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【総論】中華マネーが買い漁る日本企業と不動産|月刊BOSSxWizBiz


三菱自動車にも食指

中国の爆買いが止まらない。

21世紀に入ってからというもの、中国の爆買いが世界経済を動かしてきた。少し前まで、その対象はエネルギーや食糧などの資源だった。人類史上まれに見る高度成長を遂げたことによって、中国はありとあらゆる資源を飲み込んだ。それによって原油価格は1バレル100ドルを超え、鉄鉱石などの鉱物資源も軒並み値が跳ね上がった。それに便乗した日本の総合商社は、わが世の春を謳歌した。

リーマンショックを境に、資源価格は下落に向かう。さらには中国の高度成長が一服したこともあり、さらに値を下げた。その結果、三菱商事、三井物産という日本の二大商社が赤字に転落したことは記憶に新しい。

それでも中国の爆買いは続いている。資源の次に買われたのは、海外の企業だった。

シャープは鴻海傘下に。右から高橋興三・シャープ社長、郭台銘・鴻海会長、新社長となる戴正呉・鴻海副総裁。

米フィナンシャルタイムスによると、今年1?3月の世界のM&Aの総額は6820億ドル。そのうちの15%、1010億ドルに中国企業が関わっていた。国別にみてもダントツの数字だ。昨年、中国企業によるM&Aの総額は1090億ドルで過去最高だったが、今年はわずか3カ月間でそれに匹敵するM&Aを行ったことになる。当然だが、5月時点ですでに昨年の実績を突破、このペースでいけば、年間で昨年の4倍にも達することになる。

最近でも、本田圭佑が所属するセリエAのACミランの優先交渉権を、中国企業が得たと話題になった。中国企業の外国企業の爆買いは、今後も衰えそうにない。メディアの中には、「バブル期の日本にそっくり」との論調も見られるが、その規模は問題にならないほどで、世界のM&A市場に中国マネーが入り込んだことによって、企業の買収価格が跳ね上がるという副作用も出てきた。

当然、その矛先は日本にも向かってきた。

33ページからのレポートにあるように、燃費の不正が明るみに出た三菱自動車は、日産自動車の傘下に入ることで生き残りをかけることになった。岡山県水島などの三菱自動車の企業城下町は、この結果にほっと一息ついている。

この問題が発覚した時、多くの人が、これで三菱自動車は終わった、と思った。過去の2度のリコール隠しにより信頼を失っており、3度目の不正に対しては、過去において救済の手を差し伸べた三菱グループもあきれ顔。しかも三菱グループ主要企業の業績が悪化していることもあり、三菱自動車の前途には暗雲が立ち込めていた。

そこで色めきたったのが、中国企業だった。

中国在住ジャーナリストによると、複数の中国自動車メーカーが、三菱自動車買収の検討を一斉に始めた。世界的に見れば三菱自動車のシェアなどたかが知れているし、日本国内においても存在感はない。しかし東南アジアにおける知名度は高いため、東南アジアを自分の庭と考えている中国企業にとって魅力的な会社だった。

しかも、三菱グループであることにも特別な意味があった。

「三菱グループは、日本の経済成長に合わせて大きくなってきた企業グループです。三菱重工などは、軍需産業の担い手でもあり、日本株式会社そのものでもある。それだけに、三菱の名の付いた会社、そしてスリーダイヤのエンブレムを持つ会社を傘下に収めることは、日本そのものを支配下においたと同義なのです」(在上海ジャーナリスト)

三菱自動車は日産傘下となることが決まり、中国資本になることは避けられたが、今後も不祥事により、経営が傾いた企業の救済策として、真っ先に名前が挙がるのが中国企業であることは間違いない。

その典型が、シャープを買収した鴻海だ。液晶事業への過度な投資により苦境に陥っていたシャープは、4月2日、鴻海傘下に入ることが正式にきまった。1月に鴻海が、それまでの最有力候補であった産業革新機構を上回る買収条件を提示。その後、紆余曲折はあったものの、鴻海は4000億円近い資金を拠出することで最終的な合意をみた。

鴻海が当初、シャープに提示したのは、(1)事業の切り売りはしない(2)従業員の雇用を保証する(3)経営陣はそのまま存続――というもので、シャープにとってはこれ以上にない条件だった。

しかしシャープが前3月期決算で2500億円強の赤字を計上し債務超過に陥ったこともあり、7000人規模の人員削減の検討に入った。国内だけでも2000人規模となる見通しだ。また、太陽光パネルについては、切り離す策が有力だ。さらに高橋興三社長は退任し、鴻海の戴正呉副総裁が後任に就くことも明らかになった。大半の取締役も退任する。つまり、鴻海が当初提示した条件は、次々と反故にされている。ここに、鴻海のしたたかさがある。

鴻海の郭台銘会長は、24歳で起業、一代で鴻海を世界最大のEMS(受託生産)企業に育て上げた。その売上高は15兆円を超える。ただしEMSの宿命で、鴻海は自社ブランドを持たない。また、利益率も4%以下と低い水準にとどまっている。次なる成長を遂げるためにも、世界に通用するブランドと、液晶に代表される世界トップの技術を手に入れたかった。その意味でシャープは格好の相手だった。

白物を売り急いだ東芝

シャープが鴻海入りするのが決まったのとほぼ同時期に、東芝の白物家電事業の売却も決まった。中国の家電大手、美的集団に、537億円で譲渡された。

経営不振に陥った東芝は白物家電を中国・美的集団に売却した。

今年はじめの段階では、東芝の白物は産業革新機構のもと、シャープの白物と統合するプランが描かれていた。ところがシャープの引き受け手として鴻海が有力となったことで、革新機構が手を引いた。そのため、東芝の白物は宙に浮く形となり、急遽、決まった相手が美的集団だった。東芝の家電事業は、赤字とはいえ、売上高は2254億円を誇る(映像事業を含む)。それをわずか537億円で売らざるを得なかった。それだけ東芝が追いつめられていた証拠でもある。

美的集団は、ハイアール、ハイセンスと並ぶ、中国家電大手3強の一角だ。その成長スピードは驚異的で、家電進出わずか20年で売上高は1兆円を上回り、現在、台数ベースでは世界第2位の家電メーカーとなっている。

ここまで成長できたのは、中国国民を相手に、低価格を武器に低品質の家電製品を大量に販売してきたからだ。しかしこの戦略もそろそろ見直さざるを得なかった。

前出の上海在住ジャーナリストによると、

「商品数は多いけれど、これといった商品がない。成長スピードもここにきて鈍ってきており、さらには商品の欠陥が次から次へと出て、信用を失いつつある。いままでの安かろう悪かろうが通用しなくなってきています」

美的集団にしてみれば、技術力を上げ、国際競争力のある商品を開発することが喫緊の課題だった。しかし独力ではむずかしい。そこに東芝の白物家電の売却話である。買収後も東芝ブランドの使用が認められている。それを考えれば美的集団の500億円の買い物は、むしろ割安だったのかもしれない。

シャープを傘下に収めた鴻海、東芝の白物家電を手に入れた美的集団。両社はそれぞれ、買収により技術とブランドを手に入れることに成功した。これを次なる飛躍につなげようという意図がそこにはある。

日本企業がバブル経済の破裂で疲弊して以降、数多くの企業や事業部が中国企業に買収されたが、相手が中国企業の場合、心理的な抵抗感を持つ人も多い。

しかし買い手が中国企業であろうと、買収された企業は、キャッシュを得るとともに、従業員の雇用をある程度は守ることができる。経営権が移っても、それによって企業が再生されるのであれば、歓迎すべきだろう。むしろ2000年代初頭のハゲタカと呼ばれた欧米系ファンドの企業買収と簒奪に比べれば、企業としての成長を目指しているだけ、はるかにマシともいえるのではないだろうか。

ただし問題は、中国資本傘下となって、経営がうまくいくかどうか。それについては次稿で詳しく触れることにする。

バブルの象徴も中国に

企業買収以上に最近目立つのは、中国資本による、日本の不動産の買収だ。

昨年11月、中国で宝石や不動産の販売を手がける、上海豫園旅游商城(豫園商城)が、北海道占冠村にある「星野リゾートトマム」を183億円で買収した。

バブルの象徴でもあった北海道の星野リゾートトマムも中国資本によって買収された。

トマムはもともとバブル経済の真っ最中に仙台の関兵グループが開発した一大リゾート「アルファリゾート・トマム」で、総投資額は2000億円とも言われていた。しかしバブル経済が破裂したうえに、北海道経済を支えていた北海道拓殖銀行も経営破綻。アルファリゾートも98年に自己破産に追い込まれた。その後、紆余曲折があったものの。2005年から星野リゾートが経営再建に乗り出した。

過去に数多くのリゾートの再建を手がけている星野リゾートは、スキーシーズンしか利用者がいなかったトマムを、オールシーズン楽しめるよう設備を整えた。その結果、観光客は徐々に増え始め、海外旅行客の増加も加わったおかげで、一時の低迷を完全に脱した。

豫園商城が、トマムを買収したのも、中国国民の間で北海道が大人気となっているためだ。北海道のスキーリゾートは、一時期、オーストラリアやニュージーランドからの観光客で賑わったが、いまでは中国人が取って替わっている。しかも冬だけでなく、夏の避暑地としても人気が高いため、北海道はいま、1年中、中国人観光客であふれている。

その背景には、中国人の所得が増えたことに加え、2008年に北海道を舞台にした映画が中国で大ヒットしたことで、北海道の風景に憧れた人が増えたことがある、とも言われている。「冬のソナタ」の大ヒットで、日本人の韓国旅行が激増したのと同じ現象が起きたのだ。中国企業が北海道に目をつけるのは当然といえば当然だ。

豫園商城が買収したとはいうものの、運営はこれまでどおり星野リゾートが行うため、日本流のおもてなしはそのまま存続される。さらに豫園商城は、今後、中国人富裕層を対象にコンドミニアムなどを建設、販売するとも言われている。

中国資本に買収されたのはトマムだけではない。トマムほどの大型案件ではないが、10年には洞爺湖畔にあるトーヤ温泉ホテルが中国企業に買収された。また同年にはスキーリゾートとして有名なニセコにある山田温泉ホテルがやはり中国資本傘下となった。

東京不動産視察ツアー

中国人が爆買いしているのはリゾート地の不動産ばかりではない。むしろ都心の不動産に対する関心のほうがはるかに強い。いまでは売りに出される億ションの2割は中国人が購入しているとの推計もある。都心の不動産価格は上昇を続けているが、それを支えているのが中国マネーだ。

都内の不動産屋が語る。

「最近では中国人だけを相手にした不動産屋も増えています。彼らは旅行会社と組んで日本の不動産視察ツアーも企画しています。そのツアーでやってきた中国人が、大して不動産を見ずに買っていく。あのパワーは恐ろしい」

「最近でこそ上海を中心に中国の不動産価格は高止まりをしていますが、経済の高度成長が止まったこともあり、いずれ下落に転じると見ている中国人は多い。彼らにしてみれば、資産をどうやって守るかが重要だ。そこで日本に目を向けた。中国の未来に不安を感じれば感じるほど、日本の不動産に資産をシフトしようという人が増えてくる」

バブル時代には、日本企業が海外の企業や不動産を次々と買収したことがある。ニューヨークのロックフェラーセンターも、ティファニー本店も日本企業の手に落ちた。いまそれと同じことを中国企業がやっているだけでなく、個人レベルでも日本の不動産を漁っている。

眉をひそめる日本人も多いだろうが、さりとて、この勢いは当面の間、衰退することはない。そうであるなら、むしろ前向きに、中国マネーをいかに日本経済に活用するかに目を向けるべきではなかろうか。

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経営者インタビュー

創業家から18年ぶりに交代 法務畑が長いモスの人情家

中村栄輔 モスフードサービス社長
なかむら・えいすけ 1958年6月13日生まれ。福岡県出身。82年中央大学法学部卒業。88年モスフードサービスに入社。95年法務部長、97年社長室長、2001年店舗開発本部長、05年執行役員営業企画本部長、08年執行役員、モスフードサービス関西社長、10年取締役執行役員開発本部長、12年国内モスバーガー事業営業本部長、14年常務取締役事業統括執行役員、16年6月28日社長に就任予定。 (2016年6月28日の株主総会にて就任)

この6月末、モスフードサービスで18年ぶりに社長が交代する。創業家の櫻田厚・会長兼社長が白羽の矢を立てたのは、学生時代に法曹界を目指していたこともあり、法務関係に明るい中村栄輔・常務取締役執行役員。櫻田氏と中村氏の新体制で、モスは新たな経営のステージに入る。

櫻田厚社長は、約18年ぶりの社長交代の理由についてこう語っていた。

「創業者(櫻田氏の叔父の慧氏。1997年に他界。厚氏は翌98年から社長に就任)は60歳で突然亡くなってしまい、私の中では大きなトラウマでした。人間、健康でいてもいつどうなるかわからない。だから後継者の路線だけは明確にしておくことが責務と考えてきました。

社長の人選にあたっては、私と同じようなタイプは社長にならないほうがいいなと。その点、(次期社長で常務取締役執行役員の)中村栄輔は法務畑が長く、現場を知らないで当社に入社していますので私とタイプが違う。今後、数年は私も専任の会長として、彼のネットワークづくり、あるいはステークホルダーにどう、自分をアピールしていくかという点はサポートしていきたい。

中村は理論武装に長け、左脳は私の数倍優れています。でも、フランチャイズビジネスは加盟店オーナーとのヒューマンビジネスですので、本部の社長は現場の痛みもきちんと理解し、オーナーに安心して働いてもらうことも大事。いわば右脳の部分も大切ですから、そこは私が手助けしていきたい」

では、次代を託された中村氏とはどんな人物なのか――。

土の香りと手作り感と

―― この6月28日の株主総会後、正式に社長に就任されたらまず、どんな課題に着手しますか。
国内部門が売り上げの8割を占めていますので、国内で今後も着実、堅実な成長がしっかり達成できるようにしたいですね。そのためには、何といっても加盟店オーナーの方々との信頼関係の一層の強化です。

新業態の「モスクラシック」千駄ヶ谷店。

特に日本は高齢社会ですので、遅れているオーナーの世代交代がしっかりやっていけるようにすることが大事。もう1点、これまでの単一的、画一的なビジネスパッケージから、立地、あるいは都市部と地方部などに分け、出店や店舗運営も少し工夫していくべきなんじゃないかなと考えています。実際、夜の時間帯にお酒をお出しするような実験店も出していますしね。

あとは新規事業です。「マザーリーフ」(紅茶専門店)や「あえん」(旬彩料理店)などがありますけど、そうした業態を加盟店にやっていただくところまではなかなかいってませんので、そこの強化。我々には450人を超える加盟店オーナーがいますので、手を挙げて「新規事業もやりたい」と言ってもらえるようなものを確立したいなと。

加えて、「モスファーム」を5ヵ所で展開していますけど、これを10まで増やそうと思います。野菜の安定供給はなかなか難しいことですから、これも1つの差異化になるのではないかと考えていまして、非耕作地の耕作地化というか、モスらしい土の香りや手作り感を、地域密着を超えて、その地域と一緒に生み出していきたいですね。

―― 昨秋以降、モスも含めてグルメバーガーが続々と出てきましたが、モスのDNAや最大の差別化についてはどう考えていますか。
美味しいと思っていただける点が一番、大切だと思っています。プラス、モスの食材に関しては安心で安全という信頼感ですね。医食同源と言いますが、健康にも気遣っている要素を組み合わせた商品を作りたいなと。そこが大切なモスのDNAですから。

TPОで「モスカフェ」(都心部を中心とした一等立地で展開。メニューにはご飯類やアルコールも)、あるいはハンバーガーを軽食でなくちゃんとした食事として楽しみたいということであれば「モスクラシック」(フルサービスのハンバーガーレストラン)という業態のお店もあります。

―― 会長専任になる櫻田さんとの役割分担はどうでしょうか。
櫻田は国際本部、つまり海外展開を管掌することになります。国内、および新規事業は私ですね。ただ、国内外でお互いにサポートし合うことは言うまでもありません。海外は国にすると6ヵ国、8地域で展開していますが、事業がうまく進んでいるなというところと、まだまだ足元を固めないといけないところとがありますから。着実に足元を固めているのは台湾ですね。おかげさまで台湾は今年、進出から25周年を迎えましたし。

ともあれ、向こう3年は足元を固める時期。私に課せられたミッションは、モスフードサービスの設立から44年が経とうとしている中で、これからもしっかり生き残っていくための仕組みなどを、どうやって作っていくかだと思っています。

―― モスの近未来像、イメージする企業集団や、あるべきコンセプトは。
「お店全体が善意に満ち溢れ、誰に接しても親切で、優しく明るく朗らかで、キビキビした行動、清潔な店と人柄」、そういう店でありたいという、創業者の思いが詰まった文章を基本方針でまとめてありまして、各部署の部屋の壁に貼ってあるほか、私の部屋にも掲げてあります。それを実現できる店がいい店、ということを定義づけしていますし、そういう店を1つでも増やしていく、そこに尽きると思います。

原点は創業者の基本方針

―― ここからは、中村さんのお人となりに関するところですが、まずご出身は福岡ですね。
生まれは福岡県の大木町で、久留米から少し外れた田舎の町なんですが、中学までは久留米の学校に通っていました。高校からは男子校の寮に入り、高校名は熊本マリスト学園というのですが、ここではサッカーばっかりやっていましたね。当時はその高校が県大会で優勝しまして、それがこそっとした小さな自慢なんですけど(笑)。なので、いまでも趣味といいますとサッカー観戦と、隠れた趣味では生け花の鑑賞もあります。実際、小さい頃に生け花を習っていました。

大学は東京に行きたいと思っていたので1年浪人し、中大法学部に入って司法試験を受けようかなと。大学の時も「白門キッカーズ」というサッカーの同好会に入って、そこでもまた、ディフェンダーとしてサッカーに明け暮れる日々でした。

―― 法曹界を目指したのは、就職活動と両睨みだったのでしょうか。
就職活動はしなかったですね。司法試験は最終的には最後の試験で受かることができませんでした。在学中から家庭教師などのアルバイトをして、卒業後はIBMのソフトを扱っている子会社で仕事をしながら司法試験の勉強です。

―― それが、なぜ一転してモスフードへの就職となったのでしょう。
1977年3月に、大学受験で浪人生活を送るために初めて東京に出てきて、当時出会ったのがモスの世田谷桜町店だったのです。食べたらとても美味しくて、こんなに美味しい商品を出す会社ってどんなところなんだろうっていう興味は、当時から持っていました。

ですから、学生時代もそのお店をよく使っていまして、お店の人に「受験生? 浪人? ちゃんと勉強してる?」とか、アットホームな感じでよく声をかけられました。モスに入ってから徐々に気付くんですけど、そうやってお客さんと自由に話したりコミュニケーションをとっていく、フランクでフレンドリーなのがモスのスタイルなんですよね。で、たまたま知り合いの人がモスフードサービスにいたので中途採用試験を受け、パスしたという次第です。

―― 入社したての頃、創業者の櫻田慧さんの話で何か印象に残っていることはありますか。
就職してすぐに社長の講話を聴き、感想のレポートを書いたんです。3点、講話に対する自分の意見を丁寧に書き、最後に少し違う視点のことも書きました。当時、私はまだ司法試験に少し未練がありまして、勤めながら試験は受けられるんじゃないかと考えていたのです。9時~18時までは人の2倍も3倍も集中して仕事をして、18時になったら堂々と仕事は上がって勉強したいなと思っていました。

1000円グルメバーガーも人気。

ただ、新人で入ってきたのに18時で上がるのかという、ある種の冷たい視線を感じましてね。その部分をチラっと書いたのですが、社長は「いいことじゃないか。ただし、集中して仕事していたら、いつの間にか19時や20時になってしまったというのが仕事だよ。頑張りなさい」と。思わず「頑張ります」と言いましたが、ちゃんと隅々まで新人のレポートを読んでくださったことがとても嬉しかった。それも、わざわざ社長が私のいた部署に来てくれて言われましたからね。ほかにも、たまたま法務という部署に所属していたおかげで、株主総会でも書記役を仰せつかったりと、いろんな意味で社長に接触する機会があって、慧眼に触れさせていただきました。

法務部門が一番長くて、最終的には8年ぐらいいましたか。一生懸命仕事して、結構早くに管理職にしてもらったんですね。当時、経営学ももっと学びたいと思い、法政大学大学院で夜間、学ぶことができました。ボーナスをすべて学費に充てるぐらいで勉強も大変でしたが、大学院を修了する年に偶然、社長室長に異動になり、創業者の傍らで仕事ができると意気揚々としていたんです。ところがその3カ月後、社長が急逝してしまいました。

創業者亡き後は、社内の力関係や役員間で意見の食い違いなどもありまして、「社長室長として責任を取り、辞めさせてください」と言いました。私の会社人生ではそれが一番、大きかったですね。最終的には慰留されて会社に残ると決めたのですが、それ以降、社員に理解を得られない時は、すべて自分が悪いと原因を自分に求めるようになりました。社内で稟議する文書もわかりやすくするとか、その視点で仕事をするようになったら、みんなが以前よりも協力してくれるようになったのです。

―― ほかに、これまでの転機、ターニングポイントの時期や仕事はありますか。
第4営業部の営業部長になった時期ですね。守備範囲は九州、沖縄、中国、四国ですが、実は私、店長経験がないんです。「店長経験のない営業部長って大丈夫?」とか陰口も聞こえてきたんですけど、当時のエリアリーダーとかスーパーバイザーがみんな協力してカバーしてくれたので、非常にやりやすかったですね。加盟店オーナーと一緒に話しこんで酒を飲み、価値観を共有することに努めました。

嬉しかったのは、エリア販促ということで、「九州エリア限定商品で、こういうことができないでしょうか?」といった提案が、加盟店オーナーからあったこと。「商品が残ってしまった場合はとにかく売りますから」とおっしゃってくださった。あるいはオーナーが店長たちを集めて、勉強会を開いてくれたり。これは楽しいし、この一体感がモスの強みでもあると思っています。

(聞き手=本誌編集委員・河野圭祐)

経営者インタビュー

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経営者インタビュー

テレマティクス保険で グローバルと地方の両面展開

あいおいニッセイ同和損保社長 金杉 恭三
かなすぎ・やすぞう 1956年生まれ。1979年早稲田大学卒業。大東京火災海上保険入社。2002年あいおい損害保険経営企画部長、08年常務役員、12年あいおいニッセイ同和損害保険取締役常務執行役員、14年MS&ADホールディングス執行役員(現職)、16年あいおいニッセイ同和損害保険取締役社長に就任。

昨年2015年3月にイギリスのテレマティクス自動車保険の大手BIG社を買収。今年4月には米国にトヨタ自動車との共同出資でテレマティクス自動車保険サービス会社を設立するなど、攻勢をかけるあいおいニッセイ同和損保。その新社長に就任した金杉恭三氏が目指すものとは何か。

財閥系にない個性で

―― 社長になっての抱負をお聞かせください。また、何から手をつけようかとお考えですか。
当社は2010年4月に三井住友海上との経営統合、10月にあいおい損保とニッセイ同和損保の合併と、会社の統合・合併を行いました。さらに13年に三井住友海上とグループ内でのホストコンピュータの統合を行うなど、やや内向きにエネルギーを使ってきました。そのため指標を見るとおわかりの通り、10年~13年の業績はなかなか上向きになりませんでした。しかし、15年度ぐらいから外向きにエネルギーが使えるようになり、収益面でも業界のトップラインと並ぶようになってきています。

現在、グループの中期経営計画(14年~17年)の第1ステージを終え、これから第2ステージに入るところですが、外向きにしっかりと稼いで成長していくというところで、今回、私が社長になりました。従いまして、この中期経営計画にそってやっていくことが、抱負であり、取り組んでいくべき点です。

加えて、損保上位3社は財閥系で、財閥系ではない私どもは4番手です。であるからこそ、財閥系にはない個性豊かな特色のある会社にしなくては生き残っていけないということを認識し、この個性を大切にしていくことも私の社長としての役割だと思っています。

―― 損保のなかで個性を出すといっても、商品的にも独自性を出すのは難しいのではないですか。
当社はトヨタ自動車さんに近い会社でそういった面でリテール、地域営業に強いのが特徴です。そこでこうしたリテールを中心にした自動車保険で個性が出せると思います。

加えて15年3月にイギリスのテレマティクス保険(IT技術を活用した自動車保険)の大手で世界でも最先端の技術を持つBIG社(Box Innovation Group)を買収しました。このBIG社のノウハウを活用してトヨタさんとグローバルに展開していきたいと思っています。

欧州では2020年にテレマティクス保険が自動車保険の30~40%になるという予測が出ています。テレマティクスがなければ、自動車保険はグローバルに戦えなくなります。BIG社の買収によって、当社はその最先端でやっていける。まずこれをしっかりとやっていくこと。

損保4社のなかで、地域密着のリテール営業に強みを持っているのは当社です。そこでこれを生かして政府が進める地方創生と連携しながら、自治体や当社が持つ地方銀行とのネットワークを活用し、地方にも力を入れていきたいと思っています。

強みはテレマティクス

―― 昨年、御社がBIG社を買収されたことで、日本の自動車保険も本格的なテレマティクス保険の時代に入りましたね。
テレマティクス保険というのは、自動車に車載器を搭載し、運転特性のデータを集め、それによって保険料を設定するというものです。これまで日本の自動車保険は、無事故割引制度がしっかりしていて、かつ、保険会社を変えても割引率を持っていけるポータビリティー制度が完備していました。そのため、テレマティクス保険を必要としませんでした。

一方、欧米では日本のような保険料の割引制度が完備されておらず、新規のお客さまの事故歴がわからないなかで保険料を決めなくてはなりませんでした。そのためやや乱暴に言うと、高い保険料で保険を引き受け、事故がなければすぐに下げるというようなやり方でした。しかし、なかには1年だけ静かな運転をする方や、乱暴な運転でもたまたま事故を起こさなかったという方もいて、事故の有無だけでは判断できないところもあった。そこで日常の運転状況がわかる車載器を搭載し、データ収集するテレマティクスが生まれました。さらに欧米では、テレマティクスによって、運転の挙動をスコア化し、運転のアドバイスを行いそれによって保険料を下げるサービスも登場し、広がってきました。

―― そんななかでBIG社の持つ強みとはどういった点でしょうか。
ビッグデータを処理するアルゴリズムの技術。それと同時に膨大なデータを持っている点です。データが多ければ精度の高い分析を行い、正確な保険料や運転へのアドバイスができます。そういう点ではBIG社はイギリス国内のテレマティクスの30%、欧州でも最大規模のデータ量を誇り、約30億マイル走行データを持っています。

こうしたことを踏まえ、当社は4月にトヨタさんと共同出資で米国にテレマティクス自動車保険サービス会社を設立。自動車の運転データを集めて解析して保険だけにとどまらずマーケティングへの活用も進めていこうと考えています。

―― 国内では高齢者の事故が増えていますね。
これまでずっと無事故で割引率が一番高い方が突然、大事故を起こすというような案件が起きています。これは多分、突然運転がおかしくなったのではなく、以前から予兆があったと思うんです。こうしたこともテレマティクスの活用で、挙動のおかしいところを早めに発見し、運転に際しての注意やアドバイスを事前に行えるようになります。

高齢者の事故については、単に免許証を返上していただければよいというものではありません。むしろ、地方では自動車は欠かせない移動手段です。そのためにもテレマティクスを活用することで、末永く車の運転をしていただけるサポートが可能になります。欧米でのテレマティクスは、若者の運転に対するリスクを下げるものですが、日本では高齢者の運転に利用できないか研究中です。

社会の動きを見極めて

―― 火災保険の分野では、保険料の値上げが相次いでいます。
火災保険といっても今はほとんど自然災害に対する補償なんですね。これはみなさんもお感じになっていると思いますが、以前は異常気象も含めて自然災害は数年に1度ぐらいしか起きないものでした。しかし、最近では台風の被害、大雪や落雷などによる被害が年に何回も起きるようになっています。そのため保険金の支払いが増大しています。加えて大きな地震もたびたび起こっており、地震のリスクが大きくなっています。こうしたことはしっかりととらえていきたいと思っています。

―― 損害保険の分野では、個人賠償責任に注目が集まっています。
これまでは周りの方にご迷惑をかけても「すみません」と謝罪すれば済む時代でもありました。しかし、今後はそれだけでは済まない。だんだんとそういうことに対しても、金銭で補填をしていくということが進んでいくのではないでしょうか。そのため弁護士が関わる案件も増えていくと思います。

―― 離れて暮らす認知症の親の賠償責任の裁判で、御社の個人賠償保険が話題になりました。
この保険は従来の個人賠償責任保険の補償範囲を広げたものですが、新しいリスクがあればそれに対応する保険を作っていくことは重要です。特に高齢者の方のリスクが増えて賠償責任の範囲が広がれば、それに連携した保険は重要です。今回、認知症の親族の方の事故に対する損害賠償訴訟で注目されましたが、こうした社会の動きなどを見極めながら新たな保険にしていくことが重要で、今後もこうした問題に取り組んでいきたいと思っています。

―― 今後の解決すべき課題はどのようなこととお考えですか。
取り組むべき課題というのは、いろいろあると思います。なかでも一番はこれまで内向きだった気持ちをやっと外に向けられるようになったわけですから、まずはこれを社内に徹底して浸透させていくことです。

私が社長になって「明るく元気な社員が全力でお客さまをサポートする会社」ということを打ち出し、「全力サポート宣言」というのも掲げています。お客さまに対して「迅速・優しさ・頼れる」会社にしていきたいと思っています。

(聞き手=編集局長・小川純)


経営者インタビュー

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経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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生まれ変わった新生VAIOのデザインと品質を支える「上流設計」

かつて緑茶市場でヒットしたキリンビバレッジの「生茶」。近年は、競合品に押されて存在感が薄かったが、今年3月にリニューアルした新しい生茶は、味も容器も一新して販売を大きく伸ばしている。何をどう変えたのか。

劣勢から一気に反転攻勢

飲料メーカーにとって、缶コーヒー、ミネラルウォーター、緑茶の3アイテムは中核商品。その中で緑茶市場は1990年代末まで、伊藤園の「お~いお茶」の独壇場だった。そこに待ったをかけたのが、2000年に登場してヒットしたキリンビバレッジの「生茶」。その後、04年にサントリーが「伊右衛門」を、07年に日本コカ・コーラが「綾鷹」を投入すると、両陣営が大きくシェアを伸ばしていく。伊右衛門は福寿園、綾鷹は上林春松本店と、ともに京都の老舗茶舗とコラボレーションして話題になった。

「モノづくりにこだわった」と笠井隆秀・商品担当部長。

一方、守勢に立たされた生茶はジワジワと押され、いつしか埋没したブランドになってしまう。もちろん、何度もリニューアルは試みてきたのだが、劣勢を押し返すには至らなかった。だが今春のリニューアルは違った。去る3月22日に投入した新しい生茶は、中身も容器も一新し、生茶の文字がなければ、従来商品とはまったくの別物ではないかと思えるほどだ。また、伊右衛門や綾鷹のように有名茶舗とのコラボといった選択はしなかった。キリンビバレッジマーケティング本部商品担当部長の笠井隆秀さんはこう語る。

「いまのお客様は、メーカーから何かを押し付けられることを嫌う。自分で情報を取り、自分の選択眼によって商品を選ぶ時代に、明らかに変わってきています。なので、世界のコンテストで何とか賞を取りましたみたいな話は、お客様にとってはどうでもいい。もう一度、モノづくりをしっかり見つめ直し、徹底的に商品を作り込むことに賭けました」

それくらいだから、生茶のプロジェクトチームは敢えて、生茶の過去のことを知らない精鋭たちが集められた。そこでのこだわりは、もう一度、緑茶を嗜好品の1つとして捉えた商品開発をしようということ。まずは中身の味、テイストに関わる部分から。従来の生茶は、ほのかな甘みに特徴があったが、そのアピールポイントは残しつつ、「味が薄い」と評されてきた点を改め、旨みと苦味のバランスが取れた、コクのある味わいと長く続く余韻を実現したという。そこでの技術的なキモは、従来の製法で淹れたお茶に、セラミックボールミルでかぶせ茶を微粉砕して加えるというもので、特許も申請予定だ。

「お茶の粉の作り方は、普通の粉砕方法だとジェットミルなんですが、今回はボールミルを使っています。ジェットミルだと文字通り噴射で細かく飛び散るだけですが、セラミックボールを入れることで茶葉を少し擦るんですね。そこで熱が発生し、香りや化学変化が起こる。旨みと苦味のバランスがうまく取れるんです。お茶の苦味は味覚上、わかりやすいのですが、同時に飽きられます。新しい生茶は味がしっかりしていながら後味もすっきりとして、毎日付き合えるものに仕上がりました」

好感度高いペット形状

こうして、従来品よりも濃厚ながらすっきりとした味わいを実現した。ただ、緑茶は競合品やその派生商品だけでなく、小売業者のプライベートブランド品も交じって、スーパーやコンビニの棚にところ狭しと並んでいる。せっかく中身を大刷新しても、消費者に手にとってもらい、実際に飲んでもらえなければその良さは伝わらない。そこで、新生茶の開発ではペットボトル容器の形状にもこだわった。左上の写真を見てわかるように、一見するとガラス製の瓶風で、商品棚を一瞥しただけで明らかに競合品との違いがあり、かなり目立つ。また目立つだけでなく、小型の瓶ビール風な雰囲気があるので、お洒落感もある。

吉川晃司さんを起用したテレビCMも印象的。

「我々やデザイナーが容器の形状で考えたヒントは、(キリンビールの)『ハートランドビール』のボトルでした。この形状を、瓶でなくペットで表現するのは強度上の課題があって、実はかなり難しいんです。当初のゴツゴツした形はダメ出しして、グループのパッケージ研究所の協力も得ながら、ようやく実現できました。ラベルの厚みも工夫して、ラベルを巻くと円筒形に近い形に見えるようにしています」

満を持して迎えた発売日の3月22日。店頭に並べられるやいなや、その新鮮なペットボトル形状もあって、商品を置くそばから消費者が手を伸ばす店が続出した。もちろん、見た目が新しいから、試し買いの需要は一定ボリュームはあるもの。それが二度三度、あるいは毎日のように買うリピーターになってもらえてこそ、初めて商品として成功したことになる。

お洒落なペット形状もヒット要因に。

「おかげさまで、発売2ヵ月で500万ケースを突破して極めて順調です。思っていた以上に、男性のヘビーユーザーが一斉に(競合品から生茶に)切り替わっていますね。お茶のユーザーって保守的で、なかなか定番商品から目移りしないとさんざん言われてきましたが、特に緑茶好きの男性が乗り換えている感じです」と笠井さん。

今後、しばらくは生茶本体を伸ばせるだけ伸ばし、その後、カフェインゼロタイプのものやホットにも広げていく考えだという。

新しい生茶のテレビCMも話題になった。起用した有名タレントには事前に味の特徴などは伝えず、飲んだ後の率直な感想をそのままCMに流した。そこには、虚飾やイメージに依存せず、商品力という直球で勝負するキリンビバレッジの矜持と自信がうかがえる。

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月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

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【BOSS×WizBiz】社員研修から学生教育まで目指すは「民間の文科省」

秀實社社長 髙橋 秀幸
たかはし・ひでゆき 1977年千葉県生まれ。2000年日本大学商学部を卒業しファッション業界向け大手人材派遣会社に入社。セフォラ・ジャパンで化粧品販売、営業及び採用・育成などの最年少管理責任者を担当。08年組織人事コンサルティングファームで社長に就任。10年秀實社を設立し社長に就任。

特徴はマインドセット

―― 社員研修などの教育事業を展開する秀實社ですが、まずは社名の由来を教えてください。なぜ「実」ではなく「實」なのですか。
最初は秀志社と考えていました。人は誰にでも秀でた能力がある、そして人間それぞれが使命を持ち、その使命を果たすために自己研鑚を継続する。その志を持ち続けたいとの意味を込めました。

そのような時に恩師から「苗にして秀でざる者あり。秀でて實らざる者あり」という論語の一文を教わりました。種のまま芽を出せない人もいれば、芽が出ても花を咲かせられない人もいる、という意味です。そこで花を咲かせ続けられるような人財を輩出しよう、その種を世界中に普及させよう。そのためには決めたことは最後まで貫くという決意を込め、秀實社に決めました。

―― なぜ起業しようと考えたのですか。
私は19歳の時に、30歳までに社長になると決意しました。その後、11年間の歳月を経て、30歳でコンサルティングファームの取締役社長となり、企業向け教育研修と組織づくりのコンテンツを提供する事業を任されました。

ただし、社長とはいえ創業者ではありません。しかもオーナーと私が思い描いていたものが違ったため、私は自分を押し殺しながら仕事せざるを得なかった。組織づくりのコンサルタントとして全国を飛び回り、経営者にお会いして「会社の理念を経営幹部に浸透させることが重要だ」と言っておきながら、自分は創業者の理念に共感できないでいた。これは自己矛盾ですし、いつか限界がきます。それが2009年10月でした。社長を辞任し、翌年1月に秀實社を設立しました。

―― 事業資金は前職時代に独立のために貯めていたのですか。
いえ。資金はまったくありませんでした。最初のオフィスは間借りでしたし、次に銀座に移転した時も保証金を3分割にしてもらったほどです。

ただ幸いなことに、創業49日目にマザーズ上場のUBICさんに成約していただきました。これは本当にうれしかったですね。UBICさんは当時、米ナスダック市場への上場を考えており、その起爆剤となる社員を求めていた。その人財養成のご支援をさせてもらいました。

―― 社員研修を行う会社はいくらでもあります。秀實社の特徴はなんでしょうか。
マインドセットトレーニングというプログラムです。人が100人いれば100通りの考えがあります。しかし企業の場合、社員と経営者の判断基準が一致していないと、各自が活躍するチャンスを逃しかねません。当社の研修プログラムでは、役割やポジションに応じた「思考」「マインド」を形成するためにマインドセットを行うとともに、企業のビジョンを深く理解し自分のビジョンを再設定する「ビジョンメイキング」を行います。

最後にビジョンを実現するためのミッション(各自の役割)を明確にする。これにより会社と社員が理念を共有できるようになり、社員一人ひとりが使命感を持つようになる。これが私たちのやり方です。

これは秀實社についても当てはまります。創業当初は私が営業から研修まですべてやっていましたが、いまでは経営理念を共有する社員たちとチームとして動くようになりました。社員の採用でも、経営理念に共感してくれる人を採用する。企業活動の真ん中に経営理念を置いています。

―― 社員研修だけでなく、大学生の教育にも力を入れているそうですね。
ええ。次代人財養成塾「One‐Will(ワンウィル)」を設立しました。13年から始めて、この7月に第6回を迎えます。

いまの学生で、自分のなりたい姿を描ける人、自信をもって夢を語れる人がどれだけいるでしょうか。One‐Willは、学生たちに自分の使命に気づくための環境を提供しています。

年に2回、それぞれ3カ月間、著名経営者の特別講演や目標達成トレーニング、有力ベンチャー企業でのインターンなどを通じて、“情熱とチャレンジ精神を持った次代の日本を担う人財”を育成します。受講生は入塾期間の3カ月で劇的に変わります。それまでは与えてもらう世界しか知らなかったものが、与える世界があることを知るようになる。そのことにより、自分の使命や夢に気づいていきます。

―― 最後に、会社としての目標を教えてください。
もっともっと多くの人たちに私たちの研修トレーニングプログラムを知ってもらいたい。そのために、これまではすべて自分たちの手で普及させてきましたが、研修トレーニングプログラムそのものをOEMで販売することも考えています。

たとえばフランチャイズチェーンの本部にトレーニングプログラムを販売する。本部はこのプログラムを使ってフランチャイジー教育を行う、といった仕組みです。あるいは社内に講師を育成して、その講師がトレーニングプログラムを使って社員研修を行うという形もあるでしょう。

中期目標は、日本にある400万社の1%、つまり4万社に、当社のプログラムを使ってもらいたい。これを10年以内に達成します。

そしていずれは、日本の教育業界を代表する企業になりたいと考えています。社員教育、大学生教育だけでなく、ターゲットを上にも下にも広げていく。すでに高校関係者とは面談を重ねて自分たちに何ができるか検討を始めていますし、その先には中学校、小学校へと広げていく。さらには生涯教育にも関わっていく。民間の文科省を目指します。

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