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2015年10月号より

目標3万店!  飲食店に食材と食文化を届ける助っ人 髙波幸夫 プレコホールディングス社長
髙波幸夫 プレコホールディングス社長

髙波幸夫 プレコホールディングス社長

たかなみ・ゆきお 1958年生まれ。大学中退後の1979年渡米しブルックス大学卒業。83年帰国し家業の鳥利商店入社。94年に社長となり、社名をプレコフーズに変更するとともに事業転換を図る。現在首都圏1万7000店の飲食店に食品を卸すほか、サニタリー事業も手掛けている。

1000円の注文もOK

―― プレコフーズ(プレコホールディングス 傘下の事業会社)は、首都圏の1万7000軒の飲食店に食肉などを自社で配送・卸売りをしていますが、もともとは、髙波社長の父親が始めた鶏肉店がルーツだそうですね。
ええ。戸越銀座商店街(東京都品川区)にあった鳥利商店が原点です。小さい頃から店を手伝っていましたが、跡を継ぐ気はまったくなく、大学を中退したあと、アルバイトでお金を貯めて、アメリカに渡りました。出発3日前に父に渡米すると伝えたところ、「帰ってくるところはないと思え」と。

渡米目的はアメリカのビジネスを見に行くことでした。でも半年ほど過ごすうちに、ビジネスを学ぶには大学に行かなければ無理なことに気づいたのです。でもお金がない。そこで父に「帰ったら家を継ぐから支援してくれ」と頼んで学費を出してもらいました。

―― その頃には家業を継ぐ気になっていたのですか。
いいえ、口から出まかせです。アメリカではファッション・マーチャンダイジングの勉強をして、どうやってニューヨークで身を立てようか、そればかり考えていました。
ところがある日、父から手紙が届いた。そこには「この仕事はダメになった。お前に戻ってきてほしい」と書かれていて、しかも私が支援を頼んだ手紙のコピーも同封してある。ここまでされたら仕方ないと思い、帰国することにしたのです。1983年、25歳の時でした。

―― 店を構える鶏肉店から、いまのような宅配スタイルに変えた理由はなんでしょう。
帰国してから11年間、父の下で働きました。ところが94年、父から突然、「お前の好きにしろ」と言われました。この時はうれしかった。どうせ跡を継ぐのなら、食文化を売る仕事をしよう。若い人が喜んで働ける会社にしようと考えました。CIに着手し、社名をプレコフーズに変えたのも、若い人に入ってもらうためです。

ただし、状況は厳しかった。私が入社した当時の日販は7万円。それを一時は12万円にまで伸ばしたものの、近くにスーパーができたこともあり、1.8万円にまで落ち込んでいました。

そこで思い切って業態転換を図りました。父の代の時にも、すでに50軒ほどの飲食店に鶏肉を卸していたので、ここを拡大していこうと考えたのです。そこで、私が先頭に立って飛び込み営業をして、飲食店を一店一店開拓していきました。

その結果、今日では、卸先は1万7000軒にまで増えました。そのうち東京が1万4000軒です。東京の飲食店の総数は8万1000軒ですから、17%の飲食店と契約している計算になります。最近では平均すると、年間4200軒の新規契約を取り、1700軒が閉店や契約終了する。つまり年間2500軒ずつ増えていっています。

―― ホームページを見ると、1000円の注文にも応じるとなっています。それでよく採算が取れますね。
ホームページでは1000円からとなっていますが、本当は500円でもかまいません。これは父母の商売に学びました。鶏肉店だった時代には、ササミ肉1本買いに来たお客さんと、5分も10分も話している。どんなに小さな商売でも大切にしろという教えです。

その代わりに数を増やすと同時に密度を高める。現在当社では、1都3県で配送サービスを行っていますが、一度に広げたわけではありません。ドミナントごとに集中的に取引先を増やし、少しずつエリアを広げていきました。

日本一の安全性を目指す

―― ここまで成長したのは、価格競争力が圧倒的に強いとか、何か理由があるんですか。
価格競争をする気はありません。価格競争をすると売り上げは上がりますが利益率は落ちる。それでは社員の笑顔を創造できない。そうではなく、品質や安全性に徹底的にこだわった、鮮度の高い商品をお客様に届けることを心がけています。

―― 品質管理の国際規格ISO9001や、安全を確保する管理手法の国際規格HACCPも取得したそうですが、それほどまでに安全にこだわるのはどうしてですか。
近年、食品偽装など、食の安全を脅かす事件が起きていますが、当社が安全を追求するようになったのは、それよりも前のことです。

13年前までは、戸越銀座に会社があり、そこから配送していました。しかし取引先が増えるにつれ、配送車が列をつくるようになり、商店街に迷惑をかけてしまっていた。そこで新しく配送センターをつくることにしたのですが、その時に改めて、当社の存在意義を考えたのです。

先ほど言ったように、安売りでは社員の笑顔を創造できない。ではどう差別化するか。その結果が安全性や品質で日本一になろうというものでした。

安全性を追求できるチャンスは、配送センターをつくる時以外にない。そこで、日本一衛生的なセンターをつくろうと、11℃に保った低温クリーンルームを建設、ここで解体処理から食肉加工まで行っています。

―― そのぶんコストがかかるでしょう。どうやったら回収できるのですか。
回収という考え方をすると、値上げという手段を選びかねません。でもそれはできない。ですから、回収しようという発想を捨てて、宣伝広告と考えることに決めました。ですからセンター見学も積極的に受け入れています。

しかも社員が日本一の施設で働いているという意識を持つことができる。これも非常に重要です。

―― 今後の目標を教えてください。
配送先を現在の約倍の3万店にまで持っていこうと考えています。そして、いまでも主力食材は精肉ですが、魚と野菜、さらには乾物にも力を入れていきます。年商でいえば、肉と魚と野菜をそれぞれ200億円、乾物で100億円の計700億円にまでは拡大していきたい。

上場も2年後をめどに考えています。食品を配送するだけでなく、飲食店を元気にする。そのために何ができるかを、現在、考えています。

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WizBiz代表・新谷哲の著書「社長の孤独力」(日本経済新聞出版社)

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