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2013年9月号より

100の言語に対応する海外進出企業の強い味方
荒木賢一 アーキ・ヴォイス

荒木賢一 アーキ・ヴォイス

あらき・けんいち 1973年神戸市生まれ。95年同志社大学文学部哲学科を卒業し、翌年京都大学大学院に入学、哲学を専攻。在学中の2002年10月に京都市内に中国語スクールを開校、翌年アーキ・ヴォイス設立した。06年には大阪事務所、07年に東京事務所を開設した。

哲学の道から一転

―― アーキ・ヴォイスは京都・大阪で外国語スクールを運営するほか、翻訳、通訳、人材派遣など言語を軸にさまざまなサービスを提供しています。でも荒木さんは、もともと京都大学大学院で哲学を学んでいたそうですね。それがどうして、このような事業を立ち上げようと考えたのですか。
荒木 神戸で生まれて中学時代の3年間をシンガポールで暮らした私は、帰国子女枠で同志社高校に入り、そのまま大学で哲学を学ぶ学生でした。といっても、授業をほとんど受けず、音楽活動ばかりやっていました。ところが卒業を目前に控えた4年生の1月に、阪神大震災が起きたのです。

私の家の周りにも大きな被害が出て、大学に通うどころではなくなりました。それからしばらくは被災者支援に走り回る生活です。そんな生活を送りながら、本当のことは何か、を知りたくなったのです。そのために哲学をしっかり勉強したい。そう考えて翌年、京都大学大学院に入学しました。

大学院では修士課程を2年間、さらには博士課程で2年間学んでいます。1日15時間、哲学書を読む毎日でした。自分としてはそのまま研究者になりたかった。でも先輩から「このままいけば学者か乞食のどちらかだぞ」と言われたのです。博士課程を終えて大学に残ることができればいいけれど、残れなかった場合、就職先などないというのです。そこで、一度、考え直そうと、大学院を休学して、アルバイトを始めました。

―― それが外国語スクールだったのですか。
荒木 いいえ、コンピュータ会社でした。ただ、このアルバイトをしている時に、上海に遊びに行ったのです。神戸・大阪と上海を結ぶフェリー「新鑑真号」に乗って、2日かけて上海に行き、2日滞在して、また2日かけて帰ってくる。上海には2日しかいませんでしたが、急成長する上海を目の当たりにして、これからは中国語のニーズが高まることを確信しました。

そこで中国語通訳の人材派遣をやりたいと思ったのですが、派遣業は許認可が必要です。しかたないのでまずは京都のホテルで中国語スクールを始めました。大学生活が長いですから中国語に堪能な教員や学生を集めるのはむずかしいことではありませんでした。あとは自分でビラをまいて集客したところ、100人ほどの生徒が集まりました。

これがアーキ・ヴォイスの原点で、創業は2002年のことです。
次にやったのが韓国語スクールです。折から韓流ブームが始まったおかげで、中国語以上の人気となり、生徒数は500人を突破。気が付けば、京阪ではナンバー1の中国語・韓国語スクールとなったのです。

―― 02年頃には、中国語や韓国語を教えるところはそれほどなかったんですか。
荒木 少なかったですね。その意味で、いいタイミングで開業したことになります。
規模が大きくなると、今度は企業研修をしてくれないかという依頼が舞い込んできます。依頼者が公的な組織だったことから、それが信用となって次の依頼が舞い込んでくる。そんな感じでした。

最初は中国語や韓国語から始めましたが、そのうちほかの言語でもできないかとお客さまに言われて、対応言語を増やしていったら、05年には100言語対応が可能となりました。いまではクライアント数は3500社以上、登録している通訳や翻訳者の数は全世界で7000人以上に達しています。

海外に行く際に当社を利用していただければ、現地のスタッフが通訳やガイドを務めてくれます。いくつもの国を訪問する時も、それぞれの国で対応する。それがワンストップで申し込むことができる。こういうサービスを行っているところはあまりありません。

―― 現地スタッフも含め、どうやって人材を集めるんですか。100言語ともなると、簡単ではないでしょう。
荒木 先ほども言ったように、その点ではあまり困らなかったですね。大学のネットワークを活用したり、現地で求人をかけたりして採用していきました。ですから創業からそれほど時間をかけずに100言語に達しています。言語の数にしても、サービスの種類にしても、お客さまのニーズに応じていたらそうなったという感じです。

面白いのは、100の言語に対応していると、どの言語の仕事が多いかによって世界情勢が見えてくることです。たとえば、少し前までは中国語のニーズが非常に高かったのですが、10年の尖閣諸島での漁船衝突事件以来、その比重は徐々に小さくなってきています。昨年まではトルコ語の仕事が多かったのですが、最近では減っています。その一方で、右肩上がりで伸びているのが、インドネシア、タイ、ベトナム、ミャンマーなどの東南アジアです。たとえばインドネシアの場合、取り扱う仕事はここ数年間で7倍にまで増えています。いまでは完全に中国を超えました。

東南アジアに商機あり

―― 東南アジアでの拠点設立に力を入れているようですね。09年にはタイのバンコクに、昨年はベトナムに拠点をつくっています。
荒木 ええ。東南アジアの仕事に対応するため、海外拠点を立ち上げてきました。
タイでは現地の邦字新聞「バンコク週報」に出資、その会社内に当社のオフィスも置かせてもらい、シナジーが出るよう努力しています。またベトナムの拠点は、現地のパートナーとの合弁で設立したのですが、信頼できる相手を探すために、いくつかの小さい仕事を一緒にしながら、ここなら大丈夫、という相手に巡り合うことができました。

東南アジアに興味を持つ日本企業からは「現地のパートナーを探したい」という依頼をよく受けます。そういう時は、自分たちの経験をもとに、納得いく相手を見つけられるようサポートしていきます。

―― これからも拠点は増やしていく計画ですか。
荒木 増やしていきたいですね。東南アジア各国に置けるようになれば、言うことはありません。
グローバル化の波は終わることはありません。その一方で少子高齢化により日本のマーケットはどんどん小さくなる。ですから日本企業が海外に出ていく流れはこれからも続きます。われわれはそのお手伝いをしていきたいと思います。

そのためにも、もっと使いやすいサービスを提供することが必要です。通訳とか翻訳というとなんとなく敷居が高いようなところがある。その敷居を低くして、海外に興味を持った人が、気軽に私たちのサービスを利用する。そういう会社になっていきたいと考えています。

―― それにしても哲学ばかり勉強していて、社会にあまりもまれてこなかった荒木さんが、なぜこのような経営手腕を持つことができたのでしょう。
荒木 1つには、変な知識がないのがむしろよかったのかもしれませんね。たとえば、最初、ホテルでスクールを開いた時は、自分がそのホテルの夜勤をする代わりに、スペースをタダで貸してもらいました。何も知らないから、そういうことができたのかもしれません。

さらに、何もわかりませんから、わからないことがあったら人に聞くようにしていました。語学スクールの生徒にもよく聞きました。彼らは社会人ですから、私よりいろんな知識も経験もある。こういう時はどうしたらいいいか、その人たちに教えを請いながら、ここまできたという感じです。

哲学はいまでも好きですし、本を読んだりしますが、どうもこちらの仕事のほうが向いていたようですね。

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WizBiz代表・新谷哲の著書「社長の孤独力」(日本経済新聞出版社)

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