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「セコムする」が浸透

「セコム、してますか?」と長嶋茂雄氏がにっこり語りかけるテレビCMを記憶している人は多いだろう。長嶋氏がセコムのイメージキャラクターになったのは1990年のこと。以来、24年間にわたって務め続け、「セコムする」は動詞になるほど定着してしまった。

もともと「セコム、してますか?」はセコム・ホームセキュリティの宣伝文句だった。そのホームセキュリティの契約数が、この6月末で100万件を突破、大台に乗った。伊藤博社長も「これで次のステージに行ける」と手放しで喜ぶ。

自宅に機械警備を設置することは、富裕層の高級住宅のイメージがついて回り、一般家庭の普及に苦戦していたことは事実だ。それがマンション等に機器が設置されるようになり、ホームセキュリティの認知度は飛躍的に高まってきている。「セコムする」敷居は確実に下がってきていると言っていい。

そしていまや、「セコムする」は、ホームセキュリティには留まらなくなってきている。昨年末から流されたセコムの企業CM「未来をセコムする」編では、
「住まいをセコムする」
「オフィスをセコムする」
「情報をセコムする」
「健康をセコムする」
「世界遺産をセコムする」
「子どもたちをセコムする」
「高齢者をセコムする」
「都市をセコムする」
「イベントをセコムする」etc.
と、あらゆるものをセコムすると訴えている。もはや「セコムする」のは警備を指すものではないことは確かだ。

次頁からのインタビューで伊藤社長は、
「お客様が困ったことを、何とかしてくれないかと言われれば、それにお応えしよう、解決しようというのがセコム」
と語っている。

例えば、企業では珍しくなくなったICカード。これをセンサーに掲げれば、認証して電気鍵が開く仕組みだ。これだけなら単純な機械警備となるわけだが、現在では入退室の記録からタイムカードの代わりにしている企業も増えてきている。

「タイムカードの代わりに使うのであれば、給与計算までやってしまおう。給与計算をやるなら明細を携帯電話やパソコンで見られるようにしよう。年末調整も紙ではなくパソコンで申請できるようにしよう……。

最初はセキュリティから始まったものが、お客様の要望をもとに、便利なものとして進化しています。『安心・安全』をベースにして『快適・便利』なものへと広がっているのです」(伊藤社長)

セコムグループ200社

セコムの事業領域は非常に広範囲だ。伊藤社長は「多角化しているというイメージはない」と語るが、現在のグループ会社総数は200社に達し、その数も増え続けている。

セコムは1989年に、安心で便利で快適なサービスを創造し、トータルな社会システムを創る「社会システム産業」というビジョンを掲げた。そのキッカケとなったのが83年に情報通信事業に進出したことだった。

防犯カメラの映像をコントロールセンターに送ったり、ホームセキュリティの緊急通報を受け取るには、通信回線が不可欠。コンピュータとコンピュータを繋ぐインターネットの概念は80年代からセコムでは活用されていたのである。

91年に在宅医療サービスを開始し、メディカル事業に参入。98年に保険事業、99年に地理情報サービス事業、2000年に不動産事業、06年に防災事業を開始し、M&Aも積極的に行っている。「社会システム産業」の構築に何が必要なのか、足りないものを貪欲に求めた結果が、現在のセコムを形作っている。

そして10年に始まったのが「All SECOM」戦略。セコムグループのセキュリティ、防災、メディカル、保険、地理情報サービス、情報通信、不動産の7つの事業に、海外事業を加えた8つの事業が相互に連携を深め、新しいサービスを構築していこうというものだ。

詳細は後掲の記事をみていただくとして、通常の企業のグループシナジーとは異なり、セコムではいわゆる親会社が中心に配置されていないという特色を持つ。グループ会社同士が親会社であるセコムを飛び越えて、自由に議論し、新しいサービスの構築を図る珍しいスタイルになっている。

結果として、警備会社の範疇には収まりきれない規模に拡大してきたセコム。その企業体の仕組みと戦略を、次項から検証してみたい。

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伊藤 博・セコム社長
いとう・ひろし 1952年生まれ。76年早稲田大学政治経済学部卒業後、79年日本警備保障(現セコム)入社。89年セコム三重常務、2003年セコム情報システム(現セコムトラストシステムズ)社長に就任。09年常務を経て14年6月社長に就任。

今年6月に社長に就任したばかりの伊藤博氏。セコムのIT部門でもあるセコムトラストシステムズの社長を務め、2012年に東京電力のデータセンター「アット東京」の買収を手がけるなど、セコムの情報・ネットワーク事業を牽引してきた実績を持つ。その伊藤氏に、セコムはどのような会社なのか、現状と将来像について話を聞いた。

ビッグデータの活用

―― セコムと言えば、世間の人は「警備の会社」というイメージですが、グループ会社を見てみると、とても警備の会社とは思えません。
伊藤 現在は連結では174社、グループ全体で200社になっています。売り上げではセキュリティが中心になりますが、防災、メディカル、保険、地理情報、情報通信、不動産、そして海外事業という8つのセグメントで、「セキュリティ」「超高齢社会」「災害・BCP(事業継続計画)・環境」という3つの分野へのサービスをつくっている形です。

今年6月末でホームセキュリティが100万件を突破し、100万6000件になりました。これは一つの大きな区切りだと受け止めています。このホームセキュリティのサービスを通して感じるのは、家庭の安全への関心、そして健康というテーマへの関心が高いということです。

いま65歳以上の人口が3000万人を超えて、総人口に対する割合が25%を超えました。年齢が上がっていくことにより出てくる関心や、「困った」というものにお応えしていこうと。そして3・11を経て、お客様が自然災害に対して、より考えるようになってきました。その結果、災害が起こった時に、どう身を守るのか、安否確認はどうするのか、事業を継続するためにデータはどう守るのか、といったニーズが生まれてきています。その「困った」に対してお応えしていくために、セコムはどう対応していくか、今後力を入れていく分野として取り組んでいます。

―― 伊藤社長はIT・通信といった分野を手掛けてきており、この人事が、いまのセコムが目指しているものを表しているように感じます。世代交代というには前田修司会長とは年齢も近い。
伊藤 人事については私が言う立場ではない(笑)。私どもに限らず、いま新しいサービスを作ろうという時に、コンピュータとネットワークを使わないサービスをつくるほうが、むしろ難しい。先ほどの8つのセグメント、3つの分野を繋ぐ中心になっているのが、データセンターであり、ここに集まってくるビッグデータです。データというのはオペレーションをしてはじめてサービスに変わっていくもの。データセンターがオペレーションの中心になるという位置づけになっています。

目指す方向性としては、データセンターを中核にして、世の中の「困った」に応える。私は情報系のほか、人事やセキュリティ事業にもかかわっていますので、「安全・安心」をベースにして、「快適・便利」をどう実現していくかがポイントだと思っています。

―― 2020年の東京五輪開催が決まったことで、セコムは明確にこの国際的イベントを目指した取り組みを始めていますね。
伊藤 5年、10年、15年と、先を見据えて強化していくことは重要です。セコムは創業2年目である1964年の東京五輪で選手村を警備して、ここで足場を固めて次のステップに行けるようになった。その意味では、20年の東京五輪は、恩返しをするタイミングでもあります。その時までにセコムは何をするのか、それ以降はどうするのか、を考える大きな意味があるタイミングです。

「安全・安心」が大きいわけですが、オリンピックで言う「おもてなし」は、セコムで言えば「快適・便利」です。セコムしかできないおもてなしをしたい。

100万件を突破した家庭向け

―― 先ほどホームセキュリティが100万件を突破したという話が出ましたが、この分野はまだ開拓の余地が大きいのではないですか。
伊藤 最初のころは、「ウチは立派な家じゃないから」と断られていました。それがだんだんと「共稼ぎだからお願いしたい」とか、マンションを買うと付いてくるといったケースも多くなった。セキュリティは高額なものではなく「ちょっと申し込むか」という時代になっています。100万件というのは、全世帯数の2%弱にすぎません。ですから、これからまだまだ伸びる。

ホームセキュリティに「マイドクター」というサービスがありました。これは、たとえば家のなかで急に具合が悪くなった時などにボタンを押すと、セコムが駆けつけ通報するというものです。これがいまでは、外出中に倒れたとしてもセコムに通報が入って駆けつけるというところまで進化しています。単に家庭の警備だけでなく、生活支援ということで、家庭の困りごとに全部お応えしていこうと。エアコンの清掃などもお受けしたり、何でもやりますという形になっています。

―― これは高齢社会にも対応していくということですか。
伊藤 セコムでそこまでサービスしてくれるのなら、ホームに入るのではなく、あと数年は自宅にいよう、こう言っていただいたケースもあります。セコムに言えば自宅で快適に過ごせる、これを実現していく。

―― ビッグデータの活用についても詳しく説明してください。
伊藤 従来の機械警備は、銀行の店舗などをイメージしていただくとわかりやすいですが、行員が帰宅すると無人になります。ここに人が入ってくるとすれば、行員の人か、不審者かとなります。ですから、センサーで人の気配があれば異常を感知させてもよかった。

いまは、画像やデータから解析して異常を知らせることが商品化されています。たとえば、常に2人でしか入らない金庫があったとすれば、3人目を検知した時点で異常です。また、コンビニ強盗が入った際、店員が両手を挙げたままにしている。両手を挙げるという行為は、通常やらない行為ですから、異常という判断をします。

今後やっていくのは、警察官が不審な人を職務質問して逮捕するように、いかにデータから不審者を特定して駆けつけ、対処していくかということを考えています。たとえば、ですが、一定の速度で歩いている人は悪いことをしない、何かやる人はスピードが変わり、うろうろする。グレーゾーンの人のデータを捉えていって、対処すべき案件が起きるのかどうかを検知していく。

すでに導入しているものには、災害時のお知らせがあります。火事が起きた時に、ネット上ではツイッター等でつぶやかれていることが多い。それらの情報から場所を割り出して一刻も早く、近隣の契約者の方に通知する等、ビッグデータを解析した結果に基づいてオペレーションをしています。みなさんが会社から帰宅されたあとは、会社付近で火災が起きてもなかなか知ることができませんからね。

セキュリティについてはコントロールセンターが設置されていますが、災害分野であれば「あんしん情報センター」、超高齢社会分野であれば「メディカル情報センター」を設置しています。その背景にあるのがビッグデータです。そしてこのビッグデータを守るために、サイバーセキュリティを充実させていかなくてはいけません。

―― 生活支援としてのビッグデータはどう活用されるのでしょう。
伊藤 たとえば血圧等、日常取ることができる情報をもとにして、何か異常が重なった時にどういうことが起こるのか。セコムには提携病院がありますから、治療の仕方やその効果など、仮説をもってデータを抽出し、実際にオペレーションしていくことができます。

災害等に対応する「あんしん情報センター」。

災害・BCPについても、データセンターが重要なことがわかりました。3・11の時に身近な問題としてあったのは、薬がわからないことです。血圧の薬と言われても、処方箋がなければわからない。銀行に行っても、証明書がなければ預金を下ろすこともできません。家族に連絡を取ろうにも、携帯電話にすべて連絡先を入れてしまっていたので、連絡できないということがありました。これは非常に深刻な問題です。11年12月に発売したのですが、ホームセキュリティにカメラをつけて、通帳や証明書、処方箋、電話帳のデータなどをすべてセコムでお預かりしようというサービスです。

各企業・自治体の問題として、コンピュータが水没してしまってはデータが消えてしまいます。事業を継続するために、データをお預かりする。このニーズはいま非常に高まっています。

―― 東京電力が持っていたデータセンターのアット東京の買収を手がけたのも、伊藤社長でしたね。
伊藤 12年にアット東京をセコムのグループにしたことで、24万平方メートルの、日本最大級のデータセンターができました。これを使って、BCPをはじめ安心を持ってもらえればと思います。もともとは災害時の社員や家族の安否から始まったものですが、現在では、社員の状況を見ながら、あなたは会社に来てくれ、君は工場に行ってくれと指示が出せるまでサービスが進化しています。

拡大も多角化ではない

―― なぜ警備以外の領域に広がったのでしょう。
伊藤 誰でもそうなんですが、あることが満たされると、もっとこうしてほしいというニーズが出てきます。たとえば離れた家族の安否確認をしてほしい、とか。お客様が困ったことを、何とかしてくれないかと言われれば、それにお応えしよう、解決しようというのがセコムなんです。

―― 伊藤社長が入社した当時、このような会社になると想像できましたか。
伊藤 当時は日本警備保障という名前でしたから、現場に配属されて、営業もやって、ということをしていました。ただ、80年代にホームセキュリティを売り始めたころ、セキュリティをデパートで買える時代にしたいという言葉が聞こえ始めました。入社したころは、こんな会社になるとは思ってなかったですね。前例のないことをたくさんやってきたのは確かです。現状を否定するんだと、いつも言われつづけていました。

創業者である飯田(亮氏。現・最高顧問)からは、判断基準は「正しさ」であると言われました。我々にとって、ではなく、社会にとって正しいかどうか。現状は打破し、既成概念も打破する。新しいものを生み出していく。必要なことをやりつづけてきたら、いまのセコムになったわけで、多角化をしているというイメージはないですね。

世の中にはまだ、必要でも実現できていないことがたくさんあります。サイバーテロも高度化し、悪質化している。サイバー空間の安全も重要なテーマです。早くサービスを立ち上げれば、進化させられますから、いかに早くサービスをつくっていくかが課題だと思っています。

(聞き手=本誌・児玉智浩)

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推進本部の設置

セコムで「ALL SECOM」という言葉が登場したのは前田修司会長の社長時代のこと。2010年に始まった「ALL SECOM運動」が最初だった。

もともと、セコムは「社会システム産業」をキーワードに事業を拡大していった歴史があり、社会システム産業の構築に必要な事業という定義のもと、グループ間のシナジーを意識した企業体だった。しかし、以前のセコムは「セキュリティ」を中心に他の事業が衛星的に配置されていた。たとえばIT企業の楽天が楽天市場を中心にして金融事業やトラベルが周囲を固めているのと同じようなグループ形成だと思えばわかりやすい。すべての事業は「セキュリティ」を経由して繋がっていたのである。

グループのあり方を根本的に見直すキッカケになったのが、創業50周年を迎えた12年のこと。「セキュリティ」「防災」「医療」「保険」「地理情報サービス」「情報」「不動産」を7つのセグメントと定義し、ALL SECOMとして社内外に発表した。この時に設置されたのが、「ALL SECOM推進部」だった。

杉本陽一・セコム執行役員

推進部を担当する杉本陽一執行役員は次のように話す。

「最近、よく言われているクロスボーダー経営というものがありますが、実際には、事業部門の壁を乗り越えるというのはたいへん難しい。同じグループでも、企業や部門が違えば話し合いの頻度は下がります。そこを解消しようと、12年6月20日から『ALL SECOM推進会議』を開くようになりました。各グループ企業から代表者を出してもらい、顔を合わせてお互いを知るところから始める。現在までに26回開きまして、グループ間のコミュニケーションを図っています。参加者も当初は10社くらいでしたが、現在は26社40部門以上の代表者が集まる会議になっています」

推進部の役割は大きく3つ。1つ目がALL SECOM営業でグループの連結決算を最大化すること。2つ目がALL SECOMによる新規サービスの創出。3つ目がALL SECOM体制の強化だ。

特に2つ目の新規サービスの創出では、実際に次々と商品を世に送り出すことに成功している。直近では「海外赴任者パッケージ」が6月に発売された。

「この商品は、急に海外に行かなくてはならない方のための支援パッケージです。たとえば1~2カ月前に辞令があったとして、子供の学校をどうするのか、親御さんが独りになるなら面倒を誰が見るのか、持ち家は売却するのか、クルマはどうするのか、その場にならないとわからない問題がたくさんあります。これらの問題をグループ全社、それぞれの商品と知見を集めて、解決しようとつくった商品です。

従来どおりの各社での営業であれば、このような切り口では実現できません。この商品は国内で13社、海外含めて22社が集まってできたものです。ふつう、こういった複数の会社が関わる商品は時間がかかるものなんですが、今年3月末に着想して、6月24日に発売と、3カ月ほどで発売開始にまで至っている。いろんな部門でいろんな事業があり、それを組み合わせることによってワンストップのいいサービスが提供できる。ALL SECOM商材のよい例ではないかと思います」

この推進会議からは、危機管理支援サービスやビジネスマッチング、災害備蓄品のサービス、パーキングのシステムなど、幅広い分野のサービスが商品化されている。

「従来、このような商品は、セコムの人間が中心になって考え、他社に声をかけるような形でしたが、現在は各社の人間が各社各様に自分たちの商品を持ち寄って、どう組み合わせれば価値が高まるかを考えています。単品の商品ならそれだけの価値ですが、22社が手を組めば、海外赴任者パッケージのような商品がわずか3カ月で世に出せる。これは毎月顔を合わせてコミュニケーションを取るからできるのであって、他社の商品を自分の会社の商品のように扱える形になったというのは、2年間やってきた1つの成果でしょう」

親・子の垣根を払う

現在、ALL SECOMは7つの事業に海外事業を加えた8つのセグメントで構成されている。これを、「セキュリティ」「超高齢社会」「災害・BCP・環境」の3つのサービス分野で商品を提供する形だ。従来セキュリティ分野のサービスだった「ココセコム」に医療的な考えを入れて、超高齢社会分野の「マイドクタープラス」のような商材も生まれている。

「セコムには200のグループ会社があります。それらの企業が3つのサービス分野の商品を展開しているわけですが、中心にはデータセンターがあるわけです。セキュリティであれ、医療分野であれ、地理情報であれ、すべての企業がデータベースを持っています。そのデータベースがセコムのデータセンターに集められて、そこが中心になって、ビッグデータ的な解析を行い、世の中に貢献できるサービスを生み出しています」

こうした流れのなかで、親会社であるセコムが仕切ることのない商品の共同開発が盛んになってきているという。

セコムは新しい形のグループ戦略に挑む。

「いま会議で活発になってきているのは、たとえば保険と防災を組み合わせたらどうか、保険と空間情報を組み合わせられないか等、2社間で新規事業はできないかという協議です。アイデアだけでも50個くらいは出てきています。ふつうはセコムが真ん中に入って、グループ企業の間を仕切ると思います。ALL SECOM会議もふつうならセコムの人間が司会をする。しかし、実際はグループのほかの人間が司会をしています。セコムもグループの一企業という考え方です。

グループ企業には防災がありセキュリティがあり病院があります。そこにはそれぞれの伝統や文化があって、社風も違う。40人以上の人間が集まって会議をしても話が合うわけがない。だからこそ、回数を重ね、会う頻度を高くしてコミュニケーションをとっていく。やり方が違うことも汲み取ったうえで、安全・安心で快適・便利な社会をつくろうとしている。自分たちの知見で何ができるか、使えるのかを議論しています」

セコムグループは持ち株会社がなく、本体であるセコム株式会社がその役割を果たしているが、グループ内で親会社・子会社という表記はせず、その言葉も使わない。

「ALL SECOMが打ち出されてからは、さらに風通しがよくなってきて、意見交換が活発にされるようになりました。グループ内には日本一、世界一と呼ばれる技術がたくさんあります。基本的にイノベーションは組み合わせからできるものです。社会システム産業として必要な9つ目のセグメントができるのであれば、このALL SECOMからつくっていこうと考えています」
前例のないグループ体制の構築は果たされるか。ALL SECOMの動向に注目だ。

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いま注目を集めているのが、来年にも製品化されるという自律型小型飛行監視ロボットだ。すでに屋外巡回型監視ロボット「セコムロボットX」で警備ロボットの実績を持っているが、これを地上ではなく、空中から監視しようというもの。

閉店中の商業施設などで侵入者があった場合、格納庫から自動的に飛び立ち、クルマや人などの侵入者の上空を旋回、ナンバープレートや顔などをカメラで撮影してコントロールセンターに送る。仮に叩き落とそうとしても届かない位置で、一定の距離を保って飛行する優れもの。不審者の早期逮捕や再犯防止への効果が期待されている。

「困ったらセコム」を実現させるために技術研究を磨く。

このロボットを開発したのがセコムIS研究所。この研究所の所長である小松崎常夫常務執行役員(写真)は次のように語る。

「空間情報はパスコが、画像解析やセンサーは研究所が20年以上研究してきている。グループのこういう技術を寄せ集めていけば、いいものができる。何をすべきかという大事なところは、我々の優秀なガードマンがいればやるであろうことを、監視だけですがロボットにやらせようというものです。セコムはシステムサービス業として、システムと技術はしっかりやっていこうと」

セコムが東京都武蔵野市に技術部門のセンターをつくったのは1979年のこと。以来、自社開発を積極的に進めてきた。ロボット警備をはじめ、センサーや画像を転送する通信技術など、その実力は最先端を走る。ただ、メーカー等の研究所とは異なるのが、セコムの目的が技術だけではないことだろう。

「どこにもない革新的なサービスをつくるのが重要な役割です。飛行ロボットにしても、モーターやフレームは自分たちでつくっているわけではありません。技術屋は自分がつくったものを使いたがる傾向が強い。そうではなく、いい道具はどこがつくったものであっても使う。私たちの目標はサービスをよくするためであって、モノをつくることではありません。ですから、研究所はいろんな会社とお付き合いしています。いい技術があればウェルカム。ただ、総じて我々がやりたいことは、日本では誰もやっていないことだったりするので、道具がなければ自分たちでつくるということです」

創業者である飯田亮最高顧問は1970年代にはすでに研究所構想を持っていたという。「困ったらセコム」を実現するためには、解決法を用意しておかなくてはならない。いま誰が見ても困っていることではなく、まだ誰も気づいていないこと、将来起こるであろうことを予測し、未来のことを考える機関が必要だと考えたからだという。だから、IS研究所には“予算”という考え方も存在していない。

「未来は縛れない。必要なものが、予算を計上していないからといって先延ばしになるようなムダはしたくないでしょう。必要な時に、必要な分だけお金をかける。将来、きっと大事になるようなことを手掛けておくんです。全部は成功しませんが、いざ必要になったらすぐに出せるようにしたい。そうでなければ、研究所の価値はありません」

いまセコムのガードマンは約1万人。しかし、契約数は約200万件に達している。これを可能にしているのが、機械警備のシステムだ。

「1件に1日中警備員が立つとすると、毎日24時間で5人の人間が必要になってきます。200万件のお客様の安全を守るためには、1000万人が必要になります。日本の10人に1人が警備員でなければならない。高度な技術が周辺を固めることによって、社会にとって必要なことを実現する力が1000倍になる。テクノロジーがサービスに加わることで、システムになっていきます。人と技術の融合でいいサービスをつくっていく。研究所の成長が新しいサービスを生み出すエネルギーになると思っています」

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ALL SECOM戦略の中心に位置されているデータセンター。今後さらに蓄積されるであろうビッグデータの中心基地でもある。このデータセンターを運営するのが、セコムトラストシステムズだ。

泉田達也社長(写真)はデータセンターの役割について、こう語る。

セコムトラストシステムズ
1985年日本コンピューターセキュリティとして創業。「社会システム産業」を展開するうえで不可欠な、情報・ネットワーク事業を担当する。情報セキュリティサービスだけでなく、データセンターサービスや災害対策で中心的役割を果たす。

「セコムのグループ会社をITで束ねているのがトラストシステムズです。グループ間のネットワークやイントラネットもやって、業務の効率化を担っている部署になります」

ネットワーク関連だけでなく、トラストシステムズのもう一つの顔になっているのがデータセンター事業者である点だ。2012年に東京電力から買収したアット東京に従来セコムが持つセキュアデータセンターを合わせると、24万平方キロと、日本でも最大級の広さをもつデータセンターになる。

「セコムはすべてのお客様にセンサーを張り巡らせています。そこからネットワークでセコムのコントロールセンターにデータを集め、対応している。ここに集まるグループの情報が集積してビッグデータになり、これを有効に解析してサービスをつくっていくことになります」

データセンターのビジネスはセコムグループ内にとどまらない。大手金融機関や自治体もセコムにデータを預け、それがサービスとしてデータセンターだけでも利益を生み出す体質に育ってきている。

「以前はメーカーさんなど、大きな工場の端っこに小さなデータセンターが設置されていたものです。ところが震災以降、流れが変わってきています。データセンターを自社で持つのは、非常にコストがかかります。まして免震構造のものを建てるとなれば、投資額は膨らむ一方です。CO2の排出量も大きく、環境面の問題もある。それらに対応しているデータセンターに預けたほうが、経済合理性、災害時のBCPの観点からも、いいわけです。その代わり、預けて安心、という会社でなければならない」

近年、金融機関や自治体、企業に対するハッキング被害は後を絶たない。その手口も巧妙かつ悪質になり、サイバーセキュリティはどこの企業でも課題の1つだ。この分野もセコムトラストシステムズが担う。

「インターネットバンキングの被害が今年すでに18億円を超えたということです。法人、特に地方銀行のお客様が被害にあっているという。そこで、セコムも安全にネットバンキングができるサービスを出しました。たとえ端末がウイルスに侵されていても、セコムしか経由しない通信で、セコムの安全なパイプを通って、銀行のインターネットバンキングまでエスコートするイメージです。昔は愉快犯が多かったのですが、いまは産業スパイのように新製品の情報を抜いたりという事件も増えています。しかも、データを抜いた形跡すら残さず、市販のウイルスチェックでは防げないものになっています」

トラストシステムズの前身の1つに、セコムとNTTが合弁でつくった日本コンピューターセキュリティという会社がある。これは創業者の飯田氏が1985年につくった会社だ。インターネットが認知される10年以上前からネットワークセキュリティを危惧していたことになる。

「当時からネットワークを駆使した警備システムをつくってきましたから、ネットワークが経営上の重要な資産になるとわかっていたのだと思います。ALL SECOMの中心として重要な役割を担うわけですから、さらに強いデータセンターを作っていきたいですね」

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「我々は防災専業です。この分野に関しては国内でトップですが、世界でもナンバーワンを目指したい。2020年の東京オリンピックが、その契機になればいいと考えています。オリンピック関連施設を含め、これから建設される新しい施設についてさらに進化させた防災システムをこれからプレゼンしていきますし、同時に高度成長時代につくられ、劣化した施設の保全についても取り組んでいきます」

と語るのは、能美防災社長の藤井清隆社長(写真)だ。この言葉にあるように、同社は防災機器の最大手。火災報知器や消火設備などを、ビルや住宅、工場やプラント、発電所、トンネルや橋梁などのインフラ設備、そして文化財などに設置している。

能美防災
創業は1916年。輸入商社だったが関東大震災で火災の恐ろしさを知り、火災報知器を輸入、防災事業をスタートさせた。セコムとは1974年に業務提携。2006年に連結子会社となる。防災業界のトップ企業で、トンネル、プラント、工場、船舶、文化財、ビル、地下街から住宅まで、さまざまな施設に納入実績を持つ。

2年後に創業100周年を迎える老舗企業だが、1974年にセコムと業務提携、2006年にはセコムの子会社となった(出資比率50.2%)。

セコムグループの部門別売上比率を見ると、1位がセキュリティ部門で56%。それに次ぐのが防災部門で15%となっている。その大半を、能美防災が稼ぎ出す。

現在、能美防災が力を入れているものの1つが、「点ではなく面の防災」だ。これまでは、ビル1棟のように、1つの建物を守る「点」での防災が中心だった。それを、複数の建物や地域の安全を守るという「面」に広げようとしている。

例えば住宅の場合なら、いまでは火災報知器の設置が義務付けられているが、高齢化の進展もあり、いざ自宅や隣の家のアラームが鳴っても気づかないというケースもあるという。これでは何のための報知器設置かわからない。そうならないためにも、単に警報音を発するだけでなく、消防に連絡したり隣近所に確実に伝えるシステムを構築する必要がある。

あるいはオフィスビルでも、広域再開発の場合など、一元管理することで、より効率的な防災システムが可能となる。

そのためには、単に防災機器というハードを販売・設置するだけではなく、サービス事業へとウィングを広げていかなければならない。

「ハードだけでなく、サービスも含めてトータルに提供するというのは、セコムがいちばん得意としているところですから、そういう部分でシナジーが発揮できると考えています。さらに、セコムはグループ内に、医療や地理情報などいろんな分野を持っています。こうした資産を活かすことで、新しい可能性が生まれるかもしれません」(藤井社長)

もう1つ、今後さらに力を入れていこうとしているのが海外事業だ。現在、海外売上比率は5%程度にすぎないが、早晩、10%にまで引き上げたいと考えている。

その場合、中心となるのが東南アジアだ。そしてこの地区なら、すでにセコムが築いたネットワークも活用できる。

「これまではほとんど、独力で展開してきました。でもセコムの現地法人と連携することで、事業を拡大していきたい」(藤井社長)

能美防災はセコムの子会社となって8年がたつが、これまではゆっくりと両社の企業文化の融合を図ってきた。そしてその成果は、これから新しい防災の形として表れてくる。

「我々には防災のパイオニアとしての自負があります。これまでも、一つひとつの事象に対応しながら、一歩進んで、次の防災のあり方を提案してきました。我々が道を拓き、法律があとからついてきたこともあります。これからもそれは変わりませんが、グループの力を活かすことで、より幅の広い提案ができるかもしれない。要は、困りごとを解決する。その意味で、セコムと歩調は揃っています」(藤井社長)

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「セコムグループにおける損保事業というのは、新たにグループに加わった事業ではなく、セコム創業のころから表裏一体でやってきたビジネスだと思っています」

尾関一郎・セコム損害保険社長(写真)は、グループ内での同社の立ち位置について、こう話す。

そして「自分たちが警備するお客さまに万が一のことがあったら、それを補償すべきではないか、という考えは創業期からあった」という。

こうした保険に対する基本的な考えは、今も変わっていないものの、やはり保険事業をビジネスとして捉えた場合、セコム損害保険の状況は厳しいといえるだろう。

現在の損保業界は、東京海上日動、三井住友海上、損保ジャパン日本興亜の大手3社の損保グループが国内シェアの約90%を占め、残りをそのほかの国内損保とネット系損保で5%、外資系損保(ネット系含む)で5%という「3強多弱」という状態にある。しかも、その“多弱”のなかでも「認知度という点ではまだまだ」(尾関社長)というのがセコム損保の現状だ。

そこでいかにセコム損保として独自性を打ち出し、認知度をあげることができるかが、同社の課題になっている。

セコム損害保険
1950年東洋火災海上株式会社(前身企業)資本金3000万円で設立。98年セコムが資本参加グループ入り。社名を「セコム東洋損害保険」に変更。2000年社名を現在の「セコム損害保険」に変更。現在の資本金168億880万円、セコムの持ち株割合97.8%、従業員数482人。

実は“特殊な”損保?

大手も含め損保の収益の柱は、基本的に自動車保険におかれている。たとえば、大手3社の収益の構成比を大まかにみると、50%弱が自動車保険、次いで火災保険が13~14%、自動車損害賠償責任保険(自賠責)が12%、傷害保険が8.3%、海上保険が3.2%、その他が14%前後といったところ。

また、損保の収益力を示す指数のコンバインドレシオ(数字が大きくなるほど利益が少なくなる)でみると、全体では90%台半ばだが、自動車保険だけに絞ると100%を超える。つまり、主力の自動車保険が赤字体質から抜けられない状態が続いていた。

そのため昨年の10月から事故を起こしたドライバーの保険料を大幅に値上げする新たな等級制度に切り替えが行われた。その結果、この収益構造がなんとか改善できているというのが今の状態だ。

一方、セコム損保の収益の構成比は、一般的な損保とはまったく違っている。13年度の同社の構成比をみると、もっとも大きな収益の柱になっているのが火災保険で38.2%、次いでその他の保険の34.9%、その次に自動車保険の18.8%、自賠責の6.7%と続く。いわば自動車保険に頼らない、めずらしい損保なのである。

なかでも火災保険に次いで収益の柱になっているのが、第3分野の保険のがん保険「自由診療保険 MEDCOM」(5年定期保険)である。

その主な保障内容は、がんの診断給付金100万円、入院治療費は無制限、通院については1000万円(5年ごとの契約更新時に復元)までというもの。この保険の特筆すべきところは、いま話題になっている自由診療を含めて実費治療費を補償するという点にある。

「このがん保険は『困ったときに本当にお客さまのお役に立てる』という、いちばんセコムらしいコンセプトが詰まった商品です」
と尾関社長自らが太鼓判を押す。

大手3社の寡占状態にある損保業界で、セコム損保が独自のポジションを確保するには、自社が持つこうした強みをどう生かすにかかっている。

「セコムはホームセキュリティなど『家庭』にフォーカスをしているので、われわれも家庭にウエイトをおいたビジネスを展開していきたい」
と話す尾関社長。「家庭」をキーワードに、セコム損保の挑戦は続く。

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「セコムのサービスは、建物であれ人であれ、必ず“位置”がついています。その位置情報で必要なものを当社で提供するわけですが、空間情報は年々高度化し、それに連れてセコムのサービスも高度化していますので、そこでいいコラボレーションをしていくことですね」

オールセコムの中でパスコが担う役割について、同社の目﨑祐史社長(写真)はこう語る。パスコの技術で一般の人に最も馴染みが深いのが、セコムが2001年からサービスを開始した「ココセコム」だ。最初は子供の見守りサービスを主眼として出発した事業だが、クルマやバイク、ATMや金庫などの盗難後の行方特定に威力を発揮してきた。これまで、延べ2700件余りの貢献事案があるが、盗難などはそれほど高い頻度で発生するものではない。

一方、人に関わるところでは高齢者の徘徊で、家族が探すのに役立つシーンが増えており、さらに超高齢社会が進む今後は、シルバー社会の日本に、なくてはならないサービスになっていきそうだ。

また、測量、コンピュータ両方の技術進歩によって、三次元空間からの解析も進んでおり、建物のセキュリティ面から見て、セコムの監視カメラをどの場所に設置したらどのように見え、ゆえにどこに設置するのが最適なのかを割り出すこともできる。

「加えて、商圏を分析して、どの地域にどんな出店計画を立てたら有効なのかを、空間情報の視点からご提供する機会も増えています」

パスコ
セコムが1999年に傘下に収めた航空測量大手(セコムの持ち株は69.8%)。2001年4月に開始した屋外用携帯緊急通報システムの「ココセコム」が有名で、GPS(全地球測位システム)衛星と携帯電話基地局の電波を活用し、高精度な位置情報を提供。災害関連をはじめとした官公需に強い。

1999年にセコム傘下に入ったパスコは、ココセコムのサービスをはじめとして段階的に民需の受注が増えているが、ざっくり言えば現在でも民需は2割、海外も含めて官公需が8割を占めている。

その一つが災害関連だ。阪神淡路大震災や東日本大震災、最近では広島市での大規模土砂災害において、いち早く情報収集して対策に寄与してきた。

セコムは災害発生後に情報収集して対策に貢献するわけだが、「当社ではシミュレーション技術や空間情報の知見から、“このくらいの風や雨になると、ここの交通網が、こういうふうになる”という予測が立てられます。その情報を防災・減災に役立てていただくのです」

災害ではないものの、たとえば西之島(小笠原諸島)の大規模な噴火で島の面積がどんどん大きくなったが、ここを飛行機で頻繁に行き来して定点観測することは難しい。そこで、パスコの人工衛星が継続的に島をモニタリングして情報提供する。

さらに、固定資産評価や管理、道路関連施設の管理などでもパスコが活躍する機会が多い。

「たとえば、固定資産税は自治体が建物や土地を所有している人たちに課税するわけですが、その課税対象の建物や土地に変化がないかどうか、変化があればそれを抽出するサービスを行います。

また、笹子トンネルで天井崩落という惨事がありましたが、それ以降、国土交通省が全国の道路やトンネル、橋梁の点検を指示したでしょう。老朽化や腐食の実態を計測するのは、数が膨大過ぎて人手に頼れません。そこで、赤外線やサーモグラフィ、レーザービームなどを用いて当社で計測しています」

海外では今年6月、インドネシアから依頼を受けてデジタルデータによる国土地図を納品するというビッグプロジェクトを終えたばかり。インドネシアは曇りの日が多くて晴天が滅多にないため、空撮からの計測が難しく、そこでパスコの電波やレーダー技術を駆使して地図データを作成したという。そうしたニーズは赤道付近の東南アジアや南米のアマゾンに多い。

国内外で、今後もパスコの需要が高まりそうだ。

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セコムが医療分野に進出するキッカケになったのは、1981年に発売された家庭用安全システム「マイアラーム」(現セコムホームセキュリティ)だった。緊急通報用のボタンが、思わぬ事業の芽になったという。

医療事業を担当する布施達朗取締役(写真)は次のように語る。

セキュリティと医療の両面から「安全・安心」を提供する。

「事業所は夜、カギをかけると中には誰もいませんが、家はカギをかけると中に人が寝ている。事業所と違って、赤ちゃんやお年寄りがいて、いろんなことが起こる。そのなかで、緊急通報用のボタンを作りました。

当初は、カギを開けようとしたら後ろから襲われたとか、押し入り強盗を想定していたんですが、実際はお年寄りが倒れたとか、お子さんが何かを飲み込んだという身体に関するニーズで使われました。ただ、セコムの対処員は警備員ですから、何もできない。そこで医療事業に目覚めたわけです」

最初は救急車の事業や在宅医療の分野での参入を目指したが、救急車は総務省の管轄であり、訪問看護も健康保険が利かない。ビジネス面からは厳しさばかり目立ったという。

「お客様が困った時に、行く病院もなければ、戻る病院もない。なら自分たちで病院を持とうとなったわけです。実際は、株式会社は病院を経営できませんから、提携病院という形で広げていきました。それを取り巻く形で、訪問看護、訪問介護の整備をしていったのです。一方で、高齢化に伴って、老人ホームの事業を同時並行ですすめてきました」

昨年、セコムは「マイドクタープラス」を発表。従来の救急通報に加え、電話機能を付け、GPSによる位置情報も取得できるようになった。これにより外出先で倒れた際も、通報すればセコムの対処員が駆けつけることができる。このサービスこそALL SECOMの象徴的な例だと言っていい。

「我々が使っているのは、ユビキタス電子カルテといって、病院のサーバーではなく、データセンターで預かるカルテです。処方箋などの医療の情報、介護の情報、個人の情報が預けられているので、救急通報があった際に、かかりつけ医の情報や家族の連絡先までわかります。通報、連絡、対処まで素早く行うことができます。超高齢社会に進むなか、セキュリティと医療・健康が融合したサービスですから、防犯・防火以上にニーズが高まってきています。これが欲しいからホームセキュリティを契約する方がいるほどです」

日本国内では株式会社による病院経営はできないが、海外なら参入できる国もある。セコムは今年3月、インドに「サクラ・ワールド・ホスピタル」を開院した。

「海外というのは、日本から外に行くのと、海外から日本に入ってくる2つの面があります。セコムは、アジアのトップリーダーとして、日本の医療を世界に広めたい。同時に、アジアから人を受け入れて、きちんと教育研修できる機関を置きたい。日本の高い医療技術を学びたいというアジアの人はたいへん多いし、意欲が高い。それに応えなくてはいけません。そして、その人たちが故郷へ帰る時に、我々がその地域で病院を経営していれば、受け入れになるし、地域にも貢献できます。ひいてはアジアの発展に繋がる。

インドは世界最大の民主国家で経済が発展している半面、医療供給体制が進んでいません。我々が長年培ってきたノウハウを現地に伝えながら、人も育てていきたい」

セキュリティと医療の両方を提供するモデルは世界でも類を見ないだけに期待は大きい。

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セコムが初めて海外に進出したのは、1978年の台湾だった。

オンライン・セキュリティは世界的にもまだ普及しておらず、機器の開発から設置、保守、非常時の出動まで、1社がすべて一気通貫で行うセコムのスタイルは極めて珍しいサービスだと言える。台湾ではこのスタイルが受け入れられ、セキュリティ企業としては台湾のトップ企業にまで成長している。以降、韓国、中国、ASEAN諸国、イギリスなど、進出した国は世界21カ国まで広がった。

しかし、セコムの海外売上比率はわずか5%ほどにすぎない。グループ国際事業本部長の石川博執行役員(写真)は次のように話す。

海外売上比率7.5%が当面の目標。

「昨年、当時社長の前田が2015年度までに海外売上比率を7~8%に引き上げると発言しました。特にセキュリティ事業において、国際事業をもう一段上に引き上げようというものです。安心して暮らしたいという思いは、中国でもタイでも変わるものではありませんから、サービスの根本は、国境を越えても同じです。ただ、現地の人々にサービスのコンセプトを理解していただいて、セコムのクオリティを維持しなくてはいけない。そういう難しさはあります」

自動車等のメーカーとは違い、モノを売るのではないだけに、サービス業は人や文化に左右される部分が大きい。その国の治安なども影響があるという。

「あまりにも治安が悪い国は難しい。たとえば銃社会では、社員の安全も危険に晒されるために慎重にならざるを得ません。また、政変や革命によって体制がひっくり返る恐れがある国も除外しています」

警備会社は軍隊や警察ではないため、積極的に反撃するようなことはできない。あくまで未然に防ぐことが目的であるため、ある程度の治安が保たれなければ成立しない業種であるとも言えるだろう。

セコムが進出先を検討する場合、多くは日本企業の海外進出に合わせるケースが多いという。

「日本企業はセコムのよさを理解していただいているし、要望も日本語で伝えやすいという面があります。まず日系企業の現地法人のセキュリティで実績を残し、認めてもらってからローカル企業の契約を高めていく形。セキュリティ意識の高い現地の金融機関からの依頼が多い。

中国は進出して20年以上になりますから、現在では日系企業の割合は2~3割まで下がっています。特に中国の場合は各省が独立した国のようになっていますから、主要都市に1つずつ法人を設立して、各省のルールに合わせた形で進出しています」

昨年から増えてきたのが、地銀など中小の金融機関からくる取引先への支援の依頼だという。

「大手メーカーの下請けである中小企業が、大手メーカーに付いて海外に進出することが増えている。現地の治安や防犯対策等をアドバイスしてほしいというものです。こうした金融機関からのビジネスマッチングの機会が非常に増えています」

アジアの場合、シンガポールなど早くから外資に門戸を開いていた国はイギリスの警備会社が進出していることが多い。一方で、これから成長が期待される新興国はオンライン・セキュリティそのものが普及していない。台湾や韓国でのようにセコムがトップ企業になれる環境が目の前にある。韓国では『セコム、してますか?』が『セキュリティしてますか?』という意味で使われるほどセコムが浸透している。アジアで「セコム」が公用語になれば、一気に世界企業に近づくことになる。

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飯田亮・セコム創業者
いいだ・まこと 1933年東京・日本橋に生まれる。56年学習院大学政経学部を卒業し父親の経営する酒類問屋「岡永」入社。62年に日本初の警備会社、日本警備保障(現セコム)を創業し社長に就任。76年会長、97年から取締役最高顧問。

やりたいことをやってきた

―― セコムは警備会社からスタートして、いまではさまざまな分野に進出しています。ところがその結果、事業領域が多岐にわたりすぎて、何の会社か見えにくくなっている。いったいどういう基準で、進出する分野を決めているのですか。
飯田 セコムがどういう会社であったら、自分が満足できるか、あるいは社員などみんなが満足するにはどんな会社であったらいいのか。そういう考えに基づいて会社をつくってきました。だから好きなことだけ、自分の気に入ったことだけをやってきた50年です。

―― 50年前の創業時から、単なる警備会社で終わらないことを決めていたんですか。
飯田 そう。社会が必要とするものすべてをやるという考えでやってきました。

―― ということは、顧客のニーズに応えてきたら、いまの形になったということでしょうか。
飯田 お客さんの言うとおりやってきたらこうなったと言えればいいのだけれど、そう簡単なものではありません。仕事を続けているうちに、これはこういうやり方でやったらもっとうまくできることがわかったり、世の中に欠けているのはこれだ、ということに気づいてそれを埋めてきたようなものです。言い方を換えれば、そういうことができる会社を一生懸命につくってきた。

―― セコムに一貫しているのは自前主義ですね。システムの開発からサービスまで、すべて自分たちで手掛けています。セコム自身がアウトソーシングの会社なのに、自分たちの仕事はアウトソーシングしようとしないところが面白い。
飯田 アウトソーシングしたほうが効率的なところもあるかもしれません。でもそういうことより、自分たちが気に入った姿の会社にしたいと思うとアウトソーシングはできない。

―― でもセコムが成功すると、続々と追随する企業が現れました。その中には、アウトソーシングを活用するなどして、価格を武器に勝負してくる。脅威ではなかったですか。
飯田 脅威には感じました。そっちのほうが効率がいいから。でも自分の気に入った形で、気に入った風土で、仕事をしたいという考えが強かったから変えようがなかったですね。

―― 企業が成長する過程で、セコムは多くの会社を買収してきました。能美防災もセコム損害保険もそうです。このように多くのM&Aを行っていると、必然的に多くの案件が持ち込まれるでしょう。受ける受けないの線引きはどこにあるのでしょう。
飯田 持ち込まれる案件はそんなにあるもんじゃないですよ。ただ、自分の中に会社全体のデザインはそれなりに決まっているから。こういう会社が不足しているなあと思えば、そこで吸収合併しようとかそういう話になります。その場合、仮に時間がかかっても、粘り強く交渉していきます。おかげで能美防災なんかはとてもいい会社になりました。

―― それはセコムの子会社になったからですか。もともとトップ企業だった。
飯田 いえいえ、能美防災自体の素質がよかったんです。もともとシェアもトップでトラディショナルな、いい会社でした。それにさらに磨きがかかって、さらによくなった。あれだけの会社をつくるというのは大変なものだと思います。

―― 逆に失敗したことはありますか。
飯田 失敗例はアメリカのセキュリティ会社を買収したことですよ。結局うまくいかずに、アメリカ本土から撤退した。アメリカのセキュリティビジネスの経営形態は、日本とはまったく違います。小さな会社を買って、少し手を入れて株価を高めて高く売る。その数がまとまれば、結構な金額になる。そういうビジネスなんです。我々とは考えが違いますから、いまは全然手を出す気はないですね。

ただ、考え方としては、やる時は前のめりになってやる。それで失敗しても、仕方がない、また別のことをやればいいんです。

―― 飯田さんの目から見て、いまのセコムに、事業領域で足りないところはありますか。
飯田 少子高齢化に対するシステムですね。いまのセコムの体制に満足しているかというと、答えはノーです。もちろんこれまでも取り組んできましたが、もっと本気にならなくてはいけない分野だと思います。

いままでは、セキュリティの手法で対応しようとしてきました。だけどそれでは追いつかない。ですから、従来の延長線上ではない、新たなシステムをつくり上げなければなりません。普及させるためには、いまよりさらに人数をかけないで、コストももっと安くしていく必要があります。その意味では、当社の取り組みは、ちょっと遅い。

セコムがモデルになった『ザ・ガードマン』の出演者たちと。

大企業病を防ぐ企業風土

―― 日本で初めて警備会社にスポットがあたったのが、1964年の東京オリンピックです。セコム(当時は日本警備保障)が会場警備を請け負ったことで、多くの人が知ることになりました。しかもその後、セコムをモデルにしたテレビドラマ『ザ・ガードマン』(65~71年、TBS)によって、警備業が産業として認知されるようになりました。
今年は東京オリンピックからちょうど50年の節目の年です。そして、6年後には東京で2度目のオリンピックが開催されます。50年前同様、セコムがさらにジャンプアップするきっかけになるんではないですか。

飯田 今度のオリンピックは50年前とは規模が全く違います。大会の規模も、企業の規模も、社員の質も違っている。ですから、まったく別なものとして取り組まなければなりません。どうすればいいか、いま経営幹部たちが一生懸命に考えているところです。むずかしいところもあるでしょうけれど、やりがいのある仕事だと思いますね。

―― セコムも誕生から52年です。守りに入ったり、大企業病に陥ってもおかしくない頃です。
飯田 まったくないと言ったら嘘になると思います。ただ、大企業病が奥深くまで浸透しているということはないと思います。

―― 陥らないための方策があるんですか。
飯田 具体的な方策というより、そうならない企業風土をつくることが重要です。創業以来、常に革新する企業カルチャーをつくろうと努力してきました。それが役に立っているのかもしれません。

―― ところで、最近、経営陣や社員に対して怒ったことはありますか。
飯田 全然ないですね。15年ほど前までは怒ってましたけどね。
最近、声がかすれてしまったんですが、医者は冗談で「飯田さん、怒らないから声帯が鍛えられない。それで声が出なくなったんですよ。だからたまには怒ったほうがいいですよ」と言われてます(笑)。

―― どういうことで怒りました?
飯田 細かいことですよ。大きな問題というのは、案外、きちんと対処できるものです。ところが、社員の取り扱いや、お客様の細かいクレームへの対応などは、いい加減になりやすい。例えば、地方の、しかも金額の小さなお客様の場合、時におろそかに扱うこともある。でもそういうことにこそ、企業は敏感にならなければいけません。ここまで細かいことにきちんと対応してきたからいまのセコムがある。だから、その対応がおかしい時など、よく怒っていました。

守ると組織が固くなる

―― 最近、怒らなくなったということは、そういうケースがなくなったということですか。
飯田 僕と同じように考える人が増えてきたということでしょう。

―― 創業者としてはうれしいことですね。
飯田 うれしいですよ。そういう人間を育てようと、創業の時からずっと努力してきましたから。

―― ということは、今後ともセコムには飯田さんの教えが受け継がれていくということですね。
飯田 この8年ほどかけて、僕の仕事を次の人たちに渡してきました。彼らは、創業の頃の考えをよく理解してくれています。

でもだからといって、僕の言ったことを金科玉条のようにとらえて欲しくはありません。セコムには「社会にとって正しいのか」や、「現状打破」といった基本的な考え方があります。それは大事にしてほしいですが、世の中は常に動いている。セコムもそれに対応していかなければなりません。

―― 将来、「これは創業者の教えだから守らなければならない」とは言ってほしくはないと。
飯田 言ってほしくはないですね。人間というのは非常に愚かなものだから、守るとなったら組織が固くなってしまうんです。そうではなく、常に柔らかく、環境に合わせて進化していかなければならないと考えています。

(聞き手=本誌編集長・関慎夫)

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インタビュー

 

伊達美和子
森トラスト・ホテルズ&リゾーツ社長

だて・みわこ 1994年聖心女子大学文学部卒業。96年慶応義塾大学大学院政策・メディア研究科修了。同年長銀総合研究所に入社。98年森トラストに転じ、2000年取締役に。03年常務、08年専務。11年6月に森観光トラスト(現・森トラストホテルズ&リゾーツ)社長に就任。父親は、森トラスト社長の森章氏。

2020年の東京五輪に向け、客室単価も稼働率も軒並み上昇中のホテル業界が、さらにヒートアップしてきた。今後も続々と外資系ホテルが日本への上陸を予定するほか、日本勢も名門、ホテルオークラ東京が、1000億円超の投資額で建て替えられることになったからだ。そんな中、年々存在感を増してきているのが森トラスト・ホテルズ&リゾーツ。同社の伊達美和子社長(森トラスト専務も兼務)に、多彩な独自戦略や経営方針などを聞いた。

パストラル再開発の行方

―― インバウンド(訪日外国人)がようやく1000万人を超え、6年後の東京五輪に向けて弾みがついてきました。受け皿となるホテル業界もホットな話題が続いています。
伊達 昨年は、訪日外国人が1000万人を超えた記念すべき年でした。今年はさらに、毎月20~30%上昇し、過去最高を更新しています。韓国のように外国籍添乗員(クルー)も含めれば、1400万~1500万人はさほど遠くない数字だと思っています。

五輪開催は、東京を魅力的にし、さらに開催後も「観光都市・東京」を定着させるための手段にしなければならないでしょう。そのため、東京の経済的魅力と都市的魅力の両方を維持しながら、海外向けの積極的なプロモーション戦略の継続が必要だと思います。

―― まず、昨年2月に社名を森観光トラストから森トラスト・ホテルズ&リゾーツに変更された、狙いや思いを改めて聞かせてください。
伊達 大きなきっかけは昨年、創業40周年の節目を迎えたことですね。旧社名は日本語でしたが、最近の当社の展開を考えますと、ホテルズ&リゾーツと呼んだほうがグローバルに対応していく上でも相応しいと考えました。

今年4月にはコートヤード・バイ・マリオット東京ステーションがオープン。

当社の歴史は、日本で初めてとなる法人会員制のラフォーレ倶楽部創業以降を第1ステージとして、第2ステージが日本の歴史あるホテルとの提携を深めた時期(軽井沢の万平ホテルへの資本・経営参加や関西のリーガロイヤルホテルグループとの資本・業務提携など)、第3ステージが国際ブランドのホテル展開の時期(コンラッド東京やシャングリ・ラホテル東京、ウェスティンホテル仙台など)、そして現在は、これまで得てきた運営ノウハウを融合し、戦略的チャレンジを行う第4ステージに入っています。既存施設もグローバルブランドに変えていくという思いも込めて社名を変えました。

―― 昨年12月に実施した、ホテルラフォーレ東京から東京マリオットホテルへのリブランド戦略は、かなり前から検討されていたのですか。
伊達 構想としては、汐留にコンラッド東京を誘致(05年)した約10年前からですね。それまではラグジュアリーな客室が少なく、東京の今後の国際競争力を考えて、宿泊主体型のラグジュアリーな施設が必要との観点で誘致した、先駆け的なホテルでした。誘致を進める中で、東京は今後、さらに外資系ホテルが増えるだろうと予測していました。事実、現在東京にある客室の9%が、36平方メートル以上のラグジュアリーな客室で、その内55%が外資系ホテルです。しかも、そのほとんどが2000年以降の進出で新しい。ラフォーレ東京の次の展開を考えると、競合と戦うためには外資系ブランドにすることが重要だろうと考えました。

―― ホテルが入るのかどうかわかりませんが、森トラストが07年に約2300億円で落札した、虎ノ門パストラルの跡地再開発の展望は。
伊達 あのエリアの課題は、六本木通りと桜田通りをつなぐ道路が足りず、特に桜田通りに抜ける道路が城山通り1本しかないことです。そういうインフラの問題が1つ。周辺の開発はどんどん進んで混雑し、最寄り駅となる神谷町駅のキャパシティも足りなくなってきてますから、そういう地下鉄との接続性をどう高めるかが2つめ。さらに3つめとして、駅前の広場的なスペースの不足も課題です。その3つの要素を、我々が手がける再開発の中でうまくソリューションしていくことが役割だと思いますね。

建物の構想につきましては当然、主力事業のオフィスビルが中心になります。これまで、たとえば京橋OMビルや京橋トラストタワーという2つのビルを作る過程で、エネルギー環境と防災面に優れた技術を盛り込みましたし、新しいビルでも高い技術を取り入れることになるでしょう。大街区と言われる虎ノ門、神谷町エリアに、防災ビルとしての価値あるビルができるわけです。

さらに、滞在機能は確実に入れようと考えています。その際、住宅の方向に特化するのか、あるいは最近、サービスアパートメントという形態も出てきていますが、そういう少しホテルに近い機能にするのか、そのあたりはこれからです。

―― サービスアパートメントは、三井不動産や三菱地所も本格的に手がけていくようです。
伊達 アジアのヘッドクオーターとしての東京において、サービスアパートメントのニーズは確実に増えていくと考えています。今後、日本の労働人口がさらに減少する中で、グローバル人材はもっと増やさねばいけません。

そして、そういう方々が住む場所は、より都心でオフィスに近く、それでいて住環境も整い、病院や高度な教育機関も近くにあることが必須条件になるでしょう。そういう受け皿を、我々が作っていければと。

特に、グローバル人材をターゲットにするのが重要で、どんな立てつけにするのがベターなのか、そこは我々の今後の企画力にかかってくると思います。

「全て外資系にはしない」

―― それにしても、コンラッド、ウェスティン、シャングリ・ラ、マリオットと、国際的なホテルを次々と誘致され、国内でも実に幅広い提携をされていて、ほかに似た企業がないという印象があります。
伊達 よく、「今後、全部外資系のホテルに変えるんですか」というご質問を受けるのですが、それは考えていません。外資系ホテルに変える価値のあるところはリブランド投資を視野に入れますが、全てに当てはまるわけではありません。

―― マリオットとの関係で言えば、プリンスホテルも提携(東京・高輪にあるザ・プリンスさくらタワー東京が自社ブランドを維持したままセールスやマーケティングでマリオットと連携)しました。
これまで、森トラストはリーガロイヤルホテルグループと提携し、3%弱ながらホテルオークラにも出資するなど、国内ホテルとの連携も活発です。マリオットとの関係を機に、プリンスホテルとも何らかのコラボレーションや連携の可能性は。
伊達 たとえば、当社は仙台でウェスティンを誘致しましたが、ウェスティンホテル東京のオーナーはまた違うわけですし。我々自身もヒルトン系とマリオット系にも関わっていることを考えると、あくまで個々の物件ごとの選択肢だと思います。

昨年12月にここ(東京・北品川の東京マリオットホテル)をオープンし、今年4月にコートヤード・バイ・マリオット東京ステーションができ、昨年9月にプリンスホテルさんが提携。さらにザ・リッツカールトン京都、大阪マリオット都ホテルも開業し、当社もコートヤード・バイ・マリオット新大阪ステーションをオープンさせる予定ですので、マリオットグループだけでも相当な勢いで日本展開してきています。

ですから “マリオットファミリー”として相乗効果がお互いに生まれてきているという意味では(プリンスホテルとも)情報交換はしますし、サービス面で連携していくこともあり得るかもしれません。

ホテルの「殻」を破る新事業

―― ここまでのホテル展開の原点はラフォーレ倶楽部ですが、このラフォーレというブランドへの思いはどうでしょう。
伊達 不動産賃貸という事業から、不動産を活用するという事業にも打って出たのがラフォーレなんですね。グループの最初のホテル事業という意味では、とても重要です。

もう1つ重要なのは、通常のホテルではなく会員制ホテルを作ったことにより、ラフォーレの仕組みそのものが、独自のチャネルとなったことです。その重要性は、ラフォーレ事業を通してすごく重みを感じており、たとえば今年4月、強羅(神奈川県・箱根町)にある「湯の棲」というホテルをリニューアルオープンさせましたが、ほとんどPRしなかったにもかかわらず、ほぼ満室に近い稼働率で推移しています。これは、やはりラフォーレ倶楽部のチャネルがあるからなんですね。

同じように、ここ(旧ホテルラフォーレ東京)をリブランドする時に、マリオットを提携先として選んだのも、やはりマリオットが抱える全世界4000万人の会員と、4000棟近いホテルチャネルの存在が大きかったわけです。欧米は当然としてアジアや中国など、マリオットは常に経済成長している国にいち早く展開し、チャネルを持っていますから。

その豊富なチャネルを生かして様々な国の方が日本に来ることが、リブランドの相乗効果が最も高いと判断し、マリオットと提携したわけです。ですから、ホテルビジネスを考える時の基礎の中には、ラフォーレの事業プロセスが常にあります。ラフォーレをマリオットにリブランドしたのも、ビジネスモデルの方法論は同じで、あくまで姿を変えているだけです。

―― ラフォーレも含めて、森トラスト・ホテルズ&リゾーツという企業の将来像はどう描きますか。
伊達 さきほど言いました当社の第4ステージの中で、ホテルブランドを超えて、様々なものを融合させて昇華させることが重要です。

リブランドした東京のホテルやリニューアルした強羅のホテルは両方とも大変好調で、4月は昨年比で倍の売り上げとなりました。新規ホテルも早い段階から高稼働でスタートしています。このような投資をしている傍ら、イノベーション事業部という部署も作りました。

森トラストというディベロッパーが、いわば大型トラックのように大きな動きをしているのに対して、もう少し違う、ソフト分野を担う部署としてイノベーション事業部を立ち上げました。ですからこの部署の可能性は多彩で、太陽光発電事業もあれば、アグリビジネス、予防医学に関するプログラムや施設の提案も行っています。

また、コートヤード・バイ・マリオットでは、外部から見える1階レストランの見せ方にも工夫を凝らしていますし、こうしたノウハウを生かしつつ、森トラストの賃貸ビル内で働く方々に提供する、社員食堂的なビジネスの展開についても検討を始めました。

要は、いままでやってきたホテルのホスピタリティ事業を少しずつ分解しながら、ホテル業という殻から抜け出すような活動に結びつけていこうと思っているところです。

(聞き手・本誌編集委員・河野圭祐)

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経営戦記

若林 久 西武鉄道社長
わかばやし・ひさし 1949年1月1日生まれ。静岡県出身。早稲田大学卒。72年伊豆箱根鉄道入社、99年同社自動車部長、2001年取締役入りし、05年からは旅行部長も兼務。同年常務営業部長、06年社長に就任。12年5月西武鉄道社長に就き、同年6月から西武ホールディングス取締役も務める。趣味はウオーキング、神社仏閣巡り。好きな食べ物はじゃがいもとカレー、好きな飲み物はビール、ワイン、焼酎。座右の銘は「人事を尽くして天命を待つ」。

今年4月に再上場を果たした西武ホールディングス。同社の中核会社が西武鉄道だが、少子高齢化や人口減少など、私鉄経営を巡る環境は先細りが懸念される。それだけ私鉄間競争も激しさを増すわけで、西武鉄道ではどんな差別化戦略で臨むのか、若林久社長に聞いた。

まずは沿線開発が大事

〔西武ホールディングスが再上場を果たしたのは今年4月。有価証券虚偽記載事件で上場廃止が決定したのが2004年12月のことだったから、約9年半ぶりに株式市場に復活したことになる。昨年、同社の筆頭株主である米国の投資ファンド、サーベラスとの事業や人事を巡る攻防が話題になったが、同社では再上場というより新規上場したという考え方だ。グループの中核企業、西武鉄道の若林久社長はこう語る〕

10年前とは社内の体質も様変わりしましたからね。やっぱり株式上場で社員のモチベーションも上がりましたし、私も西武鉄道の各駅に行くたびに上場した話をしますが、みんな喜んでいます。昨年は(サーベラスと)いろいろありましたが、沿線の自治体や住民の皆さんに非常に応援していただいて、改めて鉄道事業者としての責任を実感しました。

〔西武グループ総帥だった堤義明氏の時代は、観光開発に軸足を置き、沿線開発には力を入れなかった。確かに、ターミナルの池袋駅は新宿に次ぐ乗降客数があるとはいえ、駅周辺でめぼしい再開発は少なく、西武新宿駅がJR新宿駅と直結していないのも痛い。さらに東急電鉄のような沿線のブランドイメージもないとあっては、義明氏が沿線開発に消極的だったのも一理ある。

が、加速する少子高齢化と人口減少のいまは、沿線開発強化なくしては、西武鉄道の存亡に関わるといえる。05年、メインバンクのみずほコーポレート銀行(当時。現みずほ銀行)副頭取から西武鉄道社長に転じた後藤高志氏(西武HD発足は06年2月)は、それまでの組織を再編成すると同時に原点回帰を強め、同業他社に後れをとっていた沿線開発にも積極的に投資。老朽化した駅舎のリニューアルや高架化も進み、他社と肩を並べる域に達してきた〕

西武線の池袋駅については今年6月、40年ぶりに大規模改修することを発表し、併せて、駅に隣接する旧西武鉄道本社ビルも建て替えます(駅構内のリニューアルは16年3月、大規模なオフィスビルに生まれ変わる予定の旧本社ビルは18年度の竣工を予定)。12年度から15年度までを、当社で100年アニバーサリーの時期(12年が前身の武蔵野鉄道設立から100年、来年は池袋駅開業から100年)と位置づけましたが、ちょうどその時期にも差し掛かりましたので、駅の内外装を一新し、駅構内の商業施設も拡充して利便性を高め、バリューアップしようと。

旧本社ビルのほうは以前、建て替えの計画を立てましたが今回、もう一度やり直しました。池袋駅の近隣エリアにある賃貸オフィスビルとしては、かなり大きなものになりますので、池袋の新たなランドマークにしていきたいですね。同時に西口の東武側とデッキでつなぐ構想もありますが、こちらは豊島区と東京都が主体でやる予定ですので、少し先のことになるかと思います。すべてが完成した後は、池袋駅周辺の景色はかなり変わってくるでしょう。

一方で、ここ(西武HDが本社を置く埼玉県の所沢駅。西武新宿線、西武池袋線の結節点となる駅)は、昨年6月に古い駅舎をリニューアルして綺麗になりました。次のステージでまず駅の東口再開発、次いで西口再開発へと続いていきます。特に西口のほうは、当社の車両工場跡地(敷地面積で約5万9000平方㍍)という大きな社有地がありますので、そこで広域集客型の商業施設を核として、かなり大規模な再開発をする計画です。

もちろん、沿線開発は東の池袋、西の所沢という2大拠点にとどまりません。高架化が済んでいる石神井公園駅(練馬区。西武池袋線)では高架下の有効活用の一環で「エミナード石神井公園」を整備してきました(イトーヨーカドー食品館など多数の専門店が出店)。いま、その2期開発まで終わり、駅前の3期開発では住宅を含めて検討していきます。

また、西武新宿線では中井駅から野方駅間で地下化の工事を始めています。いまは住民の方々にご不便をおかけしていますが、工事が完了すれば上の空間が全部空きますから、いままでの高架下の活用とは別次元のものになってくるでしょう。

グループ資源を総動員

〔ただ、沿線開発はどの私鉄にとっても最低限のことだけに、他社との連携を含めてあらゆる手を打っていかねばならない。その1つが、昨年3月に横浜の元町・中華街駅まで乗り入れとなった、東京メトロの副都心線を軸にした相互送客だ。東京メトロのほか、西武、東急、東武、みなとみらいの各線が乗り入れている〕

横浜方面への乗り入れで、昨年3月からの1年間の運輸収入で言えば、4億6000万円ぐらい増えています。もちろん輸送人員も増えました。相互直通運転は、当社線で言えば飯能(埼玉県)までですが、お客様にはさらに足の長い秩父(同)まで行っていただきたいという思いがあります。ありがたいことに、こうしたエリアの自治体が、自ら横浜方面に出向き、誘客に向けた販促活動をしてくれて、非常に助かっています。手をこまねいていては輸送人員は減少していきますからね。

当社には13路線ありまして、営業キロも179.8キロと、都心部から郊外まで幅広いエリアがありますので、7つのエリアに分けて、エリアごとの戦略を練っています。そこを基本にグループの総力を結集して取り組んでいこうと。ただ、単独ではできないこともあるでしょうし、副都心線から元町・中華街駅への乗り入れではお互いに切磋琢磨して、キャッチボールのように誘客、送客をしていますから、そういう協業は今後も大切にしていかないと。

13路線のうち、西武秩父線や西武多摩川線などを含めて、乗車効率のよし悪しはありますが、極端な話、秩父線がなくなってしまうとそこから池袋へ行く人たちの交通が断たれるわけで、ほかの交通機関を使うことになります。その場合、当然我々は減収になりますので、そういう観点でも(廃線などは)あり得ないこと。地域特性として、秩父線は観光的な色彩が非常に強いので、横浜方面からももっともっと誘客していくことが大きな課題だと思います。

秩父だけでなく(西武新宿線の)本川越方面もそうなんですが、こうしたところへ行っていただけるような施策を、さらに強化していく。プラス沿線開発です。子育て支援プロジェクトとして「Nicot」という駅近保育所も展開していますし、これらを総合的、かつ強力にやっていかないと生き残っていけません。その積み重ねが輸送人員の増加につながっていくのだと思います。

〔西武鉄道がほかの私鉄と違うのは、プロ野球球団の埼玉西武ライオンズを持ち、遊園地の「としまえん」(運営は豊島園)などがあること。沿線外から集客する装置はあるわけで、そこをどう極大化してグループシナジーを上げていくかにある〕

特に西武ライオンズはグループのシンボルですし、沿線価値向上には非常に寄与しているグループ企業です。なので、球団とは年中タイアップしていますし、西武ドームで野球を観戦なさった方の、5割近くは鉄道を利用されるお客様なんですね。なので、観客動員が多ければ多いほど我々も潤いますから。

一方のとしまえんも、我々の沿線では大きな遊園地ですし、冬場のイルミネーション演出や温泉の「庭の湯」など魅力的な要素も多く、アクセスもいいですから、もっと集客増に向けて力を入れていく余地はあると思います。

〔としまえんの敷地は11年、東京都が買収意向を表明し、閉園後に防災機能を持つ都立練馬城址公園にしたいとしていたが、西武HD側は回答を保留したまま今日に至っている。資産価値の高いとしまえんの売却は、とっておきの切り札的カード、オプションとしてとっておきたいということなのだろう〕

東京都とはその後、具体的には何の話の進展もないといいますかね。さりとて買収意向の撤回という話もありませんし、我々としては、現状のままでいろいろな増収策を練っているということです。

京急との連携を強める

〔沿線開発などの自助努力のほか、相互乗り入れ効果なども取り入れながらというのが各私鉄の方針。では、さらに踏み込んだ資本提携や合併、統合は電鉄会社には馴染まないのか。村上ファンドの介在という特殊要因はあったが、関西では阪急阪神HDが誕生している〕

そういう意味では、京浜急行電鉄さんとは2%前後ですが、お互いに資本を出し合っています。品川はリニア新幹線の始発駅となる予定だし、東京五輪を睨んだ羽田空港へのアクセスという観点からいっても、お互いにグループのホテルなどがある品川では再開発でいろいろ協業案件が出てくるでしょう。

また鉄道事業で見ても、京急さんのレッドカラーの車両を西武線で走らせていますし、当社のイエローカラーの車両を京急さんで走らせてもいます(ちなみに中吊り広告など車内広告でもお互いの沿線をPR)。これは相互に非常に効果が上がっていまして、今後もいろいろコラボレーション企画をしていこうと話をしているところです。そういうアライアンスならば、これからも十分にあるんじゃないでしょうか。

〔事業提携と言えば03年暮れ、小田急電鉄の利光國夫会長(当時)と西武鉄道会長の堤義明氏(同)が提携に関する共同記者会見を行ったことがある。提携内容は、箱根エリアでのバスの乗り入れに関するものだったが、西武グループの伊豆箱根鉄道(当時は上場会社)で、バス関連の自動車部長をしていたのが若林氏。当日も会見場の末席で会見を見守っていたという〕

バス会社というのは非常に縄張り意識がありまして、規制緩和後は法律上はお互いの営業エリアに乗り入れ可能になったのですが、両社とも節度は守っていたんです。当時、小田急さんの高速バスが箱根園に入ってくるという話で、伊豆箱根鉄道が他社のバス乗り入れを受け入れたのは初めて。なのでいまでも非常に思い出深い会見です。

インバウンド獲得が課題

〔若林氏は、その地元である伊豆の出身。だからか、就職活動では半ば当然のように伊豆箱根鉄道を志望していたようだ〕

入社したのが1972年で、私は団塊世代なのですが、東京ではあまり就職したくなかったというか、都会よりも田舎のほうが性に合っていたんですね。でも、地元近くの三島で会社を探すと、大企業の支店や営業所はあっても本社を置く会社なんてほとんどなく、ある程度の規模だと伊豆箱根鉄道だけだったんです。

〔その後、伊豆箱根鉄道社長に就いたのが06年。以来、6年間同社のトップを務めた後、西武HDの後藤社長から西武鉄道社長にと抜擢されたのが12年5月のことだった〕

まさに青天の霹靂でしたね。昔の西武グループの体制だったら絶対にあり得なかった人事ですから。少なくとも、西武鉄道の子会社のプロパーの人間が親会社に行くこともなかったですし、ましてトップになるなんて。こういう人事をすることが、いまの西武グループの活力になっているのではないかと、その時に思いました。

〔鉄道ビジネスは基本、ドメスティックなものだけに、6年後の東京五輪に向けて訪日外国人を呼び込む施策はとても重要になる〕

西武鉄道のスローガンは「でかける人をほほえむ人へ」。

このままいくと鉄道マーケットがどんどん縮小していく中で、インバウンドの取り込みは本当にやらなければいけないことだと思っています。たとえば、箱根に訪日外国人を誘導できている小田急さんに比べると、当社はインバウンドの取り込みでものすごく遅れているわけですね。

そういう意味では、当社の沿線にある川越などは、秩父とはまた色合いが違いまして、外国人受けする小江戸の古い街並みがあります。また、本川越駅までは西武新宿から特急で40分強です。新宿にはプリンスホテルもありますし、プリンスホテルと連携して、「川越アクセスきっぷ」の販売を今年から始めました。特急券、乗車券セットでお得に行けますということで、西武トラベルがセット商品を作っています。特に新宿は外国のお客様がものすごく多く、新宿プリンスも宿泊の6割以上が外国人の方ですので、これを取り込まない手はない。

ほかに池袋のサンシャインプリンスホテルとも連携して、池袋から秩父へという誘客活動も計画しています。まず手始めに、西武新宿から本川越までを当社のインバウンドの主要ルートとして商品開発をし始めたというところですね。

プリンスホテルの社員は海外に出向いていろいろプロモートしていますが、これまで西武鉄道では行ってなかったのが実情でした。でも、これからは当社の社員も同行して海外の旅行博などに行き、現地の旅行会社にPRして、旅行商品に西武鉄道を組み入れてもらうような働きかけも必要になってくるでしょう。東京五輪は、ホテル業界だけでなく、我々のような鉄道会社にとっても本当にチャンスなのです。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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企業の匠

「アスタリフト」を拡大

富士フイルムが、社名から「写真」の文字を取ったのは2006年のこと。デジタル化の急速な進展で急縮小した主力事業を補うため、大がかりな事業再編に挑んでいった。そして、期待の新規事業の1つとして取り組み始めたのが化粧品関連ビジネスである。

社名変更した06年、まず「ナノフィルト」という商品を投入した。これは15種類のアミノ酸を配合し、肌の角質層をケアするもの。だが販売後の売り上げはパッとしなかった。

そこで新たなチャレンジでは、写真フィルムと皮膚の主成分がどちらもコラーゲンであることに着目。写真の黄ばみを防ぐ技術は、老化やシミの原因になる活性酸素を抑える技術に生かすことができる。また、成分を肌に馴染ませるため、粒子をナノサイズにして乳化させる技術も持ち合せていた。藻などに含まれる「アスタキサンチン」という天然の抗酸化物質に注目。肌に浸透しやすいよう、ナノ技術でナノ化して配合したエイジングケア製品が生まれた。

「ナノテク、抗酸化、コラーゲンの基幹技術を今後も活かす」と語る富士フイルムの山口豊・ライフサイエンス事業部長。

こうしてエイジングスキンケアの「アスタリフト」シリーズが誕生、07年から商品を送り出し、イメージキャラクターに松田聖子を起用して一定のポジションをつかんだ。フィルム技術のコラーゲン、抗酸化、ナノテクの3要素の応用が化粧品市場で花開いたのだ。

そしてこの9月24日、領域をヘアケア市場にも広げる。商品名は「アスタリフト スカルプフォーカス」で、頭皮用美容液、シャンプー、コンディショナーの3種で構成。いずれは店頭販売にも拡大する見込みだが、まずは自社の通販サイトで売り出す。富士フイルムの山口豊・ライフサイエンス事業部長はこう語る。

「アスタリフトシリーズをご利用いただいているお客様の声がだんだん集まってきて、スキンケアに関心の高い方は、その続きである髪にも関心、というかお悩みが深いことがわかりました。このスカルプケア市場は170億円強でそれほどく大きくはないですけど、この10年ぐらいで規模自体は3倍ぐらいに拡大しており、さらに広がる市場です。ならば当社でも真剣に取り組んでみようと。そこでベースになるのは、当社製品の特徴でもありますが、技術に裏付けられたもので効果・効能をきちんと出すということです」

髪の悩みで一番多いのは、加齢とともに髪のハリ、コシ、ボリュームがだんだん薄れていくこと。では、なぜそれが起きるのか。

「原因は、いわゆるヒト型ヘアセラミドが加齢によって減ってくるからです。要は、髪の毛の内部がスカスカになってくる。それで潤いがなくなりボリュームも減ってくると。そこで、このヒト型ヘアセラミドを補給してあげようという考え方が1つ。

もう1つは、育毛という観点からどう対応したらいいのかということでした。育毛目的で広く使われているのはグリチルレチン酸です。確かに有効ですが、水にも油にも溶けないので、エタノールを使わないとうまく配合できない。ところが調べていくと、髪にグリチルレチン酸を浸透させるために、エタノールで角質をある程度、壊すというか乱れさせるというメカニズムになっている。となると、頭皮自体にダメージを与えています。

さらに調べていくと、エタノールは逆に育毛を阻害する物質を含んでいることもわかってきました。我々は技術やサイエンスで、できるだけ体に優しい商品にしたいというのが根本にありますので、エタノールを使わないでどうやるかというのが出発点です。そこで出てきたのがナノテクでした。今回は粒子を小さくするナノテクだけではなくて、グリチルレチン酸が溶ける特殊な液体の中に入れ、なおかつ高濃度で封じ込める、ナノシェル技術を新たに開発しています」(山口氏)

それが、独自開発した成分の「ナノグリチルレチン酸」である。ただ、封じ込めてシェル化するというコンセプトは早い段階でできたものの、商品化の過程では技術的なブレークスルーが相当必要だったようだ。

「実際に、グリチルレチン酸をいかにシェルの中の液体に溶け込ませるか、配合するかというところで、いろいろな掛け合わせを試し、本当に試行錯誤で何百通りとやって、ようやく最適なものに辿り着いたんです。グリチルレチン酸が水にも油にも溶けず、エタノールしか溶けない。では、溶かせるものをまず、何にするか。次にシェルの成分はどうやったら安定するのか。ここでいろいろ組み合わせを試していきました」

商品の値付けについては、頭皮用美容液が5700円、シャンプー、コンディショナーが各2000円(いずれも税別)となっている。スカルプケアの商品としては、競合他社の製品の平均価格が、たとえば頭皮用美容液が6000~7000円という価格帯なので、若干だが安めに設定してある。

エイジングケアに照準

富士フイルムではトータルなエイジングケア、あるいはトータルなヘルスケアに軸足を置き、メイク商品のジャンルは考えていない。あくまで肌、頭皮、あるいは体の内面からケアの強化を図っていくという。

「いまは、コラーゲンドリンクなど当社で手がけるサプリメントとアスタリフトの世界とでは若干、距離がありますが、今後はそこをもう少し融合していきたい。体をケアすることで美しさにつなげていくという視点で商品力を強化していきます」

富士経済のデータでは、エイジングケアの分野で富士フイルムはすでにナンバー5の位置にいる。将来、ナンバー1の座を奪取していくには、さらなる商品力の強化と同時に、より、マスのファンをつかまえなくてはいけない。

「私の周りを見ても、アスタリフトって何? 富士フイルムに化粧品なんてあるの? と言う人もまだ多いですし、いろいろな調査結果から言えば、アスタリフトの認知度は60%ぐらいなんですね。当社が化粧品をやる意義がどこにあるのか、またなぜ当社製品がいいのかについて、言い尽くしてはいないし、伝わり切れてもいません。今後は、トータルエイジングケアとしての効果・効能をさらにお求めになる方が増えていくと思いますので、当社には追い風だと思っています」

日本人の平均年齢が年々上がっていることを考えれば、エイジングケア市場はのびしろの大きい成長マーケット。ただし、それだけに大手化粧品メーカー、さらにサントリーウエルネスといった異業種組もこの分野には力を入れていくことになる。その主戦場で大きな武器となるのが、フィルム技術を応用した横展開と深掘りというわけだ。

最近は、前述したナノテク、抗酸化、コラーゲンという3要素に加えて、くすみのない透明肌の印象を演出する、独自光学粉体の「サクラ オーラ パウダー」も開発しており、これらの技術の掛け合わせで、さらなる新商品開発も視野に入れている。

また、将来的にはメンズ市場への参入もあるかもしれない。富士フイルムはオンリーワンの独自技術で、これからも化粧品業界で異彩を放つ存在になっていきそうだ。

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月刊BOSS×WizBizトップインタビュー

日商平野 社長 平野雅之
ひらの・まさゆき 1976年生まれ。高千穂商科大学を卒業後レカム入社。2004年家業である日商平野入社。08年から社長を務める。プロパンガス販売が主力だった会社を事務機販売主力の会社へと変身させた。学生時代にはバックパッカーとして世界40カ国を回った経験もある。

代が替わると仕事も変わる

―― 日商平野は八王子が地盤の企業ですが、業務内容を見ると、通信機器販売、水のアクアクララ販売、不動産、除菌水クリアスイ販売、黒にんにく販売、ホームページ(HP)制作、セミナー事業と多岐にわたっています。いったい何屋なんですか。
平野 私は日商平野の5代目となるのですが、代が替わるごとに職種が変わってきました。2代前は商店をやっていましたし、父の代ではプロパンガスをメインにしていました。私は2004年にこの会社に入り、08年に社長を継いだのですが、その前年にはプロパン事業を売却し、身軽になってスタートしました。不動産事業とアクアクララ販売は先代から続いていますが、それ以外は私の代になってから始めたものです。

―― どういう基準で、事業を選んでいるんですか。
平野 平野家のDNAと言っていいと思いますが、困っている人がいると放っておけない。いまのメインの事業は事務機器販売および保守ですが、これをやろうと思ったのも、あまりにも騙されている人が多かったからです。メーカーやその代理店のセールスマンの言うがまま、高い事務機器を売りつけられていました。

家業を継ぐ前、私は事務機販売のレコムの営業をやっていました。ですから、事務機のことなら土地勘がある。ですからお医者さんのような立場で、この契約はおかしいとか、こうしたほうがいいというアドバイスを送ると同時に、その会社に合った事務機を販売するようにしたのです。

―― 言うなれば「保険の窓口」の事務機版のようなものですね。
平野 そうです。人助けにもなるし、ビジネスにもなる。こんなにありがたい仕事はないと思いました。

それ以外のビジネスについても、同じような形で始めたものばかりですし、自分たちでできないことは信頼できる会社を紹介する。HPの場合なら、値段がピンからキリまであって、一般の人にはよくわからない。そこで我々が窓口になって制作会社を紹介するという形です。

―― セミナー事業はどういう経緯で始めたんですか。
平野 うちには大学生が何人か働いていて、彼らが企画・運営の仕事がしたいと言ったのがきっかけです。セミナーイベントをやってみたら、意外と楽しい。お客さんにも喜んでもらえる。それでやることにしたのです。

八王子は都心から距離がありますから、都心のセミナーに参加しようと思ったら1日がかりになってしまいます。だったら、講師に八王子にきてもらえばいい。そうすれば八王子の人たちは喜ぶし、我々の顧客に対しては無料で招待することで、CS(顧客満足度)を高めることができる。さらにはどうせ事務機を買うなら、日商平野に頼もうというお客様も出てくる。別にビジネスのために始めたことではありませんが、結果的にビジネスに結びついています。

―― 本当に地場に根差したビジネスを展開しているわけですね。
平野 八王子市には58万人の人口がいますが、これは鳥取県の人口とほぼ同じです。企業数は2万社にのぼります。よく、八王子以外でビジネスをしたらどうかと言われますが、これだけの規模がありますから、地域に密着したビジネスが十分成り立つわけです。

だからこそ、八王子の街起こしには積極的に関わっていきたいと思っています。その中でもとくに、学生の役に立ちたい。八王子には23の大学があります。その学生たちの最大の悩みは、いまでこそ少し緩和されましたが就職難です。入学した時から、就職がゴールになってしまっている。その一方で、中小・零細企業は新卒社員を取りたくても取ることができない。ミスマッチが起きています。この問題をなんとかしたい。

といってマッチングだけでは面白くない。そこで八王子の学生たちを対象に、経営者が直接語るセミナーを開いたりしています。経験者の立場から、行動すること、アウトプットすることが何より大事であり、就職はその通過点でしかないことを知ってもらいたいという気持ちから始めています。

―― それではまったくビジネスにつながらないでしょう。
平野 そうですね。お金には一切なりません。でも未来への投資と割り切っています。八王子で、売り上げ1位の会社になることは、私の能力から言って無理でしょうけど、学生のことなら平野、何かあったら平野、という存在になりたい、ということを常に考えていて、そのための投資です。こういう機会を通じて、自分の考え、自分のDNAを広めていきたいと考えています。

これは平野家のためでもあるのです。私は父から何か言われても、わかってはいても、親子だからこそ、素直に聞くことができないところがあります。そしておそらく30年後、私と息子との間で同じことが繰り返されるでしょう。だけど、親の言うことは聞けなくても、15歳ほど年上の信頼でき尊敬できる人に同じことを言われたのなら聞くことができる。私と学生の関係もそうで、彼らは私の言うことを素直に受け入れる。こうやって私の考えを広めていけば、15年後、私の息子が彼らから、私の考えを学ぶことになるかもしれません。このようにワンクッション入れることで、私と息子が結びつく。そういう効果も期待しています。

1人の客のニーズに応える

―― 先ほど、代が替わるごとに事業内容も変わると言っていましたが、事業に対する考え方として、変えてはいけない背骨のようなものは何かありますか。
平野 お客様から後ろ指を指されないということです。後ろめたいことは絶対にしない、困っている人がいたら損得を抜きにして助けてあげる。こうした考えは代々受け継がれています。

―― お父さんから直接何か教えられたことはありますか。
平野 特別なことはないと思いますが、平野家の考え方として「魚を与えるな、釣り方を教えろ」というのがあります。魚を与えられても、食べてしまえばそれで終わりです。だけど釣り方を教えれば、ずっと魚を食べることができます。裸一貫になっても、家族を養っていくこともできる。それと、後世に残ることをしなさい、と言われましたね。私にとっては学生の教育が、後世に残る仕事になると思います。

―― 日商平野の会社としても目標はありますか。売り上げをどこまで伸ばしたいとか、八王子一の会社になりたいとか。
平野 先ほど言ったように八王子一というのは無理だと思いますし、売り上げをいくらにしたいという目標も一切ありません。業種に対するこだわりもまったくありませんから、ずっと事務機販売をやっているかどうかもわかりません。

要は、お客様に喜んでもらえることならなんでもやっていく。ですから社員に対してはユーティリティプレーヤーであることを求めています。一人三役は当たり前。いつでもどこへでも配置転換できるようにしています。

―― これからも次々と新しい事業に取り組んでいくわけですね。
平野 そのつもりです。極端な話、1人でも、こういうことをしてほしい、という人がいたら、その希望に応えていく。大きな会社だったら、新規事業を始める場合、市場規模はどのくらいなのか、費用対効果はどうなのか、きちんとリサーチしなければなりません。

でも我々のような小所帯なら、そんなことは考えずに、私がやろうと思ったらすぐに始めることができるし、お客様の要望に応えるわけですから、最初から顧客がそこにいる。その意味では、リスクは極めて小さい。だったらやるしかないじゃないですか。

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