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経営戦記

「企業は人なり」――。大企業から中小企業まで、どんな企業であってもそれを動かしているのは人であり、意思決定するのは経営トップである。言葉を変えれば、どんな優良企業でも社長が変われば倒産するし、低迷企業も不死鳥のように蘇る。すなわち経営とは日々の戦いであり、経営者に求められるのは不断の努力と決断力だ。話題の企業の経営者はいったいどのような戦いを勝ち抜いてきたのか――

2012年12月号より

女性にウケる定食屋 「大戸屋」が人気の秘密
三森久實(大戸屋ホールディングス会長)

三森久實(大戸屋ホールディングス会長)

1957年山梨県生まれ。15歳で「大戸屋食堂」(58年創業)を経営する叔父の養子となり、79年に21歳で店を継承する。83年株式会社大戸屋を設立、社長に就任。2001年に店頭公開。11年持ち株会社化。今年4月に会長兼社長、6月に会長に就任した。高校時代は帝京高校野球部に所属。小川淳司投手(現東京ヤクルトスワローズ監督)がエースの習志野高校とセンバツ出場を争った経歴も持つ。

ロンドン五輪平泳ぎで銀、銅メダルを獲得した鈴木聡美選手も大ファンであることを公言する「大戸屋ごはん処」。女性人気を得たことで急成長中だ。また、海外出店も加速、今期中に15店舗を出店し、海外計76店舗にまで拡大する。大戸屋躍進の秘密はどこにあるのか。

NYに大戸屋を出店

〔今年4月、大戸屋は米ニューヨークに「大戸屋ごはん処」を出店した。これまでもアジア圏を中心に海外出店を進めてきたが、北米出店は初。来年には2号店を出店する計画だという。大戸屋の海外事業を牽引するのは三森久實会長だ〕

4月1日に会長に就任して、6月の総会が終わった後は、ほとんど海外にいますね。日本に丸1日いるのは1ヵ月で4~5日くらいじゃないですか。

3年ほど前にNYに行ったのですが、7~8年行っていなくて、すごく久しぶりだったんです。友人に和食屋に連れて行ってもらうと、NYの若い人が、日本人と同じように箸を使って日本食を食べている。その時に、日本の和食産業が欧米で受け入れられる時代が来たなと感じました。

日本食というのは、味の部分で言えば、素材、発酵、料理の技術、この3つで成り立っています。特に発酵のところで、日本人と同じように欧米人に受け入れられているのを感じました。それなら自分で店を出して、確認してみようと出店を決めたわけです。日本の醤油メーカーなどが、これまで積極的に海外に出て、日本の発酵技術の文化を広めていったわけです。これからは日本の飲食業が、我々をふくめて、海外に行く時代です。

NYは世界の情報発信基地ですから、世界中の人が集まっています。アジアその他、さまざまな国の方がいますから、認知されれば世界中に出店展開ができます。

〔もともと、タイをはじめ台湾、シンガポールなど、海外進出を進めてきており、前期末で61店舗。今期も期末までに、さらに15店舗の海外出店を計画している〕

6月に上海に出店しましたが、反日デモの際は一時的に閉めざるを得なかったですね。海外には特有のリスクがあることは仕方がないでしょう。ですが、上海は2店目の工事にかかっていますし、ジャカルタやホーチミンにも年内に何とか出したいと考えています。

国内の大戸屋は、まだ258店。これからです。国内のナショナルチェーンは300店以上なんです。やっと来期あたりにそこに近づくくらい。その程度なんですね。

最近はテレビで取り上げられたりしましたから、地方の売り上げが伸びています。前年比110%以上ですよ。国内はまだまだ伸びます。これまでは私がベースをつくってきましたが、あとは6月に就任した若い社長の窪田健一(43)が頑張れば、少なくとも現在の倍にはできます。国内は社長にがんばってもらって、海外は私が創業する。第二の創業みたいなものですよ。

〔大戸屋は海外に出店する際、味付けを現地に合わせたローカライズをしていない。日本の味を持ち込むことにこだわりを持つ〕

何度も言いますが、日本食というのは素材と発酵と料理の技術です。ただ、料理の技術を追求すると、チェーン化はできません。技術の向上は当然やらなければいけないんですが、基本的には素材と発酵。

いろいろ試しましたが、日本でつくった醤油と、海外でつくった醤油は味が違うんですよ。発酵させるわけですから、菌が重要。これは空気や温度で変化して、微妙に違うものになってしまうんです。

バンコクで「みつもり」という日本料理店をやっているんですが、そこの匂いは日本の匂いですよ。なぜなら海外で生産したものを使わずに、すべて日本のメーカーさんと我々が開発したプライベートブランド(PB)のつゆなどを持っていっているから、日本と同じ匂いなんです。

醤油メーカーさんがアメリカに工場をつくる時もなかなか大変だったそうで、自社のブランドとして醤油を出せなかったそうです。それで、日本から工場の従業員のユニフォームを洗わずに、菌がついているからそれを持っていくなどの苦労をしたとか。それくらい日本の味を出すのは難しいことです。

「海外展開は第2の創業」と語る三森氏。

チェーンとしてのオペレーションをやっている以上、クオリティの部分で勝負しないと差別化できません。海外では、まだ和食屋のチェーンがあまり出ていませんが、個人の方が海外で出店している店はあります。技術では、チェーン店は優れものの料理人に勝てないですよ。ただ、個人の方が海外で店を開く場合、日本の食材を扱っている問屋から仕入れますが、その問屋はどこから仕入れるか。日本のメーカーが大量生産したレギュラー商品を買ってくるしかない。我々は、同じ日本のメーカーでも、共同開発したPBを持ってくる。そこで差別化ができるんです。

焼き魚も日本と同じものです。海外でウチの焼き魚と同じクオリティ、同じ価格で出せるところはありません。ホッケを仕入れるにしても普通にやれば日本のものを問屋を通して仕入れるから、クオリティが我々より低くて高い仕入れをせざるを得なくなってしまいます。

素材によっては現地調達しなければいけませんが、吟味したうえで、我々のPBとドッキングさせる。パン粉も日本から持っていっていますから、ウチのトンカツは他のお店とは違いますよ。

ウチはFCさんも入れると、330億円くらいの売り上げがあります。そのうちの30%、90憶円の仕入れをしているわけです。海外で生産したものを日本に持ってきて、それを海外に送るというオペレーションもやっていますが、海外店舗が多くなれば、直接海外店舗に送ることもできる。たとえば、ホッケもアラスカで獲ったものを、日本を経由せずに、タイの提携工場に持ち込んで、ウチの商品部が大戸屋の味付けにするという形です。

独特の仕組みづくり

〔大戸屋は外食チェーンにはめずらしく、セントラルキッチンを持たない。これは三森会長の味へのこだわりと同時に、他社との差別化を図ることで、生き残るための仕組みづくりを考えてきた結果だった〕

日本の外食産業というのは、アメリカのフードシステムを学んで産業化したものです。素材から物流からセントラルキッチン、店内のクックと、お客様の口に入るまでの総合オペレーションを学んだ。確かに、ファストフードをやるなら、この総合オペレーションはいいですよ。そのためのものですしね。でも、和食は、これをやってはいけません。

確かにセントラルキッチンで加工した商品を店で温めて出せば、価格も安くできるでしょうし、大戸屋ももっと早く店舗数を広げられたでしょう。でももし、大戸屋がそれをやっていたら、何年も前に身売りせざるを得なくなっていたでしょうね。経済がデフレになって、人口が減るという時に、大戸屋の規模で大手チェーンと同じことをやっていたら太刀打ちできるわけがありません。だから大手がやらないオペレーションでやるしかない。良い材料を使って、それを店で調理して、心を込めて家庭料理をお客様に出す。まじめに、実直にやるしかないんです。

〔三森会長は、常に仕組みづくりを考えて経営にあたっている。客に受け入れられる店とは何か、差別化をもたらすチェーン展開とは何か、海外で認められる進出方法はどういうものか。その試行錯誤の繰り返しが現在の大戸屋になっている〕

銀行は飲食店を信用していないんですよ。店舗にしても資産というほどの価値はない。内装をつけた時点で資産価値はなくなるんですね。だから無理をしてはいけない。財務を傷めたら終わりです。どうすれば財務を傷めずに経営ができるのかを考えなくてはいけません。大戸屋くらいの規模の会社が海外に出ようとすると、銀行からあぶないからやらないでくださいと言われる(笑)。

だからウチの場合は投資と回収です。8年弱前にタイに最初に出て、いまは38店くらいあります。タイは外資規制があって、51%以上株を持つことができないんです。去年の8月に現地企業に売却して、FCにしたんですよ。これで回収したお金を、また海外の出店に回す。現在、海外に70店弱の店がありますが、これまでに5億円くらいプラスになっています。

FCにすることで、これまでのシステムとは変わってしまいますから、それによって売り上げが落ちたりしないように、責任を持ってケアをしています。最後まできちんと面倒をみなくてはいけない。

我々にしても、こういうビジネスをすることで、アジアで信用がつきますよね。大戸屋だったら単に投資回収をするのではなく、その後の面倒も見てくれる、と。大戸屋はブランディングができたから海外に行ったわけではなく、その前段階で海外に出ました。まず我々が店をつくり、ブランディングをしてから、現地の企業にFCとしてお願いをする。投資を回収できれば他の国に投資をする。FC店の面倒を見る。これらの流れを、周りの近隣諸国の企業も見ているんです。大戸屋は売って終わりではなく、きちんとした会社だというブランディングが出来れば、そのあとのビジネスもやりやすくなります。

女性が入りやすい定食屋

〔大戸屋は女性比率が高い定食屋としても知られている。しかし、最初から女性を意識した店づくり、メニューづくりをしていたわけではなかった〕

もともと、叔父が池袋に大戸屋食堂をつくって、大繁盛店だったんです。私が21歳の時に叔父が亡くなり、後を継いで、25歳の時にいまの会社を設立しました。今年で30年目になります。以前の大戸屋は女性が入る店ではなかったんです。池袋も男性客ばかりですし、2号店の高田馬場も“男町”です。3軒目が吉祥寺でした。

吉祥寺に物件があったのでやろうと思ったのですが、“女町”でしょ。町を見た時の絶対数で女性のほうが多ければ、お客さんも女性の比率が高くなります。当時、資本金300万円の会社で、1億数千万円を投資しました。吉祥寺でステキなお店を開いているオーナーさんに勉強させてもらったりして、繁盛店になりましたよ。

そんな時、その吉祥寺店で火災を出してしまったんです。幸い人的な被害はなかったんですが、全焼してしまいました。これを機にリニューアルしてやり直そうと。その際に、女性が入りやすいように店を明るくして、メニューも変えて、サービス方法も変えて。それがいまの原型になっているんです。同じタイプの店を渋谷に出したら、すごくブレイクしました。

〔専門誌で「女性が一人で入れる定食屋」と紹介され、資金提供の話が舞い込むようになる。大戸屋はすべての店舗を女性向けに変え、2001年には上場するまでになった〕

「海外展開は第2の創業」と語る三森氏。4月にオープンした米ニューヨーク1号店。

男性より女性のほうが健康に対する意識が強い。子供を身体に宿すから、自分だけの問題ではなくなりますよね。男性よりも健康や栄養のバランスを気にしますし、そういう情報を求めます。日本人の成人の平均的な栄養素の摂取バランスというのは、炭水化物が60%、たんぱく質が25%、脂質が15%なんだそうです。まさに定食屋が出す食事ですよね。

もともと自宅でそうやって食べていたものが、家族構成が変わり、若い人は一人で食事をするようになった。おふくろの味というのは、家庭料理です。お母さんやお婆ちゃんが“仕入れ”に行って、家族の食事のバランスを考え、家族の健康を維持するという理念がある。我々はその代行業なんです。

食いもの屋の本質的なものは、健康の維持、促進ですよ。それが根底にあれば、食材の仕入れなど、考えるでしょう。海外に出るならなおさら経営理念が必要です。ただ流行る店をつくろうとか、そんな程度だと失敗します。安易な安売りは、何かを犠牲にしないとできません。まじめにやらないと、やる意味がない。

これからの10年で、海外の基礎づくりをして、私がいなくなってもできるベースづくりをやろうと思っています。そのあとは、私がいつまでも会社にいて、若い人の邪魔をしちゃいけない。

そのあとは、一人で自分の店をやりたいんです。やはり自分で調理場に立ちたいですよ。それなりのものをつくろうと思えば、10年くらいは修業をしなくちゃいけないでしょう。75歳くらいですかね。海外でもいいからやりたいですね(笑)。

(構成=本誌・児玉智浩)

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