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企業の匠

製造業、サービスを問わず、企業には「◯△の生みの親」、「△◯の達人」と呼ばれる人がいる。
そうした、いわば「匠の技」の数々がこれまで日本経済の強さを支えてきたのだ。日本の競争力低下とともに、そこがいま揺らいでいるという指摘が多いからこそ、各界の匠にスポットを当ててみたいー。

2013年5月号より

WOWOWの音楽ライブを支える音づくりの第一人者

放送技術から音声技術へ

いまや契約者数260万人を誇るWOWOW(2月末現在)。このままいけば7期連続の加入者増となる見通しだ。特に一昨年10月にフルハイビジョン3チャンネル放送に移行したあとは、加入者増のペースが加速している。

WOWOWの放送の核となっているのが、映画、ドラマ、音楽、スポーツだが、中でも3チャンネル体制になって大幅に拡充されたのが音楽、特にコンサートのライブ放送で、本誌が発売される3月下旬をとっても、安室奈美恵や藤井フミヤ、松任谷由美などのライブが放送される予定だ。

音楽放送で何より重視されるのは「音」である。音のよし悪しがその番組の評価を大きく左右する。それだけに音づくりが何より重要になってくる。

この音づくりの中心にいるのが、WOWOW技術局制作技術部エグゼクティブエンジニアの中村寛氏だ。

中村氏がWOWOWに入社したのは1992年、28歳の時のことだ。WOWOWが開局したのはその前年で、人材も不足していたため中途採用を積極的に行っていた。大学で電送や通信などを学んだ中村さんも中途入社に応じた一人で、送出技術部に配属された。衛星放送に向けて放送用電波を発射する部門である。

それがなぜ、音づくりのプロになったのか。

「送出技術部で仕事をするには、いろんな現場を知っておく必要がありましたから、制作現場にも顔を出していました。そこで音声の仕事を知りました。もともと大学時代オーケストラ部にいたこともあり、音楽に対する興味が強かった。そこでこういう仕事もやってみたいなと思うようになったのです」

この時すでに入社して4年がたち、32歳になっていた。

「この年齢で未知の世界に入っていくわけですから、上司には反対されました。でもどうしても異動したいとお願いしたのです」

「WOWOWを見た人すべてに満足のいく音声を届けたい」と中村寛氏。

異動してからも苦労の連続だった。開局からまだ間もないこともあり、社内には放送技術に関するノウハウが蓄積されていなかった。そのため実際の放送では、他の放送局や大手プロダクションの音声技術者がチーフとして現場を仕切り、中村氏などWOWOWの社員はサブの立場に甘んじなければならなかった。このように他社の人間を先生役として、一から音づくりを学んでいく。自らがチーフを務められるようになるまでに3年ほどが必要だった。

ここで、ライブ放送における音声の仕事の手順を説明しておこう。

まず番組の担当プロデューサーから、何月何日に誰のライブがあり、いつ放送するかが報告され、技術スタッフが決まる。そのうえでプロデューサーやディレクターと打ち合わせ、要望、意向を聞いてスペックを考えていく。

次に舞台責任者やステージの音響スタッフなどと打ち合わせし、マイクをどこに配置するかなど委細を詰めていく。

ちなみに、ライブ会場に設置される放送用マイクは、最低でも50本、多い時には100本にもなるという。

このような手順を踏んで収録当日を迎える。多くのコンサートは午後6時から7時頃開演するが、音声スタッフは遅くても午前8時、早い時には未明の午前3時か4時に会場に入りセッティングを行っていく。

午後にはリハーサルが行われるが、そこで音を聞きながらマイクの位置などを調整し、本番を待つ。

ライブ終了後、音源を東京・辰巳にある放送センターに持ち帰り、編集作業が始まるが、50~100本のマイクが拾ったそれぞれの音を最適のバランスで組み合わせるのだから膨大な時間がかかる。だいたい3~5分の曲をミキシングするのに3、4時間は必要で、2時間番組の場合、約20曲あるため、80時間ほどスタジオにこもることになる。この過程では、アーティストや所属事務所の担当者と意見交換をしながら、聞き手の満足する音に仕上げていく。

もちろん映像は映像で編集作業を行い、組み合わさってライブ番組が出来上がることになる。

映像技術賞を2度受賞

以上は収録番組の場合である。問題は生放送の場合である。

音楽ライブの生放送はWOWOWの目玉番組の一つである。記憶に新しいところでは、昨年から今年にかけて、桑田佳祐の年越しライブを生放送した。

生放送の場合、ミキシングも同時にやらなければならない。そこでミキシングスタジオ機能を持った中継車を会場に派遣し、そのクルマの中でミキシングを行うことになる。その瞬間その瞬間で最適の音をつくらなければならないのだから、クルマの中は戦場のようになるのでは思ったが、そうではないという。

「アーティストはライブの前に1週間ほどスタジオでリハーサルをします。私たちはそこに顔を出し、アーティストや関係者と音づくりの打ち合わせをして、だいたいのバランスを決めておく。ですからライブ中継当日にやるのは微調整です。それほど慌ただしくはないですし、もしそうなったら準備が足りなかったということです」

ところで、BS放送では2000年からデジタル放送が始まっている。デジタルになったことで画質は格段によくなったが、音声にはそれ以上の変化が起きた。

アナログ時代の音声はステレオ2チャンネルでしかなかった。ところがデジタルになったことで、映画などに採用されてきた5.1サラウンドでの放送が可能になったのだ。従来のステレオ放送とは臨場感がまったく異なる。

「最初は機材もあまりありませんでした。いまとなっては笑い話ですが、手作りで機材を手当てしたものです。それに比べていまは機材も揃い、頭の中にあるイメージをつくりやすくなりました。夢のような時代になりました」

サラウンド放送が始まった03年、WOWOWは野田秀樹の演劇を5.1サラウンドで収録、放送した。舞台中継のサラウンド放送はこれが日本で初めてだったが、これを担当したのが中村氏だった。

この放送が評価されて、中村氏は同年、日本映画テレビ協会がすぐれた映画・放送技術を顕彰する映像技術賞を受賞した。WOWOWの社員初の快挙だった。中村氏は06年にも同賞を受賞、日本放送業界における音声技術者の第一人者としての評価が定着した。

「私が目指しているのは、番組を見た方全員が最高に楽しんでいただける音づくりです。でもこれがむずかしい。自分ではベストだと思っても、お客さまがテレビを見る環境、あるいはその日の気分によって満足いただけないことがあります。

放送翌日には、カスタマーセンターに寄せられた声が届きます。その中に、1人でも音にがっかりした、というご意見があれば本当に落ち込みますし、どこが悪かったのか、もう一度聞き直します。その逆に1人でもいい音だったというご意見があると、この仕事はやめられないと思う。その繰り返しです。全員に満足してもらうのは無理かもしれない。それでも、1人残らず最高だったという音づくりを常に追求していきたいですね」

中村氏は現在48歳。すでにベテランの域に入ってきている。いまも制作現場の最前線に立つが、同時に後進を指導する立場でもある。

「ですから私が関わった番組だけの音がよくても意味がありません。WOWOWの放送を視聴しているお客さまが、音に関して不満を持つことなく楽しんでいただける。そんな放送局を目指しています」

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