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企業の匠

製造業、サービスを問わず、企業には「◯△の生みの親」、「△◯の達人」と呼ばれる人がいる。
そうした、いわば「匠の技」の数々がこれまで日本経済の強さを支えてきたのだ。日本の競争力低下とともに、そこがいま揺らいでいるという指摘が多いからこそ、各界の匠にスポットを当ててみたいー。

2014年6月号より

世界遺産「姫路城」修理で故郷に錦を飾った鹿島マン 姫路城大天守保存修理JV工事事務所総合所長 野崎信雄

5年半の修復工事

のざき・のぶお 1949年姫路市生まれ。72年芝浦工業大学建築工学科を卒業し鹿島入社。大阪支店や関西支店、中国支店などに配属され、50近い建設現場に携わる。大津プリンスホテル宴会棟増築工事には課長として参加、Jパワーの橘湾火力発電所の石炭サイロ新設の時は所長として指揮した。姫路城修復工事が鹿島で最後の仕事となる。

山陽新幹線の姫路駅から、北へまっすぐ伸びる道路の向こうには、国宝であり世界遺産の姫路城天守閣が真正面にそびえる。

しかし、現在、その天守閣を見ることはできない。その周囲を「素屋根」と呼ばれる鉄骨で覆われているためだ。というのも、ただいま姫路城天守閣は、「平成の修理」の真っ最中。これは「昭和の大修理」と呼ばれる1956年から8年間にわたった工事に続く大規模な補修工事で、2009年秋から15年3月までの日程で行われている。

工事期間は余すところあと11カ月。つまり1年後には、鉄骨の覆いもはずされ、再び美しい姿を見せることになる。素屋根に隠れている天守閣は、鯱や屋根瓦、漆喰壁などの解体・修理をすでに終え、白鷺城の名のとおりの美しい姿を取り戻している。

後は素屋根など、工事に使用した鉄骨を解体するだけなので、解体工事が進むにつれ、化粧直しをした姿が徐々に見えてくるはずだ。

「でもこれからがいちばん気を使う場面です。私はこの計画を聞いた時から、最後が最大の山場だと思っていました」

と語るのは、姫路城大天守保存修理JV工事事務所総合所長の野崎信雄氏だ。

野崎氏がこう語るのには理由がある。素屋根には1700トンもの鉄骨が使われているが、天守との隙間はいちばん近いところで10センチしかない。しかも形状も入り組んでいる。これを天守に一切触れることなく解体しなければならない。素屋根の組み立て時なら、多少、天守を傷つけても、後で解体・修理時に直すことができる。しかし解体時にはそれができない。だからこそ細心の注意が要求されるのだ。

もっとも「4年前の工事開始からここまでずっと、気を使うことばかりだった」と野崎氏は振り返る。

「姫路城は世界遺産です。ですから工事のやり方一つとっても制約が大きかった。素屋根を組み立てる前に資材搬入のための講台を設置しなければならないのですが、特別史跡であるため、杭を打つことができません。そこで、地面の上に大量の石を敷き、そこに基礎の鉄筋を組み立て、鉄骨を上に上にと伸ばして行かざるを得ませんでした。

あるいは素屋根を組み立てるにしても、特別史跡は火気厳禁ですから、溶接することができない。ですからすべてボルトとナットで固定しています。しかも姫路城の場合、大天守だけでなく小天守もあり、その間を縫うように組み立てなければならなかったから、普通の寺社仏閣の修理工事に比べると難易度は高かったですね」

しかも、いざ工事に入ると、当初の設計図どおりに行かないことも多々あったという。そういう時は、施工中でも現場で構造計算をし直すなどして、解決していったという。

そういう時に陣頭に立ってリーダーシップを発揮したのが野崎氏だった。

平成の修理は、ゼネコン大手の鹿島と、地元の神崎組、立建設とのジョイントベンチャーだが、野崎氏は鹿島の人間だ。

1972年に芝浦工業大学建築工学科を卒業して鹿島に入社。以来、大阪支店、関西支店などで現場に立ち続けた。

「技術にこだわり続けてここまできました。設計図だけでは建物は建ちません。施工技術があって初めて完成する。私のモットーは、QCDSE(Quality Cost Delivery Safety Enviroment=品質、費用、工期、安全、環境)をトータルに管理し、段取りよく安全に作業する人が気持ちよく働けるか。そのことをいつでも考えてきましたし、新しい技術があったらできるだけ取り入れてきました。次の現場ではどの工法でいこうか、そういうことを考えるのが楽しくてしかたがなかったんです」

野崎氏は過去に50近くの施工に携わってきたが、中でも記憶に残っているのが、1994年に完成した大津プリンスホテル(滋賀県)の宴会場増設工事だという。

その5年前に大津プリンスは開業しているが、ここに、大宴会場を建設することになった。しかし通常の工法で建設しようとすると、すでに稼働している高層ホテルが邪魔になる。しかも騒音や振動などでホテルの宿泊客に迷惑をかけるわけにはいかない。そこで野崎氏が選んだのは、屋根部分を手前で組み立て、本来、あるべき位置までスライドさせる「トラベリング工法」というもの。この工法により、当時としては日本最大の宴会場が完成した。

もう一つが、徳島県につくった石炭サイロだ。これはJパワーが建設した石炭火力発電所で使用する石炭の貯蔵庫で、その大きさは日本最大級。ここではリフトアップ工法を採用。周囲の壁を先に建設し、最後に床面に設置しておいた屋根をリフトアップするというものだった。

「施工前にはいつも、いくつかの工法を考えます。そのうえで、現場にいちばん適した工法を選択する。でもどうせなら、誰もやっていない新しい工法をやりたいというのが正直な気持ちです。そうすることで、その知識を次の人たちにも伝えることができますから」

このように、これまでも数々の特殊な工事を担当してきた。その経験が、今回おおいに役に立った。

故郷に錦を飾る

野崎氏が言うには「今度の仕事は私の集大成」とのこと。それほどまでに、姫路城修理工事に対する思い入れは強い。これまでは鹿島のサラリーマンとして、会社から辞令が下れば、どこにでも赴任した。しかし、今度の姫路城大天守の保存修理工事に関しては、自ら手を挙げたのだという。

なぜなら、野崎氏は姫路市出身で、小さい頃から姫路城を見ながら育ったからだ。常に自分の近くに姫路城があったし、小学生の時には昭和の大修理を目の当たりにしている。

「昭和の大修理の時には心柱も入れ替えています。この時、城まで心柱の祝曳きが行われ、沿道には多くの人が集まりました。その中の一人が、小学4年生の私でした」

鹿島が平成の修理を落札したのは09年5月のことだった。当時、野崎氏は甲南大学ポートアイランドキャンパス新築工事の所長を務めていた。この竣工式には鹿島の関西支社長も臨席したが、その場で野崎氏は、「姫路城をやらせてください」と直訴したのだった。

「この時、私は59歳。あと1年で定年でした。だったら、最後の仕事として、自分が生まれ育った姫路に恩返しをしたい。そう思ったのです」

その熱意が届いてか、野崎氏は工事事務所の所長に任命され、故郷に錦を飾ることとなった(11年から総合所長)。

「私の家は姫路城のすぐそばにあります。この仕事が終われば、あとは悠々自適の毎日です。散歩をしながら、白鷺城を見守り続けたいと思っています」

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