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「情報革命で人々を幸せに」――というのがソフトバンクの社是である。だからインターネット事業や携帯電話事業を手がけるのはよくわかる。ところがソフトバンクは今年に入りロボット事業に進出すると表明した。来年2月には市販も開始する。震災のあとにはメガソーラー発電など、エネルギー事業にも参入している。これらは本業とどう結びつくのか。いったいどういう基準で事業領域を定めているのか。そしてそれを司る人材をいかにして確保・発掘しているのか。ソフトバンクの強さの根源を探った。

ジャック・マーとの出会い

中国でECサイト等を運営するアリババ(外部リンク)が、9月19日、ニューヨーク取引所に上場した(詳細は別稿を参照)。

この上場でアリババの時価総額は25兆円に達し、30%以上を所有する筆頭株主のソフトバンクは、8兆円の含み益を持つことになった。ソフトバンクの時価総額は8兆円あまり。単純に考えれば、企業としてのソフトバンクの価値のほとんどが、アリババの含み益で占められる。

ソフトバンクがアリババに出資したのは2000年のこと。どうやって金の卵を生むニワトリを見つけたか、孫正義・ソフトバンク社長は次のように語っている。

「2000年に中国に行き、インターネットの若い会社20社ほどと10分ずつ会いました。その中に出資を即決即断した会社があった。それがアリババで、創業者のジャック・マー(外部リンク)に最初の5分だけ話を聞いて、残りの時間は私の方から出資をさせてほしいと。彼は『じゃあ1億か2億円なら』と。僕は『20億円受け取ってほしい』と。『お金は邪魔にならないだろ』という押し問答を繰り返して、出資に至った」(5月の決算発表会見で)

14年たって、その20億円は4000倍の価値を持つまでになった。

リーマンショックの直後(08年)、ソフトバンクの経営危機説が流れた。その2年前のボーダフォン(現ソフトバンクモバイル)買収で生じた2兆円超の多額な借金によって、身動きが取れなくなるのではと危惧されたのだ。

そこで孫社長は08年秋、「14年までに借金を返済し終える。それまでは大きなM&Aは行わない。返済後もキャッシュフローの範囲内での投資に収める。これは僕の人生プランの中でも大きなコミットメントだ」と宣言せざるを得なくなった。

しかしその4年後、孫氏は今度は米携帯業界3位のスプリント・ネクステル(現スプリント)買収に踏み切る。

スプリントの契約者数は5600万人を超え、ソフトバンクの4000万加入者を上回る。言わば小が大を飲む合併だ。この時までソフトバンクは必死になって借金を返し続けてきたが、スプリント買収費の216億ドルが加わり、再び大借金を背負ってしまった。

それでもこの段階ではアリババの上場が視野に入っており、それが多額の含み益を生むことも確実視されていたため、今度は経営危機説が浮かぶことはなかった。アベノミクスの追い風があったとはいえ、スプリント買収表明からの1年で、ソフトバンクの株価は3倍近くに伸びている。

逆に言えば、アリババの存在がなければソフトバンクはスプリント買収を決断できなかったかもしれない。あるいは決断したとしても、市場はその借金の多さに対してノーを突きつけたかもしれない。よくぞアリババに目をつけたものだ。

その理由はこうだ。

「20名くらい会ったなかで、ジャック・マーが、圧倒的に伸びる予感を与えてくれた。別に数字を見せてもらったわけじゃない。プレゼンの資料があったわけでもない。言葉のやりとりと、目のやりとりだったわけですが、やっぱり彼の目つきですね」

孫氏とマーCEOは非常に似たタイプだという。孫氏は、マー氏の中に自分と似た匂いを感じたとも語っている。

「やっぱり匂いを感じるってあるんですよ、不思議に」

ヤフーとアリババの共通項

これと同じような話をかつて聞いたことがある。1995年にヤフーに出資した時のことだ。

孫氏はヤフー創業者のジェリー・ヤン氏らに会い、その構想を聞いた段階で2億円の出資を決めている。

翌年、ソフトバンクはさらに100億円を出資し、持ち株比率は35%となる。孫氏が言うには「ヤンはそんなにいらないと言ってきたけれど、何が何でも受け取ってくれ。もし出資させないというのなら、このお金をライバル企業に投資する、と脅して受け取ってもらった」。その後、ヤフーが上場したことで、ソフトバンクはやはり兆円単位の含み益を得た。

国内携帯ではソフトバンクは常に主役の座にいる(iPhone6の発売日)。

2000年代に入るとインターネットバブルが破裂。ソフトバンクの投資先にも経営破綻するところが相次いだ。その一方で、ソフトバンクは2001年にADSL事業であるヤフーBBを開始(運営会社はソフトバンクBB)。04年には長距離固定電話の日本テレコムを買収(06年にソフトバンクテレコムに社名変更)。そして06年、ボーダフォンを買収して携帯電話事業に参入した(現ソフトバンクモバイル)。

経営資源をインフラ事業に絞り込んだのだ。しかしヤフーBBでは顧客獲得を最優先するため無料で端末を配布したためそのコストがかさみ、3年間にわたり1000億円の赤字を垂れ流している。この赤字を補填するために、ソフトバンクは毎年のようにヤフー株を売却し続けた。ヤフーによってソフトバンクは糊口をしのいだ。

孫氏のアリババやヤフーとの邂逅を、単なる「強運」と片付けることはできるかもしれない。しかし「チャンスの女神に後ろ髪はない」との言葉もある。常に情報を集め、これからの社会の変化を予見し、そして何より事業に対する強い思いがあったからこそ、「匂い」を感じることができたのだろう。

同時に、孫氏自身が強い匂いを発し続けていることもまた間違いない。次稿以降に登場する社員たちの多くも、孫氏の匂いに魅了され、磁力に引き付けられた人たちだ。

そしてこの社員たちの存在が、ソフトバンクの拡大路線に拍車をかけることになった。

自転車操業こそソフトバンク

2014年10月14日、ソフトバンクはアメリカで動画の制作・インターネット配信を手がけるドラマフィーバーを買収すると発表した。その10日ほど前には、今年、日本でもヒットした映画『GODZILLA(ゴジラ)』を制作したレジェンダリー・ピクチャーズへの出資を決めている。さらには、『シュレック』や『マダガスカル』などの映画でおなじみの、ドリームワークス・アニメーションの買収を検討しているとのニュースが流れている。

M&Aだけではない。それぞれ別稿で取り上げているが、エネルギー事業やロボット事業など、これまでまったく踏み込んでいなかった事業領域にまでソフトバンクは足を踏み入れた。

まさに攻勢に次ぐ攻勢ある。前述のように、リーマンショック後、ソフトバンクは大規模な投資を自粛していた。これは金融機関に対する配慮もあっただろうが、同時に孫氏自身が「事業の完成」に向け舵を切ったことが大きい。

孫氏は若い頃に人生50年計画を立てているが、それは50代で事業を完成させ、60代で後進に引き継ぐ計画だった。そして借金を返済することで事業の完成と位置付けたのだ。

しかしそれから間もなく、その考えを見直している。

きっかけは、2000年に発表した「新30年ビジョン」だった。ソフトバンク誕生から30年を迎えたのをきっかけに、次の30年のビジョンを掲げたもの。

このビジョンを策定するにあたり、孫氏は社員から意見を集めた。その上で出てきたのが「情報革命で人々を幸せに」という経営理念であり、「300年後も成長を続ける企業グループ」であり、「30年後に時価総額世界一」という目標だった。

「新30年ビジョンをまとめることで、ソフトバンクが何の会社であるか、再認識することができた」(青野史寛執行役員人事部長)

同時にはっきりしたのが、社員全員が、ソフトバンクが立ち止まることを良しとしないと考えていることだった。

今回取材した社員の中には「落ち着いたソフトバンクになったら辞めたほうがいい」と言い切った人もいた。かつて「自転車操業を抜け出すにはどうしたらいいか」と聞いた社員に対し、孫氏は「もっと早くこげばいい」と言ったというが、新30年ビジョンは、これからもソフトバンクが自転車操業であり続けることの宣言なのかもしれない。

次から次へとM&Aを仕掛けるいまの姿は、1990年代後半のソフトバンクを彷彿させる。当時、孫正義社長は、毎週のように記者会見を開いていた。内容は決まって、アメリカのインターネット企業を買収したというもの。こういう会見を開くごとにソフトバンクの時価総額は膨らみ、次の買収を可能にした。当時、ソフトバンクのこうした手法は「発表会経営」と呼ばれていた。

しかし当時といまでは大きく違うことがある。当時の孫氏は、買収・出資した企業の経営にはあまり関与しなかった。そのため「孫正義は事業家ではなく投資家だ」と揶揄されたこともある。しかし2000年代に入り、孫氏はADSL事業を立ち上げ、日本テレコム、ボーダフォンを相次いで買収、3社とも軌道に乗せている。事業家としても実績を残した。

この経験は大きい。「シナリオを描いて動き、うまくいかなければ軌道修正する」というソフトバンクスタイルが社員の間にも広まっていった。

もともと孫氏は「7割の確率だったら勝負する」という考え方を持つ。7割あったらとりあえずチャレンジし、走りながら考える。そして恐らく7割の確率が想定できる事業領域は、15年前といまでは大きく違っているはずだ。アリババの巨額の含み益もある。次にどんな事業に手を出すのだろうか。

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周囲を笑顔にするロボット

2014年6月5日、ソフトバンクは記者発表会を開いた。檀上には孫正義社長とともに、同社が開発した「Pepper(ペッパー)」の姿があった。今後ソフトバンクがロボット事業を展開するという意思表明と、ペッパーのお披露目の場となった。

遡ること4年。2010年6月、孫社長は株主総会後に「新30年ビジョン」の発表会を開いた。ソフトバンクの創業は1981年であるため、30年目を迎えた節目に、次なる30年の理念やビジョンや戦略を発表するためのイベントだった。

発表内容は、孫氏自ら「人生最後の大ボラ」と言うほど壮大なもので、まず300年後を描いたうえで、その道程の中で30年後を予見するというものだった。別稿にソフトバンクビジョンのひとつとして「逆算するのは楽しい」というのがあるが、まさにそのやり方だった。

孫氏が描いた300年後の姿は、多種多様なロボットが誕生し、知的ロボットと人間が共存する社会だった。今回のペッパーの発表は、そこに向かってソフトバンクが第一歩を踏み出したことを示している。

日本企業が開発した人型ロボットには、ホンダの二足歩行ロボット「アシモ」や村田製作所の自転車に乗る「ムラタセイサク君」などがあるが、いずれもデモンストレーション用であり市販はされていない。

しかしソフトバンクはロボット事業を利益を生むビジネスとして位置づけており、ペッパーも社内イベントに活用するだけでなく、来年2月には1台19万8000円で販売することが決まっている。

「ロボット事業は将来、コア事業に発展する可能性を秘めたビジネスです」

と語るのは、ロボット事業を展開するソフトバンクロボティクス社長の冨澤文秀氏だ。

冨澤氏は2000年にNTTからソフトバンクに転じたのち、SOHO向けブロードバンド(BB)サービスやプリペイド携帯などの責任者などを務め、ソーラー発電や、ウィルコムやEモバイル(ともに現Yモバイル)など新しいプロジェクトの多くと関わってきた。

前述のように、このビジネスはもともと孫社長がイメージしていたものだ。新30年ビジョンを発表した翌年には、ペッパーの開発を担当したフランスのアルデバン・ロボティクス社に出資している。それをきっかけにロボット事業は具体化に向け動き始める。冨澤氏はその初期の段階から、他部門を兼務しながらロボット事業に参加してきた。

デザインをどうするか、機能をどうするか。すべてが試行錯誤の連続だった。

「最初は『スターウォーズ』のR2-D2のような顔もないようなタイプはどうかという議論もありました。でもやはりヒューマノイド(人型ロボット)でいくべきだと考え、かわいくて、男女どちらかわからないような現在のデザインになったのです」(冨澤氏)

開発が始まってすぐの12年初頭には、すでに現在の形に近いプロトデザインが完成していたという。

問題は、どういう機能を持たせるかだった。ロボット技術はまだまだ発展途上。搭載する機能には限度がある。取捨選択が必要だった。

「我々が選んだのは、コミュニケーションロボットに特化し、人を楽しませる、ということでした。人々の中に入って周囲を笑顔にする」(同)

ペッパーは二足歩行ではないため、アシモのように走ることはできない。また手を自由に動かすことはできるが、小さな物をつかめるほど器用ではない。そのかわり相手の感情を認識し、当意即妙の会話をすることができる。開発に際して、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに参加してもらったのも、「楽しませる」ことを考えたためだ。

こうしてペッパーは出来上がった。

1000台単位の予約も

ペッパーはすでに、ソフトバンクショップを中心に50台以上が「働き」始めているという。人気も抜群で、ペッパーがいると集客が1.5倍になったという。

来年2月からは市販が開始されるが、チェーン展開をしているある企業から、すでに1000台単位の予約が入るなど、引き合いは非常に多い。また、9月に開かれた開発者向けのイベントには1000人以上が参加し700台もの予約が入ったという。

こうした状況を聞くと、ソフトバンクのロボット事業の滑り出しは順調のように思えるが、8月1日にソフトバンクロボティクスが設立されると同時に社長に就任、この事業に専念することになった冨澤氏は、「まだまだこれからです」と気を引き締める。

それも当然だろう。現在の人気の根底には、たった19万8000円でコミュニケーションできる人型ロボットが買えるという「激安感」がある。

そしてどう考えても、ペッパーをその価格で売って利益が出るはずもない。むしろ売れば売るほど、赤字が膨らむのが実情だ。

冒頭に記したように、ソフトバンクはあくまでビジネスとしてロボット事業を手掛けている。「ロボットによってみんなが笑顔になるなら赤字でもかまわない」という慈善事業ではない。しかし量産型人型ロボットビジネスなど、世界で誰もやったことがない。ソフトバンクはパイオニアとして市場を開拓していかなければならない。

ビジネス化の大役はソフトバンクロボティクス・冨澤文秀社長に委ねられた。

「でも、プロダクトとサービスが違うだけで、ビジネスにそれほど違いはないと考えています。ペッパーはロボットですが、実を言うと、物理的に動くタブレットです。ですからペッパーはプラットホーム。この上でアプリが動くことによって、様々な機能を持たせることができます。そしてそのアプリによって収益をあげるというビジネスモデルです」

と冨澤氏は言う。

かつて任天堂が得意としたゲームビジネスも、現在時価総額世界一のアップルも、収益の多くはハードの販売収入ではなく、そのプラットホームの上で動くソフトやアプリがもたらしている。ペッパーのビジネスもそれと同じだというのだ。

そう考えると、ソフトバンクがロボットビジネスを手掛ける意味もわかってくる。

ソフトバンクの事業の中心はデジタル情報革命におけるインフラ事業である。つまりペッパーはロボットであると同時にインフラであり、その意味でソフトバンクの事業領域と完全に重なっている。だからこそ余計に、ソフトバンクはこの分野で失敗することは許されない。

「より多くの人に参加していただくことで、我々の発想にはない活用法も生まれてくるはずです。それによってペッパーは、より身近なものになる。ですから、我々は先駆者ですが、我々だけでは成り立たない。一緒にやってくれる仲間がいることで成長していくことができるのです」(冨澤氏)

後年、2014年が“ロボット元年”と呼ばれることになるかどうかは、ペッパーが成功するかどうかにかかっている。

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電力事業は情報ビジネス

10月16日、北海道白老町にソーラー発電所が営業運転を開始した。出力規模は2600キロワットで、一般家庭700世帯以上分の電力をこの発電所によってまかなえる。

運営するのはソフトバンクの子会社、ソフトバンクエナジー。同社にとってこれが12カ所目のソーラー発電所で、その出力規模は合わせて9万キロワットを超える。また来年には3カ所、15万キロワット以上のソーラー発電所を誕生させる計画だ。

2011年3月11日の東日本大震災によって起こった東京電力福島第一発電所の事故により、日本のエネルギー政策は大転換を迫られた。原発への信頼感が失われ、震災から3年半たったいまでも、国内のすべての原発の運転が止まっている。

その代わりに雨後の筍のように日本国内に誕生したのがメガソーラー発電所だ。あまりにも急速に増え続けたために、最近では電力会社が買い取りを拒否する事態を招いているのはご承知のとおりだが、それはともかく、このメガソーラー発電ブームの引き金を引いたのがソフトバンクの孫正義社長だった。

震災間もない時期に孫社長は、日本は脱原発を目指すべきだとし、そのために再生可能エネルギーを増やさなければならないと、自らメガソーラー発電などに進出することを明らかにした。同時に孫氏は政府に対し、再生可能エネルギーの高値での買い取りを訴えた。

こうした孫氏の発言に対しては批判もあった。脱原発という国民のコンセンサスを得やすい主張をしながらも、結局は自らがメガソーラー事業によって利益を得ようとしているのではないか。利益のために政策を動かそうというのは政商以外の何ものでもない、というわけだ。

しかし孫氏にしてみれば「誰かがリスクを取って事業化せねば、前に進まない」という思いがあった。そこで孫氏は「メガソーラー事業からの報酬は一切受け取らない」と政商論争を封じ込めたうえで、当時の民主党政権に1キロワット時42円での買い取りを認めさせる。そして着々とメガソーラー発電所建設に向け動き始めた。この動きに触発され他業種、他業界からも参入が相次いだ。孫氏が目論んだように、事態は前に進み始めたのだ。

このように、ソフトバンクのエネルギー事業は、最初は孫社長の義憤と、日本の将来を憂える思いから始まったのだが、「実はソフトバンクの事業のど真ん中にあるんです」と語るのは、ソフトバンク社長室長で、ソフトバンクエナジー副社長を兼務する三輪茂基氏だ。

三井物産から転じた三輪茂基社長室長。

「電気というのはインフラであると同時に情報そのものです。ソフトバンクの事業は情報インフラを提供することですから、本業そのものと言うことができるのです」

三輪氏は11年まで三井物産で資源エネルギー部門を歩んできたエネルギーのプロである。そのプロの目から見ても、ソフトバンクがエネルギー事業を手掛けることに全く違和感はなかったという。

「孫もよく言っていることですが、電力がなければコンピュータはただの箱です。ソフトバンクが目指す情報革命に電力は不可欠です。さらに、これからのIT企業あるいは通信企業を制するのは、コンテンツなのか規模の利益なのか、という議論があります。でも同時に、安定的に競争力ある電気をいかにうまく調達できるかが、競争の源泉になるのではないかと思います」

すでにソフトバンクのエネルギー事業は、同社にとって収益を目指す本格的なビジネスとして位置づけられているのだ。

「電力会社のような大手には大手の使命と立場があるし、我々には我々の使命と立場がある。ソフトバンクとして絶対にはずしてはいけないのが、クリーンでグリーンなエネルギーにこだわるということです。そして大規模集中ではなく分散型。これはコンピュータの歴史とも同じで、大型汎用機がパソコンとなり、さらにいまではクラウドになっている。それに重なります。しかもソフトバンクは顧客との接点を持っている。これを活用することで新たな可能性も生まれてくる」

モンゴルで風力発電

ただし、再生可能エネルギーの限界も見えてきた。ソーラー発電なら太陽頼み、風力発電なら風頼みだ。出力も安定しないし、それが電力会社側の買い取り拒否の理由の一端にもなっている。

それを補完する意味もあって、ソフトバンクが最近始めたのが、燃料電池事業だ。これは、アメリカのブルーム・エナジー社と折半で設立されたブルーム・エナジー・ジャパン(BEG)が担当。三輪氏はBEG社長も兼務する。

「12年の年末にシリコンバレーにいた孫から短いメールがきたのがきっかけです」

メールには「天然ガスを利用したクリーンな発電システム。日本でも検討を」とあった。

燃料電池は天然ガスなどから水素を取り出し、空気中の酸素と化学反応させることで高効率で発電するシステム。

日本には家庭用の「エネファーム」など、小規模の燃料電池はあるが、産業・業務向けはほとんどなかった。しかし再生エネルギーを補完する意味でも、またバックアップ電源としても有効で、アメリカでは多くの企業が導入している。

BEGでは現在、日本の企業や官公庁に導入を働きかけており、今年6月には、ソフトバンクが入居する東京・汐留ビルディングや、慶応大学の湘南藤沢キャンパス(神奈川県)で運転を開始した。

いまのところ、発電コストは通常の電力料金より割高であり、それが燃料電池発電導入のネックになっている。

「3年後くらいから、シェールガスが輸入されるようになるためガス料金が下がります。また、いまは家庭用燃料電池には補助金が出ていますが、その頃には産業・業務用にも支援が始まるはずです。また機器代は今後、量産効果で安くなる。しかも電力料金は今後も上がっていくことを考えると、17年頃になると環境が大きく変わる。その時に備えて構えをつくり、実績を残しておく必要があります」

このように、将来を想定してシナリオをつくり、仕掛けて待つのが、ソフトバンクのビジネス手法である。シナリオどおりにいけばよし。もし違ったらそこで軌道修正する。とにかくまずは動いてみて、トライ&エラーを繰り返していく。

ソフトバンクは、日本から3000キロ離れたモンゴル南部のゴビ砂漠に、東京都より広い2200平方キロの土地を確保。この地域は強風が安定的に吹くため、ここに風力発電施設を建設し、発電した電力を日本だけでなく中国、韓国などにも供給する「アジアスーパーグリッド構想」を描いている。

孫氏の義憤から始まったエネルギー事業だが、そのスケールはどんどん大きくなっている。

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世界最大の調達額

2014年9月19日にニューヨーク市場に上場したアリババ・グループ・ホールディング。IPO規模が218億ドル(約2兆3800億円)と、米国史上最大となったことで、世界中の注目を集めた。22日には株式の追加売り出しを実施、最終的に上場の調達額は250億ドル(約2兆7000億円)に達し、米国だけでなく世界でも史上最大の調達額になった。これでアリババの時価総額は25兆円。トヨタの22兆円を上回った。

19日の終値は公開価格より約38%高い93.89ドルまで上場したことからも、投資家から人気の高い銘柄だったことがわかる。

このIPOで一躍注目を集めたのがソフトバンクであり、孫正義氏だ。アリババの筆頭株主はソフトバンクで、IPO後も32.4%の株式を保持している。ソフトバンクが持つアリババ株の時価総額は700億ドルをはるかに上回り、日本円で約8兆円に達した。2000年にソフトバンクがアリババに出資した金額は20億円だったことから、4000倍に膨れ上がったことになる。これを受けて株価も終値で8740円まで上昇。孫氏の個人資産も一時は世界長者番付の上位争いに加わるところまで急上昇した(その後、株価は7000円台で推移)。

日本からでも、米国株を取り扱う証券会社ならアリババ株を買えるため、熱狂した投資家は多かったかもしれない。しかし、はたしてアリババとはどういう企業なのか、意外に知られていないのが実情ではないか。Eコマースのビジネスをしていることから「楽天のような会社」と日本では言われがちだが、実情はかなり異なる。

中国・アジアのITビジネスに詳しいIT経営者は、アリババグループについて次のように語る。

「アリババグループのなかでも、いわゆる“主役”が変化しています。もともとのアリババの事業は、事業者と事業者を繋ぐBtoBのビジネスでした。これは現在、アリババジャパンのビジネスをみるとイメージしやすい。現在はタオバオが収益を稼いでいますが、タオバオは楽天というよりも、ヤフー・ショッピングとヤフー・オークションを足したようなビジネスで、CtoCに一部BtoCが入ったもの。アリババグループで楽天に相当するビジネスは天猫TモールというBtoCのサービスです。この2つのほかに、厳密にはアリババグループではないが、アリペイという決済ビジネスの会社があります(経営者はアリババのCEOであるジャック・マー氏。アリババとの資本関係は11年に解消している)」

企業間取引サイトのアリババドットコムは、中国国内向けサイトと国際サイトに分かれており、国際サイトは190カ国3670万ユーザーが利用しているという。アリババジャパンをはじめ、世界70カ国以上に現地法人を置き、世界のバイヤーとサプライヤーを繋ぐ役割を果たす。

アリババグループの現在の稼ぎ頭と言えるのが、やはりEC事業。

主にCtoCのビジネスであるタオバオは出店料が無料ということもあり、個人から怪しい事業者まで出店者は様々だが、タオバオで買えないものはないというほど品揃えは豊富。10億点近い掲載商品に対し、約5億人が会員となって買い物をする。12年に年間流通総額が1兆元を突破し、いまだ右肩上がりの成長を続けている。現在ヤフージャパンが目指しているのが、このタオバオのスタイル。出店料を無料にすることで、幅広く出店者・商品数を集めようという手法だ。

対してBtoCのショッピングモールである天猫Tモールは、中国国内で登記された法人格でなければ出店できないサイト。そして出店には保証金、技術サポート費用がかかり、さらに売り上げから販売手数料も納めなければならない。

そもそも中国のEC自体がCtoCからスタートしたのだが、近年、BtoCのモールが急成長している。その理由としては、タオバオは商品点数こそ多いものの、いわゆるニセモノも多く含まれており、詐欺まがいの業者も相当数存在する。それに対し、天猫Tモールは積極的に外資の有名ブランドに出店させ、ホンモノの商品が届けられる信頼性を売りにしている。

中国のEC市場のシェアは09年までBtoCが10%以下だったが、13年には約30%にまで伸び、16年には50%に達すると予測されている。これはアリババグループが脱タオバオを明確に打ち出し、富裕層に対して高級感と信頼性を天猫Tモールで提供しはじめた結果でもある。ちなみに、天猫Tモールの13年度の流通総額は8兆円を超えた。これは楽天の流通総額約1兆7000億円の約5倍の規模。もはや日本企業が太刀打ちできるレベルではなくなっている。

「アリババはBtoB、CtoC、BtoCの3つの世界的な規模のビジネスを持ち、広義のグループ内に金融ビジネスを持っている。これに加え、アクセスが集中してもダウンしないインフラや広告テクノロジー分野で新しいビジネスを生み出す高い技術力もある。最近は、まだ規模は小さいがゲーム事業もスタートさせた。今回のIPOで得た資金のうち1兆7000億円を物流網の整備に使うそうだから、また大きなビジネスが生まれるかもしれない」(前述のIT経営者)

将来性への期待感

アリババの収益のほとんどが中国国内のビジネスであるにもかかわらず、なぜ世界の投資家は熱狂的にアリババのIPOに飛びついたのか。その理由の1つが、圧倒的な規模を持ちながら、さらなる将来の成長への期待感が高いことだ。

アリババグループの業績推移をみると、売上高は10年67億元、11年119億元、12年200億元、13年345億元、14年予想525億元と、毎年2倍近い成長率を残してきた。特にその利益率は年々高まっており、14年は営業利益250億元と、5割近い営業利益率になるという。

中国の13年の人口は約13億人だが、いわゆるインターネット利用者数は約6億人。まだ50%にも満たない。日本が人口約1億2000万人でネット利用者数が1億44万人であることから、中国のネットユーザーは倍に増えてもおかしくはない。そのマーケットシェアの7割以上を持っているのがアリババだ。

さらにECを利用するユーザーの割合はまだまだ増えると思われることから、当面、高い成長率が維持されることが予想される。加えて周辺ビジネスや、アジア等の海外展開が加われば、爆発的に成長する可能性を秘めている。

また、数字以上にアリババの魅力を高めているのがジャック・マー(馬雲)氏の存在だ。

「ジャック・マーは非常にカリスマ性の高い経営者です。創業メンバー等に話を聞いても、アリババの社員は崇拝とまではいかなくても心酔している。彼はもともと英語教師で、ネットに詳しいわけでもなく、エンジニアでもなかった。とにかく人の心を掴むのに優れているそうです。講演を聴いても、夢やビジョンを、大きなスケールで語る。ポジティブな意味での“ホラ吹き”という印象でした。ビジョンを掲げ、そのためのチーム作りに長けている。

日本で言えば、孫正義さんや南場智子さん(DeNA創業者)が、近い存在でしょうね」(前述のIT経営者)

これまでは孫氏が出資者、先輩経営者としてマー氏を助けることが多かった。しかし、マー氏が取締役会の承認を得ることなく11年にアリペイをグループから分離させたことで米ヤフーと揉めるなど、マー氏は決して従順な経営者ではない。アメリカでIPOを果たし、世界進出の足掛かりを確固たるものにしたことで、孫氏とマー氏は〝化かしあい〟のフェーズに入ったとも言える。

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マイナスからのスタート

「ソフトバンクの携帯はつながりにくい」

これが、ほんの少し前までの「常識」だった。「ゴルフ場でまったくつながらない」「ビル密集地で電話が使えない」……。ドコモやauの利用者が当たり前に電話しているのに、ソフトバンク利用者だけが使えない、という状況も珍しいことではなかった。

理由は2つあった。

1つ目の理由は、スタート時点に遡る。ソフトバンクの現在の携帯事業は、2006年にボーダフォンを買収することで始まった。ところが、ボーダフォンは最後の数年間、日本国内での投資を満足に行わなかったため、ネットワークだけでなく、携帯端末などについても、他社に見劣りしていた。

そこでソフトバンクの孫正義社長は、(1)料金(2)携帯端末(3)ネットワークの3分野で改善することをコミットメントして、携帯電話事業に取り組んでいった。

ソフトバンクが携帯に参入した半年後には、携帯会社を換えても電話番号を変えずにすむMNPが始まることになっていた。このままではソフトバンクは草刈り場になる。それを防ぐためにも、これまでと大きく変わると思わせることが必要だった。

料金は、基本料金を従来の半額近くに引き下げたホワイトプランが人気を呼び、さらにこれに家族割引が加わったことで、07年5月に純増数1位を記録した。

端末についても、ソフトバンクとなって以降、ラインナップを増やし、さらには08年にiPhoneを独占販売することで、むしろ他社より優位に立った。

残るはネットワークである。

ネットワークのプロ、関和智弘・モバイルネットワーク企画本部長。

「ボーダフォン時代は満足な投資ができなかった。ソフトバンクになって、お客様の実感できるサービスということで、ネットワーク投資が始まり、『電波改善宣言』以降、それが実現しました」

と語るのは、ソフトバンクモバイル、モバイルネットワーク企画本部長の関和智弘氏だ。

1992年にボーダフォンのさらに前身になる東京デジタルホンに入社。以来一貫してネットワーク事業に関わってきた。ソフトバンクのネットワークのすべてを知るのが関和氏だ。

関和氏の言う「電波改善宣言」とは、2010年に発表されたもの。ソフトバンクはボーダフォン買収後1年あまりで基地局を倍増しているが、それでもまだ、ソフトバンクのつながりにくさへの不満は大きかった。そこで、1年間でさらに基地局を倍増、10万局に拡大することで電波状況を劇的に改善する、と宣言したのだ。

倍増と言葉で言うのは簡単だが、実際の現場は大変だった。建設場所や資材の確保、人材の手当て……戦いのような日々が続いた。でも、投資するとなったら、人・物・金のすべてを大胆に投じることができるのがソフトバンクの強みである。その設備投資額はピーク時には7000億円に達した。こうして、ソフトバンクの「電波空白地域」は急速に小さくなっていった。

「つながらない」理由の2つ目は、ソフトバンクのネットワークの電波周波数の問題だ。

ソフトバンクの携帯電話の周波数は1.7ギガヘルツ。これに対してドコモやauの主力は800ギガヘルツだった。周波数が高くなればなるほど直進性が高まる。そのためビルの密集地などでは高周波の電波はビル陰に回り込めないので、電話がつながらないという状況が生まれてしまう。これはいくら基地局を増やしたところで解決がむずかしい問題だった。

しかし2012年、ソフトバンクは900ギガヘルツの電波を獲得する。テレビCMでさかんに訴えていた「プラチナバンド」である。これによりソフトバンクの電話状況は一気に改善した。そして、それを最大限活かそうとするのもソフトバンクらしいところである。

13年1月31日。この日、ソフトバンクの第33四半期決算発表会が開かれた。この席で孫社長は、「ソフトバンクがつながりやすさでナンバーワンとなった」と高らかに宣言した。第三者機関の調査で、ドコモ、auを上回ったというのだ。

トップは譲らない

「電波改善宣言以来、積極的に基地局建設などの設備投資を行ってきましたが、その段階から、プラチナバンドを獲得できた時に備えての準備を進めてきた。だからこそ、プラチナバンドが上乗せされた段階で、つながりやすさが一気に高まったのです」(関和氏)

11年秋にはauからiPhoneが発売され、ソフトバンクの独占体制は終わりを告げる。端末の優位性は失われた。料金についても、ドコモも含め、ほとんど変わらなくなっている。そういう状況で、ソフトバンクが打ち出したのが、つながりやすさだった。つながりにくさがソフトバンクの代名詞だったのを逆手に取った作戦だった。

ソフトバンクは、自らの強みを徹底的にアピールする。ある時は料金だったり、ある時は端末だったりする。そして他社がその分野で追いつくと、従来とはまったく違う切り口で、さらなる優位性を訴える。つながりやすさの訴求は、その典型的な手法である。

ただしソフトバンクのすごさは、その後にある。一度トップを奪ったものは、その座を絶対に譲らない。

ソフトバンクがつながりやすさナンバーワンを訴えて以降、ドコモとauもネットワークに力を入れるようになった。

それでも、孫社長からは「常に1位を守れ。それも他社を寄せ付けないダントツを目指せと言われています」(関和氏)

しかしいまでは3社間の差はほとんどないのが現実だ。その中でどうやって差異化していくのか。

「駅周辺など、人の多いところでは、数字の上では通信速度が速くても、実際使ってみると時間帯などによってはそのスピードを実感できないところがあります。まずは乗降客の多い主要1000駅を対象に、改善をはかっています。もちろん駅だけでなく、様々な地点でデータを見ながら、つながりやすさが体感できるよう、改善を繰り返しています」

ソフトバンクでは、携帯アプリなどを利用した膨大なデータをもとに、電波状況を把握している。最近では他社も追随するが、解析力で他社を上回る。ソフトバンクは通信会社である前にインターネット会社である。それだけに、ネットを利用した情報収集・分析・解析はお手のもの。それがネットワーク改善にも活かされている。

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価格勝負に挑む

iPhone6が発売される前日の2014年9月18日10時、ソフトバンクは東京・汐留の本社で記者会見を開いた。

会見に臨んだ宮内謙副社長兼COOがこの場で発表したのが、iPhone6を対象にした「アメリカ放題」というサービスだ。

ソフトバンクは今年春から「スマ放題」というサービスを開始している。これは毎月定額でスマートフォンの電話がかけ放題、パケットし放題(上限あり)になるというもの。このサービスを、アメリカ(ハワイを含み、アラスカを除く)でも使えるようにしようというもの。現在ソフトバンクユーザーがアメリカから日本に電話すると1分140円、アメリカ国内にかけると同125円、また着信を受けても同175円の料金がかかる。またウェブを利用する場合、「海外パケットし放題」のサービスを使っても、1日2980円が必要だ。

「アメリカ放題」を利用すると、これらがすべて無料になる。アメリカに駐在している人はもちろん、日本からアメリカへ渡航する年間200万人超の旅行者にとっても非常にありがたいサービスだ。

「スマ放題」と同じようなサービスは、ドコモもauも行っている。料金もほとんど変わらない。しかし「アメリカ放題」に限っては、他の2社は追随のしようがない。

ソフトバンクだけが「アメリカ放題」を展開できるのは、昨年、米携帯会社のスプリント・ネクステル(現スプリント)を買収したためだ。

スプリントは、米国市場においてベライゾン、AT&Tに次いで第3位に位置している。しかし上位2社とは大きく離れているだけでなく、加入者減と赤字決算が続くという惨憺たる状況だった。

しかし孫正義・ソフトバンク社長にしてみれば、臆するところは何もなかった。というのも、「ソフトバンクが買収した時のボーダフォンと同じ状況だ。ソフトバンクはこれまで、日本テレコム(長距離固定電話、現ソフトバンクテレコム)、ボーダフォン、ウィルコム(PHS、現Yモバイル)の3社をいずれも再建してきた。その経験を活かすことができる」(孫社長)ためだ。

買収の意向を表明したのが一昨年10月のこと。その後、米連邦通信委員会の承認を得て昨年7月に買収手続きを終えた。以来、孫氏はスプリント再建に多大なエネルギーと時間をかけてきた。

日米間を往復しながら、まずはスプリントの通信ネットワークの整備に力を入れた。前稿にもあるように、ボーダフォンを買収した時もまずやったのがネットワークの整備だった。スプリントでも同様のやり方で、この1年間で音声接続率、LTE接続率、パケット接続率ともに大幅に改善、上位2社と遜色のないレベルにまでなったという。

またソフトバンク傘下となったことでコスト低減効果も出てきており、「コンスタントに利益が出るようになった」(孫社長)。しかし、加入者数は今年8月の時点ではまだ減り続けていた。

ただ当時、孫氏は次のように語り、今後の戦略に自信をのぞかせていた。

「これまではネットワークが改善するまで、自信を持って勧めることができなかった。ネットワークが改善したこれから、本格的に営業攻勢をかける」

営業攻勢の内容が明らかになったのは、孫氏の発言から10日ほどたってからのことだった。

スプリントが打ち出したのは、月額60ドルで制限なしにデータ通信および通話ができるプランで、これはライバル通信会社より20ドル安いという。つまり、日本でいう「スマ放題」の料金を、他社の4分の3で提供するというものだ。さらに、20ギガまでのデータ通信を、最大10回線まで100ドルで利用できる家族向けプランも発表した。

また、9月に入ると、「生涯iPhone」というiPhone6向けプランも公表した。これはiPhone6を、購入するのではなく2年間リース契約を結び、2年後には新しい携帯電話を無料で手に入れることができるというものだ。このプランを利用すると、電話機代と通信費を合わせ、上位2社より2年間で1000ドル以上も安くなるというアナリストの指摘もある。

ネットワークの次は価格で勝負をかけてきた。

ブライトスターの存在感

この攻勢の陰には、昨年買収した、スプリントとは別の米国企業の存在がある。

ソフトバンクは昨年10月、携帯電話端末卸売の大手ブライトスター(外部リンク)を12億6000万ドルで買収した。ソフトバンクは一定の携帯電話端末やアクセサリーなどについて、独占供給を受けるという契約も同時に結んでいる。

ブライトスターを買収したことによって、ソフトバンクは携帯端末メーカーとの価格交渉を優位に進められるようになる。さらにはブライトスターは新興国にも販路を持っている。新興国では、先進国で使用した中古端末が人気となっており、ソフトバンクおよびスプリントの顧客から買い取った中古端末は、ブライトスターを通じて新興国に流れていく。

そこに目をつけたのがスプリントの「生涯iPhone」だ。2年後に現在使用されているiPhoneを引き取らなければならないが、中古端末の販路が確立しているため、安心して引き取れる。ブライトスターあってのプランである。

ブライトスター買収によって、もうひとつ手に入れたのが、同社創業者でCEOのマルセロ・クラウレ氏(外部リンク)だ。

クラウレ氏は携帯市場を知り尽くしているうえに販売力がある。孫社長が「ストリートファイターそのもの。顔も山賊のようだ。喧嘩をしたら強そうだし、ソフトバンクと文化が似ている」と評価する人材だ。

孫氏はスプリントが反転攻勢に移るタイミングで、同社のCEOにクラウレ氏を据えている。“ソフトバンクの文化と似ている”クラウレ氏を通じて、ソフトバンク流を一気に根付かせたいという狙いもそこにはある。

ソフトバンクのある幹部が、「孫さんが神様に愛されていると思うのは、何かやろうとした時、その時代を体現する仲間や部下が呼び寄せられてくること」と語っていたが、クラウレ氏もそのひとりなのかもしれない。

もちろん、スプリントの再建は緒についたばかりであり、“ボーダフォンの再現”とするにはいくつもの難関があるはずだ。しかしスプリントはソフトバンク本体にも大きな刺激となっている。

別稿にもあるが、孫社長は2000年に「新30年ビジョン」を発表したが、その中で「時価総額世界一企業」になることもうたっている。世界一になるには米国市場攻略は避けて通れない。スプリントを買収したことによって、その道筋が見えてきた。

実際、あらゆる事業が、米国展開に向け動き始めたという。次に登場する、法人営業統括の今井康之氏も、「日本でやってきた法人営業を米国でも展開していく」と意欲を前面に押し出している。スプリントによってソフトバンクのグローバル化は一気に進んだと言っていい。

日本のソフトバンクユーザーにとっても、冒頭で紹介した「アメリカ放題」のようなスプリント効果が出てきている。ソフトバンクのスプリント買収額は最終的に216億ドルとなった。ユーザーの中には、「それだけの資金を投じるのなら携帯電話料金を安くしてほしい」という声もあった。「アメリカ放題」は、そうしたユーザーの声に対するソフトバンクの回答のひとつである。

しかもアリババの上場によって、ソフトバンクは多額の含み益を持つことになった。その資本力を背景に、次なる買収劇も起きるだろう。未来から振り返ると、スプリント買収は “初めの一歩”だった、ということになるかもしれない。

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ソフトバンクの営業部隊というと、普通、頭に思い浮かぶのは個人向け営業だ。ADSLのヤフーBBを広めるために、パラソル部隊を全国に派遣し、タダで端末を配って、たちまちトップシェアを獲得したのはすでに10年以上前のことになるが、いまでも鮮明な記憶となっている。

携帯電話でも、ホワイトプランや家族割、さらにはそれを広めるための「白戸家」のテレビCMを見てもわかるように、ひたすら個人に向けて発信されている。そして実際、携帯純増数で4年連続首位に立つなど、圧倒的強さを誇る。

しかし「意外」と言ったら失礼かもしれないが、法人営業でも健闘している。

一例を挙げれば、今年3月にANAグループにiPhoneを9000台納入している。ANAに対しては、3年前の9月にも、全客室乗務員に対し6000台のiPadを納入した実績もある。ANAはこうした機器やシステムによって、業務プロセス改革を進めている。そのほかにも、竹中工務店に3000台、JR東日本に7000台、野村證券に8000台のiPadないしはiPad miniをソフトバンクが納入、システムを構築をした。

またイオンに対しては、ヤフーとソフトバンクが組んだOtoOソリューションを提供している。

法人営業では、その企業のポジションが営業成績を左右することが珍しくない。過去に取引実績のある企業、資本的つながりのある企業に対しては、営業もしかけやすい。その点、ソフトバンクは30年以上の歴史があるとはいえ、独立系のベンチャー企業だ。日本のIT業界の王道を歩むNTTグループや、京セラとトヨタが大株主に名を連ねるKDDIに比べれば、存立基盤は極めて薄い。にもかかわらず、ソフトバンクは実績を残してきた。ここには記さないが、「まさかあの会社が!」といったところも、ソフトバンクの顧客となっている。

通信3社の法人営業を束ねる今井康之氏。

パソコンを捨てiPadに

その理由について、ソフトバンクの通信3社(BB、テレコム、モバイル)の法人営業を束ねる今井康之・ソフトバンクモバイル取締役専務執行役員は、次のように語る。

「我々は、ICT(情報通信技術)の動きには常に網を張っていて、どこよりも早く、まず自分たちで体験してしまう。iPadが出た時も、すぐにパソコンを捨ててすべてタブレットに切り替え、どういう使いかたができるか考える。ですからお客様のところに行っても、説得力が違う。そのおかげで、獲得回線数は2010年比で2.5倍となっています」

そのうえでこう付け加える。

「ソフトバンクはインターネットの会社なんですよ。1300社にのぼるグループ企業のほとんどがインターネット関連で、そこから通信事業に進出した。だからインターネットのことはお手のもの。グループ企業の経験を活かすことで、様々なソリューションの提供が可能になるのです」

今井氏自身は、ゼネコンの鹿島の営業マンだった。孫氏が初代会長を務めたコンピュータソフトウェア協会のパーティで孫氏と知り合った。その数年後に孫氏から「何をやっているんだ」と聞かれ、「ビルを年間に20棟ほど建てています」と言ったところ、「ビルを建てて何が面白いんだ。こっちへ来い」とスカウトされた。鹿島の仕事にプライドを持っていた今井氏はその場で断ったが、2年後に再び口説かれ、2000年に転職した。

この経歴からもわかるように、今井氏はITの素人だが、「素人だからこそ、お客様目線で見ることができる」と、むしろプラスに作用しているという。

いまの最大の課題はグローバル化。

「スプリント買収で待ったなしになった。まずは自分たちが出ていき経験をつむ。その体験をもとにお客様のお手伝いをしていきたい」

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口説き落とすテクニック

孫正義・ソフトバンク社長は、かつて「爺殺し」と呼ばれていた。まだ20代の頃から、大物経営者に真正面からぶつかり、自らの夢を語る。年輩経営者はその情熱にほだされ、支援を約束する。

ソフトバンクが急激に成長したのは、孫氏の先見性と努力によるものであることは論をまたないが、同時に、こうした先輩経営者が後押ししたことで、そのスピードが加速した。

この孫氏の、人を惹きつける能力は、大先輩たちにだけ発揮されたわけではない。むしろ歳月を重ねるほどに迫力が増しているように思える。

前稿に登場した今井康之氏は、鹿島の営業マンとしての人生に満足していた。その今井氏に対して孫氏は平然と「何が面白いんだ」と言い放った。失礼な話である。しかし結局今井氏は、その2年後、ソフトバンクに転じている。

エネルギー事業の稿に登場した三輪茂基氏も、三井物産の資源エネルギー部門で充実した人生を送っていた。孫氏の後継者を選ぶソフトバンクアカデミアに外部から参加したが、「孫正義を近くで見たい」といういわばミーハー的動機で、ソフトバンク入りなど微塵も考えていなかった。しかし「俺のそばで働け」との孫氏の言葉で陥落した。

青野史寛 執行役員人事部長

本稿の青野史寛執行役員人事部長もそう。ソフトバンクは2004年、ADSL事業の人材を求めるため、3000人の新卒採用計画を打ち出した。当時のソフトバンクの社員数1800人をはるかに上回る。当時リクルートに在籍していた青野氏は、外部スタッフとしてこの採用に携わり、その後も人事のアドバイザーを務めていた。そこに孫氏が目をつけた。青野氏は孫氏と一対一で会った時、「地球が逆回転してもソフトバンクには入らない」と宣言した。ところが30分後、青野氏はソフトバンク入りを決めていた。

孫マジックとしか言いようのないすご腕だ。青野氏は「磁力がある」と表現するが、話をしているうちに引き込まれ、一緒に夢を見ようという気になるのだろう。

一方の孫氏にしてみれば、自らの情熱に共感するかどうかが決め手になっているようだ。それと孫氏から直接スカウトされた人に共通するのは、現在の仕事に誇りと熱意を持っていること。そういう人材にこそ、孫氏は惹かれるのだろう。

こうしてスカウトされた人材は、ソフトバンクグループの要のポジションについているが、当然、内部からの抜擢もある。ロボット事業を担当する富澤文秀氏はその1人。NTTから、まだ通信事業者ではなかったソフトバンクに転じ、多くの新規事業に関わってきた。そして今回、新会社の社長に就任した。

ロボット事業だけでなく、ソフトバンクでは様々な新規事業が立ち上がっている。その場合、リーダーを誰にするかというところからビジネスは動き始めるのだが、そうした人材をどうやって発掘しているのか。

人事部長を務める青野氏は、こう語る。

「単純ですが、やる気があるかないかですよ。そのやる気を見て、任せてみたいという人材を選ぶようにしています。そのためにも、様々なところで手を挙げられるような制度をつくっています」

ソフトバンクの人事の基本は、やる気のある人間にはチャンスを与えるというもの。社員教育にしても、座学からeラーニングまで何百という講座があるが、学ぶも学ばないもすべて個人に委ねられている。

いちばんわかりやすい例が英語教育だろう。IT企業の中には英語公用語を打ち出し、ポストごとに必要なTOEICの点数を定めているところもある。これは一種の強制であり、ソフトバンクのポリシーには似合わない。ソフトバンクは、800点以上取ると30万円、900点以上で100万円のインセンティブを与えることにした。しかも外国人でも帰国子女でも、例外なく支給する。

ビジネスに対しても同じ。やる気のある人間には積極的に機会を与える。失敗に対しても寛容だ。次のチャンスが用意される(ただし同じ失敗に対しては厳しい)。もちろん、やる気だけで事業が成り立つわけではない。個々人の評価は能力や貢献度など、様々な基準で決まっていく。そこで高い評価を得た人材に、重要なミッションを与えていく。

成功すれば、さらに高いミッションが与えられ、失敗すれば元にもどり、次のチャンスを待つ。

評価を決めるのは仕事の場だけではない。ソフトバンクでは、ソフトバンクアカデミアや、新規事業提案を募集するソフトバンクイノベンチャー制度などがある。アカデミアでは、事業プランのプレゼンなどが行われており、イノベンチャーでは、年間1000件もの新規事業のアイデアが寄せられる。それぞれ決勝大会が開かれ、優秀者は自らのアイデアやプラン・ビジョンを、孫社長ほかソフトバンク幹部の前で発表する機会を得る。これもまた、人材を評価する場となっている。

「このように、ソフトバンクにはチャンスがあふれている。やる気のある人間にとっては非常にやりがいのある環境です。でも自分から仕掛けることができる人間でないと、むしろ不幸になると、新卒採用でも学生たちに伝えています」(青野氏)

「努力って、楽しい。」

3年前に流された、「努力って、楽しい。」というソフトバンクのテレビCMを覚えている人もいるだろう。スマップのメンバーが「逆境って楽しい」「壁って楽しい」「無理難題って楽しい」と言い、最後に「努力って、楽しい。」の文字が浮かぶ。そしていま、「努力って、楽しい。」はソフトバンクに就職を希望する学生への呼びかけの言葉となっている。

ソフトバンク社内でこの言葉は、「ソフトバンクバリュー」と位置づけられている。

10年に発表された「新30年ビジョン」では、300年後も成長を続ける企業グループであることが謳われている。そのためには永続する会社のシステムと、人を育てる仕組みをつくらなければならない。

田原眞紀 マーケティング推進部部長

「社員には企業ブランドの価値、目指す姿を理解してもらわなければなりません。でもソフトバンクは上から下へのメッセージが少ない。バリューはそのためのメッセージです」

と語るのはマーケティング推進部部長の田原眞紀氏。田原氏はP&Gからボーダフォンに転じ、ソフトバンク買収後はリサーチの立場から、家族割サービスや女性にも使いやすい携帯端末を提案してきた。しかし、ソフトバンクのビジョンを社員ひとりひとりに浸透させる必要があると考え、有志とともに議論を重ねていたところ、ブランド推進室が誕生、田原氏はそこのシニアマネジャーを兼務している。

「努力って、楽しい。」の「努力」にはいろんな意味がある。そこで田原氏らはこれをさらに5つの言葉に落とし込んだ。(1)いちばんって、楽しい(2)挑戦って、楽しい(3)逆算って、楽しい(4)大至急って、楽しい(5)あきらめないって、楽しい――である。

実は、この「5つの楽しい」は、2年前には出来上がっていた。しかし孫氏から待ったがかかったという。「言葉遊びはいらない。俺の背中を見ながら育てばいい」というのが孫氏の考えだった。

しかし社員数が数千人だった10年前とは違い、いまでは連結で7万人を超えるまでになった。「社長の背中を見ることのできる社員は限られています」(田原氏)

暗礁に乗り上げたが、「現場の社員にこの言葉を伝えたら、涙を流さんばかりに喜んでいました。それが上に伝わって、ようやく日の目を見ることとなりました」(同)。

ソフトバンクのDNAを伝える言葉は出来た。そのDNAを持つ、やる気のある社員が活躍できる体制も整っている。ソフトバンク強さの源泉がここにある。

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インタビュー

 

伊達美和子
森トラスト・ホテルズ&リゾーツ社長

だて・みわこ 1994年聖心女子大学文学部卒業。96年慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。同年長銀総合研究所に入社。98年森トラストに転じ、2000年取締役に。03年常務、08年専務。11年6月に森観光トラスト(現・森トラストホテルズ&リゾーツ)社長に就任。父親は、森トラスト社長の森章氏。

2020年の東京五輪に向け、客室単価も稼働率も軒並み上昇中のホテル業界が、さらにヒートアップしてきた。今後も続々と外資系ホテルが日本への上陸を予定するほか、日本勢も名門、ホテルオークラ東京が、1000億円超の投資額で建て替えられることになったからだ。そんな中、年々存在感を増してきているのが森トラスト・ホテルズ&リゾーツ。同社の伊達美和子社長(森トラスト専務も兼務)に、多彩な独自戦略や経営方針などを聞いた。

パストラル再開発の行方

―― インバウンド(訪日外国人)がようやく1000万人を超え、6年後の東京五輪に向けて弾みがついてきました。受け皿となるホテル業界もホットな話題が続いています。
伊達 昨年は、訪日外国人が1000万人を超えた記念すべき年でした。今年はさらに、毎月20~30%上昇し、過去最高を更新しています。韓国のように外国籍添乗員(クルー)も含めれば、1400万~1500万人はさほど遠くない数字だと思っています。

五輪開催は、東京を魅力的にし、さらに開催後も「観光都市・東京」を定着させるための手段にしなければならないでしょう。そのため、東京の経済的魅力と都市的魅力の両方を維持しながら、海外向けの積極的なプロモーション戦略の継続が必要だと思います。

―― まず、昨年2月に社名を森観光トラストから森トラスト・ホテルズ&リゾーツに変更された、狙いや思いを改めて聞かせてください。
伊達 大きなきっかけは昨年、創業40周年の節目を迎えたことですね。旧社名は日本語でしたが、最近の当社の展開を考えますと、ホテルズ&リゾーツと呼んだほうがグローバルに対応していく上でも相応しいと考えました。

今年4月にはコートヤード・バイ・マリオット東京ステーションがオープン。

当社の歴史は、日本で初めてとなる法人会員制のラフォーレ倶楽部創業以降を第1ステージとして、第2ステージが日本の歴史あるホテルとの提携を深めた時期(軽井沢の万平ホテルへの資本・経営参加や関西のリーガロイヤルホテルグループとの資本・業務提携など)、第3ステージが国際ブランドのホテル展開の時期(コンラッド東京やシャングリ・ラホテル東京、ウェスティンホテル仙台など)、そして現在は、これまで得てきた運営ノウハウを融合し、戦略的チャレンジを行う第4ステージに入っています。既存施設もグローバルブランドに変えていくという思いも込めて社名を変えました。

―― 昨年12月に実施した、ホテルラフォーレ東京から東京マリオットホテルへのリブランド戦略は、かなり前から検討されていたのですか。
伊達 構想としては、汐留にコンラッド東京を誘致(05年)した約10年前からですね。それまではラグジュアリーな客室が少なく、東京の今後の国際競争力を考えて、宿泊主体型のラグジュアリーな施設が必要との観点で誘致した、先駆け的なホテルでした。誘致を進める中で、東京は今後、さらに外資系ホテルが増えるだろうと予測していました。事実、現在東京にある客室の9%が、36平方メートル以上のラグジュアリーな客室で、その内55%が外資系ホテルです。しかも、そのほとんどが2000年以降の進出で新しい。ラフォーレ東京の次の展開を考えると、競合と戦うためには外資系ブランドにすることが重要だろうと考えました。

―― ホテルが入るのかどうかわかりませんが、森トラストが07年に約2300億円で落札した、虎ノ門パストラルの跡地再開発の展望は。
伊達 あのエリアの課題は、六本木通りと桜田通りをつなぐ道路が足りず、特に桜田通りに抜ける道路が城山通り1本しかないことです。そういうインフラの問題が1つ。周辺の開発はどんどん進んで混雑し、最寄り駅となる神谷町駅のキャパシティも足りなくなってきてますから、そういう地下鉄との接続性をどう高めるかが2つめ。さらに3つめとして、駅前の広場的なスペースの不足も課題です。その3つの要素を、我々が手がける再開発の中でうまくソリューションしていくことが役割だと思いますね。

建物の構想につきましては当然、主力事業のオフィスビルが中心になります。これまで、たとえば京橋OMビルや京橋トラストタワーという2つのビルを作る過程で、エネルギー環境と防災面に優れた技術を盛り込みましたし、新しいビルでも高い技術を取り入れることになるでしょう。大街区と言われる虎ノ門、神谷町エリアに、防災ビルとしての価値あるビルができるわけです。

さらに、滞在機能は確実に入れようと考えています。その際、住宅の方向に特化するのか、あるいは最近、サービスアパートメントという形態も出てきていますが、そういう少しホテルに近い機能にするのか、そのあたりはこれからです。

―― サービスアパートメントは、三井不動産や三菱地所も本格的に手がけていくようです。
伊達 アジアのヘッドクオーターとしての東京において、サービスアパートメントのニーズは確実に増えていくと考えています。今後、日本の労働人口がさらに減少する中で、グローバル人材はもっと増やさねばいけません。

そして、そういう方々が住む場所は、より都心でオフィスに近く、それでいて住環境も整い、病院や高度な教育機関も近くにあることが必須条件になるでしょう。そういう受け皿を、我々が作っていければと。

特に、グローバル人材をターゲットにするのが重要で、どんな立てつけにするのがベターなのか、そこは我々の今後の企画力にかかってくると思います。

「全て外資系にはしない」

―― それにしても、コンラッド、ウェスティン、シャングリ・ラ、マリオットと、国際的なホテルを次々と誘致され、国内でも実に幅広い提携をされていて、ほかに似た企業がないという印象があります。
伊達 よく、「今後、全部外資系のホテルに変えるんですか」というご質問を受けるのですが、それは考えていません。外資系ホテルに変える価値のあるところはリブランド投資を視野に入れますが、全てに当てはまるわけではありません。

―― マリオットとの関係で言えば、プリンスホテルも提携(東京・高輪にあるザ・プリンスさくらタワー東京が自社ブランドを維持したままセールスやマーケティングでマリオットと連携)しました。
これまで、森トラストはリーガロイヤルホテルグループと提携し、3%弱ながらホテルオークラにも出資するなど、国内ホテルとの連携も活発です。マリオットとの関係を機に、プリンスホテルとも何らかのコラボレーションや連携の可能性は。
伊達 たとえば、当社は仙台でウェスティンを誘致しましたが、ウェスティンホテル東京のオーナーはまた違うわけですし。我々自身もヒルトン系とマリオット系にも関わっていることを考えると、あくまで個々の物件ごとの選択肢だと思います。

昨年12月にここ(東京・北品川の東京マリオットホテル)をオープンし、今年4月にコートヤード・バイ・マリオット東京ステーションができ、昨年9月にプリンスホテルさんが提携。さらにザ・リッツカールトン京都、大阪マリオット都ホテルも開業し、当社もコートヤード・バイ・マリオット新大阪ステーションをオープンさせる予定ですので、マリオットグループだけでも相当な勢いで日本展開してきています。

ですから “マリオットファミリー”として相乗効果がお互いに生まれてきているという意味では(プリンスホテルとも)情報交換はしますし、サービス面で連携していくこともあり得るかもしれません。

ホテルの「殻」を破る新事業

―― ここまでのホテル展開の原点はラフォーレ倶楽部ですが、このラフォーレというブランドへの思いはどうでしょう。
伊達 不動産賃貸という事業から、不動産を活用するという事業にも打って出たのがラフォーレなんですね。グループの最初のホテル事業という意味では、とても重要です。

もう1つ重要なのは、通常のホテルではなく会員制ホテルを作ったことにより、ラフォーレの仕組みそのものが、独自のチャネルとなったことです。その重要性は、ラフォーレ事業を通してすごく重みを感じており、たとえば今年4月、強羅(神奈川県・箱根町)にある「湯の棲」というホテルをリニューアルオープンさせましたが、ほとんどPRしなかったにもかかわらず、ほぼ満室に近い稼働率で推移しています。これは、やはりラフォーレ倶楽部のチャネルがあるからなんですね。

同じように、ここ(旧ホテルラフォーレ東京)をリブランドする時に、マリオットを提携先として選んだのも、やはりマリオットが抱える全世界4000万人の会員と、4000棟近いホテルチャネルの存在が大きかったわけです。欧米は当然としてアジアや中国など、マリオットは常に経済成長している国にいち早く展開し、チャネルを持っていますから。

その豊富なチャネルを生かして様々な国の方が日本に来ることが、リブランドの相乗効果が最も高いと判断し、マリオットと提携したわけです。ですから、ホテルビジネスを考える時の基礎の中には、ラフォーレの事業プロセスが常にあります。ラフォーレをマリオットにリブランドしたのも、ビジネスモデルの方法論は同じで、あくまで姿を変えているだけです。

―― ラフォーレも含めて、森トラスト・ホテルズ&リゾーツという企業の将来像はどう描きますか。
伊達 さきほど言いました当社の第4ステージの中で、ホテルブランドを超えて、様々なものを融合させて昇華させることが重要です。

リブランドした東京のホテルやリニューアルした強羅のホテルは両方とも大変好調で、4月は昨年比で倍の売り上げとなりました。新規ホテルも早い段階から高稼働でスタートしています。このような投資をしている傍ら、イノベーション事業部という部署も作りました。

森トラストというディベロッパーが、いわば大型トラックのように大きな動きをしているのに対して、もう少し違う、ソフト分野を担う部署としてイノベーション事業部を立ち上げました。ですからこの部署の可能性は多彩で、太陽光発電事業もあれば、アグリビジネス、予防医学に関するプログラムや施設の提案も行っています。

また、コートヤード・バイ・マリオットでは、外部から見える1階レストランの見せ方にも工夫を凝らしていますし、こうしたノウハウを生かしつつ、森トラストの賃貸ビル内で働く方々に提供する、社員食堂的なビジネスの展開についても検討を始めました。

要は、いままでやってきたホテルのホスピタリティ事業を少しずつ分解しながら、ホテル業という殻から抜け出すような活動に結びつけていこうと思っているところです。

(聞き手・本誌編集委員・河野圭祐)

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経営戦記

三枝利行 東急不動産社長
さえぐさ・としゆき 1958年8月25日生まれ。東京都出身。 81年青山学院大学経済学部経済学科卒。同年東急不動産に入社。 2004年住宅事業本部第一事業部統括部長、07年資産活用事業本部ファンド推進部統括部長、09年執行役員経営企画部統括部長、11年取締役常務執行役員事業創造本部長、13年10月に東急不動産ホールディングス設立で同社取締役に。 14年4月から現職で、東急不動産HD取締役副社長執行役員にも就いた。大学時代はスキーのインストラクターも。

大手不動産の一角を担う東急不動産には、財閥系とは違った特色がある。東急グループ各社とのシナジーに加え、「エッジの利いた、いわば“とんがった”ものづくりが身上」と語る三枝利行新社長に、同社の勝ち残り戦略を聞いた。

56歳のエースが登板

〔エース登板である。今年4月に東急不動産社長に就任した三枝利行氏は、180センチを超える堂々たる体躯と精悍なマスク。年齢的にも56歳と、金指潔前社長(現・会長兼東急不動産ホールディングス社長)から一回りも若返った。

何より、社長交代会見の席で金指氏は、“愛弟子”の三枝氏について「周りの者を一瞬にして前向きにし、インスパイアできるような雰囲気を持っており、多様な力を1つにまとめ上げられる人材。私の後継者は、ほかの役員にはないアグレッシブな姿勢を持った三枝君がもっともふさわしいと考えました。今後は三枝色に染まった企業にしてほしい」と、最大級の賛辞で紹介していたものだ。

東急不動産HDが誕生(東急不動産、東急コミュニティー、東急リバブルの3社が経営統合)したのはちょうど1年前の10月のこと。持ち株会社化の主眼の1つは財務基盤の底上げだったが、同時にグル―プ企業同士の連携強化も大きな狙いだった〕

連携強化の事例の1つが、東急住宅リースの設立です。東急コミュニティー、東急リバブル、東急不動産傘下だった東急リロケーションの3社が、それぞれに賃貸や管理・運営、社宅代行サービスを展開してきたのですが、3社を合算すると、全国で約7万戸の住宅を管理し、約8万5000戸の社宅代行サービスを行っています。こうしたグループ間にまたがる機能を東急住宅リースに集約したわけです。

いままでは、コミュニティー、リバブル、不動産と社員も別々でしたから、コミュニケーションのやり取りがあまりなかったんですね。いまではそこが確実に増えてきています。3社統合後の本格的な稼働は来年の4月からですが、すでに西新宿のほうでオフィスを構え、これから楽しみな会社といえます。

〔東急不動産の両輪はオフィス賃貸とマンション分譲事業だが、後者のほうは業界全体で見ると消費税増税前の駆け込みの反動が大きい。ただ、沿線に富裕層を多く抱える東急グループだけに、反動の落ち込みは、東急不動産では限定的なようだ〕

マンション販売は、特に首都圏の中心部は堅調ですね。若干、郊外とか関西圏については厳しいところも出てきてはいますが、消費税増税の影響はあまり見られません。モデルルームは活況で、完成在庫の水準も低水準です。当社のポートフォリオが都区部中心ということもありますが、たとえば昨年度は四番町、麻布狸穴など、東京の都心立地の高級マンションが好調で、今年度に入ってからも、やはり九段北や六義園など都心部の物件がいいですね。

私たちより上の、団塊世代の1つのステータスは、かつてのテレビドラマの「金妻」ではないですが、東急田園都市線のたまプラーザ駅あたりの戸建てに住むことでしたよね。いまではそうした方々がご年輩になって、またそういうエリアの戸建て住宅が維持し切れなくなってきて、すでに子供も巣立っている。であれば、もう少し交通の便のよいところに住みたいというニーズが、いまの都心回帰に表れている気がします。

〔中古仲介のリバブル、マンション管理などのコミュニティー、住宅では新築を手がける不動産が持ち株会社の下に入ったのは、少子高齢化や人口減少、増え続ける空き家問題などから鑑みても意義あるものだ〕

各個社ごとに別々のベクトルで動いていたのを、持ち株会社の下で一緒にやっていくというのは、本来であればもともと必要だったことなんです。いわば、本来のあるべき姿になったということじゃないでしょうか。経営統合によってさらに相乗効果を高めていき、強い東急不動産グループにしていくことが一番の目的ですから。

渋谷を軸に都心も攻める

〔大手不動産の注目点は、6年後の東京五輪を睨んだ大型の再開発計画にある。東急不動産でも渋谷(東急電鉄が2エリア、東急不動産が道玄坂街区、桜丘口地区の2エリアを担当)、銀座(銀座5丁目プロジェクト=旧東芝銀座ビル)、ウオーターフロントの竹芝地区など、再開発計画は目白押しだ。

中でも、来秋に商業施設ビルが竣工する予定の銀座に視線が集まっている。このビルの外観デザインは、江戸の硝子技術と海外のカット技術の融合で生まれたといわれる、「江戸切子」がモチーフ。同時に数寄屋橋の立地は四方を道路に囲まれており、銀座でも代表的な交差点。16年11月の開業を目指して開発が進む銀座松坂屋跡地と、東急不動産の銀座5丁目プロジェクトは、銀座の新しい「顔」を担っていくことになる〕

竣工後、ビル内のテナント工事等々がありますから、たぶん再来年の春ぐらいにはグランドオープンできるのではないかと思います。テナントの店舗数も現状、100店舗超えまでは決まっていましてね。

よく、銀座松坂屋さんのところとの兼ね合いで引き合いに出されますが、いまは銀座と新宿といったようにエリア間での戦いでもありますから、当社と松坂屋さんとで相乗効果が出せるのではないかと。また、銀座はインバウンドが主軸になってくるでしょうから、日本の良さを銀座から発信していきたいですね。ニューヨークのタイムズスクエアみたいな形になったらいいなと。

〔銀座の後に控える渋谷、竹芝エリアでの再開発も注目案件だ。渋谷駅西口に東急プラザが開業してから来年で50年の節目を迎えるが、その東急プラザ渋谷が18年度にもオフィスと商業施設が入るモダンな高層ビルへと生まれ変わる予定。さらに竹芝エリアは鹿島との共同プロジェクトで、19年度をめどにオフィス、商業施設、産業貿易センター、コンテンツ関連施設で構成する業務棟と、賃貸住宅や店舗、サービスアパートメントなどで構成する住宅棟が建つ計画だ。そして最後が、渋谷駅南西部の桜丘口地区の開発となる〕

道玄坂街区のところは来春に着工ということで、そこに向けて東急プラザを閉館していくスケジュールです。桜丘口地区のほうについては、まだ若干の地権者調整があって、いつ着工と言える段階ではありませんが、再開発組合の設立認可は下りてますから、基本的には開発路線に乗ったと認識しています。竹芝地区は海外との交流拠点にしましょうということで、そのあたりの仕掛けを作っていく予定。東京五輪までに何とか間に合わせたいですね。

これらのプロジェクト以外では、我々は渋谷をホームグラウンドとする会社ですので、「グレーターシブヤ」という表現をしていて、渋谷を軸に原宿、表参道、青山といったエリアで今後も重点的に開発に取り組んでいく所存です。

〔東急電鉄との協業案件もある。代表的なものの1つが「二子玉川ライズ」(東京世田谷区)。来春完成予定の、30階建てのこのタワーオフィスには来夏、楽天がオフィスの全フロアに入居することが決まっている。

ちなみに楽天のライバルであるヤフーは、翌年の16年に、これまた東急の往年のライバルだった西武ホールディングスが開発中の、旧赤坂プリンスホテル(=紀尾井町プロジェクト)に全面移転するというのも不思議な因縁だ〕

さきほどの銀座と新宿などのエリア間競争ではないですが、渋谷を中心にその競争に勝てるようにしていくためには、東急電鉄さんを中心に我々もサポートしていく役割だと思っています。ただ、(東急電鉄は)鉄道をお持ちですから、沿線開発がメインの成長戦略シナリオになってくるでしょう。

東急沿線では(マンション分譲事業などで東急電鉄と)バッティングすることもあって、いままでは一緒にビジネスをする機会も少なかったわけですが、渋谷再開発、それに二子玉川と協業も増えています。強いて言えば、沿線の価値向上が彼ら(東急電鉄)の目指しているところなので、それ以外の、都心部の開発は我々に任せていただいているところはありますね。

海外はインドネシアに期待

〔海外でも着実に歩を進めてきている。これまではドメスティック産業の色彩が濃かった不動産業界だが、少子高齢化や人口減少もあり、海外にも打って出ていかなければ先細りだからだ。

東急不動産では、インドネシアで建売住宅事業、パラオでリゾートホテル事業を展開。中国はリスクも相当程度あると考え、投資を伴わない上海のサービスアパートメント事業の運営や、マイナー出資などで事業スタディを継続中。まずは、成長が期待できるインドネシアの市場に注力中で、12年には現地法人を設立し、コンドミニアムの開発・分譲から始めて都市型開発事業、運営管理業も視野に入れている〕

人口が減っていくということは、我々不動産業にとってビジネスチャンスがそれだけ少なくなっていくということですから当然、競争では勝たないといけませんが、海外にも展開エリアを広げていくことは必要だと思っています。そういう意味では、細々とながらインドネシアではすでに40年ぐらいのビジネス知見がありますから、その知見を生かした形で、単なる投資としてではなく、“ミニ東急不動産”をインドネシアで展開していくことを考えています。

〔三枝氏は中学から大学までずっと青山学院で、渋谷や原宿、表参道や青山といったエリアは学生時代から親しんで熟知している。そういう意味では、東急というブランドにも親しみがあり、もともと、不動産開発のように何か形として残す仕事がしたいという思いがあったという。

入社後は住宅事業に長く携わったが、リーマン・ショック前の不動産ミニバブルだった07年にファンド推進部統括部長となり、08年のリーマン・ショック直前に金指社長体制がスタート。翌09年に同氏の下で経営企画部統括部長に就任しているから、金指氏が登板当初から、自身の右腕として三枝氏を重用していたことが見てとれる〕

住宅系の仕事の時代は、私も結構、家にはこだわりがあるので、モデルルームが完成してから作り直しをさせたこともあります。ファンド推進部に行ってからは、やたらとカタカナ言葉が多くてよくわからないこともありましたが(笑)、ようやくこれからという時にリーマン・ショックが発生。

リーマン・ショック後は社内が非常に暗くなっていきましたし、暗くなると業績不振や落ち込みを人のせいにして、罵声もバンバン飛び交うわけですよ。そこで私がムードメーカーになって、もう少しポジティブに仕事をやろうよということで、いわば雰囲気作り役でした。

ものづくりへのこだわりを

〔経営企画部の次の転機は11年。東日本大震災直後の4月、事業創造本部長に就いてからだった。文字通り新規事業の種を探し、それを事業化させていくわけだが、東急不動産も農業分野に参入しているほか、太陽光発電プロジェクトへの一部出資など多彩な展開を始めている。中でもユニークなのが、「ビジネスエアポート」と呼ぶビジネスだ。これは昨年3月にスタートした会員制のサテライトオフィスで、1号店の青山に続き、今年は2店舗目となる品川でも開業させている〕

経営企画ですと基本、会社の中にいる仕事なので、あまり長くは所属したくないなと(笑)。それで、自分で事業創造本部という部門を立ち上げたんです。理由は2つ。1つは、リーマン・ショックでみんな内向きになってしまって新しいビジネスが展開できていなかったこと。もう1つは、部門ごと、あるいはグループ会社とも垣根が引かれていました。その垣根を取っ払わないといけないなと、経営企画の時からずっと思っていたんです。そこで事業創造本部を作って横串にし、垣根をなくしていく施策を打っていきました。

その集大成が、昨年10月の持ち株会社化だったといえるわけですが、若い社員のモチベーションを前向きにさせるために「次世代共創プロジェクト」というグループ横断型のタスクフォースチームを作り、事業創造本部はその事務局になりました。そこで、若い社員のアイデアも吸い上げながら、新しいビジネスにトライさせていったのです。

〔では、東急不動産のトップとして全体を俯瞰、牽引する立場になったいま、同社の差別化ポイントはどこに置いているのだろうか〕

我々は(感度の高い)渋谷という街で育ってきた不動産会社ということで、少しエッジの利いた企業グループになりたいなと。三井不動産さんや三菱地所さんは重厚な不動産会社というイメージですが、我々はクールでかっこいい、フットワークもいい企業グループであり続けたいという思いはあります。

売り上げや利益面でも他社をベンチマークはしないといけませんが、それだけにこだわってしまうと、いいものが作っていけないと思うんですね。不動産は事業スパンの長いビジネスですから、いいものを作って、5年、10年先に、結果として彼ら(ほかの大手不動産)をキャッチアップできているということだと思います。あまり短期の業績数字に固執して経営していると、我々はエッジの立てようがないわけですから。もう少し将来を見据えて、東急不動産らしさを強力に発揮するために、ものづくりへのこだわりは持ち続けたいと思っています。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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この企業の匠

世界初の技術で精度革命

いまでは携帯電話やスマートフォンなどで代用できるとはいえ、ビジネスパーソンにとって欠かせないアイテムの1つが腕時計だ。腕時計は単に時刻を見るという実用品としての機能の一方で、装飾品としてファッション性やステータス性からこだわりの持つ人も多い。最近では機械式の海外ブランドの人気も高い。

そんななか“世界初”のメイド・イン・ジャパンの技術力によって、スマッシュヒットとなったのが、世界のどこにいようとGPSを利用して、自動的に自分のいる地域の正確な時刻を表示するセイコーウオッチのGPSソーラーウオッチ「ASTRON」である。

これまでも正確な時刻に自動的に修正する時計として、電波時計があった。しかし、電波時計は日本、中国、北米、欧州の世界5~6カ所で発信する標準電波を受信し時刻を合わせている。そのためアフリカ、オセアニア、南米など電波の届かない地域では機能しない。これに対してASTRONの時刻修正は、GPSの衛星のみで行う。

その仕組みをおおざっぱに説明すると、衛星に搭載されている原子時計の時刻と4つ以上の衛星の電波を受信。時計内にある各地域のデータと衛星から送られてくる位置情報を照合して瞬時に演算処理して、現在いる地域の時刻を表示する。つまり、ASTRONはアマゾンの奥地や北極、南極でも、いってみれば、地球上にさえいれば、常に正確な時刻を表示することができる。

古城滋人さん。左=第2世代・チタンモデル(本体価格24万円)/右=第1世代・チタンモデル(本体価格19万円)

社長の指示で開発スタート

ASTRONの開発がスタートしたのはおよそ10年前のこと。服部真二・セイコーウオッチ社長の「セイコーエプソンとの共同開発でGPS腕時計をつくれないか」という強い意思の元、プロジェクトが立ち上げられた。

「限られたスタッフが会議室に集められ『これなら商品化できる』とプロトタイプを見せられました。そのときのものは四角というか、腕時計と呼べない形状で文字盤の外側にバッテリーボックスがあるようなかたちをしていました。それを見たときは、商品化はできても市場性やマーケティングの観点からビジネスにならないと思いました」

と話すのは、プロジェクトチームに参加していたセイコーウオッチ第一企画部の古城滋人さんだ。その後、急ピッチで“腕時計のかたち”にするための改良が進められる。

「衛星からの電波を受信するGPSモジュールは、電波時計のモジュールに比べ消費電力が200~300倍も多いんです。この消費電力をいかに小さくするかが大きな課題でした。具体的なことについては、特許などのこともあるので詳しくはお話しできませんが、開発を進める考え方としては、衛星からの電波の受信感度を高めることで受信時間を短縮して、消費電力を抑えようとしたのです」(古城さん)

改良が進められた結果、電波時計では文字盤の下に置いていた四角いアンテナを、ASTRONのGPSアンテナは、形状をリングにして時計上部にあるベゼル(ガラス面周囲に取り付けられるリング状のパーツ)の下に移し、360度どこからでも受信できるようにした。さらに素材についてもさまざまなものを試し、ベゼルの素材が金属よりもセラミックのほうが感度が高まることがわかったため、これを採用。アンテナが時計内部から移動したことで生まれたスペースを活用して、蓄電池の仕組みから再考し、容量の大きい蓄電池へと変更した。

「ASTRONのかたちはデザインを優先したのではなく、技術的な背景から設計値のベストなサイズ感、デザインに追い込んだものです。いままでの時計のクリエーションとは違ったアプローチから生まれたのがこの時計の特徴です」(古城さん)

ASTRONの開発は、社内でもごく一部の人しか知らない極秘事項で、社内で明らかになったのは発表の1、2カ月前と、情報管理が徹底された。そして、12年4月、スイスのバーゼルで開かれた世界最大の時計の見本市「バーゼル・ワールド」でASTRONは発表された。

「この年は当社が腕時計の製造をはじめて101年目にあたりました。また、当社は1969年に世界ではじめてクオーツの腕時計を発表。機械式の1日10秒から、クオーツになったことで1カ月10秒の誤差という腕時計の精度革命を起こしました。ASTRONの登場は、第2の精度革命と位置づけ、ネーミングも世界初のクオーツ腕時計に付けられていた『クオーツアストロン』から『ASTRON』と付けられました」(古城さん)

実用だけではない付加価値

販売開始直後から「垂直立ち上がり」(古城さん)というように、売れ行きは好調に推移し、その反響は大きかった。

古城さんによれば、その購入層は海外出張によく出るいわゆる「グローバリスト」という人たちと、ファッション性の高いデジタル時計を使っていた人たちを中心としたメカ好きの時計ファンなどからの乗り換え、の2つに分かれるという。

「ご購入いただいたお客さまのお話をうかがうと、海外出張が多いエクゼクティブの方は、すでに50万、100万円という高級な時計をお持ちです。しかし、『高級な時計を、ビジネスで海外に持ち出すのは抵抗がある。かといって、安い時計では……』という思いをもっていらっしゃる。そうしたお客さまにとってASTRONは、海外出張の際にはGPSという実用的な機能があり、価格帯も20万円を中心としたもので、ちょうどよいと話される方が多かったですね」(古城さん)

こうしたASTRONを持つ一人が地球儀を俯瞰する外交を展開中の安倍晋三首相だ。閣議や外遊先での記者会見などでASTRONを身に着けていることが、ネット上でもしばしば話題になっている。

さらにASTRONは、「受信のときの針の動きがユニークなため、ビジネスシーンでのコミュニケーションツールになっている」(古城さん)という。

発売から2年がたち、ライバル各社からはGPS搭載の電波時計が発売され追撃がはじまった。セイコーウオッチでは「GPS単独はASTRONだけ」とライバル各社との差別化を強調。9月には直径を47ミリから44.6ミリ、厚さを16.5ミリから13.3ミリと小型化させた第2世代モデルを発売した。

セイコーウオッチには、「グランドセイコー」というフラグシップモデルあり、その下のモデルがこのASTRONになる。

この2つの腕時計の位置づけについて古城さんはこう話す。

「グランドセイコーは、時計職人の技によってつくり出される時計。ASTRONはメイド・イン・ジャパンの先進技術によって生み出された時計として、グローバルにアピールしていきたい」

匠の技が凝縮される腕時計。その技術を牽引してきた同社が生み出したASTRONは、グローバリスト、時計好きの心をつかんだ。GPS腕時計という新たな市場を拓き、さらなる進化を遂げようとしている。

(本誌・小川 純)

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月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

ティースリー社長 榎本登志雄
えのもと・としお 1978年埼玉県生まれ。大学卒業後教員を志すが叶わず、ハウスメーカーやIT企業などを経て30歳の時に共同経営でITサポート会社を設立。2012年、分離・独立する形でティースリーを設立、社長に就任。経営のみならずコミュニティづくりにも力を入れている。

費用は月5000円から

―― 榎本さんは、さいたま市を拠点に、中小企業のITサポートを行っているそうですね。
榎本 ええ、大企業なら社内にITを担当する部署があって、IT機器に何かトラブルが起こっても、社内で解決することができます。ところが中小企業の場合、そんな人員を配置する余裕はありません。ですからトラブルに見舞われるとどうしようもない。下手をするとそれで仕事が止まってしまう。そんな時こそ我々の出番です。「ティースリーが、あなたの会社のITとしてサポートしていきます」と。

―― サービスを開始したのは、いつですか。
榎本 この9月でちょうど第2期が終了しました。いま3年目に入ったところです。

―― 中小企業に特化することにした経緯を教えてください。
榎本 僕はもともと教員志望でした。ところが僕が大学を卒業した当時は就職氷河期で、採用1人に対して3000人も応募があるという状況でした。新卒では採用されなかったため、ハウスメーカーで働きながら2年ほど教員を目指したのですが、それでも教師になる夢は叶いませんでした。

さてどうするか、ハウスメーカーも辞めアルバイトをして、いわゆるフリーターとして暮らしながら、将来のことを考えました。その時、思い浮かんだのが、ハウスメーカー時代に訪問した、ある地主さんでした。その地主さんはパソコンを使いたいと思っているのに、使いこなすことができない。それで悩んでいたのです。

こういう人たちの役に立ちたい。そのためにはまず、自分がスキルを身につけるしかありません。そこでIT企業に就職することにしたのです。この時は、本当に一生懸命働きました。おかげで、数年後には理化学研究所にあるスーパーコンピュータを担当するまでになりました。

―― そこまでのスキルを身につけたのなら、それをそのまま伸ばしていこうと考えたりしなかったんですか。
榎本 IT企業で働いていた29歳の時のことです。ケーキを買おうと思ってケーキ屋に入ったら、そこの店長が「Office」をインストールできなくて困っていた。そこで教えてあげたのですが、その時、自分がなぜIT業界に進んだか再認識したのです。中小企業や商店などでは、同じように困っている人がたくさんいる。この人たちを助けるビジネスができないか、と考え、30歳で共同経営の形で会社を立ち上げ、さらに2年前、ITサポートの部分を軸としたティースリーを設立、独立しました。

―― 具体的にどのようなサービスを行っているのですか。
榎本 いちばん基本的なサービスが、「IT部サービス」というものです。その名のとおり、会社のIT部のアウトソーシングです。クライアントの方たちの、ITに関する「困った」を解決します。機器の不具合でも、使い方がわからないなどの相談でも何にでも応じます。

メールや電話で相談に乗ったり、解決策を教えるほか、遠隔操作によるリモートサポートサービスも行っています。またお客様のところへおうかがいする出張サービスも行っています。

いちばんライトなプランでは、月額料金は5000円からとなっています。ですからIT部門にお金をかける余裕がない中小企業でもご利用しやすくなっています。

また、月々の契約をされてない方には、「スポットサービス」もあります。突然のトラブルの時は、電話1本かけていただければ、できるだけ早く駆けつけます。このスポットサービスの利用後、IT部サービスの契約をされた方も多いですよ。

―― どんなことで困っているケースが多いのですか。
榎本 多種多様ですが、よくあるのが、どこに問い合わせていいかわからないケースです。たとえばインターネットがつながらなくなった時、NTTなどの回線か、プロバイダーなのか、あるいは機器に問題があるのかわからない。だから問い合わせもできない。そういう時、我々のところに電話していただければ、どこに問題があるかも含め、解決することができます。

もうひとつよくあるのが、それまでITを担当していた人が退職したケースです。中小企業の場合、IT担当がいたとしても1人のケースが圧倒的ですから、この人がいなくなると、何もわからなくなる。そういう時、我々なら、どこの業者と契約していたのかという基礎的なことから、すべて掘り起こし、以前同様に使えるようにできるわけです。

解約ゼロを続行中

―― ITに詳しくない人を対象に仕事をするわけですから、言葉ひとつとっても通じないことだってあるでしょう。わかってしまえば「なーんだ」というようなトラブルでも、IT音痴には手も足も出ない。
榎本 我々の役割のひとつとして、クライアントのITリテラシーを上げることがあります。

契約当初、何も知らないお客様だと、1日に何度も電話がかかってくることがあります。しかも別の人が、同じような要件でかけてくる。でも、我々がひとつひとつ問題解決をしていくと、それに伴いクライアントのスキルも上がっていきます。次に同じトラブルが起きた時は、自分たちで解決できるようになります。そうなれば我々の負担も減っていく。そのためにも、お客様のリテラシーを上げることが重要です。

―― トラブルはいつ起こるかわかりません。どんな時間にも対応しているんですか。
榎本 残念ながら現在はまだ24時間365日という体制にはなっていません。でも土日でも、できるかぎり対応できるようにはしています。一度、週末にディズニーランドの駐車場に着いたのですが、お客様から電話が入ったため、飛んでいったこともありました。

―― 契約者はどのくらいですか。
榎本 パソコンの台数でいうと、1000台ほどです。サービス開始から2年たちましたが、これまでのところ、一度、契約された方の解約はゼロです。これをできるかぎり続けていきたいと考えています。

―― 今後の目標は?
榎本 創業当時から、5年で1万台という目標を立てています。あと3年ですから、今後ペースを上げていかなければなりません。

そのため、現在は1都3県を対象にサービスを行っていますが、これを関東全域に拡大していこうと考えています。また、リモートサポートサービスだけならば、日本全国でのサービスも可能です。あとはアライアンスを組む形で地域を広げるという構想も持っています。

サービスについても、「さくさくん」という顧客管理システムの提供も始めました。これはクラウドを利用したシステムです。ITに強くない人にとってみれば、「クラウドって何だ」ってなるでしょうが、どなたにも使いやすく、しかもカスタマイズも可能です。

僕は自己紹介する時「IT業界のドラえもんです」と言っています。のび太君がドラえもんに泣きつくように、ITのことでわからないことがあったら、遠慮なく泣きついてください。なんとかします。お客様の相談に対してノーは言わない。これが僕のモットーです。

ティースリー/中小企業をサポートする「IT業界のドラえもん」
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