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企業の匠

製造業、サービスを問わず、企業には「◯△の生みの親」、「△◯の達人」と呼ばれる人がいる。
そうした、いわば「匠の技」の数々がこれまで日本経済の強さを支えてきたのだ。日本の競争力低下とともに、そこがいま揺らいでいるという指摘が多いからこそ、各界の匠にスポットを当ててみたいー。

2013年4月号より

開発期間「1年半」で誕生 大ヒット車「ミライース」

昨年の軽自動車1位

いま自動車業界でもっとも熱い戦いを繰り広げているのが軽自動車だ。

先日発表された1月の国内自動車販売ランキングを見ても、ベスト10のうち6車種が軽で占められていることからもわかるように、小さくて燃費のいい軽自動車の人気が高まっている。その市場で、7年連続シェアトップに君臨しているのがダイハツだが、それ以前の覇者・スズキに加え、ホンダも本格的に軽自動車に参入、現在、三つ巴の激戦を繰り広げている。

そうした中、昨年、軽自動車でもっとも売れたのは、ダイハツの「ミライース」だった。

ミライースの最大の売りはリッター30キロという燃費の良さである。しかも、それでいてベース価格80万円という低価格を実現した。これがデフレ時代にマッチした。このクルマの開発の指揮を執ったのが、今回の主人公、上田亨氏(52歳、現在の肩書は執行役員技術本部製品企画部部長兼技術統括部担当)だ。

「ミライースには原型があって、それが2009年の東京モーターショーに出品した『イース』でした。このイースで、リッター30キロというノーマルエンジンで世界最高の燃費を達成しました」(上田氏)

リーマン・ショック後、世の中のクルマへの関心はもっぱら燃費に絞られた。そしてその主役はハイブリッド車が務めていた。イースは、軽自動車でハイブリッド車なみの燃費を実現しようとつくられたクルマだった。

「ただイースには、ひとつ問題点がありました。そのまま市販すると、価格が130万円ほどになってしまう。当時すでにハイブリッド車が180万円を切っていましたから、それでは競争にならない」(上田氏)

そこでダイハツは、10年初めにイースをベースに、燃費30キロ、価格はハイブリッドの半分以下の80万円というクルマづくりを目指すことになる。しかも発売時期は11年秋とすることが決まった。

通常、新車を開発するには3年程度の時間が必要だ。ところがミライースの場合は、その半分の時間で開発しなければならない。

「この高い目標を達成するには従来のクルマの作り方では不可能です。そこでミライースの場合は、まったく違うチームづくりを行いました」(上田氏)

新車開発には、エンジン、シャーシー、空力など多くの関係者が携わる。しかしそれまでのクルマづくりでは、エンジン担当者はダイハツのエンジン部門から派遣されているという位置づけであり、新しい課題が見つかるとそれを部署に持ち帰り、次の会議で解決策を提示するというやり方だった。しかしそれでは時間がかかりすぎる。

そこでミライースでは、開発チームを結成、そのチームの人事権をも含むすべての決裁権を上田氏とその上司の役員が握った。つまりチームの指揮系統を一本化し、チーム独自で開発にあたることにした。しかもチームの人選にあたっては、経営陣の理解を得たうえで、えりすぐりの人材を各部署から引っ張ってきた。こうして、10年4月、企画から開発・調達・製造・販売にまでいたる30人からなるチームが誕生した。

「メンバーには、『君たちには帰るところはない』と伝えました。各部門の代表としてここにいるのではなく、このメンバーの一員としてここにいることを訴えました。それによって、みんなの意識が変わってきたように思います」

と上田氏は振り返るが、それでも、従来からの仕事のやり方との違いに戸惑うメンバーもいて、チームとして一体感を持つまでには3~4カ月は必要だった。

こうして始まったミライースの開発だが、技術的なハードルは高かった。

まず燃費である。すでに09年に発表したイースはリッター30キロを達成しているのだから、これをブラッシュアップしていけばいいだけのことと思うかもしれないが、それが大違いなのだ。

というのも、イースの30キロは、10・15モードという基準に則ったもの。ところが、より実用走行に近づけるため、11年4月以降はJC08モードが用いられるようになった。この新基準は10・15に比べると、1~2キロ燃費が悪くなる。イースによって極限まで高めた燃費のさらに上を目指すというのだから、そう簡単なものではない。

しかもイースは2ドアだったのに対し、ミライースは4ドア。これだけでも車両重量は重くなり燃費にはマイナスに働く。30キロを達成するには問題が山積していた。

部門間の壁を破る

価格にしても同様だ。イースが130万円という価格になった理由のひとつに、軽量化を図るため高価な素材を使ったことが挙げられる。しかしそのままでは低廉化はできない。そこで開発チームはゼロベースで、安全性を犠牲にせず、安価で軽量な、上田氏が言うところの部品の「素質」を上げていく作業に没頭した。

その結果、数多くの新技術がミライースには搭載された。

停車時にエンジンを止めるという「アイドリングストップ」はいまでは多くのクルマで採用されているが、ミライースの場合は時速7キロ以下になった段階でエンジンが止まるようになっている。また骨格部材の配置を見直すなどした結果、ミライースの前身のミラに比べて60キロの軽量化に成功した。

また低コストを実現するために、「構造は原理的に正しいか」「材料のポテンシャルは引き出せているか」「デザインやつくり方の工夫でもっと安くつくることはできないか」などの観点から主要50品目の部品を抽出し、車両特性にふさわしいサイズ、機能、品質などを一から見直すことで部品点数の削減や軽量化による原価低減を実現した。

ミライースの経験は、今後のダイハツのクルマづくりに活かされる。

「こういうことができたのも、チームが一丸となって取り組んだからです。従来の開発だと部門間の壁があって、エンジン屋はエンジンのことしか関心がなかった。もっとはっきり言えば、エンジンの燃費削減目標さえ達成すれば、他の部門が目標を達成できるかどうかはどうでもよかったのです。ところが、チームとして取り組んだ結果、ある部門が目標を達成できなくても、他の部門が『うちはもう少し頑張れる』と言ってくれた。それでトータルで目標を達成できたのです。一方で燃費削減目標を達成できなかった部門は価格低減で貢献する。それによって、燃費と価格を両立できました」

当初は「そんな目標は達成できない」とぼやくメンバーもいたが、上田氏は絶対できるとの信念をもってチームを引っ張っていった。その結果、チーム発足から1年後の11年春には目標達成を確信したという。

その年の9月20日に新車発表会を開催。集まったメディア関係者は、「リッター30キロ、80万円」に、誰もが驚きの声を上げた。

「苦労もしたけれど、いままでクルマづくりに携わってきた中でいちばん面白かった。それはチームのメンバーも同じで、発表会後の打ち上げには、みな感極まって涙を流していました」(上田氏)

それだけ充実した仕事だったのだろう。しかも苦労を重ねたミライースがヒットしたことで、達成感は一段と高まった。

「それまで売れている軽自動車は、当社でいえば『ムーブ』のような背の高いものばかりでした。ところがミライースはセダンタイプでありながらよく売れた。これは東日本大震災もあり、お客様の価値観が変わってきたということだと思います。実際、ミライースを買われたお客様に購入動機をお聞きしたところ、燃費がいい、安い、CMがよかったという意見に混じって、会社の姿勢に共感したというものがありました。これはうれしかったですね」(上田氏)

ミライースの開発チームは、大ヒットを見届け、発足から2年後の12年4月に解散した。しかしここでの経験は、その後のダイハツのクルマづくりに大きな影響を与えている。

「開発チームの目的のひとつに、人材育成がありました。ここでの経験を通じて視野を広げてほしいし、部門間の壁をぶち壊すリーダーになってほしいとの願いがこめられていました」

昨年12月、ダイハツはムーブをモデルチェンジしたが、このクルマも現在大ヒットしている。ムーブはミライースに比べ背も高く積載量も多いため車重も重い。にもかかわらず、リッター29キロという、ミライースに匹敵する燃費を達成している。

これも、ミライースで培ったノウハウを最大限活用した結果だ。そして今後のダイハツのクルマづくりにも活かされるはずだ。

昨年秋、ダイハツの伊那功一社長は、中間決算発表の席で「軽自動車でシェアトップを堅持する」と語っている。そのためにも、顧客目線のクルマづくりが求められる。ミライースの開発経験は、その意味でダイハツ社内に大きな財産を残したと言える。

根っからのクルマ好き

さて最後に、上田氏の個人情報を紹介しておこう。

1960年奈良県生まれ。信州大学繊維学部繊維機械学科に進学するが、その頃から自動車にのめり込み、自動車部に入ってラリー競技に熱中した。そこで目覚めたのがシャーシーの面白さだった。

機械学科を卒業して自動車メーカーに入社した人たちの中で、一番人気はエンジン設計だ。しかし上田氏は最初からシャーシー設計を希望した。というのも、ラリー車の場合、エンジンをいじることは許されておらず、唯一できることが足回りの強化だった。「それによってクルマの性能がまったく違う。シャーシーの面白さに気づいたのです」(上田氏)

奈良県出身ということもあり、地元のダイハツを希望し、それ以外の就職活動は一切しなかったが見事採用。念願のシャーシー部門に配属された。

シャーシー以外では、ABS(アンチブレーキロックシステム)やVSC(横滑り防止装置)の開発などに携わり、08年1月にチーフエンジニアとなり製品企画担当となった。最初に担当したのが東京モーターショーに出品したイースであり、そのままミライースの開発を担当した。そして昨年、執行役員に就任している。

最近、自動車メーカーを希望する学生の中には免許を持っていない人も珍しくないというが、上田氏はその経歴を見てもわかるとおり、根っからのクルマ好き。いまでもクルマの運転は大好きで、大阪から名古屋ぐらいまでなら新幹線ではなくクルマを運転して出かけるという。執行役員になって会社からクルマが貸与されたのだが、点検のたびに「上田さんのクルマは走行距離が多い」と言われるエピソードからも、運転好きの一面がうかがえる。

それだけに最近の若者のクルマ離れには心を痛めていて、「若い人が飛びつきやすいクルマをつくりたいですね」とつぶやいた。

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