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JAPANESE ロボットの実力|月刊BOSSxWizBiz

成長戦略の1つでもあるロボット産業。
このロボット産業の今後のあり方について議論してきた「ロボット革命実現会議」(座長=野間口有・三菱電機相談役)が、2015年1月「ロボット新戦略」を政府に提出した。

そのなかで世界的なロボット革命の流れとして、ロボットが自律化・情報端末化・ネットワーク化することで、自動車、家電、携帯電話、住居までもがロボットの領域とされるようになってきたと指摘。ロボットの活動範囲が、産業部門だけでなく日常生活へと広がり、今後は国際競争が激化すると予測している。

そこで日本がこうしたロボット革命に乗り遅れないために、20年までに官民合わせて1000億円を投資。製造業分野で現在の6000億円の市場規模を2倍の1.2兆円、非製造業分野では現在の600億円の市場規模を20倍の1.2兆円、合わせて2.4兆円を目指すとしている。

そのうえで、各分野ごとの重点項目や20年に目指す姿を次のように示す。

■ものづくり
ロボット化が遅れている準備工程へのロボット投入。組立プロセスのロボット化率を大企業で25%、中小企業で10%を目指す。

■サービス
物流、小売り、飲食などの裏方作業へのロボット導入。ピッキング、仕分けなどの作業ロボット普及率30%を目指す。

■介護
ベッドからの移し替え支援、歩行支援、排泄支援、見守りなどでのロボット開発、実用化を目指す。介護ロボットの国内市場規模を500億円に拡充させる。

■医療
手術支援ロボットなどの医療機器の普及。新医療機器の審査の迅速化。

■建設・インフラ
作業の自動化による担い手不足への対応。生産性向上・省力化の情報技術者の普及率30%を目指す。

■農業
トラクターなどの農機具のGPS自動走行システムの活用。アシストスーツやロボット導入による重労働の軽減化と機械化。

これから5年、あらゆる分野へと広がるロボットたち。ロボット大国・日本の実力がまさに試されようとしている。

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石黒 浩 大阪大学教授
いしぐろ・ひろし 1963年滋賀県生まれ。大阪大学教授。ATR石黒浩特別研究室室長。専門は知能情報学。桂米朝やマツコ・デラックス、あるいは自分をモデルにした、人に酷似したアンドロイドロボットを何台も製作してきた。(撮影/周藤寿史)

肉体的労働からの解放

―― 日本テレビで放映している「マツコとマツコ」という番組では、マツコ・デラックスと、そのアンドロイドロボットである「マツコロイド」が登場していますが、あのロボットは石黒先生が監修して作られたものです。なぜ、人型ロボットにこだわるのですか。
石黒 もともと人工知能の研究をやっていたのですが、その時に、知能には身体が必要なことに気づきました。脳だけでは賢くならない。経験を積むことでより賢くなっていく。ではどうしたら経験が積めるのか。いちばんいいのは人間と話すことです。でもそのためには、人型でなければなりません。人間の脳は人に反応するようにできている。相手が人間の形をしていれば、コミュニケーションを取ろうとする。それがロボットにとって経験となり、より知能が進化していくのです。

―― 人型ロボットが普及したら、社会はどのようになるのでしょう。
石黒 いまと一緒ですよ。技術を使うことは人間の進化です。それによって自動車も携帯電話も生まれた。技術をつくり能力を拡張することで、人間の仕事を機械に置き換えてきたのです。そして人間は新しい仕事を見つけていく。それが人間の人間たる所以です。

ロボットが普及することで、人間は肉体的な労働から解放される。人型ロボットが実用化されれば、受付のような単純な対話サービスからも解放され、より人間的な仕事をするようになる。最近、カウンセラーや弁護士になる人が増えてきたのも、そうした背景があるからです。

―― ロボットが進化を続け、人工知能が人間の知能を超えると、今度はロボットが人間を支配する、いわゆる映画『ターミネーター』のようなことにはならないのでしょうか。
石黒 ロボットによって人間の命が危うくなるか、ということであれば、可能性はあると思います。ロボットというのはコンピュータにセンサーとアクチュエーター(可動部)がくっついたものです。ですからコンピュータが反逆するのなら、ロボットも反逆する。過去にコンピュータは、株を1円で誤発注するといったミスもしています。それによってもしかしたら破産して、命を落とした人もいるかもしれない。だとしたら、それと同じように、ロボットによって命を落とすかもしれない。

ただし映画の場合、ロボットが暴走を始めたら止めようがないけれど、あれは話を面白くするためにそういう設定にしているだけ。実際には、仮に反逆してもスイッチを切ることができるので、映画のようにはなりません。

―― そういう映画がつくられるのは、いままで経験したことのないものに対する不安があるからです。
石黒 それはこれまで人間が何度も繰り返してきたことです。新しい技術ができると、人間は未来が想像できないので、現時点の自分の生活の対比で考えて必ず不安になる。ロボットの場合もそれと同じです。

感情を持つロボットの誕生

―― 生まれた時からテレビのある世代とそれ以前の世代では、考え方が違うといいます。同様にロボット前、ロボット後という世代間格差も生まれるのでしょうか。
石黒 人工物に人間らしさを見出し、境界なく受け入れる人は出てくるでしょうね。それとともに人間の定義も変わっていく。機械が人間の肉体労働をすべてやるようになれば、人間を肉体では定義できなくなる。

―― ロボットを恋愛対象としてとらえるようになるかもしれません。
石黒 いまだってアニメの主人公を好きになる人はいくらでもいる。ロボットを好きになったって 少しもおかしくありません。

―― 問題はロボットがそれに応えてくれるかどうか。ロボットは感情を持つようになるのでしょうか。
石黒 感情を持たせることは簡単です。持っているふりをさせればいい。人間は楽しい時に笑うというのなら、どういう状況が楽しいということなのかを定義して、その時には笑うというプログラムを組めばいい。

―― 人間なら、脳内麻薬が出て、それが感情の振幅を大きくします。
石黒 ロボットでも脳内麻薬が出たような状態をつくることはできます。定義さえすれば、あとはプログラムの問題ですから。何より、感情というのはそんなに複雑なものではありません。犬や猫にだってあるのだから、人間特有の要件には入りません。むしろ感情的になると知的活動はものすごく落ちる。ということは、知能の高さにおいて人間を定義するなら、感情というのは人間らしさではないのかもしれない。

ロボットは鏡です。鏡を見て自分を考え直す。人間とは何かを考える。人間の大きな脳は、何かを客観視し、自分の存在を問うためにある。ロボットが増えれば、より人間が人間を考える機会が増える。哲学者も増えていくはずです。

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パナソニックの成長戦略

日本で活躍しているロボットの圧倒的多数が、工場で働く産業用ロボットだ。産業用ロボットは50年の歴史があり、その躍進が、自動車や電機などの日の丸産業を支えてきた。

松下記念病院で活躍中の「ホスピー」。全自動で地下の薬剤部からナースセンターまで、薬を搬送する。薬の収納部分 には鍵がかかっていて、セキュリティ対策も万全だ。

しかしここにきて、急速に産業用以外のロボットの出番が増えてきた。中でももっとも期待されているのが、医療・介護用のロボットだ。

大阪府守口市にある松下記念病院。名前からもわかるように、松下電器(現パナソニック) がつくった病院だ。この松下記念病院では現在、5台の「ホスピー」という名のパナソニック製ロボットが動いている(右写真)。

ホスピーは、病院内自律搬送ロボット。主な役割は、地下にある薬剤部から、各階にあるナースセンターまで、薬を運ぶことだ。薬剤師の用意した薬を積み込んだホスピーは、自動で動き始め、自らエレベーターに乗り込み、目的階で降りてナースステーションに届けてくれる。途中、障害物があればよけていく。

特に威力を発揮するのが、夜間の緊急時だ。以前は、医師の処方に基づいて、看護師が薬剤部に必要な薬を伝えたうえで、看護師自らが地下まで取りにいかなければならなかった。それが導入後は、ホスピーが搬送してくれる。

深夜勤帯は3人の看護師が各階に詰めていますが、これまでは緊急時、1人が運搬のため病室を離れなければなりませんでした。でもホスピーのおかげで、患者さんのそばで本来の業務をしていられるようになりました」(看護師の高橋陽子さん)

ホスピーの優れたところは、建物内の地図を記憶し、それに基づき動くことだ。従来の搬送システムは、ガードセンサーなどで搬送マシンを動かしていたが、ホスピーはそうした設備を必要としないため、導入コストを抑えることができる。また、棟内のレイアウト変更にも、地図情報を書き換えることで対応できる。

簡単な操作でベッドが車椅子に早変わりする「リショーネ」。介護者の負担は大きく軽減する。

パナソニックは介護現場のロボット化にも取り組んでいる。大阪府寝屋川市にある介護付き有料老人ホーム「サンセール香里園」。ここでは、昨年に販売を開始したばかりの離床アシストベッド「リショーネ」が設置されている。

リショーネは、ベッドと車椅子を融合させたロボット介護機器。要介護者を持ち上げることなく、簡単な操作でベッドを車椅子に「変身」させ、そのまま移動することができる。

介護の現場でもっとも大変なのが、「移乗」と「移動」。これが介護者にとって大きな肉体的負担になっている。これまでベッドから車椅子への移乗は2人がかりだったが、リショーネなら1人で操作でき、しかも大きな力は必要ない。介護の現場では画期的な「進化」だ。

「介護士にとってメリットがあるだけでなく、入居者の身体にかかる負担もはるかに小さい」(介護福祉士の佐々木仁史さん)

パナソニックは、今年発表した経営方針発表会で、「今後、エイジフリービジネスを強化する」と、津賀一宏社長が明言した。介護用器具の開発・販売に力を入れるほか、介護施設の運営も増やしていく。サンセール香里園もそうした施設のひとつだ。しかし介護施設を運営するにあたって問題となるのが介護従事者の確保で、やはり肉体的負担がネックとなっている。その負担を軽減するキーワードが「ノーリフト」。要介護者を持ち上げない環境を整えることで、人材確保も容易になる。

HALの総販売代理店

もう1社、介護用ロボットに注力しているのが、大和ハウス工業だ。なぜ住宅メーカーの大和ハウスがロボットなのか、と思うかもしれないが、「いつまでも安心・安全・快適な住まいで心豊かな暮らしを送ってもらいたい」という思いがそこにはある。ロボット事業はそのための手段である。

サイバーダインが開発し、大和ハウスが販売する「福祉用HAL」。再び歩けるようになった喜びは大きい。

茨城県ひたちなか市にある介護老人保健施設「プロスペクトガーデンひたちなか」。取材当日、ここのリハビリルームで、70代の女性が、左脚に機械を装着して歩行訓練をしていた。これがロボットスーツ「HAL」。筑波大学発のベンチャー企業、サイバーダインが開発したもので、立ち上がりや歩行の練習を行うことができる。大和ハウスは福祉用HAL (他に医療用、作業用などがある)の国内総販売代理店を務めている。

HALを使用していた女性は4年前に左半身不随となったが、昨年から月に1、2回HALを使用するようになったところ、半年ほどで杖をついて自力で歩けるようになった。「HALちゃんは私のベストフレンドです。使用できる日を心待ちにしています」と顔をほころばす。

リハビリテーション科主任の斎藤充宏さんによると、「当施設には3台のHALがありますが、使用された方の1~2割は、すぐに効果が表れます」。

この施設が導入したのは大震災直後の4年前の夏だが、HALがあるために、この施設を利用する人も増えている。

一方、世界でもっともセラピー効果のあると認定された「パロ」も、大和ハウスの販売するロボットだ。写真で見てわかるようにアザラシ型で、人間の呼びかけに反応し、抱きかかえると喜んだりする。大和ハウスではこれまでに170カ所の病院・施設に販売した。

千葉県佐倉市にある介護付き有料老人ホーム「佐倉ゆうゆうの里」では、2匹のパロが、要介護度の高い入居者たちの人気者となっている。「パロが生活の一部となっている入居者の方もいますし、自ら行動を起こすようになりました。入居以来、一度も笑ったことがない人が、パロを抱いて笑顔になる。これはとてもすごいことです」(ケアサービス課課長の小松寿子さん)

パロは人間に何かをするロボットではなく、してもらうロボット。パロの世話をやくと、自分が役に立っているという意識が芽生え、ものごとに対して積極的になるという。

大和ハウスでは以上の2つのロボットのほかにも、自動排泄処理ロボットや車椅子補助装置などのロボットを販売している。また、神奈川県の「さがみロボット特区」にある大和ハウスのモデルハウスには、同社の扱うロボットだけでなく、セコムが開発した食事支援ロボットや、手のリハビリを補助するパワーアシストハンドなどが体験できる。

いまはまだ、施設での使用にとどまるが、自宅で介護ロボットの活躍する時代がそこまできている。

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過半数が日本製ロボット

今年のロボット産業の市場規模は1兆6000億円。これが10年後には5兆3000億円にまで増え、さらに2035年には10兆円に迫ると予測されている。

現在のロボット市場のうち、約3分の2を占めるのが産業用ロボットである。ここまでのロボットの歴史は産業用がつくってきた。

ロボットがロボットを組み立てる安川電機のロボット工場。

産業用ロボットで世界をリードしてきたのが日本だ。世界で稼働する産業用ロボットは約130万台。その過半数が日本製だ。

サービス用ロボットが徐々に普及してきたため、産業用の全市場におけるシェアは低下しているが、中国の生産現場への導入が進んでいることもあり、出荷台数は順調に伸びている。日本では、安川電機、ファナック、不二越、川崎重工が大手4社だが、いずれも業績は絶好調、先に発表された前期決算では、そろって過去最高益を記録した。

この4社の中で、安川電機は昨年9月に累計出荷台数が世界で初めて30万台を突破した。同社のロボット販売台数世界シェアは19%(2014年度推計)。ファナックなどと世界一を競っている。

中でも自動車の溶接に使われるアーク溶接ロボットや塗装ロボットでは、世界トップを誇る。

その原点は、1977年に誕生した溶接用の全電気式ロボット「MOTOMAN(モートマン)」にある。

安川電機はちょうど100年前の1915年に北九州市で、電動機メーカーとして誕生した。58年には、日本企業の先陣を切ってサーボモーターの開発に成功している。サーボモーターとは、制御機能を持ったモーターのこと。これにより、細かいモーターの制御が可能となったばかりか、その後のロボット開発につながっていく。

モートマンが誕生するまでの産業用ロボットは油圧式だった。油圧はパワーはあるものの、きめ細かい制御ができないだけでなく、メンテナンスもむずかしかった。アーク溶接はスポット溶接とは違い、連続して金属同士を溶接するため、複雑で精密な作業が必要だ。人間がやるにしても熟練の技がいる。それをモートマンは自動化したことで大ヒット商品となった。これ以降、他社も全電気式のロボット製造に取り組むようになる。モートマンの誕生は日本の産業用ロボットの大きなエポックだった。

いまでもモートマンの名は、安川電機の産業用ロボットの製品名に使われている。そのアプリケーションも、アーク溶接だけでなくスポット溶接、ハンドリング、塗装、FPD基盤搬送など多岐にわたる。機能も1号機とは比較にならないほど進化し、当初は3軸(関節部が3カ所)だったものが7軸にまでなり、より細かい作業が可能になった。

産業用へのこだわり

次頁の津田純嗣・安川電機会長兼社長のインタビューにもあるように、これまで産業用ロボットの最大の利用者は自動車メーカーだった。

15軸ロボットの「やすかわくん」にとっては太鼓を叩くのもお手のもの。

安川電機のロボット事業は、モートマン第1号が誕生した77年から17年間も赤字が続いたが、95年にホンダが完成車メーカーとして初めて導入したことが転機となり、黒字転換した。

いまでも安川電機のロボットの納入先の65%を自動車関連企業が占める。しかし今後は、自動車以外の部分に力を入れていくという。

「将来的には自動車関連が50%程度になるよう、他の分野を伸ばしていく」(林田歩・安川電機広報・IR部部長)

新規開拓の1つが、バイオメディカル分野だ。バイオ分析・創薬など、今後この分野は間違いなく成長していくが、創薬には手作業のバラツキや個人差・ミスを排除する必要がある。こうした作業において、繊細な作業を正確に再現できるロボットの需要は高い。しかもバイオ分野での研究には危険がつきまとうため、ロボットの導入で、危険環境から研究者を遠ざけることも可能だ。

「当社はこれまで、人間を3Kから解放するという目的を持ってロボット開発を続けてきました。しかしまだそうなっていない分野はいくらでもあります。バイオなどは、まさにそれにあたります」(林田氏)

安川電機にとってロボットとは、あくまで“仕事をする”もの。サービスロボットやコミュニケーションロボットではなく、産業用ロボットに強いこだわりを持つ。

今年設立100周年を迎えた同社は、本社のある八幡事業所全体を「ロボット村」と命名、ロボット事業の発信拠点と位置付けた。

このロボット村には工場だけでなく、「みらい館」など、ロボットの未来を展示するスペースもある。ロボット村は6月1日に誕生する。産業用ロボットの雄が、次の世紀に向かって動き始めた。

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津田純嗣 日本ロボット工業会会長、安川電機会長兼社長
つだ・じゅんじ 1951年福岡県生まれ。76年東京工業大学を卒業し安川電機入社。取締役ロボット事業などを務め2010年社長に就任、13年から会長を兼務。同年日本ロボット工業会会長に就任した。(撮影/青沼修彦)

手放しでは喜べない

―― ロボット産業の市場規模は年々拡大し、昨年で1兆6000億円ほどになったとも言われています。津田さんが会長を務める日本ロボット工業会のメンバーも増え、業界に追い風が吹いています。
津田 市場規模は確かにその程度ですが、裾野はその10倍、100倍です。というのも、自動車産業はいちばん産業用ロボットを導入している業界であり、いまやロボットなしには成り立たなくなっています。それを考えると、影響力ははかりしれません。

加えて最近では、サービス系のロボットが増えてきました。市場としてはまだまだ小さいですが、医療や介護の現場などでも使われるようになってきています。

―― 確かにロボットが急速に身近なものになってきました。アベノミクスの成長戦略の中でもロボット産業は重要な位置を占めています。今後の発展も間違いないですね。
津田 手放しで喜べる状況ではありません。産業用ロボットに関していえば、いまでも日本は世界最大のロボット生産国です。そして、少し前までは、世界一のロボット利用国だった。我々がつくったロボットの多くが、日本で使われていました。ところが、いまでは製造したロボットの8割が輸出されていることに加え、残りの半分も、最終的には海外で使われています。

―― 長らく続いた円高時代に、製造業は一斉に生産拠点を海外に移したのだから、やむを得ないでしょう。
津田 確かにそれが最大の理由です。円高が続いたことで多くの製造業が国内での投資に慎重になってしまった。円安になったいまでも、あまり変わってきていません。そのマインドをどう変えていくか。それと、もうひとつ真剣に考えなければならないのは、経営にロボットを取り入れる発想においても、日本は海外、とくにヨーロッパに後れを取るようになったことです。

日本企業の場合、自動車メーカーなどでは早くからロボットの導入が進んだため、ロボットの活用の仕方をよく知っています。ところが、多くの産業では、ロボットを単なる省力化のための道具として捉えています。でもそうではなく、ロボットを使うことでビジネスの形を変える。そういう発想を持たなければなりません。

フォードがベルトコンベアによる生産方式を編み出したことによって、自動車のビジネスモデルは大きく変わりました。同様にロボットを導入したことにより、混流生産、同じラインで違う車種を生産できるようになりました。これにより、自動車の生産性は著しく向上しています。

この動きが自動車以外では弱い。この部分でヨーロッパの企業は日本の先を行っています。たとえばイケアは、部品製造と梱包はすべてロボットで自動化して、絶対に人手が必要な組み立ては客に委ねるビジネスモデルをつくったことで成長しています。あるいは搾乳にロボットを導入して成功した酪農企業もあります。我々から見ても、そうした使い方があるのか、というような発想が出てきます。

トップのロボットリテラシー

―― なぜロボット先進国の日本で、そうした発想が出てこないのでしょうか。
津田 先ほど言ったように、省力化の道具と思っていることに加え、経営トップがロボットのことを理解しているかどうかです。いまのところ、生産現場での理解は深まっているのですが、経営判断のところまでには届いていない会社が多い。

―― ITの普及期と同じですね。ITを活用することで経営革新を図る動きが、日本企業は欧米企業に比べ遅かった。その時も、経営トップのITへの理解度が足りないからと指摘されていました。
津田 ロボットを事業にどう活かせるか、ということを啓蒙していく必要があると思います。ロボットを活用してビジネスをどう組み立てるか。それによってビジネスが変わり、社会との関わりも変わってくる。それを訴え続けていく必要があると考えています。

―― 安川電機としての課題はなんでしょう。
津田 ロボットを構成するのは、ブレインとセンサーとアクチュエーターです。このうちブレイン=AI(人工知能) は加速度的に発達しています。そのスピードに比べると、センサーはその10分の1、アクチュエーターはさらにその10分の1です。安川電機がつくっているのは仕事をするロボットですから、そのためにはセンサーとアクチュエーターをもっと発展させていかなければならないと思っていますし、経営資源もここにつぎこんでいます。

もうひとつ、前に進めていかなければならないのが、「easy to use」です。ロボットを現場に適応させるのに時間がかかる。これを極力少なくして、導入してすぐに、そして誰にでも使えるようになれば、ロボットの普及はさらに進むと考えています。

―― ロボット産業の市場規模は年々拡大し、昨年で1兆6000億円ほどになったとも言われています。津田さんが会長を務める日本ロボット工業会のメンバーも増え、業界に追い風が吹いています。
津田 市場規模は確かにその程度ですが、裾野はその10倍、100倍です。というのも、自動車産業はいちばん産業用ロボットを導入している業界であり、いまやロボットなしには成り立たなくなっています。それを考えると、影響力ははかりしれません。

加えて最近では、サービス系のロボットが増えてきました。市場としてはまだまだ小さいですが、医療や介護の現場などでも使われるようになってきています。

―― 確かにロボットが急速に身近なものになってきました。アベノミクスの成長戦略の中でもロボット産業は重要な位置を占めています。今後の発展も間違いないですね。
津田 手放しで喜べる状況ではありません。産業用ロボットに関していえば、いまでも日本は世界最大のロボット生産国です。そして、少し前までは、世界一のロボット利用国だった。我々がつくったロボットの多くが、日本で使われていました。ところが、いまでは製造したロボットの8割が輸出されていることに加え、残りの半分も、最終的には海外で使われています。

―― 長らく続いた円高時代に、製造業は一斉に生産拠点を海外に移したのだから、やむを得ないでしょう。
津田 確かにそれが最大の理由です。円高が続いたことで多くの製造業が国内での投資に慎重になってしまった。円安になったいまでも、あまり変わってきていません。そのマインドをどう変えていくか。それと、もうひとつ真剣に考えなければならないのは、経営にロボットを取り入れる発想においても、日本は海外、とくにヨーロッパに後れを取るようになったことです。

日本企業の場合、自動車メーカーなどでは早くからロボットの導入が進んだため、ロボットの活用の仕方をよく知っています。ところが、多くの産業では、ロボットを単なる省力化のための道具として捉えています。でもそうではなく、ロボットを使うことでビジネスの形を変える。そういう発想を持たなければなりません。

フォードがベルトコンベアによる生産方式を編み出したことによって、自動車のビジネスモデルは大きく変わりました。同様にロボットを導入したことにより、混流生産、同じラインで違う車種を生産できるようになりました。これにより、自動車の生産性は著しく向上しています。

この動きが自動車以外では弱い。この部分でヨーロッパの企業は日本の先を行っています。たとえばイケアは、部品製造と梱包はすべてロボットで自動化して、絶対に人手が必要な組み立ては客に委ねるビジネスモデルをつくったことで成長しています。あるいは搾乳にロボットを導入して成功した酪農企業もあります。我々から見ても、そうした使い方があるのか、というような発想が出てきます。

トップのロボットリテラシー

―― なぜロボット先進国の日本で、そうした発想が出てこないのでしょうか。
津田 先ほど言ったように、省力化の道具と思っていることに加え、経営トップがロボットのことを理解しているかどうかです。いまのところ、生産現場での理解は深まっているのですが、経営判断のところまでには届いていない会社が多い。

―― ITの普及期と同じですね。ITを活用することで経営革新を図る動きが、日本企業は欧米企業に比べ遅かった。その時も、経営トップのITへの理解度が足りないからと指摘されていました。
津田 ロボットを事業にどう活かせるか、ということを啓蒙していく必要があると思います。ロボットを活用してビジネスをどう組み立てるか。それによってビジネスが変わり、社会との関わりも変わってくる。それを訴え続けていく必要があると考えています。

―― 安川電機としての課題はなんでしょう。
津田 ロボットを構成するのは、ブレインとセンサーとアクチュエーターです。このうちブレイン=AI(人工知能) は加速度的に発達しています。そのスピードに比べると、センサーはその10分の1、アクチュエーターはさらにその10分の1です。安川電機がつくっているのは仕事をするロボットですから、そのためにはセンサーとアクチュエーターをもっと発展させていかなければならないと思っていますし、経営資源もここにつぎこんでいます。

もうひとつ、前に進めていかなければならないのが、「easy to use」です。ロボットを現場に適応させるのに時間がかかる。これを極力少なくして、導入してすぐに、そして誰にでも使えるようになれば、ロボットの普及はさらに進むと考えています。

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少数精鋭で世界に挑む

「ロボットベンチャーというと、研究志向、非現実的といったところがあります。しかし、うちは実用的、人の役に立つものでなくてはいけない、そして、数年で実現しなくてはいけないという考えの会社なんです」

こう話すのは、産業用ロボットの動作・配置を最適化するコントローラーの開発を手がける「MUJIN」の共同創業者・CEO滝野一征氏である。

東大発のベンチャーでもある。出杏光魯仙氏(左)と滝野一征氏

MUJINは、滝野氏と共同創業者・CTOの出杏光魯仙(デアンコウ・ロセン)氏が設立。今年4年目の会社だが、その取引先にはデンソー、三菱電機、キャノン、日産など錚々たる企業の名前が並ぶ。その事業は、デアンコウ氏が開発した「OpenRAVE」というオープンソースになっているロボット動作アルゴリズムをコア技術にした産業用ロボットのコントローラーの開発だ。「いまの産業用ロボットは、自分で考えることができません。そのため自動車産業でも、産業用ロボットに置換できている作業は全体のおよそ5%しかありません」(滝野氏)

そうした産業用ロボットも、同社のコントローラーをつなぐことで、自らが考えて動くロボットになるという。

たとえば、左の箱に入ったものを右の箱に移動させる場合、一連の動作をプログラミングしなくてはならない。その途中に障害物でもあれば、さらに複雑なプログラミングが必要になる。しかし、同社のコントローラーは、動作のポイント部分を数カ所指定するだけで、最短ルートを自ら考えて動く。また、掴み損なうなど“エラー”が生じても、何の指示もせずに、自らリカバリーする。

この技術を生かしたのが「3次元ピッキング」というもので、箱などに入った部品の仕分け作業を行う。「3次元ピッキングは、これまで人が手作業でやっていたものをロボットに置き換えたもので、その領域はコンビニの配送センターなど流通分野でも応用できます」(滝野氏)

現在、MUJINに集まったスタッフ15人あまりのうち、12人は外国人。しかし、日本での起業には意味があると、滝野氏がこう話す。

「日本の製造業の技術力は、やはりすごいんですね。そこで生き残ることで、世界に出ていったときに認められやすい。それに私は日本人ですから、日本で世界からお金を集める会社を作るのも重要ですからね」MUJINの挑戦は、まだはじまったばかりだ。

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誤差数センチのGPS

今後のロボットの活躍の場として期待されているのが農業だ。日本の就農者人口は減り続けている。特に少子化もあり、若い働き手が少ないことが現場での大きな悩みだ。国として、現在40%の食料自給率を45%に引き上げる目標を掲げているものの、そう簡単な話ではない。

そこで、ロボットである。ロボットを活用することで、自動化、省力化が実現できれば、就農人口の低下を補うことができるし、生産性を高めることも可能だ。それによって日本の農産物が競争力を持てば自給率も自ずと上がっていく。

誤差わずか数センチのGPSシステムを開発したマゼランシステムズジャパンの岸本信弘社長。(岸本氏の横にあるのがGPSのデモ機)

大手農機具メーカーが年内に発売を予定しているロボットトラクターは、農業の新しい可能性を感じさせるものだ。このトラクターは精密なGPSを搭載しており、あらかじめ定められたコースを2~3センチの誤差で無人走行することができる。

まず、畝をつくり、そこに正確に苗を植えることが可能になる。さらに肥料も、作物を植えたところにだけ散布することができるため、使用量は激減する。北海道の農場で行った実証実験では、肥料コストは半分以下に削減されたという。

走行コースは完全にGPSでコントロールするので、暗闇でも無人走行できる。夜間の作業も容易となり、トラクターの稼働時間も長くなる。そのため、広い農地でもトラクターの台数を増やすことなく作業することが可能となる。

このロボットトラクターの心臓部ともいうべきGPSを開発しているのが、兵庫県尼崎市に本社を持つマゼランシステムズジャパン(MSJ)だ。

GPSはカーナビなどでもお馴染みだが、実際には10メートルほどの誤差があり、それを地図情報と合わせて修正している。しかし農業用に利用するにはそれでは使えない。

「衛星からの電波が電離層を通過する時に誤差が生じてしまうのです」

こう語るのはMSJ社長の岸本信弘氏。

「そのため、基地局を設置し、衛星から地上までの波数を数えるなどによりデータを修正、3センチの誤差を実現しました」

精度数センチというGPSシステムは、日本列島の地殻変動を正確に捉える必要のある測量用としてはすでに存在していた。しかしその価格は1セット500万円。これでは普及はむずかしい。その点、MSJのシステムは、ほぼ同程度の精度を誇りながら、価格はわずか10万円だ。

「普及のためには低価格化が欠かせない。このシステムは最初から10万円という目標を立て、デザインすることで実現できました。ただ、4年前にこのシステムを発表した時は、そんな値段でできるはずがないと、みなさん半信半疑でした」(岸本氏)

そこで岸本氏は、MSJの開発したシステムが、価格は安くても高精度であることを実証し、納得させていった。そしてついに商品化にこぎつけた。

自動運転への展開も

日本では年間4万台、トラクターが販売されている。トラクター1台当たりの価格は1000万円程度のため、10万円の費用はそれほど大きな負担ではない。仮に1割のトラクターにシステムが搭載されても、年間4000台。それだけでMSJの売り上げは4億円となる。しかも、このシステムは世界どこでも通用する。現在世界のトラクター年間販売台数は520万台で、年率10%伸びているのだから、市場は大きい。

「これによって農業が変われば、若い人の関心が農業に向くようになる。それによってさらに新しい可能性が生まれるかもしれません」(岸本氏)

さらにはこのGPSシステムは、クルマの自動運転にも活用できる。

「ある自動車関連メーカーからは、1万円にコストダウンできないかと言われています。そうなれば、市場ははるかに広がります」(岸本氏)

尼崎初のGPSが、世界の農業、そしてクルマ社会を変えるかもしれない。

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経営者インタビュー



角 和夫
阪急阪神ホールディングス社長

すみ・かずお 1949年4月19日生まれ。神戸市の灘 高校を経て、73年早稲田大学政治経済学部卒。同年 阪急電鉄に入社。97年流通本部流通統括室長、98年 鉄道事業本部鉄道計画室長、2000年取締役入りし、 鉄道事業本部長、02年常務、03年社長。05年持ち株 会社の阪急ホールディングスを設立して社長、06年 阪神電鉄と経営統合して阪急阪神HD社長に。

沿線開発やターミナルデパートなどの先駆けと言えば阪急電鉄。 同社が持ち株会社化したのが10年前の2005年で、さらに同年、 阪神電鉄と村上ファンドが対峙したことから翌06年には両社 が経営統合、阪急阪神ホールディングスが誕生した。いまでは 私鉄再編のモデルケースになった阪急阪神HDの角和夫社長 に、10年の振り返りから今後の戦略までを聞いた。

持ち株会社化から10年

〔阪急阪神ホールディングスにとって、2015年は節目の年。昨年は宝塚歌劇100周年だったが、今年は大きな被害を受けた阪神淡路大震災から20年、持ち株会社の阪急ホールディングス誕生から10年だ〕

私が阪急電鉄社長に就いたのは03年でしたが、バブル時代の傷に苦労し、就任当初はその傷の深さに愕然としていました。社長になって2年が経過した頃、ようやく何とかやれるかなという自信ができ、それで阪急百貨店うめだ本店の建て替えを意思決定したのです。そこへ阪神電鉄と村上ファンドの問題が起き、阪神との経営統合という流れになりました。

もともと、阪急グループといえば小林一三というカリスマ経営者が興したこともあり、小林が存命中はグループ間を株で支配する必要がまったくなかったわけです。自立できる事業は自立させていくということで、百貨店や映画、興行事業もそうでした。グループ経営力はある意味、求心力というより遠心力を利かせて、それぞれ自主性をもってやってもらっていた。その上で、グループとして方向性を合わせる必要性が何かあれば、小林が一言言えばベクトルは合ったのです。

ですが、小林一三が亡くなって(1957年他界) 約50年が経っていたわけで、そうなると親子上場の問題も出てきます。たとえば、阪急電鉄もマンション分譲事業をやっていますが、同じように上場していた阪急不動産も手がけている。同じ阪急系でありながら、親会社も子会社も上場、そして同じマンション事業をやっている関係で、利益相反みたいなところがあったわけです。

それで親子上場をやめ、純粋持ち株会社を作ったのが05年です。阪急HDの下に阪急電鉄、阪急交通社、あるいはグループのホテルといった兄弟会社が並ぶようにした。そこに、阪神電鉄という兄弟会社が増えればいいと考え、経営統合を決めました。

〔阪急電鉄は主として梅田(大阪市)─三宮(神戸市)間の山側を走り、阪神電鉄は海側、その中間をJRが走る形で、阪急電鉄は富裕層を得意とし、阪神は庶民的という沿線カラーが指摘されてきた。阪急と阪神の経営統合から10年目のいま、ここまでの棲み分けやシナジーはどう総括するのだろうか〕

思い起こすと06年の4月以降、しばらくは各テレビ局が一斉に、「並行して走っている、ライバルの阪急と阪神が一緒になって統合効果をどうやって出すのか」という論調で報道しました。でも、当時から私は「まったく逆です。並行しているからいろいろなシナジーが出せるのです」と主張しています。

その1つが梅田の街作りです。お互いに梅田にターミナルがあってターミナルデパートを持っている。梅田を起点に山側を走る阪急と海側を走る阪神があるわけですが、“駅勢圏”というものが自ずとあって、海側に住んでいる方が、私は阪急が好きだからと、わざわざ阪急のエリアに来られることはないし、その逆もしかりです。つまり駅勢圏がそれぞれにあるわけです。

2つの私鉄がライバルでなく、一緒のグループとして大阪の百貨店戦争に立ち向かっていけたことは非常によかったと思いますね。統合の話が出た頃、阪神百貨店はすでに耐震補強工事にとりかかりかけていました。で、私は当時の阪神百貨店のトップにストップをお願いしたのです。

というのは、阪急と阪神が一緒になれば、まずは阪急百貨店を建て替える。その工事期間中は、阪急百貨店の売り場が半分になってしまう分、必要に応じて阪神百貨店のほうに売り場を移すことができます。そして、阪急百貨店の建て替えが完成した後で、今度は阪神百貨店を建て替えましょうと。阪神だけが古いビルでは、画竜点睛を欠く街作りになってしまいますから。

時間軸で言えば、阪神百貨店の建て替えは今秋から本格着工して、1期工事で2年半、ビルの西側を取り壊すのに1年、それからまた2年半の計6年かかり、上層のオフィス部分完成はさらにその半年後。つまり、全面開業は22年の春と、ちょっと時間はかかるんですが、グループの象徴になる新しいビルが向かい合ってできるのは、とても大きいと思っています。

ソフト面の街作りも重視

〔阪急、阪神とも、メインの鉄道ルートは梅田─三宮間だが、そのほかの沿線開発や鉄道の延伸といった分野ではどうか〕

阪神では、なんば線の新設が非常に良かったですね。尼崎から難波を結ぶので、梅田を通らずにショートカットして時間が短縮でき、かつ乗り換えの不便もなく、運賃も梅田経由より140円安くなりました。こんなに経済効果の大きい私鉄新線は珍しいと思います。いまだに定期のお客様が増えていますからね。一方の阪急のほうは、北大阪急行の延伸があります。

そういうハードの問題もさることながら、いま阪急と阪神で一緒にやろうとしているのは、沿線で教育、文化、安心といった街作りのキーワードになるソフト面なんです。たとえば「ミマモルメ」。これがいま10万人の会員まで増えました。サービスの1例を挙げると、ICタグを持ったお子様が登下校時に校門を通過すると、登録した保護者の方のアドレスにメールで自動通知するものがあります。

去る4月20日には、シニア向け会員制サロンの運営会社への資本参加を発表しました。ここの旅行、カルチャー、生活サポートや介護支援事業に我々も参画し、高齢者にもっと元気に街へ出てもらい、それによって健康年齢を上げていただく。あるいは認知症の発症を少しでも抑えていく。そういうアクティブな高齢者のための会員制クラブですが、こうしたソフト面からの街作りを重視しています。自治体間競争も沿線間競争も同じことで、住みたいと思ってもらえる沿線であり続けたいですし、それが最大にして唯一と言っていいくらいの経営戦略だと思います。

たとえば最近は大阪で、千里地区が住みたい街の上位にランキングされるようになりました。もっと言えば、梅田とか難波とか、以前では考えられなかったようなエリアが住みたい街になってきていると、マンションディベロッパーの調査で出てくるんです。職住近接もそうですが、大阪の街も以前より少し洗練されてきたのかなと。私の学生時代だと、阪神間に住んでいると大抵、三宮へ遊びに行き、大阪へは出なかったものですが、2年前にできた梅田地区のグランフロント大阪の大規模再開発エリアに代表されるように、最近は大阪もちょっと変わってきたかなと思います。

〔20年前の阪神淡路大震災では、阪急も阪神も鉄道が広域で分断され、自社のビルが倒壊するといった甚大な被害があった。三宮にある阪急のビルもこれまで仮設状態で残っていたのだが、今年度から建て替え計画も具体的に動いていくところまできている〕

結果として、この20年余りで企業が東京に本社を移す動きが起こったのは事実です。ですが、東京一極集中はもちろん良いことではなく、少なくとも東名阪はスーパーメガリージョンのような形にしていかないといけない。その中で当社の沿線人口はまだ増えていて、鉄道の輸送人員は減ってはいないんです。超高齢少子化の社会になると、選ばれる自治体、選ばれる沿線ということが非常に重要。また、都市部においてもコンパクトに機能を集約することが大事であるとずっと主張してきましたから、今後もその方向で街作りを進めていきたいですね。

財務強化も終わり、攻めへ

〔一方、人口減少が今後も加速する中で、5年後の東京五輪は訪日外国人を増やすビッグチャンスとなり、東京の百貨店はすでに訪日外国人たちによる爆買いで潤っている。関西圏も東京経由で、あるいは直接呼び込む形で、このチャンスを捉まえようと意気込む〕

今年は、おそらく訪日外国人が1500万人になろうかと思いますが、ここ4年で倍ぐらいのイメージでしょうか。一昨年に1000万人の大台を超え、昨年が1300万人超え。この強烈な伸びは当然、東京だけで受け切れるものではありません。関西の強みは24時間空港があることなので、観光だけでなく物流の世界でも強いですからね。

〔関西圏以外の、首都圏戦略や海外展開はどうか。首都圏で言えば、その先兵となるのがグループの東宝(阪急阪神HDが筆頭株主で持ち株は12%、阪急不動産が8%、H2Oリテイリングが7.2%)。東宝は映画興行が好調なうえ、不動産ビジネスも活況だ。去る4月17日には新宿コマ劇場跡地に新宿東宝ビルが完成し、ビルの屋上テラスに実物大のゴジラの頭部を再現し、話題に〕

小林一三の時代に、東京でもいろいろ事業を展開しましたしね。それを東宝が引き継いだ関係で、首都圏の不動産賃貸事業は東宝が担っているわけです。我々も東宝の劇場を借りる形で宝塚歌劇の通年公演をして、いい形で昨年、100周年を迎えることができました。

かつては双子の赤字ならぬ“3つ子の赤字”というのがあって、それが阪急ブレーブス、宝塚歌劇、宝塚ファミリーランド。つまり野球、歌劇、遊園地事業の3つが毎年、10億円を超える赤字を垂れ流す状況だったのです。その後、うち2つは撤退をして、宝塚歌劇は東京の通年公演が効いて黒字転換しました。

我々の沿線で成功した事業を東京でやるという部分では、マンションとホテルになります。ホテルは、私が社長になった時点で宴会やレストランビジネスはこれ以上はやらない、宿泊に特化したホテルをやろうと。

海外展開は、私が社長に就任して10年間、財務体質の改善を最大の経営管理指標にしてやってきましたので、たとえば貨物分野は海外で倉庫を持つことは一切認めず、ノンアセットで来ました。ただ、ようやく財務体質の強化も図れて、格付け的にもシングルAをいただけるようになり、負債倍率の面でも私鉄の中で3位グループまでは来ました。なので、今後はある程度、成長投資をやっていこうということで、インドネシアで物件を取得し、今後もASEANを中心に投資できればいいなと考えています。

〔阪急阪神に東宝を加えた企業集団という意味では、私鉄の中でも事業基盤は厚いが、今後の重点課題について、グループの頂点に立つ角氏はどう考えるのか〕

東宝で今年、初めて中期経営計画を発表させていただきました。東宝は非常にいいグループ企業になってきましたし、阪急百貨店も、うめだ本店の建て替えが非常にうまくいきました。電鉄も含めていま、グループが非常にいい流れの中にいるなと思います。

逆に言えば、3つの事業が揃ってこんなに順調な時期は過去になかったので、ちょっと慎重にならなければという思いがするくらいですね。長期的な経営戦略は次世代に任せていきますが、目先は、阪急百貨店なら中国でのプロジェクトを成功させないといけないし、当然、阪神百貨店の建て替えプロジェクトもそうです。まずは、足元の事業をしっかりと、実りあるものにしていくことだと思います。

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「日本の産業にとってロボットは重要」と話す宮河社長。

日本のロボットアニメの代表ともいえる『機動戦士ガンダム』。2009年に全高18メートルの実物大の立像が東京・台場の潮風公園に出現し、大きな話題になった。そして、また2019年、今度は実物大のガンダムを動かそうという「ガンダム GROBAL CHALLENGE (以下GGC)」が動きだしている。

GGCプロジェクトの代表理事で、ガンダムシリーズのアニメーション制作を行うサンライズの宮河恭夫社長に話を聞く。

―― 09年に公開された実物大のガンダム立像は、話題になりました。
宮河 実物大のガンダムを作ろうといったときには社内から大反対されるなど苦労しました。ただ、ガンダムを知らない方も、あれを見て「これがガンダムなんだ」と認知をしていただけたかなとは思っています。当時、ガンダムの富野由悠季監督とも、表現はよくないですが、実物大のガンダムを作るなんて馬鹿馬鹿しいことだと話していたんです。でも、実際に18メートルのガンダムが立っていたら面白いだろうなという、その思いだけで作った。周りに何もない公園に立たせたことで、スケール感が伝わったと思うんです。

―― 79年のテレビシリーズ以後ガンダムの人気は衰えず、続いています。その理由はどこにあると。
宮河 ガンダム以前のアニメは勧善懲悪のものでした。しかしガンダムは、地球の人口が増えて人が宇宙に移住しなくてはならないという物語の背景設定で、なぜロボット型の兵器が必要になったのかという理由づけがしっかりしていました。また、ストーリーは、地球連邦とジオン公国との戦争を描いていますが、戦争にいたるには、それぞれに事情があり、単純にどちらか一方がよい、悪いとはいえないということを、正面から描きました。ただ、子どものアニメとしては難しく、当時は放送が打ち切りになりました。しかし、ガンダムというロボットの格好よさから、子どもには「ガンプラ」というプラモデルに人気が出ました。一方、ガンダムの設定やストーリー性が大学生に刺さり、人気に火がついたと思います。当時、私はバンダイに入社したばかりで、まさにガンプラの営業をやっていたのですが、あの人気の広がりの熱量はすごいものがありました。

―― いま、いわゆる、ガンダム世代が企業の中核を担っています。
宮河 企業内ではガンダム世代がプロジェクトの起案者、あるいは起案者の上司というポジションで、発言力が強くなっているようです。それを感じたのが、12年にトヨタ自動車さんとコラボした「シャア専用オーリス」でした。これはキャラクターの商品化ではなく、ガンダムの世界観を車に持ち込んだ。実際に真っ赤にカラーリングした車に、トヨタのエンブレムではなく、ジオン公国のエンブレムを付けました。また、14年にはJXホールディングスさんがガンダムを企業広告で使っています。以前ならこのような企業がガンダムを使うなんて考えられませんでした。この5年で世界が大きく変わったように感じています。

―― 19年には、GGCプロジェクトが計画されています。
宮河 40周年にあたる19年は、東京オリンピックの前年で、日本が世界から注目され、日本自体も大きく盛り上がっている時期だと思うんですね。そこで世界から集めたアイデアを基に、日本が実際のものとして実現させたとアピールできたらと思っているんですね。

―― 具体的な計画は?
宮河 リアルと映像などバーチャルの2つの部門に分けてそれぞれでアイデアを募集し、いまはその審査をしています。今年の秋頃にはアイデアを選定、オープンプラットフォームでそれを公開し、アイデアの追加募集を行います。その後、審査・絞り込みをして基本プランを決定する予定です。多くの日本企業の協力を得て製作できればと思っています。

―― アニメーションがリアルに与える影響とは?
宮河 GGCの技術的顧問で、早稲田大学副総長の橋本周司先生から「いまは夢と現実が近づいて、夢が持てない状態になっている」とうかがいました。では、夢を持ってもらうにはどうしたらよいか。それは夢のレベルをポーンと高くするしかありません。それには、絵空事をぶち上げるしかないと思うんです。そこで僕たちアニメーションの人間は、絵空事を創る。そして、それと技術との掛け算ができないか考えていく。10年前だったら絶対に無理だと思うのですが、いまはちょっと馬鹿げたことでもできるんじゃないか、そんなふうに思っています。

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日常会話のできるコミュニケーションロボット「Sota」と、大和信夫・ヴイストン社長。

『週刊Robi』――ディアゴスティーニが週刊で発売したロボット組み立てキットで、全70週でRobiというロボットが組み上がる。Robiはドライバー1本で組み立てることができるが、人と会話をしたり、歌って踊るなどの機能が盛り込まれている。価格は1号あたり2000円ほど。すべて買い揃えるには15万円かかる。けっして安くないのだが、10万セットが売れたという。

このRobiの開発に協力したのが、大阪に本社のあるヴイストン。ホビー用ロボット開発の最先端を走っており、これまでに村田製作所がCMで使った玉乗りロボットや、カップヌードルから変型するロボットを手がけてきた。

もともとは全方位カメラなどの事業化を目的に誕生したヴイストンだが、2003年に2種類の二足歩行ロボを発売する。二足歩行ロボが市販されたのはこれが初めてだった。価格は400万円・40万円と高額だったが、40万円のロボットは200体売れたという。

「無名の会社の高額商品が、こんなに売れるということに驚いた」と語るのは大和信夫社長。ここからヴイストンのロボット開発は加速していく。ヴイストンが中心になって結成されたロボットサッカー「Team OSAKA」は、世界大会5連覇を達成した。

現在では、写真のコミュニケーションロボット「Sota」や、段ボールでできた二足歩行ロボット「ロボダンボー」など、教材用も含め数多くのロボットを市場に送り出している。

大和社長によれば、人に寄り添うロボットは、ペット同様、家族として扱われるようになるという。

「10年前のロボットはまったく人間らしくなかった。それが最近は感情移入できるようになってきた。言葉や表情、手振りなどでコミュニケーションもとれる。一家に1台、ロボットが家庭に入る時代がやってくるのではないですか」(大和社長)

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オムニボットシリーズを紹介するタカラトミーの木村貴幸氏。

タカラトミーは昨年、家庭向けロボットシリーズ「オムニボット」の発売を開始、ロボット事業に参入した。オムニボットとは「omnipotent=全能」とロボットを組み合わせたものだ。

最初に発売されたのが、スマホでも操縦できる二輪ロボの「ハロー! ミップ」。続いて犬型の「ハロー! ズーマー」、前頁で紹介した「Robi」を小型化、1000の言葉を覚えていて会話が楽しめる「ロビジュニア」、そして恐竜型の「ハロー! ダイノ」の4商品が投入されている。価格はいずれも1万5000円。

「タカラトミーはおもちゃ会社です。ですから当社のロボットで生活が便利になるわけではありません。おもちゃ会社のロボットですから、そんなに高くすることもできませんでした」(木村貴幸・タカラトミー新規事業部ニュートイ企画部部長)

犬型ロボットだったソニーの「アイボ」は、1999年に発売した1号機は25万円もした。ハロー! ズーマーは、車輪で動くところが四足歩行のアイボとは違うが、それ以外の機能はそれほど変わらない。それが、わずか1万5000円で買える時代になったのだ。

実はタカラトミーは84年にもオムニボットを発売したことがある。テープレコーダーとアラームのコンビネーションによるプログラミング機能を持つもので、価格は3万9600円だった。また2007年には世界最小の二足歩行ロボットも発表している。しかし当時はおもちゃとしては高価すぎた。そこでロボット事業はしばらく休止したものの、ソフトバンクの「ペッパー」の発表や音声認識技術の進化など、環境が整ったとみて、再参入を決意したという。

事業としての滑り出しは順調で、2月末に発売したロビジュニアなどは、1週間で完売するほど人気を集めている。

「子供から100歳以上まで、幅広い世代の方がオムニボットをお求めになっています。理由は癒されたい、子育てが終わった、などさまざまですが、ロボットが家にあることで、家族の会話が増えたという声もいただいています」(木村氏)

タカラトミーでは、今後もオムニボットのラインアップを増やしていく方針だ。家庭にロボットの時代はもうそこにまで迫っている。

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第5世代スケルトニクス・アライブ/白久レイエス樹氏(左)と阿嘉倫大氏

ビジネスは夢実現の手段

2008年、沖縄工業高等専門学校のメンバーとしてロボコンに出場、見事、優勝を果たし、その後、起業したのが、スケルトニクスのCEO白久レイエス樹氏とCTO阿嘉倫大氏である。

「よくも悪くも、高専のときのロボコンの状態がいまも続いています」という白久氏。

彼らが開発したスケルトニクスというのは「動作拡大型スーツ」というもので、リンク機構(複数のリンクを組み合わせて構成した機械的な機構)を応用。人のおよそ2倍の大きさになるパフォーマンスロボットである。

11年にユーチューブで動画が公開されて話題になり、14年にはNTT東日本のCMにも使われるなど活動の場を広げている。

しかし、彼らが一般的なベンチャーと違うのは、会社を継続、成長させる強い意思はないということだ。

「スケルトニクスを法人化したのは『エグゾネクス』という人型から変形してそのまま移動できる動作可変型スーツを作るのが目標で、スケルトニクスは、その資金を作るための会社です」(白久氏)

いわばスケルトニクスは、自分たちが考えている新しいロボットを作るための手段でしかない。

ビジネス的には、これまで1体1000万円のスケルトニクスを長崎のハウステンボス、ドバイ首長国首相オフィスにそれぞれ1体ずつを販売。また、イベントなどにパフォーマーとして呼ばれるなどして、その目的は果たされている。

エグゾネスは1~2年で完成するというが、その後については「全くの白紙」だという。

「完成後のことはまったく考えていません。これは挑戦なので、いま世の中に出ているパワードスーツにぜんぜん及ばないものかもしれないし、卓越した技術になるかもしれない。自分たちもどうなるかわかっていません。極端にいえば、エグゾネクスが完成すれば会社は解散してもOKですし、どこかの会社が買収したいといえば、売却するかもしれない」

ロボットづくりは自分たちの夢の実現――スケルトニクスは、いまなおロボコン継続中である。

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「パワーアシストハンド」特区の中小企業がリハビリ病院や大学の意見をとり入れて開発した。撮影/中野昭夫

実証に力を入れた特区

企業がさまざまなロボットの開発を進める一方、自治体でもロボット産業が地域活性化につながるとして取り組みはじめている。その1つが神奈川県の「さがみロボット産業特区」である。

「行政が産業振興に取り組む場合、基礎部分、研究段階の上流部分を中心に進めるところが多いのですが、われわれのさがみロボット産業特区は、実証部分の実用化に向けた出口に近い部分の支援を行っていくことに重点を置いています」

と話すのは、神奈川県産業労働局産業・観光部産業振興課さがみロボット産業特区グループの渡部力氏である。この特区に指定された地域は広く、神奈川県の中央部分の相模原市、平塚市、藤沢市、厚木市、伊勢原市、座間市など10市2町に及ぶ。

「中央部は製造業が盛んで、県内の研究開発の人口のうち約5割がこの地域に集中しています」(渡部氏)

神奈川県では特区に指定した地域をそれぞれの地域性に合わせて、北部を災害対応、中央部を介護・医療、南を高齢者への生活支援と、3つに分類している。また、こうした総合特区では、規制緩和、財政、税制、金融の4つについて特例を設け、支援を行えるが、ここでは、規制緩和と財政の2つに特化する。

また特区内だけでなく、全国から実証実験を行いたい企業を公募し、「場」の提供も行っている。実験には、以前は県立高校だった校舎や体育館などの施設を利用。校舎では病院や福祉施設に見立てて自立運転型のロボットの実験を、校庭では無人遠隔操縦のロボットの実験を行う。

このほか、ロボット特区ということもあって、特区内の病院や介護施設も協力的だ。

一方、財政支援では、県が直接財政支援を行うのではなく、総務省、経産省、中小企業庁、厚労省といった中央省庁が出している補助金の情報を収集。企業からの相談に応じて、それらの補助金を受けやすいよう申請書類の作成方法や説明書類のつくり方のアドバイスをしている。実際にこうした取り組みで、2013年は5件・1億8000万円あまり、14年には11件・4億2000万円以上の補助金を獲得している。

特区だからできたこと

こうした取り組みから生まれた地元の中小企業が集まり商品化第1号になったのが、パワーアシストである。これは脳梗塞などで、手に障害が生じた際のリハビリのサポートを行う。

「これは地域の企業が集まり、特区内の大学、リハビリ施設の協力を得て開発されたものです。モーターを使っていないため、無理なくリハビリができるのが特徴です」(渡部氏)

手の不自由な方が体の一部(写真でアゴ)を少し動かす だけで、自分で食事がとれるようになるロボット。セコムが開発した。撮影/中野昭夫

さらに、生活支援ロボットの浸透・定着を目的に、(1)パワーアシストハンド(エルエーピー)、(2)食事支援ロボット「マイスプーン」(セコム)、(3)コミュニケーションロボット「パルロ」(富士ソフト)、(4)自動ページめくり機「りーだぶる3」(ダブル技研)、(5)非接触バイタル感知センサー(ミオ・コーポレーション)の5つのロボットの介護保険適用の申請を特区として行った。

「通常、介護ロボット適用については市町村の提案になるのですが、直接ロボット開発を行う企業が集まっている特区ですので、メーカーの声を特区として提案しました。結果としては、残念ながら5つとも認められなかったのですが、介護ロボットについては、今後、厚労省も柔軟に対応していくという方針を示されまして、実際はわかりませんが、特区として提案したことで今後の対応に変化がでてきたのかなと、感じています」(渡部氏)

3年目──次への課題

一方、特区はロボット関連企業だけのものではない。地元に住む人に「生活支援ロボットとはどういったものか」「ロボットのある生活とは」というものへの、理解を深めてもらう啓発活動も行っている。

その1つが特集ページでも紹介した特区内にある住宅展示場などを活用し、直接、生活支援ロボットに触れることができる「場」の提供だ。また、町のなかにも、通常は「歩く人・止まる人」になっている歩行用信号機を、イメージキャラクターである鉄腕アトムのシルエットにするなど、ロボット特区ならではの雰囲気づくりもされている。

さまざまな産業特区があるなかで、実際にはなんのための特区なのか、わからないところもある。そんななかでさがみロボット産業特区は、その名前からも旗幟鮮明な特区といえる。今後の展開として、渡部氏は次のように話す。

「実用化の方策としては、特区内には159の企業が集まっているので、こうした企業による共同開発が進められないか。また15年で3年目になるので、次の大きなテーマとして、もっと社会に浸透させる事業を行っていきたいと思います。その1つが年間100カ所ほどの施設でのロボット体験ができる『ロボット体験キャラバン』です。

また、ロボットをお試し使用ができるモニター制度の構築もしていきたいと考えています。ロボット社会への定着としては、どこでロボットを使うことが可能か、各分野のオピニオンに参加していただき、いろいろな提言もしていければと思っています」

産業用ロボットの分野では、世界のトップを走る日本。しかし、生活支援ロボットの分野は緒についたばかりだ。そんななかで、実用性を推し量るこうした特区は重要な存在といえるだろう。

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人の中心にいるロボット

「そのまま背伸びをしましょう。ううんと、力を入れて、ううんと……」テーブルの上で両腕を上げて、背伸びの運動をするロボット。その周りにはイスに座ったお年寄りが集まり、ロボットの動きと同じ運動をする――その時間およそ25分。誰ひとりそこを離れることはない。

こうした高齢者施設で活用されているのが、富士ソフトが開発したコミュニケーションロボット「PALRO(パルロ)」である。

富士ソフト「PALRO」

神奈川県藤沢市にある「藤沢富士白苑」は、特養の入所者140・ショートステイ20の160ベッドを備える。ここでは2014年3月にパルロを導入した。

施設長の関野雅之氏がこう話す。

「100人の顔認識ができるなら、面白い使い方ができるだろうと導入したんです」

富士白苑では3階建ての施設の各フロアに1機、エントランスに1機の計4台を備えている。

いまでは高齢者の人気者になったパルロだが、開発のスタートは7年前にさかのぼる。

「そもそも開発のスタート段階では介護といったことは、まったく考えていませんでした」

と話すのは、富士ソフト常務執行役員プロダクト・サービス事業本部長の渋谷正樹氏だ。

「当時、iPhoneが発売されてコンピュータがポケットに収まり、その先のコンピュータはどうなるのか、ということが開発のきっかけです。いまのコンピュータは人が指示を出していますが、その先は、あらかじめ動いていて、もっとやさしいインターフェースのコンピュータになるだろう。そして、それは知能を持つコンピュータ、人間に近いものになるだろうと考えました」

ラップトップPCから始まった開発がいつしかロボットに変わり、開発チームは大学のロボット研究室などのリサーチをはじめる。その延長線上で、汎用部品を使ったパルロのプロトタイプを製作。そんなとき、営業担当者から「おばあちゃんがすごく気に入ったから売ってほしいという人がいる」との連絡を受ける。確認をすると、そこが高齢者施設だったというのである。

「笑わなかったおばあちゃんが、一定期間パルロを使っていたら、笑うようになったというんですね。そこから、お役に立てるならとはじまったわけです」(渋谷氏)

実際の開発にあたっては、馴染みやすいロボットにするため、大きさやデザインについてこだわりを持ったと渋谷さんはいう。

「パルロの全高は約40センチですが、これはテーブルにのせたときに、向き合った人が見上げない、その人の目線よりも低くしたいという理由からです。また、デザインはすべて女性の意見です」

本田英二・富士ソフト執行役員(左)/渋谷正樹・富士ソフト常務執行役員

会話は0.4秒がカギ

コミュニケーションロボットとして重要なポイントは、人との円滑な会話が成り立つかどうかにあり、それには、最初の言葉への答えがすぐに必要で、反応が遅れると、人はストレスを感じるという。

「通常、会話は0.4秒でのやりとりなんですね。それが0.8~0.9秒かかってしまうと、ちょっとイラっとする。また、日本語は複雑でイエス・ノーだけで124種類もあります。最初、パルロと会話をはじめたときは、コンピュータ相手ということで、はい・いいえをはっきり言いますが、会話が進むとそれを忘れて、きちんとした言葉ではなくなってくるんです」

介護施設へと用途が広がったパルロだが、「開発の当初の目的だったコンピュータやネットに触れない人にも触れてもらうためのインターフェースを組み上げるというスタンスは変わっていません」と渋谷氏は話す。

ロボットは静かに確実に、日常生活に入りつつあるようだ。

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経営戦記

加留部 淳 豊田通商社長
かるべ・じゅん 1953年7月1日生まれ。神奈川県出身。76年横浜国立大学工学部電気工学科卒。同年豊田通商に入社。99年物流部長、2004年取締役入り。06年執行役員、08年常務執行役員、11年6月末より現職。学生時代はバスケットボール部に所属。座右の銘は着眼大局、着手小局。

近大とマグロ養殖でタッグ

〔昨年、豊田通商が近畿大学と提携して卵から育てるマグロの“完全養殖”事業に参入(養殖事業そのものは2010年に業務提携)するというニュースが大きな話題になった。11年に同社の社長に就いた加留部淳氏は、就任後初めての出張が近大水産研究所で、同研究所の宮下盛所長と意気投合。今後は豊通と近大のタッグで完全養殖マグロの生産を順次拡大し、海外へも輸出していく計画だ〕

もともと当社は人材育成には力を入れ、いろいろな研修プログラムを用意していますが、その中に若い社員の事業創造チャレンジのプログラムがあるんです。自分たちでまず研究し、社内外の先輩や識者の意見も聞いて新事業案を作らせるものですが、その過程で「ぜひ、近大さんの販売や養殖のお手伝いをしたい」と提案してきた社員がいましてね。

面白い事業プログラムだったので、当時の経営陣が「やってみろよ」と。で、動き始めて実際に予算もつけ、近大さんにもお話をしに行ってというのがスタートでした。こういう社内提案制度は、起業家精神の醸成にすごく必要だと思います。もう1つ、マグロの漁獲量が減る一方で、需要は日本や東南アジアを中心に増えているわけですから、商社のビジネスとして意義がある。会社としてもやる意味があるし、若い社員を育てる点でも有効、その2つの観点から全面的にバックアップしています。

もちろん、ほかの商社でも水産系ビジネスには力を入れています。その中で、我々は違う土俵で戦うケースもありますし、どうしても同じ土俵の時は、真っ向勝負だと当社の企業体力では勝てないわけですから、戦い方を考えないといけない。そこは全社員と共有しています。そういう意味でも、他社が手がけていないマグロの完全養殖事業は非常に面白いビジネスですね。

近大とマグロの完全養殖事業で提携。左端が宮下盛・近大水産研究所長、右から2人目が加留部社長(2014年7月の会見)。

〔近大とのタッグは話題性が大きかったが、豊通という会社全体として見れば1事業の域は出ていない。これに対し、加留部氏が12年末に決断した買収案件は全社横断的な規模だ。当時の為替レートで同社では過去最大となる、2340億円を投じて買収したフランスの商社、CFAO(セーファーオー)がそれ。CFAOは、30年には中国を上回る巨大市場になると目されるアフリカ市場で強固な事業基盤を持ち、とりわけフランス語圏の多いアフリカ西側地域で圧倒的な商権を持っている〕

過去最大の投資ですから、我々もものすごく慎重に考えましたし、私も実際に現場を見に行きましたが、先方も傘下の自動車販売会社の修理工場とか、結構オープンに見せてくれましてね。当社とはDNAが合いそうだなと。

もう1つ、彼らは自動車関連事業以外もたとえば医薬関係、あるいはオランダのハイネケンと一緒に合弁工場を手がけるほか、BICブランドのボールペンなど、プラスチック成型品の生産なども手がけていて当社と親和性が高かったのです。

海外に商社という業態はあまりないですが、彼らは自分たちのことをはっきり「商社だ」と言いますから。ですから豊通がやっている事業はすぐに理解してもらえましたし、右から左のトレーディングだけでなく、彼らは工場を持ってモノづくりまで踏み込んでいるので、(トヨタグループの豊通と)お互いの理解はすごく早かったですね。

唯一、気になったのは若手社員の意識でした。若い社員が果たしてアフリカの地でビジネスをやってくれるのかどうか。そこで数人の若手に聞いてみたところ「この買収案件はいいし、アフリカは将来、伸びる市場だからやりましょうよ」と。そういう声に最後、後押しをしてもらえたようなところもあるんです。“一人称”という言葉を当社ではよく使うんですが、一人称、つまり当事者意識をもってやっていく気持ちがあるかどうかが大事ですから。

独自戦略を掲げる加留部氏。

フランス商社買収で攻勢

〔前述したように、CFAOは歴史的にアフリカ西海岸エリアの市場を得意とし、豊通は東海岸に強みを持っていたため、エリア補完も綺麗に成立した〕

地域的、事業的な割り振りで言えば、自動車関係はお互いの強みなのでしっかりやっていこうと。アフリカ西海岸で当社が細々とやっていたテリトリーは全部、CFAOに渡しています。物流の共通化なども進めて、お互いの事業効率を高めてきていますし、トヨタ車の販売や物流もCFAOと一緒にやっています。

当社としてはマルチブランドを扱うつもりはあまりなくて、トヨタと日野自動車、スバル(=富士重工)の商品を扱うわけですが、CFAOはマルチブランドなので、たとえば今年、アフリカでフォルクスワーゲンとのビジネスも決めました。

当社はケニアでトヨタ車を扱っていますが、CFAOはケニアにVW車を持ってくるわけです。CFAOは豊通の子会社なのにと一瞬、矛盾するような印象を持たれるかもしれません。我々はトヨタ車で現地シェアナンバー1を取りたいけれども、彼らもVW車でナンバー2を取ればいい。そういう組み合わせみたいなものができてくると思うんです。

いずれにしても、自動車関係のビジネスはお互いに共通しているので、この分野はオーガニックな成長で伸ばしていけるでしょう。一方、医薬品関係はいま、彼らもどんどん伸ばしていて、我々も日本の製薬メーカーを紹介したりといったサポートをしています。

〔豊通がCFAOを買収したことで、新たな効果も表れてきている。たとえば、前述したCFAOが合弁で手がけるハイネケンの工場運営会社。豊通の傘下に入る前は、CFAOの株主が収益はすべて配当で還元してほしいと要請していたため、新しい投資ができなかったのだが、豊通が入ったことでロングタームで事業を見るようになってくれたのだ〕

私もハイネケンの合弁会社社長に会って話をしました。先方も理解してくれて、生産国もコンゴだけだったのを別の国でも展開しようという話に発展しましたしね。さらに、フランス大手スーパーのカルフール。CFAOがカルフールとの合弁でコートジボアールで店舗を出しますけど、これも私がカルフールの社長とお会いし、アフリカ8カ国で展開することを決めました。

日系メーカーとではこんな事例もあります。ヤマハ発動機のオートバイを生産する合弁会社をCFAOがナイジェリアで作るのですが、彼らもヤマハとのお付き合いは従前からあったものの、それほど深かったわけではありません。

一方で、我々は日本でも(ヤマハと)いろいろなビジネスをやらせていただいているので、この合弁話を提案したら了承してくださり、出資比率も50%ずつでOKしてくれたんです。CFAOは豊通の資本が入っている会社だからと、全幅の信頼を置いていただけた。普通は、日本のメーカーが現地へ出るのに50%ずつというのはあまりなく、イニシアチブは日本のメーカー側が取るものだからです。

そういうCFAOとの協業ロードマップは10年スパンで立てていまして、私もCFAOの首脳もお互いに行き来しています。フェース・トゥー・フェースで、年に4回ぐらいは顔を合わせているでしょうか。それ以外にも毎月、テレビ電話での会議も1時間半ぐらいかけて実施し、いまの経営課題や将来の絵図などをお互い共有化するようにしています。

〔豊通には、TRY1という経営ビジョンがある。これは収益比率として自動車と非自動車の割合を均等にしていき、さらに20年にはライフ&コミュニティ、アース&リソース、モビリティの3分野の収益比率を1対1対1にするというものだ。CFAOをテコにしたアフリカビジネスの拡大も、TRY1計画達成に寄与する部分は大きいだろう〕

いまでもCFAOは1億ユーロぐらいの純利益を上げていますから、それだけでも我々は彼らのプロフィットを(連結決算で)取り込むことができますし、プラス、将来的な絵図という意味でも、お互いにステップ・バイ・ステップで各事業を伸ばしていくことで、TRY1の実現にすごく貢献するはずです。

〔総合商社といえば近年、資源ビジネスで荒稼ぎしてきたイメージが強かったが、資源価格の市況に大きく左右されるリスクがあることは、住友商事や丸紅が資源価格の大幅な下落などで多額の減損を強いられたことでも明らか。とはいえ、こうしたリスクテイクは、総合商社にとってはいわばレーゾンデートルでもあり、投資するしないの判断は難しい〕

資源といってもいろいろあると思います。いまさら石炭や鉄鉱石の採掘ビジネスにお金をガンガンつぎこんでもダメ。また、シェールガスやシェールオイルも私が社長になった頃に他社がみんなやり出して、社内でも「やりたい」という声が多かったのは事実です。でも、よく調べてみたら、当社はすでに周回遅れ、しかも1周でなく2周も3周も遅れている。「これでは高値掴みしてしまう可能性があるし、投資金額も大きいのでやめておきなさい」と、社内でかなり明確に言いました。

ですから、我々はもっとニッチで別な土俵で勝負していこうと。たとえば、チリで開発しているヨード。これはイソジンのうがい薬、レントゲンを撮る時の造影剤でも使うんですが、ヨード産地は日本、米国、チリと世界で3カ国しかありません。当社はその全部の産地で開発拠点を持っているので、将来的には取り扱いシェアを15%まで高めたいと考えています。

ほかにも、アルゼンチンではこれからの自動車ビジネスに直結する、リチウム関連の鉱山事業を昨年から始めましたし、豊通らしさというんでしょうか、ニッチキラーでもいいからウチらしさが出て、かつ上位の商社とも十分に戦えるビジネス分野でやっていこう、というのが当社の基本ポリシーです。

〔目下、前述したTRY1達成に向けて歩を進める豊通だが、現在の非自動車ビジネス拡大の基盤を整えたともいえるのが、06年に旧トーメンと合併したこと。トーメンが持っていた化学品や食料といった主力事業分野を得たことで、総合商社としての幅が各段に広がったのだ〕

実際、事業ポートフォリオが広がって、合併は結果として大正解でした。エネルギーや電力関係のビジネスはいま、一部を除いてすごくうまくいっているんですが、こうしたジャンルは豊通のままだったら絶対に出てきていないビジネスですね。

豊通はもともとが自動車関連ビジネスメインでしたから、農耕民族なんです。畑を耕して種をまいて、雑草をとって肥料や水をやってと。それが狩猟民族(=トーメン)と見事に化学反応したという感じ。狩猟民族の人も農耕民族から学んでもらえたし、お互いの良さを認め合ってすごくいい合併だったと思います。

業界ランクには興味なし

〔加留部氏は横浜国立大学工学部出身だが、就職活動では「とにかく商売がやりたくてしかたがなかった」と述懐するように、入社試験は商社しか受けなかったという〕

私は1976年の入社ですが、当時は就職が全般的に厳しくなり始めた頃で、「商社冬の時代」になりかけていた難しい時期。各商社とも採用人数を絞り、狭き門になっていました。それでも私はとにかく商社に行きたくて、最初に内定をくれたのが豊通だったんです。商社としては規模は小さいけれど、その分、若手にも仕事を任せてくれるんじゃないかと。トヨタグループだから財務基盤もしっかりしていましたしね。

〔豊通入社後は3年目に米国駐在となり、米国でのビジネスで5年間揉まれて逞しくなった後に帰国。国内で6年過ごして結婚後、再び渡米して9年間駐在した。こうした国際経験豊富な加留部氏だけに、昨年からは入社7年目までの社員を対象に、駐在でも長期の研修でも語学留学でもいいから、とにかく一度、海外へ出ることを奨励している。

ただし、加留部氏はほかの商社との戦いにおいては、純利益で何位といった相対的な物差しでなく、あくまで豊通としてどうなのかという基準で考えると強調する〕

2年か3年前、社員みんなにメールを打った時に触れましたが、何大商社とか何位であるとかは、私はまったく関心がないんです。自分たちが目指す方向に向かえているかが大事ですから。たとえば敵失があって他社の順位が下がったとします。仮に順位を純利益で測ったとして、「他社が失敗してウチが5位になったところで君たちは嬉しいか? 私は嬉しくないよ」と。

社員向けのメッセージメールは年に8回か9回出していますが、ある時、新入社員から「何位を目指しますか?」という質問を受けた時も同じことを言いました。各社ごと、事業ポートフォリオがかなり違いますし、順位は関係ない。自分たちのビジネスがどうなのか、常にそこを自問自答し検証することが正しい道だと考えます。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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この企業の匠

登録スタッフのキャリアアップをサポートする大谷悠さん。

パソナは人材派遣業のパイオニアとして、常に新しい試みを続けている。昨年秋に誕生したキャリアコンサルティンググループもそうした試みの一つ。パソナに登録しているスタッフのキャリアアップの支援を目的とした新組織で、それを率いるのがグループ長の大谷悠さんだ。

3ステップでスキルアップ

パソナは昨年、スタッフィング部の中にキャリアコンサルティンググループを新設した。メンバーは5人で、グループ長を務めるのが、今回の「匠」、大谷悠さんだ。何をする部署かというと、パソナに登録して企業に派遣されて働いている人たち(スタッフ)のキャリアアップ、キャリアチェンジをサポートする。

「数万人のスタッフが働いています。その方たちがどういうふうに働きたいか、どのようなキャリアを身につけたいか、相談に乗り、それぞれの人に合うキャリアデザインを提案し、そのためのプランの実行までサポートしていくというものです」

どんな人も社会に出て働いているうちに将来の自分を思い描き、その目標のためにいま何をすべきか考えるようになる。これは正社員であっても派遣社員であっても変わらない。ただし正社員であれば、社内の研修制度を進んで受けたり、自分のやりたい仕事があれば自ら手を挙げることもできる。その点、派遣社員の場合、キャリアアップするのはそう簡単ではない。

パソナのスタッフの多くが、働き始めてしばらくすると、将来のことを考えるようになる。いまの仕事を続けていればいいのか、自分にはもっと向いた仕事があるのではないか等々。

かつてはそうした相談に乗るのは営業の仕事だった。しかしそれでは、ややもすると短期的なアドバイスになりがちだった。またスタッフからも、将来のことを相談したいけれど、どこに相談していいかわからないという意見も寄せられていた。そこで、1年後、3年後、5年後といった長期スパンでサポートするための専門部署として誕生したのが、キャリアコンサルティンググループだ。

将来の相談に乗るのでも、「こうなりたい」という姿がある人の場合はやりやすい。そのためのスキルを身につけるために、パソナが用意する「キャリアカレッジ」の中から、目的に沿った講座を受講すればいい。スキルが向上したら、それに見合った派遣先を紹介してもらうことで、キャリアアップを図る。

フローチャートで言えば、ステップ1で「いまできること」、ステップ2で「したいこと」、そしてステップ3で「すべきこと」をそれぞれ明確にしてスキルアップを図っていく。

たとえば秘書として派遣されているスタッフの場合なら、第1ステップとして日常英語を身につける。その次のステップではビジネス英語を学ぶことで海外との文書のやりとりをまかされるようになる。そして英語がさらに上達すれば、外資系企業で秘書業務に就くことも可能となる。同じ秘書でも、英語力を磨くことでキャリアアップをした一例だ。

「問題は自分の強みがわからない場合です。『何もできません。でも何か始めたい』という方もけっこういらっしゃいます。そういう場合は、その人の強みが何なのか、一緒になって探すことから始めます」

そういう時は、ライフラインチャートを作成する。時間を横軸に、満足度を縦軸にしたグラフだ。

「このチャートをもとに、満足度が高い時にどんなことがあったのか、思い出してもらいます。そこから、満足度の高い時期に共通して出てくるキーワードなどを見つけていきます」

これが自分のキャリアの棚卸しになる。上司から仕事のサポートを褒められたことがある人が、友人からも同じような指摘をされたことがあったりすれば、サポート役がその人の強みということになる。それがわかれば、それを今後どうやってキャリアアップにつなげていくか、その道筋を示していく。

「私たちがするのは、次の可能性の後押しです。可能性に気づいている人にはもちろん、気づいていない人に対しても、これから目指せる姿があるのではないかと気づかせる。でも多くの人が、自分の中に解答を持っています。それを引き出すお手伝いが私たちの仕事です」

1日1時間、1日5人のスタッフと面談する。

国家資格も取得

そんな大谷さん自身のキャリアはというと、大学を卒業しパソナに入社。最初の6年間は営業職として、就業している登録者200人を担当した。その仕事を通じてスタッフの悩みや、その逆に派遣先企業の意向を学んでいった。

その後、スタッフィング部に異動、ここでは、初めてパソナに登録したスタッフと面談、どういうキャリアでどういう仕事があるのかといったカウンセリングを担当した。その過程で、国家検定であるキャリア・コンサルティング2級の資格を取得。そして昨年、組織発足と同時にグループ長に就任した。

キャリアコンサルティンググループでは、発足からいままでに、500人のスタッフと面談したという。面談は1時間に及ぶため、メンバー1人あたり1日に5人に応対するのが精一杯。しかもスタッフは仕事を終えた後にやってくるため、面談は夕方5時以降や土曜日に行うことが多い。

それを聞いただけでも大変な仕事だと思うのだが、「人の変化を直接感じるところに魅力がある」と大谷さんは言う。

「それまでは、自分に何ができるか、自分が何をやりたいかわからなかった人が、面談を重ねるごとに目標が明確になり、そのための第一歩を踏み出す。そしてこれから先も長期的にサポートしていく。今後、私たちが相談に乗ったスタッフが、どのようにキャリアアップしていくのかが楽しみです」

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月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

北山喜一 アクア・プラン社長
きたやま・きいち 1966年富山県生まれ。高校卒業後不二越に入社。95年に富山県内に節水コマ「アクアクルー」の販売代理店を設立。99年に大阪でアクア・プランを設立。その後アクアクルーの製造権を獲得、総販売元となる。

富山の薬売りがヒント

―― アクア・プランは節水業界のリーディングカンパニーだそうですね。蛇口の中などに組み込む節水コマをこれまで7000社以上に納入された実績があるとか。節水コマを使うと、どれだけ水を節約できるのですか。
北山 私たちは「アクアクルー」という節水器を販売していますが、平均すると10%以上の節水効果があり、中には20%以上節約できたところもあります。飲食店やホテル、病院など、水を大量に使う施設では、それによるコスト削減効果はとても大きい。

たとえば、400床の公立病院のすべての蛇口にアクアクルーを設置したところ、年間で680万円ほど、水道代が節約できました。全国に約60店を擁するうどん・そばチェーンでは、400万円のコストダウンにつながりました。ですから、当社のシステムを導入しても、そのコストは半年から2年で回収することができます。

また節水効果だけでなく、お湯の量も減らすことができますから、CO2削減にも効果があります。

―― どういう経緯でこの会社を立ち上げたのですか。
北山 私は富山県の出身で、高校卒業後、地元の不二越に入社、営業マンとして10年ほど働きました。静岡県に配属され、営業成績はかなりよかった。ところが給料の手取りは20万円以下。すでに子供もいましたから、将来を考えたらこれでいいのか、いっそ故郷に帰ろうかと思って、付き合いのあった会社の社長に相談したところ、「だったらわが社の代理店となって富山で売らないか」と言われたのです。それがアクアクルーでした。そこで10年以上勤めた不二越を辞め、富山で先輩と一緒に会社を立ち上げ、アクアクルーの販売を開始しました。これが1995年のことです。

―― 船出は順調でしたか。
北山 最初の数カ月はまったく売れませんでした。この時は苦しかった。血の小便を流したほどです。

というのも、富山県というのは東京と比べても水道代が非常に安い。ですからコスト削減効果も小さい。そして何より、当時はまだ節水コマが認知されておらず、使っている企業も周囲にない。そうしたところで企画書を持って営業に回っても、なかなか話を聞いてもらえませんでした。

―― どうやって販路を拡大していったのですか。
北山 ヒントになったのが富山の配置薬です。無料で置かせてもらって、使ったぶんだけお金をもらう。それと同じように、まずは無料でアクアクルーを設置してもらう。それで水道代が安くなったら、契約してもらう。この販売方法に切り替えたのが転換点でした。その結果、徐々に導入件数が増えていき、その後、北陸ジャスコ(現イオン)に納入できたことをきっかけに流通業を中心に一気に導入が増えました。これ以降、経営は軌道に乗りました。

―― 現在の本社所在地は大阪ですね。
北山 富山で3年ほどやった段階で、市場として富山には限界があることもわかってきました。そこで再び製造メーカーの社長に相談したところ、「大阪を開拓してほしい」と言う。そこで99年に富山の会社は先輩に任せて、私独自で大阪にアクア・プランを設立して現在に至ります。また、10年少し前には、製造メーカーの社長が体調を崩したこともあり、当社で製造するようになりました。ですから最初は代理店でしたが、いまでは当社はアクアクルーの製造・総販売元となっています。

損保と組みコスト削減保証

―― 節水コマはアクアクルーの専売特許ではありません。競合も多い。その中でリーディングカンパニーとなるには、何か差別化戦略があったのですか。
北山 当社が売り上げを伸ばしていったのには、いくつかきっかけとなる出来事がありました。まずリース販売を導入したこと。6年リースの場合、1つの蛇口につき月250円ですから、20の蛇口があったとしても月5000円です。それでいて、月1万~1万5000円の水道料金が削減できますから、その効果もわかりやすいし、導入のハードルも低くなります。

もう1つが節水効果保証を付けたことです。損害保険会社と組むことで、節水効果が表れなかった場足、全額返金保証します。これにより、成約率は格段に上がりましたし、上場企業からの受注が格段に増えました。そしてもう1つ、全国の会計士・税理士1万人以上が加入するTKCと提携したことで、そこを通じて顧客企業77万社に対しアプロチすることが可能になりました。

このような販売のためのインフラが整備されたこともありますが、その前提には、当社の商品とサービスが優れていることが挙げられます。

アクアクルーは流速・消音・整流の3つの条件をクリアする究極の形をしています。しかも単純な形状だからメンテナスフリーです。

また導入にあたっては、現場に出向いて水圧・吐出量の調査などを行い、蛇口ごとに100アイテムの中から最適のアクアクルーを設置します。これによって、節水効果が高く、なおかつ使用感が従来と変わらないシステムを提供できるのです。

―― 今後の目標を教えてください。
北山 いま当社の売り上げの大半をアクアクルーが占めていますが、いつまでもこの商品ひとつにオンブに抱っこでいるつもりはありません。

いま当社は、水道コスト削減と環境保護を前面に出していますが、それによって得た7100社のクライアントをターゲットに今後は電気料金やガス料金などの削減を、外部とアライアンスを組むことで実現していきたいと考えています。

そのために、販売チャネルの拡充を急ぎます。現在、当社には、25の代理店があります。今後はさらに代理店を拡充し、47都道府県のすべてに拠点を置こうと考えています。これを2年以内に実現する。

水だけでなく、あらゆる分野においてエコの提案ができる、そんな企業を目指しています。

チラCEO/平野哲也 オンリーストーリー社長
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