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2014年9月号より

アマゾンも楽天も強さの秘密は「プラットフォーム戦略」にあり
ネットストラテジー社長 平野敦士カール

ネットストラテジー社長 平野敦士カール

ひらの・あつし・かーる 1962年米国イリノイ州生まれ。87年、東京大学経済学部を卒業し日本興業銀行入行。99年NTTドコモに転じiモード企画部長を務める。2006年に退社、07年にネットストラテジー設立。ビジネス・ブレークスルー大学(学長=大前研一)教授、早稲田大学ビジネススクールMBA非常勤講師、ハーバードビジネススクール招待講師、社団法人プラットフォーム戦略協会理事長も務める。

バブル経済を2度経験

―― 平野さんは、いまはネットストラテジーという会社の代表を務めるとともに、ビジネス・ブレークスルー大学教授を務めていますが、大学卒業後、最初に就職したのは日本興業銀行だったそうですね。
平野 興銀では国際業務部でアジア担当を務めたあと、プロジェクトファイナンスを担当、最後は国際部のMOF担でした。でも1999年にNTTドコモに転じています。

―― 興銀といえば、戦後日本の産業金融を支えてきた銀行です。優秀な行員も多いしプライドも高い。それなのになぜ、NTTグループとはいえ、まだまだ成長途上のドコモを選んだのですか。
平野 興銀の仕事は面白かったですけど、そろそろ飽きてきた。プロジェクトファイナンスの場合、事業主体はたとえば商社だったりするわけです。ファイナンスというのはあくまでバイプレーヤーです。しかもプロジェクトごとに、発電所だったりパイプラインだったり、毎回違う。エネルギーという大きなくくりはあるにせよ、これでは専門性が育たないと思ったということも理由のひとつです。さらにいえば、これはいまのビジネスにつながるのですが、金融と何かを掛け合わせることで、差別化された何か面白いことができるのではないかと考えたのです。

―― その結果がドコモですか。
平野 外資系ファンドなどの選択肢もありました。そこに行けば確かに給料は何倍にもなる。でもファイナンスであることには変わりありません。

ドコモに興味を持ったのは、転勤する前年に母が病気になったためです。末期のがんで、病室から外に出られない。そこで病室から電話ができるよう、携帯電話を買いました。これが私にとっても初めてのケータイ体験でした。その時に、これはすごい、日本中に普及したら日本が変わるのではないか、そう思ったのです。そう思っていたところ、ドコモが公募で社員を採用していることを知り、申し込んだところ入社することができた。給料は減りましたけど(笑)

―― 当時のドコモはどんな雰囲気でしたか。
平野 当時のトップは大星公二さんで、この人がハチャメチャな人で社員には何でも自由にさせてくれた。しかも私が入社した年にiモードが始まり、ここからドコモは急激に業績を伸ばしていきました。私にしてみれば、もう一度バブルを経験したようなもので、仕事は忙しかったけれど、社員全員がハッピーだった。当時のドコモは、生まれ変わってもまた入りたいほど、面白かった。

―― ドコモでは「おサイフケータイ」を立ち上げたとか。
平野 それは正確ではありません。私が入社した時には、すでにおサイフケータイをやることは決まっていましたから。

入社してまず配属されたのが関連企業部というところで、要は投資したり他社とアライアンスを組む部門でした。その仕事の流れでiモード部隊と接点を持つようになり、それでiモード企画部長に就任したわけです。

そこでは、おサイフケータイの普及やベンチャー投資などを担当していたのですが、同時に、4年かけて実現させたのが、携帯電話にクレジット機能を持たせることでした。実はケータイとクレジットにはアナロジー(類似性)が非常に強い。というのも、普通、携帯料金というのは、使った分を後払いしています。ということは、そこですでに与信していることになる。これはクレジットと同じことです。だったらケータイにクレジット機能を持たせることはむずかしいことではないし、それによって差別化も可能になる。

ITと金融の相性のよさ

―― でも4年間とはずいぶんと時間がかかりましたね。
平野 ドコモの人たちは本当にいい人ばかりで、正直なんですよ。だからクレジットと言っても、「よくわからない。わからないことには手を出したくない」という考え方でした。その意識を変えるのにずいぶんと時間がかかりました。

決め手になったのはアナリストたちのレポートで、彼らは「なぜクレジット機能を持たせないのか」と書いてくれた。そのうち、社内的にも「やらなければいけないんじゃないか」ということになり、ようやく実現したのです。

でもこの経験を通じて、ITと金融の相性の良さを、私は再認識することができました。

―― でも2006年にドコモを辞めてしまいます。
平野 クレジット事業が軌道に乗ったことに加え、ドコモに入って7年半、そろそろ飽きてきた。辞めるならここだな、と思ったのです。

―― 同年に米コンサルタント会社のMPDのシニアアドバイザー、翌年にはネットストラテジーを設立しています。
平野 ネットストラテジーは、もともとMPDの日本法人として立ち上げる予定でした。ただ、思う通りにいかなくて、ハーバードビジネススクールのハギウ博士と一緒に設立しました。

前述したように、興銀時代から金融と何かを組み合わたら面白いことができると思っていました。ドコモのクレジットも、そうでした。そこでこれからは、違うモノを同じ土俵に乗せることで、新しいビジネスをつくっていこうと考えたのです。

―― それがプラットフォーム戦略ですね。
平野 プラットフォーム戦略とは、関係する企業やグループを「場=プラットフォーム」にのせることで、新しい事業のエコシステム(生態系)を構築する経営戦略です。

楽天市場は、楽天が提供する場に、多くの商店が出店する。魅力的な商品が集まれば、口コミで集客が増え、それを武器にさらに出店が増える。こうした流れをつくったところが、これからの勝ち組です。アマゾンもグーグルもみなそうです。

―― 最近ではプラットフォーム間の競争が起きています。そこで勝ち抜くには何が必要でしょうか。
平野 勝てるプラットフォーム3つの特徴のうち、1つ目は、自らの存在価値の創出ができていること。プラットフォームがない場合と比較して、どのようなメリットがそこにあるのかという存在意義です。2つ目は参加するグループの交流を刺激するということです。これによってプラットフォームは自動増殖機能を持ち、強いところはどんどん強くなる。3つ目がクォリティコントロール。ルールと規範をつくってクォリティをコントロールする。2番目と3番目は相反するところがありますが、自由だけれど規律がある世界を築かなければなりません。

―― 同じ土俵で他社や異業種と協業することで、新しい可能性も広がるわけですね。
平野 これは国家でも個人でも同じことです。アブダビなどは国家戦略として世界から優秀な頭脳を集め、近未来都市をつくろうとしています。あるいは個人なら人脈を広げその結節点となることで、その人の価値を上げることができるのです。

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