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2012年12月号より

低迷期を脱して業界3位。変身した「訪販のポーラ」
鈴木 弘樹 ポーラ社長

鈴木 弘樹  ポーラ社長

1953年1月29日生まれ。三重県出身。77年早稲田大学第一文学部卒。同年ポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)入社。本社での企画担当を長く経験した後、首都圏の営業などを担当、2004年名古屋ポーラ社長。05年ポーラ執行役員名岐エリアマネージャー兼中京ゾーンマネージャー、07年ポーラ取締役訪販事業本部長、09年常務取締役、10年4月から現職。12年6月から訪販化粧品工業協会会長。

競争は激化するものの市場は停滞の化粧品業界にあって、一昨年12月、東証一部に株式上場したポーラ・オルビスホールディングスが好調だ。実際、売上高ではコーセーを抜き、資生堂、花王に次ぐ3位に躍り出ており、営業利益率も、同業他社に比べて高い。
牽引役となっているのが中核企業のポーラだ。同社は、訪問販売で伸ばしてきた企業だが、いまは時代に合わせた新業態が成長エンジンになっている。そこで、ポーラの鈴木弘樹社長に、同社変革の経緯や今後の展開について聞いた。

創業83年の老舗の転機

―― ポーラの歴史はすでに80年以上あるんですね(下の表を参照)。

鈴木 83年ですから老舗ですし、これは財産ですね。お客様も親子3代、4代でお使いいただいている方がいらっしゃいますし、何よりも訪問販売でやってきた会社ですから、(商品を販売してきた)ポーラレディにも親子何代という方がいます。地域地域で密着してビジネスしてきましたし、当社としての強みはそこが基本だと思っています。

―― 従来の訪問販売から業態転換をする、転機となった時期や考え方にはどういったものがあったのでしょうか。

鈴木 ポーラの訪販事業は過去、18年間ジワジワ売り上げを下げていた、長期低落の時期があります。私が社長に就いたのは一昨年4月ですが、幸い、そこから数字は反転しています。もちろん、その3、4年前から歯止めはかかりつつあったんですけどね。低迷過程ではポーラレディの数もどんどん減っていき、お客様やポーラレディの高齢化も進みました。簡単に言えば、販売組織がへたってきたわけです。
旧来の訪販事業の良さもありますが、世の中の変化のスピードも早いし、訪販業界全般への世間の見方も厳しくなりました。組織の立て直しには労力もかかりますし、若い人も会社に入ってこない、商品も売り切れないといったことがずっと重なって、やっぱり業態を変えていくべきだろうという結論に至ったのです。それが10年ぐらい前だったでしょうか。

―― 業態転換してポーラ ザ ビューティ(以下PB。カウンセリングしながら商品を販売し、かつエステを併設した店舗)を実際に出し始めたのは05年のことですが、それ以前もかなり試行錯誤してきたんですか。

鈴木 名古屋を中心として、中京地区でエステ店を開くポーラレディが出てきました。それが新しい訪販の原型を作っていったのです。ピンポーンと戸別訪問するのではなく、店頭でカウンセリングやエステのサービスをしっかりやった上で商品をお勧めする、いまのやり方の下敷きですね。
そういうチャレンジを独力でやっていったポーラレディの集団がたくさん出始めて、すごい成長を見せていきました。そこで、現場任せにするのではなく、ポーラという会社としてもきちんと投資して、統一感を持った店を作ろうじゃないか、ということで始めたのがPBです。PBをやることでもう一度、現場も活性化、リフレッシュしたし、若いお客様やエステサービスに興味のある方が大勢いらしてくださるようになったのです。

エステ併設店舗で伸長

―― そこから企業イメージが変わっていき、働き手の意識やモチベーションも変わっていったんですね。業態転換が、そのまま鈴木さんの大きなターニングポイントになったという感じでしょうか。

鈴木 入社は77年ですが、本部で20年近く企画畑の仕事をしていました。ところが40歳を超えてから、いきなり訪販事業の最前線、それも競争が激しくて厳しい東京で、首都圏全般を見る立場になりました。その後、さっきの名古屋、中京ゾーンの責任者になるわけですが、衰退期にも重なって一番しんどい時期に東京で仕事したのと、販売革新の原点の名古屋の両方で仕事できたことは、とてもプラスになりました。
また、名古屋へ行く頃には持ち株会社化や株式上場に向けた準備をする時期にも重なりましたから、いろんな軋轢はありましたが、変革する時期としてもちょうどよかったといえますね。ここ5年ぐらいで、これまでの改革や変化対応が実ってきたということでしょう。

―― PBというビジネスモデルの立てつけ、あるいは差別化は、どこに一番ポイントを置いたのでしょうか。

鈴木 まず、ポーラという会社と各営業所の関係ですが、社員雇用ではないんです。もちろん、委託販売契約はきちんと交わしてルールは守ってもらうんですが、ある意味では、ポーラの商品を委託した事業主ですね。エステ店で言えば、ものすごいお金をかけた店を作る方もいれば、かなり貧弱な店もあったりで、料金体系を含めて全部統一すべきだということになりました。
そして、リーズナブルな料金とアットホームなホスピタリティでお客様に接してもらい、ポーラのお客様にもなっていただいて、長いお付き合いをしていただくと。そういう発想で作ったのがPBです。お店の立地選定からポーラレディのトレーニングまで統一感を持たせ、ポーラの名前を掲げてやる以上、相当なこだわりをもって取り組んでいます。

―― 現在、PBは延べ何店になっていますか。

鈴木 今年の年末で570店舗ぐらいでしょう。向こう3年ぐらいで、200店から300店は増やしたいと思っています。ただ、いまとまったく同じPBということでなく、たとえば都心では大きな店舗、逆に郊外であれば小ぶりな店舗、あるいは駅ナカやショッピングモール内に出すなど、いろんなバリエーションが考えられると思いますね。

―― PBという店舗形態を増やしてきた中で、従来の訪販のポーラレディが反比例して減ってきたということはないんですか。

鈴木 PBというのは店の形態であって、そこで仕事をしている方々はそれまでと同じポーラレディなんです。PBがほかのエステチェーン店と決定的に違うのは、それこそがPBの成功要因でもあるんですけど、販売第一線のポーラレディたちが、会社が提供した建屋を使って、訪販で培ったホスピタリティやカウンセリング力を、店頭で発揮してもらうことにあります。
もちろん、銀座店など一部直営店もありますけど、大半のPBは、ポーラレディが営業所長になって、そこでまたポーラレディが育っていく。訪販か店頭かの違いは確かにありますが、訪販の時の制度と同じ仕組みで仕事をしてもらっていますから。
我々からは、こうしたPBの店舗をサポートするフィールド・カウンセラーのスタッフを配置し、本社のビジョンや戦略を伝える一方で、販売現場の情報を本社にフィードバックしています。ですから、ポーラレディの数がまた増えているのは、拡大中のPBという業態の中で増えているんです。

―― ポーラレディというイメージもかなり変わったと。

鈴木 と言いますか、昔、コテコテのポーラのおばちゃんだった人を母に持つ娘さんがいま、PBでバリバリ仕事をされていたり、あるいは60歳を超えてからPBに転身されたというケースもあります。その中で、会社の業績回復と成長、組織の拡大に比例して、相対的に若いポーラレディが増えているわけです。5年ぐらい前は、従来の訪販型と、PBを足して、ポーラレディは全国で10万人ちょっとでしたが、いまは14万5000人ぐらいいて、まだ毎月増えています。

百貨店でも増す存在感

―― いまでは、百貨店の化粧品コーナーでも、ポーラの高級価格帯ブランド「B.A」(ローションなどが1本税込み2万1000円)はかなり伸びているようですが、これからの重点的な商品戦略、ブランド戦略はどう考えていますか。

鈴木 グループ全体ではマルチブランドですけど、ポーラは必然的に高級、高品質なスキンケア商品を中心とした、総合化粧品メーカーとしてやっていきます。おかげさまでB.Aが圧倒的な存在感を持っていますし、あとはPBでカウンセリングをしっかりやって、お客様のお肌をしっかり診断させていただき、はっきりと改善できる商品を提供していく。そこにエステのサービスを加えていくわけです。

―― 昨年7月に米国のエイチツーオープラスホールディングス、今年は2月に豪州のジュリークと、海外の化粧品メーカー買収にも動いてきました。こうしたブランドとの連携、シナジーは。

鈴木 我々も、アジアを中心にさらに海外展開を強化する過程で、買収したメーカーから学ぶことも多いですし、ポーラ・オルビスHDというグループ全体の中で、協業していくことも出てくるだろうと思います。

―― もう一つの事業会社、オルビスは通販が主力の業態ですが、かつてポーラから分離・独立し、持ち株会社設立で、また同じ傘の下に入りました。

鈴木 オルビスとは、商品コンセプトも客層も販路もまったく違いますからね。若いお客様の間では、ひょっとしたらオルビスとポーラが競合することも、ゼロではないかもしれませんが、オルビスはオルビスでいま、ブランド再構築に取り組んでいるところです。

―― 業界首位の資生堂がやや停滞する一方、売上規模はともかく、富士フイルムやサントリーといった異業種大企業も化粧品市場に参入しているいま、ポーラが、さらに勝ち戦を続けていくための条件は何でしょうか。

鈴木 PBも形を変えた訪販事業と捉え、訪販組織全体を拡大強化することができれば、勝ち続けることができるでしょうね。極端な言い方をすれば、ポーラレディが仮に20万人にまで増えたら、親戚に売っていただくだけでもすごいボリュームになります。何よりも、ポーラのお客様はありがたいことにリピート率が大変高く、カウンセリング販売や訪販の強さがそこに活きてくるのです。
一方で、あまり建設的ではないですが、従来の訪販組織を一気にへたらせないことですね。というのは、ポーラレディをされている80歳以上の方が5000人を超えているんです。若いポーラレディも20代が2万~3万人、30代が3万人ぐらいいるんですが、ポーラ独自の組織風土をいままで以上に大切にしていけば、組織構造が弱体化することはあり得ないと思います。
かつては、主力のお客様は高価格帯商品を購入される年輩の方が多かったわけですが、いまは20代、30代のお客様もかなり増えてきています。簡単なことではないですが、この顧客層構造をしっかり維持していく。そのための研修・教育には、ことのほか力を入れています。

タイでも訪販が軌道に

―― ほかにも戦略的な差別化はありますか。

鈴木 大きいのは、どの商品を、いつ、どのポーラレディが、どのお客様に販売したのかという履歴が全部、わかることですね。それがものすごいデータベースになるので、顧客データを生かした商品開発ももちろんですが、営業現場の販促ツールにもしっかり活用していきたいと思います。
PBの進展によって、ポーラ独自のワーキングシステムも生まれつつありますので、そこも進化させていく。そうすれば、サービス面、組織面、販売戦略面、どの点でも他社に見劣りしない、筋肉質の会社になれると確信しています。

―― アジアを中心とした、海外展開のこれからはどうでしょう。

鈴木 さきほどの海外メーカーの買収も、2020年までの大きな戦略構想の文脈上にある案件ですが、まずはASEANですよね。実は、タイで調子がいいんですよ。ここは国内同様、訪販体制が出来ていまして、営業所長づくりもうまくいき始めたところです。割といい成長軌道を描いて、海外展開では一つのモデルケースになるかなと思いますね。
一方で、マーケティング上、中国は(現在、日本と緊張状態にあっても)やはり無視できない市場です。香港も含めて、実は台湾でも展開しているんですが、まだ歴史が浅いのが実情。上海に小売店を立ち上げて5年ですが、現地の百貨店中心でやってきたビジネスもイマイチですし、海外でも、ポーラはやっぱり訪販だろうと思います。
中国での期待エリアは東北、たとえば瀋陽の商圏はとても魅力的ですね。私も現地を視察しましたが、東北地区はこれから間違いなく人口も増えるし、商圏としても画期的に伸びていくでしょう。すでに何人かの営業所長候補は現地に入って教育もし、国内と同じやり方はできませんが、売り上げも少しずつ上がっているんです。
上海や北京は大都市ですけど、訪販マーケットとしては、ちょっと入りにくいですね。ともあれ、瀋陽を突破口にして展開エリアを大きく広げられれば、とてつもない市場ですから。
中国では訪販そのものの評判があまりよくはないんですが、そこはポーラが変えていけばいい。実際に、他業界の訪販企業がかなり中国には出ていますし、商品的にも組織・制度的にも負けるものではないので、中国市場開拓はいわば、ポーラの使命だと思います。
あとは、ロシアでの展開が70数店舗まできました。ここは訪販より店舗中心ですが、現地の富裕層も増えてきましたし、容易ではないですがポテンシャルは大きいと思いま
す。
今後は、インドネシアあたりも化粧品の購買可能な所得層が増えてくるのではないでしょうか。まずは、いま展開しているところを強化していくことに尽きますね。

―― 最後に、ここ(東京・西五反田のポーラ本社ビル)の竣工が71年ということで40年以上が経過し、建て替えも検討事項に上ってきそうですか。

鈴木 具体的にはないです

が、そろそろどうかという議論はあります。隣のビルもポーラの所有なので、単なる建て替えではなく、増床も含めた資産の再利用、価値向上という観点で考えなければいけない案件だと思います。
グループで不動産事業をしている会社もありますから、いろんな選択肢が出てくるでしょう。JR五反田駅から至近という地の利があるので、ポーラ単独でなく、他社とジョイントで土地活用を考えていくこともあるかもしれません。

(聞き手=本誌編集長・河野圭祐)

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