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経営戦記

「企業は人なり」――。大企業から中小企業まで、どんな企業であってもそれを動かしているのは人であり、意思決定するのは経営トップである。言葉を変えれば、どんな優良企業でも社長が変われば倒産するし、低迷企業も不死鳥のように蘇る。すなわち経営とは日々の戦いであり、経営者に求められるのは不断の努力と決断力だ。話題の企業の経営者はいったいどのような戦いを勝ち抜いてきたのか――

2014年1月号より

「セレクトタウン」を目指すミッドタウン
中村康浩 東京ミッドタウンマネジメント社長

中村康浩 東京ミッドタウンマネジメント社長

なかむら・やすひろ 1960年5月10日生まれ。福岡県出身。早稲田大学政治経済学部を卒業し、84年に三井不動産に入社。宅地事業部、広報部、横浜支店、ビルディング本部、関西支社などを経て、2004年より秘書部。07年から5年間秘書部長を務め、12年4月から現職。三井不動産東京ミッドタウン事業部長も兼務する。横浜支店時代の同支店課長が現在、三井不動産社長の菰田正信氏。

六本木ヒルズと並んで、同エリアのランドマークになったのが、2007年に開業した東京ミッドタウン。六本木ヒルズとは一味違う街作りでスタートしたミッドタウンは、さらにどう進化していくのだろうか。

「リニューアル」ではない

〔2013年4月。森ビルが運営する六本木ヒルズが開業10周年イベントを開催したのと前後して、六本木エリアのもう1つのランドマークである、東京ミッドタウン(運営は三井不動産グループの東京ミッドタウンマネジメント)も動いた。開業6周年を迎え「ニューステージオープン」と称して、商業施設テナントの入れ替えで新たな展開を発表したのがそれだ〕

敢えて、呼称を「リニューアル」ではなく、ニューステージオープンとしました。リニューアルという言葉は、古くなったものを新しくするというイメージが強いのですが、ミッドタウンはまだ古くなったわけではないし、収益的に下がっているわけでもありません。いわば、よりミッドタウンらしくなるための店舗の入れ替えです。ですから10周年の節目に向けても、10年だから何かを変えるのではなく、ミッドタウンはミッドタウンらしくありたいですね。

〔では、ミッドタウンらしさ、ミッドタウンが掲げる街のコンセプトとはどんなものなのだろうか〕

東京ミッドタウンは「大人の街」をコンセプトにしている。

もともと、アベノミクスによる資産効果が出やすい店舗構成ではあったんです。つまり、少し高めの価格帯の商品というわけですが、資産効果の追い風に乗ることができました。それと、既存店舗の売り上げが意外に伸びているんです。新しく入っていただいた店への来店者数が増えるのは当然として、入れ替えなかった店舗にも買い回りしていただける店舗構成を考えましたので、いまのところその狙い通りに推移しています。

ミッドタウンでは、一貫して大人の街というイメージを作ってきました。そういう意味では、六本木ヒルズさんのほうが、より幅広い年齢層をイメージされているでしょう。我々は、もう少しイメージターゲットを絞っているのです。ただし、ターゲットといっても実年齢はあまり気にしていません。自分の生活にこだわりを持ち、少し上質なものを買い揃えたいという方にとってどんな店舗があったらいいか、そこにフォーカスしてきましたから。

一言で言えば、セレクトショップがあるように、ミッドタウンは「セレクトタウン」というイメージであり続けたいんです。たとえば、ベンツやBMWって、20年前のモデルと最新モデルを比べると全然違いますけど、フロントマスクを見ただけですぐにわかる、一貫したテイストがあるじゃないですか。

同じようにミッドタウンも将来、仮に商業施設の中身が全部変わったとしても、「いつ行ってもミッドタウンらしい店があるよね」と言われたいし、そういうブランドイメージを構築したいと思っています。また、ロケーション的にも東京の都心、あるいは港区のど真ん中という意味で、ブランド力が発揮できる場所なのですから。

〔三井不動産系の商業施設で代表的なのは、ショッピングセンターのららぽーとだが、ららぽーとでも過去、テナントの入れ替えは6年が1つの節目になっている〕

初めて入るテナント、特に飲食関連のテナントはかなり投資されますので、それを前提にすると2~3年での入れ替えは難しいですね。そうすると6年ぐらいでということになるのですが、6年経って次の更新時には皆さん、投資の償却もだいたい終えられてきますから。

もちろん、契約条件はお店によって変えていますので一概には言えませんが、次の6年で、また一気に入れ替えることはないようにしたいんです。外部からはあまりわからないうちに、ミッドタウンが常にミッドタウンらしく磨かれていくほうが相応しいし、また好ましいと思っていますから。

あと、昼ご飯を食べる場所が、以前はこのエリアにはそんなになかったんです。それでミッドタウンの中にカジュアルダイニングを入れたんですが、このエリア一帯にお勤めの方が1万5000人いますので、そのランチ需要は、ミッドタウンだけではとても吸収できません。

ですから当然、周辺のお店にも行かれます。そうなると、居酒屋だったところがランチも出すようになって、ミッドタウンの、いわば“ランチマネー”が周辺にどんどん落ちています。そうした状況を踏まえ、今回の商業テナントの入れ替えに際しては、カジュアルダイニングはやめてファッション関連分野のテナントに切り換えました。ミッドタウン周辺が変わることで、ミッドタウンの持つべき機能も、少しずつ変わってきていると思います。

オフィスは「満室」状態

〔テナント収入の額は非開示だが、ミッドタウンの大きな収益源は何といってもオフィステナントにあり、キーテナントは開業当初から入居している富士フイルムホールディングスやコナミ、さらにヤフー、ファーストリテイリング、シスコシステムズなどが本社を構えている〕

その5社で、テナント面積の8割ぐらいでしょうか。皆さんそれぞれミッドタウンを気に入ってくださっているので、ずっとここに本社を置いてほしいというのが我々の願いですね。テナント面積を増床されているところもありますので嬉しい悲鳴で、いまはほとんど満室状態です。

〔ミッドタウンにはホテルやレジデンス、商業施設やオフィスがあるという点で、三井不動産が得意な複合再開発における、ひとつの集大成といえる。同社は「不動産のデパート」といっていいほど守備範囲が広いわけだが、グループ各社とのシナジーはあるのだろうか〕

確かに(三井不動産は)多様な開発メニューを持っていて、それを一カ所に集めて大規模複合開発をし、あとは該当エリアをマネジメントすることによって、掛け算で相乗効果を出すのが強みです。ですので、当社でもいろいろな掛け合わせの仕掛けはどんどんやっていきたい。今年から(ミッドタウン内にある高級外資系ホテルの)リッツカールトンさんがカクテルアワードを開催したり、我々もこれまで、アートアワードやデザインアワードなど、デザインの街というブランドコンセプトのもと、いろいろな仕掛けをしてきました。

〔これまで日本はインバウンド、つまり海外からの旅行客という点で、アジアの中でも吸引力が弱く、台湾にも負けているのが実情だった。が、昨今の円安効果もあってようやく海外からの渡航者が増え、7年後の東京五輪もインバウンド強化へ追い風となる。

六本木エリア周辺では、住友不動産が手がける旧日本IBM本社や六本木プリンスホテル跡地の再開発(16年完成予定)も注目される。開発の核となるオフィス棟はミッドタウンと肩を並べる高さになり、六本木ヒルズやミッドタウンに次ぐ、3つ目のランドマークとなるからだ〕

五輪に関して言えば、国立競技場と湾岸エリアが2つの大きな拠点になると思いますが、六本木はそのちょうど中間地点なんですね。そうなると、都営大江戸線が結構、両エリアをつなぐキーになると思います。

湾岸エリアにもいろいろな施設ができるでしょうから、六本木もうかうかしていると、通過するだけのスルー・エリアになってしまいかねません。そこで、ショッピングやエンタテインメントだけではなく、美術館も豊富にあるスマートな街として六本木がさらに変貌していけば、いろいろな方に寄っていただける街になるのではと。

岩沙弘道氏の秘書を3年

〔中村氏が、東京ミッドタウンマネジメント社長(三井不動産本体では東京ミッドタウン事業部長を兼務)に就いたのは12年4月のこと。それまで8年間は秘書部(07年から5年間秘書部長)勤務だった。その時仕えたのが、98年から13年間社長を務めた岩沙弘道氏(現在は会長)で、ミッドタウンはその岩沙氏が決断したビッグプロジェクトだ〕

岩沙の社長秘書を3年やりましたが、確かに、ミッドタウンはある意味「岩沙プロジェクト」でした。(ミッドタウンの敷地である)防衛庁跡地で入札したのが、驚天動地の出来事だった9・11(米国の同時多発テロ)の1週間後なんです。そもそも、98年に岩沙が社長に就いた時は金融ビッグバンもありましたし、何か前向きなことを手がけて、次世代につなぐ夢を追っていかないと、会社としても活性化しないという思いが強かったわけです。

〔結果、三井不動産が落札した価格は1800億円。2番札の企業よりも約500億円高かっただけに当時、高値掴みではとも言われ、同社の役員会では異論や反対もあった。が、最後は岩沙氏の熱い思いに圧倒されたようだ〕

「グループシナジーも最大限に」と中村氏。

落札した時は、岩沙から全社員に「心配することはない」とメールが来ましてね。何しろ、落札した瞬間に(三井不動産の)株価が下がりましたから。周囲から高値買いに見られ、マーケットでもそう受け止められたので、岩沙は怒っていました。ただ、当時は小泉政権下の規制緩和や民活がありましたので、我々の知恵でどんな街にして何を作るかを、フリーハンドでできたのは幸いでした。

それと本来、防衛庁跡地のような土地は三井、三菱、住友などが組んでオール日本的にやらないといけないような場所で、3社でスクラムを組めばリスクも分散できるという議論もあったようです。でも、岩沙は「いや、あくまで1社でやるべきだ」と。船頭を多くせず、どこかが責任をもって街作りをするべきだという考えからです。ミッドタウンのプロジェクトを推進できたのはまずトップの強い意志、次いで民活という、当時の環境が大きかったと思いますね。

それからもう1つ、防衛庁跡地は都心に残された最後の、いわば千載一遇の開発チャンスだったんです。三井不動産では汐留エリアも開発してきましたが、結果的にこのエリアは「切り売り」です。汐留も広大な敷地ですが、大手の地主企業さんが一緒に街作りをしようという感じではありませんでしたから。

それもあって、自分たちだけで街を作れる防衛庁跡地というのは、ディベロッパーとしてこれ以上ないチャンスという思いが強かったのです。開発に関わる許認可手続きも、民活の中で官も一緒になってやっていただいた。なので、計画と実際にプロジェクトが完成するまでのタイムラグも、そんなにありませんでした。

〔前述の土地取得額もさることながら、ミッドタウンの総工費は3700億円というビッグプロジェクトだけに、初期の減価償却も当然、大きかった。営業損益ではこれまでも黒字を出していたのだが、機関投資家に配当を出していくには累損をゼロにしないといけない。その配当も、12年度からようやく始まった〕

ミッドタウンがオープンして、1年半が経過した時期にリーマン・ショックがありましたからね。そして11年は東日本大震災。特にリーマン・ショックでは、(株式の大暴落などで)逆資産効果が働きました。

先ほど言いましたように、ミッドタウンは商業施設も住宅もオフィスもちょっと上質な、というコンセプトですから、従来の六本木のマーケットを超えるような家賃設定をしていました。それだけに、当時は厳しかったと思います。

〔六本木ヒルズでは、近隣エリアで「第2六本木ヒルズ」ともいうべき開発構想があるが、ミッドタウンでは今後、周辺に拡張余地はあるのだろうか〕

当社にも、周辺エリアでのマンションの再開発とか、いろいろな情報は入ってきますが、いわば網をかけるような形で大きな再開発をするというのは、ちょっと難しいかもしれません。

(構成=本誌編集委員・河野圭祐)

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