対して欧米では役職ごとに役割・職務要件を明確にした上で適正な人物を任用し、仕事をやらせて不適格と判断すれば降格させる風土である。

社内には主任、係長、課長、次長、部長、事業部長という役職があるが、人物の能力は別にしても仕事の内容はほぼ決まっている。だが、執行役員というポストはそれほど明確ではない。じつは執行役員制度を廃止した企業もある。ロート製薬は今年の5月13日、執行役員制度廃止に関するお知らせというリリースを出した。その理由は明確ではないが、こう書いてある。

「当社は2002年5月より執行役員制度を導入してまいりましたが、取締役の責任と権限を明確にし、経営の効率化、意思決定の迅速強化を図ること、執行役員という枠にこだわらず、全管理職が責任をもって、機動的な業務執行を進めるため、16年5月31日をもって執行役員制度を廃止することといたしました」

ほとんどの企業が「意思決定の迅速強化を図る」ために執行役員制度を導入しているのに、ロート製薬は逆に意思決定の迅速化を図るために廃止した。執行役員制度は経営者にとって非常に都合のよい制度にすぎず、「経営の監督と執行の分離」がタテマエであることを示す証左ではないだろうか。

(ジャーナリスト・溝上憲文)

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経営者インタビュー

教養課程やゼミを抜本改革 大学経営にも「中内DNA」

中内 潤 流通科学大学理事長兼学長
なかうち・じゅん 1955年3月27日生まれ。78年慶応大学法学部卒。80年同大大学院経営管理研究科修士課程修了。84年同大学院商学研究科博士課程修了。90年商学博士。ダイエーには80年に入社。84年取締役、86年代表取締役専務、89年代表取締役副社長。03年4月流通科学大学理事長に就任。16年4月より学長も兼務。息抜きはドライブで、SUVを駆って、たまに淡路島などに出かける。

少子化の中で、大学はどこも生き残りを賭けて知恵の絞り合いだが、その中で異色な存在といえるのが流通科学大学(神戸市西区)。同大学は、ダイエー創業者で日本に「流通革命」の足跡を残した、故・中内㓛氏が創設した。そこで、同氏の遺志を受け継いで大学の理事長兼学長を務める中内潤氏に、サバイバルに向けた大学改革を聞いた。

劇的変化、入学後の半年

―― 今年4月から、理事長に加えて学長も兼務されています。その狙いは何でしょうか。
昨年度から、大学のカリキュラムでかなりの大改革をやっていますので、それが落ち着いてくる向こう4年間、とりあえず(兼務で)やってみようかなと考えています。その改革の中身ですが、具体的に言いますと、入学後の半年間は講義の時間がない形に変えています。昨年度から、教養課程の必修科目をほとんど全部、カットしましたので。

―― それは思い切った施策ですね。でも確かに、昔の私の学生時代を思い返しても、教養課程の講義って正直退屈でした(笑)。
それは個人差あると思いますが、大きな狙いはこういうことです。流通科学大学は文系で商学部を軸にしていますが、入学してくる学生たちの多くが、明確な目的を持っていないことに危機感を持っていました。

たとえば、弁護士を目指すなら法学部、医者なら医学部、建築技師なら工学部とか、目的が明確になる学部があるでしょう。でも、流科大のような商学部や経済学部、人間社会学部の学生たちに「将来は何になりたいの?」と問いかけても、ほとんどの学生が答えられないんです。卒業後、何となく就職できればいいみたいな感覚がありましたから。

そうではなく、自分が何になりたいかの将来設計をきちんと考えてから大学で学んでほしい。たとえば中学、高校で英語を勉強してきていても、ほとんどの学生は実用にならないでしょう。とりあえず試験に通ればいいという勉強の仕方だからです。そこで、本当に英語に興味がある学生は早い段階で、短期でもいいから留学経験をさせてみるのです。で、「これからは絶対に英語や」と思った学生に帰国後、英語を教えたら吸収力がまったく違うんですよ。

ことほどさように、入学したらいろいろなところへ行かせ、いろいろな話も聞き、自分が本当にやりたいこと、なりたいことが何かを真剣に考えてもらうわけです。ですから、新入生に企業訪問もさせますし、こちらから講師をお呼びして企業の話をしていただくこともあります。ほかにも、あちこちのショッピングセンターに行かせて、自由にフリーな立場で見させる。そこに身を置いて、自分が何に興味を持つのか。そういうことをチーム単位でやらせてレポート的なものでまとめさせています。

そうやって最初の半年間でいろいろな見聞をさせ、次の半年間でその興味が本当に確かなものかどうかを見極めてもらうのです。そして、2年生になる時に学部、学科を自由に選択できるようにもしました。ですから、観光学科で入学しても、後にマーケティング学科に移ったり、その逆になったりということもできる。

―― こうした試みは、ほかの大学でもやっているのでしょうか。
たぶん、ないと思います。英語とか、教養課程で必修の講義があると思いますが、それを全部、なくしましたから。先生方もよく受けてくれたと思います。学生にとって、自分には興味がない講義だったら、単位を取るために仕方なく受けるといった受け身の域をまったく出ません。それは、学生にとって大いなる機会損失だと思います。

―― まだ昨年度から始めた改革ですが、目に見える形での成果は上がっていますか。
成果を問うのは、昨年度からの4年間を経てからになりますが、一番大きかったのは大学の中退率、あるいは除籍率がかなり減ってきていることですね。もう1つ、入学式も昨年からガラッと変えました。会場の壇上に新入生全員に上がってもらい、一言ずつ話してもらうようにして、先生方はそれを聞くだけにとどめていただく。壇上には一切、上がりません。普通は逆ですよね。入学式も、受動的なやらされてる感から能動的なやります感に変え、当事者意識や目的意識をスタートから明確に持ってもらおうと考えました。

―― 今年度からは、改革の第2弾として「学生生活モデル」というものがスタートしたそうですが。
まず、カリキュラムの〝見える化〟ですね。入学後、向こう1年間はどんな先生のどんな講義があるのかはわかりますが、もっと踏み込んで、4年間のカリキュラムをすべて公開しました。

神戸市営地下鉄三宮駅の改札にある広告が目を引く。

たとえば、観光学科で学んで将来はホテルに勤めたい学生なら、ホテルコースを取ると1年ではこれを学び、2年生以降はこういう講義があるといったロードマップを明確にしました。そして、大学の最終年度ではこれを勉強しますというスケジュールを、入学時に見せてあげるように変えています。

また、インターンシップ制度はホテル側で準備しています、アルバイトも経験できますと。つまり、実際のホテル業に学生時代から慣れながら、同時並行でホテルに勤めるために大学で勉強もする、そういう姿ですね。それが今年度からスタートした学生生活モデルです。各学科ともコース別に全部そうして、学業のみならず、アルバイトや普段の生活までアドバイスしてあげようと。

―― 折からのインバウンド需要の高まりや4年後の東京五輪を考えると、学生も何となく観光やレジャー、ホテル産業はこれからいいと考えるでしょうけど、その意識が一過性なのかどうか、本気度が試されますしね。
高校時代に持っていたイメージと、大学入学後、実際にホテルなどへアルバイトに行って、あるいはホテルの方にも講演に来ていただきながら、いろいろと自分の五感をフル活用、総動員して見極めてもらいたい。「これならホテルに行こう」とか、「イメージと違ったからやめておこう」とか、いろいろ出てくると思いますが、特に自分の考えを軌道修正する場合、その見極めは早いほうがいいでしょう。

―― 2年後の2018年には、流科大創立30周年にもなります。
昔は、流科大も“オンリーワンとナンバーワン”という要素を大事にしていましたが、いまはその要素をほとんど(他大学に)キャッチアップされており、今後はどうしていくか、いろいろと模索しているところです。ただ1つ言えることは、本当の意味で面倒見のいい大学になっていきたいなということですね。

―― その18年は、(大学進学の)18歳人口が一段と減ってくる年と指摘されています。
競争が、より激しくなることはわかっているのですが、他大学と戦うことよりも、まずは自分のところで戦うことが大事です。「自分たちの大学はこれが売り物だ」というのを作らないといけません。18歳人口が減るのはわかっていても、いまはそれどころではなく、自分たちの大学の改革に必死というのが現実です。

―― 流科大と言えば、大手企業の経営者に講演してもらう「企業論特別講義」(昨年度で言えば、リクルートホールディングスやファンケル、YKKの各社長、大和ハウス工業会長らが登壇)も特色の1つです。
実は、これも改革しようと思っています。これまで、業種や業態に関係なく、企業トップの方にお話しいただいてきましたが、「私はホテルに行きたい」あるいは「自分は小売業に行きたい」といった声が学生に多ければ、該当企業の方にお話しいただいたほうが、より興味を持つのは当然です。

あるいは、ブライダルとか金融関係の講師でもいいのですが、いまは講師の選定で、選ぶ業界がバラバラなんです。もう少し、そこは業界を絞って特別講義を考えていきたいですね。その特別講義を、より充実したものにしていくうえでも、さきほどの学生生活モデルを確立していかないといけません。この夏にメドをつけて、後期から、来年の講師の人選をし、具体的にお願いしていこうと思っています。

商業高校とも連携を強化

―― 一方で、大学経営を見る理事長の立場からすると、中長期ではどんな考え方を。
とりあえず(理事長、学長の)両方見ているわけですが、向こう5年は、たとえば寮を作ったりとか、将来に向けての投資の時期かなと考えています。同時に自分たちの地盤固め。学生のためにどれだけのことがしてあげられるかが最も大事な点で、そこが固まって初めて、「さあ、打って出るぞ。どこそこと競争するぞ」といった話になると思います。まずは地盤固めをしていかないと、戦うに戦えません。

とにかく、流科大3500人強の学生たちにいかに満足してもらえるかを第一に、学内の図書館やレストランも改装しながら、あらゆる点で誇りを持てるようなことに取り組んでいきます。

―― すでに、今後のさらなる改革も考えているということですか。
ゼミも、以前は2年の後期は必修でしたが、それも廃止にしました。「それではゼミの応募率が落ちる」とも言われましたが、結果は、逆に上がっています。なぜか。1、2年生で何をやりたいかが明確になってくれば、自ずと「このゼミでこの勉強をしたい」というものが出てくるからです。ただ、特定の先生にゼミ募集が集中したらどうするか、あるいは分散をどうするかというのは、また次の課題ですね。

―― 就職は、以前伺った時は流通小売業で4分の1ぐらいということでしたが。
いまは30%近くまで上がってきていますが、小売業はアルバイトで接するイメージがどうしても強く、きついとか厳しいといった印象があるようです。

そこで、「リテール人材育成プログラム」というものを作り、小売業は、商品を仕入れて入ってきたら補充し、レジで売っているというだけではなく、きちんと各企業で商品開発や店舗開発などもやっていることを教えて、そこが理解されれば、より小売業に興味を持ってもらえます。そういうこれまでの固定観念的な小売業のイメージは、根底からガラッと変えたいですね。

―― 国内外で、他大学との提携やアライアンスはあまり考えていないですか。
海外でいくつか提携校がありますが、これも全部見直しをしようと。提携しているというだけでは、あまり意味がありませんから。むしろ、提携という意味ではいま、高校、特に商業高校と少しずつ提携をし始めています。

具体的には、流科大の先生方に商業高校へ出向いていただき、マーケティングの話や商品開発の話をしていただいてます。商業高校、イコール簿記会計の勉強というのは過去のイメージで、最近はマーケティング系や経営系の授業も多くなってきていますので、マーケティングの先生などにも活躍の場が広がっているんですよ。

大学入口付近にある故・中内㓛氏の胸像。

―― 最後に、流科大の近未来像についてはどう考えますか。
とりあえずは、さきほども言いましたように地盤固めです。もう一度、自分たちの強みとは何なのかを、教員も職員も全員が認識することですね。その過程で、いわゆる従来の大学とは違った形になっていくかもしれません。教育の場が、たまたま大学であると。あるいは18歳から22歳ぐらいまでの人たちを鍛える場だと考えています。

ですから、奨学金制度も今回変えて、勉強だけしていてもダメ。クラブ活動やボランティアなど、何か勉強以外の社会的な活動をしないと、奨学金対象として認めませんという形にしました。机上でコツコツやることだけが勉強ではないと考えていますから。

ともあれ、これまでの大学のイメージにこだわらず、原点に戻ろうと。そして、学生に学びたいことを見つけてもらいたいですね。(大学創設者の故・中内㓛氏の語録である)“ネアカ のびのび へこたれず”の精神を忘れずに、もう一度、オンリーワンとナンバーワンを再構築していきたいと思います。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)

経営者インタビュー

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経営者インタビュー

人口減の救世主は民泊? 空き室はインバウンド対応で活路

高橋 誠一
たかはし・せいいち 1945年生まれ。東京電機大学電気工学科卒業。75年三光不動産(現三光ソフラン)を設立し、社長に就任。2008年に三光ソフランホールディングスに商号変更。全国賃貸管理ビジネス協会会長、全国賃貸住宅経営者協会連合会副会長等を務める。

最近は不動産のアパート・マンション投資のテレビCMが非常に増えている。興味はあってもなかなか手は出しづらいもの。果たしてどのような投資なのか業界の状況を三光ソフランホールディングスの高橋誠一社長に聞いた。

不動産投資が急増?

―― 最近、テレビCMなどで不動産投資の企業を見ることが多くなりました。それだけ需要が高まっているのかもしれませんが、どういった経緯があるのでしょう。
ひとつは、年金の問題が大きいと思います。いま65歳でもらえる年金が平均で20万円くらい。なかには15万円、10万円という人もいます。もともと私の父親の世代は30万円くらいもらっていたんです。それが20年ほどで20万円に下がっているわけですから、どこまで落ちていくのか不安を抱いている人が多い。しかも支給年齢が60歳から65歳になり、今度は70歳になると言われています。自分の将来について、不安を持っている人がすごく増えています。

その不安を解消するためには、どこかで収入源をつくる必要がありますが、株や投資信託の配当をもらうというのも一つの方法です。しかし、それらは不確定で、毎月定期的に入る収入ではありません。結果的にアパート・マンションを購入して家賃収入を得ることが、毎月の安定収入を得ることに繋がります。

―― 高橋社長自らもセミナーを開いて「お金持ち大家さん」になることを推奨していますね。
私が提唱しているのは自己資金を2000万円用意し、3000万円借り入れして、5000万円くらいの土地付きアパートで6戸くらいのワンルームの物件を買うことです。我々がその6戸を1部屋5万円で借り上げると、大家さんには毎月30万円入ります、借り上げだから部屋が空いても30万円入ってきます。そこから返済の15万円を払っても、15万円残ります。これが個人年金です。非常に単純でわかりやすい図式です。

私が推奨しているのは、あくまで自己資金を2000万円用意できる方です。実際は、500万円用意して1000万円の収入があれば銀行は4500万円貸してくれます。家賃収入から返済しても4万~5万円は残りますから、この程度でも投資を勧誘する業者はたくさんあります。しかし、金利が上がる、家賃が下がるといったリスクはありますから、逆ザヤで払うほうが多くなる可能性もあります。4割の自己資金があると、5%の金利が10%に上がったとしても逆ザヤにならない返済金になるので、安心できる数字が2000万円ということになります。それ以下なら無理しないほうがいいでしょうね。

収入の15万円は使っても構わないのですが、この投資を検討している人の多くは40~50代です。可能であれば、15万円は使わずに生活していただいたほうがよい。もし2棟目を買うことができれば、その後の運用はさらに楽になります。4棟まで増やせれば、月60万円以上の収入になるので、年金と合わせてかなり楽な老後になるのではないでしょうか。仮に自分が亡くなっても奥さんに、奥さんが亡くなっても子供に相続していけますから、「金持ち大家さん」を継がすこともできるのです。

民泊で日本経済活性化を

―― 日本の人口減によるアパート・マンションの需要が減ることはリスクになりませんか。
比較的安心できるアパート・マンション投資ですが、場所は限定しないとダメです。立地で言えば、東京、神奈川、埼玉です。これらの地域はまだ1~2%ずつ人口が伸びています。千葉は人口の伸びが止まってしまいましたからやめたほうがいい。いま日本には3都県に加えて愛知、滋賀、沖縄、福岡の7つしか人口が伸びている県はありません。減っている地域では空き室が出るなど採算が合わなくなる可能性があります。

ただ、いま注目されているのが民泊です。大阪や京都、北海道ではインバウンドでの民泊が伸びてきています。昨年は約2000万人の段階で東京や大阪のホテルが取れなくなりました。アパホテルが1泊3万円になったり、帝国ホテルの3万円の部屋が6万円になったり、儲けているのはホテル業界だけです。2020年に4000万人のインバウンドが来たら、ホテルだけではとても間に合いません。だからアパートの空き室を民泊に使うことで対応していかなければいけません。

しかし、ホテル業界は自分たちのことしか考えていませんから、年間30日以内を主張しています。私たちはインバウンドの選択肢を増やすためにも365日やらなければ、ダメだと訴えています。国は安易に間をとって180日と言っていますが、安心して泊まれるところを増やさなければ4000万人なんて達成できません。

―― 民泊に対応することで、空き室問題も解消できると。
面白いことに、四国や東北のホテルも予約が取れなくなってきています。観光客が地方にも向かっているんですね。地方創生に役立っている。地方でも歴史や名所がある地域は観光客が行きますから、民泊を進めていくべきだと思います。

首都圏に関しては、おそらく駅前のアパート・マンションは民泊にしたほうが儲かる業者が多くなるでしょう。そうすると、民泊以外には貸さないところも出てくるかもしれません。住人は郊外に住むようになりますから、空き室は解消されていくでしょうね。

インバウンドは日本経済の活性化、地方創生の後押しをしてくれると思います。それだけに民泊を認めて4000万人に対応させなければいけません。そうなれば、人口減と言われていても、首都圏のアパート・マンション投資は当面、安定的な投資になるのではないでしょうか。


経営者インタビュー

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経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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健康飲料のパイオニア タマノイ酢の「はちみつ黒酢ダイエット」

健康食品として根強い人気を誇る「黒酢」。その火付け役になったのがタマノイ酢だ。1996年に発売された「はちみつ黒酢ダイエット」はロングセラーになっている。お酢メーカーの飲料参入で生まれたヒット商品の開発秘話を聞いた。

酢から生まれた健康商品

コンビニやドラッグストア等で当たり前のように陳列されている健康食品や健康飲料。消費者の健康志向の高まりは、食品メーカーの商品開発にも大きな影響を与えるようになっている。

酢の老舗メーカー、タマノイ酢の健康飲料「はちみつ黒酢ダイエット」は、いまでこそヒット商品として認知されている存在。しかし、発売された1996年当時は健康飲料というジャンルが確立されておらず、飲料と言えば砂糖を大量に使った甘いものが主流だった。いまや定番商品とも言える野菜ジュースも「まずいけど体のために飲む」といった風潮のなか、なぜタマノイ酢が健康飲料の市場に商品を送り込んだのか。タマノイ酢常務取締役の播野貴也氏は次のように語る。

「革新的な挑戦をつづけてきた」と常務取締役の播野貴也氏。

「タマノイ酢のルーツは1590年頃、豊臣秀吉の時代に堺の製酢業者が大阪で酢を製造するようになり、この頃から酢の商標として「玉廼井(たまのい)」が用いられたことにあります。我々は426年つづく会社ですが、歴史を紐解くと常に革新的な挑戦をするという考え方があります。お酢のメーカーとして、どこもやっていないことをやっていく。『はちみつ黒酢ダイエット』を作ろうと考えたのは20年以上前のこと。長い間、調味料の会社としてやってきたなかで、社長の播野勤の『お酢を調味料だけでは終わらせたくない』という思いから、飲料のチームを立ち上げたのです」

飲料以前も世界で初めて食酢の粉末化に成功し「すしのこ」を発売したり(63年)、食酢専用ペットボトルを導入(89年)するなど、業界に先駆けて新たな技術生産に取り組んできた挑戦の歴史があった。

しかし、飲料は巨大メーカーがひしめく業界。戦うのは容易ではなく、売りになる価値が求められた。

「飲料開発で柱になったのが『健康志向』です。飲むことで健康になるという付加価値がついた商品の開発が必要でした。事業がスタートした当初はお酢とは無関係なカルシウムやオリゴ糖などを入れた飲料も開発していましたが、失敗の連続だったようです。そのような時、黒酢が健康食品として取り上げられるようになりました。調味料としての黒酢の用途はお酢よりも限られた狭いものですが、健康のために飲むという人が増え、黒酢を使った飲料の開発を進めていくことになりました」

商品開発のうえで、大きなヒントになったのが、91年にカルピス食品工業(現カルピス)から発売された「カルピスウォーター」だった。

「『はちみつ~』を出す前に、『スーパー黒酢』という黒酢の原液を瓶に詰めて、薄めて飲むという商品がありました。そこにカルピスの原液を水で割って缶に詰めたカルピスウォーターが爆発的にヒットしました。それを見て、飲みやすさを形にしていくことが重要だと、黒酢を簡単に飲める商品を開発しようという話になったのです」

飲みやすいように薄めても、黒酢はそれ自体の癖が非常に強い。飲みやすくするためには癖を抑える必要があった。

「黒酢は酢よりもさらに癖が強く、どう飲みやすくするのか。ひとつがはちみつだったのですが、それだけではもの足りない。そこで思いつく果汁を片っ端からブレンドしてみた結果、ベストミックスだったのがりんごでした。パッケージについても議論になりましたが、社長の播野が選んだのは黒ではなく赤でした。ターゲットを高齢者からさらに黒酢に馴染みのない世代に広げていかなければならないと考えたわけです。これが女子高生にも受けるデザインになったのです」

タマノイ酢では「伝統的なお酢づくり」と「お酢の可能性への挑戦」が、最新鋭の設備の中で両立されている。

健康ブームの到来

商品名に“ダイエット”を謳ったのも画期的だった。はちみつと黒酢で健康にいい商品とのイメージはできていたが、女性へのアピールは抜群のネーミングだったと言える。

「お酢がダイエットに効くことはわかってきたのですが、データを取って立証していくのは手間と時間がかかります。薬事法の関係で“痩せる”という機能を謳うことはできなかったのですが、“痩せる努力”を意味するダイエットならばと商品名に入れてみたのです。いま考えれば大胆なネーミングですが、当時としては許容範囲だったのでしょう」

それでも発売から3年ほどはヒットとは言えなかったという。健康飲料ブームはまだ遠かった。しかし、突然転機はやってくる。

「健康食品を取り上げたテレビ番組で、黒酢が血圧を下げる効果やアンチエイジング効果があることをデータや実験を通して実証してくれました。それをきっかけに商品が急に売れるようになったのです」

ヒットが出ると他の業者も参入してくる。大手メーカーとの競争にもなったが、タマノイ酢は黒酢飲料の高いシェアを守り続けている。

「幸いにも消費者の支持を今も得ることができていることに尽きます。我々は企画によって市場をつくったパイオニアであり、原材料の酢をつくっているメーカーでもありますから、この強みを最大限に活かして今後の新製品開発に取り組みたいと思います。

発売当時のメインターゲットだった20代の女性がいま40代になっても飲み続けてくれています。新たな20代にも受け入れてもらえるようなブランディングも行って、さらに市場を広げていきたいですね」

(ジャーナリスト・松崎隆司)

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月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

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【BOSS×WizBiz】営業と組織作りマネジメントを強みに次々と新規ビジネスを展開

佐々木拓己 ユナイテッドウィル社長
ささき・たくみ 1978年、青森県生まれ。99年にアルファグループに入社し、携帯電話などの営業をトップ営業マンとなり、営業部長、事業部長を務める。2007年4月複数の会社からヘッドハンティングを受けインターネット決済会社に転職。10年12月にユナイテッドウィルを設立。

IPOを経験し転職

―― 設立は2010年12月ですが、起業するまでの経緯をお聞かせください。
起業するまで2つの会社にいたのですが、1つめの会社は携帯電話の卸やオフィス用品の通販の代理店ビジネスの会社でした。この会社で営業をやっていて、ナンバー1営業マンだったんです。その後、事業部長のポジションにあるときにこの会社がIPOしました。IPOに際しては、ストックオプションもあったし、年齢の割にお給料もよかったのですが、そのタイミングでヘッドハンティングにあって、2つめの会社に移ることになりました。

―― IPOしたばかり、しっかりとしたポジションにいて会社を移ろうと思った理由はなんだったのですか。
将来、自分も起業したいという思いがあったんです。移った会社は10人ほどの小さな会社で、大手広告代理店の出身の、それもエリートコースにいた社長と、現場の社員との間にギャップがあった。その間に僕が入って組織を作ったり、営業の体制を整えてほしいということでした。

そうした経験は起業の際にプラスになる、30歳を前にしたタイミングで勝負をしたいという思いがありました。2つめの会社にいたのは3年ほどですが、辞めるときには100人規模の会社に成長していました。

―― いろいろなビジネス展開をされていますが、中心的な業務はどういったことですか。
独立直後に考えていたビジネスは、さまざまあるポイントカードを携帯やスマホで一元管理しようというようなシステムを作るというものでした。このシステム開発から、それに使う端末を店舗においてもらう営業を任せてもらいました。大手の会社とも契約がとれ始めた矢先の3月11日に東日本大震災が起こって、この事業が止まってしまった。そこで知り合いの社長などと話していると、ゲームやアプリ開発でのエンジニアやデザイナーの派遣の事業には需要があるということで、人材派遣事業へと事業転換を行いました。

―― これまでの売上規模はどのように推移してきたのですか。
当社は11月決算ですが、2015年度がおよそ6億円、16年度の見込みで8億?9億円。17年度は10億円以上いくと予想しています。デザイナーやエンジニアの派遣業務が売り上げ、利益ともに柱になっています。現在の派遣スタッフの登録数は200人ほどです。

学生と企業のマッチング

―― 「インターンナビ」という新規事業の展開が始まったということですが。
14年から当社でも新卒採用を始めました。採用に際しては、入社を考えている学生には必ず2?3日間インターンで業務を体験してもらっています。これは当社を理解してもらうのと同時に、こちらも学生の人となりを見たいということがあります。

現在、このビジネスの事業責任者は14年に入社した人間ですが、彼自身が自らの就活をしているときに、面接と企業説明、同時期の一括採用という、今の企業の採用に疑問を持っているというんですね。でも、それは学生側だけの視点で、企業側の視点もあるはずだから、それを知るためにうちに入社して人事採用の担当もやってみてはどうかと話したんです。そこから出てきた事業がこのインターンナビです。

―― 具体的にはどんなビジネスですか。
インターン制度のある企業の紹介をHPに掲載して、希望の学生には登録してもらい、その学生を紹介するものです。ただ紹介するのではなく、学生に対しては事前に面談を行ってその特性などを把握して、企業にご紹介しています。そのためやる気の学生であると同時に企業にとっては第三者的な目で学生を面接したうえでのご紹介になるので、企業にとってもプラスになるのではないかと思います。

―― どのような収益モデルになっているのですか。
HPへの掲載料をいただいている会社は、紹介した学生が入社した際に50万円、掲載料をいただいていない企業の場合は65万円をいただきます。もちろん、学生は一切お金はかかりません。

―― インターンナビのこれからの事業目標は、どのように考えていますか。
現在の学生の登録数は3000人を超えています。この登録数をどのくらいにするかという明確な目標はありませんが、一つの目安として17年の新卒で内定者を200人出そうと話しています。一期目の目標としては高めですが、この数字がクリアできればビジネスとしては成功かなと思ってます。将来的には3年後の内定者を1000人にしたいと考えています。

―― IPOについても考えていますか。
IPOについては考えていません。経営者側ではありませんでしたが、IPOとストックオプションを経験しました。これはこれでとてもよい経験でしたが、IPOをして幸せだったかというと、そうとばかりは言えません。

事業の展開の中で資金調達が必要であれば、IPOのメリットもありますが、従業員や僕も含めてIPOだけが幸せだとは思っていないんです。

自分の強みは、営業と組織を作ること、それにマネージメントだと思っています。賢いプランナーがいれば、事業を広げていけるでしょう。アイディアはあるけれど、組織や推進力が足りない会社などと組むとうちは強さを発揮できます。実際、そういうオファーは多くきています。今後は社内からそうした事業をおこし、将来はそれらを独立させるなども考えています。

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